このバラモン教の中にたくさんの神様が登場するんですね。
聖典のリグウェーダーの中にいろんな神様が出てくる。
シヴァとかああいうのもそうですね、ヒンズ教で続くシヴァ神とかいるじゃないですか。
シヴァ神聞いたことあるな。
僕も詳しくないしメモってこなかったから忘れちゃったんですけど、いろんな神様が出てくる。
その中の一柱にヤマっていう神様がいるんですよ。
ヤマ。
これは天界の神様、死の世界の神様。
死の世界の神様っているんだね。
っていうのがいるんですよ。
地獄とかそういう意味ではなくて、死んだ後のあの世の王様みたいなイメージですよ。
魔王とかそういう感じではなくて。
なくて、あの世を統括する王様みたいな。
というかこのヤマが人類を作ってるんですけどね。
すべての創造神、これ日本語で言うとゴーって言うんですけど、カルマね。
どれもわからんかったぞ。名前は知ってるけど、単語は。
単語は知ってる。
ピンとこない全部。
魂、いろんな生き物の魂がふわーっといる霊界みたいなのがありますと。
その世界の王様がヤマなのね。
ヤマという王様がいる。
この世界を使っているヤマという王様がいて、この神様が人類を地上に下ろして作る。
植物を作るとかゴマを作るとかやってるわけですよ。
主にこのヤマという神様がされた重要なことは、霊界の楽園を創造したことと、人類とゴマを作ったことって言われてるんですよ。
待って、霊界と人類とそこにゴマを平行に持ってくるその世界線すごいね。
どうしてここでゴマみたいな感じなんだけど。
そうらしいんですよ。
そうなんだ。
このリグベーダーに書いてある。
ふわふわ霊界なんで魂が漂ってるじゃないですか。
これを現世、人間界に下ろす。
いくつかの世界を作る。
今でも日本の仏教の世界で陸道って言って6つの道ってね。
人間道、鬼畜道、畜生道とかあるじゃないですか。
あれを創造したのもこのヤマっていう神様なんですね。
そうなんだ。
すごい絶対神なんですよ。
この絶対神ヤマが創造したものの一つにゴマがあるじゃないですか。
だからバラモン教においてゴマはとても神聖なものなんですね。
清い正常であることの象徴でもあり不滅の象徴でもある。
死ぬということは彼らにとっては地獄に行くとか消えるとかそういうことじゃなくて、
ヤマのいる霊界に行くことなんですよ。
ああそうなんだ。
ふわっとした魂の集合体の中に私も合同でくっつきますみたいなのが良いこととされてるんですね。
その中カルマって言ったら日本語で言うとわざと書いてゴーと読むゴーの世界ですけど、
それはもうねグニャグニャグニャグニャ溶け合ってる状態なんです。
本当の最高の幸福っていうのはいろんな先祖の霊とかヤマの神様のもとで
いろんな先祖の霊とかと一体になって楽園に魂が安置されることを
彼らは素晴らしい人生だというふうに考えてたんですね。
でもそこに行くためには生贄が必要で、ちゃんと儀式をやらないとそこに行けません。
もしそれを怠ると何が起こるかっていうと陸道輪廻がずっと無限に続くと。
陸道輪廻。
輪廻転生ってあるじゃないですか。
輪廻転生あるね。
輪廻良くないことなんですよ。何回も輪廻しちゃってまた原生かよっていう。
人はまた人に戻ることが良くないこと。
もうあるんですよ。そんなことよりも早くヤマの国で魂として楽園に行きたいわけですよ。
これが下脱ね。
下脱。
もうラットレース的な輪廻から抜け出して下脱することを
このバルモン教の中では最高とされてるんです。
へえそうなんだ。
それをやるためには生贄をやらなきゃいけないみたいな感じなんです。
その儀式の時にすごく重要だったのがヤマが作ったものでとても正常なシンボルとなったゴマが絶対必須なんですね。
だからお祝いの儀式だろうが、生贄とか他の祭祀ね、儀式の時にも絶対ゴマ必要だしお葬式も絶対必要みたいな。
へえ。
だからバルモン教を中心とした社会、カースト制度の中では
修道らたちを使ってぐんぐんゴマ作らせるんですよね。
はいはい。
もちろん他のスパイスとかも神聖なものでバンバン作らせるんですけどね。
