00:03
はい、では前回からの続きです。で今回は
はい、少し遡りまして、冷やすというものが社会にどのように実装されていったかという話です
社会実装 社会実装ですね。ちょっと前回の続きになっちゃうんですけど
冷凍機が出てきたからといって社会の側が受け入れをしてくれない限りはビジネスにならないわけですね
じゃあそれは土台があったからということになるわけです。その土台はどのようにして生まれていったのかというお話ですね
時は1802年、アメリカ合衆国です。ちょっと遡りますね。前回が1873年で終わってますんで
70年くらい遡りました。メリーランド州トーマスムーアーという落農家です
落農家 この人ね肉とかバター作って売ってる人なんですよ
そうなんだ ちょっと想像してください冷やす技術のない時代のバターですよ
どうすんだろうね でろでろ それそうだよね 基本液体ですね
なんでちょっと時間が経つと酸化してほしくない。そこで氷を使って冷やしておけばいいだろうということで
この人ねメリーランド州って北の方なんで氷はその辺に転がってるんですね
でこれをアイスボックス今でいうクーラーボックスですよ要はねそこに氷入れてその中にバター入れとけば固形でいられるじゃないということでこれをアイスボックスと命名をして売り出すんですね
商品名をリフリージェレーター リフリージェレーター? リフリージェレーターこれは現在でも使われている英単語で冷蔵庫を英語で言うとリフリージェレーター
ああそうなんだ この人が命名したので今でもリフリージェレーターが英単語として残っています
これねアイスボックスってすごい簡素なもので木の樽を二重にして大小を組み合わせしてその間に藁とかそういうの詰め込んで保温性を高めたという程度のものなんですけどね
これあんま売れなかったみたいですね ああそうなんだ 時の大統領あたりにはこれいいじゃないかっていうかね金持ち集団には受けるんですよ
氷食べたり飲んだり冷たいものを飲むことに対して俺おいしくていいよねっていうリテラーシーの高さを持ってるのは富裕層だけなんですよ
ああ高いからか そうそういうことですねなので特権階級の人たちには売れるんですけど一般職人には全く売れず
でムーアーさんここで終わり 終わり 終わり 短かったな 短い短いあっという間ですね
同じぐらいの時代ちょっと後かなマサチューセッツ州にフレデリックテューダーという人が生まれます
テューダー家っていうのはこの地方の裕福な弁護士の家だしんですね お父さんも弁護士でその産男として生まれます
03:02
この人ねもう普通にただのボンボンなんですよ 大学行くんですけど大学でももうどうやって金儲けしようかなっていうのばっかり考えてるんですね
ああそうなんだ 在学中に起業しようみたいなことも考えてるようなそういうタイプの人ですね
で地難ですねお兄ちゃんがなんか体調が悪くて病気になっちゃってでマサチューセッツ州も寒いんでやっぱり領養するの温かい方がいいって言うじゃね
だからお父さんがキューバお前行ってこいってその方が領養できるから一人で生かすわけにはいかないからフレデリックお前ついて行ってやれ
兄弟二人で仲良くキューバに行くんですね
へえ はい けどごっかんの寒い地域で生まれ育ったボンボンっすよ
灼熱のキューバ行ったらマジ暑くて死ぬ 暑いだろうね
その時の手紙に残ってるのがこれは面白いですけど 冷たい飲み物が飲みたいよアイスクリーム食べたい
ボンボンならでは ボンボン
この時代にアイスクリームを食べられてること自体が超金持ちなんですよね 冬場にアイスクリーム食べたいと思わないですよ
視聴品だし当時 夏の暑い時にアイスクリームを食べられるという環境にこの人は育ってるんですね
そういうことね 実はこれがヒントになるんですね
あれこのキューバで氷売ったら売れんじゃねえアイス売ったら絶対売れるよ
で起業します 起業するんだ 起業するんですよ
お父さん信用ある人なんで貸してくれって言うと結構融資してくれるんですね
お金借りて船をボストン港から出してほしいのでチャーターしようとしたら
