近藤淳也
うわ、なんかちょっと、そうか、大変だったんですね。
板井恒理
いやいや、それは大変でございましたね。
へぇー。
近藤淳也
そういえばすみません ちょっと急に話を振りますけど
アシスタントに来たら 牛島さんに
牛島悠紀
紹介してもらえるんですか
近藤淳也
そういえば声入ってるのに紹介しますね
牛島悠紀
ふわっと存在しようかな
近藤淳也
いえいえ 牛島さんに来ていただいてます
ありがとうございます
板井恒理
どうしようか
近藤淳也
ひとまず自己紹介からいきましょうか
板井恒理
急になんかそんな話しちゃったんですか
近藤淳也
核心部は後で詳しく聞くとして
牛島悠紀
だいぶ核心部になってきました
近藤淳也
伊太さんはどんな人ですか
板井恒理
遺体はそうですね、奈良県生まれなんですけど
近藤淳也
生まれから来た
板井恒理
長いですね
近藤淳也
奈良県やった?全然いいですよ
どっからでもいいですよ
板井恒理
奈良県生まれでずっと関西で
大学も関西で
最初に入った会社はリクルートという会社なんですけど
そこで関西配属されてもずっと関西で仕事してたんですけど
後々出てくるかもしれないですけど
1回目の結婚が京都の人だったんで
そこから京都に移行してきて
近藤淳也
ちょっと待ってください 振り返り始めましたね
板井恒理
じゃあいきますか 過去のことから
いきましょう
近藤淳也
じゃあちゃんと新卒からいきましょう
そっから行くんですか
わかんないですけど
リクルートなんですね
板井恒理
リクルート HR マーケティングっていう会社ですね
最初入ったのが
そこでざっといくと6年半働いて
その後プルデンシャル生命という
外資系の保険会社に行って
2年やって
最初保険の代理店で独立個人事業ですね
その後もうすぐ5ヶ月後ぐらいに
牛島悠紀
今のクレードシップを作って今に至ると
近藤淳也
ざっくり言うとそんな感じです
基本的にはなんか人材系とかの仕事が多い
板井恒理
そうですね
人材系ですもう
ずーっと人材系だと思いますね
近藤淳也
今はそういう仕事されている
クレドシップという会社の社長をされている
板井恒理
採用でございます
近藤淳也
はい
板井恒理
二人が目を合わせるから
余計に大丈夫かなという気持ちが
牛島悠紀
大丈夫大丈夫
近藤淳也
いやいやちょっと待ってください
聞きたいことが多い
板井恒理
逆にちょっと先に僕から聞いてもいいですか
近藤さん最近ラジオに熱を入れてらっしゃいますけど
なんで始められたんですか
近藤淳也
なんですか 何でか
なんでかな
それを言うと今ミシマシャっていう 出版社さんでitともりっていう
それもPodcastっていうか一応お金が 必要なんですけどお金を払うと
聞ける僕がずっと喋ってる番組っていう かコンテンツがあるんですよ音声
の いやちょっと待ってよ長いな
いやいいんすよ 長いなでそれをやり出したきっかけ
っていうのが本当は三島社さんから 本を書きませんかっていう話だったん
すよ ハテナの時に書いた本はあるん
ですけどその後のことが出てない から最近何やってきたかみたいな
を何か書きませんって言ってくだ さってすごい光栄なことなんで
ちょっと面白そうだなと思って たんですけどでも長い文章を書ける
自信がなかったんですよ そうなんですか
最近そういうのは文章って全然 書いてないなって思って
なるほど 本なんか書けるかなって思って全然
自信がなくて一方でちょっとPodcast とかは興味があったんですよっていう
のは最近よくランニングのとき とかにイヤホンでいろんなPodcast
とか聞くことが増えてきて自分も 本を読むより耳で聞く比率が結構
上がってたんでそれをやってみたい なって気持ちはあったんでそれで
じゃあすごい出版社の方にそんな こと言うのもすごい失礼かもしん
ないですけど僕がしゃべらせて もらってそれが面白ければその
内容をテキストにして本にする っていうこととかどうですみたいな
相談をさせてもらって そしたら 面白いですねみたいになって
最初はそれがきっかけで じゃあ 試しにちょっとやってみよう
かなとか思って マイクとか買って 社内で録音とかし始めて遊び出したら
なんかPodcastがしたくなってきて 自分でも
そのITともりがリリースされた のは去年の末ぐらいなんですけど
結局買って色々やってる間に すぐに8月ぐらいからPodcastを始めて
しまったっていうのがまあ直接の きっかけです
始まりは 結局この機材は全部自分で買って
そうですよね 結局ミシマシタさんはミシマシタ
さんで後から買われたんですけど 結局すごい先行でいろいろ買ってる
うちにもっとちゃんとしたやつ が欲しくなってだんだんいいもの
板井恒理
に変えていってこうなってるって 相変わらず感じですね始まりは
近藤淳也
はいはいはい
板井恒理
今はどういう思いがあるんですか? このラジオに対しては
近藤淳也
思いですか?
いやでも、アンノーンは やっぱ面白い方多いんですよ
板井恒理
本当に日々いろんな方と出会いがあって
近藤淳也
で、なんかその方とお話する機会もあるんですけど
なんかすごい面白いんで本当に
だからこの面白さをみんなにちょっと
板井恒理
あ、なるほど
自体ですし、逆にラジオっていう形があるから、ちゃんと聴けるっていうか、例えば1時間半とか時間取ってもらって、すごいめっちゃ聴くのも、一応ラジオの収録ってことになると聴きやすいじゃないですか。
近藤淳也
確かに。
急になんか、ちょっと幼少期から教えていただいていいですか、みたいな。なかなか急には聴けなくなる。
板井恒理
そうですね、特に。飲みのばとかでは全然聴けない話ですね。
そうか、だから結構切り込む感じですよね、ちょいちょい聞いてるんですけど
近藤淳也
いやいやいや、ありがとうございます
まあそんなんで、だからちょっと宣伝になりますけど、三島社の方でITと森というのが
板井恒理
ITと森、皆さんITと森
近藤淳也
はい、ちょっと始まっておりますので、よければそちらもまた聞いてみてください
板井恒理
ぜひ
近藤淳也
そちら僕の話がずっとやってるっていう
全然あの、はい
板井恒理
全国の近藤ファンの皆さん、ITの森
ITと
ITと森
よろしくお願いします
牛島悠紀
それはもう始まってます
近藤淳也
始まってます
始まってます
牛島悠紀
始まってます
近藤淳也
インターネットITばっかりやってたのに 急に山とか走り出したんで
板井恒理
確かに
近藤淳也
どうなったんや どうなってんやっていう話です
板井恒理
うわ それもう既に聞きたいですね ちょっとね
近藤淳也
聞きたい
板井恒理
なぜか人は森に変えていくんですよね
ありがとうございます
近藤淳也
いやいや 引退さんの話を是非
じゃあもう振り返っていきましょうよ
板井恒理
じゃあ行きましょう
近藤淳也
昔から
板井恒理
いきなりあれですよね、ラジオで振り返ってくださいっていう、この中、ハラハラしますよね。
近藤淳也
どうやって生きてきたか教えてください。
板井恒理
じゃあ、生まれからいきます。
ういだ奈良県のね、伊泰三兄弟という、三兄弟の末っ子に生まれてまして、
なんか変わった三兄弟なんで、伊泰三兄弟とよく地元で言われるような、
近藤淳也
外からも言われてる名称だったんですけど。
板井恒理
だから兄二人は小学校で生徒会長やったりとかですね、放送委員長やったりとか、応援団長やったりとか、そういうタイプで。
近藤淳也
長男っぽい。
板井恒理
そうなんですよ。長男だけじゃなくて次男もそれなんですよ。
近藤淳也
次男もそれは珍しいですね。
板井恒理
そうなんです。長男、次男、それできたらもう三男もそうでしょうみたいなところから始まってるんで、
なんかこう頑張らなと思いつつも 生徒会長にはならず初期をやり
放送委員長にはならず給食委員長をやり 応援副団長になったりとかですね
近藤淳也
ちょっとサブ的なの?
板井恒理
いやいやそうですね でもある意味コンプレックスの塊だったかもしれないですね 上二人に対しては
近藤淳也
それはもうお父さんの教えとかが そういう男たるものみたいな感じなんですか?
板井恒理
あんまそういうのはないんですけど、でもそもそも生まれた時のことは覚えてないんですよ。
板井恒理
正直もうあれですよ、小学校から大学出るまでは野球しかやってないですね。
野球少年でしたね。小中高大、ずっと野球。
ちなみにポジションは?
ポジションは小中はセカンドで、高校からショートですね。
大学も?
大学もセカンドに戻りましたね。
内野手なんですね。
近藤淳也
うん、はいはいはい
板井恒理
という感じですね
大学行くときに、そうなんですよ
僕、高校野球で甲子園行けなかったんで
近藤淳也
でも、行っててもおかしくない?
板井恒理
いや、全然そんな高校じゃないですよ
面白い、目指してたってこと?
なんかね、不思議なもんで頑張ったら行けると思ってたんですよ
高校のとき、真剣に
だから毎朝、一番最初にグランドに行って練習して
毎日一番最後まで練習をして、一生懸命やれば行けるっていうのを盲目的に思ってて、高校の時。
高校3年生の8月まで受験勉強もせず、ひたすら野球に打ち込んでたんですよ。そんなに上手くないんですよ。
本当にそんなに上手くないのに。
近藤淳也
そのチーム的には行ける強さがある?
板井恒理
チーム見てなかったです、僕多分。
近藤淳也
えぇ!?
板井恒理
今思えばね、チームとかじゃなく頑張ればいけると思った。
近藤淳也
自分自身がとにかくめちゃくちゃ頑張れば 甲子園には行けるんだっていう
板井恒理
不思議ですよね
近藤淳也
今思えば不思議なんだ
牛島悠紀
すごい
板井恒理
めちゃくちゃ頑張ったんですよ
全然行けなくて
牛島悠紀
全然行けなくて
近藤淳也
何回戦ぐらいまで行けたんですか?
板井恒理
奈良県の予選2回戦の反対に入ったんですね
その時にもうすごい忘然自失ですよね
行けると思ってたんで
だから学校の先生になって 監督になって教室へ目指したい
近藤淳也
なるほど ちょっとだけ聞いていいですか?
板井恒理
どうぞ
近藤淳也
1年2年の時に気づかなかったんですか?
板井恒理
いやー気づかなかったですね
近藤淳也
2年生の時とかも試合に出たんですか?
板井恒理
僕ね 2年の時は出だしたんですけど
だしチーム弱いってことも知ってるんですよ もちろん
でもなんかいけると思って
牛島悠紀
これほんまなんなんでしょうね
板井恒理
いまだに僕の人生の役にも謎です
あんなに頑張れたのは謎
近藤淳也
でも頑張らなかったより
頑張った方が良かったんじゃないですか
板井恒理
いやもうそれはね
後悔は本当してなくて
頑張って良かったなと
ひたすら思ってますけど
でもやっぱだから
悔いが残ったわけですよ
いけると思ってた分
これはもう監督になって
行くしかないっていうところから
大学を選び始めた
近藤淳也
そういう感じなんですか
板井恒理
そうですだから一応
先生になろうと思って
高校のときは先生になろうと思ってたんで
最初あの先生の中でも
あの家庭科の先生になりたかったから
牛島悠紀
家庭科?
近藤淳也
え?体育じゃなくて?
板井恒理
家庭科大好きなんですよ
近藤淳也
え?
