1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #188 (s21-12)【蕎麦の名店】..
2023-08-11 53:38

#188 (s21-12)【蕎麦の名店】歴史に刻まれた江戸の名店 / 藪蕎麦の謎

  1. 出前そば「ひょうたん屋」
  2. 「雑司ヶ谷 橘屋」のデモンストレーション
  3. 藪の中の爺が蕎麦
  4. あやかりたい名前「藪」


【キーワード】

船切(生舟)/  弁柄 / 雑司ヶ谷 / 唐菓子 / 鬼子母神堂 / 菓子屋と麺  / 京都の蕎麦事情 / 農家の爺、勘兵衛 / 副業 / 土地万両(1771年)/  大田南畝 / 酒井抱一 / 本所深川絵図(1853年) / 団子坂の藪そば / 文京区千駄木 蔦屋 / 神田支店



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サマリー

前回の続きで、江戸の名店を紹介します。まず、麹町4丁目のひょうたん屋です。ひょうたん屋は、出前そばを始め、蕎麦切りを出前することで人気を集めているお店です。江戸時代に名を刻んだ出前そばの名店である「ひょうたん屋」の起源やゾウシガヤ地域の地名の由来などが明らかにされています。また、蕎麦家をデモンストレーションで見せ、高い評判を得た「立花屋」のエピソードも含まれています。 次に、江戸の名店【橘屋】の成り立ちと経営の変遷を紹介します。最初は団子屋でしたが、観光客向けにそばを提供するようになり、名物のそばとなって大成功を収めました。その後、料理屋になり、さらに奇襲藩本陣の宿にもなりました。さらに、お菓子屋と蕎麦屋の関係についても触れます。 江戸時代には、農家の副業として始まった蕎麦店が評判になり、蕎麦を茹でる技術が高まりました。その後、蕎麦店は衰退しましたが、その中で矢部蕎麦が創業され、風味豊かな茶屋風の店舗に改築され、大繁盛しました。江戸時代の地図にも矢部蕎麦の名前が載っており、その面積が広大なため、他の蕎麦店と比べて注目されました。 しかし、団子坂のやぶそばと神谷やぶそばは、明治時代までに閉店しています。

00:07
たべものラジオ
掛茶料理むとう、むとう卓郎です。 むとう太郎です。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を
ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
はい、ということで前回が、今週か
ゲスト回を収録しまして、
お店にね、ただいま発行中の小倉平岡さんと石井さんにお越しいただきました。
ということで、この蕎麦のシリーズが終わった後に
配信する予定です。
ので、お楽しみにお待ちください。
あとお知らせですね、総再生回数が65万回を突破しました。
なんか淡々と増えてるというか、フォロワー数も淡々とフォローいただいて
順調に増えております。ありがとうございます。 ありがとうございます。
で、あともう一つ、まだ見てないんだけど、
これが届きました。
これというのは?
今開けてる。何を開けてるんだいって。
あ、いい感じだねこれね。 おしゃれTシャツ。Tシャツ完成しました。
あ、いい感じのオシャレなやつですね。これが
猫のマーク。
食べ物ラジオオリジナルTシャツ。
でかない?それM? これMなんだよ。
あ、おっきいね。 思ったよりでかい。
僕普段S着てることが多いので。 これだったらSでも良かったかもね。
ちょっとM思ったより以上にでかくて。
今初めて見たけど。 なるほど。
一回りぐらいでかいかな、いつも買う。
準備してないから。 してないよ、だって今初めて開けるんだもん。
いい感じだねこれね。 それはそれでいいじゃないですか。
おにぎりマーク。
緑色これも。
なぜおにぎりなのかは聞いてない。
ラゴンマークを作ってくださった西村さんが
またTシャツを専用でデザインし直してくれたという。
これもなんか無償、ほぼ無償でやってもらってて、
いいのかなって感じなんだけど。
また何か返せればと思います。
まだある? 3枚目。
3枚目。
何色って言うだろうねこれね。
オリーブみたいな色。
おにぎりがモチーフなのは一緒なんだけど、こちらはちょっとなんかオシャレ感というか、
一層増した感じだね。
ということでこのTシャツを着て、きっとこの配信がされる頃には先にSKS JAPANで
登壇の時に着てるかなと思っている。
なるほど。
また概要欄に
スズリで買えるので、スズリのリンクページを貼っておきますので、もし気になる方は
ご覧ください。
あとマグカップとかよく分からない、色々展開できるみたいなので、一応マグカップと靴下とかね、
そういったものも公開してますんで、ご興味あればご覧ください。
デザインがいいとね、他のアイテムにくっつけてもそのままオシャレなんですよね。
そうだね。最初のシンプルな猫のマークのやつのマグカップなんかはちょっと欲しいもんね。
そうね、確かに。
2000円ちょっと、だから高いっちゃ高いんだけど、自中生産だから高いのはちょっとしょうがないかなっていうのがあって、
機会を見て買えればなと思ってます。
はい、ということで。
じゃあ前回からの続きいきますか。
ほい。
はい、では前回からの続きです。で、今回は、
歴史に刻まれた江戸の名店。
歴史に刻まれた江戸の名店。
はい。
前回まではですね、
寺方蕎麦、寺から生まれてきた蕎麦切りというものが、
民間の方に広まっていきましたね。
はいはい。
で、普通の蕎麦屋さん、まあ何て言ったでしょうね、剣丼蕎麦という説明をしましたけれども、
比較的安価で食べられるような食い切り蕎麦というのが、
定着していきましたよ、広がっていきましたよという話をしました。
はい。
これと同時並行的にですね、
高級店も出てきますし、その走り手のあるのが、
いやあそこの蕎麦はうめえぞという評判が立つようなところがやっぱり出てくるんですね。
へえ。
で、まあミシュランじゃないですけど、そういうものを当時江戸で
勃興してきた出版文化に乗ってですね、
知事という言い方をしますけどね、地元の、地面の字に雑誌の詩って書いて知事って思うんですけど。
知事?
うん。
地元のことを紹介する雑誌、まあ雑誌がない時代なんであれですけど、現代風に言ったら雑誌。
そういう町の紹介雑誌的なものがあって、そこにここの蕎麦屋さんおいしいよとかそういうのが書かれてくるんですね。
はいはいはい。
えっとね、前回途中でケンドン蕎麦の説明で、江戸カノコという雑誌みたいな本がありましたよという説明をちょっとしたんですけど、
実はこの続編で江戸スナ子という本が出るんですよ。
江戸スナ子?
カノコとかスナ子っていうのは目の細かい柄の子と言ってるんですけど、江戸のことを細かい柄のようにいろいろとつぶさに書き記してありますよみたいな。
そういうたとえでね。
たとえでね。で、カノコ言ったら今度スナ子だと言って、続江戸スナ子みたいなのが出てくるんですね。
続江戸スナ子には著者である紀孝賀専僚がね、この辺の蕎麦がうまいという評判が立ってますよというので何店舗も紹介をしています。
で、今回はその中からいくつか抜粋して紹介をしようと思ってるんですけれどね。
これはこの名店から生まれた蕎麦切り文化っていうのがあるんですよ。
ほー、蕎麦切り文化がここから生まれる?
