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平泉達也
はい、みなさん、こんにちは、こんばんは。康太郎雑技団チャンネルです。
このチャンネルは、作るをテーマに空間と時間を共に知った仲間がそれぞれが持つ発行させた技を通して、さらに次の作るを実現する番組です。
今日もよろしくお願いします。
メメシさの思い出
まっさん
今日のゲストは、前回に続きまして、マッサンとシュウさんです。マッサン、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
平泉達也
はい、ありがとうございます。シュウさんもよろしくお願いします。
yu
お願いします。
平泉達也
よろしくお願いします。はい、ありがとうございます。
今日のテーマはですね、前回から、私たちは何について話をしたのだろうかというとこで、最初のテーマからですね、ちょっといろいろあちこち飛びすぎちゃった結果
私たちは何について話をしたのだろうかというふうなテーマにしたんですが、今回も同じテーマで、ちょっといろいろとのびやかにいろいろ話ができればなというふうに思っています。
今回はですね、嬉しいことにマッサンがですね、前回の収録後、エリーさんとシュウさんのメメシの回を聞いていただいてですね、すごく思うところがあるというところで、そこからスタートしたいなというふうに思うんですけれど、
マッサンからテーマの話したいことの背景みたいなところを説明してもらっていいんですけどお願いします。
まっさん
はい、ありがとうございます。
エリーさんとシュウさんの収録の回を改めてお聞きして、メメシさとか男らさの話が出ていて、僕、メメシさっていう言葉は個人的にすごくぶっ刺さる言葉なんですね。
僕が小学校だったか中学校だったかの時にですね、好きな女の子に告白をしたら、ちょっとメメシから無理かなって言われるのが2回ほど続けまして、
それ以降ね、僕10代だけじゃなくて20代も30代も何回かそういうのがあって、すごくメメシって言葉は僕はもうあのちょっと悲しい思い出が呼び起こされる言葉だったりとか、
個人的に多分男らしくいないといけないっていう気持ちがすごく強いんですよね。なんで劣等感が男らしさに対してあるんですよ。
自分の自己認知としても中性的なんじゃないかなって思ったりし、親戚とか家族とかに聞くと、いやいやそんなことないだろうって言われるんですけど、自己認知としてはそうだっていうのもあったりとかして、
個人的にぶっ刺さる言葉ではあってあったなという話とか、あとその女性がその飲み会でその隣の席に座らされるみたいな話とかあった時に、それはすごく僕も気になるシチュエーションだなと思う一方で、
女性全員がそのそれ嫌かっていうと、多分そうでもなくて、やっぱり女性は華やかであるっていうのは多分主語が大きすぎるんですけど、華やかであることを褒められたい女性もいる。
なのでその女性の中にも複数のグループがあるよねと、男性女性ってぶった切ってしまうと、また話がややこしい、もしくはそのそれによっていやいや意図していないと言ってしまうグループもいるだろうなっていうので、
男らしさの背景
まっさん
このあたりは気になるなーって思いながらも、話を聞いている中で、すごく熱いトークを繰り広げられていたので、
しゅうさんの情熱はどこから来るのかなっていうのは、めっちゃ聞いてみたいなーって思っていました。
しゅうさんの熱いトークはちょっと後でじっくり聞くということで、僕もマッサンに近いと思うんですけど、
平泉達也
振られキーワードとしては、こうたさんはいい人だよねって散々言われましたね。
まっさん
いやーもうそれめっちゃわかる。
平泉達也
それめっちゃわかるなー。
いい人だからねって言われて、10回ぐらい振られたかな、たぶん。
すっごいあった。
まっさん
いやーわかります。
平泉達也
それってなんなんだみたいな。
まっさん
いい人止まりみたいなね。
平泉達也
そうそうそうそう。決定打がない。まさにあの、男らしいと決定打があるのか?とか思ったりとかしたっていうのは、
yu
僕もねちょっとね、闇に葬りたい記憶のキーワード。
まっさん
そうだからね、男らしさっていうのが求められるシチュエーションはね、結構ね、特に思春期においてね、僕はあったんですよ。
全員があるとはわかんないですけど、僕は少なくともあったんですよね。
そうなんですよ。
だからそれで言うと、思春期の時にそういう経験してるから、男らしくいなくちゃいけないんだっていうのは、かなりね、深くすり込まれましたね。
ある。あるあるある。
平泉達也
そうなんだよね。
yu
思春期における男らしさってなんなんですかね。
グッドクエスチョンすぎて多分おぞかしいんだけど。
まっさん
なんでしょうね、なんでしょうね。
いやまあ多分、もうグイグイ来てくれるみたいなとかじゃないですかね。
平泉達也
そこは確かにわかんないね。
なんか今で言うと簡単に言うとリーダーシップがあるとか、あるじゃないですか。
yu
確かにリードしてくれる。
平泉達也
そうそうそう、僕中学校の時、制度会長やってましたけどみたいな。
yu
むちゃくちゃリーダーシップあるじゃないですか。
まっさん
むちゃくちゃリーダーシップいるみたいな。
リーダーオブリーダーじゃないですか、もうそれは。
平泉達也
そうそうそうそう。なんか卒業式で最後の言葉読まされるみたいな。そういうはずだったんだけどなーみたいな。
でもなんか、いい人だよねーってさらっと切られるみたいなの結構あった。
自信期における男らしさね。
まっさん
いやでもしゅうさんのその質問本当にグッドクエスチョンかもしれないな。
それを深掘ってみると本当にありなのかもしれない。
小学校の時、よく言いますよね、小学校の時は運動できる子がモテるみたいな。
平泉達也
足が速いやつ。
まっさん
足が速い人がモテるみたいな。
yu
どっち強い人。
平泉達也
そうそうそう。
まっさん
でじゃあ多分ちょっと年齢が進んでくると、なんか何でしょうね。リーダーなんですかね。
yu
そう考えになってくると、好みも多分本当はばらけているはずだと思うんですけど。
確かに。
でもなんか、やっぱり肉食系、草食系じゃないですけど、
やっぱり女性も街のスタンスがデフォルトな感じもして、
やっぱりそういうこうグイッと来られることに対しての憧れみたいなものは、
いろんな少女漫画なり、そういうものでインストールされていってる気がしますね。