牛島悠紀
えぇ~
板井恒理
めちゃくちゃ好きですね
はい
だからあの裁縫とか好きだったし
当時
牛島悠紀
ちゃんと
近藤淳也
え、それは何?
3人目が女の子が良かったから
牛島悠紀
そうそうそう
3人目には裁縫を教えようみたいな
あるんかもしれないですね
板井恒理
なんかちっちゃい頃から手先が器用とかね
よくおだてられたりとかしてましたし
まあなんかそういうの好き
あと多分掃除とかね、部屋のレイアウトとかインテリアとか好きだった
近藤淳也
でも家庭科って高校とかもなくないですか?
僕存在しなかったですけど、男子生徒は
高校?
牛島悠紀
中学校も?中学校もなかったっけ?
板井恒理
いや、ありましたね
近藤淳也
ありました?
板井恒理
ありました
近藤淳也
あれ?
板井恒理
多分記憶にないだけだった
牛島悠紀
うん、多分興味がないから
板井恒理
よっぽど面白くなかったんじゃないですか
牛島悠紀
料理とか作ったり
板井恒理
あれ、そうかな?
牛島悠紀
裁縫も
近藤淳也
小学校は覚えがあるんだけど、中学校は男女別だった気がする。
男子は技術で、女子が家庭科だった気がするんですけど。
板井恒理
多分学校によっては選択できるところもあると思うんですけど、僕はもう大好きだったんで。
っていうのと、この辺はちょっとおかしいんですけど、男の家庭科の先生面白いやんって。
それは結構思ってたんですね。
男の家庭科の先生で、野球部の監督で講師に行く。面白いやんって。
(茅)それ面白い。なかなかいないですね。 (西)そこから高校、大学事件探し出して、先端試験終わった後に、僕、大阪一大目指してたんですけど、
(西)一大の生活学校行きたいんですって言うと話したら、数学がびっくりするくらいダメだから、絶対無理って言われて。 (岡田)へぇ。
そこから路線変更して、体育やったらいけるかなっていうので、
その大学に行ったという感じですね。
近藤淳也
じゃあ、もう高校の時にイメージとして、
板井恒理
男性家庭科の先生で野球部顧問というイメージを描いていたんですか?
描いてましたね。完全に描いてましたね。
近藤淳也
すごいですね、その具体的に。
高校時代。
板井恒理
なんか喋れば喋るほど変な子供ですよね。
近藤淳也
いやいやいや。
あの頃は。
いやでも、その子まで具体的に高校時代にイメージしてる人って少ないじゃないですか。
牛島悠紀
確かにそんなのね
近藤淳也
すごいと思いますけど
板井恒理
まあまあ野球です全ては
野球、甲子園
近藤淳也
甲子園ってやっぱ大きいんやな
板井恒理
いまだにテレビ見たら泣きますから
ああそうですか
感情移入とかじゃなくて
何なんでしょうねあの感覚は
近藤淳也
まあ辛さも染み込んでそうですけど
そうなんです色々
板井恒理
だから普通の人は野球を
だから普通の人はあれ、野球、高校野球とか見出したら、
試合終わって9時が泣きながら砂集めてる時にちょっとこう、もらっちゃうとかあると思うんですけど、
僕1回思ってんの「あー」で泣くんですよ。
近藤淳也
(笑)
板井恒理
早い早い!
牛島悠紀
「来た!」って言ってる。
早い!
板井恒理
なんかもう見れないんですよ。
牛島悠紀
なんだろう、もう始まる感じでもう、
板井恒理
「うぅー!」ってなっちゃう。
牛島悠紀
思いが溢れて、
早いなぁ~。
近藤淳也
すぐ出てきちゃうから。
そっかぁ。
板井恒理
見れないんですよ。
牛島悠紀
へぇ~。
ほんとに。
板井恒理
ぐらいですよ。
牛島悠紀
そんなに見たかったんだよ。
近藤淳也
僕はなんかそのめっちゃ頑張ったのに試合にも出れないみたいなのが嫌で団体競技のクラブは全部避けて生きてきてます
でも出れない時期も長かったですよ本当に
板井恒理
そんな高校までの人生でしたね
近藤淳也
大学行ってまた野球やりながら
板井恒理
でも大学はね不思議なもんでめちゃくちゃ野球部に入ろうと思ってたわけではなかったんですよ
そうなんですね
それはなんか僕はもう野球部に出て野球部の監督になるっていうことを
別にそんなにイメージしてなかったんで
せっかく大学キャンパスライフなんでとかいろいろ思ってたんですけど
気がついたら野球部の見学に行き
入部の意思を示してないのに1年のキャプテンに選ばれていて入部しちゃったっていう感じです
すごくないんですよ
ああいうのってちゃんと連絡も回しそうとか そんなレベルで決められてたんで
それで大学野球部門を気がついたら 公式野球部に入ってて
しかも1年の時にキャプテンって決められてて
なんか急に無駄な重たい荷物を 背負ってしまって
大学時代もほぼ野球しかしてないですね
近藤淳也
で、先生に…
板井恒理
そうですね、その辺が
でも、なかなかあったんですね
大学で野球部キャプテンやってたんですけど
僕は人生で唯一後悔してる経験があるとしたら
キャプテンやったことなんですよね
自分でやりたいと思ってやったわけじゃなくて
高校入って、大学入って
大学野球部の体育会のキャプテン
就職に演っちゃうかぐらいの感覚ですよね
要は、エライんちゃうかと
それはもしかしたら兄を追っかけてた
そういう感覚でやっちゃったんで、別に自分がキャプテンやってチーム引き居たいとかじゃないようにやっちゃったから、めちゃくちゃしんどかったんですよ。
しんどいですか? 全然野球も楽しめなかったし、特に監督とか大人がいないんで、大学の組織って。
合宿、どこ行くから、予算どうするから、試合どうするとか、スタメンバー誰やるかとかも、大体キャプテンとかその辺で決めていくんで、大変。
牛島悠紀
そんな色々キャプテンが
板井恒理
キャプテンだけじゃないんですけどね
幹部メンバーでやるんですけど
なんだろうあの詐欺にあったんですよ大学のとき
集団詐欺になったんですよ
近藤淳也
なにそれ
板井恒理
ちょっと喋っちゃうとね
要は大人がいない大学の野球チームなんですけど
結局やっぱり
甲子園を目指すように大学だと
神宮というのを目指すんですけど
神宮行くためにもっと良い指導者に教えてほしいって
メンバーは思うわけですよ
ある時、とある電車で出会った野球教えのうまそうなおじさんを
うちのメンバーがグラウンドに連れてきて
近藤淳也
ちょっと待って、いきなりあったんですか?
板井恒理
いきなりですよ、だから
そんな、結構ちょいちょいあるんですよ
でもなんかその人がすごいこうメンバーを改住していくわけですね
食事に連れてったりとかして
今のチームはこういうところがあかんのちゃうかみたいなこと言いながら
その人の能力を上げていくから
すごい支持されるわけですよ
支持されて、支持されて、支持されて、でも別に何の契約も結んでるわけじゃない人やから、
近藤淳也
ずっとグラウンド来てもらうのまずいんちゃうかみたいな。
板井恒理
で、なんか知らなかったんですけど、
まあ一向上の先輩が、その人に携帯の名義を貸してくれみたいな相談をされていて、
牛島悠紀
でもまあチームの中で結構重要な人物になりつつあるから、断れないわけですよ、その先輩に。
板井恒理
名義を貸しちゃって、その名義で何かいろいろされてたみたいな事件があったりとかですね。
近藤淳也
されてたってお金使ったり、そういうことですか?
板井恒理
そうですそうですそうです。
近藤淳也
携帯の名義で?
板井恒理
うん、まあ多分、多分だから悪い活動をしてるんじゃない?この名義によって。
だからこの携帯のお金自体は知れてるんでしょうけど、
そういうのなんか、まあ10万円を超える桁のお金がやられたと言ってましたけど。
近藤淳也
へー。
板井恒理
まあだからそういうのの責任も全部取らざるを得ないというかね
最後そのうさぎの人だってわかる前に
出て行ってくださいという話をするわけですけど
なんかもう2、3時間ぐらい携帯の電話の向こうで同活されてですね
大人をなおなおなもう電話で言うしかないと
とりあえずって言って
まあなんかどういう携帯か覚えてないですけど
もう3時間ぐらいずっと大人な目の殺すぞみたいな
僕たちのことをずっとされたりとかして、なんで俺なんやろうとか思うじゃないですか。
だからね、結構その大学野球自体は僕は後悔が多いんですよ。
もっと純粋に野球したかったなって。
近藤淳也
なんかしんどめな話多いな。
板井恒理
割と結構しんどめなこと多かったっすね、多分。
でもね、純粋にその中で4回生の時には卒論がめちゃくちゃ楽しくて、それが今のキャリアにも若干繋がってるんですけど、
僕は体育科なんですね。大学を体育で受験してるんで、体育科の中には、それこそ理系、運動生理学とかですね、
そういう理系のジャンルもあれば、スポーツ、技術学みたいな文系のジャンルもあって、
その中で僕は、舞踊学って言って、ダンスを専攻してたんですよ。
当時、哲学書の神体論っていう哲学書があって、
でもよく神神一元論とか二元論とかあるじゃないですか。
周りにやたら興味を持って書いてですね。
で、まあその舞踊学のゼミで卒論でその身体論に関わるテーマで研究をしてる時が
まあ多分その大学で野球やってる時期よりも一番没頭したんですよ
近藤淳也
ふ~ん
板井恒理
めちゃくちゃ楽しくてですね
で、これ話すと長くなっちゃうかもですけど
僕は大学の時にその小学校5年生の女の子が
掲示板上の書き込みに怒りを覚えて
隣のクラスの子を差し殺すみたいな事件があったんですよ
その時によく言われたのが、普段はそんな子じゃないのに、ネット上では全然違う人格だみたいな。
そういう事件って当時結構いろいろあったわけですよ。
ニュースで、普段はそんな人じゃないのに、みたいな人がやたらやるみたいなのが、
結構小学校とか低学年で起こってるのに、要はネットの掲示板とか、メールとか電話とかチャットとか、
こういうコミュニケーションツールはちょっと変わってきた時代なんで、
人が身体をかわさずにコミュニケーションを取ることって、
なんかいろんなリスクあるんちゃうかなみたいな。
少年犯罪とかそういう関心を持ち出して、
どうせ体育の先生になるんだったら、
その身体を返してコミュニケーションを取るとか、
身体を使うっていうことの意味ってなんなんっていうことを
ちゃんと極めたいなっていうふうに気になってきて。
で、卒論やったのがめちゃくちゃ面白かったですよ。
卒論は高校生のコミュニケーションツールがもたらす、
高校生の人間関係に関する、そういう研究をしたんですけど、要は普段のコミュニケーションの中で、
匿名性の高いもの、掲示板とか、あとは一応メールの中でも本人じゃなくてもやりとりができるものとかね、チャットとか。
これが、匿名性が低くなっていって、メールとか電話とか対面とかっていうふうに、そのコミュニケーションの種類をざっと分けて、
特命性の高いもののコミュニケーション 頻度が高い人と、
そうじゃないもののコミュニケーション 頻度が高い人で、
対人関係にどういう違いが出るのかみたいな。
へぇ〜。 こう、
色々アンケートを取ったりとかして、
性格調査とかしてやったら、
如実に、特命性が高いコミュニケーションを 好んで取る人は、
攻撃性が高く、自分に対する信頼感が低いという。
信頼感低いの? そう、自分と他人に対する信頼感がすごい低いと。
自分に対しても? 自分にも他人にも
板井恒理
へぇ~
要は二面性がそこで生まれてくるみたいですね
自分というものと違うバーチャルの存在を作り出すみたいな
そういう傾向があるという結果が出てですね
近藤淳也
特命的自分みたいなのがあるせいで
信頼がないってことですよね
板井恒理
ある意味そうですね 自分を偽ってるっていう状態かもしれない
そこまでは調査はしてないですけど
結果的なそういう結果にはなりましたね
近藤淳也
キャラ作りみたいなのをバーチャルの中でしちゃうから、それは結局偽物って自分でも分かってるみたいな、そういうことですか?
