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2024-07-24 21:04

ヒッチコック劇場へようこそ vol.7 #142

サスペンス映画の神様ヒッチコックの最終回です。
アメリカンニューシネマ到来によるキャリアの低迷、そこから起死回生の大傑作『フレンジー』の誕生、そして昨今のキャンセルカルチャーについてもお話します。

本日のオススメ⇩
『フレンジー』

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お聞きの皆様、お運ばんちは、現役リフォームプランナーの寸尺かんなです。 今日がいよいよヒッチコックの最終回になります。
前回までがですね、華麗なヒッチコックのフィルモグラフィーの中でも、頂点となる サイコと鳥という二大ヒットをやった後の話になるんですけれども、
結局裏ではですね、このティッピー・ヘドレンという女優に酷いパワハラ、セクハラをしていたりとかね、いろんなことがありつつも、ずっと映画を制作してるんですけれど、徐々にこの辺りからキャリアに限りが見えてくるんですよね。
それは必ずしもヒッチコックのせいというよりはですね、映画という産業そのものが徐々にこの60年代に入っていって変わっていってるんですよね。
1960年にサイコ、そして63年に鳥という大ヒットを飛ばしたんですけれども、その後ですね65年とか70年に近づくにつれて、どんどんどんどんやっぱり世の中の雰囲気が変わってきていて、
当然映画のマーケットそのものも変わりつつあったわけですね。それまでのように華やかな大スターが出てきて、現実を忘れさせてくれるような一大スペクタクルみたいなね、そういった映画ではなくて、よりリアリティのある、現実味のある、自分の身に起こりそうな物語とか、
あとは世の中がね徐々に徐々に暗い世相に変わっていってるんですよね。なので明るく楽しい、きらびやかな物語ではなくて、やはりもっと現実が見えない、先が見えないっていうその不安とか恐怖とか、心理的なものが描かれる作品が増えてくるんですよね。
これがアメリカン・ニューシネマっていう新しい映画におけるムーブメントだったんですよね。これを代表する映画がですね、ちょうど1967年ぐらいから起こってくるんですよね。卒業っていう映画、ダスティン・ホフマンの有名な映画ですね。
あとは、イージーライダー。これは1969年で、これは私の両親が初デートで見に行っている映画なんですね。とにかくね、こういう、だからちょっとね、もうベトナム戦争とかね、いろんなことがアメリカでも起こり始めて、今までのね50年代、60年代初期のアメリカのあのきらびやかで、楽しい華やかな雰囲気っていうのはすべて疑問だったということにね、
若い世代が気づき始めた時代なんですよね。ここからも一気にね、実は裏でね、戦争したりしていることもバレていってですね、あのベトナム戦争のことですけれど、どんどんどんどんね、若者たちが今までのね、古い世代の作ってきたね、
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疑問に満ちたアメリカっていうものに反旗を翻していくっていうね、世の中にこのカウンターカルチャーとかね、まあそういったいろんな社会的な動きがあった中で、映画そのものももうすっかりヒッチコックがね、あの前世紀を過ごしてきたこういう本当に華やかな映画作りの場っていうものからも大きく変わってくるわけですよね。
こんな中で、今までどおりの映画を作っていてもですね、たとえヒッチコックのようなね、あの天才とまあ本当に名声を持ってしてでもですね、なかなかまあいい映画が作れなくなったという背景があります。
で、そんな中でもですね、頑張って映画を撮ってたんですけれども、どれも興行的にはなかなかうまくいっていなかったという状況だったんですよね。
ヒッチコックはですね、このちょうど60年代後期はですね、引き裂かれたカーテンという映画を撮ってるんですけれど、これはあのポールニューマン、そしてサウンドオブミュージックってね、皆さんよくご存知のミュージカルね、ここで主演していたジュリー・アンドリュースというね、二人のスターを使ってあのスパイアクションの映画撮ってるんですよね。
で別にね、そんな悪い映画じゃないんですけれど、このね、ポールニューマンという俳優はこの後ですよ、このアメリカニューシネマを代表する俳優になっていくわけですよね。
