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上坂あゆ美の私より先に丁寧に暮らすな
次のお便りです。
ラジオネーム、81話の相談者さん
上坂さん、うかいさん、こんにちは。先日は相談に乗ってくださってありがとうございました。
お二人のお話が面白すぎて、自分の悩みなどを忘れるほど笑ってしまい、とても元気になれました。
そして、まさかのセンシティブトイレッターことセントレさんのご登場。セントレさんも解決策を考えてくれたことに感動しました。
結論から言うと、おかげさまでなんとかなりました。
あ、ちなみに補足しますと、このご相談者さんは、81話で彼氏のトイレが早すぎて恥ずかしいことに悩んでいた方ですね。
時系列的にはセントレさんのお返事の前になりますので、残念ながらセントレ・ワイトレ診断は試せなかったのですが、ことの点末を報告させてください。
81話を聞いてからのデート、彼氏がトイレに行くというので、私は10メートル先のダイソーで待っていると伝えました。
ドコドコと歩いたところで肩を叩かれました。彼氏でした。
反射的に、え?入らなかった?と聞いていました。
デジャヴです。もちろん彼は全てを追えていました。
戦慄しました。
彼のトイレが早いことなんか分かりきっていたのに、それでもこの日は私の脳がバグるほど早く染ませてきたのです。
犬のおしっこくらいにスピードアップしている。その場で問い詰めました。
話をまとめると、自分のトイレごときで人を待たせるのは申し訳なく、尿をパッパッと急いで出すようにしていたら、
そんな彼の気持ちに応えるように排尿のスピードは向上、尿切れもどんどん良くなってきたそうです。
彼の正体は排泄のRTAプレイヤーであり、人を待たせるのにセンシティブなトイレッターでした。
まゆつばですが、確かに絶対に遅刻しないし、別行動した時も走って戻ってくるなど、
普段の行動からの連続性はなくもないという感じでした。
とにかくトイレをさっさと済ませて1秒でも早く戻ってくるのは良いことだと信じて疑っていないようでした。
ロジックが分かって安心しつつも、その発想は異次元。
ひるみましたが、脳内のうかいさんが、絶妙に許せないことこそ話そうと励ましてくれました。
他でもないこの私がビビっているので、早すぎるトイレはやめるんだ。健康にも悪いぞとちゃんと言えました。
彼のマイルールと私の主張とが逆行しているのが見えるようでしたが、
最後はトイレが早すぎて困ることもあるのかというセリフを残し、ゆっくりトイレッターになりました。
植坂さん、うかいさん、やりました。実績解除です。
人はこんなことで起こらないと知れたのも私には大きかったです。
セントレさん、セントレ概念を元にこの日のことを振り返ったらすごくしっくりきました。
彼を知りたいなら、彼が何にセンシティブなトイレッターなのかを知ること、それが解決の鍵だったようです。
ちなみに私は元セントレですが、海外の友達が日本の乙姫の動画を撮りながら
ウケる!と言っていたのを見て、いろいろどうでもよくなり脱セントレしました。
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ヘルシーなトイレッターへの参考になりますと幸いです。
3人の面白すぎる方々がこんな悩みにも言葉を尽くして向き合ってくださったこと、
間違いなく2024年の最も良かった出来事になるでしょう。
寒くなりましたのでお体にお気をつけてください。これからも楽しみにしております。
ということで、81話の相談者さんありがとうございます。
ありがとうございます。
すごい感動ヒストリー。ありがとう。素晴らしい。
いやー、そんでやっぱ文章が上手い。
トイレ行くって言った後さ、10メートル先で待ってるねって言ってさ、
数歩歩いて肩叩かれるの、マジでさ、ハンター×ハンターの強い敵すぎるよね。
えっ、賊?みたいなさ。
ジョジョのディオと会った時みたいな。
そうそう、マジで強キャラのムーブすぎて。
やばいよな。
いや、これは早い。てか犬のおしっこより早いでしょ、絶対に。
どういうこと?本当に。
すごいよ。テレポートしてないとありえない。
これは怖いね、確かに。
でも、そのあまりにも早すぎるトイレを目撃したことによって、
ついに言うことができたということで、おめでとうございます。
しかもなんかすごい良い話だよね。
すごい良い話だよね。
ほんまに。
だってトイレの話なんだけどさ、それに限らずさ、
人はこんなことで怒らないと知れたんだって。
いや、そうだね。
2024年最も良かった出来事です。
しかもな、彼氏の一言もまた言うよね。
トイレが早すぎて困ることもあるのかって。
というセリフを残し、ゆっくりトイレッターになりましたって。
