Startup Now、新調達を実施したばかりの企業家の人生や 事業の裏側に迫るポッドキャスト
パーソナリティーのジョブテイルズ 稲荷梨奈です。
同じくパーソナリティーのアニマルスピリッツ 中山です。本日は第17回目の放送となりまして
株式会社Ashiraseの代表取締役 千野 渡さんにお越しいただきました。
Ashiraseさんは、すでに挿入型IoT歩行ナビ Ashiraseを提供させているスタートアップでして
2024年2月28日に1.75億円の資金調達を実施されました。
千野さん、よろしくお願いいたします。
町田 千野と申します。よろしくお願いいたします。
中山 千野さんにご出演いただいた経緯、中山さん、 いつものご属、よろしくお願いいたします。
千野 今回も私の友人である戸田さんにご紹介いただきました。
前々回、前回に引き続きのご紹介となりまして
もはや我々の強力なサポーターと言っていいのではないかなと思っています。
戸田さん、いつもありがとうございます。
戸田 少しだけリスナーさん向けの案内でして、今回の配信形式はアップデートを少しだけしております。
これまで30分で1本と配信させていただいたんですけれども、
今回からポッドキャスト2本に分けてお送りします。
前編は業家さんのキャリアだったり人生について、
そして後編では事業の深い部分だったり、今後の展望なんかを聞いていきたいなというふうに考えております。
それでは千野さん、いろいろお伺いさせてください。よろしくお願いいたします。
千野 はい、よろしくお願いいたします。
戸田 まず、ご経歴などを含めて簡単な自己紹介をお願いいたします。
千野 私は今38歳でして、もともとホンダっていう自動車の会社で
自動運転の制御であったりとか、電気自動車であったりとか、
そういったところの研究開発をずっと続けていたようなエンジニアのキャリアが長い人間です。
13年くらい働いていて、そこから2021年の4月に今のはしらせという会社を創業したというような形になっています。
戸田 ホンダさんで自動運転、電気自動車の研究開発って本当にトップエンジニアというか、
まさに花形のキャリアなんじゃないかなと思っておりまして、
今時点でもすごいと思いますし、今後どんどんニーズも高まっていて、
その職種に就いた方とかはずっとそれやるんじゃないかなみたいなイメージが強く個人的にあったりするんですけど、
そこを辞める意識ってすごいなと思ってまして、
どうして今回企業に至ったのかみたいなところを教えていただけますでしょうか。
ありがとうございます。
そうですね、ホンダで働いていた時もめちゃくちゃ面白くてですね、
研究開発も、やっぱり技術も新しいものも多かったですし、
それこそ会社の中でも花形みたいなところも一部空気としてはあったりもするので、
面白さは全然あったんですけど、
何にもあんまりそこを考えずに会社を立てたというのが正直なところでして、
あんまり深くそっちを辞めるっていうところに対して意識を向けてなくて、
どちらかというとやりたいことができたので、
そっち側に意識がひたすら向いていたっていうような感じだったかなと思います。
キャリア自体には固執せず、それ以上にやりたいこととかができたので、
エイヤーという形で生み出されたというようなことかなと思うんですけれども、
とはいえそのキャリアを置いといてまでやりたいことってすごいなって思ってるんですけど、
どういう思いをきっかけにしてその領域にチャレンジされたのかというところを教えていただけますでしょうか。
やはり自動車の研究開発とかっていうのが、
安全とかっていうのは必ずどの技術に向いても言葉として出てくるぐらい重要な観点かなと思うんですけれども、
当然僕も安全にまつわると考えながら研究開発していたわけで、
そういった中でですね、
妻のおばあちゃんが18年ぐらいですかね、
単独で歩いていて、川の横に歩いていてですね、
そこに川に落ちてしまって、
3日間ぐらい発見されずに亡くなったという事故があって、
すごい心理的なショックがというところでいうよりは、
もちろん家族はね、奥さんとかも含めてすごいショックを受けていたし、
僕自身もびっくりしたんですけれども、
一エンジニアとして感じたことがですね、
今まで歩行ってモビリティだとかって考えたことはなかったんですけど、
大敵要因もなく人が一人で歩いていて、
死亡事故が起きるっていうその事象が、
すごくモビリティのような中傷度で言うとですね、
中傷度高いんですけど概念的にモビリティのようなところを感じてですね、
それにしてはテクノロジーで全然入ってないような歩行にというふうに思ったことが、
多分一番最初のきっかけだったかなと思うんですけど、
当然その家族とかも辛い思いをしている中で、
そういったテクノロジーで何かできるんであればみたいなところから考え始めた、
というのが一番最初のきっかけだったかなというふうに思います。
自動運転だとか安全を決定してエンジニアとして取り組まれていたゆえに、
歩行というときもモビリティとある種捉えられるし、
そこに対する安全のテクノロジーの観点がまだまだ足りない、
そこに対して自分がやれることがあるんじゃないかというふうに、
エンジニア魂に火がついたと。
分かりやすく求めていただいてありがとうございます。
ありがとうございます。
ちなみにその奥様のおばあさんは視覚的な障害があられたりだとかされたんですか?
