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2022-12-14 45:17

#67 「永劫回帰」と「超人」。ニーチェが見出したニヒリズムの乗り越え方

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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(BGM)
はい、それ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回までは3回に分けて、ニーチャーが何を乗り越えてきたのか、全部乗り越えましたって話をずっとしてきたんですけれども、今回はついにその乗り越えた先の話ですね。
はい、そうですね。今回は超人っていうテーマと、あとは英語を回帰っていうテーマの大きく2つを取り上げるんですけど、
今兄貴が言ってくれた通り、ニーチャーはニヒリズムを克服しようとして、
いわゆるヨーロッパのこれまでの歴史の中にニヒリズムっていうものがすごく根を下ろしていて、
それっていうのが人類の危機だから、それを乗り越えなきゃいけないよ、みたいなことを考えましたと。
神であっても道徳であっても、真理とかでもあっても、全部同じだよね。
結局、13ちまみたいになっちゃってニヒリズムに行っちゃうよね、みたいな話ってことだよね。
そういうことです。今回から聞いている人向けにお伝えすると、ニヒリズムっていうのは、本当にあらゆるものの価値はないとか、
あらゆるものは全て一緒だ、みたいな、遠征主義というか価値だ、みたいな話だったりとか、
ある13ちまっていうのは、ある種、妬みとか悲願みとか、
自分っていうのは、ある種、弱い存在なんだけど、だからこそ尊い、みたいな逆転現象が起きると良くないよね、って話をしてるんですよね。
ただ、ニーチュがそれを乗り越えて、新しい人間感を出してはしたんだけど、
それが成功したかとか、めちゃめちゃ明快なものが出てるかっていうと、そんなわけでもないんですよ。
はいはい、前回も言ってたもんね。結局周りはポカーンとしてるだろう、みたいな。
それがバチッとはまってたら、もしかしたら、もっと人類も変わってたかもしれないけど、やっぱりそれができないからこそ、今でもね、色々迷いというか、
いろんなシスコとか哲学があるよってことだと思うんですけど、
例えばニーチュが長寿音どういうものって言ってるかっていうと、大地の意味である、みたいに言ったりとか、
英語を書いてるっていうのは、特性的な説明を行ってなくて、
例えば、ちょっと、なんかやっぱ名前を言ってる、サラトゥストラは書く語り気みたいな本があったときに、
サラトゥストラって人の名前なんだけど、その人が英語を書いているについて触れようとすると、
口が開けなくなるとか、ハヒケを模様してフラフラと倒れ込んじゃうみたいな、語られないんだよね。
そうなんだ。
なので結構、色んな考え方とか解釈とかがあって、今度にお兄ちゃんが言ったことってなんだろうね、みたいな話がされてるぐらいなんですけど。
03:10
そうなんだ、さっきの長寿音は大地の意味っていうのも、大地っていうのはグラウンドだね、地面のね、大地。
そうだねそうだね。
意味わかんないもんね。
そうそう、大地とは何で意味とは何かとかが、それこそ解釈がないとわからないじゃないですか。
ただ、どういうことを言おうとしたのかとか、それがどういうものなのかっていうことをね、
ふわっとでも知ることは大きな意味というか価値があるのかなと思っているので、
それをちょっとお伝えしていきたいなというのが今回ですと。
はいはい、楽しみ。まあでも楽しみだね。あんだけやっぱり乗り越え方はすごかったから。
どういう解決策を兄ちゃんなりに考えたんだろうか。兄ちゃんっていう天才が考えたのかもね。
そうそう、さっきもお伝えした通り、結局ね、それこそキリスト教的な神とか道徳とか真理みたいなものって、
それはそれすごく大事なんだけど、どうすると、いわゆる人間の現実的な生活とか世界っていうのを否定しちゃって、
あっちには理想の世界があるけどこっちは仮初めだとか、だからこの仮初めの世界には価値がないとか、
要は何しても許されて、価値がないから別に何をしようと勝手だみたいな、そういう二切れずみに行き着いちゃうよねっていうのが、
これまでもお伝えしてきたかなと思います。
それを兄ちゃんは象徴的に神の死、神は死んだっていう言葉で言って、
あらゆる価値の根拠、要はこれまでは神っていうのが最高の価値の厳選だったけど、それがない時代にどうするんだって話をしてくるんだけど。
そうなんだ、この有名な神は死んだっていうのはこの辺りを指して言ってるんだね。
あ、そうか、その説明はあんまりしてなかったね。