スパイスでも故障とか不浄なものを払うとかっていう邪気払いみたいな意味もあるらしいので、
こういう社会形成の背景があってこそのゴマの農業発展部分もあると。
はあ、ゴマからしたら偉いところに持ってこられるね。
本当だよね。
ええ、俺こんな使われ方すんのみたいなとこでしょ。
そう、面白いなと思うのはこれエジプトから今ザーッと流れてきましたけど、東に向かってきますよね。
どの文明でもゴマはいいものだよね、健康にいいよねっていうのと、もう一つは神聖なものって扱いされ始めてるんですよ。
もうねバルモン教なんかもう頂点ですよね。
頂点だね。
これが次の時代にちゃんと繋がってくるんですよね。この思想が。
この思想のままいくの。
っていうのも面白いなと思うのが、このバラモン教って初期の生贄の宗教とか、あとカースト制度を取り入れた階級制度とかって、
僕らの現代人の感覚するとなんかすげえことやってるなとんでもねえなって感じするじゃないですか。
なんですけど、この輪廻転生の概念だったりとか、死の世界で魂がぐにゃっと溶け合っている。
バラバラに生きてるんじゃなくて溶け合ってるっていうカルマっていう思想ね。
これまんま仏教に入ってますよね。
ああ、そうなの。
輪廻転生というのはお釈迦様はあるかねえかわかんねえって言ってるんですけど、
でもそのまんま仏教の世界に入り込んでるから、我々は日本でも輪廻転生って言われたら、
あああれねとか、天国と地獄ねとかいう話を受け入れてるわけじゃないですか。
で、カルマっていうのも、ああそうね、業ねとか、下達って言ったらああはいはいって、僕ら分かっちゃうじゃないですか。
そうだね、下達とか言うもんね。
これはバラモン教に発してるんですけど、ちゃんとその後の仏教にまで影響を与えている。
ちなみにこの山は、後の時代にバラモン教もだんだんと変わっていくので、
同じバラモン教という名前であっても、だんだんとこの山が天国ではなくて、死の世界を司る神様になっていくんですよ。
これはちょっと後で話しますけど、祭祀万能主義っていう、お祈りさえしとけばっていうところから哲学的になっていて、
神様だけに頼るんじゃなくて、自分を良くしていこうよっていう思想が出てくるんですよ。
バラモン教の中にですよ。
バラモン教の中に?
そう、要は儀式ではなくて、良い行いをすれば、次の生まれ変わりの時に良くなる。
それを繰り返していくと、いずれ山の世界に行くとかいう世界になってくるんで、神様が必要なくなってくるんですよ。
下脱をするのには神様に頼るのではなくて、自分の努力っていう思想に変わってくると。
山がカーマーの世界を司る必要がなくなってくるので、死の世界の神様っていう風に位置づけが変わってくるんですね。
千年ぐらいかけてね。
千年か。
地獄の神様みたいになっていって、地獄の門番になっていって、それが中国を経由して日本に入ってきた頃には、閻魔という名前に変わってるんですよ。
閻魔様。
山っていう音をね、これ古代サンスクリット語ですけど、音だけを漢字に移し替えて。
それが閻魔という漢字で、それが日本語で読むと閻魔って読むだけで。
ああ、そうなの。
漢字なんですよ。
バラモンっていう言葉も、実は現地ではバラモンって呼ばれてないんですけどね。
あ、違うんだ。
何でしたっけな。メモしたのどこ行っちゃったかな。
ちょっと違う言い方をされているんですよね。
ブラフマン。
そう、ブラフマン。
ブラフマンって漫画とかで時々聞きますよね。
ブラフマン。
宇宙の原理を表すブラフマンね。
ブラーマン。
ボンジのボンの字ですよね。
ボンジのボンの字。
工屋さんとか行くとさ、見たことないマークみたいな字が書いてあるじゃないですか、ボンジって。
まあいいんだ。
ブラフマンとかブラーマンとかって言って、ブラーマンを漢字表記すると、バラモンっていう漢字になるんですね。
ああ、そうなんだ。
これは日本人が読むとバラモンって言ってるんで、バラモン卿って日本では言ってます。
へえ、そうなんだね。
現地の発音とは違うらしいですね。
じゃあ奴隷とかを使って、結局生け贄はもうしなくてもよくなった?
そこなんですよ。
っていうこと?
