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2024-07-06 57:34

#111 映画「ちゃわんやのはなし」について(映画監督 松倉大夏)

映画監督の松倉大夏さんをゲストに薩摩焼の歴史を扱った映画「ちゃわんやのはなし」についてお聞きしました。 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://sorosoro-art.vercel.app/ep/111⁠⁠  番組の感想は、⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#そろそろ美術の話を⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ でお願いいたします。

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Guest Profile 松倉大夏(まつくら だいか)

  • 神奈川県三浦市出身。現代美術作家の両親のもとで育つ。
  • 法政大学大学院でフランス哲学を専攻。
  • 2004年よりフリーランスの助監督として映画業界で活動。
  • 脚本に携わったNHK特集番組「巨大戦艦大和〜乗組員が見つめた生と死〜」(2012)は、ATPドキュメンタリー部門優秀賞を、NHK特集番組「零戦〜搭乗員たちが見つめた太平洋戦争〜」(2014)は、ATP賞グランプリを受賞。
  • 監督作のWOWOW「君のことを忘れない〜女優・渡辺美佐子の戦争と平和〜」(2013)では、日本民間放送連盟賞 優秀賞を受賞。映画「やまぶき」(2022)のプロデュースなどでも活躍。

Show Notes ちゃわんやのはなしについて

00:10
はい、アートテラー・とにのそろそろ美術の話を。この番組は、私アートテラー・とにがアートに関わる方をゲストにお迎えして、トークを送り広げるポッドキャスト番組です。
本日は映画監督松倉大夏さんをゲストにトークをしていきたいと思います。 ということで、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。 番組初、映画監督のゲスト。
いや、なんか、結構皆さん、ギャラリストの人とか、学芸員の方とか、すごい面白い方いっぱい出てらっしゃるんですよね。びっくりしました。
この番組で、この後はゆっくり話してもらいますけど、『ちゃわんやのはなし』のことは何回か登場してまして。
あ、もう既にそうですよね。ありがとうございます。
この後トークショーやるんですっていう話もしたんですよ。
で、いよいよトークショーに出て。最初は僕一人でやるのかと思ったら、監督も来てくださるようになって。
監督とそこで、15分くらいですよね。
そうですね。
もうその日に初めましてで、これで舞台に上がってトークをして、そしたら15分あっという間に終わってしまって。
そうですね。もっと本当にお話を伺いたいなと思って。
おっしゃっていただいて。
でもなんか配給会社の方が、ここはもう15分で終わりですから。強制終了みたいな感じで終わって。
結構エビスの。
東京都写真美術館。
写真美術館、当たり前ですけどね。時間は厳しいですよ。
で、その後に何かもっと話したかったですって言っていただけて、ポッドキャストも出たいっておっしゃっていただいて。
空気を読まずオファーしたらOKしてくれるっていう。
やっぱ工芸の話ってなかなかちゃんとわかっていらっしゃる方に、例えば職人さんとかだと詳しい話は聞けるし、研究者の方だと研究の話は聞けるんですけど、
いわゆる工芸、展覧会で一般的にお客さんが見てくれてる時とかにどういう風に見てもらって、そういう風な話をできる人ってなかなかいなかったから。
さらに、これトークショーの時もお話したんですけど、僕の両親が現代美術の作家をやっていて、やっぱり幼少期からずっと結構貧しい生活をしてたんですよ。
アトリエに暮らすみたいな、木材倉庫を改造したトタン屋根のトタンとベニヤの部屋に暮らしているみたいな生活をしてたから、
やっぱり美術って何かとか、作品を作る作家って何かとか、それと比べて今回この茶碗屋の話っていう映画で撮り上げた焼き物の職人さんの工芸とは何か、
この違いとか、本当にトークイベントの時にはサラッとしかお話できなかったんですけど、そういう話をできる人ってなかなかいらっしゃらないなと思って、
03:08
ぜひもっと詳しくお話したいなと思って、お声掛けしたんですよね。
じゃあ今日はそういう話もしつつやるからいいですね。
そうなんですよね。15分には本当に短かったので、今日はたっぷりお話していただける。僕も聞かれたら答えていく感じでやりたいなと思っております。
ということで今回出演ありがとうございます。改めてこの茶碗屋の話というのは、どんな映画なんでしょうと言われたらどうでしょうか。
豊臣秀吉が440年前に朝鮮に出兵した時に、実際には豊臣秀吉は行ってないんですよね。
豊臣秀吉の号令の下、西の大名たちが朝鮮に出兵して連れ帰ってきた朝鮮の統皇たちがいて、
その統皇たちの技術をずっと伝承して守っている末裔たちがいる、焼き物の職人たちなんですけど、
その職人たちの苦難の歴史と、それから今どういうふうにその技術を次に伝えていくか、
先代から受け継いだ技術を今自分たちの焼き物にどういうふうに反映させていて、
そして次の世代にどういうふうにやっていくかというのを15代陳樹観さん、
さつま焼きの鎌本の人ですけど、を中心に韓国と日本の陶芸家たち、
それからどういうふうに伝承を引き継いでいっているか、そういうような映画になっています。
そうですね。
僕もこれも見させていただいて、コメントもさせてもらって、この前読書してきたということなんですけれども、
これはフラガールなどの有名なリボーンさんの企画プロデュース者ということですし、
松倉さんとしては長編としては初監督になるということですね。
テレビのドキュメンタリーとかは撮ったこともあるんですけど、
あとは基本的には劇映画の女監督とかの出身で、
リーさんは主人公である15代陳樹観さんと20年来の知り合いで、
いつかはこの陳樹観家の壮大な歴史を映画にしたいというふうに思っていたというふうに言っていて、
僕の方は職人の焼き物のドキュメンタリーも作ったことはあるし、
あとは親子のドキュメンタリーを撮っていて、
特に自分の両親、現代美術をやっている自分の両親に、
僕が自身で話を聞きに行くみたいなセルフドキュメンタリーもテレビ番組でやっていて、
06:04
それを見てくれて、今回の茶碗屋の話の映画を託してもらえたというふうな流れになっています。
そのまではさつま焼きというのはどうだった?