そうそう、一番有名な言葉だと思うけど、どの段階で言ったんだろうなっていうのは。
そうやそうや、さらっとしたら結構冒頭で神は死んだってことでみんな気づいてないんだ、Yみたいなこと言うんだけど、
要は神は死んだっていう、さっき言った絶対的なものとか真理とか、そういったものが要は崩れている、価値を失ってしまったっていうのが、これまで出てきた価値の乗り越えっていう話なんだけど、
どうするかっていうと、よくありがち、ニーズじゃなくてよくありがちなのが、要は過去に遡るみたいな、よく人間の歴史あるのよ。
要はルネッサンスみたいな感じで、今の人間は堕落していて、過去の人たちは清らかな生活をしていたからそこに戻ろうみたいな。
で、過去の文化がまたフューチャーされるとかってあると思うんだけど。
06:02
はいはい、過去とか先祖さんの方がちゃんとしてたよねとかね、中国でいうと儒教とかかな。
昔は良かった、みたいな、ちゃんと礼儀正しくやりましょう、みたいな。
それは結局今じゃないところに理想を置いているみたいな話を言うと変わらないから、
そうじゃなくて、むしろニヒリズムっていうものを突き詰めて徹底していって、その先に新しい価値っていうのを積極的に見出していこうと。
なるほど、開古主義でもなくってこと、自分たちでちゃんと作っていこうと。
それはニヒリズムの先にあるんだっていう話をしてて、だからこそ既存の価値の根拠っていうのを徹底的に全部捨て去って、
新しい価値に基づいていけるぞっていうような戦略を立てるのね。
うん、なんかもうやりきっちゃおうぜ、みたいな。
すごいね。
だから、問いみたいなものが結構単純なものが立てられて、
要はこれまでとは違う新しい道徳とか理想っていうのを打ち立てることなんだよね。
はいはいはい。
道徳の時にもお伝えしたみたいに、今例えば善とか悪って言われているものも、いろんなパターンの一個でしかない、仮説でしかない、みたいなことをニイチは考えているから、
そうじゃない、新しい道徳とか新しい理想ってなんだ、もっと言うとそれ、どんな道徳とか理想とか真理だったらニヒリズムを克服できるんだっけってことを考えるのね。
はいはい、まあ難しそうだね、確かにね。問いは簡単だけれども。
そうそう、やっぱりそれをどう突き詰めていくかっていうのはやっぱり難しいし、やっぱりニイチ自身もレリケーターみたいなところがあるんだけど、
一個その手段としてね、その問いに対してどう答えるかっていうと、新たな人間観、人間のモデルっていうところから考えていきますと、
どういうことかっていうと、今はその、いわゆる社会の中で生きる一般大衆とか、我々みたいな、前回で言うとこのルサンチマン村みたいな人から前提で考えちゃうと、
いやもうルサンチマンが前提にあるから、そこから出発してもあんまりこういいところにたどり着かないよね、みたいなことを考えるのね。
なるほど、前回の最後で言ったあれだよね、そういう村だったりとか、善悪みたいな概念みたいなものだったりとか、
そういう真偽みたいなものっていうのは、結局は人間が作り出したものだよねっていうこの点に立ったとすると、確かに一人の人間っていうここから考えるっていうのはすごくニイチェらしいというかね、今まで聞いてきたところと整合性が取れたアプローチな感じがするね。
そうだね、本当に多分そうで、だからこそ、他人とか社会っていうものはもちろんあるんだけれども、それをどんなふうに目指されるべきかとか、
09:07
あとやっぱりニイチェ自身も、より高くとか、より人間として感性されるってことを大事にしていて、そういうより感性された人間ってどんなあり方なんだろう、みたいなことを考えるのね。
なので、やっぱり神とか道徳とか真理を信じるっていう、要はちょっと自分の弱さをそっちに託すというか依存したような人間じゃなくて、
ある種、より高く感性された人間っていうののあり方を考えますと。
これってニイチェ自身が実は自覚してるんだけど、当時も1900年くらいって、いわゆる普通選挙、要はみんなが平等で、国王じゃなくて、ある種人民の方に主権を渡していこうみたいな時代ではあるんだよね。
そういう普通選挙が叫ばれる時代に、あえて自分はこういうより高い人間とか、階層みたいなことを打ち出すのだ、みたいなことを言ってるんですよ。
なるほどね。ちょっと階層とか身分とかそういう概念に捉えられてもいいや、みたいな話なんだ。ニイチェ的には。 そうそうそう。やっぱり世の中に逆行してるってのはわかってるんだけど、でもいわゆる平等とかみんな一緒みたいなのも、
いわゆる、なんだろうな、本来は違うじゃない。要は、例えば兄貴と僕がいた時に、当然5歳離れたら、いわゆる持っている身肉体的な力とか、年齢が違えばそういうのも違うよねってなった時に、だから全くの平等っていうのは、やっぱりそれも一つの理想でしかない?