やだよそんなもんで絶対利益出ねえしこんな重たいもんどうやって積むんだよ
キューバなんか遠くまでふざけんなよ俺はヨーロッパ行きてんだよみたいなことでめちゃくちゃ断られてしょうがないから買う
買うの すげえな でお兄ちゃんに先にキューバに行っといてもらって準備しといてね
俺はこっち船用意するから氷送る手立て整えるからやっといてねって言ってやっと氷を積んでキューバに行くわけですよ
したらねお兄ちゃん氷室作ってなかった 保存場所ないの まず輸送の途中で半分ぐらい溶けてなくなるんですよ
あげくに着いたら下ろして保存する先がないん どんどん溶けていくんだよ
しかもお兄ちゃん販路開拓してないからキューバの人たち初めて氷見るから何って言われるんだよ
もったいな 思いっきり赤字 何してたんだろうね 遊んでたんじゃない
一応税関で止められないようにワイルを送って買収だけはしてたんだけどそれだけ それだけ だけもっとやれよって話
でフレデリックキレるんですね キレるでしょ でお兄ちゃんとケンカして途中までお兄ちゃん手伝ってんだけど
06:06
もう知らんわーっつって別の仕事見つけて自分で働くようになる フレデリックね諦めないんだよこれ
ずーっとやってんの 5回6回ってやってでもう失敗して失敗して失敗して
で最後最後7回目くらいかなもうね 幅なキューバの首都ですよねあそこにカフェがいっぱいあったんだって
そのカフェにアイスボックスを配って回る さっき出てきたムーアさんのアイスボックスをできてで無料で配って歩いて
でここに氷を入れたらいいよこれにアイスクリームとかやったらおいしいよ ドリンク冷やしたらおいしいよっていうのを言ってたらなんとか売れて
でやっと1816年にキューバへの出荷が成立すると あーそこ側だけ売ったんださっきから
そう側はねプレゼントしたっぽいよで氷だけ買ってね これをお兄ちゃんしといてくれればね
そうお兄ちゃん始めにしといてくれればね何やっとんじゃね そういうことなんだよね そうなんですよ
やっぱりねフレデリックの信念としては一度冷氷の楽しみを知ってしまえば氷のない生活には戻れなくなる
自分がそうだと こんなキューバみたいなくさついとこでやってられるかという信念があってやったらなんとか軌道に乗った
けれども全然儲かってない大企業になるほどまだ儲かってないですね でキューバは大変なんだよじゃあ今度は国内やってみようかなということで翌年
キューバ行けるんだったら国内のが近いからじゃあサウスカロライナ行こうって言ってこれも後あるんですよね
これで食品保存に適したアイスボックスの販売が始まります 今までは食品用ではないんだ
そうなんですよねキューバっていうのは国土もそんなに大きくないですし昔の日本と一緒でその日買ってきてその日消費するで回せるんですよ
ところがアメリカって国土がでかいのでそれがすごく大変なんですね 当時はもちろん毎日買わなきゃいけないような生活をしてたんですよ
距離があるんで遠いんで 大変だねっていうもともとそういうものがあってそこにこれ保存にいいよねっていうので売ったらハマったんですね
でこれで売れていくようになる そしたらさあちこちでいろんな人たちがあれいいな俺もやろうっていうのでちょこちょこ出てくる
そうなんだ これちょこちょこ出てきたおかげで逆にこのテューダー製氷会社が登っていくんですよ
ライバルのおかげで市場が開拓されていくみたいなところがあって これ実はノルウェー産の氷産業とかも出てきたりするんですよね
アメリカからヨーロッパへも出荷をある程度し始めてはいたらしいんですけど そんな困難してるうちにノルウェー
ノルウェーは氷いっぱい取れますから これがイギリスとかドイツとかフランスに出荷をし始めるという状態になっていきますね
09:01
これねすげーこと考えたなと思うのがボストンには商船団がいるんですよ 船会社ですよね
貿易をやってる船会社でインドに行ったりとかオーストラリアに輸送したりとかしてビジネスをやってました