まっさん
それむっちゃあれですけど、興味深いですけど、やっぱり女性は女性でインストールされるんですか。
yu
されると思いますよ。
まっさん
ああそうなんだ。
インストールされるものなんだな。
yu
そこに対しての憧れ。
憧れ?それも多分女性もイメージつけられているのかもしれないんですけど、
自分からグイグイ行くよりも、来られる街のスタンスっていうのが、
まっさん
恋愛において基本になっているような気はします。
yu
告白好きだけれども、好きでちょっと好き同士って分かってても、
まっさん
分かっている状態であれば告白されるまで待つみたいな感じがします。
女性からあまり仕掛けてはいけないみたいなものが、
中性的なイメージ
まっさん
インストールされたりとか、もしくはおしとやかさみたいなものを言葉に代表されるように、
それが女性としてはおしとやかであるべきなんだみたいなものが、
わりかし小さな時からインストールされるって感じですかね。
yu
そんな気がします。それは大人になっても楽しそうで、
まっさん
プロポーズするのはやっぱり男性からみたいな。
なるほど。
確かにプロポーズ、女性からしたって話を聞いたら、
本当に正直なところですけど、びっくりはしますもんね。
平泉達也
そうですね。
マッサン、学生時代とか、女性から告白されたこととかたくさんなかったですか。
まっさん
ナイス、ナイス。
平泉達也
ちょっと意地悪な。
話聞いててすごい、ちょっと言葉を選ばなきゃいけないけど、
何人かから僕は告白をされたことがあり、
yu
言葉を選ばずに僕が望んでた人ではなかった。
平泉達也
それは何だったんだろうって今いろいろ思っていて、
マッチの姿勢の人もいれば、来る人もいるわけじゃないですか。
その違いは何なんだって今ちょっとふと思ったんですよね。
それでちょっと聞きたかった。
まっさん
それで言うと僕も確かに言っていただいたことは経験はあるんですけど、
あまり言っていただいてお付き合いをするっていうことは少なかったですね。
なんかよく言うじゃないですか、
追いかけたい派。
追いかけられたい派みたいな話あるじゃないですか。
僕は間違いなく友達にも言われるんですけど、家族にも言われるんですけど、
追いかけたい派だろうって言われます。
僕もそっち。
多分。
yu
なんでそれで追いかけたい派の二人で今までいい人だからとか、
男らしくないからって言って振られてしまったんだろうっていうのが不思議です。
まっさん
僕はその小学校中学校の時にそれ言われて、
もう男らしさが求められてるんだなっていうのは強烈に自分の中でそれこそインストールした上で、
僕高校男子校に行ってるんですよ。
でたまたまこれ多分男子校に行ったのは僕にとっては良かったのは、
男子校はもうその名の通り学校に女性いないので、
もう1年に1回の文化祭でかけるしかないんですよ。
しかも別に整ってるわけでもないし、
自分で声をかけないと永遠にチャンスは巡ってこないので、
もう排水の陣ですよ。
そこで自動的に自分から行くっていうことが磨かれて、
平泉達也
なんとかなりました。
僕も高校は小中教学の公立、
高校は男子校だったんですよね。
だからそこで狩猟民族化したのかもしれない。
まっさん
わかる。ほんとに狩猟民族化した。
そこはあると思う。
yu
ちょっと踏み込んで聞いていいですか。
男らしくないとか、いい人だからって振られるのは、
付き合う前に告白して振られるのか、付き合った上でそういう理由で振られるのか、
よって全然違うなと思ったんですけど。
平泉達也
両方僕はあって、
でも大概8割方付き合う前、
そちらから告白して断られる台詞が大体そのパターン。
yu
これでいくと多分いい人、
いい人すぎてとかって断ってるのは、
断る理由を都合よく使ってるだけだと思います。
まっさん
なるほど。
傷つけないように言ってるだけで、
yu
それはきっといい人であることは確かではあるんだと思うんですけど、
きっと他に断る理由がある中で、
傷つけたくないしって言ってるだけなので、
まっさん
な気がします。
平泉達也
コータさんとはずっとお友達でいたいからっていうセリフも何回も言いました。
まっさん
ある。
なんか居酒屋みたいな感じになってきましたけど大丈夫ですかね。
平泉達也
話をちょっと戻しましょうか。
そうすると、最初に松さんが言った、
まっさん
中性的って何なんだろうなと思ったんですよね。
そうですね。
まず外見が中性的っていうのは僕すごく言われるんですよ。
これはもう本当によく言われるんですけど、
僕なんか小学生の時は、
よく女の子に間違えられるぐらいだったので、
すごく母になるんですよね。
そのまま来てるんで、なので顔が中性的って言われました。
この顔が中性的っていうのは多分、
あまり濃くないというか、
肌が白かったり、ひげ生えてなかったりとか、
そんな感じですかね。そういう話ですけど、
多分コータさんの質問って中身の話ですよね。
中身が中性っていうのはどういうことかって話ですけど、
多分一つ思いつくのは、
それこそ装飾系に類するものじゃないですかね。
あまり男性から責めない。
好きだという愛情表現をダイレクトにしない。
異性に興味がないと思われる要因
まっさん
そもそもあまり異性に興味がないとかっていうのも、
なんかありそうかな。
平泉達也
僕が言われたことがあるのは、害がなさそうって言われてる。
だから、害がないっていろいろな意味があるかもしれないけど、
一緒に話をしてて心地いいっていうのもその一つだし、
同質化的な感じなのかなみたいな。
異性の関係で言うとね。
yu
女性の友達が多いとか、
家族、両親に妹なりお姉さんがいるなりとか、
普段からこのソーシャルな形で、
コミュニティばっかりじゃない良い人とかは、
中性的って言われてたり、
まっさん
今思い返すとそういう人が多いかなと思いますね。
yu
女の友達が普通にいるとか。
まっさん
よく学生時代にあるあるの話だと思うんですけど、
中性的な人物の特徴
まっさん
異性の友達は友情関係は成立するのかっていうお題でよく語られた記憶があるんですけど、
多分中性的な人はそれは成立するっていう話ですね。
多分害があるっていうのは成立しないんですね。
本当に恋愛関係にも持っていくんでしょっていうのが、
多分害があるという表現をされたと思いますね。
まっさん
僕は思ったんですが、中性的って言葉って多分男性にしか使われないですよね。
女性に対して中性的だねって言いますか?
