2021-07-07 42:58

第236回 【対談】東京外大→商社マンのキャリアを学ぶ(前編)

日系企業の海外営業部、海外事業部で勤務する上での1つの目標となる海外駐在員。海外駐在員はどのような業務をやっているのか、やりがい、苦労した事、それを乗り越えるコツ等、今回は最近まで日系企業の商社の海外駐在員として勤務し、現在はベトナムの縫製工場で衣料品の製造を請け負う業務を行っている大学の同期の方にお話を聞き、東京外大を卒業し、商社勤務に至り、さらに海外駐在員となるまでのキャリアをお聞きします。サプライズゲストも登場!  

*このご時世ですので、ソーシャルディスタンスに配慮して収録しております。 


【ハイライト】 

・東京外国語大学を目指したきっかけ 

・外大合格の為の勉強方法 

・東京外大の経験から培ったもの 

・将来の外大生へのメッセージ 

・学歴のプライドを捨てる事


本エピソードの後編のリンクはこちらです。

https://podcasts.apple.com/jp/podcast/id1507714225?i=1000528243435


~お知らせ~ 

サニーデーフライデーは、社会保険労務士として活動する田村が普段のサムライ業という固いイメージから外れ、様々な分野で活躍する方やその道の専門家・スペシャリストと語るトーク番組です。 

人生に前向きでポジティブな方をゲストとしてお呼びし、経営者や従業員として働くリスナーの皆様が明日から明るく過ごせて、心や気持ちがパッと晴れるそんな『働き方を考える』ラジオをお送りします。 

話すテーマは社労士業、働き方改革、キャリア、海外駐在、外国人雇用、海外放浪等です。 


パーソナリティー:田村陽太 

産業機械メーカーの海外営業、社労士法人での勤務経験後、社労士事務所を開業。海外駐在員や外国人社員の労務管理、外国人留学生・技能実習生の就労支援等、企業の国際労務・海外進出対応に強い。ラジオDJ、ナレーター、インタビュアー、番組MC・ナビゲーター等、音声メディアや放送業界でも活動。また、番組プロデューサー、ポッドキャストデザイナーとしてPRブランディング事業も手掛ける。 