そう、全ての発祥がそこにあるとは言い切るのちょっと難しいんですけど、
今僕らが蕎麦屋さんで見聞きするようなやつって、あ、そこで生まれたのねみたいなのがあるんですよ。
そうなんだ。
やっぱね、誰かが始めてるやつがあって、それが広がって気がついたらなんかみんな真似してわけわからなくなってるみたいなのがあるんですよね。
続いての名店
ということで今日はとりあえず3店舗かな、メインでね。
で、次回でさらに3店舗みたいな感じで紹介していこうかなと思ってます。
はい。
まず1店目、麹町4丁目のひょうたん屋。
麹町4丁目ひょうたん屋。
たぶん麹町どこかわかる?
いやいやわかんない。
あのあれだよ、今で言う東京のすぐ近くのあたりね。
あーそもそもまあそうか、江戸だから東京ね。
そうそう、あ、そうそう今回紹介するのは江戸知事なんで、江戸史中以外のものは基本的に紹介しないです。
あーそういうことね。
というのもですね、もう皆さん、僕の台本上9話目なんですけど、そろそろ忘れてると思うんですよね。
今回の蕎麦のテーマはなんでまた江戸でこんなに蕎麦が流行ったのかっていうのがテーマなんで。
あーそうだっけね。
なんで他の地域でももちろん蕎麦食べられてるんだけど、やたらと江戸って蕎麦文化できちゃったよねっていう目線で見てるんで、今回は江戸限定の名店を紹介していきます。
はい。
えっとね、出前蕎麦を出したのはこのひょうたん屋なんですね。
ほう。
もともとね、蕎麦っていうのはまあ想像の通り伸びるじゃないですか。
だから出前というよりは来てもらって食べる。
なんなら蒸し蕎麦だからね。
あーそうだね、蒸してたね。
なんですけど、実はこれを逆手に取って蕎麦切りを出前始めたところがあって、それがひょうたん屋というお店らしいんですね。
へー。
まあ他にもあったと思うんですけどね、ただここがうまい蕎麦を出前してくれるっていうので人気になったそうです。
ほうほうほう。
はい。面白いのがね、船切りとか、今だと生船って言うんだけど聞いたことありますか?
船切り?生船?
生船とかって言うんですけど、これね、船って言ってもあの川に浮かべる船じゃねえんだよな。
あ、違うんだ。船ってそっちの船だよね、漢字見ると。
漢字見るとそうなんですけど、四角いバットみたいなやつね。
四角いバット?
うん、今でいう、なんだ、業務用のバットあるじゃないですか。
あーバットね。
はい、あそこになんか食材並べたりしますよね。
はいはいはい。
中華料理屋さんと餃子が並んでるやつね。
うんうん。
あれの木製でできたのが生船とか呼ばれてるんですよ。
ほう。
見たことないか。
えっとね、いやあるよ、木枠みたいなやつ。
そうそうそう、あれです。
はい。
あれって蕎麦売って、で麺作るじゃないですか。
そしたらそこに蕎麦を並べておく器なんですね。
はいはい、まあラーメン屋とかでもあるよね。
あーそうですね、はい。
今プラスチックで代用してるとかなり多いですけど。
うん。
はい。
で、あれが生船って今呼んでるんですけど、昔船切りっていう呼び方をしてたらしいんですね。
ふ、船切り?
船切りかな。
船切り?
うん。
もしくは生船という言葉が出てきた以上は、生じゃない蕎麦を持ってた可能性もあるんですけど。
ほう。
はい、この辺諸説ありですね。
あーそうなんだ。
はい。
というのはこの船切りにですね、蕎麦を入れて出前してたっていうね。
ん、あーこれに入れるの?
うん、そう。
あ、蕎麦をじゃなくて作ったもの?
これに蕎麦を乗せてったんですよ。
あ、完成品を。
完成品を。
へー。
この器に入れてる以上お湯はってるわけなくて。
そうだね。
かけ蕎麦じゃないんですよ。
あーほうほう。
あ、器はそんな中に入れるわけではなくて。
なくて、ここに麺が持ってある。
あ、茹でたやつを?
はい。
へー。
茹でたやつもしくは蒸したやつかなーぐらいの感じですけど、わかんないですけどね。
時代的にこれね、今日紹介してる名店っていつオープンしたかわかんないのばっかりなんですよ。
名店の創業年不明
え、そんなにわかんないの?
わかんないです。
へー。
最近ですよ。
ほんとここ100年くらいになって、創業何年っていうのが明確になってくるんですよ。
うん。
ていうか、残すようにしてるからみんな。
あーそうなんだ。
けど昔はね、そんな何年に創業したとかね、いちいちメモしてないとこが多い。
へー。
ていうのも、サラリーマンいないんですよ基本的に。
あー。
みんな起業するのは当たり前の時代じゃないですか。
あーそっか。
会社という考えがまだないのか。
そう、大棚って大きいお店なんかだったらデッチボーコンみたいな感じで入ったりとかね。
うん。
で、記録もしっかりしてるんで残すんだけど、じゃあそば屋でも行くかなーとか。
うん。
俺はあの大工でもやろっかなーっていう感じで始めていくんで。
おーおーおーおー。
いつ始めたかわかんないみたいな。
あーもう名乗ったもん勝ちじゃないけど、名乗った順に始めていくみたいな。
あーなんかね、オープンするんだけど、誰も記録してないからわからないっていう感じ。
あーそういうこと?
うん。
だから、句伝でそのお店が今でも残ってれば、共宝何年に創業したという風に伝えられてますみたいな感じですよ。
あーまあ、うちも怪しいけどね。
そう、そんな感じじゃん。
うちもなんか、お父さんの年齢をカウントしてったら何年だったっていう。
そう。
くらいで、さかのぼって記録はしたけど、多分これ、お父さん亡くなった後だったら多分わかんなくなってた。
わかんなくなったと思いますよ。
ひょうたん屋の起源とべん柄の桶
もうそんな感じなんでね、多分このひょうたん屋さんは、共宝年間くらいじゃないかって言われてるんですよ。
ふわっとしてるでしょ?
ふわっとしてるね。
八大将軍吉宗の時ですよ、共宝だからね。
1716年から1736年という20年の幅のどこかみたいな感じで。
20年だいぶあるね、幅。
長いですよ。だからこの時代だから、まだ蒸しそばの可能性もあるんですね、まだ。
あーそうか。
微妙にね。
でそれを船切りに乗せて、でそれを運んでいく。
でこれね、当時の記録なのでよくわかんないですけど、そば切りを茹でて、べん柄の桶に入れ。
でこのべん柄の桶がイコール船切りなんですよ。
ほー、べん柄?