うんうん、人間をね、ある意味確率的にというか、1000人くらいいた人々、一般大衆って捉えるのも同じだよねって話だよね。身分みたいなのとか、階層みたいな話と、ある意味ね。
そうそうそう。だからそれがある種そっちに理想を掲げて、現実を否定するってことと同じ構造だから、そういう平等という概念を乗り越えて、むしろより完成された個人を作るみたいな、そういうところから始めていきましょうってことで言っていて、
それが実現された姿が超人なんだよね。たださっき言ったみたいに超人とは第一の意味であるとか言っても全然わかんないから、
そうだね、ただのすごい人みたいな感じになっちゃうから、超人とかね、実らに引っ張られて、スーパーサヤ人みたいな感じなの?みたいな。
そんな感じするじゃないですか。だからいわゆるパワーみたいなことっていうよりは、何を乗り越えたとか超えたから超人なのかって話でいくと、それが英語回帰っていう考え方に繋がっていきますと。
12:06
これはいろいろ諸説あるので、僕が言うことが全部正しいとかではないんですけど、一個の解釈として聞いていただければと思うんですけど、
この英語回帰って言ってるのは何かっていうと、これには否定的な側面と肯定的な側面の両方があるんだけど、否定的な面で言うと、いわゆるニヒリズムの極地みたいな、最大限ニヒリズムを突き詰めていったものとして出てくるのが、まず英語回帰ですと。
はいはいはい。 例えばニンチェは英語回帰がどういうものかって言ってるかっていうと、いわゆる人生とか生存の形として、意思とか目標とかもなくて、
無、もう無、完全なる無いっていうことに向かって、ぐるぐると永遠に回り続ける人生だって言ってるのね。
人生ね。
これは何かっていうと、キリスト教の時にお伝えしたような最後の審判とか、ヘイギュラーの時にあんまり言わなかったんだけど、いわゆる絶対精神みたいな歴史が発展していくと、必ず人間の理想とか究極にたどり着くみたいな考え方っていうのが当時あるんですよね。
はいはいはい。
これって何かっていうと、要は未来に希望を託して、今から目を背けるっていう思考形態なわけですよ。
なるほどなるほど。
うん。これを禁止するのね、ニンチェは。
あ、そうなんだ。永遠とかっていう概念はあるけど、そうなんだね。
そう。なぜかっていうと、終わりがあるんだったらそこで救われるって思想が絶対に残るじゃない。
あー、だからそうか、永遠みたいな言葉を使うのか。終末すらないという話か、キリスト教的な。
終末すらない。だから永遠にぐるぐるぐるぐる回り続けて、この人生が決して終わらないとか、救いもないし、終わりもない、そういうことを考えましょうっていうね。
あーすごい、それは面白いね。そっか。
うん。
なんかその終末思想とかさ、今聞いた絶対精神化のヘゲルの話でいうと、確かヘゲルだとそうやって弁償法、弁償法って繰り返していくうちに、その究極の極みみたいなものがあるはずだ、みたいな概念ってことでしょ。
どっかでそれは止まるというか、終着点。
それもそっちもないと。だからキリスト教信仰的に考えても理性的に考えても、その終着点みたいなものっていうのは想定しないよっていう話を日常してるんだ。違うんだね。
そうそうそう。
へー。
それは近似性にしてるってこと。
はいはいはいはい。そっか、だからこそ現実目が向くみたいなのってわかる気がする。
15:04
はいはいはい。
そうそうそう。で、ただじゃあこの時に出てくる現実ってなんだっていう話でいくと、要はそのぐるぐるぐるぐる同じ人生が回り続ける。
それに僕らは80歳まで生きて、この世的には死んだんだけど、また0歳から戻って同じ80年を繰り返すみたいなことを考えた時に。
そう、そういうことを考えた時に、これって結局何をしても一緒とか、あらゆるものに価値はないっていうニヒリズの表現にかなり近づいてくるんだよね。
あー、なるほどね。永遠にループしてるみたいなね、同じ人生。
そうね。最近で言うとね、ちょっと前から未来系みたいな感じ、それこそね、タイムリープものというか、
それこそ時をかける少女とかもそうだけど、やっぱ何回やっても何回やっても乗り越えられないみたいなのって、アニメとかそういう漫画表現としてもあると思うんですけど、