暴力教室ですとかね、明日に向かって撃てじゃなくて、俺たちに明日はない、どっちだっけ、とにかくそういう、あの本当に新しいアメリカの映画ね、こういったものにいくつも出演する大スターになる人なんですよね。
なのでヒッチコックが今まで撮ってきた、ケーリー・グラントとかジェームズ・スチュアートとか、そういうその旧ハリウッドのね、あのそういう映画スターとはもうまるで違うあのタイプの俳優たちがここから出てきているわけですよね。
なのでやっぱりもうちょっとね、この時代の流れにも合わなくなってきているっていうのがね、あいにくまあよくわかる映画になっちゃってるんですよね。
で、実際の撮影の中でもね、このポール・ニューマンとはね、全然相性が合わなかったらしいですね、ヒッチコックはね。
ヒッチコックっていう人は、もう俺の言う通りにしていればいい映画になるんだから黙ってろっていうタイプの人なのに対して、ポール・ニューマンはいろいろね、あのこういうふうにね、あの芝居をしていこうと思うとかね。
ここではもっとこういう感情をね、持っているからこういうふうな動きになるんじゃないかとかね。
まあそういうあのメソッド演技っていうね、この当時あのそういうあのなんていうかな役になりきるね。
あの演技テクニックというよりはもう完全にその役になりきって演じるみたいなね、そういう演技技法がまあどんどんこう主流になってきてた時代なんですよね。
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このメソッドを一番よくやって有名な俳優といえばロバート・デニーロになります。
そんな感じでね、でもこんなのはヒッチコックにとっては全く余計な技術なので、もううるせえ黙ってろみたいなね。
もう俺の言う通りにしていればいい映画になるんだから、っていうような感じで、とにかくポール・ニューマンと相性が悪かったという後日談が残っています。
とにかく商業的にもうまくいかなくてですね、すごく失意で落ち込んでたんですよね、この頃のヒッチコックはね。
どうしようって思ってた時に、結局でもう一個ねトパーズって映画も撮るんですけど、これもね、そんな悪い映画じゃないんですけど、これもやっぱうまくいかないんですよね。
トパーズなんかはね、これ1967年とかに撮っている映画なんで、やっぱり世の中で話題になっている映画が、この卒業とかね、こういう映画なんでね、やっぱりそれはちょっと世の中のね、やっぱり求めているものとはちょっとずれがあったのかなという映画になっちゃったんですよね。
ここからですね、私はね、ここがいつもね、感動するんですけれど、すごく苦しんでるわけですよね、ヒッチコックはね。何かいい企画ないかなということでね、いくつかの失敗作を出してしまったので、
既視改正の一本をということで一生懸命ね脚本探して、何か映画のネタになる話はないかということでいろんな企画を探し回った結果、
結局ですね、もう長年、もう長らくこの人イギリス人なんでね、もともとはイギリスからハリウッドに渡ってきた人なんですけれど、久々にですね、イギリスに戻って撮った映画があるんですよ。
これがね、私がね、また言ってるよって感じなんですけれど、あのヒッチコックの映画の中でも一番好きな映画の一つです。
フレンジーという映画を撮ります。この映画はね、本当にもうこれこそ見てほしいので、あまり詳しくは言わないんですけれど、
とにかくその内容が素晴らしいことは言うに及ばずなんですが、私がね特に感動するのは、70過ぎてなおですね、ヒッチコックはこのフレンジーという映画でまたしてもね、新境地を開拓してるんですよね。
今までの自分の作ってきたこの一つの定型っていうかな、お約束みたいなものを全部一旦捨てて、新しいやり方っていうのをね、ここでまた開発というか作ったんですよね。
これがね、私はやっぱりすごいなと思っていて、それが何かというとですね、ここではもう美男美女は誰も出てこないんですよ。
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誰も知らない役者を使っていて、普通のむしろね、どっちかって言ったらブサイクなね、全然パッとしない人しか出てこないんですよ。ちょっとねもうデブっとしたね。
もうお肉がこのお腹のね、肉がダブついたような女の人ね、とか、痩せすぎていてなんかもうちょっとパッとしないね、色気も何もないような人であったり、男の人も本当むさ苦しいだけの男の人が出てきます。
なのでもう美男美女とかスターとか全部封印してですね、本当に普通の人を役者に使って撮った映画なんですよね。