あ、べん柄?聞くと思ったんだよ。
何べん柄?あ、漢字か。
うん。弁当の弁に、あの柄物の柄ですよね。
うん。
でべん柄とかね、あと当て字でべにの柄って書いたりもするんですけど、
ほう。
もともとこれ、あのべん柄が正しくて、あのインドにね、ベンガル地方ってあるんですよ。
あーベンガル地方。
うん、ちょっと右上のところかな。
うんうんうん。
あのベンガル地方に由来してる名前なんで、漢字がそもそも当て字ね。
ほー、もうちょっとよく由来がわかんないけど。
まあまああの塗料ですよ。
あーそうなんだ。
土系の塗料ね。
はいはい。
で赤茶色のやつになるんだけど、これ見たことあるかな。
えっとね、江戸時代の古い建物、木造の建物だと玄関とか柱とかね、表の格子になっているようなところが真っ赤に見えるところがあるかな、見たことあるかな。
えー知らない。
そういうお店とかね、昔ちょいちょいあったっすけど。
へー。
今でも歴史のある街だという、たまーに見かけることあるかもわかんない。
うんうん。
これがね、そのベンガラという塗料の話なんだけどさ、すごく耐熱性が高くて、で気候の変化にも耐えられるからあまり風化しにくいっていうのでね。
あーそういう、守るための塗料として使われた。
そうそうそう、今だと漆の器の下地とかにね、使われたりなんかすることもあるらしいんだけど。
あーそうなんだ。
まあ器というよりは桶とかだよね。
桶。
丈夫さ求められるようなもの。
ああいったものに使われてるんだけど、このベンガラっていうのも赤く塗られた桶に蕎麦切りを入れてってこれ、桶って書いてあるんだけど、たぶんあのひょうたん屋さん曰く船切りに入れてたって言い張ってるんで、たぶん船切りでしょうね。
で真っ赤な小型の船切りに蕎麦並べて、でとっくりにつゆ入れて運んでますっていうそんな感じかな。
あーそうなんだ。
で茹で置きする文化があって、でこれも出前、でもうひょうたん屋さんは出前専門、基本的に。
出前専門。
うーん。
でいろんなところでこうほうぼう呼ばれてって、じゃあ家を改築しましたーってお祝いでーすなんて言ったら、あのひょうたん屋さんに注文が入ってね。
あーそういう出前か。
うん。
なんか今日頼もうみたいな感じではないんだよ。
そういうのもあったと思うよ。
でも今日頼もうだったらさ、何頼みに行くのに行くじゃん。
うん。
じゃあそのまま食べたほうが早くない?
いやいや、あのね、そういうね、庶民感覚違うんすよ。
あー違うんだ。
10人前とか20人前とかそういう世界なんで。
あーそうなの?
だいたいね、船切りでかいから。
あーまあまあまあまあ確かにね。
そうそうで、とっくり立てでかいとっくりだと思いますよ。
うん。
で、何人前も持ってそれで届けてもらう。
うんうんうん。
っていう感じですね。
そこそこ値段するんで。
あーそうなんだ。
はい。
だってそもそもね、ひょうたん屋さんのある麹町、江戸城に近い辺りなんですよ比較的。
おー。
もうね、あの、言ったら高級地域なんで。
あーまあ富裕層が住んでるようなね。
あの、お城から近いとなんか金持ちが住んでるんだっけか。
金持ちとかね、武士です武士。
武士か。
うん、武士階級が多かったりとかするんでね。
はいはい。
そういうところに向けた出前そばですね。
うん。
隣十三町に名前がトトロックみたいなこと書いてありましてね。
へー。
なかなか有名で、まあ言ったら、今ではね、まあ言わねえのか、
ベンガラ塗料と蕎麦の配達文化
あの、出前トロッカーって言ったらまずそば屋が上がるっていうぐらいね。
昭和で出前と言えばそばが定番なんですけど。
ほう。
ラーメンじゃないんですよ。
あーそうなんだ。
うん。
なんか天野門取るって言ったらそば屋。
で、天丼もそば屋から取るみたいな。
あー天丼も。
ね、そんな感じなんで、そば屋さんと言えば出前、出前と言えばそば屋さん。
だから、昭和だとあの自転車に乗って肩に、あの、セイロそば。
うん。
四角いセイロを積み上げてこう、出前してるとかね。
あー片手で持ってね。
岡持みたいなのがあったりとかね。
うん。
まあそれこそ前回のあの、剣丼の、剣丼はあの、岡持みたいなやつを剣丼って呼んでたって話ありましたけど。
うん。
ああいうのの走りでしょうね。
ほう。
出前そばの高級店、ひょうたん屋さん。これが一つですね。
300年やってんだね。
えっとね、えー、そんなに潰れてました。さすがに。
あー、あの、その出前をね。
あ、出前自体はね。
日本人ね。
うん。ずっと長いことやってます。
そうなんだね。
はい。結構長いですね。
うん。
ひょうたん屋さんは、開栄6年だから1853年に閉店をしたそうです。
あー、逆にその記録よくわかったんだね。
これね、わかってないんだよ。
わかってないんだ。
この頃を境に、ポンと文字に現れなくなるって感じ。
あー、そういうことね。
うん。ひょうたんの店ってね、ずっといろんな、江戸時代ってほら、グルメランキングの本とか。
うん。
チラシみたいなのいっぱい出るから。
えー、そうなんだ。
はい。で、そこにどれを見てもふっと出なくなるのがだいたいこのあたり。
うんうんうん。
で、その開栄5年とか4年あたりまで出てて、7年のその後のやつにはいきなり出てこなくなるから、この辺だなっていう話。
あー。まあランキングに乗らなくなっただけかもしれないけどね。
かもしれないけどね。その後姿は消してるし、1853年ってペリー大王の年なんでね。
うんうんうん。
まあなんかいろいろあったんでしょう。
まあいろいろありそうだよね、あの辺は。
そんな気がしますね。
うん。
はい。じゃあ次行きましょう。
ゾウシガヤ地域と立花屋のデモンストレーション
はい。
ゾウシガヤの、ゾウシガヤって地名ね。
ゾウシガヤ。
うん。あの東京にありますね今で。
瀬戸ヶ谷みたいな。
あーそうそう。
名前的に。
えーと池袋の近くかな。
ほう。
はい。行ったことない方はね。
ない。
ない。ゾウシガヤっていう町があるんですよ。
あ、まだあるんだ。
もちろんもちろんあります。
はい。
名前が。
怒られれば、住んでる人いっぱいおるけどね。
名前がね、ほら、昔の名前なかったりするからさ。地名って。
あー。いわゆるとね、江戸の地名結構残ってますよ。
あ、そうなんだ。
渋谷とか新宿とかもその当時からあるしね。
へー。
うん。あのもちろん空ではないけど。
あーそういうことね。
当時のゾウシガヤ村の立花屋というお店ですね。
ほう。
これはね、店頭で蕎麦家をこう、デモンストレーションで見せるのを走りって言われてますね。
デモンストレーション?
そう。
だからね、今でも蕎麦屋さんとか行くと、まあほとんど今機械ですけど、ガラス張りのところがあってさ。
うんうん。
で、その向こう側でおっちゃんがこう蕎麦家やってたりするわけじゃない。
はいはいはい。
あれの走り。
え、そうなの?