ただ基本的にこの時代っていうのは例えばインドの香辛料を買ってきてアメリカやヨーロッパに届けて売るというビジネスをしてたわけですよ
これ現代人が見たらアホやなと思うんですけど行き空で行くんです 空なんだ
空で行くんですよ もったいないね これね空で行くと船が軽すぎて不安定になるじゃないですか
でバラスト欲しいですよね沈めるの重しが欲しいですよね岩積んでたんですよ 岩もったいな
アホやなーってこれでねとあるこの商船団の青年が氷送ったらいいんじゃない
インド持っていけばインド需要あるのに全然あんまいいのじゃないし持ってこうやって言ってインドに持っていくんですよ
やっぱり半分ぐらい溶けるんですけどこれインドっていう市場が意外と良くてもともとイギリス植民地じゃないですか
イギリス人がいるんですよ冷たいビール飲ませろっていう人たちが しかもインドって覚えてますか初回の時にちょっと出てきましたね
冷やす文化がもともとある地域なんですよ
メンバー効果のあれそれが進化していって氷田って言って コンクリートみたいなのを石を敷き詰めてねそこに水を秘釈で撒いて夜のうちに凍らせて
回収するみたいなことを階級の下の人たちにやらせてたっていう土台があったんで 天然氷が届いたらうひょーって売れるんですよね
ボストン商船団が氷を売るビジネスを始めてどんどん乗していく これに乗っかってテューダーも伸びていく
これが後々ボストン氷として世界中に出荷されるようになっていきます へえ世界中なんだ
結構幅広く日本にも行くんですよ へえすごい
でねこの日本に行ったボストン氷が結構重宝されてたらしくって
例えば開国してすぐの頃に横浜に外国人居留地ができますよね そこにキリンビールの前身ができたりするんですけど
イギリス人相手に肉の販売とかするんですよ 腐るじゃないですか普通に生肉吊るしてるだけだから
ここに氷の需要があってボストン氷が入ってる 馬鹿高いの 馬鹿高いよね
馬鹿高いんですよ 持ってきちゃってるからね
江戸時代の話ですよまだ 1850年とかなんで53年にペリー来てますから
まだまだ開国して間もない江戸時代くらいの話ですね ここに中川家兵さんという人がいるんですね
この人は1800年代初めの頃の生まれの方 江戸時代生まれの人なんですよ
12:05
なので外国をしたときにすげえ外国船来てる あそこにビジネスチャンスあるかもつって
生まれは愛知県なんですけど一攫千金狙って横浜行くんですね へえ
初めは外国人の泊まってる領事館みたいなところの料理人の補助
料理するんじゃなくて仕入れ係みたいなね やっていろいろ料理のことを教わって
肉のことを教わってこれ肉とか必要なんだったら 俺国内の肉しれてくるよって言って肉屋始めたりとかね
この肉屋始めるときに肉屋やったほうがいいよって 勧めたのが福沢諭吉だったりね
意外と有名人と顔なじみになったりして
これ氷いるじゃんって言ったら近くのところに イギリス人の病院があって医療的にも氷欲しい
したらそこにお雇い外国人当時明治の開国のときって海外からいろんな先生を明治政府が雇って呼んできてますよね
その中の一人にジェームズヘボンさん聞いたことあります ジェームズヘボンさんわからない
ヘボン式ローマ人って言ってる
それは聞いたことあるね ありますよねあの人ですよ
あの人からも氷使った冷蔵保存あったほうがいいよねみたいな話をして
でボストン氷を入れちゃうんだけど高えぞってなって
でこの中川さんが日本の国内でどうにかこの氷ビジネスを社会のためにやろうと
今までは儲けてくることばっかり考えてきたけどちゃんと社会のためにやろうって言って
富士山から氷を運んだりとかね長野の奥の方行ってみたりとかねやるわけですよ
だけど陸荘ってめちゃくちゃ大変でことごとく解けるんですよ
で何回も失敗して7回目とかかなでやっと成功させたのが五稜郭のお堀りの氷を運んでくる
五稜郭 北海道ですよ函館のお堀りを時の政府に掛け合ってこのお堀り貸してくれと
水きれいだしこれを凍らせて凍った氷を船に積んで横浜に運んだ
さっきのノルウェーでも氷産業始まりましたよって言ったけど日本でもやっぱりこういう動きがあったはあった