板井恒理
そう、どんどん自分を使い分けるけど、これは推論ですよ。
推論ですけど、自分を使い分けるからこそ人もそうしてんじゃないかって思うと、どんどんどんどん信頼感なくなっていくみたいなことが、高校生の間で結構如実に起こってるんだなっていう。
牛島悠紀
へぇ~
板井恒理
それすごい楽しかったんですよ。
近藤淳也
確かに確かに。
そういった原因と結果は逆ってことはないんですか?
要するにそういう考えの人はリモートとか バーチャルな方法を頼りがちみたいな
板井恒理
あり得るんじゃないですかね
それは
あり得ると思いますね
近藤淳也
はいはい
板井恒理
だからそういう初めて自分が研究とか好きなんだなっていう事に気づいたら
ふと兄貴を見れば二人とも研究職とか追求者みたいになってるんで
ようやく自分はそういう組織引き入るとかですね、リーダーになるとかより
好奇心探求の方が強いのかなみたいなことを感じたのが大学出る直前って感じです
近藤淳也
全然社長に繋がらなさそうな感じ
板井恒理
今でも社長のつもりは全くないです
近藤淳也
そうなんですか
板井恒理
なりたいと思ったこと一度もないし
近藤淳也
へー、なるほど
じゃあそこでなんすか、高校野球の監督諦めたところですか?
板井恒理
目的が変わりましたね。
高校生に行きたいから、先生になるというところから、
だんだん人の行動とか、進度とか、キャリアに興味を持つようになってきたんですよ。
これさっきの卒業の話とちょっとずれるんですけど、
大学の野球部が60人ぐらいのチームで、野球って言っても9人しか出れないじゃないですか。
ベンチ入り含めて18人とか20人なんで、
60人のチームだと、4年間そういうことやっても、
ベンチにも入れないみたいな。
まさに。
そこですよ、そこ。
集団スポーツのすごい大変なところがあって。
ましては僕らは国立で、別に甲子園ボーイがいっぱいいるわけじゃない中で、
その市学で甲子園ばっかり行ってるメンバーが集まってるチームと戦わないといけないみたいな。
そういう中で野球やってて、
僕は結構すごい記憶に残っているのが、
試合に出てる9人以外が活躍して 強豪校を破るっていうシーンが何度かあるんですよ。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
例えばね、これまぁちょっと手前みその話ですけど、
僕も試合に出てない時、ランナーコーチっていう役割をやってて、
ランナーコーチって分かります?
近藤淳也
(笑)
1類の横にいる人が?
板井恒理
そうそう、ダイヤモンドの横に1類と3類。
ここちなみに…
近藤淳也
手回してる人でしょ?
板井恒理
そうですそうです。
牛島悠紀
いや~分かりました。
板井恒理
大学野球とかレベルになると、 意外とこの辺の人大事だったりするんですけど。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
僕はそれでランナーコーチやってて、
今、大学出てからメジャーに行ったピッチャーの子がですね、相手チームにいて、
めちゃくちゃいいピッチャーなんで、打てないわけですよ。
どんだけそのチームで戦っても、1点取れるか取れないかみたいな。
大学野球とかだと、そいつのビデオをですね、
「偵察」って言って、一日中ビデオを撮って、
で物質に持って帰ってきて全員でそれをもう60人でわー見るみたいな
おー
やってるんですよ
でもやっぱりただビデオ見ててもそんな大した成果が出てこないんですけど
なんかある時そのピッチャーの本当にもう
穴が空くぐらいそのピッチャー見てたら
だんだんそのピッチャーの癖がわかってきた
でその部員全員で部屋でそのビデオ見てる時に次まっすぐ次カーブとか言ったら
牛島悠紀
全部100発100手打たれるんですよ
えっ
近藤淳也
へぇ~
すごっ
いやわかりやすい癖やったな実は
板井恒理
う~ん
めちゃくちゃわかりやすい
僕ラジオでは表現できないですけど
もうそのピッチャーのモーションが全然違うんですよ
近藤淳也
へぇ~
板井恒理
球の種類だったね
全然違うんですよ
要はスローカーブっていうのが狂って分かってたら
結局145キロで来る真っ直ぐと
本当に100キロ台で来るカーブの
近藤淳也
この簡単さっていうかね
板井恒理
それで打てないんで
これが分かっちゃったら勝ちなわけですよ俺は
そのもう全員が癖分かった状態で試合に行って
で、もう本当に9回まで、1点負けてる状態かな。
8回ぐらいかな、8回まで1点負けてる状態で、
ワンナウト2、3類とかで、
僕らもう癖わかってるってことを最初からモル出しにしたら相手にバレるって思ってたんで、
近藤淳也
ここを位置で使おうみたいな。
使わずにいったんや。
板井恒理
僕がランナーコーチをやってもいてるわけですけど、もうわかるわけですよ、1球1球。
その1アウト2サウンドのタイミングで スローカーブの癖が出たんですよね
多分あの時全員が来たと思ったんですけど
いまの時絶対誰も打てなかったスローカーブを しっかりバッターが打って2点取って勝ったんです
近藤淳也
へーすごい
板井恒理
もうね結局勝った時にめっちゃ嬉しいわけじゃないですか なかなか打てんびちゃん
近藤淳也
で勝ったーってなって普通打ったやつが 遠上げされると思うんですけど僕がされるわけですよ
二代さんが あーまあねその分析した貢献によってやもんね
板井恒理
そんなんは野球やつは初めての経験で
こういうのをよく僕たちは全員野球とかって言うんですけど
要は一人一人の個々の能力では絶対勝てないけど
何かチームでやった時に一人一人が活かされてくるとですね
近藤淳也
チーム力で勝てるってすごいあるんですよ
板井恒理
僕らのチームって気持ち悪いってよく言われてましたね
そんなに上手くないのに怖いと
近藤淳也
なんかみんなで
牛島悠紀
何してくるか分からないみたいな
近藤淳也
そういうのがじゃあいたいさん得意なのかな
板井恒理
その時はね、たまたま、それは僕の話なんですけど、その後、後輩のメンバーで、そういうことは全然上手くないんですけど、
一緒ですね、高校時代も僕と一緒なんですけど、誰よりも練習するやつがいるんですよ。
近藤淳也
あ、変えてきたんですか?
板井恒理
変えてきたんですよ。
近藤淳也
それいたいさんがみんなに知らしめたんですか?
板井恒理
いや知らないです。
近藤淳也
公表したんですか?
板井恒理
さすがに。
近藤淳也
他でも同じように見破られたってことですか?
板井恒理
多分そうですね。
近藤淳也
へー。
板井恒理
だってあんな打たれるわけないものが打たれてるんでうちのチームにやったんだよ
多分そっからどっかも気づいたんでしょうね
近藤淳也
なるほどなるほど
そういう情報戦みたいなとこあるんですね
板井恒理
逆にそっからその理由は結構癖探り合いみたいになってましたよ
近藤淳也
へぇ~
板井恒理
他のピッチャーの癖とか結構見抜きましたけどすぐバレるし
あとはね、たまに言うことになりますけどサイン盗むとかもありますよね
ランナーコーチって相手チームのベンチ見えるんで
ずっと監督のサインとか見てるんですよ
わかるんですよね これもまた
近藤淳也
じゃあそれもそうか 対策して帰って行ったりするってことですか
板井恒理
帰って行ったりしますね
近藤淳也
うわ めっちゃ
板井恒理
そうだ 角になると
そのバックセンターの
後ろのそのバックスクリーンからビデオを撮ってて
近藤淳也
キャッチャーのサインとか見てるとかもあったりするんですけど
板井恒理
さすがにはダメなんですけどね
近藤淳也
それダメなんですか
板井恒理
そうそう
基本 サイン盗むとかはそもそもあんまり良くないんですけど
近藤淳也
そうなんですね
板井恒理
癖は全然良いと思うんですけどね
そういう世界ではありましたね
近藤淳也
なるほど
へぇ
じゃあその人なりの
なんというか
個性というか
そういうところを見つけて
伸ばそうよみたいな
板井恒理
当時はね、だから
自分なりの役割やポジションを
生み出す力みたいに
自分の中で定義づけてたんですけど
なんかね、野球だったら
ポジションって誰かが決めてるけど
言ったら500万社ぐらい会社がある中で、自分の役割やポジションって見つけて生み出していけることは多分できんちゃうかと、バッドリーダー的に。
っていうふうに当時はすごく思いましたね。
近藤淳也
まあね、確かにそれ見つけるたら一番いいやんって思いました。
板井恒理
ありがとうございます。今近藤さんの目がキラーっとしました。
近藤淳也
僕はもうなんていうか就職活動時点でちょっと
板井恒理
この感じもう無理ってなってシューって引いたタイプなんで
あの意味感度が高いじゃないですか
僕みたいに周囲とずっと比較されてきた人間は
もうダメってなっても逃げることの方が怖かったりとかするから
この就活気持ち悪いわとかって思うことさえなかったんですけど
やってなかったですよ僕は先生を目指してたんでね
でも周りとか見ててもそういうもんやろうなって結構思っちゃってたんで
近藤淳也
うん
板井恒理
やっぱ確かに明らかに誰の目も輝いて
まあこれ言い過ぎかな
目は輝いてなかったなと
牛島悠紀
うん
板井恒理
私まあね
ちょっと正直
週末は馬鹿試合みたいになってるとこあるじゃないですか
近藤淳也
いやわかんないです
なんかもうその場所に立ってないんで
板井恒理
あそうですか
近藤淳也
はい
板井恒理
でも以前立ってらっしゃった時とか
選考とかされてなかったですか
近藤淳也
ああ
あの迎える側というか
板井恒理
会社側としてですね
近藤淳也
そんなことはあまり…どうなんかな?あるんかな?
わかんないです。僕はちょっと人を信じすぎなのかもしれないですけど
板井恒理
いやいやいや、僕、人を信じないと社長なんかできへんなという気はありますけど
まあやっぱり自分とは違う何者かをアピールするような就活する人って多いと思いますよ
牛島悠紀
うーん
板井恒理
それはなんかよくわかんないですけど、就活攻略講座みたいなね
就活塾とかあるじゃないですか
近藤淳也
してますね。 収穫を攻略するための塾があるんです。
板井恒理
僕も採用代行とかでよく新卒の面接とかやるんですけど、
本当に面白いですよ。新卒の面接の時期になったら、
バイトの副リーダーがめちゃ増えますね、世の中に。
私はスターバックスで副リーダーをやってました。
バイトリーダーかな、バイトリーダーと副部長がめちゃ増えるんです。
なんでそれやってたのかと聞いたら、人の間に立って潤滑湯のように立ち回ることが、みたいなことが。
近藤淳也
会社に好かれそうなの?