yu
あんまり使わない気がしますね。
まっさん
ですよね。
yu
男らしいとか。
まっさん
なんて言われるのかな。
yu
確かにあんまりそこに思い当たる言葉が見つからないですね。
女性がそういう男性性に少し寄っているところ。
まっさん
昔は多分男性に対して中性的っていうのは、
わりかし、あまり良くない意味合いで使っていたと思うんですね。
男らしくないねあなたはっていう意味合いで使ってたような気がします。
最近になって、多分韓国ブームとかもあって、
中性的っていう言葉がいい意味合いを帯びてきたなという気はしてるんですけど、
いずれにしても女性には使わないよなと思ってて。
女性に対して男らしいっていうのは、
僕何回か聞いたことあるんですけど、
それはね、僕はね、いい意味合いでしか知らないです。
女性の方がなんていうのかな、
それこそ仕事の文脈で後輩を守るとかチームを守ってくれたとか、
そういう称賛の意味合いで使われているのは聞いたことはあるかな。
平泉達也
そのフレーズって確かにそういう場面はあるんだけど、
使っている方の心理状態を考えると、
若干敗北感をごまかそうとしてその言葉を使っているような気も、
今一瞬、僕の経験の中ではあった。
同じ人と人としてのリスペクトはありながらも、
異性というところの概念が邪魔をして、
そういう言葉がポロッと出てきた、みたいなところです。
それはおめ言葉としては成立は当然しているんだけど、
その裏ではそういう心情が働いているのかなっていうのは、
ちょっと今、僕の経験の中ではあった。
まっさん
なるほどな。
yu
女性に対して、
賞賛の意味も含めて、
言う言葉って、そもそもやっぱりデフォルトが下がっているというか、
女性がリーダーシップを持つということがまず意外というので、
四つにしになっていたりとか、
するんだろうなって思いますね。
難しいな。
まっさん
なんでその言葉で男らしいとか、女性らしいとか、
そうじゃなくて中性的とかっていうのが出てくるのかなって、
だいたい多分、それこそ狩猟自体の、
ホモサピエンス的な男と女の役割みたいなのを、
そのまま引き継いでいるような気がしますね。
狩りに行く、食料を見つけたのも、
捕まえてくるんだみたいなのに類することを男らしいと言い、
住居を守る、子孫を育てるとか、
ご飯を作るみたいな、狩猟時代においてですよ。
そういうのを女性らしいという表現を、
いまだにずっとしているっていう、
人間ほんと変わんねえんだなっていう、
そんなような気はしますね。
引き継ってる気はしますね。
yu
最初に話してくれてましたけど、
いろんな問題意識はあるものの、
例えばですけど、専業主婦として、
いしかやおうちのことをやりたいっていう女性がいる。
もちろんそういう人たちがいて当たり前だと思うんですけど、
そこが強いられている。
選択肢がなくてそれしか選ぶことができない。
だったらよくないなと思うので、
同じだけ選択肢が与えられた上で、
自分はこれを選ぶ、これを選ぶっていう風になったらいいなと思うので、
全員が全員社会で活躍してバリバリ働く世の中がいいとも思わないですね。
華やかな場で、そういうポジションをやることで、
そこを自分が別によしと思ってお釈放するという風に判断して、
行くなら全然いいと思いますけど、
女性、その場にいる女性だからっていうことだけで、
その人がやりたいかやりたくないかを置いておいて、
その人に役割を押し付けるっていう、
その状況が嫌だなって思う一方で、
その人も本当に、
お釈放のシーンだけでいくと、
お釈放して気に入られないと戦っていけない状況があるんだったら、
それはそれで問題かなと思う。
平泉達也
僕は戦いの場なのって感じしますね。
でも、戦いの場だと思ってやってる人もいるってことですよね。
yu
そうですね。普段の仕事だと、
制度に評価されないから、
そういうところで気に入ってもらうっていうのも武器にする、
っていう戦い方もあると思うんですけど、
それってそもそもが、
ちゃんと飲みの場でしか、
飲みの場でそういうふうに差をつけないといけない仕事ってどうなんだろうとか、
そもそもの評価の仕方のところに問題があるような気がします。
まっさん
そうですよね。
もうその方が効率的だからっていうので、
やっている、仕方なく、
仕方なくなんだけど、
効率的にやりたいからそれをやるんであるっていう人もいると思いますよね。
結局仕事って人間関係が全てみたいな、
執着点は人間関係だったりすると思うので、
人との人との関係、リレーションシップをうまく作るために、
効率的にやるにはどうしたらいいか、
今の、
やり方に当てはめたら、
お釈するのが、
効率的だからやるっていう話はあるかもしれないから、
そこは変えていきたいよねって話ありますね。
人間関係を構築することはとても重要なのは誰も否定しないと思うんですけど、