それをね、しなくなっていくきっかけがあってですね。
ああ、あるんだ。
さっき、はじめの方に十六大国時代っていうのをちょっとだけ話をしたんですけど、
これはアーリア人がだんだん東に500年ぐらいかけて進出していきます。
で、ガンジス側の領域にいろいろと集落ができてきます。
で、その中にはアーリア人の集落もあれば都市国家もあれば、
ドラビダ人系の都市国家もあれば、他の民族の都市国家もあればみたいな感じなんですよ。
それが十六の国がありましたよ。で、戦い合って最終的にこのアーリア人が勝つわけじゃないですか。
十六個も国あったんだね。
都市国家があったと。で、この時に活躍したのは誰かっていう話ですよね。
誰か。
バラモンは自分の国で祭壇に向かってお祈りしかしてませんから、誰が戦うねんって。
確かに戦う人はいない。
戦うのはクシャトリアですよね。
クシャトリア。
王族武士階級のクシャトリアが大活躍するわけじゃないですか。
で、なおかつクシャトリアだけじゃなくて、ヴァイシャ、商人階級ね、商工業の人たち。
この人たちもクシャトリアが活躍するための物資の補給とか、武器を作ったりとか、
で、シュドラが作った農作物をヴァイシャが運んだりとかいろいろするわけじゃないですか。
だから中間のクシャトリアとヴァイシャがめちゃくちゃ活躍したのに、
でも祭祀だけやってるバラモンが一番偉いってことになるわけじゃないですか。
腹立ちません?
まあまあまあそうだね。
俺活躍したのに、はあってよくやったじゃねえよみたいなね、なりますよね。
まあ階級あるのにね。
ここでまず一つ目のね、一段階目のバラモン階級に対する不満っていうのが
社会の中にフツフツと出てくるわけですよ。
だけど神様どうした。
もうそこら辺から変わってくるんですよね。
もう一つの流れがあって、シュウドラとかヴァイシャなんかもいるので、
この人たちが生贄っていうのに反発を覚え始めるんですよ。
ああそうなんだ。
クシャトリアもそうなんですけど、戦闘してると自分たちも死ぬリスクを負ってるし、
敵を殺したりとかいうことになるじゃないですか。
生き死にのやりとりをするようになる。
それを祭典でやっていて良しとしてるのに反発を覚えるんですよね。
こんな生贄文化やめやって批判が出るんですよ。
やめろやめろっていう勢いの中で不摂生というね、殺さずっていうやつが概念としてだんだんと出てきます。
仏教でもあるね。
同じようにこのバラモンの権力に対する反動として、
さっき言ったウシャニパッド哲学っていうんですけど、神様に頼るのではなくて、
自分の行いを正すことでより良い世界に導かれようという思想が出てきます。
その思想名前あるんだ。
そうウシャニパッド哲学。
ウシャニパッド哲学。
実はこのウシャニパッド哲学は中国とか日本とかの東洋社会にも大きな影響を与えますし、
当然これは中東の哲学にも影響を与えて、後にギリシャやローマ、イギリスまでずっと波及していく哲学の流れの根っこって言われてますね。
ちなみにこのウシャニパッド哲学の中でゼロの概念が出てくるっていうそういう話なんですけど。
何の概念?
ゼロ。
ゼロの概念。
ほら数字の中でゼロを発明したのがインド人って言うじゃない。
ああ言うね。
この辺、この辺から。
え、ここからな。
ここら辺から出てくる。
宗教的な思想哲学の中から出てくるんですね。
ああそうなんだ。えらいってこと結びつくね。
ほらここでこのウシャニパッド哲学が出てきたことで自分の精神を高めていく。
まあ仏教的に言ったら修行的なものですよね。
こういうもので自分を高めていくと下達に向かうよね。
で、ブッダになって悟った人になるよね。
っていうのでこの辺を根っこにして仏教っていうのが出てくるんですよね。
紀元前6世紀頃。
ちなみにこの仏教を作ったゴーダ・マシッダールダさん、この人はクシャトリアの出身ですね。
え、そうなの?