カバーアート制作:小野寺玲奈 


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社労士ラジオ サニーデーフライデー
社労士ラジオ サニーデーフライデー 田村陽太です。
この番組は、社会保険労務士として活動する田村が、 普段の侍業という堅いイメージから外れ、
様々な分野で活躍する方や、その道の専門家、 スペシャリストと語るトーク番組です。
本日も素敵なゲストを呼びしております。
水野くんです。
水野です。
よろしくお願いします。
水野さん、水野くんはですね、私の母校である東京外国語大学の同期でしたね。
そうですね、4年間一緒に大学生活を過ごしていました。水野です。
水野くんは、僕一応バスケ部だったんですよね。
1年生でバスケ部だったんですけど、その時のバスケ部の同期でしたね。
そうだね、田村くんはバスケットは初心者だったけど、 一生懸命やってたけど、途中で辞めましたね。
2年生入るくらいの時にちょっと辞めたんですね。
僕もそれをバックパッカーやりたくて、海外行きたいなってことで辞めて、
ちょっと1年間は頑張ったんですけど、もうなくなく辞めちゃいましたね。
辛いからね、大学のバスケ部は。
私も中学生の時バスケットをやって、高校の時は勉強に集中するために部活をやらず、
軽い気持ちでバスケやりたいと思って、大学の時に入りましたけど、本当に死ぬ思いでした。
こんなにバスケットを走るんだと思った。
そうですね。
水野くんもTシャツというか、いつも紫色のTシャツを着てバスケ部をやってましたけど、本当に一生懸命頑張ってましたね。
Tシャツは毎回5枚以上は絶対に持っていかないと汗でね、やばいぐらい汗かき立ったんでね。
バッシュから汗が漏れて、コートで入るなって言われてました。
中学校とか高校の時はプロバスケットプレーだったんですか?
中学校の時はね、こう見えてもね、今は体重100キロぐらいあるんですけど、こう見えてもね、実は中学校の時はキャプテンやって、スター名として活躍させていただいてたんですけどね。
高校の時は全くやらずだったけど、行ってた高校はバスケ部人少なくて、1年目の時は新人戦でスペシャリストとして借り出しさせられたっていう。
あいつは実績あるよみたいな。
スケット的な立場でした。
そんな形で1年間バスケで一緒で、一応学部は違うけど結構仲良くさせてもらってて。
卒業して全然会ってなかったんですけど、今回また日本に帰ってきて、また水族の話聞きたいなと思ってオファーをさせてもらいました。
そうですね、8年ぐらい会ってないけど、それでも連絡してくれた田村君にはちゃんとお会いしたいなと思って。
03:01
めっちゃ社交自衛なんですけど。
会いたいと思ったきっかけは何ですか?何でオファーしたら来てくれると思ったんですか?
やっぱり一番大事なのは久しぶりに会ってないっていうのもあるんですけど、田村の噂はいろんな人から聞いたりとか。
悪い噂ね。
田村が今いろんな仕事してるって聞いたりとか。
自分と違う業界の人の話も聞きたいって思ったし、何なら数少ない同期だったので。
それはもう喜んでオファーを受けさせていただきますというふうに思いました。
そんな心強いメッセージをいただきまして、ラジオ収録も結構力を入れてやっていきたいなと思うんですけど。
水野さんは東京外大卒業されて、長年商社の方で働かれていて、なおかつ中国駐在もされていて、海外貿易のスペシャリストと認識してるんですけど。
今日は水野君に海外貿易とか中国の駐在経験をお聞きして、日本の会社さんで働いている若い方とか、これから海外駐在行くって方に知恵を与えてほしいなと思ってインタビューをさせていただきたいなと思ってます。
はい。私にできることを全て晒し出します。
なおかつですね、また今日もスペシャルゲスト、何回も来ていただいているんですけども、ゲストを呼びしております。
ハルト君です。
はい、ハルトです。お願いします。
ハルト君はバックパッカー界と、以前はゲストハウス、長野の渚町のゲストハウスの時にも来ていただきまして、ゲストで来ていただいてます。
インタビューに慣れてますよね?
そうですね、もうされまくっているので大丈夫です。
ハルト君も何回も聞いているかと思うんですけど、中国駐在していて、いろいろと駐在経験も終わりですと。
水野君にインタビューさせてもらうんですけれども、どこどこチャチャ言ってもらったりとか、自分はこういう駐在の時はこう思ったんだけど、水野君はその時どう思ってたみたいな、ちょっと意見の情報交換みたいなのをしてもらいたいなと。
はい、今日はアサショウリュウさんと一緒に乾杯です。
誰がアサショウリュウ?水野君じゃないですか?
さっき100キロ越えてきたからさ、いつの間に越えたんだって。
自ら自己解釈してる。
100キロ越えるにはセンスが必要だというのはね、昔から言われてたんで、僕もやっぱりセンスがあったと。
まあそうだね、確かにそこまで行くまで絶え間の努力があったと。