うん。
へー。
で、しかもその蕎麦がめちゃくちゃうまいっていうので評判になったというのが、この立花屋さんですね。
へー。
そうやって見せたんだね。
そう、見せた。
これね、なんでこんなこと始めたかっていうと、観光客相手なんですよ。
観光客?
うん。
ゾウシガヤに今でもあるんだけど、岸文人堂っていうのがあるんですよ。
岸文人堂?
鬼の子の母の神って書いて岸文人。
まあ人によっては岸文人って読んでもいいんですけど。
うん。
ゾウシガヤ多分岸毛じゃないかな。
岸文人。
うん。ちなみにゾウシガヤは確かね、鬼の一画目のチョンがないんだよね、確かね。
おー確かにチョン書いてないか。
うん。僕は普通に読みにくいんで、普通の鬼という字書いたんですけど。
うん。
多分ホームページ見ると鬼の一画目のチョン消してあるはず。
そうなの?
これはね、この岸文人という神様なんですけど、仏教上の神様ね。
うん。
うん。なんですけど、鬼が角が取れるんですよ。
角が取れる?
そう。もともとね、これ岸文人の話すると脱線しまう。まあいいや、いっか。
宗教上の神様っていうかね、女神に扱いしてるんですよ。これ仏教の話の中ですよ。
岸文人堂って何?お堂?
お堂、お寺ですよ。
あ、お寺?
一応仏教系なんで。
のお堂があって、この岸文人という神様を祀ってると。
はいはい。
この岸文人っていうのはもともとインドのイヤシャ、イヤシャって分かります?
分かる。
鬼の一族みたいなもんだとざっくり思っておいてください。
はい。
の奥さん、だから鬼なんですよ、要は。
まあまあ鬼だね。
で、小宅さんでね、500人くらい子供いるんですね。
多いな。
で、その子供たちを養うために、ほら母乳出さなきゃいけないからめちゃくちゃ体力使うじゃないですか。
うん。
だから、毎日数百人単位の人間の子供を捕らえてきて食べてたと。
おお。
いうのがあって、そこに仏さんが来てね、仏陀が来て。
で、里して、で、一人隠すんですよ、子供。
500人のうちの子供。
そしたらこの岸文人がめちゃくちゃ悲しんで、方々を探しまって。
で、そこに仏陀が声をかけて、お前500人もいるのにたった一人の子供でもそんなに気が狂うほどにね、嘆き悲しむわけじゃないかと。
はい。
これがね、人間のね、たった一人の子供を連れ去られたらどう思う?
言って反省をすると。
ほう。
で、その場で心を入れ替えて、で、仏陀もその子供を返して、で、心を入れ替えて子育ての神様になっていくんですよ。
ほう、神になるんだ。
神様として、その人間の子供たちを守るとかね、育てるとかいう神様になっていくんですね。
へえ。
で、江戸時代っていうのはほら、近代、現代に来るまでの間はずっとそうなんですけど、
橘屋の成り立ち
子供っていうのはなかなか成人するのが難しいんですよ。
まあまあ、確かにそういう話あったね。
けがとか病気とか栄養状態とかのことがあるんで。
だからね、わりとこういう神様っていうのは、信仰の対象として人気があるって言ったらええんですけど、結構来るんですよ人がね。
はいはいはい。
しかも、この辺りね、江戸市中からするとそこそこ距離あるんですけど、
近所に五穀寺とかあって、もう江戸で観光地といえば五穀寺か雑志ヶ谷の岸本神道かみたいなぐらいの、一大観光地なんですねここね。
はいはいはい。
で、そこにめちゃくちゃ参景客が来るわけじゃないですか。
うん。
ね、でその人たちに向かって、えいそば行きますかってやるわけですよ。
あーそういう観光のね、場所としてね。
うん。なんで、それでアピールするために店先でそばを売つっていうことをやり始める。
はいはいはいはい。
で、この橘屋さんの成り立ちが面白くて、もともとここの橘屋さんってそば屋さんじゃないのね。
そば屋さんじゃないの?
うん。もともと団子屋。
あ、団子屋?
うん。団子とお茶ね、煎茶を売ってる。
うんうん。
あの、峠の茶屋みたいなもんですわ。
はいはい。
それを参景客向けにやってましたと。
で、そばが最近流行ってきてるんで、そば出すかでって言ってそばをやり始めるんだけど、
あの、行きゃ分かるけど、あの観光地の団子屋さんってだいたい店先で団子を焼いてるでしょ。
焼いてるね。
あのノリでね、そば店頭でやるんだよね。
あーそういうね、だから思いついたのもあるかも。
かもしれないね、はい。
これがね、大ブームになっていって、もともと団子屋がそばを始めたらそばで大ヒットして、
で、途中から名物そばっていう看板を自分で出して、しかもいろんな雑誌に取り上げられるようになって大成功するんですよ。
ほうほうほう。
で、気がついたら料理屋さんになっていく。
だいぶあの、あれだね、進歩したというか、あの、変えたね、業態ね。
そう、もう料亭化していくんですよ、どんどん発展して。
で、最終的には奇襲藩本陣の宿になっていく。
橘屋の成功と成長
奇襲藩本陣の宿?
そうだ、奇襲藩、奇襲藩分かりますよね。
奇襲藩。
和歌山のあれ、あの、とこが御三家ですからね。
そこが奇襲藩本陣のとこに来たときには、必ずこの橘屋さんに立ち寄る。
ここを旧形城内市は宿としますよ、みたいな。
へー、もうすごい御代たしみたいな。
そう、御代たしね。
御代たしか。
御代たしになっていくというのがもう、ちゃんと記録に残ってますね。
へー、じゃあしばらく潰れないね。
そう、そのはずなんですけども、もちろんないですけどね。
ないんだ。
ないです、はい。いつの間にかいなくなってますね。
あー。
ちょっと脱線するんだけど、
実は、お菓子屋さんと蕎麦屋さんって、縁が深い。
縁が深い。
江戸の場合だとあんまり書籍上出てこないんですけど、
おそらく元々団子屋さんみたいなところがね、蕎麦を取り扱うようになったりってこともあったと思うんですよ。
というのも、京都。
京都。
京都の都では、お菓子屋さんが蕎麦を扱うんですよ。
お菓子屋さんが蕎麦を扱う。
そうなんです。
すごい謎だね。
思えるでしょ。
共通点は粉もんですわ。
粉もん?
どっちも粉を扱いますよね。
お菓子って粉もん?
