1. そろそろ美術の話を...
  2. #030 脇道を整える。渡辺省亭..
2021-06-12 1:05:55

#030 脇道を整える。渡辺省亭再評価までの道。(泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎)

泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎さんをお迎えして、美術館で働くまでの経緯や、渡辺省亭についてお聞きしました。

https://sorosoro-art.vercel.app/ep/030 番組の感想は、#そろそろ美術の話を でお願いいたします。

Guest Profile

  • 泉屋博古館東京 館長 野地耕一郎(のじ こういちろう)
    • 昭和33年神奈川県生まれ。成城大学卒業。美学美術史専攻。58年より山種美術館の学芸員として勤務。その後、練馬区立美術館学芸員、主任学芸員を経て、平成25年泉屋博古館学芸課長。現在泉屋博古館東京館長。

Show Notes

  • モンドリアン・チャレンジの話題
  • モンドリアンに関する説(前編)
  • モンドリアンに関する説(後編)
  • 【モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて】 | SOMPO美術館
  • CiNii 雑誌 - アトリヱ
  • 神奈川県立近代美術館の話題
  • 靉光 - Wikipedia
  • 松本竣介 - Wikipedia
  • 神奈川県立近代美術館
  • 酒井忠康 (野路さんがお世話になった酒井さん 世田谷美術館館長)
  • アングル展の話題
  • アングル展 | 過去の展覧会 | NMAO:国立国際美術館
  • アングル展|1980-1989年|過去の展覧会|国立西洋美術館
  • 高橋明也
  • 山種美術館の話題
  • 日本画の専門美術館 山種美術館(Yamatane Museum of Art)
  • 速水御舟 - Wikipedia
  • 横山大観 - Wikipedia
  • 練馬区立美術館
  • 渡辺省亭の話題
  • メイキングオブ渡辺省亭展 ー幻の名匠を探してー(中) 生前から贋作出回る:東京新聞 TOKYO Web
  • 作品詳細 | 雪中群鶏図 | イメージアーカイブ - DNPアートコミュニケーションズ
  • 渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画
  • 渡辺省亭 欧米を魅了した花鳥画
  • 幻の日本画家・渡辺省亭 (中)パリ万博にも選出:東京新聞 TOKYO Web
  • 渡辺省亭の絵を所蔵している世界の美術館
  • The Met Fifth Avenue | The Metropolitan Museum of Art
  • Museum of Fine Arts, Boston
  • V&A · The World's Leading Museum Of Art And Design
  • フリーア美術館 - Wikipedia
  • 渡辺省亭と交流・意識していた画家
  • 山本芳翠
  • 黒田清輝
  • エドガー・ドガ - 渡辺省亭から絵をもらった
  • ジュゼッペ・デ・ニッティス - 画商
  • 日本美術院 - Wikipedia
  • 鳥博士高橋の鳥舌技巧! | とりはかせ
  • (渡邊省亭コラム)鳥博士高橋の鳥舌技巧!vol.19 | イワツバメ
  • エドモン・ド・ゴンクール - Wikipedia
  • 竹内栖鳳 - Wikipedia
  • 鏑木清方 - Wikipedia
  • 渡辺省亭の先生
  •  - 菊池容斎 - Wikipedia
00:02
はい、始まりました。アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがハートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを繰り広げるポッドキャスト番組です。
前回は話がつきませんでしたが、今回は引き続き、専屋百貨館東京の館長の野次光一郎さんをお迎えして、ご自身や作品の話をしていきたいと思います。
はい、ということで野次さん、お疲れ様でしたが、話がつきませんでしたね。
はい。
改めて聞いていなかったのでなんですけど、いつから美術に興味を持たれていたんですか?
これ、みんなに聞いてる?
いいとこ、みんな聞いてる。
みんな聞いてる。でも、だいたい同じじゃない?
子供の頃から絵が好きだったりとか、家に平凡者の世界美術全集があったからとかさ、お父さんが美術館に勤めているとかっていう人の中にはいるんじゃないの?
未成、あんま聞かないんですか?
いないですか?
意外と美術館に未成いなくないですか?数えるほどしか。親子2代、各部員。
でも、だから目立つよね。
そういう人?
大変じゃないかなと思う。
未成、美術界の未成。
おじさんはそのパターンがどれくらい?
僕はね、やっぱり家に画集があったりとか、絵があったりするからさ、そういうのを見るのが好きだった。
小学生の時からですか?
いや、もう生まれた時から。
えー。
じゃあ、もう最初からその世界に行く気でいった感じですか?
いや、でもこの世界に入ろうと思ったら高校生ぐらいかな。
でも早いっすね。
お母さん、やっぱりスポーツ選手になりたいとか会社になりたいとかなかった?
あのね、絵を見るのが好きだったし、見るだけじゃなくて、どういう画家なんだろう、描いた人とかっていうさ、裏側の事情みたいなのにすごく興味が。
それとも子供だからですか?