ああ、なるほどね。
もう一目で見てわかる。
なるほど、センスのところをまた会話見えるようなインタビューをしていきたいなと。
06:01
2年ぶりぐらい。
3年ぶりだよ。
3年ぶりに会ってね、また一段と成長してきた。
一回ハルト君と水野君で会ったんですよね、中国でね。
そうそう、3年ぶり前にね。
ご飯送りましたよ。
あの対話、すみません。
今日は中国駐在のスペシャリスト2人をゲットというかね、お呼びさせてもらってインタビューしていきたいなと思ってますので、よろしくお願いします。
じゃあ最初の質問なんですけど、水野君は東京外国語大学に入学されて、何語科専攻だったんでしょうか?
フィリピン語科を選び、4年間専攻しました。
フィリピン語科、なかなかちょっとマイナーな言語だと思うんですけども、なぜフィリピン語にしたんでしょうか?ちょっとお聞きしたいんですけど。
だから好きだった。
それはね、リアルに話をすると、やっぱり高校時代にどうしても東京外国語大学に入りたいと思って、
元々僕は2002年に中国から日本に引っ越しをしてきて、
自分としては中国語、日本語を自由に喋れるスタンスがあり、
さらに英語が一番喋れるようになると、僕は無敵だと思って、東京外国語大学で英語を勉強したかったんです。
一方で、どうしても日本に来て6年以内で大学受験をした時に、
勉強はしたつもりなんですけど、センター試験っていうものに失敗してしまって、
英語科はもう不可能だという判定が出てしまったんですよ。
実はフィリピン語科もD判定だったんですけど、
でもやっぱりチャレンジしないには気が済まないということで、
フィリピンは日常会話が英語っていう国なので、
実は高校でフィリピン語科を選んだ時には、
すでにフィリピンに行って英語をマスターする時間を作るっていうようなことを視野に入れて、
フィリピン語はどうでもよかったんやけど、
とにかくフィリピンに行って英語を勉強するを目標にして、
フィリピン語科を挑戦して受験をしました。
なんとD判定の果たしても、やればできるということで、
無事合格することになって、
タガログ語を学んだハーポン、
マブハイとか言いながら勉強しました。
やってみてどうでしたか、タガログ語を勉強してみて。
タガログ語はですね、やればできるはずだったんですけど、
一方でやってみて難しさがわかるのが、
新しいことにチャレンジした時の、
09:00
リアルと理想の垣間見る部分だったのかなと。
英語ってB動詞と一般動詞しかないんですけど、
こういうことを英語科の人に言ったらすげー怒られたんですけど、
フィリピン語って動詞の変化だけでも17種類くらいあって、
とにかく難しい言語だった。
なんでギリギリ卒業することができました。
リアルと理想とのギャップで苦しみながらも何とか卒業できて。
言語学はね、新しい言語に触れるというワクワク感はあったものの、
いざやってみたら難しすぎて挫折するっていうね。
どうしてもテスト直前でテストに受かるためにどうしたらいいか
ということしか考えずに勉強してきました。
一つ質問したいんですけど、最初中国語と日本語できてて、
英語ができたらマスター、もう完璧だみたいな話だったじゃないですか。
なんでそれをやろうと思ったんですか。
マスターしたいというきっかけは何かあるんですか。
自分は高校生の時から将来何をしたいかっていうのはある程度見えていて、
その時に海外と自分の何か架け橋になるようなことをしたいなと思ったと。
一方でコミュニケーションのツールが必要だということもあったので、
世界共通言語、スペイン語英語という風に言われているものの、
英語の方が多く使われていますし、英語というのは結構共通的にできると。
中国語は特に中国という国は英語を喋れない人もたくさんいる中で、
中国語は独特の中国語が必要と。
日本語は日本語で、日本でも言えば日本人の英語としても英語が通じない部分も結構多いから、
日本語も独特だと。
この3つ、本当に言うと第二元語は韓国語を取得していたんですけど、
韓国語も英語が通じるか通じないか分からないような国なので、
独特の言語のある国のこの3つをマスターすれば、
将来仕事的にいろんな役立ちがするのかなと思って、
そういう風に選びました。
外来で言語、フィリピン語を選んで韓国語を選んだというのは、
自分が将来架け橋になりたいという戦略で選んだんですか?
僕は人生の中で何歳まで何をするかというのは、
ある程度イメージを持って今までやってきたんですけれども、
唯一28歳で結婚するというのだけが達成できなかったものの、
ケースは上手く生きていると。
やればできる。
結婚というだけは、どうしても妥協することはできなかったので、
そこは見送りで、次の目標35に変更しているんですけど、
35に変更しているんですけど、
それ以外はあらかじめ目標を大きく持ったことによって、
目標にたどり着かなくても近づくことができるというのが、