そうなんです。京都の古い伝統的なお菓子屋さんっていうのは、どこから発祥してきてるかというと、平安時代の東蛾市にルーツがあるんですよ。
平安時代の東蛾市。東蛾市どっかで聞いたんだよ。
これは日本料理の変遷シリーズのかなり初めの大京料理ですね。
あれの台版でいくと右上のところかな、右奥のあたりに京蛾市っていうのが、左上だったとは知ってたけど東蛾市っていうのが並んでるんですよ。
なんかあったね。
これが作米とかね、そういう練り物が多いんですね。
作米聞いたぞ。
小麦粉を使って練ってこねた餅とかそういったものなんですけど、
そもそも餅という漢字が小麦粉を加工した食品っていう意味を持ってる中国語なんで。
あーあったねその話。
日本に入ってきた時なんか米に当たっちゃったからわけわからなくなってるんだけど、
もともと米っていうね、米っていうのは小麦粉をこねた加工品でこれが東蛾市になってきます。
これをもともとは頂点の中で作ったりとかね、してたんですけど、ぐーっと時代が後になってもうほんと室町時代とか江戸ぐらいになってくると、
もうね、
電柱、給柱でもクゲさんたちも欲しいわけじゃないですか。
儀式やなんやかんやで。
でお寺とかね神社とか使うじゃないですか。
その時にもう自分たちで作ってらんないわけですよ。
アウトソース。
アウトソース?
買ってくる。
え、買ってくる?
作ってくれる人がいると買えばいいじゃん。
まあ確かに。
で日本酒もそうですよね。
もともと柿のつかさって言ってお寺の中で作ったんだけど、
酒屋さんが出てきたらそれを買えばいいし。
まあまあまあ大変だしね。
豆腐も寺の門前で豆腐屋さんが出てきたら
そのお寺がそれを買うみたいなことをやりましたよね。
基本的に自分のところでやったんだけど、
商売になると思ったら商人がそれを始めて、
クゲとかお寺とか買うっていう流れがあるんですよ。
お菓子屋と蕎麦屋の縁
でやっぱりお菓子もそういう風になってくるんですよ。
そしたら江戸ぐらいになってくると、
もうすでに説明した通りそばっていうのが、
まあうどんとか麺類全般ですけど、
特に江戸ではそばっていうのは人気になってくるわけですよね。
で、京都でもそばってやっぱり人気になるわけですよ。
なんならそばのルーツ京都にあるんじゃないかって
僕は勝手に思ってるんですけど、
そうするとそばも自前で作ってたりはするんですもちろん。
お寺だから。
なんですけどこれもアウトソースしたいわけじゃないですか。
まあ粉ひくところからだからね。
大変だよね。
だいぶ大変じゃないですか。
じゃあ誰に頼もうかなってなったら、
出入りの菓子屋に頼むんだわ。
こんなもん扱ってるから。
そう。
もともと良質の、もちろん健常するようなお菓子作ってるところなんで、
米粉も小麦粉もめちゃくちゃ上手なもの扱ってて、
しかも粉を扱う技術がめちゃくちゃ高いわけじゃないですか。
ついでにそばも頼むようになってくる。
みたいな感じで、
京都だと割と古いお店だと、
お菓子屋さんがイコールそば屋さんを営んでる。
だから今でも残ってるのと本家終わり屋さんとかね。
終わり屋さん。
終わり屋さんっていうのがあったりとか、
川道屋さんていうのかな?とかが今でも残ってますけどね。
それは残ってる。
この本家終わり屋さんっていうのは、
もともと菓子のつかさ、お菓子専門店なんで、
お菓子屋さんもやりつつ、別店舗でそばの専門店もやってたりします。
これは宮中に呼ばれて行って届けたり、
宮中の中でそば売ったりとかね。
宮中の中で売ってる。
とかやってたらしいですよ。
あと川道屋さんは遠慮寺に出入りしててね。
遠慮寺?
平山遠慮寺。
あの中でそば売ったりとか、そこにそば届けたりとかね。
すごいとこで売ってるね。
本業はお菓子屋さんなんです。どっちも。
得意な人に任せたって感じなんだろうね。
もう常に人気で呼ばれるようになっていくっていう感じなんですよね。
天台宗とそばって結構ここも密接なんですよ。
遠慮寺で、前言ったかな、千日開放行みたいなのがあってって話しましたっけ?
千日開放行の名前はどっかで聞いたけど、ラジオ内かどうかは覚えてない。
千日くらいかけて山の中を飲まず食わずで行くっていう業があるじゃん。
荒業みたいなやつがね。
その前に断食業みたいな、五穀立ちっていうのがあるんですよ。
その時に唯一口にしていいのが水とそばっていう。
水とそば。
そば粉。
そば粉。
そば粉を常備持って行って山の中に入って、そば粉を沢の水で練って食べるとか。
そばって生で食べれますからあれ。
生で食べれるの?
そば粉って生食果なんですよ。
そうなの?
なので、チベットの山奥だと今でも脱炭そばだからちょっと苦味はありますけどね。
今でも普通にそば粉を物資運んで、すごい標高の高い山を馬とか羊なのかわかんないけど連れて歩くじゃないですか。
この時にポケットの中に袋があってて、そこにそば粉が入ってて、それをそのまま口にバクって入れる。
そのまま水で流し込むみたいな文化が今でもちゃんとある。
そうなんだ。なんで今そば粉って生食で出回ってないの?
だってそば切りにしたほうがうまいからじゃね。
まあまあそういうことね。
単純に。
まあ確かに。
っていう感じなので、冷え山でも天台州ですね。
平沢に略して天台州もそばとの縁が深い州派ですかね。
これは次回の動画でちょっとまた天台州出てきますんでね。
そうなんだ。
前振りしときました。
じゃあ天台州ももう一回さらっと言ってもらってください。
西町のやつね。
西町のやつ。
そうです。じゃあこれはこの辺にしときましょう。
雑誌がもう一個名物そば出てくるんで。
もう一個。
今の橘屋さんっていうのは門前なんですよ。
西門の前にイメージしていくと
両サイドにずらーっとお店が並んでるとこあるじゃないですか。
土産物屋さんみたいなのずらーって。
あの中の一角のね。
浅草みたいな。
今で言うと浅草浅草寺の中店通りみたいな感じ。
ああいうのがいろんなところの観光地で見られると思うんですけど、
その中の一つが橘屋さん。
これから言うのは名もなき。
もう野望ないんだ初め。
野望ないの。
野望がない。
しかも岸本神道から社地を離れた。
そこの岸本神道を離れて東にだいぶ行ったところ。
東にだいぶ行ったところ。
歩いてね。
少し離れたところ。
茶屋町を離れ、やぶの中に一軒ぽつんとある百姓家。
百姓家?