うーん、中学、高校生ぐらいかな。
で、美術の時間ってあるじゃん、お絵かきしたり、いわゆる図工っていう時間だけど、あのね、なんていうのかな、僕あんまり小学校、低学年の頃は学校行かなかったんですよ。
ほいほいほい。
あの、どちらかというと登校拒否に近いような、で、ムレるのがとにかく苦手だから。
画家がムレるのが苦手だって言ってたけど、じゃなくて本人もなんですね、全然。
本人もムレるのがあんまり好きじゃなかったから、同じ教室で机を並べてみんな同じ方向を見て、っていうのがすごく増えてね、あんまり学校行かなかったんだよね。
で、小学校2年生の時に、あの、浦山さつき先生っていう女性の。
フルネームで覚えてる。
もうこの人のことは忘れない先生だったんだけど。
03:02
僕あんまり学校行かなかったんだけど、その浦山先生は森林の、でしかも1年しかいなかった先生。
ほいほいほい。女の先生。
女性の先生でね。
で、富山の秘美っていうところ出身。
ブリで有名な。
そう、秘美。
秘美の出身で、で、1年だけ僕がいた神奈川県の小学校に赴任してきて。
で、野次くん来ないわねっていうみんなに言うわけで。
はいはいはいはい。
あの野次くんは学校が嫌いだと思いますとか言って。
まあそうですね、来ないわけです。
来ないから。
あ、そうって。で、わざわざ自宅に訪問してきて。
今はそんなことしちゃいけないんですかね、たぶん。
その当時ね、50年60年前だから。
だってそもそも投稿拒否って言葉じゃない頃ですよ。
ないよね、たぶん。
50年前だった。
学校に来ない、ある意味不良児みたいなことでしょうから。
わざわざ来てくるよ。
で、野次くんとか言ってさ、学校来ないの?って言ったらさ、行きたくないって言って。
何してるんですか、家でそんな。
家でね、やっぱり本読んだり、まあ母親がいたから母親に勉強を教えてもらったりっていうようなことはするわけ。
でも母親もね、特に学校行きなさいよとは言わなかったのに、行きたくないんでしょっていう感じで。
まあそういう態度だったから、僕も行かなかったんだけど。
でも裏山先生がさ、なんかちょくちょく来るわけ。
学校でこんなことするんだけどさ、来ない?とか言うわけ。
でね、ちょっと学校まで遠かったんですよ、僕だけから。
で、歩くと30分くらいかかる。
30分くらいありますね。
でね、バスがあったから、バスで通学をするんだけど、またバスが来ないの。
バスに乗るのが。
つまりどういうことかっていうとね、バス停のその時刻に合わせてバス停まで行くっていうのが多くない?
でも野次さん、そう言われて思い出したのが、それこそ前半で出てきた高橋くんと野次さんと一緒に行って、
展覧会見た後に千岳八幡でギャラリー行こうって言って、
南北線で乗り換えて行くのが絶対早いのに、南北線は来るのが遅いから銀座線まで歩いてくるって言って、
いやいや、歩いてる方が時間かかるんじゃないかと思うけど、待つのが嫌なんですよね、きっと。
待つのが嫌。人に合わせるから、車の事情に合わせるっていうのがすごく苦手なんです。
ああ、それもう昔からなんですか。
昔から。
で、例えばバスの方が先に行っちゃったりなんで、ちょくちょくあるわけだよね。
そうすると、あ、もう来ないやと思って、家に引き返して家に過ごすっていうこともあったわけ。
え、でもじゃあ先生が来て、学校に行けなかった?
行き始めた、そして。
へえ。
なんか無心だからさ、ちょっと座上に放たされるわけだよね。行ってあげようかな、みたいな。
06:05
ただし、音楽の時間と図工の時間がある日、曜日だけ。
それも好きだったんですか。
それやっぱり音楽は好きだったな。歌を歌ったり、曲を演奏したりっていうのがすごく好きで、
特にパーカッションが好きだったんですけど、パーカッション系が好きで、リズムを刻むっていう。
音程を作る、メロディーを作るよりもリズムを刻むっていうのがすごく好きで。
え、でも音楽も好きだし、図工も。
それから図工っていうか、物を作ったりっていうことには関心があったし、
テレビが出始めた頃だったので、漫画、アニメを画面を見ながら書く、みたいなことをしてたよね。
で、漫画本はね、ちょっと田舎だったので本屋がなかったんです、周りに。
なので、テレビの画像を見て映すみたいなことを。
コードですね、やってることが。
今から考えると、あれが原点だよね。
例えば、鉄人28号とか、アトムとか、スーパージェッターとか、ああいうものをさ、
一瞬捉えて。
一瞬捉えて、目でっていう。
一時停止はできないわけですもんね。
できないですよね。
モノグロームじゃない。
モノグロームっていいなと思ったのはさ、線と影っていうのはクッキリしてる。
で、色はどういう色かわからないから、勝手につけられるんだよ。
なるほど、なるほど。
で、自分が描いた絵をさ、漫画で、カラーの漫画で見ると全然違うんですよ。
どっちの絵も面白いなと思って逆に。
全然違うけど、勝手につけるとこうなんだっていうのもさ、これ面白いなと思って。
今僕は水墨画にすごく興味があるんだけど、そこにちょっと原点ある。
つまり色がない世界に自分なりの経験値で色を感じることができたりつけたりすることの面白さっていうのさ。
花が描いてあったらこれ赤かもしんないし、白かもしんないし。
前、トニーのモンドリアンの絵が、あれちょっとね、僕あれをさ文通化したらどうかなって。
モンドリアンのコンポジション有名だ。
で、それが赤と青と黄色が塗ってあるのを外した状態で学芸員さんのとこに行って、
みなさん記憶で塗ってくださいって言ったけど、50人中48人が間違えるっていう。
間違えるっていうね。
コードが。
誰も塗り分けられないみたい。
モンドリアンコンポジション遊びっていうのさ、あれはちょっとグッズ化するとすごく面白い。
モンドリアン今やってるじゃないですか。
ちょっとで僕もやろうかなと思って。
あれ作んなよ。
今ソンポジャパンでやってるやつだと、すっごいたくさん格子があるのに青が一箇所しか塗られてないやつがあったんですよ。
それをみんなにどこを塗ったらモンドリアンになれるでしょうクイズとか、ちょっとやってみたいです。
09:06
モンドリアンなりすましクイズ。
モンドリアンならここに行くみたいな。