構築の仕方がちょっと違うんでいいのっていう話はありますよね。
なんか僕、ちょっと一個話戻って、
いろんな女性もいますよね、いろんな男性もいますよねの話なんですけど、
大きいことは問題だと思ってて、
子に目を向けようぜって話はあると思うんですよね。
男性は女性はって話ではなく、
例えば今の、
世の中的な流れで言うと、
女性をはじめとして、
LGBTQクラスもそうですけども、プレゼンスを上げていこうよっていう、
またサポートを上げていこうよって話もありますけど、
主語が大きい気もしていて、
一人一人に目を向けることって大事だと思うんですよね。
一人一人の話を聞き、
その人がどうしたいのかっていうのは、
お互いに相互に理解していくことは重要だなと思うんですけど、
ここで僕は、
特に、
僕たち日本人が気をつけないといけないなと思うのは、
アメリカは個人主義だし、むちゃくちゃ言語化の国なんで、
言葉にして話すんですよね。
自分のやりたいこととか、むっちゃ言うんですよ。
僕、なるほどなって思ったのが、
アメリカって、かなり小さい時から、
あなたは世界でオンリーワンだって育てられるらしいんですよ。
だから、あなたがオンリーワンでナンバーワンなんだから、
何言ってもいいんだよというか、
あなたの考えを言いなさいっていうふうに育てられるらしいんですよね。
それはそう育てられたら話するわって思うんですけど、
日本って教育のシステムが、
僕たち経験してきていると思うんですけど、
静かにしなさい。
先生がずっとワンウェイで話をしていて、ずっと聞いていてっていう、
自分の意見に言っちゃいけないみたいな中で育つじゃないですか。
空気っていうものが支配するっていう、
この中で、個々の意見を、
私はこうしたい、僕はこうしたいっていうのが、
なかなか言えないし、空気読むしっていう中で、
じゃあ主語が大きいっていうのはどうするか、
それぞれの話聞こうぜ。
結構矛盾じゃないですけど、勝ち合ってるんで、
ここは課題ですよね。難しいんですよ。
平泉達也
折り合わさなければいけないけど、
折り合いがなかなかつけづらいところ。
まっさん
そうなんですよ。一際意識してやらないといけないというか、
個々の話を聞くということを、かなり意識してやらないといけないんじゃないかなとは思います。
それはそうだな。
yu
私もめっちゃ難しいなと思ってて、
僕いろんな本を読んだりとかしていても、
自分の言葉で表現しましょうとか、
誰がどう思ってるとかじゃなくて、
自分はどう思うっていうことをしっかりと心育てていきましょう。
自分と向き合っていきましょう。
それをしっかりと発信、発言していきましょうっていう風な本とか、
世の中にそういうことを求められている風潮をすごく感じるんですけど、
それを上手に言える人もいたら、
言えない人もいて、
言える人は自分の思っている悩みとか、
自分が感じている課題意識とか、どんどん世の中に発信していけるんですけど、
なかなか言えない人もいる中で、
その人が抱えている悩みって、
じゃあもう言えなかったら、
世の中には出てこない。
声として上がらない。
言える人、発言ができる人は、
基本的には自分の悩み、
自分が抱える課題意識について発言すると思うんで、
発言できていない、言えない人が抱えている悩みまで寄り添って、
なかなか難しいんじゃないかなって思った時に、
言える人が持っている悩みはどんどん可視化されていって、
問題解決もできて、
言える人が持っている悩みはどんどん可視化されていって、
問題解決の方向に進むんだけれども、
発言ができない人が抱えている問題意識は、
逆にすごく見えないものにされていってしまって、
そこの差が結局大きくなるだけで、
マイノリティでいろんな課題を感じている人とかも、
じゃあ誰が解決してくれるの?
でもあなたが発言しないから出てこないんだよって言われてしまうと、
そうなのかもしれないんですけど、
それってあんまり優しくないなって思うので。
埋没する。
平泉達也
結局自己責任の話になっちゃいますもんね。
まっさん
うん。
本当にそうだ。
yu
そうやって発言がなかなかしづらい人、
個人の性格かもしれないし、雰囲気的にも、
発言ができしづらいような人たちの、
声を拾い上げる仕組みとかが必要、
会社で話を聞いてくれる人
yu
個人責任にしないようにするにはどうしたらいいんだろうなっていうのが、
悩みますね。
まっさん
うん。
しゅうさんは、
平泉達也
まあ差し障りのない範囲で、
会社で話を聞いてくれる人っていますかって言われたら、
はい、いますって即答できる感じなんですか?
話っていうのは、
私が抱えている悩みとか、
yu
意識についてですか?
特に上司?
そうですね。
平泉達也
いますね。
yu
うーん。
平泉達也
じゃあ、まだそういうのを可視化するチャンスはある?