はいはいはい。
まさにそれを地で言ってる感じ。
なるほど、しかもそれを目標も意思もなく、ひたすら同じような人生を繰り返し続けるって話だね。
そういうこと。だからアニメの方はね、この人を救うためにとか、悲劇を止めるためにとかってのはあるんだけど、それもないんだよね。
ニヒリズム的な話で言うとってことね。
ニヒリズム的な話だと全部一緒だから。みたいな感じで、自分自身のこれまでの思想、要は何かが大事だっていうことすら、要は否定されるような境地なんだよね、それって。
そうなってくるともう哲学が意味を成せなくなってくるというか、これっていいよねっていうことすら無意味な世界っていうのが表れてきます。
はいはい、まあそうだよね。今ニーチャーがやろうとしている理想像というか、超人みたいなものを設定することすらある意味、自分が言ってることと矛盾しちゃう可能性もあるもんね。
それはわかってるはずだろうね、恐らく。
だからこの、やっぱり、まず今アニケーターが言ってた通り、英語を書きって読むのがどこまで絶望的な状態なのかっていうことが結構大事で。
はいはいはい。
だからさっき言った通り、ちょっと本読んでると若干コビカルなんだけど、そのサラテストラが英語回帰の話をしようとすると、具合悪くなって倒れちゃうみたいなことも、
それだけ、じゃあ英語回帰的な現実っていうのを本当に捉えた時に、そりゃ無理だわみたいな。
はいはいはい。
その現実は耐えられないわ、人間は、みたいなところにやっぱり行き着くんだよね、一回。
ここまで聞くとそうだね、それを想像しただけで喋ろうとすると具合悪くなっちゃうみたいな状態も、確かに納得はいくかも。
18:05
この永遠みたいなね、しかも悪い意味の永遠性みたいなね、無みたいな、怖さを感じるもんね。
うんうんうん、本当にその通りで。だからこそ、この英語回帰みたいなところにたどり着いた時に、じゃあどう打ち破るんだみたいな話でいくと、
実は英語を回帰するっていう、その繰り返しってこと自体にそれを乗り越える鍵があるっていう風にニーチェはある種直感するのね。
回帰するとどういうことかっていうと、さっき言った通り、同じ人生が無限回繰り返される。
だから何にも変わらないんだよね。僕が32歳で亡くなったとして、これまでと同じ人生をまた永遠に繰り返しますと。
なるとあらゆることがまた同じように経験されるんだけれども、逆に言うと、ある種時間を超えて物事に影響を与えられる。
要は今の僕が10歳の自分に何かを働きかけることはできないんだけど、何回も繰り返すなら、ある種それが今の時点からできますよねっていうことを考えるのね。
だから人間は未来には影響を与えるけど過去は変えられないっていう話あるんだけど、
永遠に繰り返すんだったら、その関わる可能性が出てくる過去に。
で、言いますと。
じゃあこれは何によってできるかっていうと、要はそれこそタイムマシンで別に過去に行けるわけじゃないから、直接的には無理なんだけど、ここに意思っていう観点を持ってくると話が変わりますと。
例えば過去のいろんな出来事で、例えばかつてそうだったみたいな、ある種起きてしまったみたいなことって、ある種事実の話じゃないですか。
とか認識の話。
例えば、1週間前ちょっと失敗したってしょんぼりしたわみたいなことは、認識してあるんだけど、
ある種意思っていうか、その想像的なとか前向きなとか、何かを生み出そうとする意思を持っている場合、
その例えば1週間前何か失敗したっていう事実に対しても、実はそれは私がそれがそうだと欲したんだっていうようになるのね。
つまり、何かが起きたっていうことを客観的に捉えるんじゃなくて、要は前回ととおり、ニンチャはその客観を、外にある客観を心理として自分に捉えるって世界観じゃなくて、
自分の内側から心理が立ち上がってきて世界を作るっていうふうに考えているから、
そういう過去あったことも、ただ客観とした事実じゃなくて、自分がその1週間前の出来事に対しても、
21:05
そういうふうにあって欲しかったんだっていうふうに、意思を持ったんだっていうふうに作り変えられるねって言いますと。
そうすると、あらゆる出来事が偶然じゃなくて、自分の意思に基づいた必然的な出来事になります。