やりましたね。ちょっと話が出過ぎてしまいましたけど。
でもそういうことなのね。
それでうらやま先生はそういう、僕を学校に教室に行こうとさせようといろんな工夫をするわけで。
例えば図工の時間に、普通だったら教科書通りに行って郊外に写真をスケッチしたりとかいうこともあるわけですよ。
スケッチはもちろんみんな、僕も好きだから行くじゃん。
そのほかにね、物語を作るっていう時間を作ってくれて、物語を自分で作る。
自分で作ってそれに縁をつけるって 刺し絵だよね
そういうのをやってくれて これめちゃくちゃ面白かったんですよ
へー
でね それで僕の作ったのを選んでくれて みんなの前で発表してくれるから
うーん
で 僕は人前で話すのは 今はそんな嫌いじゃないし むしろ好きなんだけど
そうです
その当時はさ 人前で話すなんてことは 前ないわけ
家族にはあるけどないじゃない そういうことをね なんかね 減圧的に
やってくれた人
へー 新人だったんですよね そもそも
そう そもそも
すごいですね そもそも
しかも2年生1年しかいなかった
へー
で 未だに感謝してる
でもそれでも変わって 3年からは普通にいけるようになったんですか
普通にはいけなかったけど すぐには
でも3年生になると男の先生になっちゃ ったんで
でも厳しい人だったのは この次は細見先生っていう
細見先生
細見高地先生とおっしゃって この人はね 京都のマイゾールから来た人なんだけど
そこまで覚えてない
すごいね 学芸技術 研究者技術なんですかね
覚えてない
記憶の
で その細見先生っていうのはね 書道の先生だった
書を書く先生だった 書道士の先生で
でね それまでほら 盲筆で字を書くなんてことがないから
で その先生はね 放課後に好きな人だけ 生徒だけ集めて
書道教室やってた
へー
寮のね もちろん
で 俺またバスに乗り遅れちゃったからさってさ
ちょっと時間潰しがある
で その間にその書道の先生の指導を受けて
好き勝手に書くんだよ 最初はね
で そのうちさ 例えば漢字の成り立ちみたいなこととか
書き順とかっていうのを その先生が説明してくれるわけ
こう書くんだよとか 筆はこう
点が入ってこういうふうに打ち込んだり 伸ばしたりとかね 強弱とか
12:04
全く強弱のない文字もあるじゃん
はいはいはい
金文台みたいな
ああいう言葉でも教えてくれる
小学生ですか
小学生
へー
で 面白くなっちゃって
で 書道一生懸命やってる
もう先生に恵まれたんですね
そう 地球に恵まれた感じ
運が良かった
あの 強運な持ち主だと私は思います
だったらその二人に出会わなかったら
もう今ないね 多分
ずーっとあの
ジュニアさんみたいになってる
それはそれでまたいいんじゃないですか
なんで いいものに
例えば
じゃあ高校になって
まあいろいろとその後もあって
高校になっても学芸になるっていうのも
あのね 何だろうな
絵を描くの見るのが好き
どっちかっていうとね 見る方が好き
なってったんですね
だんだん見る方が好きで
その絵を描いた人 画家って呼ばれる人たちが
どういうその人なのかっていうのをさ
逆に調べるんだよね
図書館に行って
自主的に
自主的に 知りたいから
なんでこんな絵描いちゃったんだろうって思うわけ
そうするとさ
カドカーの世界美術全集とかがあって
それ読み始めて文字が
読めるようになるから
そうすると解説が書いてあって
美術の歴史とかあるじゃん
読むわけじゃん
わからないことがあると
あの学校に行って
美術の先生に聞いたりする
へー
わかんない どういう意味とか
答えてくれる先生だったんですか
答えてくれる先生
中学の時の先生 山崎博史先生
何それ
フルネームで覚えてますね
いやもう文人だから
僕は中学の時にはスポーツをやっていたんだけども
そこのスポーツの顧問の先生が美術の先生で
北海道から来た人だったんですよ
なんかみんな地方の人だった
北海道の先生で
北海道出身でね
その人がさ
美術と教室で自分で絵を描いたりする
その人自身が
油絵を描いた
っていうわけですよ
でさ
美術の教材として
中学生で油絵ってまだやらない
やらないですよね
油絵の絵の具が置いてあったり
自分が展覧会に出品していたらしくて
展覧会出品用の絵を
家でやるんですけどね
家でやるんですけどね
学校で描いてたから
そしたらここを覗きに行くわけで
教えてもらって
そこにさまた
アトリエっていう雑誌が
今はもうなくなっちゃったんだけど
有名な
老舗雑誌で
その先生が買ってたんですね
その先生が買って
15:01
学費で買ってたんですよ
学校で美術の
ガラストーダーの中に
アトリエがずっと並んでるわけ
バックナンバーがずっとあって
俺は時間があるところを見てて
すごいなとか
いろんな特殊なジャンルがあるとか
印象のある特殊があって
その中にはヌードの描き方とか
中学生
ちょっと思春期の
思春期で
女性のヌードモデルの写真とかが
あるわけで描き方雑誌だから
際大なところは隠してあるけど
女の人のヌードなんてさ
あんまり見たことがないからさ
エロ本の代わりみたいな
すごいもの置いてましたね
でもその先生は
この画家はこういう画家なんだよね
みたいなことを教えてくれるわけで
そうするとその人の表伝とかを
読んだりしてて
絵を描くのももちろん好きだったけど
むしろ絵を見て
その絵の背景になるような
歴史的なことに興味が
だんだん湧いてきたわけで
高校時代に
僕は神奈川県の
高校に行ったので
鎌倉にね
神奈川県立近代美術館っていう
日本初の公立の
近代美術館
昭和20年代
戦後すぐにできたんだよね
そこに行く機会が
増えてくるわけで
だって面白い展覧がやってるじゃん
松本俊介とか
愛美津とかさ
ああいうのはやってたわけでしょ
それを見に行くわけで
一人で最初は見に行ったけどさ
高校時代になるとやっぱり
そういう好きなやつ
連中が集まって
一緒に見に行ったりするわけで
ああでもないこと
こういう美術館に
勤めてる人の話を
当時歴史の先生が
紹介してくれたの
美術館に
学芸員っていう人がいるんだよ
高校生に会ってくれたんですね
本当に会ってくれた
坂井忠泰先生って今世田谷の館長
あの人が若手でいて
まだね