この映画はね、そういう新しいことを試みつつも、やはりね、ヒッチコックのいいところ、非常に怖い映画、めちゃくちゃ怖いんですよね、この映画ね。
連続殺人鬼の話なんですけれど、もちろん犯人が誰かわからない映画なんですよね、中盤までね。なんですけれど、面白くもあるんですよね。
すごくね、ブラックコメディが効いていて、ヒッチコックがね、やっぱり一番いい映画、だから私を含めてね、ヒッチコックの大ファンの人っていうのはみんなサイコのことも大好きですけれども、
やっぱりね、裏窓とかね、北北西に進路を取れもそうなんですけれど、怖いんだけれど、ちょっとね、面白い、クスッと笑わせてくれるようなシーンが入っている。これこそがね、ヒッチコックだというふうに思ってるんですよね。
そこにね、もうぴったりハマるこのフレンジーっていう映画はね、ヒッチコックがね、晩年にね、最後に見せてくれた大傑作なんですよね。
これは70年代のロンドンが舞台で、ある時からね、急に女性のね、死体が出てくるようになってですね、若い女性ばかりを締め殺す、銃殺するっていうね、連続殺人犯が出てきて、女性が殺されていくんで、何でだろうっていうね、そういう話なんですけれども、中盤までは犯人はわからなくて、
女性の主人公がね、視点から描かれている映画なんですけれど、めっちゃ怖いんですよね。めっちゃ怖いんですけれども、さっき言ったみたいにですね、要所要所にね、本当にちょっと吹き出すようなね、面白いシーンとかがあったりして、
でもね、一つね、これは言わない方がいいかな、見て欲しいんで、絶対あらすじは言わないんですけれど、あらすじというか、ネタバレはしないようにするんですけれどね、犠牲になる女性が部屋にね、殺人犯だと思われる男に誘われてね、
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まあね、初デートで会った男の部屋に行ってっていうね、行った後ですね、パタンと扉が閉まるところまでカメラが2人の背中を追って、扉が閉まっちゃうんですよね。で、そこからね、カメラはね、ずーっと引いていくんですよ。ずーっと。
で、ずーっとずーっとね、バックしていくって言ったらいいんですかね、バックしていって、ずーっとね、だから部屋からどんどんどんどん離れていくんですよ。で、どんどんどんどん離れていって、最終的にはもうアパートの外まで出て、で、もうね、ザーッとこの雑踏のね、大通りでも車とか人が行き交うあの大通りまでずーっとね、ワンカットでカメラがどんどんどんどんそのアパートの部屋からずーっと距離をとって、
距離を離れていくっていうね、すごいシーンがあるんですよね。めちゃくちゃ怖いんですよね。だから一つも殺人シーンは映らないんですけれど、パタンと閉まったこの扉の後ろで何が起こっているか、そしてカメラはひたすらその部屋から離れていって、
この部屋で何が行われているかわからないけれども、通りに出たら普通に日常が行われているっていうんですかね、あの普通の時間が流れているわけですよね。もうみんな忙しく行き交う人たちが歩いていて、物を配達するトラックとか、目的地に向かっているサラリーマンとかが運転する車が行き交っている通りにさーっと出ていくっていうね、
このシーンはね、もうちょっとまたしてもですけれど、鳥肌もんです。本当にすごいなと思ってね。またこれは新しいだから、ヒッチコックタッチをここで編み出してるんですよね。これもみんな真似してますね、この映画の撮り方ね。
いやー本当にね、とにかくこれもぜひ見てほしいですね。この後ですね、これはだから久しぶりにヒットするんですよね。地震を取り戻してね、ヒッチコックはほっとしたと思うんですけれど、この後ね、さすがのヒッチコックも年も取ってきてますしね、なかなかね、やっぱ体調も良くなかったり、いい企画が見つからなかったりで、最後にファミリープロットというね、映画が最後になります。
この映画はね、正直評価が分かれてはいるんですけれど、なかなかいい映画だと私は思うんですよね。もう最後にふさわしいというか、もうかなりね、体もおそらくもう弱っている、最晩年のヒッチコックが撮ったとしては、やはりね、あの名人のね、映画名人のヒッチコックのやっぱりキラッとね、要所要所に光るところがね、いくつかあるいい映画です。
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これでいよいよヒッチコックは、この数年後に80歳で生涯を終えるということになるんですよね。屈折した人なんですよね。もうめちゃくちゃ厳しい、イギリス人としては珍しいね、カソリックの家庭で育っているんですよね。