板井恒理
そうそう、だから世の中は潤滑湯だらけになってくるんですよ。
近藤淳也
ああ~。
板井恒理
やっぱり面接されたら思いますよ。みんな潤滑湯なんやねん。
近藤淳也
はははは。
それを言うとポイントが上がるっていうのが、
板井恒理
もしかしたらね。
近藤淳也
広まってるんですか。
板井恒理
まあよく学地下って言われるんですけど、学生時代に力を入れたことをいかに集活でPRするかみたいな。
近藤淳也
そうなった時に、別に何かに意志を持って力を入れたというか、結果的に力を入れたものをいかにしゃべるかみたいになると、バイトリーダーと副部長が増えるんですよ。
板井恒理
なんでそれやったん?って聞いたら、だいたい答えは出てこないんですよね。
なんか、それってもう僕は馬鹿試合やなと思ってて。
確かに。
近藤淳也
そんなことなってるんや。
板井恒理
そう、このさん意外と知らないですね。
近藤淳也
僕本当に就職活動って
僕が行けば絶対通ると思って
一車だけしか置けずに落ちたんですよ
かっこいいですね
しかもいわゆる普通の就職活動って
こういうふうにしゃべった方がいいみたいなのとか
板井恒理
何も知らずに
牛島悠紀
そんな行ってしゃべってわかってくれるやろみたいな感じで
近藤淳也
僕もそうやったんですよ
板井恒理
だからこれも就活の話しますけど
結局僕は学校生成になろうと思ってたんで
4回生の5月かな?に学校の公募が出るんですよ。
で、僕奈良県で先生になりたいと思ってたんですけど、
もう当時倍率すごい高くて奈良県とか体育の募集なかったんですよね。
どうしよう、どこの県で先生になろうかなって思った時に、
就活してた女の子から「あんた先生なんの?」つって「なんでなりたいの?」って言われて、
「いや、あの、振動指導したいねん」と。
だからその子が「あんた就活もしてへんねん、やろ」と。
「収穫したことない人間に 進路とか語られたくないわ」って言われて
近藤淳也
なるほど
カチンってきて
板井恒理
「わかった、収穫するわ」って 初めてなんですよ
僕の当時の5月とか6月とか ほぼみんな内定出た後なんで
あんまり残ってないんですね
収穫のことよくわからないし
とりあえず初めて見て 一番最初に言ったのが日本生命という会社なんですね
法人営業っていうのを やってみたかったんですよ
企業の会社さんのやりとりとかを見ると
その親友指導とかに役に立つんじゃないかみたいな
個人向けの仕事をするより法人向けの仕事とか営業した方が世の中知れるんちゃうかみたいなんで
日本声明言ったんですね
説明会で、まあそこは総合職の募集なんですけど
過去10年間女性しか採用したことありませんと
おおみたいな
なんでああみたいな思うじゃないですか
近藤淳也
保険レディー
板井恒理
結局そういうことです
でも法人向けの保険の営業なんで別に彼女もレディーじゃなくてもいいはずなんですけど
そういうところで、面接、じゃあ説明会で、説明会はいいか、面接行くわけですよ。面接で自己PRしてくださいとか言われるじゃないですか。
僕、そんな収穫対策も何もしてないんで、とりあえず野球部でキャプテンやってると。自分一言で言うと「なんですか」って言われて、「男ロマンです」とかよく分かる。
近藤淳也
なんかそこ面白いこと言いますね。
そうそうそう、よく分かんないこと言ったらもう、それ考えていったんですけど。
板井恒理
それはね、友達が僕につけるとミドルネームなんですよ。
元々「アツイ」と言われるタイプなんで、
「男ロマンです」って言って、なぜならって説明するんですけど、
牛島悠紀
言ってることが普通の収穫者じゃなさすぎて、
板井恒理
隣の子がこんなに見てるんじゃない?
近藤淳也
(笑)
牛島悠紀
何言ってんの?
この人なんか、ヤバい人来たみたいな。
近藤淳也
収穫?分かってるみたいな。
板井恒理
こっちはクソマジメじゃないですか。
「男ロマンです」とか言ってるね。
で、説明会でもお話しましたが、我々は10年間女性しか左右してませんけどみたいな話をされたら、
男性第1号のユニフォームを作りたいと思います、みたいなことを言うわけですよ。
真面目に。僕は結構本気で言うんですよ、そういう時。
なりたかったんで、隣の子は。
近藤淳也
あ、そっか、伊泰さんがそれ言ったってことね。
板井恒理
僕が言うんですよ、はい。
で、もう面接終わった後で、なんですか今の、面接はみたいな、隣の子に。
言われたんですか?
「すごいっすね」みたいな。
近藤淳也
「それどうると思ってるんですか?」みたいな感じですか?
板井恒理
私の知ってる間にやるにはなかったみたいな感じ。
確かに、横にいてはびっくりするかもしれない。
牛島悠紀
「男のマンです」とか言うてる。
近藤淳也
いや、わかるけどな。僕もそんな感じだったわ。
板井恒理
だから自分のことをちゃんと話せば、
ちゃんと評価してくれる人は評価してくれると思ってたんだよね。
だから今まで、試験とかもあんまり失敗しようとないのに、
初めて日本声明で落とされて、
こういうことなんやみたいな。
たまたま大学の野球部の先輩がリクルートっていう会社にいて、
僕は5年で辞めて先生になりたいと思ったんですね、当時。
さっきのカッチンから。
社会人経験つねが先生になるのと。
だから5年で辞めて先生になりますっていうことを野球部の先輩に相談してたら、
リクルートを受けてみるって言われて。
受けたときにもう男ロマンの話とかしっかりして、
5年で辞めて先生になるんですよ、しっかりして、
ちゃんと理解して、君だったら家で夢叶えれると思う。 4つで最後かって握手をして。
近藤淳也
男ロマン通じたんですね。
板井恒理
通じちゃいましたね。
近藤淳也
いいですね。
牛島悠紀
後々聞いたらもう本当は枠なかったらしいですけど。
近藤淳也
じゃあ逆にすごい良かったってことでしょうね。
板井恒理
ねじ込んでいただいたみたいな。
近藤淳也
男ロマンが良かったんじゃないですか。
板井恒理
男ロマンが良かったんですよ。
近藤淳也
だからあの時嘘ついてね、男ロマンの話とかせんか、 敵との話してたらこんな出会い多分ないと思うんですよ。
板井恒理
5年で辞めて先生になりたいと思うから 多分認めてくれたはずやけど
やっぱり今なによくそんなの正直に言いましたねって 言われるんですよね
普通だって5年で辞める人取らへんでみたいな
近藤淳也
ちょっと変わった会社ですよね リクルートも
やっぱり本音で話聞いてくれる感じは あるのかもしれないですね
板井恒理
だから学生の頃ってそんなの分からないから
結局いい出会いをするために やっぱりちゃんと自分の話をするべきだと思うんですよね
誰にでも合わせれる自分を演じて どっかに入れてもらうみたいなのを
後々考えたら恐ろしい話じゃないですか
近藤淳也
いやそうだと思いますよ
板井恒理
比較的こっちを教えられてますやっぱり
近藤淳也
今もそうですか
でもなんかそれ
僕が思ったのは
なんか大学受験もそういうとこあるじゃないですか
なんかもう何したいかよくわからんけど
板井恒理
めっちゃ行きたいことにして
めっちゃ頑張るみたいな
近藤淳也
でも本当は何したいっていうのは 誰もわかってないみたいな
なんかすごいあるけど
まだ世間知らずっていうか 世の中にこと全然わからないから
とりあえず頑張っていっとけみたいな ギリギリなんかわかるんですけど
板井恒理
わかりますわかります
もうなんか22歳とかになってきたら
近藤淳也
いやちょっとそろそろキツないですかそれっていう感じが 僕はあった学生の時に
板井恒理
いやめっちゃそう思います僕は
近藤淳也
でしょ
板井恒理
うんめっちゃそう思います
それを未だにそうやってるんやってるのはなんか
未だにそうだったな
近藤淳也
大丈夫なんですかね日本は
板井恒理
大丈夫じゃないでしょうかね
そうなんですか
近藤淳也
そんな批判的な話になると思ってなかったけど
板井恒理
まあなんかそうですね
ポジティブな部分もあるけど
なんか個人を見たとき
僕は日本がどうとか世の中がどうかは
わかんないですけど
その個人を見たときには
それこそ大学までよく頑張ってきて
そっからまた自分を偽って生きていくんやみたいな
近藤淳也
そうですよね
しかも大学ってちょっと本音で生きれるじゃないですか
板井恒理
そうなんですよ あの時期はね
近藤淳也
自由な やっと自由が
自分の好きなこと好きにできるみたいな
タイムが来て、そのまま自分っぽく行くのかと思いきや、もう一回肩にはめて行くの?みたいなところが、
そうですね。
じゃあ伊泰さんもその辺が課題意識が。
板井恒理
その時だから、今の会社に繋がるんですけど、やっぱりそういうキャリアとか、就活とか、そういう意味で課題意識は結構持ちましたね。
で、リクルート拾っていただいて、入社するという、そんな流れです。
近藤淳也
やっと就職した
(笑)
板井恒理
喋り出したら長いです
近藤淳也
(笑)
板井恒理
それで
板井恒理
リクルートという会社に入ってですね
一番最初は営業をやるわけですけど
飛び込みの日々ですね
飛び込み営業
へー
入社して最初に
名刺を100万円くらい渡されて
町に出て
100人と名刺交換してこいと
近藤淳也
一番多く名刺交換したやつが勝ちだみたいな
本当にそういう感じなんや
牛島悠紀
名刺交換キャンペーンみたいな
近藤淳也
噂には聞きますけど
やっぱり本当そういう感じ
板井恒理
そうです
そこから半年一年ぐらいは
ずっと一日50件飛び込みして
100件テレアポ
へぇ~
やってましたね
近藤淳也
本当にそういう感じなんですね
板井恒理
扱ってたのがアルバイトの求人媒体だったんで
それこそアンノウに飛び込んできて
新さん行ってバイト求めてませんかみたいな影響をするわけですけど
だからね結構しんどかったんですけど
でもやっぱめちゃくちゃたくさんのオーナーさんとか社長さんに会えたんで
なんかね楽しかったっちゃ楽しかったですね
結局だからそれは社会人経験を積むためって言ってやってるわけですけど
1年目にまず僕はだから今まで大学でキャプテンやったりとか
収穫も言っても、認識制取り来るとしか 受けてないし、なんか調子に乗ってたんですよ。
で、なんか同期で入社した人も体育会の人いないし、 楽勝やなと思ってたら、全然売れなくて。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
いやもう1年目全く売れなくてですね。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
毎週毎週金曜日に「やめろやめろ」と上司に言われる。
近藤淳也
へぇ~。第三でも?