その頃に会ってるんですか
その頃に見てるの僕は
学芸員にこういうことに出て
美術館ってさ
ただ飾ってあるだけじゃなくて
順番がこうでこういうふうなことを
どこから持ってくるのか
知ってるとか言うの
話を
後でその
紹介してくれた先生に
名前忘れちゃったんだもん
そこはですか
ここまで散々覚えてたの
結構大事な先生ですよその人
あんまり音響を感じてない
その歴史のね日本人の先生
18:01
友達だからさ
って言ってさ
紹介してくれたんで
学芸員の仕事っていうのを
初めて知って
面白いなと
でね
今はどうなってるかわかんないけど
カマキンって略称で
通称カマキン
ちょっとややらしい名前
カマキン
カタカナでカマキン
カマクラにあるんで
カマクラ美術館とか呼んでたんで
カマキン
早間館ができたのもあったんですよね
早間にはねちょっと遠のいちゃったね
あっちに行ってからね
カマキンはね僕らにとっては
本当に聖地だから
入り口を入って
正面に
ギャラリーの建物があるんだけど
左手に
学芸員のアネックスが
あったの
今でもあるかな
ちょっと確かめてないけど
今あれですもん
ミュージアムなくなっちゃいました
鶴岡ミュージアムってもう別物になっちゃったんですよね
そこにねアネックスの学芸員室が
平屋だって言うの
そこにさ学芸員の人たちがさ
5、6人いたかな
坂井さんはその中でも若手
まだ若手の頃でね
学芸員っていう人はさ
ちょっと覗いてみたことがあるんだよ
窓があったら
高校生の時ですね
見てたらさ
将棋とかしてるね
ちょっと遊べるように見えたんですね
酒の一緒味があった
それは関わらず聞きますよね
その世代の人たちは
結構普通ですよね
環境の人にお酒があったとか
ときどきちゃんと
机に向かって
物を描いてる人とかがいて
なんだこの人たちは
観心を持ち始めたのが
高校1年生か2年生くらい
3年生くらいになると
進路決めなきゃいけないじゃない
何が一番面白そうかなと思ったら
学芸になるためには
どうしたらいいかっていうのを
見たんだよね
大学の美術史を
勉強してる人
美学とか美術史みたいなのを
勉強する人たちが
大体学芸医の資格を
持てて
でも当時は
美術館ってそんなに多くなかったから
鎌倉近代美術館が
できた頃ですもんね
近代美術館もないわ
美術館少ないですもんね
70年代の話だからそんなになくて
国立の近代美術館があったり
西洋美術館があったり
東博があったり
でもあそこで働いてる人たちって
学芸員の人たちなんだなっていうのを
21:01
漠然と
知ってはいた
仕事に興味をし始めて
じゃあちょっと大学は
そういうところに行こうかなと思って
文学部系の
その時はもう日本美術だったんですか
最初は僕は
古典的なものを
仏教美術とか
ああいうところから入って
それから西洋美術に興味を
持ち始めて
西洋美術
でも広く浅く
みたいなところが
あったんですよね
卒業論文は何で書かれたんですか
言えない
卒業しまして
卒業してすぐ
前半でも話してましたが
山種美術館さん
それはなぜかっていうと
あんまり僕は日本画っていうことには
関心がなかったんですよ
西洋美術を
勉強してた生もあって
西洋美術館でアルバイトしてたの
ちょっとフランスも
わかったもんだから
フランスの
近代絵画の展覧会なんかで
少しお仕事手伝ったりしたね
高橋明弥先生
僕よりも
5つぐらい上なんだけれども
その人と
なんていうのかな
よく遊んでいただいた
ところがあって
アングル展っていうのが
1981年か
2年ぐらいに
あったんですよ
日本で初めてのアングル展覧会で
新古典主義の巨匠ですよね
泉とか
ああいうものを描いてた人
ですよ
でね面白いなと思ったのはね
アングルって泉に代表されるような
ああいう
写実主義的な
古典主義的な人かと思ってたらさ
高橋さんの話聞いてたらさ
いやアングルってね
こいつはね
いかれた親父なんだよね
どういうことですか
変態ジジイだよ
こいつは
ちょっと言わんとくことはわかる
変態ジジイなんだよ
どういうことですか
ほらほら色々
細部を見るとね
なんかエッチな表現とかあるじゃない
そのものズバリじゃないんだけど
あのちょっと
形が変なんだよねここ
ああそうか
こういう細部を見るとそうなんだな
と思ってさ
興味が持ったのね
で僕はそのつもりで
専用美術館にそのまま務められるかな
と思ってたらさ
採用がないって言われて
その時は任務はなんだったんですか
バイトなんだったんですか
そのまま行けるつもりでいたんだよね
でまあそういう匂いのするところ
だったらどこでもいいかなと思い始めて
24:01
でたまたまその
先生の紹介で
山田美術館で募集してるから
まあ受けるかっていうから
受け回すとか言って
いきなり行ったら全然専門がいない
日本画オンリーのとこですよね
でもその募集要項に
あの
西洋美術に詳しい人って書いてあったの
ああなるほど
だから日本画だけじゃなくて
伝統的な絵画
日本の絵画だけじゃなくて
西洋絵画にちょっと詳しい人
っていう情報があったんで
そうとか言って
受けてみたらね
勝っちゃったんだよね
勝っちゃったの
でまあ僕も暮らさなきゃいけないし
独立したいなと思って
頃だから
まあ
就職したわけですよ
それで15年
そこはこの練馬に
そこの時に出会ってるんですよね
練馬クリスピン
練馬クリスピンは15年くらいで
飽きちゃうんだよね
周期が
15年くらいで飽きちゃう性格
15年って結構長いからね
美術館って
まあちょっと今プロデューサーが
ぜひ来てほしいってことなんですけど
美術館って転職しやすいもんなの
プロデューサーIT企業だったら結構転職
ああ
どうですよかね
僕はたまたま3回くらい変わってるし
変わらない人も
もちろんいるよね
どちらかというと
変わりづらいところじゃないですかね
だってもう
勝つ気難しいですよね
3年くらい仕込んでるプロジェクトがあって
引き継ぎできないよね
だから一匹狼的な
その触手の
最たるもんじゃないですかね
もちろん国公立の場合は
引き継ぎなんかもあるんでしょうけど
私立の場合はそんなことあんまりないですよね
やっぱりこう
スタッフというかチームで
やってるから
スタッフ担当の人がツイッターにすれば
