Startup Now、資金調達を実施したばかりの起業家の人生や事業を紐解くポッドキャスト、パーソナリティーのジョブ・テイルズ稲荷田です。
同じく、パーソナリティーのアニマル・スピリッツ中山です。
本日は第19回目の放送となりまして、Uberをはじめ、数々のユニコーン企業を生み出してきたエンジェル投資家のジェイソン・カラカニスさんから出資を受けていることでも有名なAnyplaceの内藤聡さんにお越しいただきました。
Anyplaceさんはあらゆる場所をオフィスに振るツール、Anyplaceを提供されているスタートアップでして、
2023年6月にシリーズBラウンドで1,000万ドル、日本円にして14億2,000万円の資金調達を実施されました。
内藤さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。Anyplaceの内藤です。
内藤さん、最近いろんなポッドキャストにも出ていただいていて、ぜひそれも併せて聞いていただきたいんですけれども、
私稲荷田自身はですね、3月1日にありましたThe SeedさんがやられていらっしゃいますThe Future Xというカンファネンスがございまして、
そこで内藤さんが登壇されていらっしゃって、接点を持たさせていただきました。
そこでのセッション、いくつか廃帳していたんですけど、やっぱり内藤さんのメッセージングが一番突き刺さったなという感覚がございまして、
この熱量で話し続けられる方ってどういうバックグラウンドでどういう思い出の授業をやっているんだろうというのは非常に不思議ですね。
この熱量を日本の企業家さんだったりスタートアップの方にも届けていきたい。
そしてまたそういった方々に火がついてチャレンジャーを増やしていきたいという思いが湧いてきましたので、今回特別にポッドキャストに出ていただくという運びになりました。
内藤さん本当にありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。
それではまず早速なんですけれども、内藤さんのことをご存じでない方もいらっしゃるかもしれませんので、簡単な自己紹介からお願いできますでしょうか。
はい、Anyplaceの内藤です。
今アメリカのサンフランシスコを拠点にしていて、Anyplaceというリモートワーク環境完備の種格設の事業をやっています。
もっと具体的に言うとですね、家具付きで満水で借りれるサービスアパートみたいなような事業なんですけど、
かつ全ての部屋にスタンディングディスクとかモニター、ミクチュアがあってですね、めちゃくちゃ生産的に働けるかつWi-Fiもめちゃくちゃ速いというものを保証して提供しています。
やっぱりコロナ禍でアメリカは特にリモートワークが増えてですね、ノマド的な人も増えましたし、出張中に出席からズームミーティングするとかそういう働き方も増えてですね、
ただホテルとか通常のAirbnbってコロナ前の宿泊に最適化した宿泊施設、例えば2、3泊のままに最適化しているので、そもそも働くことを前提に使われていないんですよね。
なので、いいホテルでもWi-Fiが遅いとか、デスクが小さい、暗いとか、やっぱり仕事環境に最適化したいので、我々はコロナ後、もっとスタンダードになるような四角鉄道がないんだったら作ろうという形で事業を展開していて、
今アメリカで4都市、サンフランシスコ、ニューヨーク、LA、サンディングをやっているんですけど、これをどんどん全米大島、世界中に広げていこうと考えています。
ありがとうございます。事業に関しましては非常に今好調といいますか、DMV、技術総額もすごくエンテタイネで始めているのかなと思っておりまして、この辺りは後編で中山さんにも深掘りしていけたらなと思うんですけれども、
前編は事業を作られるまでのバックグラウンドをお伺いしていきたいなと思っておりまして、まずアメリカに行かれたのはいつ頃なんでしたっけ?
そうですね、もう10年近く前なんですけど、自分が大学卒業すると同時にアメリカ飛べしてですね、で飛べした当初はもう英語も全然しゃべれなかったんで、スタバの注文もないっていうかわかんないみたいな、
アメリカ人って容赦なきくんですよね、なんか日本の店員さんだったら日本語をしゃべれなかったら結構優しく聞いてくれたりするんですけど、
ちょっと容赦ないんで、ないっていうかわかんないんで全部もうイエスって言うしかないみたいな、そしたらめちゃくちゃトッピングとか甘くされて出てくるみたいな、そういう洗礼を受けて、
で、そこから商売始めて、でも10年経ちましたけど、それこそジェイソンとか現地の投資家かつ日本の投資家も含めてですね、すごい支援してあげていて、
で、なんとか事業も立ち上がって、やってみるとなんとかなるなっていう。
多分それの一言に尽きるとはいいですね、そこを深掘りにしていきたいなと思っておりまして、
大学卒業されてすぐアメリカでまず英語ができない、プラスアルファもしかしたらビジネスの立ち上げ経験もそこまでなかったりもするとすると、すごい障壁だらけだったのかなって思うんですけど、
ちなみにビジネスの経験みたいなところはどこから得られたりもしたんですか?