板井恒理
いやでも僕はそもそもしょぼいんですよ、ほんとに。
牛島悠紀
いやいやいやいや。
板井恒理
いやもうほんとに。
高校入った時もめちゃくちゃ下手だったんで、レギュラーになるまですごい頑張ったし、頑張ったっていうか、要はしょぼかったんですよ。
社会人になってもしょぼかったし、なんなら社会人の時はしょぼいことに気づくのに半年かかりましたからね。
牛島悠紀
なんか俺がしょぼいんじゃなくて、周りが運がいいだけって本当に思ってました、半年ぐらい。
近藤淳也
へー、そうなんすか。営業は上手そうですけどね。
板井恒理
いやだから、おかげさまでじゃないすかね。
でもこれも話すとまた長くなるんですけど
やっぱ最初の営業って
僕リクルートの時もプレデンシャンもそうなんですけど
まずは肩にはまるんですよ
いわゆる手張りの衆みたいなもんですよね
どんなパーソナリティだろうと
やり方は教わった通りにやれと
まあシンプルに教わった通りにやって成果出へんやったら
数を増やせ
教わった通りにやらへんやったら成果出せ
こんな選択できるやつなかなかいないじゃないですか
本当はいろんなやり方があるはずなんですけど
教わった通りにやって、他より数をやればいけるんだっていう世界でやろうとするから。
要はこの時でも個性もくそもない戦いをするわけですね。
この時はほんまに売れなくて。
何年かつって本音が出てこないというか、
求人広告なんて、例えば1Kサイするのにアルバイトで10万くらいかかるわけですよ。
その辺のコーヒーショップに飛び込んで、
バイトが「もうやめてもうたんや」って言われて、
じゃあ乗せましょう、フロームエンドって言ってですね、
4、5万の枠を乗せるんですよ。
でも、応募が来ると限らない。
だから1週間乗ってるときに、
「応募来てますか?」って出ましたら、
「伊太君、全然受けへんで」と。
乗ってる、ほんまに。みたいな。
で、1週間経っても、電話かけても、
「全然受けも、応募受けへんで」って言って、
掲載が終わってしまって、翌週行くじゃないですか。
伊太君を信用して掲載したのに、
5万円も払って、
「伊太君ね」と、
5万円払うためにコーヒー何倍売らなかんか知ってるみたいなことを1年目でいろんな人に言われるわけですよ。
マジで詐欺ちゃおうかなこの仕事って一時期思ってた。
思ってるけど売ってこいって言われるじゃないですか。
売らないと殺されるんですよ、簡単に言うと。
近藤淳也
もうなんか聞いてるだけでしんどい。
板井恒理
その時は本当に僕はもう詐欺みたいな仕事やと思ってしまっていたし、
その結果、成果も出ないし、お客さんも喜ばないし、で、売れるかって言ったらそんなに売れないし、
ほんまね、半年間たぶん鬱になりかけましたね。
しかも当時付き合ってた同期の女の子が先に鬱になってた。
近藤淳也
あらあらあら、同じ職場で?
板井恒理
そうですそうです。
うわー。
いや、もうだから1年目は地獄でしたね。
近藤淳也
この辺は結構僕、キャリアを考える上でリクルートで勉強させてもらったことかなと思いますね。
板井恒理
じゃあそれでどうなっていったんですか、伊泰さん。
1年目で病気に、もう病気鬱になりかけた時に
求人広告って、原稿を僕自分らが作るんですけど
とある企業さんで、2週連続企業の住所を間違って掲載してしまったお客さんがいるんですよ
だから応募はたくさん来るのに住所間違ってるから誰も面接に来れないみたいなことが
2週連続で起こって、それを向こうの社長が先に気づいて怒りの電話をかけてきたんですね
で、上司出せって言われて、上司と一緒に営業行ったら、謝りに行ったら、2時間ぐらいリクルートの説教されて、リクルートの悪口は言われわけですよ。
「中小企業舐めとるわ」みたいな。
で、2時間喋りつくしたときに社長が、「ところでな」と。
近藤淳也
「伊太君、僕は親卒の君を見て、君はこういう仕事をするタイプだと思ってないよ」みたいな話をね、こんこんとされたんですよ。
急に?
板井恒理
だから2時間ずっと上司に怒りをぶつけた後で、「イダイ君ね」と。みたいな。
近藤淳也
でもすごい人見てるじゃないですか。
板井恒理
めっちゃ人見てるんですよ。そういう人たくさんいる。いい仕事なんですけど、成果を出せと言われてる僕はその人のことが見えてなかった。それまで。
言い方はあるんですけど、毎週毎週掲載してくれるありがたいお客さんぐらいしか思ってなかったんですけど。
その話をコンコンとされて、元はいい人間がこんなふうな仕事をしてしまうようになったのは上司お前のせいじゃんかと。
というふうに上司を怒って、こんな話を全部聞いた上で、
「俺、忙しいのに2時間時間割いてる意味わかるな、お前」って言って、
担当会あるか会えへんかしっかり考えて、連絡してこいって言われて。
僕、そこまでだからもうずっと業績をやらないと怒られるのが嫌だって仕事してたんですけど、
こんなに自分のこと見てくれてる人がいるのに、
なんかそこに向き合えてないことに、すごい申し訳ない気持ちとちょっと嬉しい気持ちが出て、
オフィス出た瞬間にボロ泣きして、ドラマみたいに上司のスーツの裾をつかんで、担当を続けさせてくださいみたいな。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
で、続けさせてもらったんですけど、やっぱりその時に僕の中で売れるっていう概念がですね、
要は売れるっていうことは人に信頼をしてもらうことの積み重ねっていうかね、
結局それの集積でしかないはずなのに、そうじゃない売り方をしようとしたら自分がキモいと思ったんで、
売れてるってことは信頼が一番多い人だっていう風に自分の中で意味を置き直してみたんですよ。
仕事の仕方も仕事を取るっていうよりは、要は効果が出るとか、人が来るとか、悩みに寄り添うとか、お客さん何求めてるんだろうみたいな、結構目が向くようになったんですよ。
今までは話聞いてるよって聞いてなかったんですけど。
これはやっぱり営業長いんで思うんですけど
ちょっとプルデンシャルの時めっちゃ売れてる先輩がよく言ってたんですけどね
結局何でも売れるんですと
こっちのシナリオがあるから
僕はそう結構営業としては良いと思ってます
だから相手が何言ってよと
そう言ってくれたらこのシナリオに持ってくるんだ
みたいな絵図ができてるんですよ
近藤淳也
だから聞いてるより聞いてないんですよ
板井恒理
なんか左右何お困りですかとか言ったら
だいたいこういうお困りしか出てこないというパターンがあるんで
そのパターンが出てきたら この商品に落とし込むみたいなのがあるの
牛島悠紀
はいはいはい
板井恒理
これほんまにあります 保険なんか特にそうです
だから話聞いてて 聞いてるようで聞いてない
をずっと半年ぐらいやってたんですよ
実際に耳傾けてみたら
当然ですけどみんな いろんな思い持って採用してるわけですよ
10年勤めてくれた人が辞めて すごい卒業式までやって
みんなで泣きながら 次もこんな人来たらいいねって言っている
近藤淳也
という採用と、一人一人足りひんねんが同じ意味だったんですよね。
板井恒理
そう、なんかそれが理解できるようになってから、
まあちょっと恐縮ですけど、めっちゃ売れるようになったんです。
近藤淳也
へぇ~。
板井恒理
めちゃくちゃ売れるようになりました、ほんまに。
なんかもう、片手で数字がいければなりました。
へぇ~。
近藤淳也
片手で数字がいけるんだ?
板井恒理
なんか要はもう、両手いっぱいで一生懸命やらないと、
目標達成しない時代から、
なんかもう本当に、片手でいけちゃうみたいな。
近藤淳也
そうね。
板井恒理
ペーパーはほぼ100点とった自信あるんですけど
面接で落とされたのを
私理由はよく分かってて
体育の先生が3人が座っているところに
年ぐらいの受講生が並んで面接受けるんですけど
ま、整った人から手挙げてしゃべってみたいな
皆さんは奈良県の先生になったら
何したいんですかとか色々聞かれては
答えていくんですけど
最後の方に皆さん体育の先生になったら
体育教官室に先輩がいますと
皆さんはこの先輩とどう付き合っていきますか
みたいな質問があって
一番最初バーってあげて
やっぱ先輩らも
いろんな教育に対する思いがあると思うんで
お互いにどんな教育が理想かっていうことを
話し合いながらせっさたくまして頑張りたいです
みたいなことを言ったんですよ
僕の中ではなんか無難っていうのも ありますけど
普通のことを言ったつもりなんですけど
近藤淳也
- 生意気って感じ? - そう
板井恒理
残りの人はバッて上げて
自分みたいに未熟な人間は
近藤淳也
- あ、そういうわけかのこと - そうそう
「先輩は言うことすべてだと思って」みたいな
牛島悠紀
あ、そっちがもう考えとる
近藤淳也
「やべー」みたいな
牛島悠紀
え、私絶対言ったことの方がいいと思います
板井恒理
5年社会人やってると
牛島悠紀
どっちかというと社会人はこっちの方が正解なんですけど
板井恒理
そうじゃなかったし
近藤淳也
その後の。まあそうね。新卒っていうかさ。新人の人としてはっていうことなんですね。
板井恒理
その後グループ討議も面白くて、食育って黒板に食育って書いてて、今から食育についてグループディスカッションしてください。
どういうことってなるじゃないですか。ビジネスで言うと。どういうことってゴールがないわみたいな。
Aさんがバッと手をあげて、食育とはっていう教科書に書いてるようなことをしゃべり出すんですね。
Bさんが次に手を挙げて Aさんの言ったことに加えてって言って教科書に書いてることを言い出すわけですよ
みんながじゅんぐりに食育の話をするんですけど
これなんなんやってたの?