日本でも一応氷の市場はできてたんだね できてたんですけどできてた場所がめちゃくちゃミクロ
局所的に もう外国人恐竜チキンペンだけ一般庶民にはあんまり認知されてる
一部の業者とかじゃないですかね まあそんな感じだか
そうなんですよ一方アメリカですね同じぐらいの時代にアイスボックスが出てきたので
これでかくして積んだらいいよねって話にだんだんとなってくるんですよ
ボストン小船団が食品を持ってった時に氷行ったんだけど
これで帰りできたらいいんじゃないとかそういう発想も当然出てきますよね
これがだんだん拡大していって鉄道にまで搭載されるようになっていく
15:05
へえ鉄道も乗るんだね そうなんですよ貨物室丸ごと冷蔵庫みたいな感じで
氷を乗っけてその横に肉とか野菜をどんどん乗っけて搬送しますよ
便利だね この当時の氷事業に手を出してる会社が面白いのが鉄道会社が結構手出してるんですね
自分ところだからさで氷なので氷途中で補給しないと全部溶けちゃうじゃないですか
だから線路を氷の補給地に伸ばすんですよ 逆にね
全国にいろんなところに氷の補給地作ってそれでどんどん補給しながら野菜を運んだり肉を運んだりということをやっていく
これによって冷蔵保存の価値に一般人が気づき始めるんです
あれカリフォルニアのあのおいしいアップルがこんな遠くまで来たぞ
葡萄がここまで来てるってどういうことみたいなことでだんだんと冷蔵保存の価値というのが浸透していくわけですね
ただねこれすごい事件が起きるんですよ冷蔵保存の価値爆上げするっていうかそっちに全フルすることになったきっかけがね
1902年ちょっと新しいですけどニューヨークの病院でチフスのクラスターが発生するという事件が起こるんですね
というのもこの時代ってまだ冷たいはおいしいから完全には脱却しきれてないんですね
氷はガリガリガリって食べたらいいよとかごくごく飲むのにいいよであって保存のために専用で使うなんていうのはあんま持たないなっていう意識があって
確かに本当の綺麗な天然水で作ってる氷は上流階級には回っていくんですけど一般庶民ってそうでもないところの氷なんです
葉っぱ入ってる そんなレベルか
泥とか虫とか普通に入ってるじゃないですかどこの川のやつみたいな
でねこのチフスのクラスターが発生した時の原因がなんと氷だったんですよ
どこの氷か病院の排水が流れ込む川の氷
ダメだよ ダメなやつ
これまずいじゃんっていうことになって当然新聞でも取り上げられて叩かれまくって
天然氷というのが一部を除いてこうこうこういう状況だから衛生上よろしくありません
氷を食べるなら製氷器に限りますよねっていう論調にだんだんと変わって
これがあるからまず氷を食べるんだったら人工氷を使いなさい
だけど今ある氷は保存として使えるから保存に使ったらいいんじゃないのっていうことで
アイスボックスがどんどん普及していくことになるんですね
ダブルパンチでくるわけですよ
で1800年代後半から1900年代にかけて氷を使った冷蔵庫
氷冷箱とか氷箱とか氷冷蔵庫とかいろんな呼び方があるんですけど
18:03
日本に入ってきてたやつだと今の通ドアの冷蔵庫みたいになっていて
上の扉を開けるとそこは氷を置く場所
で下に野菜などを入れて冷気が降りてくるので冷えますよと
氷で冷やしてたんだね
これねアメリカの高級品ですねこれはすごいぞ
これはね一枚扉なんですけどね上の段に果物が入っていて
下の段に氷を詰めるんですけどその中にワインを入れるんですよ
ワインがキンキンに冷えておいしいよねでも氷溶けるじゃないですか
その溶けた氷を隣に貯水できるようにしておいてそこに蛇口がついてるんですね
氷の溶けた水を飲めるめちゃめちゃ高かったらしいですけどね
よく考えたね
よく考えたんですよだいぶ高級なものだったと思いますよ
アメリカもそうだし日本の中川家兵衛が作ったような氷ビジネスによる氷も
やっぱ贅沢品なんですね氷冷庫なんかも完全に贅沢品で季節物だねみたいな
そんな扱いでいくんですねちょうどこの頃お寿司屋さんが変革をする時期です
お寿司屋さんか
