学校教育と社会の格差
書誌情報メモ。「小坂井敏晶氏オンライン講演会『教育という虚構』」
We-Steins Japan (YouTube)、 2020年3月19日配信、
2時間13秒。以上です。
このYouTubeの動画は、コロナ禍が始まりました
頃の2020年3月に
フランスで
大学の教鞭を取られて
いました小坂井さんが、日本に来たときにオンライン講演会をやった、
そのYouTube(ライブ)配信の
アーカイブですね。それが今でも消されずに公開されているというものです。
そのページを見ますと、
緊急事態宣言が延長されたので、少し
公開時期を延ばします、みたいなことが書いてありましたが、もうそれと関係なく
少なくとも2024年の8月初めの現在では見ることができるものになっています。
で、私この小坂井さんという方
全然知りませんで、孫泰蔵さんの『冒険の書』
を読んでいて、その中で
登場をしていまして、注のところにこのYouTube動画のリンクが書いてありましたので
それを手がかりに今回 見てみたということです。
2時間もある動画ですので 全部きちんと
集中してみるということはまだできていませんけれども、基本的な
考え方は
つかめたと思います。それは
学校というものが 社会の格差を正当化する
装置になっているという考え方でしょうか。つまり、
国民を学校で教育していく。その中で勉強ができる人とできない人に分かれていく。
勉強ができる人は能力が高い人であり社会の上層に行くことができる。そして
多くの収入を得ることができる。逆に、勉強ができない人は能力が低いわけで、それに応じて収入も低く、
社会の中でも下の方の階層に留まる。そうやって社会の中の
ある種の格差を学校教育によって明らかになった
いわゆる能力の格差、
そのことによって正当化すると言いましょうか、
当然のことというふうにみんなが考える。それでこの格差がある社会が安定化している。
そういう話なんだろうと思います。ですので、学校へ行けば、
誰でも能力を伸ばすことができて、より良い社会的地位を得ることができる
というのは幻想に過ぎないということですね。そうではなくて、もうすでにある
社会の格差をただみんなが納得できるようにしているだけだということですね。
まあ、特に
社会の中でそんなに高くない地位にいる人たちが 自分たちがなんでこんな下にいるのか、
生活が貧しいのか、ということを考えたときに、それは自分に能力がないからだ、あるいは自分の努力が足りないからだ、
というふうに考えて諦める。自分に責任があれば他の人を責めることもできないので、
それで社会が安定するという。そういう話ですね。
もしこの格差が自分ではなくて社会の側に原因があるのであれば、社会に対する不満が高まって社会を変えろという力になりますが、
そうではないということを多くの人々に思い込まさせる、そのための
装置というものが学校というものなのだと
いうことで、この講演のタイトルは「教育という虚構」というふうに書いてありますけど、
この教育というのは一般的な意味での教育ではなくて、あくまでも学校教育というものだろうと思います。
こういう議論ですね、これは
ある意味で分かりやすい議論なんですけれども、
この講演会を主催した人たちも言っていましたけども、なんとなくモヤモヤすると。
本当にそうなんだろうかと。学校で勉強することで何かいいことないのだろうかと。
社会的に下の階層にいる人が頑張って勉強して社会階層を上昇するという、そういうことだって
なくはないかもしれませんね。ですけれども、
それが誰にでもできるというふうに言うと、これは嘘になるというわけで、
学校教育と個々の好きなこと
その辺ですね、もうちょっと深く考えたいなというふうに私なんかも思いますけれども、
でも大枠の議論は非常に納得しました。それから最後の方の質疑応答の中での答えとしてですね、
答えというかそういう議論の中で小坂井さんが言っていましたけれども、じゃあどうすればいいのか
というと、結論としてはみんな好きなことをやればいいと。
学校で何かを教えるなんてことはしないようにして、それぞれの人がみんな好きなことをやる、
それでいいんじゃないかと、そういう結論的なお話をしていました。
好きなことといってもですね、好きなことが見つからないという子どももいるんじゃないかという
先生の質問もありましたけれども、そんなことを先生が心配するのはおせっかいなんだという、
だから子どもが好きなことがわからないんだったら先生のほうで教えてあげるなんていうのがおこがましいのであって、
そういうのはやらないほうがいいという、そういうお話でしたね。
それもかなり私納得しているんですけれども、
ただ実際何をしていいのかわからなくなってしまって困るというケースが出てこないとも限りませんね。
例えば、今までずっと夏休みの宿題が出ていたのに、急に夏休みの宿題がなくなって何をしていいかわからなくなる、
なんていう悩みが実際にあるそうで、
Teacher Teacherという別のポッドキャストでですね、そんなお悩みについて答えるということをしていたようですけれども、
私なんかはこの何をしていいかわからなくなるっていうのは一時的なことだろうと思うんです。
まあ 何をしていいかわからなければ、ただ何もしないっていうのも一つの手ですよね。
そうするとやっぱり何もしないっていうのに飽きると思うんですね。するとやっぱり何かし出すんじゃないかと思うんです。
ですので、何もしないということをとりあえずは楽しむ。
夏休み宿題がないんだったら夏休み何もせずにぼーっと過ごすというのも悪くないんじゃないかなというふうに思うんですね。
そんなことをちょっと思いましたけれども、ちょっとですね、まだこの小坂井さんの本などもいろいろあるようですので、
そういった本なども読みながらもう少しこの辺の問題考えてみたいと思います。
また孫泰蔵んの『冒険の書』でもですね、この本に限らずいくつか参考になる本あげられていますので、
そういうものも合わせて読みながら、この辺の問題についてちょっと考えてみたいなというふうに思っています。
それで気づいたことなのでちょっとここで言っておきますと、このビデオの最後で何でも好きなことをやればいいんじゃないかという、
それはまさにこの孫泰蔵さんが 言っていることと同じなんですね。
ということは、この小坂井さんが言っていることを聞いて意を強くしてこの本に書かれているのかな、などというふうにも思いました。
以上です。