引き継ぎももちろんできるから
そういうところは
他の企業
会社に比べると
曖昧なところが
ある触手
私立とか
例えば横浜市の美術館だと
横浜市の中で移動とか
東京都の財団だったらみたいな
結構な人事とか
ありますよね
あれ文語道断だね
やめてほしいね
結構2021
あれでやめちゃう人って結構いるんじゃないの
これ今収録2021年4月4日でやってるんですけど
今年結構みの内さんと
喋ってますけど
人事今年多いですよね
あそこの幹事長急に変わったとか
誰誰どこに行ったみたいなのが
世代交代って言葉あるし
それから
去年から始まったコロナの対応
っていうことも
もちろんファクターとしてはあると思うし
27:02
例年になく移動してますよね
館長もいっぱい変わってますし
館長ってあるし
顔だから
何年かに
学科ごとに
変わっていくっていうのも
やっぱりいいことじゃないかな
ちなみに今回
山田ねりまで
今回文館長になったじゃないですか
館長職になったら
ちょっと変わった涙もあるんですか
全然ない
面倒くさいことも増えたりとかあるんですか
学芸員の普通の
やってるよりも館長になった方が
大変なことになったことはありますか
そうでもないですか
僕は今まで大変と思ったことはない
でも館長さんで展覧会
仕込んでる人ってあんま
多くないじゃないですか全体
僕はね条件として
プライムマネージャー
的なところで
やらせてほしいっていう風に
言ってきたから
そこも現役でいきたいんですね
現役で
近代日本書家
日本美術師になったわけじゃないですか
山田ねりになってから変わったんですか
日本画っていうことに
やっぱり知らないと
話にならないじゃない
もう勉強しましたよ
山田ねり美術館の学芸員として
恥ずかしくないように
とにかく近代日本画のことは
全部しようと思って
すべての参考図書
いつからか
勉強し直して
日本画のことは全部知ってるっていう感じに
でもそこから
始めたんですね
そこから始めた
だって山田ねり美術館ってやっぱり
近代日本画の名人ぞろいで
近代日本画のセンターみたいな美術館じゃない
すべての情報がそこに集まって
近代美術館ももちろんあるけど
特化してるから
早見御集とか
横山大館のことは
すべて知ってないといけないし
もう勉強しました
でもそれでも
日本美術の第一人者になったわけですね
第一人者とは言えないけど
でも
王道っていうのがあるとすると
王道を支えている脇の
道もたくさん
あるわけですね
脇の道を
充実させるっていうことを
ずっとしてきたんで
その集大成がいよいよということで
渡辺制で
改めて
前半で言えなかったですか
どんなバカですか
話せば長いんだ
ちょっとまず解説
まず解説までいきましょう
まず出会いから言うと
山田ね美術館に入って
まずは山田ねが持ってる
オプションの全貌っていうのを
把握することから始める
その中の一点に
渡辺製展の
ブドウにネズミ図っていう絵が
30:00
これにも入ってるけど
どこだったかな
冒頭の展覧会で見てはいますね
ブドウにネズミ
っていう絵があって
こんないい絵描く人なのに
あんまり知られてないし
僕自身もあんまり知らなかったから
ちょっと調べてみようと思って
いたんですよ
作品の数がまずその当時は
よく知られてなくて
山田ねにある
ブドウにネズミ図のほかは
東博
東京国立博物館にある
節中文系図っていう
文系の系はなんですか
ニワトリ
ニワトリが何馬か
雪が積もった
台八車みたいな
ところに乗っている絵があるんですよ
そのぐらいしか
渡辺聖手って
そんなにしかなかったんですか
そのぐらいしかあんまり知られてなかったんですよ
でもそれしかないけど
ビビッときたんですね
ビビッときた
なんでだろうな
西洋絵画の写実みたいなものも
もちろん入ってるし
丸山派の
写実ももちろん入ってるし
浮世絵の
車脱な感じも
入ってるし
いろんな要素が入ってるなっていう
その2点だけでも
それがわかったわけですね
調べてみると日本国内よりも
海外の有名な
美術館とか博物館に
貯蔵品があることが
知られてきて
例えばメトロポリタン美術館
ボストン美術館とか
あとイギリス
イギリスV&Aとか
ビフレアンドアルバート
そういう名だたる美術館に
貯蔵品があって
それはまた質が高いんですよ
どうしてなんだろうな
と思ったわけ
そしたらこの人はさ
1878年
明治11年
バリ万博に
行ってるの
明治11年ですよ
そうですよね
パリに行くっていうと
藤田嗣晴とか色々といるけど
それはまだまだ後の話
もちろんね
明治の新時代になってるから
洋画家たちはさ
パリに行って勉強しようとしたら
結構いるわけですよ
例えば山本宝水なんかも
同じ都市にパリに行って
勉強し始めるんだけど
学びに行くってことですね
洋画家の人はさ
たまたま行っちゃったわけ
日本画としては
ほぼ初めて
行った人と過言ではない
当時の洋画家の人たち
っていうのはさ
アカデミズムを学びに行くわけですよ
黒田世紀とか
つまり写実的な表現
っていうものを
学んでそれを日本に
持ってくるっていう
33:00
そういう使命を持ってる人たちばかりなんですよ
ところがね
1878年っていうとさ
印象派の真っ只中ですよ
第一回の印象派展が
1874年に始まって
本当始まった頃
ですよね
その真っ只中に行って
印象派の画家たちと平気で付き合って
結構イーブンの関係ですもんね
なんならちょっと教えてあげるぐらい
そう教えちゃったんですよ
展覧会にも出てたけど
土賀に作品をあげちゃったり
もちろんね
それに気づく
パリの人たちっているわけですよ
選定がすごいぞっていうことを
知っている
当然印象派の画家たちがいることは
ジャポニズムというか日本の
日本から来た画家が
パリ万博にこんな絵描いていて
これすごい絵なんだ
その絵がね
今フリーアメリカにあるんだけど
アメリカにある美術館のね
これがさっきの
中文系図
鳩描いた図
これをねパリ万博で出品しているんですよ
文旧浴水版の図
戦争時の
境内にあるね
水桶に
鳩が群がっている
そういう図なんだけど
これを明治10年に
国内で発表して
それがまあ
優れているということで
翌年にこれに乗って
これ何歳の頃なのですか