高校1年生の時に恩師だった人に言われた一言をずっと大切にしているということで、
12:01
常に目標とやりたいことを自分の中でどういう風にしたいかを突き進めてきた。
というのが今まで30歳になるまでの人生だったかなと思います。
もう1個質問したいんですけど、高校1年生で恩師の方に出会いましたと。
それはたまたまですか?目指して入ったんですか?
それはたまたま入った。
最初は福島県の田舎に住んでたんで、
みんな新学校と言われている学校に通うのにも、
家から片道で2時間とかというような場所だったので、
新学校に行くよりも近い場所の学校に通った方が、
移動の時間を勉強に避ける、避くことができるというメリットもあるということを聞いて、
納得して近場の学校特別進学課程というところに入学して勉強してきました。
そこもちろん誰が担任になられるかというのは、
僕たちも自分もわからなかったので、たまたまっちゃたまたま。
高1の恩師の方が出会って水道工を作っていると。
そうですね。全てとは言い難いですが、
大切にしている部分と大切じゃない部分の切り捨て、取捨選択は自分でしていると。
水道さんと深掘りするんですが、そういうところも経験が生かされているということですね。
もちろんです。
水道さん、色々と勉強されてきていると思うんですが、
リスナーさんでも東京外大に入りたいなとか、フィリピン語、水道さんですし、
ハルト君もポーランド語で、僕もマレーシア語だったんですけど、
外大に入りたいという方がいると思うんですよ。
ズバリ、東京外大に入学するためには何を勉強したらいいですか。教えてください。
とにかく言語の勉強は大切なんですけど、東京外国大学って有名な国立大学だという認識を高校時代に持ったので、
国立大学の中でも一番入試科目が少ない学校だったと。
とにかく世界史と英語ができれば、二次試験でちゃんと点を取れれば合格するという思いを持って、
英語が得意な人はもちろん英語をさらに磨く必要があるんですけれども、世界史をとにかく勉強した方がいいです。
とはいえ、基礎的なものしか出てこないので、ある程度全体像が見えるような勉強の仕方と、
ひたすら暗記ですね。私も高校3年生の夏からスパートをかけて勉強したらいけたと。
なので、特別に何かしたというよりも、試験科目に沿った対策を行ったということでいいのかな。
15:01
それは学校の授業を集中してやったのか、自分で自学してやったのか、どっちを思う教科ですか?
学校の授業よりも、自分で暗記という部分において強みがあったと自分は思っていたので、
自分で暗記に集中するのと、自分で教科書を整理した。自分の中で教科書を読んで、教科書の内容に沿って自分の中のイメージを整理したと。
歴史の流れであったり、時間軸であったり、地図であったりというのを自分の中で書きながら整理した。
自分のノートみたいなの作ったの?世界史ノートみたいなの。
あります。もちろんあるんですけど、世界史ノートには日本人にとって難しい中国史であったりとか、
ああいうのは自分で地図を作って、地図を書きながら年代を勉強してました。
そう、中国の全都の地図を作って、そこでは何が起きたのか。
特に僕はノートは普通の英語とか英語のノートではなく、とにかくハンドブックくらいの小さいノートにしてた。
手に収まるような感じ。
なぜかというと、小さければ小さいほど書くことに集中するので、覚える効率が上がります。
なので、たぶん14センチかける14センチもないぐらいのノートで、小さいノートにひたすら細かく書いてました。
書くと覚える。頭に入ってくる。
書くと覚えるし、さらに細かく集中して書くことによって、さらに効率が良くなるっていう勉強方法をしてた。
それは世界史だけじゃなくて、暗記評価、生物だったり、そういういろんな評価に共通してやってました。
なるほど。外題をね、ちゃんと入学された水野さんが言うながらすら、あってることですね。
まあまあ、僕は運が良かったっていう。
ちなみに、はるとさんはどうでしたか、勉強方法はどうやって入ったんですか、外題は。何が重要でしたか。
はると ええ、やればできるという気持ちですかね。
覚えてないな。
基本的に二人いんじゃん。
結構俺は、自分は特殊だったんで。高校がそもそも偏差値40未満ぐらい。まあ結構、ヤンキー高校に近いところだったから。
以前バックパッカー界でも言ってましたよね。
そうそうそう。もう、ある意味、いかに先生の言うことを聞かないで、自分が正しいと思うことになるかっていう。精神力だったら。
ああなるほど、背くことが一番大事。
結構先生にも嫌われながら、勉強したいから学校休むっていう。
先生が教えるんじゃなくて、自分が勉強したいっていう。
そう、そう。という独自だったんでね、あんまり参考にならないです。精神力ですね。
自分で自学で勉強するときは精神力はどうでしたか。
精神力、うーん、まあ、いつかいいことはあるだろうっていう。
18:06
目標を発揮してるわけじゃないの。どうしてもいきたいっていう気持ちが。
