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ボイスドラマで学ぶ日本の歴史、ナビゲーターを務めます熊谷陽子です。
この番組は、日本の歴史の時々で、命を削りながらも懸命に生きてきた人物にスポットを当てて、ボイスドラマとして再現いたしました。
このプロローグでは、本編をより楽しんでいただくために、物語の時代背景、登場人物、またその時に起きた事件などを簡単にご紹介するエピソードです。
歴史について詳しい方は、いきなり本編からお聞きいただいても楽しめる作品ではございますが、
それも含めて簡単におさらいしたいなと思われましたら、ぜひこのプロローグから聞いてください。
それでは早速、シーズン5のエピソードをご紹介していきましょう。
今回取り上げたのは、室町幕府を開いた足利尊氏。
この足利尊氏の前半生の物語となっております。
高宇寺の出生、鎌倉幕府の中での足利一門の立場、そして後醍醐天皇の放棄。
放棄とは蜂が起きると書きまして、蜂が巣から一斉にバーッと飛び立つように大勢が一時に氾濫する様子などのことなんですけれども、
この後醍醐天皇の放棄と、高宇寺の裏切りによる鎌倉幕府の滅亡に至るまでの一連の流れを追っていきます。
今回の物語、鎌倉幕府が滅亡するという一大事件を紹介するにあたりまして、まあそこそこ人間関係が複雑になっておりますので、この人間関係からご説明をしていきましょう。
まず足利家についてですが、足利家は鎌倉幕府に仕える御家人の家系の一族なんです。
とは言いましても、幕府内で大きな力を持っているわけでもなくて、当時鎌倉幕府の中枢を担っていた執権の法上家、ここと血縁関係を作りながら何とか地位を維持していた一族ではありました。
今回の主人公足利隆氏、子供の頃の名前は又太郎と言いますが、足利隆氏、又太郎はそんな足利家に第七代党首足利貞氏と、その側室である西木康二の長男として生まれます。
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なんと足利隆氏、側室の子供だったんですね。
では、貞氏の性質、本才ですね。この本才はどういう人かと言いますと、名前を釈迦堂、立派な名前ですね。お釈迦様の釈迦に、お堂の堂と書くんです。
この釈迦堂殿と言いまして、執権法上家の血縁関係の人間なんです。
しかも、その貞氏と釈迦堂殿との間には足利隆氏という、貴氏よりも年上の男児を授かっているんです。
ですので、足利家の本流の子供は、この足利隆氏なんですね。
貴氏は足利家の中でも、あるいう文家の子という存在だったわけなんです。
まあ、血縁関係で何とか地位を維持している足利家の状況を考えると、高氏の父、貞氏としては、何としても法上家から来た性質、釈迦堂殿との間の子、
法上家の血筋ですよね。この血筋がある高吉に家を継いでもらいたいと思っていたはずなんです。
ですので、貞氏からすれば、高氏はそんなに重要ではない子供と言っては申し訳ないんですけれども、そんな感じだったのではないかなと思います。
しかしですね、そんな境遇の高氏なんですが、同じ西木康二殿との間に生まれた弟がおります。
名前を足利忠義と言いまして、幼少名を足利次郎という名前の弟がいたんです。
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おさらいしますよ。簡単にまとめますと、足利家の当主は足利貞氏。この貞氏には3人の息子がおります。
長男のお母さんは法上家の血縁者である貞氏、釈迦堂殿との子で足利高吉。いいですか。
そして次男、三男は側室の西木康二殿との子で足利貞氏と足利直義。こういう構成でございます。
この状況の中、今回の物語はこの側室の子供である高氏と直義の2人を中心として展開されていきます。
本来であれば日陰の存在、本家を支える文家の一節として生涯を終えるはずだった高氏と直義兄弟ですが、1317年、高氏12歳の時、大きな天気が訪れます。
なんと本家の着男足利高吉が若くして亡くなってしまうのです。しかし足利家としては幸いにもこの亡くなった高吉に既に幼い男児が生まれていたのです。
足利家当主の貞氏としては、北条家との血縁関係を保つためには何としてもその子が原復するのを待って足利の家徳を継がせようと考えていたのです。