そうすると人間の生存、人生とか、一人一人の人間の歴史っていうのが、ただの事実の寄せ集めじゃなくて、
自分の意思によって生み出された世界だっていうふうに作り変えることができるようになります。
だから、永遠に回帰するとか何回も何回も繰り返される、ある種無意味とか無価値の目標ない人生であったとしても、
想像的な意思っていうのが働くと、全部それは自分が望んだことだっていうふうに言える世界に一変するのね。
それを言える勇気だけが、永遠に続く繰り返しの虚無の世界を乗り越えられるんだっていうふうに新一郎は言いますと。
なんとなく伝わるかな。
伝わる。伝わるし、すごくいいことを言ってるよね、と思ったし、すごいなと思ったんだけど。
今でも言うと思うんだけど、物事っていうのは捉え方次第だったりとか、運っていうものもある程度コントロールしてる部分もあるんだ、だったりとか。
事実、さっき言ったけど事実ってものを捉える捉え方で、それを完全なる受け身になるのか、それとも積極的に認識していく、意味をつけていく、必然と捉えるのかで、
コントロールできる部分って増えていくよねっていう部分っていうのはすごく納得するし、理解できるんだけれども。
これちょっとまだわかんない。自分の中で全然正義できてないのが、ミッチェがこれを言う意味みたいな話だよね。
はいはいはい。
あーわかってきた。ちょっと繋がってきた。わかったわかった。
何が起きたの?教えて教えて。
なんで兄ちゃんがわざわざこんな話を、イヒリズムっていうところを通った後で、この概念を持ってきたかっていうところが、全然わかってなかったというか、繋がってなかったんだけど。
そうだよね。兄ちゃんは神は死んだって言ってるから、だからこそこの自分の意思みたいなもの、人間一人一人が経験する、その現世で経験していくあらゆる事象に対して自分で身づけをしていくんだっていうスタンスの大切さっていうのを、
やっぱり兄ちゃんはここまで強調するというか、きちんと言語化する必要があったんだなっていうところが今やっと繋がったというか、追いついたというか、感じがして。
24:05
そうだよね。これまでは人間っていうのは、例えばキリスト教的な世界観であったりとか、もしくは啓蒙主義的な道徳最高理性最高というような、
そういう概念の中で生かされてる、思わされてるっていう風に考えると、やっぱりあらゆる、何でもいいよね、誰かに殴られたとか、コロナとか、何でもいいんだけど、生活は苦しいでもいいし、
商売がうまくいったとか、仕事がつらいとか、何でもいいんだけど、そういうことを多分やっぱり、自分で身づけをするっていう感覚って本当になかったんじゃないかなと思うよね。
かなりそういう感覚は少なかったはず。もう世界っていうものは自分の今の境遇も含めて所有のものというか、決まってるもの、運命、定めみたいな、
っていうものがあったとすると、ここでニーチャーが言ってることっていうのは、やっぱりめちゃくちゃおかしなことだもんね。
あらゆるその辛さ、もしくは楽しさでもいいしね。そういうものを自分でちゃんと認識をして、それに対して自分で身づけをしようという意志、
自分の意志みたいなものは、すごく今まで見えなかったものっていうものをきちんと差し出してくれて、
ただやっぱりそれを理解するためにはさっき言ったニヒリズムっていうものの象徴というか、たとえ話、そしての英語を書いているよね。
みんなが思っているほど世界って救われないんだよっていう終末もないし、理想の行き着く先もないし、ヘイレル的なね。
ただただひたすら無ばかりが繰り返される状況に生きているのと同じなんだよって言われて初めて、さっき言った意志の存在、自分の意志で
世界を構築していくんだぞ、その無限ループの中で、その無限ループを少しでも変える。
もう通常だったら、ちょっとのバタフライエフェクトも起こらない。次の人生で自分が転ばないように、その石をちょっとどけたとしても結局転ぶんだっていう状態から、
いや俺は転ばないぞっていう意志、その一個を持つことが、初めて自分でバタフライエフェクトを作っていくきっかけができるかもしれないっていう光なんだぞ、みたいなのっていうのは、
これ確かにちょっと分かりづらいというか、結構今の感覚からすると、いやそれはそうじゃんって言われかねないというか、