そうですね。
私はチャンス、
yu
全然しゃべれるんですけど、
お二人もよくご存知の通りですが、
めちゃくちゃ自己開示をするので、
ああ、なるほど。
自己開示するし、
平泉達也
私は、
yu
自分の本質的なところでは、
しゃべらないと、
人には伝わらへんって思ってる感じなので、
平泉達也
察してほしいとか、
yu
っていうのは、
あんまり、
思わないようにしていて、
ちゃんと思ってるんだったら、
言葉にしないと相手には伝わらないし、
相手も言葉以上のことを受け取るのは、
私はもう難しいって思ってるので、
普段からも、
できるだけ、
自分の思ってることとか、
1時間以上でしゃべることを、
心がけていたりするので、
っていうのと、
自分のすぐに自己開示をする、
してしまう、
のがあるので、
別にあんまり人を選ばずに、
しゃべりはします。
意見が違う人との対話
yu
でも、そうじゃない人たちもたくさんいるから、
それを強要するのは違う、
とは思っています。
平泉達也
そうなんだ。
そうそうそうそう。
そうそう。
手を差し伸べるじゃないけど、
そういう人がいるっていうことを、
ちゃんと認識しないといけないって話ですよね。
うん。
まっさん
ちょうどこのシュウさんすごいなと思うのは、
自分でそうやって話せるし、
自己開示もできる。
けれども、
それができない人もいるよね。
その人たちにどうやって手を差し伸べたらいいんだろう、
というところまで思考が及んでいるのは、
すごくいいことだ、
素晴らしいなって思います。
大概多分発信できる人って、
どこまでも自分が言いたいことを、
発信することに終始することもあると思うんですけど、
平泉達也
うんうん。
まっさん
僕思うのは、
結構声を上げられない人って、
実はマジョリティなんじゃないかなとも思ったりして、
平泉達也
あー思う。
まっさん
そっちが多いと思う。
あるじゃないですか、曲名で。
yu
あれ?欅坂…
まっさん
サイレントマジョリティ。
あの曲好きなんですけど、僕。
歌詞も含めて好きなんですけど、
サイレントマジョリティ多いんじゃないかなって思ってて、
だから、実は声を上げられる人の方がマイノリティ?
で、そうなるとさっきしゅうさんが言ってたように、
マジョリティが実は考えていることが、
その世の中に出てこない、
っていう状況が生まれているかもしれないなと思うと、
結構問題大きいよねって。
うん、でかい。
ですよね。
yu
投票に行かない人たちがいっぱいいるのと一緒ですね。
まっさん
そう、まさに。
yu
ボリュームがね。
まっさん
そうそう。
本当に今言おうと思ってたところなんですけど、
結局そうなんですよね、
投票の話もかなり絡んでくると思ってて、
やっぱりコテンラジオでも言ってましたけど、
絶対投票行った方がいいっていうのは。
うん。
なんか面白いことに、
これも友達が言ってたんですけど、
僕ファクトチェックできてないんですけど、
やっぱりアメリカ人はかなり国の政治に対して
関心があるらしいんですよね。
結構国の政治に関して、
もう酒のネタになるみたいな感じぐらいみたいで。
確かに僕も前の会社で同僚のメンバーが、
大統領選とかが近いとかなりその政治の話を、
若いんですよ、若いですけど、
平泉達也
かなり知ったりとかしたんで。
まっさん
ないじゃないですか。
僕の周りはないんですよね。
例えば衆議院とか参議院の選挙があったとしても、
そんな話は全然ならないし。
平泉達也
逆に政治の話をするのは、
和をもっての意見まとめ
平泉達也
よろしくないんじゃないかぐらいの感じになる。
まっさん
そうですよね。
平泉達也
政治とか宗教とか。
まっさん
そうそうそう。
そう思います。
yu
やっぱりそこは自分と意見が違うことに
劣れてる。
なるほど。
さっきの最初のアメリカの話もそうですけど、
人と意見が違うことに対しての抵抗感がすごくあるんかなと思って。
別にあなたはそこを支持してるので、
でも私はここを意見でここを支持してるんだよってことが、
会話の中で成立するなら全然もっと喋れると思うんですけど、
それが善悪、正義と悪みたいな。
違う意見の人と議論をする、
対話をするということに慣れてなさすぎて、
自分と意見が違うからもう嫌いぐらいの感じまで
いってしまうような雰囲気がある気がするので、
だから、
意見が人によって全然違うような話題については、
触れないでおこう。
なるほど。
僕、今の秀さんの話で聖徳太子の17条憲法を思い出したんですけど、
まっさん
逆説の日本史っていう本があるんですよ。
僕結構個人的に好きなんですけど、
それで書いてあったのが、
本当にそうかどうかっていうのは、
別に資料には書かれてないらしいんですけど、
本当にそうかどうかっていうのは、
本当にそうかどうかっていうのは、
本当にそうかどうかっていうのは、
別に資料には書かれてないらしいんですけど、
17条の憲法って、第1条が和をもって唐突となさがあるんですよ。
平泉達也
平和の和ですね。
まっさん
第2条、第3条あたりで、
聖徳太子なんで、
仏教を国の宗教とするっていう話をした人だから、
仏教を重んじるとか、
法をもって、
国をまとめていくんだよって話をするんですけど、
それ第2条、第3条なんです。
第1条に持ってくるのは和をもって唐突となせます。
それが何を意味するかって話で、
結局日本ってのは、
全員の意見を取りまとめることこそが、
第1義なのであるということを、
聖徳太子の時代から、
彼は分かっていて、
そうまとめてるんだよっていう話をして、
なるほどっていうことを思ったんですよね。
なんなら、
日本の政治において、
一番重要視されるのは、
全員の意見をまとめられること。
これによって評価される。
逆に、まとめられなかったら、
その人は能力がないと思われっていう。
yu
っていう、
まっさん
本当に和。
和をもってっていうのが、
日本の民族の特徴なのであるっていうのが書いてあって、
いや、なるほどなって思ったんですよね。
だからその意見が、
意見が違う存在がいることは、
この民族としては許せない状況というか、
あってはならない状況っていうのが、
あるのかもしれないねっていうのを、
それを読んだ時に思って、
だからその反対意見があるとか、
意見を戦わせることが、
なかなか難しいっていうのが、
平泉達也
ずっと引きずってるっていう。
なんか今の話ですごく、