まあそうだね。
フォローした俺が。
あとは、あえて言うならやっぱ、独学力みたいな。
独学力。
でも、自分でそれぞれの勉強方法は違うから、その水野が言ってたように世界史の覚え方とかも、
その人によっては、ノートに水野みたいに書く人もいれば、また違った方法もあるんだけど、
その、いかに自分でうまくインプットできるかっていうのを、まあ手段はいろいろあるから、それを考えながらやればいいんじゃないか。
まあ学校で言われたことだけをやるんじゃなくて、その後いかに自分でまとめるかとか。
原田さん、今聞くのが良かったんですか?何が良かったんですか?一番。
聞かせてくれる人いなかったんで読むんですよね。
まあだから参考書とか、参考書を自分なりにどうインプットするかみたいな。
自分で消化していくというか。
そうそうそう。参考書とかもまあ一応、新学校に行ってたお姉ちゃんとかお兄ちゃんいたから、それを見て、自分なりにまとめると。
なるほど。結構水野さんと原田さんもやっぱりいろいろと違うんですね、勉強方法が。
それはね、違うでしょ。大変。僕の場合はさらに爆発を踏むっていうのも大事にしてたから。
それはどういうことでしょうか、爆発を踏むというのは。
とにかく模擬試験の過去問を解きまくるっていうね。そうするとね、必ず大学の受験なんて同じような問題しか出てこないから、数をこなせば同じ問題も必ず出てくるし、慣れって言うんですね、慣れ。
試験に慣れるってことですか。
試験にとにかく慣れて、繰り返すことが大切かなと僕も思います。
なるほど。まだ若い方だとね、爆発っていうのがやっぱりそういう模擬試験とかっていうのがね、すごい大事になってくるんですね。初めての本番の場っていうかね。
だからそこは僕どちらかというとお金を惜しまずに試験本をとにかく買い込んで、やっぱ授業の時間はそれができなかったんで、学校が終わってからは家帰って試験を2本とか3本とか自分でやってたりとかしてました。
なるほど。自分で本番の場を作って。
そうですね。
なるほど。分かりました。ありがとうございます。
それに僕は外大に入りたいって思ったのが、センター試験の3ヶ月前ぐらいだったんですよ。
っていうことは?
11月ぐらい。入りたいっていうか。
部活とか終わってちょっと皆さん勉強、ちょっと集中してるときですね。
21:00
サッカーも、学校がスポーツ科の学校だったんですよ。だからサッカー部いて、サッカーの代名って言ったら選手権じゃないですか。
ああ、よくテレビでやったやつですね。
そうそうそう。それの予選で勝ち上がってたから結局11月まで、11月に引退だったんですよ。
その11月終わった時点で、募集とかもいろいろ受けて、神戸市外大とかそういう外大系を見てたら、
募集を受けたときに、市判定だったんです。外大が。
東京外大が?
そうそう。これもしかしたら外大も狙えるんじゃないかってなった時点で、
けどセンター見ると5強化だったっけ。必要だったから。足りなかったから、そこから生物を3ヶ月で試合。
5強化ならすために。
そうそうそう。普通みんな5強化やったら7強化くらいバーって受けて成績の良いものをバーってやるようになって、
自分の場合は5分の5で勝負して、それがたまたまヒットして本当にラッキーで入れたみたいな。運も必要ですね。
そういう極限の状態でも浮かれる人は浮かれるんですね。
そうです。だからやればできる。
二人ともやればできるアプローチが違う感じがする。
まあいいんだけど、ハルト君ずっと寝そべってインタビュー受けてますけど、来ますかね質問がね。
水野君の家でインタビューさせてもらってるんですけど、水野君のベッドの上で寝てますからね。
ハルト 結構気持ちいいですねこれ。やっぱり稼ぐ人違いますね。
何も持ってなかったから気にしてからすべて買い直した。
そしたらサラピンのやつを寝てるからそれ。
なるほど。
ありがとうございます。じゃあ水野君の元聞きたいんですけど、やっぱ外来生になって経験から培ったものを教えてもらいたいです。
外来生で良かったなって思うこと。精神面とやっぱ仕事面。卒業されて仕事ついたと思うんですけど、外来で学んで良かったなって思うことをそれぞれ教えてもらいたいんですけど。
外来で良かったこと。
心持ち?精神的に?外来でこれ勉強したから社会人になって活かされてるなみたいな。
ないと。
あるかな。
入学者減るからそれやめてください。
実際外来は言語とは覚えやすいんですけど、自分で選びたい教科があれば法律も勉強するし、語彙も勉強するし、ただしあんまり学校で勉強してなかったっていうのがあって、外来にいて一番良かったのはやっぱ外来で出会った人たちなのかなと思ってる。
勉強よりも人間との付き合いを大切にしてるであったり、部活動をやって部活動でいた先輩方から言われる言葉であったりとか、すごく印象深いことが、大学1年生の最初入学して最初の中間テストを迎えた時に、
24:14
