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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスレイトのカフカが、秘密の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、貯金残高です。
さて今回はですね、ポール・オースターについてお話していきたいなと思っています。
最近お亡くなりになった小説家ポール・オースター。
僕はすごく好きでして、代表作で言うとムーンパレスという小説が有名です。
あとは中編小説であるニューヨーク三部作なんかも有名かなと思います。
中でも僕が一番好きなのは、偶然の音楽という小説なんですが、今回はその小説の内容ではなくてですね、
ツイートポール・オースターということで、ユリイカという雑誌の中で、翻訳家である藤井さんと柴田さんというお二人が対談をされていました。
その対談内容が僕すごく面白かったなというふうに思っています。
それについてちょっとご紹介をしながらお話していきたいなと思っています。
まずポール・オースターはどういう小説家だったかというとですね、
まあちょっと現実と夢の世界のようなマジックリアリズムですよね。
現実に近いような非現実の世界を描くのが非常に上手い作家さんでした。
あとはですね、主人公が深い孤独を抱えていたり、内面を描くことが非常に上手な作家さんだったのかなというふうに思っています。
そういう意味でいうと村上春樹さんにも通じる部分があるのかなと個人的には思いました。
あと文章も平易でわかりやすいというところもちょっと村上さんと似てますね。
それですね、二人の対談、翻訳家である藤井さんと柴田さん。
柴田さんに至ってはポール・オースターの小説を翻訳された方です。
どういうふうに二人が対談していたかというとですね、
この辺、オースターがこんな風にして小説を書いていたということを二人で語っているんですよね。
それが面白かった。
ではオースターはどんな風に小説を書いていたかというとですね、
まず自分を書いていたとオースターははっきりと言っていたそうなんですよね。
小説家は自分の文人、一つの文人をキャラクターに投影する。
そんな風によく言われたりしますが、オースターははっきりと自分を描いていた。
ただしポール・オースターは描かなかったという風に言ってるんですよね。
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どういうことって思われるかもしれないんですけれども。
その言葉の解釈を二人がしているんですよね。
つまりそれはどういうことかっていうと、
ポール・オースターという人物に関してはコンテクストが載ってくる。
社会的、政治的な背景が載ってくる。
それを抜きにした自分を描いていたという風に言ってるんです。
つまりカフカという人物とするならば、
元アスリートで、日本人で、無宗教で、みたいな感じでコンテクストが載ってくるじゃないですか。
そうではない、もっと深い部分の自分を描いていたという風に解釈できると二人は言ってるんですよね。
これはなんか非常に面白いなと思っていて、
ユングのいう集合的無意識であり、仏教でいう有意識の概念である荒屋式の部分なのかなというふうに思ったりします。
人の無意識に潜む、何て言うんですかね、欲望、欲求、
まあ、なんだろう、希望、人間性みたいな部分なのかな。
僕は確かにそれは小説で感じるんですよね。
うまく言語化できないけれども、彼の小説を読んでいて、
あーなんか自分に近しい部分があるなっていうことを感じます。
オースターの自分を通じて、僕自身のカフカの自分につながっているなっていうことを僕は感じたんですよね。
それとオースターはこんな風にも言ったそうです。
オースターはフランスカフカの断食芸人という短編小説があるんですが、
その断食芸人のように自分自身を芸術にする、
芸術にするということに共感している、そんな風に言っていたそうなんですよね。
この断食芸人というのがフランスカフカの有名な短編小説でありまして、
それがどういう物語かというとですね、
断食をするサーカスの人がいたそうなんです。
そしてサーカスをしていく中で、檻に閉じ込めた断食をする男がですね、
非常に珍しいじゃないですか、断食をする人って。
そういう人がどういう風になっていくのかを見せ物にされていったという話なんですね。
40日間の断食の様子が人前にさらされていくわけです。
最初の方、人はもの珍しくどうやって痩せ細っていくのか興味津々で見ていくんですね。
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断食をする芸人は辛い、しんどいだけれども仕事だから、
これは俺の仕事だから仕方がないという形で断食をしていくんですよね。
そしてみるみる衰弱していきます。
20日、30日、40日経って、そしてようやくその断食の期間が終わって、
外に出すことができる、外に出られるということが分かっていった時に断食芸人はどうしたかというとですね、
いや、まだ私の断食は続けることができると言って拒んで、
まだ断食を続けようとするんですよね。
そしてお客はどんどん彼に興味を失っていく。
そしてもう日数を数えるのすらやめてしまう。
その時とある人が、そういえばここに断食をしていた人がいたなということで檻の中を見ます。
そうすると断食芸人がまだ断食をして過労死で生きていた。
そしてある人は尋ねます。
一体いつになったら止める、やめるつもりなのだ。
そしたら彼はこんな風に言うんですよね。
私はいつでもあんた方が私の断食に関心することを望んでいた。
それに対してある人は、俺たちは関心していたと思うと言います。
そして断食芸人はこんな風に言います。
ところがあんた方は関心してはいけなかった。
そしてある人はこんな風に言います。
そうか、それなら関心するのはよしにしよう。
だが俺たちが関心しちゃいけないってのはどういうわけだ。
それに対して断食芸人は、
それは私は断食する他ないからなのだ。他にどうしようもないからなのだ。
私はうまいと思う食べ物を見つけることができなかったからだ。
もし好きな食べ物を見つけていたらきっと世間を騒がせたりしないで
あんたや他の皆の衆と同じようにタラフク食って暮らしたに違いないのだ。
と言うんですよね。
そしてその言葉を最後に彼は
亡くなってしまう。
っていうそんなお話になってるんですよね。
これ皆さんはどう思いますか。
僕この話めちゃくちゃ好きなんですけれども
つまり他人に関心してもらいたいと断食芸人は最初思ったけれども
もういつしか自分のために
この断食を続けるんだということを思っていて
他に興味を失ってしまってもう断食にしか興味がなくなってしまった。
もう本当に究極の実語実現のためだけに断食をして最後は
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朽ち果てていく。
そしてそれをポールオースターは
そういう姿勢がいいっていう風に言ってるんですよね。
最終的に他者ではなくもう自己満足のためだけに生きていく。
そういう芸術を作っていく。
そのために小説を私は作っていく。
そして生涯書き続けたっていうことなんですよね。
なんかこれは何者にもつながっていくのかなって僕は思いました。
生涯かけて自分が満足するものを作り続けたいと思い続けて
生涯かけて作っていく。
我々は小説は作れないかもしれないですけれども
なんかそういうものがあったらいいなーって思ったりします。
というわけで今回は以上になります。
最後までお聞きくださりありがとうございました。
ではまた。