ただそれはそうじゃんなんだけど、そのそれはそうじゃんがなぜそれはそうじゃんなのかをニーチはめちゃくちゃ説明してくれてるっていう意味で、今繋がってきた感じ。
27:03
ちょっと長いけど。
いやでもすごい、やっぱり愛知の中にニーチが入ってるんだっていう感じがする。
どうかな、今日の話と今のちょっと長かったんだけど、自分も理解しようと思いながらちょっとごめんね、喋ってたから、長いしまだろっこしいと思うんだけど、
何となくどうかやっと伝えたかった話とリンクというか繋がってる感じがする?こっちこっちの理解が。
1個だけ実はちょっと違うところなと思うところがあって、それはさっき言った石につまずいた時にそれをどけようとする意志って兄が言ってくれたんだけど、
実は意志っていうのはそこには働かないんだよね。
なぜなら、やっぱり現実を変えることはできないし、今石につまずいた時に明日石につまずかないことは意志できるかもしれないけど、
石だけにね。
もう言葉違う言葉にするのが分かりづらいわ。小石につまずかないことはできるかもしれないけど、
でも昨日小石につまずいたって事実はもちろん変わらないし、何万回繰り返してもその日には小石につまずきますと。
それは変えられないんだけど、でもそれに至る必然性があったとか、別にそこで転んで何が悪いぐらいに思えるかどうか。
もっと言うと、やっぱり人間って弱いから、いいものは取り入れて悪いものは避けたいって思っちゃうじゃない。
それはできないのよ。なぜなら永遠に回帰するだけだから。
分かる?
なるほどね。分かった分かった。さっきの状態だと、今例えば石を持つことで次のループに対して影響できると思ったんだけど、それは無理なんだね。
無理無理無理。
だから全く同じ事実。次の人生でも多分34歳の何時何分にあの石につまずいて転びますってことは決定しているんだけれども、
その意味づけを変更することしかできないんだ。ただそれにはめちゃくちゃ意味はあることなんだよっていう話を認知をしていると。
そういうことそういうこと。
確かにこの例え話はある意味救いがないと思う人もいるかもしれないけれども、全然同じじゃんと。毎回これから永遠にその転ぶ人生を生きるんだと思うと辛いけれども、
ただそれはあくまで例えの話で、そこまでの意思を持たないとこの現世に対する影響だよね。だったりとか物事に対する認識、意思っていうものは、
30:02
多分その人に備わることはないだろうっていう意味で、ここまで強い例えを使わなきゃいけないのかなっていうのをちょっと感じたかな。
でもそうだね。まさに兄貴が言ってくれた、暴走の人はいわゆるそれをニヒリズムとして捉えている人なんだけど、
そこにだからこそ自分は生きるんだって言える人こそが、実は超人だって話があって。
兄ちゃんの言葉で言ったように「よし、もう一度」っていう言葉があるんだけど、そういう辛い無意味な人生を俯瞰して、さ、もう一回生きよって言える人が超人だと。
で、なんでそれができるかみたいな話もある種あって、本当に無限界仮に生存が繰り返される回帰するなら、ある種たった一個の瞬間、
それこそ兄ちゃんはやっぱり悲劇というか、ドラマというか、演劇とかを元々研究していたから、そういう恋愛とかもそうだし、何かそのカタルシス的なものも含めて、
たった一つの瞬間でも人生で肯定できれば、ある種それを無限回繰り返せるっていう、一瞬が無限に広がるっていう可能性もあるんだよね。
そうだね、本当にその通りだと思う。
その一瞬のために生きるっていうことに、本当に心の底から意思を持つことができれば、一瞬の喜びっていうのを無限の喜びに変えて、
ニヒリズムに満ちた英語回帰の無限の世界っていうのを肯定的な場にある種変換できますよね。
だから、永遠っていうのはまさにニヒリズムの極致で、とにかくずっと繰り返しで、もう辛いって感じなんだけど、
だからこそニヒリズムを超えられるっていう、そういう仕組みがあるよっていう風にこの例えから導き出すんだよね。
そう、だから逆に言うと超人っていうのは英語回帰の仕組みとか、ニヒリズムを徹底した時の仕組みに気づいて、
そこから人生の意味とか意思っていうのをちゃんと捉え直して乗り越えることができる存在であって、