ほとんどないんですけど、でも大学、在学中にそれこそインターン、スタートアップインターンしていたりとか、あとはイーストベンチャーズでアソシエイトとして働かせていただいたりということで、
スタートアップっていうものはそこで触れ合う機会はあったんですけど、ただ自分で事業をやってたりとか、すごいゴリゴリにビジネスをやったっていう経験はその時はなかったです。
アメリカで起業するぞ、スタートアップをやっていくぞっていうのを最初に意識されたのはいつぐらいなんですか?
それも大学、在学中に知ってる人も少ないかもしれないんですけど、ソーシャルネットワークっていうFacebookの創業の映画が上映されて、
映画の世界のザックって自分と同い年、大学生とかで、しかも世界にインパクトを与えているプロダクトを作っているっていう事実に衝撃を受けて、そういう人たちがいっぱいいる世界があるんだみたいな。
それでシリコンバレーっていう存在を知って、自分もともとは生まれ、親が山梨で冷裂企業、自営業やってるんですけど、商売すること自体はすごい楽しみがあって、
どうせ商売するんだったら、そういう世界で、ザックとか若い人たちが腰の毛を削っている舞台で自分もやってみたいなと思って、とりあえず空気吸ってみようと思って行きました。
映画を見てから実際に現地に行かれたっていうのはどれくらいの期間が空いてるんですか?
多分大学2年か3年の時に映画を見て、半年間休学したんですよね。
ちょっとアメリカに留学してみようみたいな。語学留学なんですけど留学して、ただ全然遊んだバカだったんで、全然英語は受託しなかったんですけど、
でもやっぱそれでベイエリア行ってみて、やっぱこういう土地でもっと行ってみたいなと思って、大学卒業してベイエリアに引っ越したんで、
映画を見てから実際に移住したみたいな意味だと、1年ないし2年弱くらいあったかもしれないですね。
その間にでもイーストベンチャーズさんとか、デコインターンのアソシエイトをさせていただいたんで、
それこそメルカリがまだシェアオフィスにいた時代とかベースとかがまだ同じオフィスにいた時代で、スタートアップのダイナミズムを感じる良い経験できました。
現地でいきなり起業したっていうのは当然ありますけど、その手前でのクッションっていうのは当然いくつか挟んでいらっしゃって、
そこで弾みをつけて、よりハードルを下げてから行かれたっていうところがあられるんですね。
だからいろいろとスタートアップっていうものに触れてから行ったかもしれないですね。
現地に行かれてから、今の事業に至るまでも何回かピボットされていてっていう話があると思うんですけれども、
その中での簡単なプロセスのシェアだったり、加えてその時どんな気持ちだったのかみたいなのをそれぞれお伺いしていきたいんですけど、
そのところとかっていかがでしょうか。
そうですね。本当にまずは空気吸いに行きたいぐらいの気持ちだったんで、
ラッキーだったのが、僕が行ったタイミングと同じタイミングで、
自分の兄貴分、今となっての兄貴分なんですけど、小林清さん。
当時、のぼとって会社を買収して、そのロックアップが終わってからアメリカに次の挑戦の場を移して引っ越されたんですけど、
ほんと同じタイミングに引っ越したんで、いろいろ構っていただいて、
清さんが言ってたのが、やっぱり清さんの経験上、日本の経験はアメリカで全然役に立たない。
唯一役に立つのはお金。お金があるから一人で早く失敗できて学べるから、
それはプラスだけど、自由を立ち上げるルールとかカルチャーとかも全然違うんで、
日本の経験全然役に立たないから、どうせやるんだったら最初からこっちでバッと振って、
それで企業の筋肉をつけた方がいいっておっしゃっていただいて、
どうせやるんだったら自分もちょっと出すよみたいな、最初の投資もしてくれたりとか、
清さんが行ったきっかけでこっちでできましたね。
かつ、来た当初、僕お金もなかったし、友達もいなかったんで、
あとは住む場所もなかったんで清さんがお金貸してくれて、それでテックハウスっていうシェアハウス、
日本のスタートアップ関係者とか学生とか、ベイビーに来たら学生とかが泊まるようなシェアハウスを運用してですね、
そこに自分住めば住むところにお金かかんないんで、
それで1,2年くらいシェアハウスやって、自由のアイデア考えてみたいな感じです。
なるほど。その1,2年は、まずテックハウスやり始めたっていうのは、
それなんかある意味、最短化でいくと、ちゃんとそこでつなぎの機関作りつつ、
そこでネットワークとか考える時間をちゃんと設けたところで、
最初からプロダクト作るみたいな感じにならなかったのはどうしてなんですか?