そうですね、焼き物のドキュメンタリー、美濃焼きとか、あとは瀬戸の焼き物とかもやってたことがあったので、
なんとなく名前ぐらいは知っているぐらいですかね。
だけど、朝鮮の朝鮮統領たちの由来の地産地があるというのもわかっていましたけど、
さつま焼きがこんなに複雑なというか壮大な歴史を持っているというのは全然知らなかったですね。
僕もなんとなく、展覧会でたまにさつま焼きが出ていたりとか、明治工芸の展覧会とかで、
博覧会に出て賞を取りましたみたいな話とかは知っているけど、そんなレベルだったので、
今回改めて見てみると、こんな複雑なというか。
そういう工芸展とか、焼き物の展覧会でのさつま焼きの位置づけというか、扱いというのは大体どういう感じというのがあるんですか。
展覧会で最近見るときは、さつま焼きは超絶技巧的な扱いとか、
明治に日本を代表する輸出工芸みたいな感じで紹介されるので、
勝手に日本を代表する出自というか、それも当然日本産というか、日本が生んだものと思うから、
まさかエピソード1というかゼロのところが、そういう出自なのかというのも意外と知らなかったですね。
やっぱりどっちかというと、美術館で紹介されるときは、本当に日本が世界に誇るという感じですよね。
映画の中でも描いてるんですけど、明治期になると焼き物が世界に輸出されるときに、
さつま焼きというのはローマ字でさつまって言って、焼き物の代名詞みたいにして世界中に流通したんですよね。
そういう時代があって、やっぱり白さつまって言われる白い生地に美しい錦でがやられた綺麗な飾り壺とか、
そういうものが有名なんだろうなと思ってたんですけど、今だんだんお客さん結構口コミで来てくださっていて、
お客さんたちに聞くと、お茶の教室の先生とか、お茶の教室の仲間から聞いて、絶対見に行った方がいいって言って来てくれた方とかいっぱいいらっしゃって、
話を聞くと、あれでもさつま焼きも持ってるって言うんですけど、あれ、飾り壺とかそういう装飾的なことの方がさつま焼きって多いのかなと思ったら、
09:10
やっぱり白さつまじゃなくて黒さつまって言われる日常雑記の方はお茶でも結構使うっておっしゃっていて、だからさつま焼き持ってるし知ってるんですって言ってくださっていて、
ああそうか、そういう面もあるのかと思って。
そっちはあまり美術館で見ないかもしれないですね。
でも僕もお酒好きで焼酎好きだから、美女化ですとか、だから黒さつまのイメージですよね、どっちかというと。
だから美術館で見るのが白い壮大なさつま焼き、かたや日常の黒さつまみたいなイメージはあるかもしれないですね。
でも確かに映画の中でも陳樹観さんが言っていたのは、時代によって黒さつまと白さつまっていうのは船の両端だみたいなことを言っていて、
ある時には白さつまが引っ張る時代もあれば、ある時には黒さつまが引っ張る時代があるみたいな。
それぞれ時代によって代表、さつま焼きの代表が白さつまになる頃もあれば、黒さつまになる時もあるみたいなことをおっしゃっていて、ああそう面白いなと思いました。
今回の中でも、もうほんとざっくり見た感想で言うと、やっぱりもちろん焼き物の話として面白かったけど、やっぱり最初にチラッと言うと親子の話というか。
なんか単純に工芸の映画ですというよりは、親子のドラマがずっと本編にあったじゃないですか。
それはやっぱり最初からもうそこは描きたいなっていうのはありますか?
