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ストーリーとしての思想哲学
思想染色がお送りします。今回は、民謡と童謡、特に民謡という概念について掘り下げます。
明治・大正・昭和まで遡って、民謡というものがどのような系譜をたどって誕生したのか、そのルーツをたどりたいと思います。
ちなみに、このような文化や思想について、起源にまで遡って、それがどんな系譜をたどってきているのかを明らかにしようという考え方のことを、系譜学といいます。
系譜学といえば、ニーチェが有名ですね。
まあ、ニーチェの道徳の系譜学はともかくとして、民謡についてです。
ただ、あくまでも東京、中央から見た民謡ということで、沖縄民謡のような、東京とは異なるルーツや系譜を持つ民謡までは、今回扱いません。
そこだけ、東京中心主義的な民謡ということになってしまう。それだけご容赦ください。
民謡のルーツ、起源は何かっていうと、これが意外と最近なんですよ。
民謡をですね、単に庶民や民衆の間で歌われていた歌くらいで解釈すると、その起源っていうのは歌の起源と重なるから、戦時時代にまで遡るということになります。
この話は歌と言語の起源の回でありましたね。
でも、民謡という言葉が日本で使用されるようになったのは、明治中期以降です。
民謡という言葉は、ドイツ語のフォルクスリートの訳語として、明治中期に森鴎外などの外国文学に精通した知識人たちが使い始めて、
大正から昭和初期にかけて、北原博集団によって展開された新民謡運動っていうのを通して、で、現在の意味に近い形で使用されるようになったという系譜を持ちます。
しかし一方で、概念はヨーロッパ由来のものだったとしても、労働歌であったりとか俗謡などと呼ばれる、そういった民謡的な歌自体はもっと古くから歌われていたし、
その上であくまでも知識層によって、ドイツ語に対応した概念として、民謡というジャンルが再発見されたに過ぎないっていうのが注意が必要な点ですね。
じゃあ、なんで明治大正の時代に、わざわざ民謡という概念をドイツ語に対応させてまで再発見したのかっていう話です。
状況の背後には、明治20年代から30年代にかけての日清戦争・日露戦争があります。
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明治時代っていうのは、とにかく西洋の技術や文化を日本に取り入れる近代化の時代でした。
その一方、翼の両翼の偏くと偏くという関係において、もう一方で統合された国民国家としての国民意識の浸透が要請されていました。
西洋化、ヨーロッパ化を急激に進める一方で、国民アイデンティティ、つまり長州藩とか薩摩藩とかそういうのではなくて、
我々は日本国の日本人であるっていう、国民意識を醸成するという、これを両方やんなきゃいけないっていう一見矛盾したですね、領局の間を揺り動いていた時代でした。
この急激な西洋化のもう片っぽの翼として、日本固有の国民文化として民謡が見出され、再発見されるに至ったというわけです。
これは童謡も同じような構造です。民謡に新民謡運動があったように、童謡にも童謡運動というのがありました。
童謡の場合はもうちょっと直載的で、明治政府がですね、西洋化の一環として小学校消化というのを導入したんですよ。
小学校消化のコンセプトとしては、西洋音楽の技法を用いたメロディーに日本語の詞をつけた歌を歌わせるというものだったんだけど、
実体とすると、ヨーロッパのすでに存在する曲のですね、メロディーだけパクってきて、そこに無理やり日本語の歌詞をつけるっていう、かなり不自然な雑なやり方だったんですね。
それで、もうちょっと上手くやろうやって言って、作曲とかできる人たちが童謡運動をもっと上手くやろうって言って展開したってわけだから、民謡よりかはもうちょっと直載的かと思います。
で、いずれもレコードとかラジオ放送っていう新技術がちょうどいいタイミングで出てきて、その新技術の波に乗って一気に全国展開して普及したっていう流れになります。
民謡とは、英語で言うとフォークソングのことですが、日本のフォークソングもやはり音楽シーンにかなり強い影響を与えていて、昭和歌謡とかにつながって今に至るというわけです。
はい、というわけで民謡と同様の系譜についての話でした。
次回もよろしくお願いします。