近藤淳也
どこにも向かってないってこと
牛島悠紀
なるじゃないですか ビジネスやってたら
我慢できなくなって ちょっと一回論点整理しましょうかみたいな
板井恒理
奈良県における食育の意義の話になってる気がするんでと
牛島悠紀
一応ここに集約されて話をしたいんですけどみたいなふうにちょっと持ってったら
板井恒理
それこそさっきと一緒なんですけど面接終わって出て行ったら
何ですか今のグループ討議はと
こんな学校で習ってませんみたいなこと言われて
めちゃくちゃするんじゃないですかみたいなこと言われて
僕だけ落ちてました
近藤淳也
そうなんですか
勝手に話を自分の持って行きたい方向に持って行った人みたいになってる
板井恒理
ある意味職員室はそれは絶対ダメなの
っていうのは後で知ったんですけど
そんな経験があって
もうリクルートで5年働いてたら
経営を絶対に伝えていたらもっと影響力があることを色々できるようになってきたし
教育っていうのを現場でやらなくてもビジネスでもできんじゃんかって思い出してたんですよ
その時落ちてしっかり自分をフルに出して諦めて
社内企業みたいな形で
近藤淳也
それって海外の学校でも同じなんですか
板井恒理
いや絶対違います
近藤淳也
ですよね
板井恒理
絶対に違います
近藤淳也
なんかアメリカとかそういう感じじゃなさそうですよね
牛島悠紀
絶対違うでしょうね
板井恒理
だからやっぱずっと教育に触れていると、今もだから実はね、退任した校長先生と毎月定例セッションしてて、
日本の教育ってどうなんですかみたいな話するんですけど、もうやっぱ組織がもう、
その先生曰く組織がもう死んでると。
近藤淳也
まあ和を盛んじるっていうか。
板井恒理
まさに。だから戦後から何も変わってないと。
言い方ですけど、軍隊みたいなもんやと。
でも学習指導よりは変わってんすよ。
対話的、想像的とか言ってるんだけど、やり方が先生分からないんで。
っていう、そんな感じですね、日本は。
近藤淳也
なるほどね。
板井恒理
これをして日本をっていうのはちょっと違いますよ。
そういうふうに見える部分はある。
牛島悠紀
多いかもしれないですね。
まあ、分からなくもないけどな。
近藤淳也
僕はあの子供の小学校の入学式とか授業3巻ぐらいはなんかこう普通にいけてたんですけど
中学校の入学式がうーってなったんですよ
こんな言ったらまた悪いですけどうーってなって
なんかゾッとしてなんか聞いてたら先生の話
この辺から「あかんねや僕」って
板井恒理
あかんじゃ…
僕がしたら感度がいいなと思いますけどね
近藤淳也
そうですか
自分が子供の時もそうやったかもしれないですけど
今、授業参観的に行った時も
「もう中学やで」みたいな
まだ肩にはめるみたいな
板井恒理
肩はめ系の話が多いですよ
近藤淳也
「いやいやいやいやいやいや」みたいな
板井恒理
ちょっとだんだん「ふぅ」ってなってきた
わかりますね
近藤淳也
ちょっとダメやな、これ以上言うと
いやいやいや、敵に回してしまったらね。
牛島悠紀
難しいですね、なんか本当に。
板井恒理
じゃあビジネスで教育に携わるっていう方法があるんじゃないかって思った。
だから、あれですね、その頃から社会貢献で飯を食うみたいな本とかを読み出してですね、
へぇ〜 だんだんNPOとかの世界で
ちゃんと世の中変えてる企業とかがだんだん見当たってきて
せっかくこのRecruitっていうでかい会社にいるんだから
このリソース使った教育事業とかやりたいなみたいな中で
そのキャリア教育プロジェクトっていうのを事務局を2年やったんですよ
近藤淳也
あ〜そうか Recruitの中で
板井恒理
そうです キャリア教育プロジェクトを始めたんですよ
でもそれ進路指導にかなり近い そうですだから僕なんかでリーチできるなと思うんですよ
近藤淳也
ですね はいはいはい
板井恒理
しかも立ち上がったのは、リーマンショックで人が「かー」って辞めた後で、
もう一回組織に元気をもたらすためのエンジンを作るっていうのの中で、
社会貢献ちゃんとやろうっていう。
近藤淳也
はいはいはいはい
板井恒理
で、2年あって、結局お金にはならないわけですよ。
牛島悠紀
うーん
板井恒理
だから、役員会とかにプレゼンに行くと、
結局これは従業員のモチベーションアップとか、ロイヤリティ向上のためでしかないと。
近藤淳也
うーん
板井恒理
(笑)
だから、当然次にもう一回リーマンショックとか来たら、
なくなるやろうなみたいなことを感じたときに
そこまでリソースあっても自由にできないし
そこまで投資ができる事業にならないってなったときに
牛島悠紀
会社でやるのも違うなみたいな
板井恒理
だから独立しようかなと思ってた矢崎
板井恒理
プルデンシャルという会社から
ヘッドハンティングされたっていう感じです
近藤淳也
それがまた偉い業種ですよね
板井恒理
みんなに言われましたよ
お前キャリア記憶やりたいんちゃうんかみたいな
遠回りしとんねみたいな
まあ単純にお金にならないからこそ お金にならない時間を我慢するために
結構ちゃんとお金貯めようと思ったら その時
特に子供2人いてたんでその時期で
プルデンシャルっていうのは ほぼ個人事業みたいな働き方で
奥さんも仕事してたんで 週2回しか出社しなくていい
それで青天井で稼げると
2年間そこで奥さんはリクルートとか やりたいことやりながら
僕はプルネンシャルで働いて、5000万ダメよって思って
近藤淳也
5000万?結構長く進んだね
板井恒理
でもね、もうプルの知ってる人はみんなそうだと思うんですけども
あの説明会とか行ったら
もう本当にあのとんでもない金持ちのおじさんが出てきてですね
急になんか時計チラチラチラチラ見せてくると思ったら
これねいたいさんパテックフィリップですと
200万ですと
近藤淳也
200万?
板井恒理
200万とかね
近藤淳也
うんうんうん
板井恒理
もうこれ見おかしに金をちらつかしてくるわけですよ
僕はリクルートにいたそういう世界も知ってるから、
「すごいですね」みたいな。
で、うちの会社は、
一番稼げない人で、
完全売なんで、年収4万の人がいますと。
「さすがですね、厳しいですね」
一番稼げる人で、1億2千万の人がいますと。
近藤淳也
「おおー!」ってなるじゃないですか。
板井恒理
「なんじゃそれは」と。
で、リクルートっていう会社にいたのに、
ヘッドハンティングとかそういうフールコミッションの世界も知らなかったんで、
ちょっと勉強したいなと思って入る気なかったのにずっと先行を受けてたんですよ
へぇ~
で、なんか最終先行で
一番面接始まった時に行く気ないっすよつって
行く気ないけど来ましたっていう話をしたら
もう伊太さんが来る気ないのはよく分かりましたと
ところでね、伊太さん世の中には2種類の人間しかいませんと
こういうのがプルデンシャルっぽいと思うんですけど
人間にはもう目の前にいろんなチャンスが流れてますと
このチャンスはどこに繋がってるか分からないけど
そのよくわからないチャンスを ただぼーっと眺めているタイプの人と
どこに行くかわからないけど 掴んで追いに行く人しかいないんですよ
「伊太さんどっちですか?」って言われたら カッチン来て
近藤淳也
分かりやすいな それのスライドルには
牛島悠紀
すごく分かりやすいです 掴みますって言っちゃった
板井恒理
でもあれなんですよ 一応僕理念とかですね
理念というかやる意義は好きなタイプなんで
日本の保険おかしいなっていう話は、もう大納得してたんですよね。
親の入ってる保険も意味不明だし、
何より自分が保険入ってるのに死んだらいくら入るか知らなかったことを気遣された時に、
やばい業界だなと思ったんですよ。
真剣に考えてくださいと、二人子供がいて、自分死ぬじゃないですかと。
奥さんと子供3人で生きていく時に、いくらあったらいけるか分かりますって言われた時に、
考えたことないわと。考えたことないので月7万保険払ってるんですよ。
やばいと思って。
そういう意味ではやる意義がすごくあるなと思って入った
近藤淳也
プレデンシャル生命保険で生命保険を売ってたんですよね
板井恒理
そうですね個人向け法人向け
近藤淳也
それがもうみんな完全部愛生で
板井恒理
完全部愛生で
近藤淳也
でじゃあ入って1億2000万稼いだと
僕が稼いでないですさすがに
牛島悠紀
えってなんだろう
板井恒理
リアルな話は
近藤淳也
4万じゃなかったでしょ
板井恒理
いや、あの、まあまあ、ぶっちゃけ、そうですね、3000ぐらいは行けたと。
近藤淳也
おお、すごい。
板井恒理
でも、上限があるんですよ、2年間はね。
近藤淳也
ああ、そうなんですか。
板井恒理
溜まっていくんですよ、これが。
近藤淳也
ああ、そうなんですか。
板井恒理
最初めちゃくちゃ頑張ったんですけど、飽きちゃったんですよね。
飽きたんですか。
なんか、そんな高尚なことは言ってたんですけど、実際この会社は何で売ろうっているかって言ったら、法人の節税保険だったんですね。
近藤淳也
ああ。
板井恒理
売れてる人ほど法人をやってて、その人たちっていうのは企業の儲かった金を保険に入れてもらうってことで、税金対策する分を手数料としてもらってる人たくさんで、
その会社の社員の給料は低いままなわけですよ。
「なんやそれは」みたいな。
そういう人たちがハワイ行ってみんな金持ちで
みんなブラックカードカードをピラピラしながら
ドヤみたいなやってる世界には
ちょっとあんまり情熱は湧かなくて
そっからすぐプロボノってのを始めたんですよ
NPOのボランティアみたいな仕事ですね
板井恒理
世の中の社会人のスキル持った人たちが
NPOの事業計画考えるとか
ウェブページ作るみたいなそういうプロジェクトがあって
それでキャリア教育をやっている会社のNPOの支援とかをしてた。
で、まあ、苦しくも前の奥さんが京都でNPOを立ち上げたっていうのがあって、
そっちの経営企画とかには参画して、
もう保険の仕事2割ぐらい残りはもうNPOみたいな。
近藤淳也
それが最初に言ってた奥さんが京都でっていう話ですね。
板井恒理
そうですね。でも奥さんはね、リクルートの時にやってるんですよ。
リクルートでやって結婚して、僕はプルネイション行って、
牛島悠紀
彼女は産休してる間にNPU作ったみたいな感じですね
近藤淳也
こっちの方はめちゃくちゃ楽しかったというか
板井恒理
学生支援とかをやってたんで
まあ全然お金にならないんですけどね
だからプルデンシャル行って
お金稼ぐってことはやったんですけど
やっぱり思んないなっていうので
早くもキャリア局で独立したいなみたいな気持ちで
NPUもちょっと近い分脈のもんだったんで
そっちに結構パワーを入れ出したと
近藤淳也
はいはいはいはい
板井恒理
で
近藤淳也
いよいよクレドシップですか
板井恒理
一応クレドシップ行く前に
ここの経験も少しだけ話をしていきたいんですけど
NPOをヨメさんと元ヨメさんと
僕と残り3人の5人のメンバーでやってたんですけど
めちゃくちゃいい活動だったと思っています
未だにそのNPOで知り合った若い子ら
今というと30になってますけど
そういう子らとも繋がってるし
いい活動してたなと思うんですけど、ボランティアだったんです。
だからやってるメンバーは、いい活動だけどしんどいってみんな言ってる時期に、
ちゃんと収益上げようって事業計画考えて、こういう寄付をもらいに行きましょうみたいなことを僕はやっとたんですけど、
なんかその組織のあり方として、そういうお金をもらい方ってどうなのみたいなのが、ちょっとコンフリクトを起こすようになって、
結果的に盲めたんですよ、めちゃくちゃ。
奥さんともやめました、僕は。
牛島悠紀
(笑)
近藤淳也
それは他の人も大変ですね。
板井恒理
いやでもね、もうちょっと言うと、
5人いる中で、まず1人のメンバーがちょっと問題を起こしていなくなって、
そう、僕と奥さんだけじゃなくて、
他のメンバーもいろんな意見のぶつかり合いがあって、
という中で、結局奥さんが代表で、僕が経営企画を考える方だったんで、
近藤淳也
ここでバチンとぶつかっちゃったんですけど、
板井恒理
で、辞めるという経験をしているわけですよ。
近藤淳也
やめるっていうのはどっちが?
板井恒理
僕が。
近藤淳也
みたいにさんが辞めた?