カソリックというのは特に厳しくね、禁欲的に育てられているので、実際に20歳を過ぎるまで、全くもちろん性的体験も何もないんですよね、ヒッチコックはね。
でもあの時代って保守的な社会だったので、たとえ同性愛者であっても、ほとんど90%以上の人が結婚させられる社会だったので、こんなマザコンの非常に変に潔癖に育てられたヒッチコックといえどもね、年頃になった時にはアルマさんという人と結婚をしてるんですよね。
なんですけれども、ここまで禁欲的に育てられたヒッチコックという人は、やはりすごく歪んだ性癖というか、まっすぐには育ってないんですよね。
自分自身に対してもすごくコンプレックスがあって、性的不能感というんですかね、そういったものもあるし、自分の太っている体型にもコンプレックスがあったと言われていますね。
なのでね、1個自分が映画の主演で使ったショーン・コネリーという007で有名な俳優がいますよね。
この人に、お前みたいな生まれながらにかっこいい男に、俺のモテない男の辛さなんてわかんないんだよ、みたいなことを言っても言ってもしょうがないことを言ったりしてるみたいなんですよね。
こんなこと言われたショーン・コネリーは困ったでしょうね。
だからそれぐらいこじらせているヒッチコックという人がね、自分の性的というか、男性としてのいろんな自尊心であったり、いろんなことをこじらせて、なるべくしてなった変態性みたいなものをこういう映画に込めてですね、
ある種、自分の理想の美女を両尽くする映画ばっかり撮ってきてね。
だからすごく自分の夢の女を追い求めつつも、それと同時に女性嫌悪みたいなものも同時に併せ持った、非常に分裂した人物であったと同時に、やはり映画としてはもう、映画の神様であったというね、
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本当にいろんな矛盾を秘めたでも大天才でもあったというね。
今ね、ちょっと話それるんですけれど、本当に私が大好きな映画人とかね、芸術家とかがどんどんどんどんキャンセルカルチャーになってきてですね、
過去に犯したね、いろんな悪い行いでね、断罪されていってるんですよね。
でもビクビクしてて私、もうなんか次誰が吊るし上げられるんだろうと思って、私としてはですね、これはやはりね、悪いことしたことはちゃんと罰せられるべきだともちろん思うし、
例えば今回のヒッチコックで言えばね、あの立派な素晴らしい映画を撮ってる裏でね、やっぱり主演の役者たちをね、ひどい目に合わせたり、虐待したりっていうのは、それはね、絶対あってはならないことなので、
これはね、正しく断罪されるべきだとはもちろん思うんですけれど、これによってね、作品そのものがキャンセルされるっていうのは、これはね、絶対違うと思うんですよ。
どんなにね、良心の過酌を覚えたとしても、私はこれはね、やってはいけないと、自分自身を戒めてはいるんですよね。
私だって人間ですので、やっぱりね、そんな女性をレープしかけたような人がね、作った映画に対してはやっぱり抵抗ありますよ、そりゃ。
でもここはね、やっぱり絶対作品の質と、実際本人がどういう人間だったかっていうことはね、絶対分けてみなければいけないっていうことをね、やはり私はこの数年間で、やっぱり試されたというように思いますね。
もう一度ね、誤解がないように言うと、素晴らしい映画を撮ってるんだから、もう何をしてもいいじゃないかという意味ではもちろんありません。
これは分けてしっかりやったことは悪いことだけれども、映画自体はやっぱりすごかったらやっぱりすごいと評価するべきだという意味で言っているんですけれどもね。
とはいえね、どうかどうかスピルバーグだけはいい人であってくださいと願ってやまないです。で、今のところ絶対あの人はいい人だと思います。
はい、というわけでね、大変長くなったんですけれども、とりあえずね、ヒッチコック監督の、私が考える総括と言うんですかね、こんな映画がありました、こんな人でしたっていう話はね、今日であのとりあえず終わろうと思います。
そして前お約束しましたですね、最高に関しては語り部会説を近々させていただく予定です。長らくお付き合いいただいてありがとうございました。ごきげんよう。
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