農家。
農家。
農家さんのただの家。
ここの寛兵衛という農家の爺がいるんですよ。
この農家の寛兵衛さんが副業で蕎麦を打つんですね。
おお。たまに確かに農家レストラン的だね。
そう。これも初めは別にその場でレストランをやってるわけじゃなくて、
例えば岸本神道2,3軒に来るお客さんがね、
ちょうど通りがかりかなんかで行きかけに、
寛兵衛のおじいさんいるけーって言って、
およー、
お、あとで取れるから頼むよ。
2,3人前やっといてくれ。
って言って、蕎麦も岸本神道行って3軒して茶店とか楽しんで、
帰り際に、
お、寛兵衛さんできたかい?つって、
あいよーっつって。
おお。
おみやげみたいに持って帰る。
蕎麦店の評判になる
それ便利な人だね。
そうそうそう。
だって農家の副業だからさ、
その間に蕎麦を打っとけばいいんだもん。
まあ確かにね。
やっておくよっつってやったら、それがまたうまいんだよって。
蕎麦粉100%でね。
割り粉を入れる、小麦粉を混ぜるとかそういう器用なことしませんから。
はいはいはい。
必死にきこうち蕎麦で丁寧に作る。
この田舎蕎麦が超うまい。
ということで、だんだんと評判になってくるんですね。
まあ農家が職人みたいなもんだからね、もともとね。
だんだんと評判が出てきて、
お堂に3軒に行かないのに、その蕎麦だけ買いに来る人が出てくるんですね。
なりますよね。美味しければね。
美味しければね。
そのうちに、蕎麦を茹でてくれと。
食わせろと。
その場でね。
上がったって言って、しょうがないから蕎麦汁も用意し始めるんですよ。
うんうん。
ところがね、この勘弁さ、料理心あんまりないらしくて、
これ書いてるとちょっと笑っちゃったんですけど、
汁を持参で蕎麦切りを食いに行くっていう文句が出てくるんですよ。
まあ汁の評判は良くなかったんだね。
蕎麦切りは別方うまいんだけど、
汁がまあいまいちなーっつって、しょうがないから自分で蕎麦汁を用意して、
とっくに茹でて持って行って、茹でてもらって食うっていう。
そこまでして食べたいのかね。
そこまでして食べたいらしい。
ああ、相当美味しかったね。
相当美味しかったんだと思う。
それも多分ね、蕎麦家の技術が相当高かったんだと思う。
ああ、まあいるよね。
割になんでその仕事だけなんていう人。
うんうん。
そういう感じなのかね。
そのうち蕎麦屋さんになっていくわけですよ。
続江戸砂子が出版された1731年の頃はそんな感じだったんですけど、
その20年後に蕎麦全書っていうのが出版されますね。
蕎麦全書。
このシリーズ何回か出てきますけど。
蕎麦全書に書いてある、もちろんこの矢文の中のジジが蕎麦ってのが出てくるんですけど、
他の店の技術、蕎麦家の技術がどんどん向上したので、
もうこの矢文の中のジジの蕎麦あんまり流行らなくなったよねって書かれてる。
そうなんだ。
あんまり人気が出なくなっちゃったなみたいな感じらしいんですよ。
周りが上手になったとか店が増えたとかかな。
かもしれない。
みんな訓練、修行してるっていうかね、
蕎麦家の技術がどんどん上がっていったなって話だと思うんですよ。
僕が思うには演出が足りないんじゃないかな。
演出。
だってさ、普通に農家だよ。
矢文の中の農家だよ。
イノシシとかキツネとかタヌキとか出るような矢文の中にポツンとある
ただの農家のドマとかで食わせるわけだよ。
ずっと何とかするかって話じゃない。
まあね。
でも知ってる人はあまり教えなかったのかもしれんけどね。
いやもうどろどろ来てたもん。
あ、そうなの。
でね、だんだん流行らなくなるじゃないですか。
で、どこかのタイミングで寛兵衛さん自身がやったのか、
江戸時代の蕎麦の流行と衰退
その後周りの親族とかやったらわかんないですけど、気がついたらですね、
風情のある茶屋風の建物に改築をしてですね。
改築。
したらまた大人気になる。
あ、また復活するんだ。
大人気になって復活する。
もう、とちまんりょうっていう紹介詞がやっぱり1771年に、
これは絵かな、絵の方で出るんですけど、
もうね、大繁盛してる様子が描かれてますよ。
ああそうなんだ。
描かれるほどにそんなに有名だったのか。
有名になって人気になる。
へえ。
これがヤブそばの原点。
あ、これがヤブそば?
はい。
あ、そういうこと?
そう、ヤブの中にポツンと一軒ですよ。
うん。
で、ヤブそば。
まんまだね。
まんまです。
あ、ほんとだ。文字のまんまなんだ。
はい。
これをみんな、カンベさんのヤブそばが大人気になるので、
うちもあれにあやかってそば上手になって流行ってになりたいよっていうので、
ヤブそばっていうのが増えるんです。
でたでたあやかり。
でたあやかり系ですよ。
ああ、多いね。やっぱり。
もうね、江戸の商売だいたいそんなもん。
みんなそれ。
ねえ、だいぶあやかってんね。風鈴そばとかね。
うん。これね、ちょっとね、打速で面白いなと思ったのが、
前回か前々回ぐらいに出てきた文人大田南保さんね。
大田南保さんがやっぱりこのヤブそばに行っているらしくてですね、
こんな教科を残しています。
見渡せば麦の青葉のヤブのそば。
狐たぬきもここへ起草寺。
ちょっといろいろとひっかけがあってね。
見渡す限り緑しか見えないぐらいヤブだらけだぞと。
もう狐とかたぬきも出そうなぐらいヤブの中だと。
で、最後にここへ起草寺っていう、
起草じゃっていう代わりに起草寺って言ってるの。
これ人の名前なんですよ。
あ、人の名前。
誰やねんってなるじゃないですか。
この起草寺っていうのは大田南保と友達で交流のあった仲良しさんなんですけど、
この起草寺がなんと寛兵衛さんの息子なのよ。
寛兵衛さんの息子。
そういうつながり。
つながりみたい。
多分ね、書いてる漢字を読み解くと、
起草寺さんっていうのは造紙が屋出身の、
例えば刀の唾とかああいうところの飾り物あるじゃないですか。飾り細工。
あれの職人で名人として名を馳せた人らしいんです。
で、そういうぐらい名工と呼ばれる人だったから、
割と文人、俳人と交流があったらしくて。
大田南保とか、あと坂井邦一とか。
そういう人たちも交流があって、
起草寺の親父が始めた店だっていうので、
矢部側に行ったりとかね。
でまたさ、文人が知っちゃうから、
それで教科とかね、いろんな奇妙書とかいろんな本にどんどん名前が出てくるわけですよ。
すごい広告風だね。
勝手に広告されて勝手に流行っていくっていうので、
さらに矢部蕎麦という名前が広まって、
矢部蕎麦の誕生と繁盛
さらに綾借り隊軍団が出てくる。
知名度とね、味とね。
そうなんです。
元祖矢部蕎麦はそのうちにもちろんまたなくなっていってしまうんですけど、
元祖矢部蕎麦がまだ営業中に出てきて有名になったところの一つが、
一番流行りのかな、深川の矢部蕎麦。
深川。
江東区白川。
江東区白川。
