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絶望カフカの何者かになりたいラジオ、この番組は元アスリートのカフカが、日々の絶望と些細なヒントをお送りするラジオです。
最近の絶望は、エネルギー管理士試験です。 さて、以前にですね、ボイラー技師2級とエネルギー管理士を受けるというお話したんですけれども、
進捗がありまして、ボイラー技師2級は無事合格することができました。 なんですが、
本題はエネルギー管理士の方でですね、この資格っていうのがですね、ほぼ理系の方が受ける資格なのかなというふうに思ってます。
めちゃくちゃ科学式とか出てきますしね。 僕は、あの理系でも文系でもない体育会系なので、なかなか覚えるのが大変なんですけれども、
12月の試験に向けて引き続き頑張っていきたいなというふうに思ってます。 そして今回はどんなお話をしようかなと思ったんですが、本日8月25日。
渋沢敬三の生涯
皆さん何の日だと思いますか。 8月25日は、そう、渋沢慶三の誕生日ですね。
はい、皆さんご存知、渋沢慶三ですね。 まあほとんどの方はどうなったかわからないと思いますので、
簡単に渋沢慶三についてお話をしながらですね、渋沢慶三の言った言葉、ニコボツ、ニコニコしながら没落するという意味について改めてちょっと考えたことがありましたので、それについてお話ししていきたいと思います。
さて、渋沢慶三はですね、渋沢栄一の孫にあたる人物ですね。 まあ語るまでもないと思うんですけども、渋沢栄一といえば一万円札の人物としても有名ですが、論語とソロ版を書かれた。
まあそういう理念を掲げて、道徳と経済の両立を目指した人ですね。
そして明治から大正にかけて500とか600とかの企業に設立に携わったと言われる、ちょっとよくわからない人物ですね。
500っていう数字のスケールが全然よくわからないですが、そういう人物ですね。 そのお孫さんにあたる人物。そして渋沢慶三は渋沢栄一の後継者として
まあそういったもんだあったそうなんですが、経済人としてご活躍された方です。 大倉大臣だったり、日本銀行の総裁にもなられたそうなんですよね。
渋沢慶三は実は経済界だけではなくて、いろんな学問に対しても非常に興味を持って支援をされた方としても有名です。
例えば民俗学に興味を持って、自宅に施設博物館を設けたりして、様々な文化とか歴史の品々を集めて研究されていたそうです。
そして自分では研究の限界があると思われて、他の研究者を支援することで学問の発展に寄与されていたそうなんですよね。
僕が渋沢慶三について興味を持って、もっと知ろうと思って手に取った本もですね。
渋沢慶三がパトロン、つまり支援した人物として宮本恒一さんという方がおられるんですけれども、
宮本恒一さんと渋沢慶三さんについて書かれた旅する巨人という本の中でいろいろとエピソードが書かれていました。
そして僕が特に、これすごくいいなぁと思った箇所がありまして、それが第二次大戦後の日本の復興に携わった渋沢慶三の行動というか言葉なんですよね。
ニコボツの選択
それが冒頭に言ったニコボツという言葉です。
ニコニコ笑って没落する。 その略としてニコボツ。これが渋沢慶三はよく使っていた言葉だ、なんだそうです。
でこのニコボツという言葉、どういうふうに使われていたかというとですね、
まあその前に戦後ですねGHQが 経済力が集中している日本に対してその排除をするための政策の一環としてですね
2つの取り組みをしたんですよね。それが 財産税を導入することと財圧を解体することなんです。
財産税というのはまあ類似化税方式を採用して 企業に対して高い税率を設ける。
そして財閥の解体ということに関しては、主に独占していたグループを解体することによって資産の再分配が起こる。
新しい企業がどんどん勃興するようになる。 そのために財閥の解体、力を一旦分散させるということですよね。
そういうことをGHQはやろうとして、日銀はそれに対して応じたということですね。その財閥の解体と
財産税の実施ということですね。 そしてその対象になった財閥というのが主に三井、
三菱、住友など日本の経済に支配的な力を持っていた財閥たちです。
そこにですね渋沢経済が所属している渋沢財閥もその対象になるかどうかというとですねGHQの判定では
渋沢財閥は当時そんなに財産を持っていなかったということもあって、渋沢財閥は財閥解体の対象ではないと
言っていたんですが、当時渋沢経済はですね 自身が大蔵大臣だったこともあって、つまりその財産税を言い渡す立場であったことも含まれて
それなら自分たちの財閥も解体して無一文になればいいじゃないか そうしないとまあ国民は納得しないだろう
そこに仁義を通すべきだろうと独断で決めたそうなんですよね それをニコニコしながら没落していけばいい
いざとなったら元の深谷、埼玉の深谷の百姓に戻ればいい そんな風に言ったそうなんですよね
すごくないですかこの決断というか 自分自身は別にその無一文になる必要がなかったのにも関わらず
今後の日本を踏まえて自らが没落する道を選んだ
これは歴史上を見てもすごい決断だったんじゃないのかなと個人的には思ったりします
皆さんはどう思いますか 自らを犠牲にして日本のために無一文になる
没落する かっこいいですよね
なんですけれどもこの話には続きがあります それは
家族と孤独
渋沢慶三の家族が崩壊をしてしまうんですよね このまあ貧乏になってしまったが故に奥様が家を出てしまった
そこの因果というのは詳しくはちょっとわからないんですけれども まあとにかく奥様が慶三に対して呆れてしまって家を飛び出してしまった
まあ離婚したということですよね で子供たちとの生活になって仕事も失って慶三は百姓として生きることになった
そうなんです そしてまあ文化人としてまあいろいろ活動をしている
民族学のまあパトロンをしているという話もありましたけれども まあそういう人との繋がりはあったにせよ
まあ家の中の形状は荒れていったそうなんですよね まあ周囲を困惑させる
レベルのあれというふうに書かれていました あれっていうのは天気が荒れるのあれですね
そしてそれを実は長男の正入さんが語っていたそうなんですよね 父親である慶三さんは資産のほとんど失って
研究環境も奪われてしまったそうなんですよね その上奥様にまでいなくなられてしまった
それはすべて自分がにこぼつの選択をしたから なんですよね
その選択は間違ってなかったと生涯言い切るんだけれども その父の背中にはものすごく孤独を感じた
そんな風に長男である正入さんが語っているんですよね この話に僕自身は特にオチもなければ学びもないんですけれども
まあ僕自身が慶三のお話を 読んで知ってどんな風に思ったかというと
やっぱり人間の人生なんて良い時もあれば悪い時もあるし まあそれって自分がコントロールできない部分がとても多いんだよな
っていう風に思いました それは
まあ戦争が起きたこともそうだし GHQの
まあ司令に対して自分自身が日本のために行った選択が正しかったのか正しくなかったの かなんていうことも誰にも理解らないし
ただそれに対して信念を持って愚直に選択をしたことは とても素晴らしいことだと思いながら
まあ家族に対して
不義を与えられてしまったのかどうかはわからないですけれども結果的に崩壊してしまった そして晩年は孤独に
とてもしんどい日々を過ごしたんじゃないかなというふうにも思います かつては日銀の総裁大倉大臣を務められた方でも
そんな風になってしまう 自分のコントロールできないところで
運が悪かった そんなことによって簡単に地獄に地に落ちてしまうこともある
それが人の人生 ということなのかなぁってちょっと漠然と思ったりしました
はい というわけで本日8月25日は渋沢圭三の誕生日です
最後までお聞きくださりありがとうございましたではまた