ちょっとやばいなと思ったのは、
和をもっての、
その和の作り方って、
いろいろあるんじゃないかと思っていて、
強烈なパワーをもって和をもって、
お前ら本心は和をもってなくても、
和だろうみたいな。
っていうのが、
一方であるような気がしていて、
やばいんじゃないかなと思って。
yu
空気を読ませるみたいな。
空気読んでしまう。
平泉達也
そうそうそうそう。
目でここに、
俺のお尺せえよみたいな。
それもちょっと違うけど。
まっさん
会社とかでも、
平泉達也
そういう空気をうまく使って、
和を作ろうとする。
強引に和を作ろうとする。
本来の和じゃないような気がしているんだけど。
そういうのも、
あるんじゃないかなと。
ありますよね。
まっさん
だって、面中腹肺っていう言葉があるぐらいですからね。
多分あるんですよ。
顔はね、
したがってるけど、
腹の中では違うと思ってるみたいな。
そうそうそうそう。
そういうことがあるぐらいだから、
多分あるんだと思いますね。
yu
そういう、
歴史的にも、
いろいろ擦り込まれているというか。
うん。
そういうところがありそうですね。
まっさん
だから諦めるっていうわけじゃなくて、
言いたかったのは、
かなり意識する必要があるっていうところですよね。
個人個人の話を聞くのもしっかり、
議論をするっていうこともしっかりですけど、
かなり意識してやらないと、
我々難しい、
土台を持っているというか。
うんうん。
いやー、でもそりゃあれだ。
伝実を見ると、
いや、
yu
感度の高い人、
まっさん
意識してやらないと、
平泉達也
意識してやらないと、
意識してやらないと、
いや、感度の高い人は意識を持つけど、
そんな意識を持たなくていいんだよっていう圧力もあるじゃないですか。
そこがすげー難しいなーみたいな。
まっさん
絶対、
平泉達也
僕は感度を持ってやりたい。
やるし。
まっさん
でも一方で、
平泉達也
さっきの和の話に近いんだけど、
そんな意識いらないから、みたいな。
まっさん
言われた通りやって、みたいな。
平泉達也
っていうのが、
いろんなところの原因にあるような、
都合よく解釈しちゃう人がいるのかなっていうふうにちょっと思って。
でも絶対意識をしないといけないって僕も思う。
うんうん。
まっさん
さっき私が、
yu
自分はすごく自己開示するし発言するけれども、
そうじゃない人がいるっていうのも、
かなり意識して、
言い聞かせているというか、
自分に、
ダメダメみたいな。
みんな私みたいな性格ではないからっていうのを、
やっぱり立ち返りながらじゃないと、
ずっと常にそういうふうに考えられているわけではないので、
いや言わない、わからんやんそれはとか思っちゃうんですけど、
いやでも言えない人もいるかーみたいな。
ここをずっと意識している感じですね。
そうか。
まっさん
それは逆に一定パワーを必要としている。
平泉達也
それは。
集散自体はパワーは必要とはしていないけれど、
周りを見ているともっと頑張ろうよみたいなふうに思うって感じです。
みんな自分の言えるように、
ことを言えるようにしようよっていうことに。
yu
そうそう。
えっと、
まっさん
そう言えるようにするために、
パワーを使わずに意見を発信すること
yu
私がパワーを必要としている。
言えるようにするために、
私がパワーを使っているかってことですか?
平泉達也
えっと、
まずご自身が何かを言うときに、
パワーを使っているかっていうようなところ。
私はパワーは使っていない。
yu
そうですね。
パワーは、昔は多分言ったと思うんですけど、
そうやって自分がなんかモヤモヤするけど、
これここで言っていいんかなーみたいなときに、
勇気を出して言ってみたときに、
結果、ことがうまく進んだりとか、
実はあのとき私もそう思ってたんやけど、
言い出されへんかったから言ってくれて、
めっちゃ助かったって言われたとか、
そういう体験が結構あったので、
これは言ったほうがいいんやなって、
学生のときとかに思って、
それからはモヤモヤしてたりとか、
することはちゃんと、
っていうふうになっていったので、
今はパワーは使わないですね、あんまり。
そこは自分のなんか、それやってきたほうがよく、
結果的にいいことがあったし、
全部それが自分の意見が通ったか通ってないかじゃなくて、
言った上で通らないんだったら別に、
それも納得感あるんですけど、
言わずに自分と思った方向に違う、
違うふうに進んでしまったら、
みんなやっぱ後々言いたくなっちゃうと思うんですよね。
そういう時は思ってたんやけどな、みたいな。
会議室の外で文句言う人がすごくやっぱり嫌で、
会議の場で、
例えばそれを喋らせる場を作らずに、
勝手に決めたんだったらよくないと思うんですけど、
みんなが喋る場があったのに、そこで言わなくて、
持ち帰ってぐちぐち言って、
結果に対してずっと文句言ったりしていることが、
やっぱり私は性格上すごくそこに対しての、
なんか苛立ちがめっちゃあったので、
それだったら、言える場が用意されているんだったら、
そりゃ言おうよ、みたいな。
っていうふうに思ってきましたね。
空気感を作り発言しやすい環境を提供すること
yu
だから自分はそこに対しては、
その会議の空気がどんな感じだろうか、
関係なく自分は発言するということは、
パワーを使わずにできるようになったんですけど、
人によっては、
その空気感によっては、
言い出しづらい人がいることも、
理解はしているので、
自分がそういう場を提供するんだったら、
できるだけそういう人にも発言してもらいやすいような、
空気感を作らないとなって思うんですけど、
心理的安全性とは、
なんなんだ、みたいな。
そこが最近の悩みではあります。
まっさん
やっぱり最初の一歩が、
踏み出せるかどうかですよね。
最初の一歩を踏み出すときに失敗した人は、
たぶん二度と言わなくなるので、
なので、最初の一歩をいかに
うまく踏み出せるかという話もあると思うんですよね。
僕は一個思うのは、
これ小太郎さんが言ってたんですけど、
やっぱりその弱い文脈っていう言葉あるじゃないですか。
その弱い文脈を晒すときに、
パブリックな場で、公共の場で、
言えちゃう人はそれでもいいけど、
なかなか言えないよねと。
だとしたら、それを受け入れてくれる仲間を作って、
その場で言えるようにしていくのがいいんじゃない?