握り寿司が変わるタイミングなんですね
変わるタイミング
今までのお寿司っていうのは巣で占めてある
卵焼きのように火が入っていると
タグロであっても漬けになっていて保存がきく状態なわけですけど
この頃から徐々に徐々に刺身をそのまま握る今のスタイルの握り寿司に変化をしていきます
この頃か
流通が良くなった上に氷冷庫が出てくるからですね
これで日本人の生活も少しずつ変わっていくわけですね
この時代普及するのはやっぱりもう業者だけ一般家庭にはほぼ入ってないですね
でこれがちょうど今1900年代入ったぐらいなので
前回カールフォン林田が1873年に小型冷凍機作ってるんで爆発的に売れてる後なんて話なんですよ
ほらこぞって他の会社も冷凍機を改良した冷蔵庫を開発し始めるんですね
これさずっと調べてて思ったんですけど冷蔵庫よりも先に冷凍庫なんだね
確かにね
直接冷やすんじゃなくて氷を作っといて氷でもって周りを冷やすっていう発想なんですよね
そっちなんだっていう不思議な気づきね
まだコントロールできないのかな
できないその温度調整ができないからできるようになり始めたのが1911年からあたりかな
本当に最近になってきたね
本当に最近まだ100年ちょっとぐらいの話
アメリカ出てるんですけどこれが第1号機1911年そっからもう3車4車がこぞって順番に出していって新型の電気冷蔵庫なるものが登場してくるんですね
21:04
1台1000ドルぐらい
1台1000ドル
今だと123万くらいの話ですか日本にして
ところが当時フォードの自動車1台500ドルの時代ですから
おーとっこ
乗用車1台500ドルなのに倍しますからね
車2台分はやばいね
今のセダンいくらぐらいですか300万超えしますよね
冷蔵庫1台600万
600万か
買えないよね
ぜひ買ってください
特殊凍結器買えますねこれ
買えるね
そのぐらいの値段なんですよ
そっから20年後20年もしないうちかな昭和8年だから1933年日本でも国産が出てくるようになります
これが1台720円
これ米国産に比べてとんでもなく安いっちゃ安いんですよ
ああそうなんだ
これでも相当高いですよ
720円っていうのは当時月給が50円くらいなんで
いや高いね年収ぐらい
年収ちょっと超えるぐらい
アメリカの1台1000ドルの冷蔵庫が日本に入ってきた時は1台1800円で売ってますから
おーかっこ
月給30円くらいの時代に入ってきてるんで最初ですからね
えー60ヶ月
買えるわけないですよ
買えないね
これ柴浦政策書が720円になったんでだいぶ安くなったねみたいな
それからくらいは半分以下だもんね
ちなみにこの柴浦政策書っていうのが現在の東芝です
ああそうなんだ
日本第一号を作ったところですね
東芝が一番最初なんだ
こんな状態なので当時の我々日本人のご先祖さんもご先祖さんもだいたい100年くらい前ですけど
この当時の日本人の感覚は冷蔵庫を季節家電だと思ってるんですよ
季節家電
冷蔵庫しまいます普通
扇風機みたいなもんか
そう扇風機くらいのつもりで夏しか使わないものだって思っちゃってるんですよ
ベースがねほら氷冷蔵庫じゃないですか
はいはい
冷やしたいものがあるじゃあ晩飯においしいキンキンに冷えたビールを旦那さんに飲んでもらいましょうと思ったら
おい氷屋さんって言って氷を買ってきて晩飯に合わせて他の食材とかを冷やしてビールもキンキンに冷やしてお客様に出しましょうとか旦那さんに出しましょう
終わったら終わりっていう感覚なんでこれが電気化されたところで同じ扱いするんですね
はいはいはい
売れなかった理由で当時の雑誌に書いてあるのを読んで笑っちゃったんですけど
重いから嫌だって
重い
季節過電だからね
動かしたい秋になったら倉庫にしまいたい風呂敷でコモかけてね
かけてね
あとね東芝さんとかも営業で頑張ったらしいんですけど上に埃がかぶってしまうとみっともないから
24:01
ほら昔テレビの上に布かけてる人いませんでしたおじいちゃんおばあちゃんとかで埃が積もってないようにクロスかけてカバーみたいな
あの感覚で冷蔵庫にカバーかけるんですよ