そうですね。
まず、たぶんリーさんもリーボーンさんも僕に任せてくれたっていうのは、もちろん今までやってきた、とりあえず劇映画の仕事をずっとやってきていて、
最初は劇映画の仕事をやって、途中から並行して、ドキュメンタリーが好きだったのもあるし、ドキュメンタリーの仕事をやる機会があったので、並行してやってきていて。
リーボーンさんの世界としては、近いところにいたと思うんですよね、僕が。
なかなかカメラマンとかスタッフで、両方やってる人はそれなりにいると思うんですけど、
演出部というか監督としてやっているっていうのはそんなにいないと思っていて、実際の劇映画のそういうコアなところでやりつつ、ドキュメンタリーをやってるっていう。
割と知り合うべくして知り合ったんじゃないかなっていうのと、あとやっぱり僕がやっている親子のドキュメンタリーとかを見てくれて、
12:04
おそらく壮大なこの珍珠関係の歴史を描くっていうのは、朝鮮当皇たちの歴史を描くっていうのはあったと思いますけど、
でもやっぱりそこにあるのは伝承していく、伝統を伝承していく親と子の実際だと思うので、ドキュメンタリーとしてそこを描く必要があると思って、多分託してもらえたんじゃないかなと。
一番最初に15代珍珠関さんに会いに行った時には、まず何の予備知識もなくて、一番最初にリーさんに会って、この企画の話を聞き、「監督もやってくれないかな?」みたいな、すごい軽い感じで初めて会った時ですよ。
事前に僕の両親を撮ったドキュメンタリーは見てくれたんでしょうけど、すごい割と軽い感じで言われて、「え、大丈夫かな?」と思って。
だって向こうは日本映画界のレジェンドの力で、僕らが見て育ったような外国映画を、ヨーロッパの映画もそうだし韓国映画ももちろんだし、それを日本に紹介してきた人だから、そのレジェンドが、
僕はテレビのドキュメンタリーをやってるけど、映画としては助手というか助監督しかやってないわけで、そんな人に、「監督ができるならやってほしいけどな。」みたいなことを言うわけですよ。
たぶん間で紹介してくれたプロデューサーの人がいて、その人のことを信頼してるんだろうけども、そんな風にして頼んで大丈夫なのかなと思ったんですよね。
岡田・西野・西野さん自身は、チンジカンさんと20年の付き合いなわけですもんね。
そうですね。そんな簡単に託していいのかなって思いましたね。
で、「故郷坊主が託僧郎」という柴良太郎の小説を渡されて、それは15代チンジカンさんのお父さんである14代のことをモデルに書かれた、ルポっていうよりも小説だというふうに柴さん本人は予想してるみたいなんですけど。
実際柴さんもだから交流があったってことですかね、14代のことを。
そうですね。実際に那江城側って言われているチンジカン窯がある村の歴史とかにももちろんもともと興味があったんでしょうけど、実際に14代に会ったらすごく惚れ込んで、
あっという間に当時は大型連載をしていたと思うんですけど、その時に半年間であっという間にその短編を書き上げて、
で、その14代からの付き合いでやっぱりチンジカン家とはその後すごい親密な付き合いをやってるんですよね。
なんせその15代チンジカンさんの結婚式の時のナコードは柴良太郎さんらしいですから。
15:04
なるほどね、確かに確かに。
それで柴良太郎さんの故郷坊事仮宅総論を渡されて、いや面白いんですけど、すごく短編だからっていうのが難しくて、
いきなりこれを読んで、いやわかることはわかるんですけど、郷土資料の難しい記述みたいなのを何の説明もなくポンと引用したりして、
その情感はわかるし、言ってることはなんとなくわかるんだけど、え、これどこから来たのか。
なるほど、なるほど。
柴良太郎の頭の中にはあるんでしょうね。
そうなんですよ。
緻密な調査と取材の下に書かれているのはわかるんですけど、
これをね、サーッという部分にはいいですけど、これを深く理解して、なおかつこの後に映像表現としてやるには、
どうしたらいいんだろう?っていうのを渡されて、15代陳柔寛さんに、これからドキュメンタリーを実際に制作を始めるっていう挨拶に行くと。
それはどこに行ったんですか?
鹿児島まで行くと。
リーさんが行くから、どうする?一緒に来る?みたいな感じで。
じゃあ挨拶。
どう考えたって言った方がいいですよね。
挨拶するってことは、もうちゃんと監督やるってことだしな、みたいな。
で、会いに行ってご挨拶して、その時は夜、イタリアンか何かで食事をしながら酒を飲み交わして。
これから始めるにあたって、詳しくまずお話をね、15代陳柔寛さんが主人公になるっていうのは多分間違いないだろうから、詳しくお話を聞きに行かなきゃいけない。
そしたら日を改めて陳柔寛釜に、鹿児島市内から離れてるんですよ、山奥にあって、お伺いしますって言って行くことになったんですけど。
で、李さんは、あれだなって言って、俺はちょっと予定があるからあれで、明日一人で行ってくれるみたいな。
もう一人立ちをさせられる。
全然ね、予備知識ないというか、帰ってよく知っている人がいるよりも、何も知らない自分が直接ツーマンで聞いた方がよく話を聞けるんだろうなと思いつつも。
20年の付き合いがあっても、翌日一人で仲良化されるんだと。