26歳ぐらい
もう天才なんですね
若くしてこんな描けちゃう
こういう人が
明治の最初に
行ってパリで
印象派の人たちと交わる
ドギも抜いているような
この絵はね
ジュゼッペデ・ニッテス
イタリア人の画家が
買ってるんですよね
素晴らしいから
こういう表現あんまり線描きとか
してなくて
グラデーションだけで描いてるでしょ
羽毛の感じですよね
それから水版の部分も
グラデーションで描いてますね
グラデーションで描いてる
でも質感表現としてはね
成功にできてるし
言われないでこれ洋画なの日本画なのって言われたら
洋画っぽいですよね
ニッテスっていう人が
これ気に入っちゃって
勉強しようと思って
教材として買うんです
見本として買うんだよ
たまたま
聖帝が
パリに来てるわけ
それ読んで
デモンストレーションさせる
どう描いたんだと
その頃のニッテスって方も結構大御所なんですよね
それは若手
マネの弟子
マネの弟子で
ドガとかさ
モネとかが周りにいるわけ
36:00
そういう人たちが
パーティーやって
そこに聖帝を呼んで
デモンストレーション
描いてくれた
ドガさんがいたから
ドガさんのために
鳥の絵を描いて
それをドガにあげたんで
それドガずっと持ってたんですか
そういう画家なんですか
こんだけすごい画家だったら
パリ万博出たってことは
日本代表ですよね
代表と言えるかどうか
実はこの人も
教文の持ち主で
誰を
パリに行かせるかっていう
くじ引きをやった
くじ引きで決めたんですか
くじ引きで買っちゃったの
そういうので
決めれるもんだった
実力ある人の中で選んだってことですよね
当然ですけど
くじ引きで勝ち残っちゃって
腕行く仮面になっちゃった
あんまり行きたくなかったかもしれない
たぶん行きたかったんだけど
くじで買っちゃった
その時に負けた人の中で有名な人っているんですか
あんまりいない
でもこれでパリ行って帰ってきたら
パリ帰りのみたく
一郎が帰って
マー君帰ってきたくらいになりそうな気がする
でも日本画団っていうのが
成立してないことでしょ
明治10年代
美術学校もできない
岡山体育館とかがまだいない
明治22年に
東京美術学校が開校するから
まだ10年くらいあるわけです
明治10年代はさ
まだ悶々としているよね
なりものりで帰ってきたからとても
この人は結局どこかブレイクをするの
生前は
生前ブレイクは明治20年代
後半からじゃないかな
美術学校ができた時って
プロの前で
横倉天神が作ります美術学
っていった時に
一流の講師人を集めたわけです
それに呼ばれたの
名前残ってそうな気がするけど
でも断っちゃう
そこで断っちゃう
東京美術学校の教授としてね
招聘されるわけ
天神なんかにね
ペノロサと天神に
だけど
教えてくれるのは
誰か来たいからさ
現役でやりたいと思って
コーチンスタッフ
コーチンスタッフじゃな
断っちゃう
弟子もいないんですか
弟子はね
公式にはあんまりいなかったように思う
外国人のお弟子さんとか
いないわけではないけど
あまり知られてない
現役で描いてたいタイプ
教えるという
展覧会の時代になるでしょ
明治20年代から30年代って
例えば日本美術院みたいなのが
できたりして
陰天の展覧会
肌晴らしく大きな会場を使って
39:00
大きな作品を描く
出してなくて
むしろ海外の
万国博覧会とか
美術展出す
そっちは評価されてるんですか
そっちは評価されてる
だって面白いじゃない
それに
欧米人の思考みたいなものを
的確に掴んでるわけよ
ドラトにあってるわけですからね
それとジャポニスムでしょ
ガールヌーボーの時代だから
こういう課長が
人気があったんだと思うし
そういう
思考を
的確に捉えた作品を
作品を描いてるよね
仕事は途切れなかった?
途切れてないと思う
万博海外の展覧会に出して
受賞したりするじゃない
名前が知られる
在日の外国人たちが
いるわけじゃない
そういう人たちが目をつけて
制定に書いてもらって
ロンドンで展覧会したり
日本では展覧会やってないのに
ロンドンで
明治26年から
29年ぐらいまでの間に
300点ぐらい
発表してるんですよ
そんなになんですか?
こんな日本人いない
国際みたいに人気のある人
その前にいるけど
もう亡くなってる
現役のバリバリの人で
ロンドンのギャラリーで
数百点の展覧会を
している
この人しかいない
でもそんなんだったら
さすがに明治
というかなってきたら
すごい人だなって日本では
なんないんですよ
海外の情報が
どれだけ入ってきてるかね
入ってない
世界の渡辺家みたいになってる
わけですもんね
日本のドラマにも出てほしい
みたいになりそうなもんだけど
世界ではいっぱい映画やってるけど
その情報が入ってない
好きな人は
制定に
画長画を頼むわけじゃない
それ多分途切れなかったと思う
でも前半でも
おっしゃってたけど
頼まれた仕事は全部本気でやる
本気でやるから手抜きを一切しない
っていうことだよね
こういうの面白いでしょ
これ競争絵で
描いてるってことですね
海外には
いい状態に残ってるんですか
保存状態も含めて
大事にされてる
芸大美術館で今介護展してるけれど
そこに
ロンドンにある
作品なんかも
里帰りしている
初里帰りになるんですか
オンエア上もしかしたら芸大美術館終わってるかもしれないけど
日本国内
巡回してるからどこかで見るチャンス
ご覧になるチャンスがあると思うけれども
ぜひご覧いただきたいのは
42:00
むしろ海外にある
ヨーロッパに残ってる作品の方が
状態がいい
学創されてるじゃないですか
はいはい
わざわざ学創してて
しかも趣味のいい額がついてるんですよ
いいとこの人が買って
ちゃんといいとこの人が保存してる
大事にしてて絵に合うような
いわゆる洋楽みたいな
ゴテゴテした
レコラティブなものじゃなくて
あの当時の
細工が凝ってる
ルノワールとかの楽とか見ると
ダッサイのがあるじゃないですか
ゴテゴテしてるやつ
ちゃんとみんなセンス良かったですか
センス良かった
それ一人占めできる空間にあるから
ぜひ体験してほしい
この作家さんは特に
鳥の前半出てきた
この島国は動物が得意でしたけど
鳥がお好きな感じなんですか
これもそうなんだけど