ところがですねこの時代の冷蔵庫の冷却システム背面じゃなくて上についてるんですよね
上なんだ
マジ危ない
危ないね
東芝がセールスエディみたいな人たちを作って使い方の説明舞台などを巡回させてね
こうしたらいいですよこうしたらいいですよこういう時はこういう風に使うといいんですよみたいなのを教えて回るみたいな
でやっとお金持ちの人たちにちょっとずつ広がっていくと
苦労してんね
まさか上にかけるっていう感覚があると思わんかったよ
これね広まらなかった理由にもう一個あってもちろん経済的な問題があるんですけど
当時の日本っていうのは基本御用聞きが回ってくるんですよ
御用聞き
サブちゃんちょーみこよですって
はいはいはいはい
サザエさんとかね
うん
あれが来るんですよほぼ毎日
へえ
あらサブちゃんちょうどいいとこに来たわお醤油一本とかね
へえ
キャベツ1個って言うと
ヘイありがとうございますって言って持ってきてくるんですよ
へえ
つまり自分ちに冷蔵庫いらない
街が冷蔵庫だから
確かに
これをねどうやって普及してったかっていうのは
もうこれだけで3話ぐらいいくんでざっくりいきますけど
まあ頑張った
頑張った
めちゃめちゃいろんな家庭の主婦みたいな雑誌あるじゃないですか
ああいうので近頃のご夫人方はこうであるべしだとか
っていうことをこういろんな人たちが書いたりとか
ラジオ放送が始まる頃までそういうので普及をしていったりとか
セールスレディみたいなところであっちこっちに普及して回ったりとかして
ちょっとずつほんと草など的にいくんですね
これがアメリカとの大きな違い
アメリカは土壌があったからスパーン
一瞬でもう10年ぐらいでスパーンって大きくなっちゃいますけど
日本はそうはいかない
もう教えていくしかない
まあ全く知らないもんね
これが一気に普及するのは1950年代です
1950年代
第二次世界大戦太陽戦争終戦が1945年ですんで
我々の父母世代がもう生まれてますね1950年
父さんが49だから生まれてるね
生まれてますねこの頃からだんだんと広がっていくわけです
1955年をピークに迎えたというふうになってますけど
三種の神儀聞いたことありますかね
歴史で習ったわ
歴史だねもう完全に
ヤダの鏡とかそういう剣とかじゃないよ
どっちもガチじゃなくて
昭和の家電三種の神儀っていうのがあって
それが冷蔵庫電気洗濯機白黒テレビというものなんだそうですね
これは東京オリンピックが少し影響してるらしくて
27:02
東京オリンピックをテレビで見ようねみたいな
1964年昭和39年にオリンピックが決まりましたので
それに向けてテレビをこぞって買う人がいましたし
テレビっていうのはね割と認知しやすいんですよ
使い方わかるじゃないですか
冷蔵庫は常時冷やすって意識がないので
テレビはもう街頭テレビっていうのが当時あってね
みんなで見るとか
僕もこの間父に改めて確認しましたけど
うちは街の中では比較的早打ちに白黒テレビを買ったんだそうです
したら夕方になると力道山が映るプロレスがある
その時間になると知らないおじさんおばさんたちが
二十何人でこぞっと集まってきてテレビを見に来る
街頭テレビ状態 そうなんです
ただそれがあることでテレビっていうのは使い方がすぐわかるんで
じゃあ俺もお金がたまた買おうみたいな発想になるんですね
これね全国がそうではないそうですけど
一部影響があると言われてるのがアメリカ製のテレビドラマ
先にテレビが普及していくわけですよ
そうするとアメリカで製作されたホームドラマが
買ってきて日本で放映されるわけですね
そうすると冷蔵庫がある
システム基地のコンロが並んでいる
ガスでガチャってやると
奥様が洗濯機でガーってやってる
なんて素敵な生活なんでしょう
憧れってなって
ああやって使うもんなんだっていうのは
ドラマから学んでいく人たちもやっぱりいたそうですね
なるほどね
映像で届けられるってすごいんだね
だからアメリカが先行して使っててくれたんで
日本人は模倣しやすかったっていうのが