勉強が忙しいから部活動終わってみんなで集会する時にテスト勉強でちょっとこれができませんでしたっていうことを言った時に先輩からすごく怒られたっていうのが、そんな知らないよと。
勉強は勉強、これはこれっていうふうに言われて、僕にとってはその一言はすごく大切だったなって思ってる。なぜかというと平気でね、世の中で自分もいろんな方をどうせしてきて、いろんな方と会話してきてるんですけど、やっぱりそういう何かを理由にしてこれがダメだからっていうのは言い訳が良くないと。
だからそれはその大学1年生の時に気づかせられたっていうことにとっては僕はすごい大切だなと思って、だから私の中では基本的に言い訳がないっていうスタンスではいると。
言い訳したくてもその気持ちをグッと抑えて、だったら自分が悪かったです、すみませんっていうふうに早まったほうが言い渡りもうまくいくと。実際社会人になってからね。実際の大学で勉強した知識は必要はありませんと。
必要ある人もいるし今ね。 最低限やっぱり勉強、もっと勉強しておけば良かったなって思うのは、もっとビジネスであったり、小学部で学ぶようなことであったり、計学で学ぶ計学であったり、会社でいうと法律関係、貿易法であったり会社法であったりとかああいう募金とか、
いずれは将来的に役立つものをもっと学んでおけば良かったなっていうのがある中で、僕はその時間を大学で取れなかったことは少し後悔してるっていう部分もありますけど、後戻りはできないので、それはそれでどうやって追い上げるかっていうところに時間をかけるしかありませんということですね。
ごめんなさい回答になっているかどうか分からないけど、外来で学んだことはあんま。 言い訳しないことを。 そうだね、あと人間付き合いかな。
水野さん、人間関係を上手くいくために何か工夫してることってあるんですか?こうやったら上手くいくみたいなのあるんですか?水野さんなりの。 自分は断らないスタンスをずっと持ってたんですけど、断らない。先輩にご飯行こうよとか言われても、行きます行きますどんな夜遅い時間で呼ばれても行きます行きますって、やっぱその人からの信頼、頼られることの嬉しさっていうのがあるかもしれないんですけど、
27:07
そういうことを細かいことを大切にしてたかな。一つ一つの積み重ねっていうか。だから呼ばれたら必ず行ってたし、飲み会に行ったら必ず飲み会に呼ばれても行ってたし、何なら友達との約束があった場合は別にそれ先輩に言わないけど、友達にはごめんちょっと他のことができたんで、ちょっとまた今度にするっていうのをあって先輩方との付き合いを優先したとかいうこともある。
そういうところは人間が細かいところをやっていくことでいい人間関係を作れるみたいな。
人と人の付き合いなんで、積み重なるに時間は必要だし、そういう小さいの積み重ねによって何かあったらこいつに頼もうとかっていう気になってくれた人がたくさんいたんじゃないかなと思う。
それって今その人間関係をうまくいってるじゃないですか。それが社会維持になって活かされたことはありますか?具体的に。
社会維持も全く同じことであって、頼まれることをちゃんときっちりこなす。
付き合いの良さ、あとは仕事に対する責任感っていうのは必要だと思うので、そういうところは大切にしてた。
古い考え方っていうふうに今では言われるかもしれないんですけど、個人的にはすごく大事な部分だというふうに思ってます。
それが社会維持になっても活かされてるってことね。
僕は必要だと思います。
なるほど。外大ではそういうところを培って事実も活かされるよってことが自信持っているってことですね。
そうですね。ただ単に楽しい時間を過ごしただけじゃなくて、外大という環境にいたことによって自分の周りの環境も大切だと思うんですけど、周りは真面目な人が多かったっていう事実はあるんですけど、
でもその真面目な人たちがいたからこそ、自分もある程度真面目に生きてきたのかなと。
昔はヤンキーだと聞いたことがありますけど。
それは中央校にいた時かな。
ヤンキーから真面目になって、中立な感じになっていくと。
そうですね。
分かりました。ありがとうございます。
じゃあ水野さんね、今外大に通っている方とか、これから外大に入りたいという方がいると思うんですけど、水野さんが座ってきたように、その後輩に対して何かメッセージ、こうしたら外大生活うまくいくよみたいなのを何か教えてください。
水野 外大に入りたいっていう後輩たち。
自分ができないことでもいいんですけど。
外大ってすごく穏やかな場所ではあるので、留学経験は絶対した方がいいなと。
自分は留学をしなかったので、4年間で卒業しましたけど、せっかく外大に入るのであれば、一度は他の周りよりも1年間、社会人になるのが遅いとしても、経済力、時間が許す限り、1年間、1年間でも2年間でもいいんですけど、
30:22
時間を使って外大に行って、いろんな違うものを見て、自分の知見を増やした方がいいと考えます。