で、お話を伺ったんですよ。やっぱりまず面食らったのは、お話聞いていると400年の歴史みたいなことももちろんそうなんですけど、出てくる名前が、陳さんの口から出てくる名前が歴史上の偉人みたいな人ばっかりなんですよね。
18:01
まず、豊臣秀吉のこともそうだし、島づけが連れて帰ってきたっていうのもそうだし。
僕、最近気づいたんですけど、高校の時にろくに勉強してなかったけど、やっぱり歴史だけは唯一好きだったなと思って。
そうしたらやっぱり歴史の教科書に出てくるようなことはやっぱり覚えてるんですよね。
島づけの名前もそうですよね。
14代の話になれば、もちろん柴梁太郎にモデルとして描かれたっていうこともそうだし。
すごく韓国の大統領とも付き合いが長くて。
一番最初に韓国に行った時には、パク大統領。軍事政権から。
パク大統領のところには顔パスで、6人パスポートとかそういうものもなくて、顔パスでそのまま聖火台、大統領の住まいのところまで行っていたとか。
400年祭っていうさつま焼きの節目のところになったら、おぶち総理。
当時のおぶち総理と近代中大統領との付き合いとかっていうことを言うから。
出てくるのが全部歴史上の偉人だし。
焼き物を一つ取っても、織田信長が千利休が徴用したからみたいな話になるじゃないですか。
ちょっと面食らってしまって。
その時は映画と回してるんじゃなくて、話聞くだけなんですね。
やっぱりまず映像とかよりも、ストーリーというか構成っていうのを立てるのにまずじっくりお話を聞きましょうみたいな感じだったんですよね。
膨大な量が来ちゃったんですね。
知識量とかもそうですけど、この膨大な話を、歴史をどういう風に映画で、映像で表現すればいいんだろうみたいな。
NHKの番組とかだったら、過去にやった大河ドラマの映像を後ろに下敷きにしてナレーションを入れるとか。
そういうのはあるけれども、この小規模なドキュメンタリー映画でどういう風にやろうかみたいな、そういう面食らった感じはありましたね。
やっぱり僕が陳さんとお話していて、一番胸に響いたっていうか、胸を動かされたのは、やっぱり先代である14代、お父さんへの気持ちというか思いみたいなものに一番胸が動かされて。
ちょうど取材した時には3年前ぐらいにお亡くなりになってたんですよね。
父親とのすごい葛藤があったっていうのは、なんとなく話からはうかがえしれて、それよりも父親を思いやる気持ちっていうか、そういう出来事とか過去の思いみたいなこともいっぱい話してくれて。
21:09
これはやっぱり僕、ちょうど僕の父親も同じ3年前に亡くなっていて、コロナの時に亡くなったんですよね、うちの父親が。
何も看病できずに、最後見取ることもできずに病院に入れなかったから、そういう後悔の念みたいなのもあって。
やっぱり陳さんが話す先代、14代への思いとか愛情みたいなのもそうですけど、やってあげられなかった後悔みたいなこともずっとおっしゃっていて。
そこにやっぱり過剰に反応したというか、そこに一番胸が動かされて。
これは今までの焼き物をやってるとか、家族のドキュメンタリーを撮ってるとか、そういういろんな自分の条件はあったにせよ、やっぱりこれは僕が監督すべきというか、撮るべき映画なんじゃないかなってその話を聞いて思ったんですよね。
やっぱりそれを信じてというか、それを追い求めるようにしてこの映画ができたんじゃないかというふうに思ってます。
ちなみに陳樹漢さんの本人の第一印象はどんな感じだったんですか?最初に会った時は。
最初に会った時は、それこそイタリアで飲み会する時には、やっぱりちょっと九州の男性って過不調性じゃないですけど、強いのかなという印象もあって、少しちょっと取っつきにくいというか怖い人なのかなと思ってたところがあるんですよ。
でも、他の学芸員の方とか、サツマイワキを通して陳さんと付き合いのある学芸員の方とかも言ってましたけど、学芸員とか外側を抜きにして個人個人としてちゃんと接してられた時に初めて認められたような気がするみたいなこともおっしゃってて。
僕は、まず対個人として、やっぱり看板は大きいじゃないですか。15代陳樹漢というのもあるし、日韓の交流に尽力した人みたいなこともあって。
一番最初に、今のユン大統領が日本に来て、岸田首相と首脳会談をする時があって、その時には一番最初に来て、在日同胞の食事会の集まりみたいなのを一番最初にやったんですけども、
24:08
その時にユン大統領に壺を渡したのは陳さんなんですよね。
だから文化的に、政治的にっていうことも含まれるんでしょうけど、文化的には日本にいる代表みたいな感じなんですよね。
特に韓国側の受け取り方としては。そういう人だし、突きにくいところもあるのかなとは思っていましたけど、やっぱり腹を割ってすごくプライベートなことを聞かないといけないんだったら、気さくに話してくれましたね。
じゃあもうそれで撮ろうってなって決まって、その後にBさんに撮りますって伝えに行った。監督やりますってことですよね。
そうですね。でももう、鹿児島に同行して陳さんに紹介されるっていうことは、監督として紹介されるわけだから、それは監督やりますっていうことですからね。そういうつもりでもちろん行ってましたね。
ドキュメンタリー映画の撮り方とか、全然わからないからなんですけど、そうやって壮大なストーリーがあるってわかって、そこからどう撮っていくものになるんですか?