文化が伝わってきたんだテレビを介して
そういうことだそうですね
これね日本にも氷冷蔵庫があったんですけど
良心に聞いたところ氷冷蔵庫にワンバウンドしてないですね
してない
氷冷蔵庫も何も持ってない状態から
いきなり電気冷蔵庫です
ああそうなんだ
というのも氷冷蔵庫も一台30円から50円するんですね
月給1ヶ月近く飛ぶんですよ
でもなおかつ氷毎日買わないといけないじゃないですか
贅沢品だしいらないって
もう買わないよね
買わないで飛ぶんですね
だから氷冷蔵庫は基本的にお寿司屋さんとか
スーパーマーケットとかああいうところに使われることが多くて
あとは不郵送
一般家庭は昭和50年以降にいきなり電気冷蔵庫と
ああそうなんだね
いうことでしたよ
もう無統計聞いても母の方聞いても
なかったねそんなの見たことあるけどなかったね
何年ちゃんちお金持ちだったから見たことあるような気がするなみたいな
で親父なんかもね父なんかも料理人やったんで料理で使ってた
ねえなあんなもんね
ああそうなんだ
魚屋と一緒に一部の氷とかあってね
シメロに使ったぐらいなもんだよねえな
それだけなかったら氷自体が出回ってないかもね
可能性が高いですね
この冷蔵庫の普及が実は食品業界をめちゃくちゃひっくり返すんですよ
30:05
冷蔵庫がないとできない生物とか冷凍食品とかアイスクリームとか
まあその辺は皆さんイージーに思いつくじゃないですか
実は食文化ひっくり返すんですよ
ここから高度成長期入ってきますでしょ
当時はもう男性が外で働き女性が家庭にいる
でどんどんどんどん各家族がここからガッと進んでいく時代なんですよ
働くにはこっちの各家族で東京に出てた方がいいぞみたいな
効率がいいぞみたいな時代になるので
もう家族のつながりが希薄になってくる
これはよろしくないぞというのがメディア等で歌われるようになり
その家族の絆を強めるためには美味しい食事が一番ですよ
だから主婦の皆さんこれ料理頑張りましょうねっていうことを
政府のプロパガンダみたいな人たちだったりとか
例えば戦後のGHQが推進したキッチンカーですね
料理をすすめるお米の会でちょろっと出ましたけど
ああいったものだったりとかで
家庭でご飯を食べるってのはこういうことだこういうことだっていう
洗脳のような広告を打っていくわけですよ
そうすると姉さん今日の晩御飯何?って言って勝君帰ってくるの
晩御飯を楽しみにして帰ってくるようになるので
家庭の和ができるよねという状態になっていきます
つまり何が言いたいかというと
これ以前の日本の家庭の食卓というのは
ほぼ毎日同じものを食べてる
そうなんだ
米味噌汁お漬物もう一個
毎日同じものを毎食食べるみたいな文化なんです
輸送もできないしバラエティ止みようがないんですよ田舎ながら特に
これが一気に流通も変わってきて冷蔵庫もあるんで
バラエティ増やすことができるようになるんですね
都会にもどんどん食品が流れ込んでくるようになるので
今まで毎日同じものを食べていて毛ですね通常時
晴れの時だけ手のかかったものとか鯛を一本買ってくるとかして
ドンってやるんですけど
なんと通常の毛の食事が晴れ化していくんですよ
バラエティ化するんで
今まで晴れを司ってたのが外食作業ですよね
晴れじゃなくなっちゃうんですよこれだと一緒になっちゃうから
だから飲食店はより晴れ化しなきゃいけないんですよ
晴れ晴れしくなっていかないと
ということで飲食店が例えば外装がリッチになっていくとか
演出が凝っていくとか料理も手がかかったものによりなっていくとか
いう加速をしていくようになりますね
ちなみにこれの一番先駆けになったのが
大正から昭和初期ぐらいにもうすでに一部始まってたのが
高級寿司屋ですね
これが影響して今まで立ち食いが中心だった寿司屋が
座らしてお酒飲ましてっていう風に変わってきて
これが戦後にガンって伸びて
高級寿司屋っていうのがあちこちにポンポンポンポンって
出てくるような感じになるんですね
これで新しい言葉が誕生するんですよ
33:00
新しい言葉
家庭料理
家庭料理ってここから?