この鳥は
浅草の生まれなんだよね
浅草の家の近くに
鳥屋があったらしいの
鳥屋ってほら
今で言う鳥屋と
ちょっと違うと思うんだけど
テッドの鳥屋とですね
焼き鳥屋さんと
肉のほうじゃないですか
ダールってことはあんまり思わなかったんだからね
貝取りですよね
カチオカリトって焼き鳥ってどうなんだよ
ちょっと考えてみたくなるよね
確かにどうなんですかね
どうなんだろうね
でも前半にもお話した
鳥博士の高橋くんは
鳥食べるの大好きです
それはやっぱり
生物学的な
あとどの鳥がおいしいか
一つの研究なので
それはでも博物学者としては当然だよね
画家としてはどうかですもんね
画家としてどうなのかね
生命を失わせてまで
しているところはどうなんだろうね
でも大体こう
幼い時から鳥居に
慣れ親しんでいたってことなんですかね
そうそうそう鳥居で赤ずながめていて
生きている
カゴの中には入っているでしょうけど
それをさ見るわけで
浅草から今でもそうだけど
浅草から
上野のあたり
っていうのはさ
白精屋さんっていうのが
随分今でもある
そういうのありますよね
ああいうのが多分
重要があってね
鳥居はいくつかあったんじゃないかと
僕は想像しているんだけど
生まれた場所で大事なんですよ
鳥居にすごく関心があって
綺麗だなと思われる鳥居も結構いたんだと思う
鳩とかカラスとか
周りにいるでしょうから
そういうのを赤ずながめていて
鳥居の生態みたいなことはさ
本当によく知ってたんだと思う
特異分野だったんですね
特異分野で
あれが探せないんですけど
一回前半でも
高橋鳥博士と三人でトークショーやった時に
出てきたツバメの絵がありましたよね
45:00
はいはい岩ツバメ
時速300キロかなんかで
新幹線より速いと書いてる
書いてる
写真がない時代ですからね
相当動態視力良かったのか
鳩の図
あったよね
ヨーロッパに
あれもね結局
生きて動いてるから
動いてる瞬間を
描いてたりするじゃん
ストップモーションのような感じ
ストップモーションのように見えるでしょ
これに苦労してるわけやっぱり
飛んでる鳥の
今でこそ写真撮れるから
それ見て描けますけどね
これにすごく苦労してるよね
力が優れてるからスケッチするわけじゃん
こういう羽の作りとか
裏側のこういう羽と
表側と違うじゃん
それもちゃんと観測して
書き分けてるんですね
それどうしてできたかっていうとね
たまたまね
戦争時の境内に
亡くなった鳩が
死骸があって
亡くなったばかりだったんでしょうねきっとね
それをお母さんが拾ってしてくれたんだよ
息子のためにですか?
書くだろうなって
見本としてね
息子はなかなか鳩の絵が描けなくて
苦労してる姿を見てたわけだよね
それをお母さんがさ
戦争時からごめんなさいって
言ってもらってきて
その鳩をあらず
広げながら見て描いたのが
これだって
親子の教材
なかなかいい話ですけどね
なかなかお母さんが鳩の死骸
持ってくれて
なかなかない話ですよね
それだけだから
悩んでる息子の姿を見てたんだろうし
でも観音様のご利益
っていう考えですからね
戦争時ってのがいいですよね
どっかの公園で見つけてきましたら
あんまりいいエピソードではないですよね
展覧会に国内で出した時には
軍旗浴水盤の図
これ本来は
軍旗水盤に浴するの
ずっと読むんだと思うんだけど
これね今
フリア美術館に
所蔵されていて
戦争時の後っていう題名になってる
それは美術館変えるんですか
ちょっとわかんない
フリア美術館って
国内館外持ち台し禁止だから
一個しか見れないやつです
この絵を求めて
半年くらいヨーロッパをさまよいました
フリアに
入ったのは
2000年
ぐらいなんですよ
まだヨーロッパにあったはずなんです
ニッティスが持って行って
その後
しばらくして手放した
記録があっただけで
どっかにあるだろうと思って
探しに行ったんだよね
プライベートでですか
探しに行ったの半年くらいかけて
でもどっかにもない
これと同じ構図の半柄があったの
ドイツに
でも
48:00
こういう図柄だろうなっていう図柄だけは
なんとなく確認できて
ってことはそれまでは図柄も
わからなかったんですか
残ってなかったんですか
パリ万博のその時の
画集
っていうのには
これ載ってないんですよ
タイトルだけは残ってるみたいな
タイトルもない
でも出したっていう記録は残っていて
それをゴンクールってわかる
ゴンクールってゴンクラ兄弟の
文学者がいるじゃない
ゴンクールの日記の中に
それが出てくる
ゴンクールが
パリ万博で
この聖帝が書いた
10羽ぐらいの鳩が
水盤で
遊んでいる図っていう
書いてあるわけ
どんなんかなと思って
画像がないから
調べに行って
ドイツにこれと同じような
版画
それに見合うような版画の
図版があって
多分こういうものだろう
って僕は想像をつけていたら
ほとんどこれだよ
誰かが
記録用に
販売用に
版画にしたものを
販売してたんだと思うんだけど
見つからずに帰国して
2015年ぐらいだったかな
芸大の古田さんが
芸大美術館の古田さんが
フリー屋でこれが見たんだよ
っていうわけ
あったよ
教えてくれて
俺も行ったんです
やっぱりすごい大きな
ものすごい大きな掛け軸になっていて
もう考え無量でしたよ
あったと思って
行ってたのは何年頃だったんですか
2001年
じゃあもう15年後に
出会ったの
なんでアメリカに
フリー屋の人に聞いたら
ちょうど僕が
ヨーロッパに行ってる時に
イギリスの画賞さんが
フリー屋に持ち込んだ
へー
ちょうどすれ違いだよね僕と
イギリスの画賞さんがもし日本の誰かに
言ってたら日本に来てたかもしれない
でもね記録見ると
日本に一時帰国してるんですよ
それはどういうこと
修復してるの日本で
へーその時に情報が出る
全然出回らなかった
でもそんな貴重な作品なんですか
貴重な作品
これが
ヨーロッパの人たちを
無料するわけじゃない
しかも印象派の人たち
日本のね
伝統的な
アメガリウガの出身の
渡辺聖帝とは
そこでみんなが認知するわけで
でも日本ではよく知られてない
っていう話になるわけです
だから聖帝っていう人は
51:00
たぶん
プライドは持ってたと思うわけ