そうですね。まず、当初まず考えていたのは、陳さんの15代陳樹観さんのインタビューが一つは軸になったっていうのは間違いないなと思ってたんですよね。
ただこれ、リーさんとも話してましたけど、あんまり陳さんが自分たちの歴史をどんどん語ったりとかすると、手前味噌になるというか、それは本人が全部を全部語っているっていうのは、そんなに良くないんじゃないかな、よろしくないんじゃないかな、みたいなことも言っていて。
その歴史部分というか客観的な部分をどういうふうに表現するかっていうので、さつまやき研究者の深港さんという方にお話を伺ったんですよね。
深港さんに聞いた話がすごく面白くて、これは歴史の綾というか、知的興奮が収まらないみたいなことが、映画見ていただくとあれなんですけど、大坪を作る技術みたいなものが、実は朝鮮の技術を使ってやっているとか、
その大坪自身は明治期に世界中に流通するようになって、その坪自身がロシア皇帝にも贈られたとか、世界中を股にかけたような繋がりというか、歴史の結び目がいろんなところにあって、一番最後にそれが集約されるみたいなのって、深港さんに聞いてすごく興奮したのを覚えていて、
27:19
それがやっぱりもう一つの軸になるんだろうなというふうに思ってたんですね。
その話を聞いて、それはそれぞれ話を聞いて構成みたいな形にして、台本みたいなふうにして作りはするんですけど、でもやっぱりお話をそれぞれ聞いていくと、常々新しい情報が、そして新しい感情が見える瞬間っていうのがあって、
それは歴史とか研究者である深港さんの話を聞いていても、新しい発見ってやっぱりそこにはあるんですよね。
陳さんの話を聞いた後に、また深港さんにその資料が見つかった時の話を聞くと、そういう繋がりがあったんだ、二人にとか、
あとはさつま焼き自体にそういう流れがあって、今こういうふうなものが見えてるんだ、みたいなことが見えてくるんで、そうすると一番最初に作った台本を新たに取材をする度に崩して新しくするみたいな感じだったと思います。
あとはその飛び飛びで、1年間の間に飛び飛びで撮影をして、韓国に行って撮影をするとか、韓国の陶芸家の人たちに話を聞くっていうこともありましたし、飛び飛びで撮影をしていくと、後半の方でやっと編集が始まる。
編集をしながら撮影も行かなきゃいけなかったりするんですけど、編集をしながらストーリーを組み上げるっていう構成を作るみたいな風にしてやっていきましたね。
それは劇映画とは、フィクションの映画とは全く違って、フィクションの映画だったら必ずできるだけ事前に台本をきっちりする。シナリオの神様と言われた振動カネトとかも言ってましたけど、面白いシナリオで面白い映画はできるけど、面白くないシナリオからは面白い映画はできないみたいな。
それはフィクションならではだなと思うんですけど、ドキュメンタリーの場合には主にもしかしたらもっと面白い事前にきっちり構成を固めて撮る人もいるかもしれないですけど、少なくとも僕たちはやっぱり撮った後の編集で物語をどういう風にするかっていう組み上げていくかみたいなのに労力をかけた時間もかけましたね。
ちなみに今回はどの段階でゴールが見えてる? 最初から決まってたものだったりするんですか?
30:00
おそらく最初の段階からのぶりがまがクライマックスになるんじゃないかなっていうふうに思ってたんですよね。
それは取材をどんどん重ねていくうちもそうですし、もちろん映画の中で陳述官系のこともそうですし、アガノヤキの渡さんとかハギヤキの坂倉氏の映画とかも尋ねていってお話を聞いてるんですけど、それ以外にも鎌本の人とか話を聞いたりしていて、
映像資料とかそういうものも見たりをしてたんですよね。
その中でまず焼き物っていうもの自体の作成工程、作る工程でクライマックスはやっぱり上り窯というか、火を入れて焼き上がるっていうのが今までこうやってきたものをそこで一気に壊れてしまうのか、歪んでしまうのか、そういうふうにならないようにもちろん技術の水を集めて作るんですけど、
一番最後の工程になっているし、お話を聞いていても職人さんたちの鎌、上り窯にかける思いみたいなのを聞いていると、多分この映画自体のクライマックスもそうだし、焼き物の工程としてのクライマックスもそうだし、
それから伝承していくものの象徴としても上り窯なんじゃないかなというふうに思ってたんで、それがクライマックスになるんじゃないかなっていうのは漠然と思っていて、取材を重ねれば重ねるほどそういうふうな革新は強くなっていくし、
お話を聞いていると、15代珍珠館さんの親子の繋がりの中で、上り窯への強い思いみたいなのも言ってもらえたし、感じ取ることができたんで、そこがクライマックスなんじゃないかなっていうのは思っていました。
結構、思い描いた映画が撮れたなって感じでした。
上り窯はスケジュール調整が難しくて、職人さんたちのスケジュール調整もそうだし、僕たちも東京に拠点があるわけで、鹿児島に行くのって、そんなに簡単に何度も、じゃあちょこっと行って、じゃあ今日帰りますっていうのはできないんですよね。
そうすると、ある程度まとめて行きたいなというふうに思っているし、職人さんたちは、窯を何個、室というか部屋がありますよね。
33:05
部屋の中を何個埋めてやるのが理想か。
そうすると、その中に細かく積み上げて、一番下にあるものを上に板を置いて、さらに上に置いていって、パンパンにロスが無いように積み上げるわけですよね。
そうすると、それを作る個数とか、そういうのも必要で、スケジュール調整がすごい難しくて、しかも真夏にはなかなかやらないんですよね。
1200℃の温度が上がるので、夏は避けたいと。だけど、そろそろやらなきゃいけないみたいな補修のこともあるし、これでなかなか決まらなくて。
他のシーンは、大体カメラマンの人を、優秀なドキュメンタリー映画では有名なカメラマンの人にお願いすることができて、それは撮れたんですけど、
登り釜の時には、「え、明日やるんですか?」みたいなことになって、それはカメラマンの人のスケジュールが取れないみたいな。
これはじゃあ僕が回さなきゃいけないみたいな。そうなんですよ。だから登り釜のところは、後で来てくれたんで、全部じゃないんですけど、ほとんど僕が撮らざるを得なくなってしまって。
いやだから、自分でセルフドキュメンタリーとかも撮ったことあるから、カメラ扱えないわけじゃないですけど、それでもね、クライマックスになる。
それ逃したら、次また遠分先になっちゃうわけですか?