どうしても自分が入った環境に染められてしまうということなんですけど、外大生はこれがスタンダードだとか、そういうどうでもいいプライドにとらわれることなく、
もっといろんなことを受け入れる体制でありながら、自分の目指しているものは何かという探す時間を作って、大学生活を送った方がいいのかなというふうに思います。
それって何か卒業して、何でそう思ったかというきっかけってありますか?
どうしても最初は、外大生だけじゃないかもしれないですけど、どこの大学生もそうだと思うんですけど、自分は外大出身だからという学力のプライドがある程度あるものの、日本中で言うと別にトップじゃないんですけど、
とはいえ、難関校と言われている学校ではあると僕は思っていますから、どうしても捨てられないプライドがあって、でもそのプライドって仕事では全く必要なくて、
偏差値の低い学校で卒業しているから仕事ができないかと言ったらそうじゃなくて、その中によっぽど人間関係がうまくいく人間がたくさんいるし、もちろんプライドがあるのはわかるんですけど、そのプライドは心の中だけにしまっておくべきであって、
頭ではどんな人ともうまく関係を作れるような体制というか心構えて社会人生活を送った方がいいのかなというふうに思います。プライドで戦っても仕事ができなかったら結局プライドばっかりで仕事ができる人間でなければ意味がないので。
社会人になってその思った具体的なエピソードってありますか?こんなことがあって、やっぱりそれは学歴とか関係ないなと思ったエピソードなんかあります?社会人。
正直僕も会社が決まって入社する前に、自分はもっといろんな仕事ができる、自分はバリバリ働ける、すごい自分はすごいぞって思った時期もありました。
入社初日で、まずビジネスメールで挨拶をって言われた時に書けなかった自分がいたので、その時点で自分は何もできないんだなっていうふうに思ってしまったことで。
33:11
だから大学はどうこうじゃなくて、新しいことであったり仕事であったりがちゃんとできるように慣れるか慣れないかっていうのは多分そのプライドにとらわれたら難しい部分あるんじゃないかなというふうに思いました。
すごいそこは謙虚ですごいなって僕思いますね。
勝者なんで元々人間同士の付き合いだっていうふうに言われてますし、勝者評論とかいろんな言葉が飛び交ってる中で勝者は勝者なりの役割を果たすべきですけど、とはいえども有名な勝者であるから、無名な会社であるからではなく、人から好かれる存在であるのはまず大前提に必要で。
で、好かれなければ人間付き合いなんで嫌味を言われることもあれば、仕事を任されないこともあるし、好かれたら少なくともそのチャンスは人類は増えるというふうに思っています。
その入社当日の葛藤っていうのもあって、それを自分で成長していって、そこからやっぱり人と人付き合いが大事だなってところがやっぱり今の水野さんと繋がってるってこと。
最初に社会人になって知らないことなんてたくさんあるし、むしろそっちの方が多くて、できなかった時に自分のプライドを許せなくて、プライドはどうこうじゃなくて、まず素直に頭を下げてごめんなさいって言った方がよっぽど可愛がられるっていうのが社会人だと思います。
すごいな、なかなか。
それは東大であろうと、慶応であろうと、京大であろうと関係ない。実際自分が見てきてる東大、京大、いろんな大学も卒業してる人たくさんいますけど、みんな仕事できるかって言ったら尊敬に値する先輩方もいらっしゃるのであれば、そうじゃない方たちもいました。
やっぱりそこはプライドを自分で捨てて謙虚にいくっていうのがすごい大事だなって。
プライドは心の中で秘めておくべきものを口に出すものではない。
格言ですね。ありがとうございます。
ハルトさんは何でしょうか、ハルトさんにとって外大生にこれは伝えておきたいなみたいなメッセージ何かありますか?水野さん素晴らしいことを今おっしゃってましたけど。
水野くんは成長したなと伝えたいことです。
まあ若いだよね。
36:01
だってさ、大学生の時は結構ギラついてた。
あのー、サングラスみたいなの出えなかった?
ギラついてたし、なんかギラついてた。それこそいう結構プライドの塊だったからさ、それがやっぱ社会に出てね、いろいろ揉まれてこうやって。
俺プライドの塊だったっけ?
言ったらないけど、プライド高ぇなっていう。
初めて聞いたぞ、お前と10年ぐらい。
俺はさ、結構あんま自分はプライド高くないというか、合わせちゃうから、なんか水野はそうかそうかみたいな感じで言うけど。
俺は仕切ってたと思ってたのに。
ハルトさんから見ても水野くんは、大学の時と社会人になったらやっぱこう。
全然変わったよ。すごい変わったよ。今の話聞いてて。
俺も聞いててすごいなと思った。
こういうマリオの話をしたの初めてかもね。
すごい大人になったって言い方は。
めっちゃ上からじゃん。
お前それめっちゃ上からじゃん。
すごいマリオを見えるようになったんだなっていう、やっぱいろんなことを海外とか経験したりとか。