ヨーロッパの人たち
と交流をしている
っていうこと
それから最先端の
技術みたいなものを
発達しているっていう
それが美術工芸
ですよね
無線執法っていう
あれにも反映している
だから
すと知れず
コツコツやっている
人だけど
見逃してはならない人
こういう画家なんだよね
こういう画家を見つけて
段階にしたり
骨録を作ったり
画集を作ったり
学芸妙麗に尽きる
一番の喜び
僕はやっぱり
つむじ曲がりだから
あんまり人に知られたくない
そういう作家もいるんですか
今自分の中で
聖帝もそういう一人だったので
実は
インディーズバンドの時に
メジャーになっちゃうと
僕からも
手が離れました
っていう感じで
でもみんなに知ってもらいたいよね
こういう人が明治の世にいて
印象派の人たちと
交流をして
日本画の課長画に
革新をもたらした
ということで
例えば
どういう影響があったかというと
僕はやっぱり
明治33年に
ヨーロッパに行くわけですよね
20年も
遅れてますね
自分よりも前に
ヨーロッパを体験している
聖帝の音を気にしている
意識している
京都画団とはいえ
東京の聖帝先生
みたいな感じで
思っていたわけ
それから
後誰かな
後世の人たちが
聖帝の音を
清方なんかも大好き
株谷清方は
聖帝の音を生涯尊敬していた
つまり
展覧会芸術じゃなくて
清方もやっぱり
床の場芸術を大事にしたり
卓上芸術みたいな
手のひらの芸術で
そういうフィールドから
逸脱することなく
コツコツと
師匠の
一画家として過ごした
聖帝の
人情味あふれる
でも直接の
師匠関係ではなくて
私塾している感じ
リンパじゃないけど
何百年後にも
聖帝派みたくなるかもしれない
いやどうだろうね
54:00
でもそういうのが面白いんですよね
法律上げるところ
人知れず
師塾されるっていうことは
何よりも
価値があるような
気がするね
直接の弟子関係よりも
師匠関係よりも
ちょっと会うことができなかったけど
描きたいなみたいな
人ってさ
すごくいいような気がするね
それもあるんですが
さらに改めて別の話として
野次さん音楽も好きと
音楽
好きですよ
自分で演奏するのもいいし
人の
クラシック感
おすすめの曲
みたいなのがあったら
この番組
大田記念美術館の渡辺さんの時に
渡辺さんが作った
ジャズの曲を流したんですよ
番組史上2回目の
野次さんの曲を流すということも
できますので
曲を流します
なかなか著作権の関係で
既存の曲を流せないので
野次さんが演奏した曲
送っていただければと思います
多分イタリア古典各曲になると思います
息子さんも音楽されてますか
バイオリンとか
弦楽器を演奏していて
オーケストラなんかでも
弾いてますよ
家で趣味で弾いたりするんですか
僕は趣味だけど
彼は声優だからさ
毎日やってるよね
親子で共演したり
レベル違うから
野次さん家でどういうタイミングで弾くんですか
僕はコロナの去年は
新たな楽器に挑戦しようと思って
ウクレレ買ったんですよ
ギターはもちろん
中学時代からやってたけど
東京の住宅って狭いから
ギターでもおらず邪魔なんだ
騒音問題なんですか
騒音問題はないんだけど
大きさってことですか
ギターは部屋の片隅にあるんだけど
存在感が気づいちゃう
ウクレレって全然
映図館的に邪魔じゃない
この辺に置いても別に
壁にかけても絵になるし
ウクレレ始めたんですよ
ウクレレにハマってる今
何に弾きます?
今の時期だとよく聞くのは
三色スミレっていう
アメリカの古典歌曲があって
ビオレッタっていう
57:00
いい曲なんですよね
それからオンブラマイフとか
バッハとか好きですね
どれにやるかわからないですけど
曲振りで
僕の演奏を聴いてください
僕の演奏をぜひ皆さん
聴いてみてください
♪♪
♪♪
♪♪
♪♪
♪♪
♪♪
♪♪
1:00:53
♪♪
♪♪
♪♪
♪♪
♪♪
1:03:02
まさかこの曲が選ばれるとは
という感じでございましたけど
皆さんいかがお過ごしだったでしょうか
ポッドキャストですので
いい曲だなと思った方は何度も繰り返し
聴いていただければという風に思います
さあということであっという間に
収録の終わりの時間がやってきて
もう話足らないな
またぜひ
この人の先生がさ
キクチヨウサイっていう
そこをちょっと話したかったんだよ
キクチヨウサイ次にしよう
そしてたびたび話してる
高橋くんも読みましょう
この三人定談でもいいですよね
マスマス鳥の株になってる
今だって岩手県立
作物館の
学芸員になりましたからね
ああ痛いよ
ラブコールが
送られております
はいということで
改めて前半にも言いましたけども
2022年2008年
東京がリニューアルオープンしますので
多分あれですよね
館長トークみたいなのやりますもんね
夕焼けトーク
夕焼け館長でした
あとちょっと今さらなんで
これ切ってもらえたかもしれないですけど
野次さん僕と東京イベントやるときに
コニーとコニーですって
必ず言いますもんね
リリー・フランキーさんに似てるって言われて
リリー・フランキーさんが
リリー・フランキーさんのまま
そのままもらうわけにはいかないから
コニー・フランキー
でも最近似てないねやっぱり
リリーさんちょっと
細くなってたでしょ
俺ちょっとこう
そんなことない
前半で日本美術研究者が
日本美術の顔になってくるって言ったら
なんでリリー・フランキーになっちゃう
リリー・フランキーの研究者になってます
それのトークも含めて
ぜひリニューアルオープンしたら
皆さんお楽しみいただきたいなという風に思います
野次さんどうもありがとうございました
はいということで
この番組は不定期配信です
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報道をお願いいたします
感想はハッシュタグそろそろ美術の話を
今後聞きたいテーマやゲストは
番組ウェブページまでお願いいたします
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01:05:55

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