本当そうだなと思ったんですけど、
一回その小さな単位を作ってあげるというか、
自分の話を聞いてもらえるっていう、
コミュニティなのかグループなのかっていう、
小さな単位がまずあって、そこで話せるようになったら、
何なら今こうやって、
外に発信していこうとしているっていうのは、
まさにそういうことだと思うので、
そういう順番があっていいんじゃないかなって思うし、
すでに発信できる場に回っている人たちは、
まだ発信できない人、
そういった環境を作ってあげた上で、
どんどんどんどん、
ダイバーシティのインクルージョンの重要性
まっさん
みんなが話せるようになっていくと、
自分の場でというか、
みんなが話していける、
ちゃんと表現できる、
場になっていくんじゃないかなって思いますね。
確かに。
yu
そこはやっぱりそうやって、
勇気を出して話そうとしてくれたときに、
否定しないとか、
まっさん
一旦聞くとか、
yu
それがもうめっちゃ大事になってきますよね。
平泉達也
受け入れてあげるっていう感覚だと思うんですよね。
まっさん
やっぱりリスペクトですよね。
前回も多分話したんですけど、
相手に対してリスペクトがあるっていうのが、
心地よさを思うから、
何でも話していいんだと思えるから。
平泉達也
そこってリスペクトなんだよな。
優しさとか許しとかじゃなくて、
まっさん
リスペクトのような気がする。
僕もそう思います。
優しさっていうわけじゃない気がしますね。
平泉達也
優しさでもいいんだけど、
まっさん
それがバッチリハマってるかちょっと違う感じ。
あえて目線を落として、
あなた話していいよじゃなくて、
完全にあなたの存在を認めるというか、
全く自分とは違うあなたを認めて、
あなた個人として、
あなたを子として見て、
言ってることを聞くっていう、
yu
そういう感じな気がするんですよね。
そこが会社だとどうしても、
念字があったりとか、役職があったりとか、
そういう自分の立場とかが出てくるので、
そういう縦で物語って、
そういうことを考えてしまったり、
順番をつけてしまったりっていうのが結構邪魔していて。
まっさん
そうですね。
この過渡期をどう過ごすんでしょうね。
平泉達也
過渡期っていう言葉は確かに、
昔に比べて変わってきてるからすごい感じ。
自分自身も変わったし。
yu
でも、この前、
もちさんがどこに言ってくれてたのか、
忘れちゃいましたけど、
喋る人を増やす、喋る人というか、
話題にする人、みんなで話題にしていく。
それは別のパブリックの場でもいいし、
閉じられた空間のところでもいいし、
喋ることには進まない気がするし、
まっさん
大きな一歩は多分、
yu
期待しないほうがいいような気もするので。
そうですよね。
まっさん
大きな一歩ってどうしてもルールになっちゃうんですよね。
ルールを作って、当てはめて、
こうしなさい、になっちゃうんですけど、
僕、それはあまりいい選択とは思えないんですよ。
それこそ、僕が、
僕がこういった発信をしているモチベーションはどこにあるかというと、
ダイバーシティのインクルージョン、
ダイバーシティのインクルージョンの価値を
発揮できていないように思えるんですね。
コンプラの文脈でしか捉えられていないから、
発信したいというのは前回も言ったと思うんですけど、
どうしてもやっぱりね、
大きな一歩ってなるとルールになって、
こうしなさい、こうしなければならない、
っていうところから話が始まっちゃうから、
平泉達也
やっぱり価値に目が行かない気がしてて。
まっさん
本質がずれちゃう感じですね。
その通じて、これ価値があることなんだということを
分かってもらうのが、
確かに遠回りかもしれないけど、
本質的なんじゃないかなって。
確かに。
yu
また話が
散らかってしまうんですけど、
そういう一歩一歩進めていくしかないっていうのは
分かりつつ、
それの一歩一歩がやっぱり
まっさん
遅い、
yu
もっと早く進んでほしいって思う
ときもあって、
生活がかかっていたりとか、
あと何年後だったらどういうんだろうとかって
考えたときに、
なるとやっぱり一定その形から入るのも
大事なのかな、女性の管理職を何%にするっていうところで、
まずそこに持っていく、
もう行かざるを得ない状況をして、
そうなったら意見がいろいろ多様になってくるから、
いろんな決断ができるようになるよね、
みたいなこともあると思う。
でもそういう無理やり
なルールを引いて、
ルールに合わせにいくっていうことに対しての
弊害も絶対にあるはずなので、
そこがじわじわ増やしていくのも大事だけど、
一定ルールを設けて、
グッと押し進めないといけないっていう、
このスピード感が必要なシーンもあるし、
悩ましいなって思います。
まっさん
確かに両方必要なのかも。
両方あっていい気がします。
両方やって、
平泉達也
こういう小さな発信も、
並行してバランスよくできるのが理想なんだけど、
それは偏っちゃうから、
どうしてもいろいろと歪みが出ちゃう
まっさん
みたいなことがよくあるような気がする。
確かに、本当にそうだ。
女性の管理職の数を増やすのは、
間違いなくやったほうがいいと思っていて、
僕は、
今の職場でも、
全職でもそうなんですけど、
やっぱり、
女性、
男性の方が優秀だと仕事をしましたけども、
ジェンダーによって優秀さが変わるなんてことはないんですよ。
だから、男性の方が優秀であるなんてことは、
幻想でしかなくて、マジで。
絶対そう。
ランならやっぱり、
今はここでは女性を取り上げますけども、
女性は女性で、いろいろな視点を持っていて、
男性にはない視点を持っているので、
議論に膨らみが出るんですよね。
平泉達也
男性の方が優秀みたいな。
まっさん
あるんですよ。
間違いなくプラスの方向に働くと思うんですよね。
だから、
男性が多くないと、
みたいな話はないと思うので、
すぐにでもすればいいのにと思っていますね。
それは思います。
結局、
いろんな人が入った方が、
平泉達也
本当に新しい発見ってあると思うし、
それを、
偉い人の会議は男性だけで構成したら、
全然、視界が不良になるというか、
全体最適にはならないような気がしているし、
そうですよね。
まっさん
すごい偏るというか、
平泉達也
それは別に男女の話、
yu
年齢とかもありますね。
そうそう、老若男女の話もありますよね。
まっさん
それはめちゃくちゃ思うし、
平泉達也
僕も今、
学校を作るのを手伝いしているけど、
そこの校長は、
まっさん
障害を抱えていたりするけど、
平泉達也
全然、もう普通。
普通に、というか、
普通にハイパフォーマーみたいな。
そんな風に思えないし。
ただ、たまたま、そうなだけみたいな。
そういうのもあるし。
まっさん
そこを偏見で見る人も確かにいるんじゃないかなと思ったりするし。
僕はアプリを作る仕事をしているので、
アプリを作る仕事をしているので、
その観点でも、
このダイバーシティアのインクルージョンは
間違いなく必要だと言えるシーンが多々あるんですけど、
1個は、
地図のアプリなんですけど、
当事者の声を拾いに行くことを意識的にする
まっさん
子どもと一緒に入れるトイレがあるじゃないですか。
とか、あと、受入室があるところがあるじゃないですか。
それ専用の地図アプリがあったりするんですよ。
ピンがたくさんあるんですよ。
これって、この発想って、
たぶんなんですけど、
仮に男性だけのチームだと、
ちょっと思いつきづらいんじゃないかなと思うんですよね。
それはやっぱり、
ママ経験があったり、
ママ経験がある女性がそこにいるから、
これは必要であるっていうのが、
間違いないニーズじゃないですか。
があるから、
出てくるアイディアであって、
今のは本当に分かりやすい例だったかもしれないですけど、
そういうのは絶対ありますよね。
だから、必要なんですね。
プロダクト、本当に商品を作るっていうのを、
一つとっても。
女性の場合は、
yu
半分いるわけじゃないですか。
車椅子を使っている人ってなったら、
もう少し少なくなるでしょうし、
それぞれ個々のいろんな悩みってなっていたら、
どんどん、
そもそも市場に少なくなってしまうじゃないですか。
その人たちとかも含めての、
まっさん
全部の対応のバランスが、
yu
組織をそれぞれで作っていくっていうのは、
めっちゃ難しいと思うんですよ。
女性の割合を半分にすることができても、
結局、
そこになってくると、
当事者がいなくても想像できるとか、
当事者がいなくても、
こんな人もいるかもしれないっていうことの、
想像力を働かせて、
当事者に聞きに行くとか、
その場にいない人の
気持ちにもなる。
っていうふうにしていかないといけないなと思うので、
結局、
声を上げたり、
そういう場にいたりとか、
出てくる人だけじゃなくて、
そこにまで至れていない人たちの、
声を拾いに行くことを、
意識的にする。
組織をそれぞれで作っていくのは難しいと思う
yu
ここの場で決めるんじゃなくて、
あんな人もいるかもしれない、こんな人もいるかもしれない、
っていう想像力で働かせる。
その想像力を働かせるには、
いろんなことを知っていないと出てきすらしない。
こんな人もいるかもしれない、
こういう生活で困っている人がいるらしい、
みたいなことを、
普段から知っておかないと想像すらできないから、
そういうふうに、
普段の生活していたら触れ合わないような、
自分には想像できないところを、
考えるきっかけを作るとか、
知るきっかけを作るとか、
そういうのが大事なんだろうなって思いましたね。
触れ合わないような自分には想像できないところを考えるきっかけを作る
yu
うーん。
平泉達也
1時間経っちゃいましたよ。
まっさん
笑
平泉達也
全然。
まっさん
しゅうさんの、
しゅうさんのモチベーションの話まで届かなかったな。
笑
yu
すごいな。
でも、
めっちゃ大事な話ができましたね。
平泉達也
うん、すごいいい話ができた気がする。
yu
じゃあ、
平泉達也
次回こそはしゅうさんの熱いトークを、
お伺いをやりますか。
はい。
ということで、一旦ここで終了したいと思います。
まっさん
ありがとうございました。
ありがとうございました。