今、我々視覚障害者向けのナビゲーションを開発しているんですけれども、
まずにですね、偵察との話であったりとかの中から、
やっぱりその目が不自由でというところが一部原因になっているんじゃないかという話で、
全く見えないというわけではなかったみたいなんですけれども、
そういったところからキーワードとして歩くというところと視覚障害というところの2つをですね、
我々としてはポイントに挙げながら今授業の方を始めたという形になっております。
その領域をやりたいという思いは間違いなくそこで強く根付いていらっしゃったのかなと思うんですけれども、
その中でも今のこのWearableの端末にたどり着くまでのプロセスを教えていただけますか?
今の視覚障害というところのキーワードであったりとか、
今の歩くところに対するプロダクトについてですね、
思いとして当時から絶対何としてでもやり遂げたいという思いがあったかというと、
実はそうではなくてですね、
興味半分、何かできることがないかなっていうのは、
結構軽い気持ちで最初スタートしてたかなと思ってますと、
最初全く分からないわけですよね、視覚障害者のこととかも。
そうですよね。
多分皆さん、お聞きの方々もそうだと思いますし、
2人ももしかしたら視覚障害者っていう方々、周りにいらっしゃらない方っていうのが
多くいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども、
僕も当然そういった一人でして、
イメージも全然つかないし、どういうお話、
言ったら初めて話したときに一番最初に思った、
僕の感覚がすごい失礼なんですけど、
普通の人なんだっていうのが一番強かったんですね、感覚として。
いうぐらい、だいぶ偏見を自分の中で持ってたんだなっていう風に感じたのは結構あってですね、
それくらい最初何も分からないところから視覚障害者についてだったので、
絶対やり遂げたいとかっていうよりは、
まずは話聞きに行こうみたいな形で、
誰に聞いていいかも分からなかったので、
ホンダでやるとかそんな話は全くなかったんですけど、
ホンダがやるんでちょっと話聞かせてくださいって、
視覚障害者協会みたいなところにですね、
宇都宮に研究所があったんですけど、宇都宮の視覚障害者協会に電話して、
アポとらせてもらって話を聞きに行ったっていうのが、
ホント一番最初のアクションというか行動。
そこで話を聞いたりとかしていくうちに、
すごい面白い領域だなっていう風に思って来たんですけど、
仲良くなっちゃったというか、
視聴者の方々にすごい期待をしてくれるようになってきたので、
もうやるしかねえなみたいなところが、
結構自分の感覚値としては強いかなっていう、
友達のためにみたいな感覚の方が今は強いかなっていう風に思っています。
共感性というか思い入れに対する愛みたいなものも生まれてきてというところだったんですね。
そうですね。
一番最初はホンダ初のスタートアップとして立ち上がって、
直近のタイミングでスピンアウトとかもされているのかなという風に
拝見はしておったんですけれども、
そこのあたりもかなり大きな意思決定なんじゃないかなと思っておりまして、
スタートアップとしてやっていくぞっていう踏ん切りがついたタイミングとか、
そこの意思決定の背景ってどんなものがあるんでしょうか。
今我々ホンダ初スタートアップというような形で進んでいるんですけれども、
俗に言う大学初とかと同じようなノリかなと思っているんですが、
21年に創業しているんですけれども、
18年の時に事故があって、
そこからはホンダで働きながら、
ホンダ外の時間って言うんですかね、夜の時間とか土日の時間とか、
そういった時間を使って仲間とこのあしらせっていうものに対して
開発とかを進めていたんですけれども、どうしようかなと思っていて、
会社を起こすのかホンダの中でやるのかみたいな、
いろんな選択肢が当然あり得るのかなと思っていたんですけれども、
一つは単純に一緒にやっていたメンバーが社外のメンバーだったので、
だから外でやったほうがいいかなみたいなところが一つあったのと、
当時ホンダの中でもそういうカーブアウトみたいな仕組みを作っていきたい、
今まで大企業からスタートアップを生むっていうところの仕組みが、
ほとんど大企業が株を結構持っているみたいな状態が多かったので、
それから全く持たないで関わらないみたいなケースが多かったので、
彼らとしては、例えば少数の株式だけホンダとしても保有するけれども、
基本的には1スタートアップとしてフォロー投資家っていう位置づけで
ホンダが関わるっていうような仕組みを作っていくのがスタートアップファーストであり、
かつホンダ初みたいなところの文脈としても分かりやすいんじゃないかって、
それからスタートアップが成功するんだったら、
ホンダに帰ってこないっていうような選択肢も含めて、
自由にやってもらうのが、
社会課題を解決していくことにつながるんじゃないかっていうのを
彼らとして思っていた。
そういったプログラムを彼らが本気で作りたいっていうのを、
それこそシリコンバレーでずっとブシやってたようなメンバーとか、
ホンダの中でずっとベンチャーとやりとりしているようなメンバーが
立ち上げようとしていて、
そこからお話をいただいて、
最初の一号案件としてやってみないかみたいなのが、
20年くらいに話をいただいたっていうような形で、
一つの選択肢として、
プロダクトとしてもユニークかもしれないし、
資格障害者って課題も分かりやすい、
社会課題として分かりやすい。
でもやっぱり僕らとしても、
本当にそれだけで突き抜けていけるのかっていうところの
一つの後押しにはなったかなっていうふうには思っています。
なので、21年の4月の時点からは、
単独の会社として資金調達もシードラウンドとして
すぐに行っているんですけれども、
そこから他のスタートアップさんと同じような形で
調達を合計3回させていただいて、
この間の3回目の調達というような形になっております。