もうそれを逃したら、この映画の中には収まれないっていうのはわかってたんで。
でも撮るしかないんですよ。それでじゃあもう行くかって言って、カメラ持って、カメラについてる性能の良いマイクをつけて撮り始めて、
最初に火入れ式って言って、火を入れる時に神棚に祈るみたいな儀式があるんですよね。
それが始まりますみたいな。それを撮る時に撮り始めるんですけど、火入れて、まずは神棚に祈りを捧げます。パンパンって。
気づいたら、塩をバッてやりだしたんですよ。
あ、全然入ってない。フレームインの中に全然入ってない。
先に聞いとけば、そういうのがあれってわかれば、その塩来るぞって思えるんですけど、急に。
ここから全然入ってないみたいな。ずっと窯で働いている職人さんなんですけど、SNS担当の女性の人がいて、
iPhoneとか一眼レフとかで動画をよく撮ってる人がいて、その人のポジションは最高な場所にいて、しっかり撮れてるんですよ。
えー、教えといてよって思ったりして。
それじゃあ、そのところはどうなってました?
36:02
そこはね、完全に飛ばしてます。
なるほど。
我々の強みは編集っていうのがありますから。
でも、そこは失敗して全然収まってなかったんですけど、もういらないだなって思って撮り始めて。
一昼や、一回仮眠撮りに行ったりもしましたけど、一昼やずっとやって、1日半ぐらいですかね、火止めるまでずっと撮らなきゃいけなくて。
いやー、でも、カメラマンの人に撮ってもらえなかったですけど、僕も一緒にその窯焚きに参加しているような感じで、すごく距離が近く撮れたので、それは良かったかなと思って。
臨場感のある絵は撮れたと思うし、もちろんカメラマンに撮ってもらうっていうのも大事だと思うんですけど、もう一つ自分で撮ることの長所というか、自分が見たいものを瞬間的に撮ることができるっていうのは一つ利点かなと思って。
でもやっぱり、ドキュメンタリー撮るって難しいですよね。
それが気になったのは、一般に脚本があるものだったら、多少たくさん撮ったとしても、ここカットするとかあると思うけど、だから言ったら、素材としては2時間映画に対して、そんな3時間も4時間も撮ることないじゃないですか。その無駄にというか。
今回のこれ2時間のために、素材としては総量としてはどれくらい撮るものなんですか?
これ計算して、というのも編集になった時に陳さんが、君たちはすごいいっぱい素材撮ってるから、これ編集大変でしょって。
いやー、でもと言ってもですよ。歴史っていうのは決まってるし、他の日常を誰かの日常をずっと抑えるドキュメンタリーとはちょっと違うから。
大家族?
この人の生活1日を追います。同時並行でこの人のも追いますみたいな、そういうことじゃないから、そんなに回ってないんじゃないかなと思ったんですよ。
例として、イギリスのファッションものかなんかのドキュメンタリーがあって、それは監督のインタビューで、我々は結局映画で使ったのは3%しかありませんって言ってて。
素材100に対して?
素材3%。2時間だったら33倍、66時間ぐらいだって言ってて。
いやいや、それに比べたら、陳さん、僕たちはそういうのに比べたら全然撮ってないですよって計算したら、僕ら2%だったんです。100時間ぐらい撮ってて。
39:06
そんなに撮ってたんですか?
そうですよね。でもよくよく周りを見渡してドキュメンタリー映画とかを見ると、そのぐらいはザラで、僕らはほぼ飛び飛びで1年ぐらいですけど、
人によっては住み込みでとか、そこの地域に住んで3年とか何年とかって撮る映画もあるわけじゃないですか。ガチなドキュメンタリー映画だと。そうするともう素材量って言ったらね、たぶんね。
昔のフィルムだったらもう少し抑えられるんでしょうけど、今ビデオだから、やっぱりずっと前後回していったりとかすると、そういう風になっちゃうんですね。
2%って言ったら98%捨てて、無く無く書くみたいな。その中で、いやでもこれは面白かったなっていうのはあるもんなんですけど、本当はこれ入れたいのになみたいな。
2%とはいえ、実際に撮ったシュチュエーションというか、いわゆるシークエンスって言ったらいいんですかね。それはほとんど落としてなくて。
つまり、ここでのこの人のインタビューでこういうことを聞くっていう大事なところはしっかり抑えて映画の中で使っていて、それ以上の余剰みたいな、それ以外のことも聞いてみたいとか話が盛り上がってみたいなところはあるんで。
落としたとこっていうのはほとんどなくて、ただ一つだけ落としてしまったのは、15代の息子さん、長男がいて、その人にどういう風に引き継ぐか、どういう風にその人に託すか、みたいなのも映画の中で語ってるんですけど。
その長男の次男の人もいらっしゃって、で、次男の人はラーメン屋で、大分のラーメン屋で働いている。
15代の子供で長男が出てきて、次男がラーメン屋で働いている。
なんですよ。これで、いやこれは面白いぞって思って。
さつま焼き使ってるのかなとか思ったけどね。
そうですね。でも大分でラーメン屋をやっていて、で、うかがってラーメン食べさせてもらったら、横浜家系ラーメンだったっていう。
全然違う。
鹿児島系じゃないんですね。
そうですね。
新しいドラマが生まれる。
でもやっぱり家なんですね。家にはこだわりみたいな。
いろいろお話伺って、親父関係、自分の家への思いとか、そういうものもあったし、すごく面白いお話が聞けたと思ったんですけど。
42:13
やっぱり全体の継承っていうところに収まりきれなかったというか。
やっぱり親子関係にフォーカスしていくと、もう一つちょっと別のラインというかサイドストーリーになっちゃうんだよなと思って入れることができなかったんですよね。
でもそういうのもいっぱい撮った上での凝縮だったっていうことなんですね。
これ僕がちょっと思ったのは、僕もやっぱり仕事から人から話を引き出す役割結構多い。この番組もそうなんですけど。
でも結局これは音声で伝えるだけだから、映像として伝える仕事じゃないわけですよ。
映像として伝えるっていう時の、今回映像のこだわりって何かあったんですか?ストーリーテラーの部分じゃなくて、映画としての何か。
映像として火をよく見せようとかわからないけど、何かそういうのがあったりするんですか?映画としてみたいな。
そうですね。それぞれの、おっしゃったみたいにどういうふうにのぼりがまの時の火を見せるかとか、あとはどういうふうに実景を見せるかとか。
例えばタイトルバックのところは、今ドローンで宮間っていう地域からバーッと上がっていって、祖先がたどり着いたであろう串木野の浜が見えるようなところまでドローンで上がっていって、
海の向こうには朝鮮半島が望めるはずだというふうなカットに入れたりとか、それぞれワンカットワンカットそういう工夫はいっぱいしてるんですよね。
例えば、あとアニメーションを入れたりして、それは柴山が描かれた故郷坊主家宅走路にも出てくるような、朝鮮東方たちの苦難の歴史みたいな。
それは、僕はある伝統の重みみたいなものも15代陳儒観さんが背負っていて、亡霊みたいな。怨念って言うとちょっと驚々しいから、亡霊みたいなそういう影が見えるんじゃないかなと。
実際に陳さんも、そういう声を聞いたみたいなこと、祖先の声を聞いたみたいなことも言ってたんで、そういうものが表現できるのにアニメーションを小川さんという方にやってもらって、本当数ヶ所なんですけど入れてみたりとか。
そういう伝えるための、表現するための工夫はいろいろやってはいるんですけど、でも僕は撮って編集してみて思ったのは、どこまでも人の気持ちというか、人間の今いる、目の前にいて喋っている、その人の気持ちみたいなものを映したいというか、表現したいと思って。
45:24
やっぱりインタビューの時に、陳さんのインタビューを丸1日ぐらいかけてやったんですよ。
そんなに全部使ってるわけじゃないんですけど、おいたちからどういうふうに彼の生き様みたいなのをずっと聞いてきて、その時に多分そのインタビューがさっき言ったみたいに、この映画の中の一つの大切な軸になるから、それを撮るのに、やっぱ編集のことを考えると、カメラ1台じゃなくて、ずっと1台でやったんですけど、
2台出してもらった方がいいなと思って、直前にカメラマンの辻さんという人に、2台でお願いできますかって言ったら、今いつも使ってるやつ2台用意できないけど、もう1台持ってくねって言って、やっとくよみたいな感じだったんです。
いざセッティングしてみてやると、正面のウエストぐらいのずっと正面から話をじっくり聞きますみたいな絵と、もう1個サイドのすごい寄っている横顔の絵みたいな。
この横顔の絵、ちょっと使いづらいじゃないですかねみたいな、間に挟むにしたら、結構印象的な、これ使いづらいんじゃないですかねって、もうちょっと正面に回って斜めぐらいかなとかって言ったりして、それは難しいと思うんだよなみたいな。
すごい変わった人なんですよ。巨匠なんですけど、すごい変わったカメラマンで、それは面白くてお願いしたっていうのもあるんですけど、全然言ってるようにもう1台のカメラ置いてくれないんですよ。
カメラマンって、僕らがこういう風に動いたからこうやって撮ってくださいとかって言ったら遅いわけですよ。目として、もう一つの目として、自由にやってもらうしかないんですよね。
ある意向とかプランを伝えられたとしても、実際に撮るのは彼しかいない。そうすると、これわかったと。この人あれだなって。こっち使わせる気あんまないんだなって。
もう最初から捨てなんですね。
そうじゃない。多分、その辻さんは、そもそも辻さんは若松浩二組の最後のカメラマンをやってたりとか、それから僕はご一緒したのは大森達史監督の映画で、僕は女監督でカメラマンとしてご一緒してて。
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ドキュメンタリーにおいては、おととしの記念順1位を取った、私の話ブラックの話とか、有名なドキュメンタリーをやってるし、師匠である山崎豊さんとかっていうのは、ドキュメンタリー映画の巨匠の流れをしてる。
今やその世代を代表するカメラマンなわけですよね。その人がやっぱり、なるほどなと思って。これは取らせたくないんだと。使わせたくないんだと。
この正面で勝負しろっていうのを多分言ってるんだろうなと思って。
そういうのもあって、結局、これよく映画を見た人に言われるんですけど、陳さんのインタビューをじっくり正面からサイズを変えずに撮ってるっていうのは、潔いというか、
普通だったら、ディレクターの人とかにはよく言われますけど、普通だったら別のカットとか撮りたくなるところを、全く正面だけで勝負してるのっていうのは潔いねみたいな。そうですね。これで言っちゃいましたね。
でもそうなるんだ。なるほど。でもそれはやっぱり、編集してくれた平野さんっていう人も、もう一個のがね、もしかしたらシーンを食ってないカットだったからなのかもしれないですけど、これも正面だけで行きましょうみたいな。編集してくれた人も言うし、
やっぱり、じっと陳さんのお話を、生き様を正面で観客がじっくり話を聞くみたいな形になってるから、それはそれで良かったんじゃないのっていう風なことを評価してもらえるから。
そう言われて確かに思いました。確かに、本当に向き合って話してる感じというか、夜飲み会した後に別の場所でじっくり話を聞いてる感じになったのは、そこで別カットが入ると映像だなと思っちゃうかもしれないけど、確かに向かい合ってる感じしたのはそういうことなんですね。
ああ、なるほど。最初から辻さんの中ではそういうプランがあったんですね。
そうだと思いますね。
最後にちょっと今更なんですけど、このストーリー、壮大なストーリーなのにって言ったらちょっと語弊がありますけど、タイトルが「茶碗屋の話」っていう。このタイトルのこだわりみたいなものを最後に教えてもらってもらってもいいですか?