もうね、東東京だね今でいうとね。
あっちの方に矢部蕎麦というまんまの店名が出てきます。
店名は矢部蕎麦なんだ。
そう、そのまんまです。
これはね、すごいですよ。
庭に古池があって釣りを楽しめる。
すごいね。
だいぶでかいでしょ。
でかい。
夏場には店内に浴室があって、そこで汗をパッと流してから蕎麦を楽しむみたいなね。
お風呂つき。
風呂つき。
風呂つき釣りつき蕎麦屋。
庭がでかくて風情があって。
で建物も2階建てでみたいな。
2階建て。
あの時代にね。
すごいね。
でこれ本庄深川絵図っていうのが残ってる。
絵図っていうのはいわゆる地図ですよ。
これが1853年に描かれた地図なんですけど、
これ見るとですね、
矢部蕎麦がちゃんと地図に載ってるんです。
載ってる。
深川の矢部蕎麦がちゃんと載ってる。
これね何がすごいかっていうと、これ実物見たらわかります。
本庄深川絵図っていうのがありますから、興味あったらググってみてください。
基本的に名前が載ってるのは大名家ばっかりです。
そういうことね。
わかんないですけど、駿河藩徳、松平家何々とか。
そういう三近交代で住まうような江戸屋敷が載ってるんですよ。
それ以外のところは大体何とか町で終わりなんですよ。
田んぼとか何とか町しか書いてない。
地名だけ。
地名だけ。
そんな中に矢部蕎麦だけはちゃんと矢部蕎麦って書いてある。
同格。
うん。
すごいね。
同格っていうかねでかいんだと思う単純に。
面積が。
地図で見ると確かに周りが神奈川藩とか金沢藩とかすげーでかい藩がいっぱい書いてあるの江津田藩とか。
だからすげーちっちゃくしか見えないんだよ。
周りもでっかい寺だから。
だけどこれ現代の地図に重ねるとたぶん軽くビル二つ三つ飲み込むぐらいの面積あるよ。
大きいね。
当時の江戸屋敷がめちゃくちゃでかいからね。
この間なんか携帯で見たやつか。
それそれです。
あれ相当でかかったよね。
だいぶでかいでしょ。
だって屋敷一個だと東京駅丸ごとだったもんね。
大きい藩になるとふだいとか藍とか。
ああいうところの中にポツンとちっちゃく見えんだけど実は結構でかい。
あれなんかちょこっとね四角でこう屋敷みたいな感じで書いてあったけど東京駅一キロぐらいあるからね。
そうですね。
一キロ四方丸ごと屋敷ってやばいよね。
武家屋敷ってそういうやつなんですよ。
そんなでかいんだね。
すげえ脱線するけどアコーローシってあるじゃない。
アコーローシってどこで聞いたんだっけ。
打ち入りですよ。
年末にこう太鼓を鳴らして大石倉之助が殿の敵討ちでキラ小助之助の屋敷に打ち入りしますみたいなのあるじゃないですか。
あれはだいぶ演出されてるからかなりおかしなことになってるんだけど。
そもそも47人の侍がオリャーって門を破って打ち入りして中でちゃんちゃんバラバラ暴れまくるわけじゃないですか。
暴れられるだけのスペース必要だからね。
一キロ四方あったらどんぶんに暴れられるよね。
表門と裏門から両方から攻めるみたいなことやってるわけなんで。
だいぶ遠いもんね。
だいぶ広いです。
そういう感じの中にあるから小さく見えるけど実は矢部相馬もでかいよっていう対比で言ったらなんで対比の説明のほうが長いんだよって。
だからあれか忍者とかって忍べたんだ。
忍び越えるって。
なんかな。
でかすぎて。
じゃあ無理じゃない普通のさ今みたいな家みたいなとこに忍び込もうと思ったらすぐバレるじゃん。
そうですね。
だってせいぜいに100メートル四方ぐらいが大豪邸じゃない。
100メートルぐらいだったら入ってきたら入ってきたってなるけどさすがにいっぺん1キロだったらわかんないよね。
だいぶでかいですね。
で一方で下町に行くと長屋の人たちがいるわけですよ。
もう狭いとこですんで。
狭いね。
隠すとやばい。
すごい差だね。
これが江戸の首脳交渉ですよ。
これが階級社会ってやつね。
すごいね。屋敷にも反映されるんだね。
見事に。
見事にね。
お寺もでかいですみんな。
お寺ね。
という感じ。
そういうことなんだ。
地図から読み解くだけでもそんなことがわかりますよって話ね。
じゃあ最後。
あやかったやぶそばでもう一つ有名になったのがありますね。
団子坂のやぶそばの歴史
団子坂のやぶそば。
団子坂。
なんで団子坂のやぶそばって言ってるのかわかんない。
一応矢後をツタヤって言うんだけど。
ツタヤ。
今の文教区の仙台のあたりかな。
ツタヤってあのツタヤの漢字だ。
漢字はツタヤさんですね。
ツタヤ十三風呂のツタヤと一緒ですね。
おそらく文青年間にできただろうって言われてるんで、
これちょっと後ですね。
1818年から31年が文青年間なんでそのくらい。
1818年。
多分やぶそば元祖が1700年代の序盤のはずなんで、
51年にはもうだいぶ流行らなくなったとか言われてるくらいだし、
31年にもう出てるから、
やぶそばが創業100何周年とか言ってるときに団子坂のやぶそばができるみたいな感じ。
完全なあやかりですよ。
ここもまたすごくて、団子坂行くとわかるんだけど、
本当名前の通り坂がいくつかあって、
そのちょっと小高いところにあったらしいんですよ。
眺めがすごく良くてね。
遠くに水車が見えて田んぼが広がっていてっていう、
そういう丘のようなとこにあって、
庭にはやっぱり古い石があって、
苔むしていてね。
いくつも離れがあってね。
そこでゆったりとお酒を飲みながらそばが出てくるのを待つみたいな。
そばって高いんだね。
今回はそういう高い店ばっかり紹介してるからね。
そば屋でもそんな高いところあるんだね。
あるんですよ。
全然違うね。
寿司でも庶民のやつとそうじゃないところが出てきたように、
そばも分岐をしていくわけなんですね。
ちょっとメモしてないんでうろ覚えですけど、
ざっくりとこれを江戸時代に分類してる人がいるんですよ。
分類。
そば屋には大きく分けて3つプラスアルファ。
プラスアルファっていうのは屋台そばね。
お店を持ってるそば屋で大体3種類のパターンがあるよねっていうのを
最先期っていう書物にまとめてあるので、
それの分類でいくと、
高級そば屋がありますよね。
ここはそば粉も真っ白のきれいな上等なそば使ってて、
売りとしては割り粉も入れてなくて、
結構うちそばではやってますよみたいな。
高いの。
これのことを手打屋そば市って言って名前をつけてるんですよ。
手打屋そば市?
面白いのが、
高級そば、低級そばで中間っていう風に分類分けしてるんだけど、
それに一個一個低級そばのことをダジャレで名前つけてるんですよ。
名前つけてるの?
高級そばは手打ちそば使ったから、
だから手打屋そば市とかっていう人の人物名になぞらえて、
手打屋そば市シリーズ、評担屋、正直屋、やぶそばとかって書いてあるわけだよ。
そういう意味ね。
一番下の低級そば屋が大森康二郎って書いてある。
大森康二郎?