なんかさ、ロープレのキャラみたい。
そうそうそうそう。
というセリフを残し。
力を持ちすぎた者が気づくねんな。
気づくねん。多様性に。
いや、素晴らしい良い話でした。
良い話やった。
報告してくれてありがとうございました。
ありがとうございました。
次のご相談に参ります。
ラジオネーム、正義のヒーローさん。
上坂さん、うかいさん、こんにちは。
早速ですが質問させていただきます。
論理的な思考が正しい風潮のある世の中ですが、
必ずしも感情的な思考が間違っているとは言えないのではないでしょうか。
しかし、感情的な思考を言語化しろと言われたら、
どうしても言語化することができません。
その反面、論理的な思考は言語化しやすい傾向にあるので、
反論で負けてしまいます。
どちらも正しさと間違いは存在するものの、
それを言語化できない感情的な思考は、
永遠に間違いとして君臨してしまうのでしょうか。
何を言っているのか自分でもよく分からないのですが、
お二人の意見を聞かせてもらえると幸いです。
ということで、ありがとうございます。
ありがとうございます。
あえてこの話をトイレと繋げるという。
トイレから哲学まで行かせていただきます。
当番組。
振り幅が得意です。
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振り幅を見せていこうね。
正義のヒーローさん、
正義のヒーローさん、ラジオネーム。
正義のヒーローってこんなことを考えているんだなって思いましたね。
言っていることは、まずめっちゃ分かるなと思いました。
あるよね。
言葉にできないことって、人間界ではないみたいな感じに処理されがちだよね。
それはすごく分かる。
しかも、論理的な思考が正しい風潮ってマジでそうなんだ。
そうなんだよ。
やたら最近そういう感じするよね。
ここに人間のバグを見るよね、すごく。
口が上手いと正しいっぽくなる。
声がでかいと正しいっぽくなるみたいな。
これはマジでバグですね。
怖い。
まず読んで思ったのは、
単価って論理的思考が結構価値がない一つのことなんだなとすごく思うんですよ。
ほうほうほう。
論理的に歌を作ることもあるんだけど、組み立てとかはあるんだけど、
論理だけでは超えられない壁がすごくシーカーにはあるなと思っていて、
言葉にならない感情の部分を何とかして言葉にするっていう競技っていう側面がすごくあるなと思うんですね。
単価だと歌合わせっていう競技みたいなものがあって、
単価講師園とか、この間岐阜県で行われた単価道場とかでもチームによる勝ち抜き戦みたいな感じで歌合わせが行われるっていうのが今でもイベントとしてやられてたりするんですけど、
私結構一人でひっそりと単価を作り続けてきたから、私自身は歌合わせやったことないんですけど、
チームに分かれて片側がこちらの単価のいいところを言葉にしたり、相手方がこっちの歌のここは遂行の余地ありみたいな感じで指摘してきたり、
ディベートみたいな感じで言葉で戦って、各チームから出された単価の読みについて戦い合って、より優れた作品かつ読みだったチームが勝ちみたいな結構、
イニシエからある遊びなんですけど、決めるのは別の人の?審査員が別でいる。だからディベート大会みたいな感じだね。
歌合わせっていうやつは単価の読み全般がそうなんだけれども、作者でも至っていなかった感情が言葉になって出てきたりとか、
単価作品がまず言葉にできない感情を何とかして言語にしているものなんだけど、そこからの感情の読み解きっていうのがすごく深くて、
私も聞いててええみたいなこととかがすごいよくあるんですけど、私単価が好きなのは、言葉にできなさの限界に挑戦するような瞬間が結構あるんだよな。
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なんかやっぱり人間はすべての感情やすべての事象を言葉にはできないっていう上で、何とかして言葉で理解を試みるっていうのをすごくシーカーに感じていて、
そういうところが好きですねって思うんだけど、やっぱそれでも私たちが多分分かっておかなきゃいけないのは、
それでもまだ言葉にできない感情がこの世にはあるよっていうのは、やっぱ分かっておきたいなって感じですね。
割と文学全般には言えることですよね。
うん、そうだと思う。
小説とかもむちゃくちゃ言葉やけど、突き詰めるところ言いたいこととかなんてなくて、多分作者がね。
伝えたい風景があるみたいなそんな感じだったりして。
そういうものとしては、文学引いてはアート全般もそうなんかなと思う。
でもそうだね。私あんま小説詳しくないんですけど、この間小説読んでたらさ、主人公が論理的じゃなさすぎてびっくりしたのに。
どういうこと?