王族の出身なんです。
ああそうなんだ。
王族の出身なんですけど、なんだこの世界って言って出家して自分が悟りの世界を探しに行く。
そのベースになっているのがバラモン教でありウシャニパッド哲学。
正確に言うとバラモン教への反発と、反発から生まれてきたウシャニパッド哲学を片手に携えて
自ら悟りを開いていくっていうのがこの仏教の起こりらしいですね。
ああそういうことなんだ。だからちょっとバラモン教の名残というか一部は持ってるんだね仏教も。
そう引き付いてるんですよ。でほぼ同時期に出てきたのがジャイナ教。
ジャイナ教。
名前だけはね聞いたことあると思うんですけど、これもバラモン教に対する反発から登場しているらしいです。
へえ。
ジャイナ教ちょっと細かいのは僕も調べきれてないんですけど、最も大きな特徴は極端なる不摂生。
極端なる不摂生。
殺さないって言ったらもう徹底的にどんな生物も殺さないんですよ。
ああ本当にそうなんだ。
これはねコンサイ類食べないですからねこの人たち。
えコンサイ類。
うん。芋とかに細菌ついてるじゃないですか。土とかに。
ついてるね。
芋とか食べるとその土についた細菌殺すことになるから私たちは芋食べません。
えどういうこと。
発酵食品食べませんよ。
まあ食べれないねそれはまあまあ。
微生物がいるんで。
微生物とか言うなら。
葉っぱしか食べない。
葉っぱもついてるやん。
豆とか。
豆もついてるね。
っていうツッコミしちゃうとキリがないんですけど一応紀元前500年頃の話なんでまあそういうことなんですよ。
まあそうかでも土って洗い流せば良くないって思っちゃうけどね。
思っちゃいますけどね。
そこは違うんだ。
僕らから違うらしいです。そういうちょっと極端な不摂生に走ると。
でこの仏教とかジャイナー教とかが出てきたし内部からもうこのウシャニパット哲学みたいなのが出てくるじゃないですか。
つまり自分の精神を高めて清い形にしていくっていう。
これは神様とではなくて私たちの努力によるものです。行動によるものですっていう思想ですよね。
これが内側から出てきたことでバラモン教の本体の方も変わっていくんですよ。
最式万能主義からこのウシャニパット哲学によった宗教化にずっと変わっていくんですね。
元のバラモン教が?
がです。
このサートビクって言うんですけど、良い食べ物っていうのがあるんですね。
良い食べ物。
バラモン教の中にはサートビクとターマシクっていう食べ物のジャンル分けがされています。
サートビクと?
ターマシク。
サートビク、ターマシク。
ターマシクここに書いてないけどね。
ターマシク。
先にターマシクっていうのはこれ悪い方の意味ね。語源は暗黒って意味らしいですけど、
この食べ物を食べると精神が乱れたりとかちょっと怠け心が出たりとか性欲が増したりとか、
あとは攻撃性が高まったりとかいうことが起こるんで良くないですよって言われてるんですね。
このターマシクの中の代表例が摂章によって得られる肉類。
こういうの食べるともうソワソワしちゃってダメだよねって。
仏教の精神料理に近い感じしてきたでしょ、だんだん。
サートビクは真逆です。欲求を抑えて精神を高めて調和を高めてくれるみたいな。
米とか麦とか果物とか野菜の中の一部とかね。ニンニクとかダメなんで。
ニンニクはね、地位を競争とかいう。
そうそう、ああいうのはダメなんで。そうじゃない葉っぱ類とかね、豆とかがいいよねっていうのがこれがサートビク。
このサートビクは誰にとって特に良かったかっていうとバラモン階級にとってすごく大事なんですよ。
そうなの?
神様への祈りからバラモン自身が聖なる人にならなきゃいけないっていう風に変わっていったじゃないですか。
ウシャニパッド哲学によって。
だから彼らバラモンが聖なる人、精神になるためにはサートビクの食生活をしなきゃいけないんです。
それが定着していく。
だからバラモン教自体も完全なる菜食主義ではないけどもちょっとベジタリアンチックになっていくんですよね。
もちろんこれカーストによってどのぐらいベジタリアンかっていうのは変わるんですよ。
バラモンはもうとにかく精神修行が一番大事だから、お坊さんだから。
だから彼らはもう特にそういうサートビク食によっていくわけですね。
で階級がクシャトリア、ヴァイシャになっていくにつれてだんだん緩くなっていく感じですね。
そうなんだ。厳しくしたら今度仕事とかね、生きていくのに間もならないとか、そういう比重の問題か。
ただバラモン階層の偉い人たちがこの後で貧図教になった後もですけど、
菜食主義的なことがいいよねっていう話をするじゃないですか。
これがちょっと誤解されながら広まっていくんですよ。
もう菜食主義の方がいいよねってわーっと広がっていく。
で後の貧図教なんか牛は聖なる生き物で食べられませんから。
どんどん肉食から離れていくことになるわけです。