板井恒理
はい。
近藤淳也
あー、そうなんですね。
板井恒理
その辺から教育っていうテーマは変わらないんですけど、
収益化するとか、持続可能性がある取り組みってなんなんとか。
NPOでもだってね、そういうこと海外行ったらNPOなんてすごい収入高いわけですよ。
日本なんか本当にみんな160万とかですよ。
支援してたNPOと思って、
国から、なんか補助金入る年だけ人を雇って、
武券渡しとやめていくみたいな
近藤淳也
なんかね
ノンプロフィットなんで
ただでやるのが筋だろうみたいな
なんか妙な研修じゃないけど
ありますよね
板井恒理
なぜかみんなそう思ってるんですけど
近藤淳也
収益上げてはいけないって書いてないですからね
僕も一応今NPOの代表理事やってるんですけど
知ってますか
板井恒理
それはトレイルランド
近藤淳也
死外死亡と、なりゆきで代表しなくちゃいけなくなっちゃって
元は違ったんですけど、代表とは
やってますけど、できるだけ、だから逆に利益残さないようにも
余裕があったら配るっていうか
貢献度に応じてみんなで分けようみたいな感じでやってますし
最高じゃないですか
そうじゃなきゃね
板井恒理
そう
近藤淳也
って言っていながらあんまり残ってないんで申し訳ないです
コアメンバーほど 割と持ち出しが多いけど
大会やった時に ボランティアで
すごいたくさんの人が 大会運営に携わってくださるんです
200人とか人集めるんですけど
最初はやっぱ思いだけで
とりあえず面白そうなんで 出てきてくれるんですけど
やっぱそれを 大会がずっと続いていくためには
いつもその行為だけを 当てにしてやっていくのは
やっぱり続かないんじゃないか っていうのは
結構コアのメンバーで言ってて
板井恒理
まあそれはこの年次の人たちはそうで
今で言うと僕は社会人でも全然いいと思ってますし
世の中のコーチングとかって
僕はそれに近い領域だと思ってる
確かに
っていうのを志して起業しました
近藤淳也
なるほど
来た クレドシステムって来た
板井恒理
すみません皆さんお待たせしました
近藤淳也
それ200何年創業
板井恒理
2014年ですね
近藤淳也
2014年、今から、なんだ、8年、9年前。
そうですね、9年前ですね。
板井恒理
保険の代理店でご飯を食べるっていうので、個人事業で独立してから、
結局法人さんと取引するときに法人じゃないと困るっていうことが増えてきたんで、
結果的に法人にしたっていうのが実は始まりではあります。
やるんだったらキャリア教育市場を作りたいというのが初めて
いろんな大学生に出会いましたそこから
元々元読みさんとやってたNPOで
いろんな学生と多くの接点があったんですけど
そんな中でうちにインターンシップ来たいみたいな子が来てくれて
その子らと一緒にキャリア教育事業というのを作って
アウターンというプロダクトを最初作ったんですけど
これは世の中にある企業さんと学生を 1対1でマッチングして
まあ企業の社長さんってやりたいこといっぱいあるけど
リソースないし時間がないから やれてないみたいな思いがいっぱいあると
それでそれを学生にも思いのまま喋ってもらったら
学生がそういう事業計画にして持ってきますよっていう
成果報酬型のインターンをやり始めたんですよ
学生発案で これめちゃくちゃ面白くて
でも俺また儲かんないわけですよ
近藤淳也
(笑)
板井恒理
みたいなことを狂いかしてる中で、やっぱりポートフォリオじゃないんですけど、キャリア教育育てたいけど、
すぐに収益化して出口ビジネスにしちゃいけないし、本質的なことを追いかけたいから、
時間をかけて、ここには研究開発的にやっていくの代わりに、そこに投資できるお金を集めるために、
研修とか、作業のコンサルティングとか、あとは計算所から補助金もらってやってるIT系の事業があるんですけど、
そういう事業を始めて走ってきたという感じですね
近藤淳也
最後は結構早かったな
板井恒理
いやいや ザクっと言うとね
近藤淳也
キャリア教育は広がったんですか? 試乗ができたんですか?
板井恒理
広がるのと広げるのはよく違うという
近藤淳也
NPU時代に僕らの中で名台になってたんですけど
板井恒理
いいものを作ったら勝手に広がっていくっていう世界観とですね
でもリクルートにいた感覚で言うと広げるっていう力が必要なみたいな感覚があって
僕の中では学習塾に代わるものを作ることは難しいけど
企業はやっぱり自分らしく働くことで生産性が上がるってことにすごい注目しだしてると思っててですね
よく例えばGoogleさんの心理的安全性の話とか有名じゃないですか
要は一人一人がある程度自分に安心感を持ちながら想像的に働くことっていう企業はすごい期待してるんで
キャリア教育的なものに研修費用とか組織開発でお金を投じてるなっていうのをすごく感じたんですね。
そこからLLPですね、うちもLLP実はプランCっていうのを作ってて、
要は企業の組織開発をテーマにした取り組みっていうのを何回かやってきてですね。
学校では絶対出ないようなね、コーチング、システムコーチングとか組織づくりとか人の関係性みたいなものにどんどん企業にお金を投じるようになってきたんですね。
こういうプロフェッショナルで システムコーチングを勉強してるみたいな人がたくさんいるんで
この人たちとLLPを作って いろんな企業の課題解決をする
このモデルをもっと全国各地に うまく広めていけるといいなみたいなことを
ちょっとやってはいたんですよ これはすごい可能性を感じましたね
そうか じゃあキャリア教育っていうのは 例えば就職が近づいてきてる大学生が
近藤淳也
どこに就職しようかとか 何の仕事に就こうかなみたいなことを
考えていくというか 決めていくところだけじゃなくて
近藤淳也
社会人の人もずっと続くんですか キャリア教育っていう
板井恒理
今は思ってますね
キャリア発達っていうのが いわゆる自分らしく生きるという
そういうテーマを掲げてるものだと僕は思っていて
キャリア発達をするってことはね
よく言われるのは、キャリアっていうのは、未来に向けて何か計画を立てるってことじゃなくて、自分自身の意思決定の積み重ねで、後にできた泡立ちのことだってよく言われるんですよ。
要は、その瞬間その瞬間、何を大事に意思決定をしてるかってことが大事だと。そういうふうには結構すごく思っていて、未来のことはわかんないじゃないですか。
スティーブ・ジョーズみたいな話になりますけど、コネクティングドッズみたいな話になりますけど、
今自分がどういう意思決定をしたいか判断をしたいかの積み重ねっていうことをちゃんと教えてあげることが
僕の中ではキャリア教育だって感じてて
こうやったら正解ですかってよく言う人いるんですけど
どうしたいのっていう話だと思って
その意思決定の基準となる自分を知ることとか
意思決定してそれを少しずつ自分の成功体験に変えていくっていうことを伴奏していくみたいなのが
キャリア教育だと思うと結構生きの長いものだと思うんですよね
その瞬間のどこかに進路を決めるという 意思決定の瞬間があるだけなんで
ちゃんと自分で意思決定させるという支援が できることがキャリア教育ビジネスだと
そうなったときにまずはお金が潤っている 企業の研修市場とかをやりたいというのが
牛島悠紀
今の考えではあるんですよ
近藤淳也
まあそれもそれで意味がありますよね
とは思います
じゃあ実際仕事としてもそういう企業の中での
社員さんの教育みたいなところが大きいんですか
研修か
板井恒理
そうですね
キャリア教育の分脈で言うと
今はそこでの収益化が一番大きいです
でも2017年ですかね
その経産省の補助金取ってしまってからは
近藤淳也
取ってしまってから
板井恒理
これもね
近藤淳也
あれあれ
取れて嬉しいもんじゃないですか
板井恒理
さっきのキャプテンの話に似てますけど
あんまり自分で意思決定してない気がします それに関しては
要はそういうビジネスアイデアを考えて
とある企業さんにこういうのやらはったらどうですかって話をしてるうちに
自分の会社でやりやと話になってきて
ちょっとぐらいいいかなっていう
ちょっとぐらいやってみるかみたいなんで
やっていくうちにこれ保証金つけれると思いますよっていう
とあるアドバイスをいただいて保証金出したら通っちゃって
6千万使えと6千万というか9千万ですね
近藤淳也
9千万?
板井恒理
9千万使って6千万の補助金出るっていうのを取っちゃったんですよ
近藤淳也
あ~
そうか3分の2
女性の補助金で3千万は自分で出さない
板井恒理
そうですそうです
それでまぁ
一応なんかある種こうね
人材業界向けの営業支援ビジネスみたいなもんなんで
なんかこう売れる先もあるし
ネットワークもあるし
なんか売れるイメージもあったんで
始めたわけですけど
やっぱり授業を立ち上げてパワーがかかるじゃないですか
近藤淳也
(笑)
かかりますよね
板井恒理
だから正直本当に最近までずっとそれに熱中してせざるを得なかった
っていうのはありますね
だからそのLLPとかも今はほとんどできてなくて
でも代わりに自分の組織でキャリア教育的なものをやってみようっていうふうには思ってて
それはアンドゥートの出会いにもつながってくるんですけど
保証金を取ったから、僕は別に会社でかくしたいとか全く思ってないですよ。
要はそういうプロダクトとかサービスを作って、
いろんな人がそれを世の中で使ってもらえれば、市場ってできると思ったんで、
別に自分の会社をでかくしようとは全く思ってなかったし、
でも保証金を取ったから人を雇わざるをやる。
それをみんなに言ってますよ。
うちの社員の皆さんにも言ってて、雇わざるを得なかったから始めたんで、
初めて見て思ったのは、キャリア教育のクレドシップさんは、従業員の人たちはキャリア教育されてるんですか?みたいなね、自分の中には問いがあって。
うちの会社で働くうちを誰よりも主体的、創造的に働ける組織にしたいっていうふうに思い出してから、自分の会社の組織づくりっていうのをこの数年間は頑張ってきたっていう感じですね。
結論から言うと失敗したと。
近藤淳也
それが最初の冒頭。
戻ってきました。
じゃあ 最初アンノーに入られた時とか 結構たくさんの方いらっしゃいましたけど
あの皆さんがされてたのは 補助金が出ていたシステム開発
板井恒理
そうですね 一応 事業名はスカイスクレーパーと呼んでまして
近藤淳也
スカイスクレーパー マテン堂
板井恒理
世の中にある求人広告データを 一日10万件ぐらい全部かき集めてきてデータベース化するっていうのを
近藤淳也
1日10万件の求人情報を集めてきてデータベースにする。
板井恒理
何億件のデータを持っているんですけど、
もともとこれは、僕がリクルートにいた時からやってた取り組みではあるんですけど、
話は長くなるので割愛しますけど、
このデータは色んな用途で売れるんですよ。
その事業に、みんなメンバーとして参画してもらって、
近藤淳也
そうですよね。
それがこの数年だと、事業としては大きかったと。
板井恒理
そうですね。
割と新年系補助金という補助金なんですけど、
この補助金を取ってここまで生き延びている会社の方が少ないんで、
そういう意味ではみんなめちゃくちゃ頑張ってくれて。
近藤淳也
補助金の意味あるんですか?