そうですね、まず全然アイデアなかったんで、アイデアもやっぱりいながらこっちで考えた方がいいって清さんと話して、
それこそまたカルチャーも違うし、住んでみるとすごい不便なこといっぱいあるんで、
アイデア見つかりやすいんじゃないかみたいな話で、
あとはやっぱり知り合いが増えないと、なんだろうな、こっちでビジネスもしにくいよねって話で、
シェアハウスとは別にインタビューメディアもその時やったんですよ。
もともと僕テックランチジャパンがまだあった時に、コントリビューターとして寄稿してて、記事を。
テックランチって言うとこっちの人もわかるじゃないですか、信用ある人だと。
で、別にテックランチで記事書いてますよ、でもそのインタビューを僕のブログで差し替わったみたいな感じでアポ取っていって、
で、100人ぐらい本当に現地の投資家とかファウンダーも知り合ってですね。
それ1年ぐらい、やっぱりそれでどんどん、なんだろうな、レイリアってものが身近に感じてきて、
それで1年ぐらい経った時期に会社にしたって感じですね。
なるほど、そういった形で現地の起業家さん、いろんな方と話を聞いていると、
当然さらにレスペクトする方とか、何なら一緒にやらないかって言ってくださる方とか、
そういった出会いとかもあったんじゃないかなって思うんですけど、
それでもそこに行かずに、やっぱり自分でも起業するっていうのは変えずにいたしちゃったってことですか。
そうですね、やっぱり自分でやってみたかったっていうのが大きいですし、
結構偉い人にインタビューできたんで、全然誘われるぐらいなレベルじゃなかったですね。
でも良かったのは、そういう人たちの中でも、
今そこにインタビューした人がうちの会社に投資くれたりとか、
そういう形があるんで、やっぱりやってよかったなと思います。
実際に起業されるまでの間で、やっぱりダメかもしれないとか、心が折れそうになったタイミングとか、
その2年間の間とかではなかったんですか。
そうですね。
事業を始めて、1日目のプロダクトが全然うまくいかなくて、
それはその後2年間ぐらい、今のエニースペースに行き着くまでポッと繰り返したんですけど、
その時期はめちゃくちゃつらかったですね。
本当に自分でアイデンティティがないというか、会社もあるのに事業がないんで、
すごいうさん臭いというか、人ともすごく会いにくい。
説明するときも会社やってるんですけど、事業ってないですとか、
事業も会うたびに変わってますみたいな感じだったんで、それは大変でしたね。
野球選手と名乗ってるのにフルバットがないみたいなイメージで。
でもやっぱりその時期に色々やっぱり学びましたし、
早く作ってね、早く試して、早くダメだったら次に行くみたいな。
学びましたし、今思えば創業期のああいう時期も、
一つのスタートアップの醍醐味なんじゃないかなって思えるようになったんですけど、
そこ大変だったかもしれないですね。
ここで完全に折れたり止まったりせず歩み続けられた理由は、
やっぱり憧れみたいな、諦めたくない思いがあったのか、
あるいはご自身に自信があったのかとか、何かいくつかある気がするんですけど、
それでいくとどういったところになりそうですか?
でもやっぱり一番は仲間が多いと大きいと思うんですよね。
それこそキヨさんもそのチャレンジしてたし、
で、同じタイミングで一緒にシェアスやった、
長谷川、もともとラーメンヒーローっていう会社やってたんですけど、
長谷川とかあとは同世代の日本人ファンが何人か、
キヨさんが面倒見てこっちで会社始めたんで、
なんかやっぱそういうみんなが頑張ってるんで、
自然と帰るっていう選択肢はなかったですね。
大変なこと多かったんですけど、
あとは大変ですけど、その楽しさというか、
プロンティアを切り開くみたいなワクワク感はあったんで、
そっちのほうが大きかったかもしれない。
今のワークグラウンドがあるからこそ、
最近のメッセージでもやっぱりとりあえず来ることが大事だっていうのを
よく言われてらっしゃるかなと思ったんですけど、
やっぱり行くことによって仲間もできるし、
現地の空気を吸って、そこで見つかるものもあるし、
っていうとこがやっぱりあるんですね。
そうですね。やっぱりでも来ない理由とか、
こっちでやらない理由は考えだしたらいっぱいあるんで、
本当にやりたいって気持ちがあれば、
一回来てみて、こっちでチャレンジしてみて、