え、こんなわがままでいいの?みたいな。
なんかやっぱさ、芸術における物語っていうのはさ、正当性がない行いをガンガンするときもあるじゃないですか。
もちろん正当性があるっていうキャラクターもいるはいるけど、こんな不条理で、こんな理解しがたいことしていいんですねみたいな。
で、それがいかに理解しがたかったとして、論理的ではないにしろ、なぜ主人公がその行動をして、
なぜ主人公がその行動を取ったのかとか、そこに裏にある気持ちとかは事細かに描かれてるから、なるほどねとかって思うよね。
小説ってそういうもんだったんですねってこの間思った。
でもね、たぶんほんまにそういうことじゃないなと思ってて、この正義のヒーローさんの文章見てたもんやけど、感情ってね伝わるんすよね。
というと、うん。
理論的やったり、まあ理屈みたいなもんって共有はできるんですよ。
ただ、伝わるかどうかって実は結構曖昧な気がするんですよね。
あ、そうだね。
で、感情ってそういう意味では実は言語ではないか故に、すごい分かりやすいことで言ったら、寂しさとか喜びっていうもので表してる何かっていうのはひとまず伝わるみたいな。
で、それを確かに言語化してしまうと、言語化するという行為がそもそもちょっとなんか変なことやねんな。
間違ってるんじゃなくて、変なことをしてるんやと思う。
なので、論理的な思考が正しいみたいなんと、実はちょっとこう分けて考えなければいけないものなんじゃないかなって思っちゃったりする。
感情というものを?
うん。なんかすごいこれは僕の持論ですけど、僕も割とね実は正義のヒーローだったんですよ。かつて。
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それはこういうことを考えてたよってこと?
むっちゃ考えてた。
一方で感情賛否ってあると思うんですよ。感情こそが全てだみたいな。
なんかそれがちょっと僕すごい疑問やって。
じゃあ俺のこの苦しさは何なん?みんな手放しで応援してくれるの?みたいな気持ちにもなるし。
なんかそんなんじゃなくね?みたいな。っていう気持ちがあったので、割とそこを怪奇的に見てたんですけど、
結論としては、全てが感情から始まるんかなとは思ったんですよ。
で、その感情の上に立つのが言葉で100%はいかへんけど、80%くらい共有させなあかんものが理論になるんかね。
うんうんうんうん。
で、共有させなければいけないとした時に、相手が知ってる言葉じゃないといけなかったり、具体的事象が必要だったり。
例えばね、お隣さんが騒音で困ってると。
で、お隣さんが騒音で困ってると。
で、お隣さんが騒音で困ってると。
で、お隣さんが騒音で困ってるっていうのを別のお隣さんに伝えるときに、
誰々さんって言えるやん。具体的やから。
けど、それって問題解決のための理屈やん。
だから絶対に共有できると思うんですよ。
なんかそういうものが論理的やったりするんかなみたいな。
で、そもそものこの問題のスタートは感情やったりするから、
全てにおいては感情っていうものがまずありて、
伝える場所とか伝える手段とか、
シチュエーションによってそれが感情的であったり、理論的になったりするんかなみたいな。
っていうことに今ちょっと考えてはいるんですよね。
本来真実というものは両方が入り乱れており、
その問題解決に向かう部分や原因と結果だけを抽出して、
難しく抜き出したものが論理的と呼ばれる表現なのかなって感じだね、私も。
一つの真実に対して論理的な言語化というものは、
たぶんGIFファイルぐらいの8ビットみたいな低解像度データだと思うんですよ。
ただ本当の真実っていうのは、
ティフとか圧縮必要なレベルのバカデカいデータ、ものすごい高解像度データが本当なんだけど、
そこから原因、結果、そして解決につながる部分のみを抽出した一部データにするとGIFぐらい軽くなるという、
なんかそういうイメージがありますね。
ただ社会や会社組織とか、仕事においてはGIFデータにしか興味ない人が多いので、
そのコードでGIFで喋ってやるっていう感じですね。
ありますよ、そういうこと。
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GIFデータを求めてるな、じゃあこっちもGIFに変換してから出すねっていう作業が会社だと必要になる。
でも確実にそれ以外のもっと潤沢な情報、そして感情は存在しているよっていうのが本当かなっていう気がしますね。
同じ理屈で喋ってるAさんBさんがいるとして、内容的にはほぼ一緒だと。
その時にAさんの方が感情を持ってた場合、Aさんの方が説得力あるように僕は聞こえると思うんですよね。
そういうことあるね。
案外この辺って割と考えないといけないなって思う時があって、
僕も割と理屈っぽく喋ってしまう時があるんですけど、
どこかで俺、結果的に今話してるこの時大好きやでとか、
今この対象について喋ってる時のこの対象が好きやから喋ってんねっていうのは、
なんか恥ずかしげもなく出すようにした。
そうだね。
その方が楽しいし、楽しい方が伝わるなと思ってて。
確かにね。
それが怒りでも同じだと思って。
そうなんだよね。
私、社会のよくわかんないところがさ、
自負データで欲しがるくせに、
そういうちょっとした色付けに簡単に左右されるところあるじゃないですか。
あるある。めっちゃある。
プレゼンでの熱とかさ、感じがいい人とかさ、
そういうことで結構簡単に動く面があって、
自負データじゃなかったんかいみたいに思うことがあるんですけれども。
あります。
そうなんですよ。
しかもどんだけ内側に感情があっても、
それをアウトプットしないと伝わらないっていうのが今の問題だよね。
あるね。
なんか出力と、内側に本当にあるかどうかと出力ってまた別の問題でさ、
なんか感情なくてもあれっぽく喋れる人とかいるからね。
いや、マジでいる。
いるよね。
だから心の中にはめっちゃ感情があるのに、
アウトプットするときにそれが出なかっただけで、
なんかやる気あんまないみたいになるときとかあるよね。
だからうかいさんは乗せるようにしたって話だよね、今のは。
やりすぎると詐欺師みたいになってくるしね。
そうなんだよ。なんかさ、たまに自分がわからなくなるもんね。
だからあの人だってそういうとこめちゃくちゃ勉強してるんだよなって思う。
詐欺師の方々。
詐欺師の方々って役者向いてるよね、きっと。
絶対向いてるよ。
だって最近さ、もう劇場型の詐欺とか言うじゃん。
そうね。
脚本書いてさ、演じるみたいな詐欺手法とかありますけど、
うまいよね、絶対そういうの。
なんかあとね、私の好きなね、
本村博史さん、歌人の、が言ってる言葉で、
正しくはちょっと調べてほしいんだけど、
ちょっとうろ覚えで言うと、
世界の言葉と社会の言葉は違うみたいなことをおっしゃってて、
見たことある?その話。
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多分それ読んだと思う。
そう、本にもね、書かれてたんだけど。
社会の言葉っていうのは、
その会社で用いられる言葉だったり、
問題解決や物事を共有しやすくしたり、
スムーズに業務を遂行するための、
もしくはその人間が社会で生きやすいための材料となるような、
物理的な言葉が社会の言葉であって、
世界っていうのはそれとは別に、
もっともっと大きく無限に広がっており、
その中には、例えばじゃあ夢の中のことだったり、
幽霊のことだったり、
過去の思い出のことだったり、
空想世界のすべてのことだったり、
みたいな、社会の高度には乗ってこない言葉たちが、
世界にはもっともっとたくさんいて、みたいな。
単価っていうのは、
社会と世界の間を行き来したりしながら作る、
みたいなお話とか、お前読んだことがあって、
その定義すごくね、私好きなんだよね。
我々がその論理で理解できるところに、
言葉というものは留まってないんだよ、みたいなことも感じるし、
自分が見たものが全てって風にね、
人間はなりやすいけど、
やっぱそうじゃないっていう風には、
思っておりたいなって思います。
うん、なんか生きる言葉と生き延びる言葉みたいなも
言い方があったよね、
そう、そう、本村さん言ってた。
あれともなんか近い気がしてて、
社会で必要な言葉っていうのは、
最近俺がちょっと言ってた、
理屈的なことかもしれんし、具体的なこと。
今回の広告は何パーセント人に見られましたみたいな。
そういうのって具体的で必要だし、
会社を運営するためには必要な言葉。
そこはもうある種の理屈しかない。
けど、自分が生き延びるための言葉っていうのは、
いわゆる共有される具体的な言葉ではなく、
自分を生かすための言葉。
正規の披露者が言ってる、
言語化、むちゃくちゃできないけれども、
言語によって表すことで形になるものみたいな、
に多分寄ってくんかなと思う。
この正義の披露さんは、
論理的な思考をすごく押し付けられてるって感じてるのかな?
かもね。
反論で負けてしまいますっていうのが、
例なのか具体なのかわからへんけれども、
もし自分の体験やとしたら、そういう経験があったんでしょうね。
私、この反論で負けたくないから、
単価とかやってるのかもね。
あります。世界は。みたいな。
本当です。本当にあります。
感情あります。
でもなんかさ、同時にさ、
冒頭でうかいさんが共有しやすいって言ったけど、
その論理的思考は、
感情ってさ、
共有しなくてもいいっちゃいいなとも思うんだよね。
誰かに認めてもらわずとも、
あなたの中に感情がある、
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そして誰かの中にあるってことが大事な気がする。
なんか、その土俵で戦わなくてもいいんじゃないですか?
正義のヒーローさんは。
僕は、実はお坊さんなんですよ。
そうだったんですか?
実は。
久しくそのアピールしてなかったんですけど。
で、そこで、
仏教で感情についてブッダが言ってることがあるんです。
それは、像を手名付けるものって言ってるんですよ。
自分が、
自分が、
で、その大暴れした時に、
この人間である私は、
その像の力なんて絶対抑えられないんですよね。
でかいから。
で、人間は感情によってそういう状況になると。
なので、像を手名付けなさいって言わないと。
ブッダは。
要するに、感情っていうものは、
実はそれぐらい暴力的である時もあるんですよ。
で、そういう状況になると、
人間は、
そういう状況になると、
感情っていうものは、実はそれぐらい暴力的である時もあるし、
凶暴になる時があると。
でも、凶暴になった時、
実はもう既に手名付けられてない状況ですんで。
なるほど。
そこでちょっと、なるほどなとは思って。
また、自分のその感情ってなんやねんっていう感情も、
また一つの暴走であると。
感情を手名付けなさいというのは、
暴走しないように、
買いならしなさいってこと?
そうね。買いならしなさいでもあるし、
一緒にどうやって生きていくか分かりなさいみたいな。
すごい。
結構、仏教の核心では実はあって、
要するに、自分を見つめるとかってなんなんやってたら、
結構そこにかかってたりする。
なるほどね。
すごいね。ブッダはもうこの時代から、
バカデカ感情という存在を知っていたんだね。
クソデカ感情と向き合ってた。
クソデカ感情があるぞ。人間には。
2500年前にはもうあったんだよ。
クソデカ感情というものがよくあって、
それを手名付けろとブッダは言いました。
2500年前から人間ってずっと同じことしてるんだね。
ブッダがよかった点は、
お前が暴走してるんちゃうぞっていう、
分かりやすい例を出してっていう感じかな。
確かにね。
象以外で暴走することもあるんですか?人間は。
人間が単体で暴走することもあるんですか?
人間が単体で暴走するというよりかは、
仏教的には、それはお前が何も見えてへんだけや、
みたいな状態に言われる。
なるほどね。
それを分かることから始めようぜみたいな。
うん。
無知って無知は言われるんだから。
イメージある。
すごい無知って言ってくるイメージある。
それは無知はマウント取ってるわけじゃなくて、
知とは何かみたいなところに入ってくる。
知恵とは何かみたいなところを言うための無知みたいな。
うんうん。
じゃあ、みんな自分の中のクソデカ感情こと象を、
何でしたっけ?
手名付けて、
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手名付けていきましょう、ということですね。
ね。
上坂あゆみの
私より先に丁寧に暮らすな!では、
リスナーの方からのトークテーマのご提案、
ご質問、ご相談などをお待ちしております。
投稿の際は、ぜひラジオネームを付けて送ってください。
送り先は、ポッドキャストの説明文に載ってあるURLまでお願いします。
また、感想などは、
ハッシュタグよりすなでポストいただけると、
常に私と岡井さんが巡回しておりますので、
よろしくお願いいたします。