板井恒理
いやでもそうなんですよ。補助金ってそういうの多いですよ。
でも多いと思います。
残らないんやったら、余計大変ですよね。
近藤淳也
大変ですよね
板井恒理
でもやっぱり補助金を取ってしまうと
その事業にかけていきなりでっかい投資をせなあかんのですよ
2年間の間に
その投資を追いつけるだけの収益を上げるっていうことができる会社は少ないですね
うちも最初に補助金でこういうプロダクトを作りますっていったもの自体はそんなに売れなかったんですけど
このデータベースから他のいろんな派生のサービスを作ってなんとか繰り繋ぐみたいなことをやってて
そういうのって他の会社さんでは なかなかここまで柔軟にできないんですよね
特にシステム作るとかだったら だからほとんど失敗してるという気がしますね
近藤淳也
うーん
なんか良いんか悪いんか
でも売れてるんだったら良いんじゃないですか 何が失敗だったんですか
板井恒理
えーっとね
ここの辺はね ちょうど去年の12月ぐらいまでの話なんで
まだうまく整理できてないという前提で ふにゃっとした話をしますけど
経緯で言うとね
2017年に採択されて
20年、21年に補助金が出て
22年から持続するみたいな感じですね
正直だから本格的にものを売り出したのは
たぶん21年ぐらいから
2年間で結構売上がったんですよね
で、事業としても単体での損益分岐を超えてきたのが
去年のほんと1月ぐらいとか
近藤淳也
すごい
板井恒理
頑張ったんですよ
近藤淳也
すごいじゃないですか
板井恒理
で、そのタイミングで僕実はこの事業から完全に離れたんですよ
1年ぐらい、1月からちょうどほんと1年ぐらいですかね
離れて、あとはちょっとみんなでやってよと
やって、去年の10月ですかね
なんかが業績がやばいと
もうちょっとでもキャッシュがやばいと
みたいな話になってきて
で、中身見に行くと
板井恒理
結構主要なメンバーだったんですけど
なんとなく人って対面で仕事してる時と
オンラインで仕事してる時って全然違うと思っていて
僕は別にリモート推奨なわけではないんですよ
それは彼で言うと人と接する系の仕事なんで
接していると可愛いとか面白いとか
いじりがいがあるとかそういうのが出てきますけど
オンラインのズームだけで繋がる中には
そういう人間関係で生まれてこないんですよ
結果彼の良さってあんまり活かされないまま
どんどん顧客が離れていき
パートナーも離れていきみたいなことが起こっちゃったんですよ
彼だけの責任じゃないんですけど
なんかそういうパーソナリティを理解させてあげた方が良かったし
それでも対面の機会を作るとかってことを教えてあげた方が良かったんですけど
近藤淳也
任せちゃってたんで
板井恒理
結果何が起こるかっていうと
こっちのパフォーマンスは下がっている
で、副業、兼業、事業なんで副業をいろいろやると
結果的にすごい生産性も下がるし
組織としても弱りましただいぶと
この人何してんのみたいな
そもそも給与事故申告であの人何してんのが出てきたら成立しないんですよ
牛島悠紀
まあ、そうですよね
確かに
近藤淳也
信頼感がなかなか基盤がなくなってきそうですね
板井恒理
結局その信頼感の基盤を何がグリップしてたかって
それ間違いなく僕だったんですよ
僕が立ち上げた会社なんで
僕が文化を作ってるわけだから
僕がいなくなった瞬間に
それはいろんな離犯が出てくるわけですよ
牛島悠紀
離犯というか心離れというか
板井恒理
それをやっぱり半途承知しただけで
近藤淳也
委託組織が傷んでしまったというか
板井恒理
だからね戻ってこようと思ったんです
近藤淳也
要するに物理的な場所で集まって仕事するっていうことになった
やっぱそうですね
オフィスをもう一回作ろうっていう
板井恒理
そうですね
実は原則勤務地自由なんですけど
要は安納にいた時はみんな別に来るわけですよ
来いって言わなくても
要はみんな求めてるんですよね
僕がそれをなくしちゃっただけ
近藤淳也
なるほど
なるほど
牛島悠紀
大事なんですね
近藤淳也
いやー なかなか
常に壮絶ですけどね
割と壮絶めの人生ですよね
全体的に
板井恒理
自分を振り返ると
向こうを見ずに失敗しに行くタイプなんですよ
僕はもう世の中にある基本的なシナリオとかテーゼみたいなのが
好きじゃないんでしょうね 多分
こうやったらうまくいくよねっていうものの向こう側を見に来たすぎるから
あえて失敗しに行くことをよくやっちゃうんですよ
それをすごくこの40年間で感じていて
牛島悠紀
(笑)
近藤淳也
なるほど、まあ好きなんでしょうけどね
板井恒理
そうそうそう
なるほどね
近藤淳也
そうですか
まあ、なん
牛島悠紀
(笑)
どうですか?
いったいさんけそうだったんだみたいな
いや、すごいあの、めちゃ好きになりました
全然わかりませんが、
なんか、すごい深い、人間が深い人だなと思って、
めちゃくちゃ面白かったです。
近藤淳也
今、一体塾。
すごい、なんやろ、
本当にお父さんみたいな愛情を感じます。
板井恒理
そう嬉しいですね。
近藤淳也
結局聞いてたら、
できるだけみんなの、
自分のやりたいことをみんなが気づいて見つけて、
そして自分のやりたいようにやらせてあげたいっていう
愛情みたいなのが根底にずっとある感じはして、
板井恒理
とことんそれをやってるんかなっていう感じが。
いやでもありがとう。そういう言葉にしていただけると、本当そのつもりで。
近藤淳也
みんなもね好きな場所で仕事したかったら 好きにやっていいよって
給料は好きなだけ取っていいよって
みんなに好きにやらしてあげたい思いっていうのが何かって言ったら
なんか愛情って感じがするけど
牛島悠紀
信頼してるんだなみたいな人をちゃんと
板井恒理
そうねこれは難しくて
こうやっぱ自分で会社をやって人を信用しないって
牛島悠紀
なんかそんな無意味な人生あるかと思ってしまう
板井恒理
でもNPOの時とかは一瞬人を信じれなくなったりとかすごくしたし
なんかそれは経営者としてって言えるほど偉そうじゃないですけど
自分との一番の戦いで
信用できなくなった瞬間になんか
こんな会社の仕組みしてる意味すらなくなるし
リスクとって人を信用できなくなりましたっていう結果って
牛島悠紀
アホじゃないですか
板井恒理
なんかそこはなんかすごい
維持に近いものもありますよね
近藤淳也
へぇ~
いや~面白いな
僕はどっちかというと
大学…
肩から逃げてきてるのでずっと
結局
新卒の就職もしてないですよね
板井恒理
一度も
近藤淳也
そうなんですね
もうしてないです
大学すら途中で辞めて
院は行きましたけど
板井恒理
中退してそこからなんていうの普通の就職活動みたいなので就職してないし
近藤淳也
なんていうかもうずっとその肩の外にいるんですよずっとなのでその
まあなりゆき所会社作って人も増えてきて会社っぽくなっていくときにどっちかその肩を壊すっていうよりは
肩を知らないすぎて
こういう風に肩って作ってくもんないかって
どうしてもこの肩だけはつけた方がいいなみたいな感じで
作り続ける方なんですよねどっちかというと
だからその向こう側が見たいというよりは向こうからやってきたみたいな感じ
そうなんですね
今聞いてて思いました
だから肩を壊したいっていうよりは最初からないことにしてる
板井恒理
なるほどなるほど
近藤淳也
なるほど、もう高校ぐらいからそうですね
板井恒理
すごい
ちょっとこれ、この逆アンノーラジオ
ITともありますけど
近藤淳也
いやー、高校ぐらいに制服着ずに学校行くように
だいぶ、それは
牛島悠紀
すごい、それも言えた
近藤淳也
実名理の長さを、こういう承知で先生が測っている高校だったんですけど
そこに私服で通ってました
それはいやもう自転車ではい突っ切る
こんなに汗だくだくで書いてるんやから 制服なの着れるわけないじゃないですかって
言ってないじゃないですかっつって 何故か通してくるっていう
近藤淳也
定規当ててるんすよ横で 横ではねなんかTシャツ着た私服のお兄ちゃんが横通ってったぞみたいな感じになってて
板井恒理
あれは先生やろうみたいな言われてるかもしれない
近藤淳也
みたいなところからも完全に踏み外してる
牛島悠紀
やっぱりこの肩破り感はその頃から
板井恒理
いやいやいや
近藤淳也
なんかそのもうなんかそのこれもうこれ
意味ないなって思ったんですよな
牛島悠紀
なんか多分もう
近藤淳也
もうこれはそんな意味ないわ
気づけるなんかもうあんまり乗っかってもしゃーないって
なんか多分こう
牛島悠紀
だってみんなそういうのに意味ないって
言うことも気づいてない
近藤淳也
いやーどうですかね
板井恒理
まあちょっと僕の場合は
そう考えるいとまもない人多いですよね
牛島悠紀
ね、こういうもんだって
近藤淳也
伊泰さんは一旦、思いっきりやるんですよ。
板井恒理
その、だから
近藤淳也
野球部のその中でも、もっきりやるし
なんかね、就職のそのなんか
牛島悠紀
確かに、そこに一回飛び込んで
近藤淳也
その営業のやつも、もっきりやるじゃないですか
その教えられた通りに一回、もっきりやるとかっていうのを
やらはるから、なんかその向こう側みたいな感じで
牛島悠紀
今度は逆にこう
板井恒理
振り切っちゃうみたいなね
近藤淳也
思いましたけど
牛島悠紀
1個1個全部なんか
今に生きてるなって思いましたね
近藤淳也
そうですねそれは
牛島悠紀
野球部から
板井恒理
ねえ
ねえ
今に生きてる
牛島悠紀
なんかこう
全部それがあったから
今があるっていう
板井恒理
それをねやっぱりキャリアというのかなと思うんですよね
近藤淳也
確かにそれがキャリア
その時々でちゃんと考えて選んだなら
その連続はキャリアってことですよね
板井恒理
結局なんか、すごい人間になったわけじゃないけど、僕じゃないといけないっていうことって結構出てきた気がして、この年になって。
使命感に近いものとかって、やっぱり、そう、やっぱり今この瞬間どう意思決定するか、大事にする社会にしたいなというかね。
牛島悠紀
その方がみんないかされると思いますけどね。
近藤淳也
まあでも、まあでも、普通に会社続いてるんですよね。
板井恒理
何とか。
近藤淳也
それは偉いですね。
板井恒理
いやまあね、でもあれですよ、大きな危機を迎えて、正直だから事業一回停滞するわけですから、いろんなものをちょっと生産をしてるわけですよ。
現実的には、正社員という雇用から辞めて業務委託になってもらっている人もいるし、
結構群れの痛い別れもありましたね。
近藤淳也
まあね、そういう時は
まあでも、それで続けられているのはやっぱりすごいなって思うし
ありがとうございます
ここからはどんな感じなんですか?
スカイスクレーパーはもう終わっているということですか?
板井恒理
いや、今は継続はしています
続いているんですか?
単純に固定費を思いっきり減らして そうすると収益が出るので
一定のサイズ感に戻して 積極的にお客さんを増やすことなく
まずは維持しようと
先々で言うところは 僕はやりたくて始めたわけじゃなくて
なりうきで始まっているところもあるので
目的はキャリア教育授業の再投資なので
これはずっとメンバーにも言ってますけど どっかで売るかもしれないし
それは色んなエグジットは考えてますけど
Cというならもう一回やるときに
自分の組織が一番キャリア教育をしているということを
もう一回追っかけるかどうか
これはちょっと悩んでいます
近藤淳也
どういう意味ですか?
板井恒理
だからさっきの完全自由を保障して
他人評価を排除するという仕組みをしたら
人は主体的創造的になるのかを
自分の組織で実験をしたかったわけじゃないですか
ちょっとうまくいかなかったんです
それは事業がうまくいかなかっただけで
みんなは主体的想像的になれたかもしれない。評価ができなかった。
近藤淳也
どっちが原因かとかが分からない。
板井恒理
続かなかったこと自体は、事業のフェーズとかの相性の問題と、何より僕自身がそこから席を空けたっていうことが問題だと思っているので、
結果やりたいこととして、人の主体性、想像性が育ったかどうかっていうことが、あまり自分の中で検証ができてないんですよね。
だから、それでもう一回やりたい気持ちもあるけれども、でも一方でやっぱり自分という性分からすると、
別にデカい組織を作りたいわけでもないし、なんか人がいたらそこに全力で向き合ってもらう分、
自分のやりたいことを後回しにしちゃうところがあるんで、昔からずっと思ってたんですけど、
近藤淳也
研究者になりたいとかちょっと思ってるわけです。
板井恒理
このキャリア教育みたいなフィールドワークをいっぱいやった後で それを理論的に学び直すとか そういうことに興味があるのはうちの知識筋なんでしょうね
そうなるともう一回会社を立て直して大きくしにいくよりは 正直個人事業とかで全然やれる部分もあるわけですから
そっちに行くのも選択かもしれないねと ここは今決めきれてないです