ここからなんですって
料理という単語熟語自体はもともと存在してるんですよ
でも料理っていうのは調理と違って
いろいろ凝ったことストーリー仕立てで考えて
こんだてを考えてバシンって出すものを料理としてたんですね
江戸以前の人たちっていうのは
これは今で言う料理人だけが作るものが料理であって
家庭は料理じゃないんです
調理? 調理
調理も本当は後からできた言葉なんで
もともといろんな作業を包括する
切るとか煮るとか炊くとか蒸すとかっていうのを包括する単語は
家庭においては存在してなかったらしいんですね
これが面白いのが家庭料理って今当たり前になっちゃってますけど
その外食産業で使われている料理という概念を
家庭に持ち込むっていう
漁っての方向同士をくっつけた言葉が家庭料理
今なんか普通になっちゃいましたけど
この当時はすごい斬新な組み合わせみたいな
ということでプロクオリティプラス家庭で家庭料理というのが出てきて
料理業界がどんどんひっくり返っていくという状態になるって感じですね
そうなんだ家庭料理のレシピはちゃんとした料理だね
歴史とした扱いがね
だから今日本のご家庭の方々みんな大変ですよね
大変だね
こんだて考えるとどうしよう
昨日あれ食べたしな
さっきこれ食べたから明日はこれに変えなきゃいけないから
うんとってこんだて悩んでますよね
戦前の人たち1ミリも考えてないですから
あるもの食べるだけなんで
それがいいよね
それでいいと思います今でもフランスとかそれっぽいですからね
フランスなんか行くと特にパリは極端ですけど
低価格帯の飲食店少ないんですよ
行ったら1人1万確定みたいなお店ばっかりなんですって
あとカフェに極化してる
なんでかって言うとほぼ毎日同じもの食べてるんですね
疾走に暮らしててここぞっていうときにドンって行くっていうそういう分野か
これは日本も昔はそうだった
あれが毛が腫れかしたおかげで大変なことになってるのが現在の日本
そうだね肉詰めなんかしたりするだけでも大変だもんね
大変ですよ
あんなのやってないんだもんね昔は
皆さんが何も考えないで毎日同じもの食べてると
僕らがすごいことになるんですよギャップで
ただ一方で日常生活が腫れかしたおかげで
我々解析料理みたいなちょっと凝ったことをやってる人たちは
より進化を迫られたおかげで今の日本料理と日本料理というものが成立してる
そういうことになるのか
だって家庭できるもの出したら家庭でできちゃうんだから
そうやって食べる価値ないじゃない
ということなんですよ
社会実装&その結果変わった食文化みんなが気づかないポイント編ですね
36:04
これ気づいたときはめっちゃ楽しく調べましたよ
確かにね霊像からここまでいくとは思わんもんね
何とか新報とかさ何とかの友みたいなやつネットでグーって
横書きなのに右から左みたいなのとか読みましたよ
右から左ね
読みづら
バリエーションがちゃんとウニてんてんになったりとかね
戦後ぐらいってやっぱそういう表記が多いですよね
そうなんだね
あとやっぱりお米の貝のところでちょろっと出てきた
きちんかーの宣伝効果ってのもやっぱり大きかったようですね
あんまり情報媒体がないもんね
そうですね
氷を使った冷やす文化があらかじめアメリカには実装されていたので
時期が出てきた時にもポンと乗りました
日本はなかなかそうはいかなかったけど
なんとかかんとかは遅れて戦後に搭載されました
歴史短い
今までの壮大な歴史から比べるとだいぶキュッとしたね
だいぶキュッとしました
だから感謝感謝なんですよ我々は
いい時代に生まれましたね
これが今現在どのようになってきているのか
これは第一話でお話をしたコールドチェーンのお話
そしてコールドチェーンがもたらした素晴らしいポイントと
逆に今こんな課題を抱えているよねということをお話しして
みんなでこのプラスとマイナスを眺めながら
これからどうしていくのがいいのかねっていうのを
ちょっと妄想してみたいと思っております
じゃあ今回はこの辺で終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました