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はい、今回は少し休憩時間ということで、古典の勉強などなどについて、少しお話ししたいと思っております。
古典の勉強というのがあるんですけれども、少し前だと高校では必ず古典というものを勉強したんですね。古文と漢文なんですけれども、
ところが少し前から、古文だけでもいいかなというムードが出てきたりとか、あとは1年生の時にちらっと古文漢文にはちょっと触れるくらいで、
詳しく古典というのはあまりやらなくてもいいかなという動きも出てきているんですね。
現代では、選択科目として古典に触れるということもあってもいいけれども、絶対やらなきゃいけないわけではないですよということになっております。
例えば中学校なんかでも一応古典というのは触れるんですね。でも一応触れるくらいなんですよ。一応。
一応触れるくらいで、あんまり文法がどうとか単語がどうとか、あとは知識的なものがどうとかっていうのは極力やらないっていうのが基本的なスタンスなんですね。
あくまで古典の響きとか言葉の面白さとか作品の奥深さとかそういったものに触れるっていうことなんですよ。
もちろんそれっていうのは、これは高校古典でも基本的に同じだと思うんですね。
で、よく古典って将来何に使うんだろうなんて話もありますけれど、まあ何も使わないです基本的には。
よっぽどじゃない限り。
だから本当に教養として、なんかまあ面白いし、ためになることもあるかもしれんから読みましょうっていうところはあると思うんですね。
だからあんまりそんな教わずとも良いというのは基本的な考えだと思うんですよ。
ただいざ受験っていうものを意識した時に、どうしても入試問題の中で文法的なこととか単語の意味とかが問われる場合があったり、
あとは非常にこの日本の大学入試ってものすごく難易度が高いので、なんか本当にレベルの高い古文や漢文を読まなきゃいけなかったりするんですね。
全然なんかこう、もっと簡単なというか読みやすかったり、共感しやすかったり、分かりやすい古文や漢文っていっぱいあるんだけど、
なんでこのちょっと肩苦しいというかまた少しひねっちゃってる古文や漢文を問題に出すんだろうなと思うくらい確かに難しいんですよね。
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そういったことを意識した時に、何かしらこの古文や漢文で勉強が必要だと思うのは当然なんですね。
これはね、100分ずつここまでは良いとしますよ。もちろんね、個人的には大学入試問題ってもっともっと簡単になれば良いと思うんですよ。
特に共通テストなんていうのは、いや明らかにちょっと難しすぎるんですね。
レベルで言うと全然もう、何て言うんですかね、国公立の二次試験とか南韓私立大学の問題よりのちょっと下っていうか、まあ何らの同レベルくらいのレベルだったりするんですよ、共通テストって。
全然、例えばこの共通にあらゆる人が、なんかこう、レクアス問題としてはちょっと難しすぎるというか、
まあそれこそ古文についてこれ今後熱心にやっていくっていう覚悟がある人だったらともかく、そうでもない人が学ぶにしてはちょっと難しいんですよね。
まあこれはね、もちろんこれ現代文もそうだし、英語とか社会とか理科も一緒ですよ。
まあちょっと難しすぎるのはあるんですよ。
個人的にはそもそもね、まあこれはちょっとあの、何て言うんでしょうね、ブレイクタイムなので適当なことも言うんですけれども、
何て言うんだろう、その、もちろんね、この専門のことを勉強して、専門の内容で大学で勉強したいっていう方にとっては、
専門的な知識とか技術とか発想とか思考方法とかが求められるということを考えて、そういうものを入試で求めるというのはわかるんですよ。
ただそれは個別学力試験でやったりとか、その学部だけで独自の問題を出すときにやればいいのかなと。
ただそれ以外の共通で求める共通テストとか、まあでもね、あとはその入試方法として、全部の過程で共通して、
まあ全学部での入試とかね、他の学部と同じ問題になるような形式だった場合にそんな難しくする必要ないんじゃないと思うんですよね。
いやもちろんこの差別化を図ることで差が出やすくして、うかるかないをすればいいとは思うんですけど、
ただそれもね、どこに分布が来るかっていう違いであって、まあ別にね、入試、その選考する上では何とでもなると思うんですよ。
まあ分布が、そのなんていうんですかね、分布っていうのは要するに高得点取れてる人がどれくらいいるとか、あとは平均点がどれくらいとか、まあでも一番分布ですね。
高得点取れてる人がどれくらい、まあ中くらい取れて半分くらい取れてる人がどれくらい、あんまり取れてない人がどれくらいっていう分布があって、
あるとすると、別にこれよくね、この真ん中あたりに多いこと、正規分布とか言ったりしますけど、別に正規分布である必要もなくって、
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まあ確かにね、分布がレベル高い人、というか得点がすごく多く取れてしまう人が多いというような状況だと、確かになんかこう上限が上がっちゃうんですよね。
本当に100点とか99点取らないと合格できないような、そういう世界にもなりかねないのは確かなんですけど、
でもだからといってそれで先行ができないかというと、そうではないんですよね。
実際それである程度絞ることはできるし、その上位の中からさらに何か選んでいけばいいし、実際にその上位の方だけでも十分なんじゃないかなと思うんですよね。
先行できないってことはないので、なんかその下手に難しくすることによって、なんかこう高校で勉強する内容がすごく難しくなっちゃうのはどうなのかなと思うんですよ。
もっと最低限というか、最低限が高すぎると思うんです。いくら何でも今の高校で勉強する内容っていうのは、そこまで高校生に求めなくてもいいかなって思うんですよね。
なんかその結果的にもちろん学ぶ権利とかそういうことを勉強できる良さもあるんですよ。レベル高いことを勉強したいっていう人は勉強してもいいんだけれども、
ただ入試で求めるとそこで格差ができてしまうじゃないですか。つまりそのレベル高いところでしか学べないことが入試で出されてしまうと、レベル低いところではこの入試に立ち打ちできなくなってしまうんですよね。
でも入試ってそうじゃなくてもいいと思うんですよ。これでももちろん大学で学ぶための能力を測る試験だとしたらまた別なんですけど、別にそうでもないんですよね。
なんか大学で学ぶための知識とかを測るための試験ではないと思うんですよ、基本的に。もちろん個別学力試験でそういうところ意識はしてますよ。
例えば科学を使う薬学部とかで科学のこういう知識が必要だとかわからなくもないんですけど、必ずしもそうでもないと思うんですよね。
そういった側面があってもいいんですよ。だけれどもそうではない。例えば古文とか代表格ですよね。古典とか古文とか漢文って大部分の人がそういう文学に触れない、文学部だって触れないとか選ばない人も多いわけですよ。
そういったものも含めて、ある程度最低限勉強していったら、その範囲をちゃんと勉強し直したらわかると。
これもね、だから要するにすごく日本の国語だけじゃないんですけど、こういう高校の勉強ってやつがもっとレベルが低かったら問題になるかもしれないというか、前にも簡単すぎるっていうのはともかく今難しすぎるんです、とにかく。
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難しすぎるからもうちょっと妥当なところにしてもいいんじゃないかなっていうのが私の意見ですね。
その代表格として古文で求められるのが文法とか単語の知識とかいろいろあるんですけど、それがちょっと偏っちゃってる、結果的に。
二重にねじれてるのが、まず大学入試で求められるレベルがまあまあ難しいんですよ、全然。
難しいっていうのと、それに比して高校で勉強する内容が必ずしもそれと一致してなかったりするんですよ。
例えば代表格が文法ですね、文法と単語ですよ。
文法と単語なんてなんならやらなくてもいいんです、基本的に。そんなに熱心にやる必要なくって。
例えば逆に言うと、難易度が低い大学の問題、大学の難易度が低いとかじゃなくて、大学の問題で問題の難易度が低い場合によく出されるのが文法の問題だったり単語の問題だったりするんですけど、
それっていうのは要するに覚えてるかどうかだけなんですよね。あんまりその読む上での読み方とかにあまり直結しないんですよ。
何なら、例えばですけど単語の意味が分からなかったり、文法の意味、文法が理解できてないと読めないようなものっていうのも世の中にいっぱいあるんですけど、
そういうものは別に出さないんですよね、大学入試では基本的には。そこまでのものは。もしくは注釈を入れたりするわけですよ。
ただもちろんそこでも基本的な単語とか基本的な文法受講もあるにはあるんですけど、でもそんなに出さないんです。
例えば直接的に文法の問題を出すのって言っても、だいたい次第で一問とかですよ、本当に。
めったに出しませんよ。出すとしてもものすごい色んなマニアックなことを出すわけじゃなくて、割と基本的な内容を出します。
でもそれも出しやすいからですよね。出しやすいからそういうのを出したりするんですけど、そういうのもあまりないんですよね。
拝点としてももちろん低くなるでしょうしね。
もちろんだからといって文法をやらないと全く大丈夫かというと、もちろん読解上で文法的な知識とか単語の知識がないと分かりづらいよとか解けないよというのもあるんです。
直接的には出さないんですよね。でもそんなにそこに力を入れる必要はないかなというところはあるんですね。
実際にどうすると 古文の問題が解けるようになるかというと、まずちゃんと読めるようになることなんですね。
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ちゃんと読めるようになるためには どうするかというと、とにかくどんどん読むのが一番なんですよ。
あまり細かい末節に動向のとか もしかしたら文法を体系的に学ぶとできるかというと そうではないんですね。
英語もある意味そういうところはあるじゃないですか。もちろん英語も体系的に学ぶことでたどり着ける境地もあると思うんですけど、体系に学ばなくてもたどり着ける境地ってあるじゃないですか。
別にそれは体系的に学んでいないと身につかないような問題を出されている大学に問題があると思うんですよね。
要するに英語を運用したり読んだり書いたり話したり聞いたりできるためには 別に体系的にやらなくてもいい部分はあると思うんですよ。
比較的に古文とか日本語に比べると 英語って体系的に学ぶことのメリットはありそうな気はするんですけど、
でも絶対じゃない気がするんですよね。絶対じゃないようなところがある気がして。
それよりだったらもっとちゃんと読んだり書いたりをいっぱいやった方がいい場合も多いと思うんですよ。
要するに実践で慣れていくってことですね。逆に体系的に言葉を勉強したところで全く読めるようにならないってこともあると思うんです。
古文ってそういうのは非常に多い。そもそも日本語の現代の文法や単語と全く違うかというと全く違うわけではないんですよね。
日本の古典文法というか古典というものは。
だから別に日本で生きている人であればわざわざ一からやらなくてもまあいいんです。本来的に。
ただもちろん10箱の隅を続けばいくらでも昔は違ったことっていっぱいありますよ。
だけども結構な部分でそこまでしなくていいと思うんです。
ただやっぱり古文というのは慣れていかなきゃいけない。
例えばこの講義でもお話してるんですけどジャンルですね。
そのジャンルの特性とか、例えば推理小説を読むのとラブストーリーを読むのでは、我々多分読み方は違うと思うんですよね。
もちろんその要素って混じりますよ。
推理小説でも恋愛的な要素が入ったりとか恋愛ものでも推理ミステリー要素が入ったりとかしますよ。
ただ何かそれを我々はある程度分類分けして、ミステリーだからこういう展開あるよねとか、ミステリーだからこういうふうに解釈できるよねってことを分かっていくわけですけど、
それってわざわざ教えたりするっていうよりはやっぱり慣れることで、こういうストーリー展開になるなっていうことに慣れることによって自覚していく。
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逆に言うと簡単にそう教えられるものでもないっていうところはあると思うんですよ。
ハウツーが先にあるより、ハウツーにできないというか、ハウツーにするっていうとものすごく逆に遠回りになってしまう。
ものすごく難しくなってしまうっていうことだと思うんですよね。
だからもう古文も漢文も触れれば触れるほど読めるようになるんです。絶対それはそうです。
別に体系的に勉強することあってもいいんですけど、なくてもいい。
なのにも関わらず、どうしても高校で古典を勉強するっていうと、まず文法を勉強するイメージがあるんですね。
英語なんかも昔はそうだったと思うんですけど、今は必ずしもそうじゃない気もするんですけれど、
やっぱりイメージとして文法を勉強するのは古文だと思ってしまうと、そもそも文法を勉強するって好きな人は好きなんですよ。
世の中に好きな人もいるんです。私も比較的大学に入ってからは比較的好きになりましたけど、
大学入る前は一切勉強した記憶はないというか、どちらかというと覚えさせられたりするのも嫌いだったので、
納得いかなかったり、何のためにこんなことするんだろうっていうのが大きかったんですよね。
でもそれは別にできなくても読むことはできたので、もういいかなと思ってた派なんですけど、
もちろん文法というものは面白いんです。文法というのを勉強してみると言葉を成り立ちとか、
どうしてこういう意味になるんだろうとか、助動詞の識別とか面白いっちゃ面白いんで、それだけをやるのであればね。
でもこれ面白いと感じるかどうかってかなり微妙だし、古文を楽しむ親しむ上での内容で言うとかなりニッチなものなんですよね。
そこっていわゆる国語学っていう分野なんですけど、国語学ってかなりニッチなんですよ。
国文学とか言うと割とメジャーなんですけど、国語学って言葉に注目するっていうのはまあまあニッチな分野なんですよね。
そういうメインとして高校で教えてしまいがちな状況もあると思うんですよ。
それはね嫌いになるし苦手意識も出るんですけど、別にそこを無視しちゃえば苦手意識がなくなるのであればもうやらない方がいいかなっていうのが私のスタンスですね。
一応こう私の文法書を出してもいるんですけど、そちらではその文法をほんと最低限、
だいたい文法の用語がわかるくらい、活用って何かなとか、変化活用って何かなとか、助動詞の意味というのがあるのかなとかをだいたいわかるもので、ざっくりとそれでも2、30分で読めるものになってるんですね。
それでいいんですよ、とりあえず。それで別に丸暗記したりとかする必要もなくて、
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もちろんね、丸暗記をしたりとか、そういう文法を体系的に勉強した方ができるようになるとか、そういうもので納得いくとか、そういうもので先に進める人もいるのも確かなんです。
それはそうなんですけれども、ただそこにフィットしない人も非常に多いと思うんですね。
なんかそれよりはもっともっと古文の面白い世界っていっぱいあるんですよ。そういったものに触れていってほしいなと。漢文もまたしっかりですね。
漢文なんてね、もっと時間数的に抑えられていることもあるし、一応再読文字とか、単語にあたる漢字の意味とかですね、そういうものをやったりもしたり、あと句形ってやつがありますね。
古文の文法にあたるような、そういう句形をね、とりあえず覚えてみたいとかするところもあると思うんですけれど、わりとね、その辺はなぜかおざなりになることも多くてですね。
いや、古文と同じくらいやるならやればと思うんですけど、どっちにしてもあんまり要するにね、漢文なんかもそういうものをやらなくても何となくわかっちゃう部分も多いんですよね。
だから結果的に漢文って何となく慣れちゃうと、数回漢文の問題とか漢文の文章に触れちゃうと、何となくは読めるようになっちゃうんですね。
古文も本来的にはそういうところが多々あって、純粋にとにかく古文に親しんでいけば、多分ね、そんなに苦しまずに済むものだと思うんです。
特に日本人としてはね。日本語ネイティブの人にとってはそれほど苦しむものではないのに、単語とか文法とかそういうものであって、小テストとかそういう悪しき習慣っていうものに支配されてしまうと、何かもうできるものもできなくなってしまうってことがあるんですよね。
そういうのがあるから、苦手式が生まれるのかなってところもあって、もちろん文法は文法で私も教えたりもするし、何となく楽しい、その面白さもわかるんだけれども、あんまり万民向けではないなっていうのもわかっているので、
もっと万民向けな、もっと古文の普通のね、普通に読むっていうこととかをもっと楽しんでいく方向にできたらいいなと。
そういう意味では大きく2つですよね。
1つは大学の入試問題、難しすぎると扱っている文章も。
説問もね、問い方が悪いというのは、これはどんな入試問題でもありますけれど、とにかくどちらかというと文章ですね。文章がちょっと難しすぎるんじゃないかというところというのと、後は高校で勉強するときに文法とか単語を重視しがちなこと。
その2点において、せっかくの古文という素材が何となくつまらないものになってしまっている。浅くて、表面的でつまらないものになってしまっているんじゃないかなと思うんですよね。
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そういう意味でも何となく古文というものはもっと親しんでもらえないかなということを、このポッドキャストでは推進していきたいというか、そういうところを何とか試みていきたいなと思っているんですよね。
ということでございました。
ちょっと少し古典の学習とか、全然これもね、もうちょっと気楽な感じの内容にしようかなとも思ったんですけれども、結果的に少し固い感じの内容になってしまいましたが、一応休み時間ということで、こういう感じの内容も入れていきたいと思っていますので、何かご意見ご感想などありましたらお寄せいただければと思います。
ということで、お聞きいただいてありがとうございました。