一方で貞氏は抜かりないのです。念のため高氏にも北条家との血縁関係を結ばせておこうと考え、北条一族の森時というのがおり、
この北条森時の妹の桃子、この桃子との婚姻を進めるのです。そして高氏は無事桃子との婚姻を済ませて、足利家としてはあとは高吉の子供が大きくなって原復するのを待つだけというところだったのですが、
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この辺りから徐々に運命が高氏を歴史の表舞台に引きずり出そうとしていくのです。
時の執権、北条貴時が病を理由に執権職を辞めるという政治的騒動が起こります。公認の執権がかなりの右よ曲折があったのですが、
最終的に、なんと執権職に就いたのは高氏の妻、桃子の兄、森時だったのです。高氏は来せずして幕府の最高権力者、執権職の弟という立場になり上がっていくのです。
さらに、その高氏が名目上だけではなく、実際に表舞台で活躍する一大事件が起こります。時の天皇、後醍醐天皇が倒幕を食わ立てて放棄した現行の変です。
足利家は幕府からの討伐軍の筆頭として任命されますが、足利家当主、足利貞氏はこの任命の直後、これによって亡くなってしまうんですね。
しかも、本来は家を継ぐ立場にある貞氏の孫、亡くなった長男の高吉の子はまだ幼かったため、必然的に高氏がその討伐の任に就くことになってしまうんです。
高氏が参加するこの討伐軍の活躍により、後醍醐天皇の放棄は抑えられて、後醍醐天皇自身は沖に島流しになり、一旦この放棄については収拾いたします。
しかし、その2年後、後醍醐天皇は沖を脱出し、千丈山、今の鳥取県の辺りなんですけれども、ここで再び討伐の反乱軍を立ち上げるのです。
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これに対して幕府側は再度討伐軍を編成します。
三陽道と三陰道からの二手に分かれて、挟み撃ちにしようという戦略に挑みます。
この軍に三陰道側の総大将として、またしても高氏が足利家の党首として任命されるのです。
しかし、この2度目の後醍醐天皇の反乱、幕府側、三陽道側、抑えることができず、結果として幕府軍は総崩れになってしまうんです。
そしてそれを見た三陰道側の高氏は、なんと幕府を裏切り、後醍醐天皇方についてしまいます。
そして京都の幕府の拠点、六原短大を攻め落とします。
この高氏に功をする形で、三田義貞が鎌倉で放棄して、最終的に鎌倉幕府は滅亡へとつながっていくことになります。
足利高氏、室町幕府の初代将軍となるこの男の血筋は、決して表舞台に出ることのないものでした。
しかし数々の偶然なる出来事が、彼を表舞台に引きずり出し、しかもその表舞台で高氏は時代の波に翻弄されることなく、逆に時代を動かす側の人間になっていったのでした。
新しい時代が開かれる時、そこには必ず己が描いた未来を実現させようと、強い志で突き進む英雄がいます。
時代は違えど、令和の現代でも学ぶべきことがあるように思うのは私だけでしょうか。
足利高氏、夜明けのバサラ。
この副題にも入っております、バサラという言葉。
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鎌倉から室町時代に流行った言葉でして、意味合い的に派手ですとか、自由奔放ですとか、常識を外れた行いをする人というような、
何でしょうね、江戸時代で言うと歌舞伎物なんて言われたりしましたけれども、そんな意味合いに近い言葉です。
この高氏はバサラと言われるような人物だったのでしょうか。高氏は自分の運命をどのように思っていたのでしょうか。
そして高氏は心の内にどのような感情を秘め、そして最終的に鎌倉幕府を裏切って天皇側についたのはなぜだったのでしょうか。
このあたり、歴史上最も波乱のある人生を歩んだと言われる足利高氏の前半生を、本作ならではの解釈も加えながらご紹介していきます。
ボイスドラマで学ぶ日本の歴史、シーズン5、足利高氏、夜明けのバサラ、どうぞ最後までお楽しみください。
本編の各エピソードには台本書き起こしのノートのリンクを貼っておりますので、ぜひこちらも合わせてご覧ください。