無敵だよね、もうね、そんな言われるとね。
そう思いましたね。
いやもう、僕のこと好きで言う証拠ですね。
そうですね。
ネットラジオですから皆さんにね、はるとさんから水野くんへの愛のメッセージということですね。
はるとさんは何ですか?何か外来生に伝えたい一言何かあります?
はると 外来生にですか?今の?
今の外来生。こうなってほしいとか、自分はこれできなかったとか。
はると 今の外来生を見てるんですか?やっぱこれは。
わかんないっす。
まぁ一応ね、タイトルで外来生って入れるので、外来にいる人は興味持ってくれるかなみたいな。
はると あーなるほど。
これね、アーカイブですから。アーカイブでね、10年後見てくれるかもしれないし。
はると あー、外来生に伝えたいこと?今の?
自分これできなかったなー、あの時やらせればよかったなーみたいな。
はると うーん、まぁ誰もが言うかもしれないですけど。
なんでしょうか。
はると やっぱもっと勉強しときゃよかったなって。
そう思ったきっかけなんですか?そう思ったきっかけは。
はると あまりにもしてない。
え、はるとくんは大学は何してたんですか?勉強じゃなくて。
はると 勉強ですか?
勉強じゃなくて、勉強はしなかった。逆に何をしてたんですか?
はると やっぱそれは前も言ったように、田村くんと同じで、多分海外に行ってたかな。海外に行ってね。
そう、結構ね、海外行ってますねってちょっとかぶれてるやつもおるから。
はると かぶれてるやつ?あ、外大生でね。
外大学かぶれっていうか、そういう、じゃなくて、海外行ったからじゃなくて、そのそれに関して自分はどういうふうに思って何をしたいかっていうのをちゃんとやりたいことを見つかったからだと思うんですよね。
はると あー。
まず外大生って言う以上は、これすごいドライな話ですけど、日本の就職活動ってどうしても表向きには関係ない関係ないって言いますけど、これって実は大学の名前はある程度関係してると。
39:15
はると 足切りラインっていうふうに呼ばれてるものについては、やっぱり学校名はある程度必要だと。
それに気づくのって就職活動したときじゃないと、当然中学生も高校生も気づかないわけ。
はると あーはい。
はると だから、人生の例えば良い会社に入れるか、良い会社に、いわゆる良い会社っていう言い方おかしいんですけど、いわゆる収入の高い大手会社に入るか、そうじゃない会社に勤めるかによって、障害賃金が違うっていうのがまず日本の小手関連のスタンスなんですけど、
はると 僕どっちかっていうと実力に沿った収入を得られる働き方をしたい考え方なんで、だから学校の名前とか関係ないと思ってはいるんですけど、ただ実はそうじゃないと。
はると 多くは関係してると。だから学校の名前がある以上、そこは一つラッキーなことだと思う。
はると 一方でそれだけで良いかって言ったら、そういうわけではなくて、あくまで会社に入ってから結局自分がどう働けるか、どういう風に実力発揮するのかも含めて、それは努力するしか他ありませんから、
はると 実力の差は努力の差だし、実績の差は責任感の差だし、人格の差は苦労の差。判断力の差は情報の差になるから、
はると やっぱりいかに情報を集めるとかっていうことも社会人になるほど大事になるから、だから自分の知見を増やしていく意味で海外でたくさん旅して感じることを感じてやった方が良いと思いますけど。
後で聞き直すわ、10回20回。
はると この格言はちゃんとあるから、武田信玄っていう人が言った。
信玄持ちの。
はると 信玄持ちファクトリー行ったことあります。
関係ない関係ない。膨らますでしょ。
はると それをこの通りだなと思う。
社会人になっても思いますから。
あらかじめありがちな臭い言葉だけど、社会人になって本気にそれを見た時にそう思った。確かにそうだなと。見えない努力はしてる。すごく仕事をできる人って見えない努力は間違いなくしてる。
例えば僕の場合は仕事できるだけじゃなくて、先輩を見てると、やっぱり終わらない仕事をどこかで時間をちゃんと持って、デッドラインを守って仕事をやるとか、期限を守るとか、そういう基礎的なことはちゃんとやってる。
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はると それが今、支払うべき地位になってるっていうか、役職になってるというか、ドリフトが。
やっぱり偉い、やっぱり尊敬してる人は、こういう人、この人すごいなって思う人は必ず上にいる。
そのお話の続編をお送りいたします。魅力的なお話たっぷりです。お楽しみに。
シャローシュラジオ サニーデイ・フライデー DJの田村洋太でした。それでは次回もリスナーの皆様のお耳にかかれることを楽しみにしております。今日も気をつけて、いってらっしゃい。
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