そばがドーンと大森で安いよっていう意味で、
大森康二郎って人の名前がつけられてて。
大森康二郎の中で有名なのはこういうところがいくつかあるよみたいなのが書いてあって、
その真ん中の二八そば使ってるような中級そばね。
森屋賭け蔵って書いてある。
森屋賭け蔵?
森そばと賭けそばをメインで売ってるから森屋賭け蔵みたいな。
そういうことなんだ。
だからこういうふうにざっくりと分けられて、もちろんそこから細分化してるんだけど、
このぐらい三分割できるようなものが当時の江戸に分岐して出てきたよって話ですね。
ここのもう一個外れた向こう側に屋台そばっていうのが出てきて、
屋台そばも風鈴そばと四鷹そばが出てきて、
分岐したのにまたガッチャンコして、そばのあの世界になっていくっていう話よ。
時そばのあの時代の中で一方でこういうそば屋もある。
高級店もあるっていう話ですね。
いずれも今あやかって出てきた深川のやぶそばも、
団子坂のやぶそばも明治の終わり頃には閉店しています。
そうなんだ。
なんか明治末に閉店しまくってるんで、いろんな店が。
寿司屋とかもそうなんだけど。
なんかあるんだろうなと思って、それは現在調査中です。
分かりませんでしたまだ。
調査中。
この後もそば屋もあるからなんかあるんでしょうね。
ちなみにこの団子坂のやぶそばはね、支店を持ってたんですよ。
神谷。
そこも津田屋の支店として、名前は津田屋だったんですけど、
明治13年にのれん分けをして、
これものれん分けだからお弟子さんかなんかに
お前のもんだよって言って完全に分かれちゃうんですね。
そこは神谷やぶそばっていう店でなるんですけど、これ今でも営業してます。
今もある。
だから歴史上に出てきたこの有名なやぶそばシリーズの中でも
唯一残ってるのが、あやかった方の一番最後のやつの
さらにのれん分けされたやつが残ってる感じ。
本筋はもういないんだ。
もういない。
だいぶ前だからね。
だいぶ前だね。
300年くらい前だからね。
そっか。
まあいろいろあったんでしょうよ。
1800年くらい?200年ちょっとか。
うん。1868年が明治元年なんで、
そこから12年経つと1880年創業ですかね。
のれん分けされたのが神谷の支店がね。
それでもだいぶ長いですけど。
長いね。
江戸はいろいろと改編もあるしね。
まあまあ原型ないしね。たぶんね。ほぼ。
矢部の位置と江戸の地域
ないですよ。だって雑志ヶ谷、池袋から徒歩どのくらいだろうね。
岸門陣って。徒歩で歩いたって20分とかそんなもんじゃない?
池袋駅から。
ああそうなんだ。
確かそんなもんだったと思うよ。ちょっとちゃんと調べてないけどさ。
なかなかですよ。
JR池袋駅からまっすぐ南ですね。ほぼね。
行ったあたりなので。歩いて10分ちょっとかもね。
ほんとだ。池袋から駅からだと15分くらいだね。
岸門陣道がそれ今Googleマップだともっと手前に出てるでしょ?
だから10分ちょっとくらいですよ。
ここが矢部だったわけですからね。
ここ矢部だったの?
岸門陣道は栄えてたんでしょうけど、その東側右側なんで今でいうと雑志ヶ谷霊園とかあるあたりなのかな?
そのあたりはもう一面矢部っていう感じなんで。
そんな感じだったんだ。
だいたいここ江戸じゃねえからギリ。
江戸じゃないの?
江戸なんだけど江戸じゃないのよ。
江戸ってどこだ?
江戸支柱っていうのはもう新宿あたりを西の端っことしてもうちょっと内側かな。
山手線内側あたりから東は深川両国あたりが限界。
浅草とかあるじゃないですか。スカイツリーあるあたりがもうちょっと江戸支柱からはみ出る感じ。
そうなんだね。
今考えてる東京23区とか山手線圏内とかっていうのと比べるとかなりぎゅっと狭いところに100万人住んでたって感じですかね。
めっちゃ住んでたね。
そうなんですよ。
今1000万人だから同じような感じなのか。
南がないけどね。江東区とか半分以上当時ないから海だからね。
そうか埋め立て?
そうです。深川あたりが一番最初は海に一番近いところなんで。今の夢の島なんて平成に埋め立てたところだしねそもそも。
そうかそうか。
牙あたりも全然海ですよ。
全然違うね。
興味あったら江戸地図とかで見るとググったら出てくるんで。
大江戸混雀巡りっていう携帯のアプリあるんですよ。ベースとなってる地図が時代調といろいろと混ざってるっぽいんですけど、
現代のグーグルマップと当時の江戸絵図をレイヤーで重ねてあるんで手元でスライドすると現代になったり過去になったりできるから。
これ見ながら街歩きしたら面白いじゃないですか。
大江 確かにね。その前に根本的な知識が必要そうだから。
まあそっか。
大江 知識ない人は逆に見ないかもしれないけどね。見ようと思わないかもね。
これ楽しいんで。面白いと思いますよ。
っていうような今日はそんな話かな。
大江 江戸の名店。
江戸の名店パート1かなこれね。
大江 パート1なんだ。
あと3店舗紹介したいところがあって。
ああそうなんだね。
じゃあこれはこの次に続くと。
食べ物ラジオのゲスト回と限定公開音声
大江 次回に続きます。
最初に言ったただいま発行中さんのゲスト回は僕らもただいま発行中さんのラジオに出演してます。
なのでよろしければそちらもぜひ聞いてみてください。
大江 ぜひ聞いてください。
この配信のタイミングで公開されていればリンクを貼っておきます。
配信されてなかったらただいま発行中さんを聞いてない方はフォローしていただいてお待ちいただければと思います。
僕らがゲストであちらにお邪魔したときには普段食べ物ラジオでは絶対話さないだろうなっていう内容を話してますね。
話さないね。自分で話すことはまずないと思う。
あと番外編?番外編っていうかサポーターの限定音声。
大江 限定公開音声ね。
限定公開音声。食べ物ラジオのサポーターさん向けとただいま発行中さんのYouTubeの有料会員の方で配信される音源を撮ったんですけど。
ヤバい。
大江 ヤバいか。
ヤバかったね。
大江 だいぶヤバかったね。
だいぶはっちゃけてるね。
大江 はっちゃけてそれをあんまり公開していいのかなみたいなぐらいの結構ツッコーの話してましたね。
結構コアの話してました。表に出したらこれいろいろ解釈あるからワンチャン炎上するよねみたいな話もしたよね。
大江 ある程度わかってる人同士ならそういう意味ねってわかるだろうけどねっていう感じの話ですね。
っていう話でねその後も落語の話を撮ろうとしたりとか。
大江 聞き手トークね。タクとイッシーさん。
まああれは楽しかった。またその辺も配信されるのでご興味ある方はどちらか入っていただければ聞くことができますのでよろしくお願いします。
はいということで今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
大江 ありがとうございました。
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