これも最初から決まってたんですか?だから、陳昇さんに初めてお会いした時には、この映画のタイトルはもう茶碗屋の話だと。ちょっと編集しながら決まってたんですか?
最後の最後ですね。最後の最後にリーさんが持ってきて。一つはやっぱり平仮名にして、堅い名前じゃなくて、広くこの映画のことをハードルを下げて、間口を広くして知ってもらいたいっていうので、この平仮名で茶碗屋の話にしようって言ったのと。
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茶碗屋っていう言葉を、柴さんの小説の中でもそうですし、14代がよく自分の窯のことを卑下して茶碗屋であるというふうに言っていて。15代もこの間、舞台挨拶の時とかにも言ってましたけど、
自分たちはそういう謙虚なつもりでというか、謙虚な気持ちで茶碗を作っていく。そういう日常のものを作っていくっていう意味で茶碗屋っていうふうに父親の14代も15代も言っているっていうふうに言ってたんで、それも含めて茶碗屋の話っていう題名になりました。
あれですもんね。大統領が会うレベルの日なのに、自分は茶碗屋ですからみたいなことを。
そうですね。やっぱりそういう気持ちがやっぱり、陳さんと話してみて思うのは、地に足のついたというか、自分がいる鹿児島のフードとかそういうものを踏まえた上で地に足のついた焼き物作りをしていく。そういうことなんですかね。
多分おっしゃってたもんね。ということだと思います。
まあ多分、今日の話を聞いて見に行きたくなった人結構いると思うんですけど、さてこの茶碗屋の話、どこで見るんでしょうというのを、ここまでずっとあれでしたから、ぜひお知りいただきたいなと思います。
まずは、神戸の元町映画館が7月6日から上映が始まります。
配信が7月6日予定してますから、今日からもう見るってことですね。
ちょうどですね。愛知にある名古屋キネマノイ。これ7月27日から。横浜シネマリンで8月17日からという予定です。
属見れる場所が増えてきてますね。
あとは全国順次公開予定で、東京は今5月18日からポレポレ東中野で公開していて、おそらく7月頭までやってもらいたいと願っています。
収録自体は6月13日に行われてるんですけども、この段階では上映がちょっと伸びたってことですね。
そうですね。6月末まではおそらくやっているので、7月頭までやっていただけるとありがたいなぁというふうに思っています。
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しかも松倉さんはもうポレポレ東中野で舞台挨拶が今何日連続っておっしゃってましたよ。
もうすぐ、今日26日目連続舞台挨拶継続中なんで。
舞台挨拶本に今収録してもらってますからね。
これ1ヶ月は間違いなくいけると思うんで、これ7月の頭まで延長してもらえたら、これ続けると思うんで。
だからうまいことこの番組聴いてる人が行けるといいですもんね。
そうですね。
最悪の最悪ポレポレが終わったとしても、神戸とか名古屋に行くこともあるとですね。
そうですね。僕もぜひ地方に舞台挨拶行きたいと思っていて。
やっぱりポレポレの今連続記録を更新中なんで、これをどこまで伸ばせるか挑戦したいと思っていて。
そうですね。
ただうちの家族には、奥さんには、あんた暇なの?って言われながら、朝出て行ってますね。
記録作ってほしいっすね。
そうですね。そういう記憶あんのかなと思って聞いたら、例えば100回とか舞台挨拶したっていう人はいるらしいんですけど、
でもそれは多分飛び飛びで、それはみんなそれぞれ予定あるでしょうし、地方でやるときには地方の舞台挨拶行ったら投球できないですから。
だけど、連続記録を記録はしてないっていうんで、もうすでに僕は今記録保持者ではあるんです。
雪神気ぬがかんだことですから。
まだ26日ですけどね。
だからあれですよね、Xとかで言ってますもんね。
圧巨連続だって気になる方はもう、マスカさんのXをフォローしていただければと思いますし、上映情報は公式ページでも常々配信していくそうです。
なおグループ団体での自主上映会のお申し込みを受け付けていますということですね。これはどういう感じで申し込めばいいんですか?もしこれ聞いてる方で。
自主上映ですよね。これもハイキューのSUMOMOの公式ページにお問い合わせいただければいいと思います。
美術関係者の方も聞いてくださってるから、うちの美術館で上映したいみたいな話とかがあればSUMOMOさんにいただければということですよね。
そうですね。写真美術館でも上映したぐらいですからね。
そうですよね。
ぜひお願いします。
ぜひぜひお願いいたします。ということで、松倉さんどうもありがとうございました。
ありがとうございます。
ということで、次回も松倉さんをゲストにドックを続けていきたいと思います。
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