だから自分以外のものに価値を見出すんじゃなくて、あくまでも自分の中から世界の価値を作れることができる人間なんだよね。
だから逆に言うと、今日の話聞いて全然ピンとこないって方もいるかもしれないんですけれども、
それはそれで良いっていうのはずっと思っていて、なぜならというか、人生の意味をやっぱり大事に思っていない人にとっては別にニヒリズムってあんまり関係ないことなんですよ。
33:09
だから人生の意味とは何かみたいなテーマ、前回かな、兄貴も真理って考えたことあるみたいに聞いたと思うんだけど、
それがその人の人生にとって重たいテーマじゃなかったら、別にそんなことは気にしなくていいじゃん、普通に生きていこうよって言うんですよね。
ただどこかで、多分人生の中で、何で自分は生きてるんだとか、周囲の人が例えば仮に亡くなってしまったとした時に、
生きるって何だ、死って何だっていうことを考えた時に、やっぱこういうことが問題になってくる。
だからその瞬間にニヒリズムに至る道が開いちゃうので、そのニヒリズムとどうやって関わるかとか、そもそもそれがニヒリズム的なものなんだってことを知らないと、
簡単にどうせみんな死んでいくんだから生きてても意味がないとか、生きてる間に好きなことをしないと死んだら自分の価値はなくなるとかっていうような思考にある人すぐ行き着いちゃう。
それはすごくもったいないし、ニーチからするとそれっていうのは乗り越えられる思考なんだよ、みたいなことを言うのね。
なのでちょっとまとめると、これまでいろいろお話させていただいたんですけれども、あらゆる価値を否定して突き詰めた先にある究極的なニヒリズムっていうのが英語回帰であって、
それっていうのはどういうものかっていうと、人間の人生っていうのが目的もなく無意味にただ永遠に繰り返されるっていうような世界観なんだけど、
その構造自体に実は過去とか未来に対しても意志の力を持って影響を与えて、一瞬の喜びを無限に拡大するっていう、
そういうポジティブ変化にできる可能性があるよと。そういう意志を持って英語回帰の人生でも、よしもう一度って言ってある種生きていける。
そうやってニヒリズムを克服できる存在っていうのは超人で、だからこそ人類っていうのは自分自身で意味とか価値とかっていうのを生み出せる超人というのを目指すべきなんだよ、みたいなことを言ってます。
というのがざくっとまとめるとそんな感じでございます。
なるほど。すごいね。さっき言った通り全員とって意味があるわけじゃないって話さっきしたけれども、
例えば人生にあまり目的がないとか話、あとは一方で目的を生む以前にかなり厳しい状況の人、
そもそもやっぱり名刺が足りないとか、現代でいうととにかくちょっとブラック企業に行って仕事を連れに行ってマジ辛いみたいな状況の人には、
36:08
ちょっとこれいきなり言われてもスッと入ってこない部分ってあるかなっていうのはあるけれども、
ただ、日中が生きた当時もそうだったように、自分ってなんだろうとか、そもそも理性って言われてもなぁみたいな時に、
じゃあその自分はどう考えるかっていう一つのスタンスとしてはめちゃくちゃ納得性は高いし、すごくそこには意味がある。
まあ確かにね、これ言われちゃうと結構、じゃあどうすればいいって部分になっちゃうけどね、
結局はその気の持ちようだよみたいな話で捉えたとすると結構きついんだけれども、
ただそこでじゃあ、結局人それぞれじゃんとか、気の持ちようじゃんとかなんちゃうんじゃなくて、
その前提で、やっぱり何を乗り越えたかって言うと、このニヒリズムのさっきの英語を書きの例え、
ここを知っておくことっていうその前提で問いだったりとか、この気の持ちようっていう部分を、
その前提部分を知っておくっていうのはすごくいい気がするよね、その前提部分が自分に合致するのかだったりとか、
さっき言ったようにめちゃくちゃ辛い時って絶対意味ないから、まずは生き延びることを考えなきゃいけないし、
まずは自分で何だろう、延々とはないかっていうところまでまずは持っていくことが自由になってくるかもしれないし、
逆に言うとここに立った人はやっぱりそこを本気で考えてもいいかなとは思うしね。
そうだね、実はインド哲学とかの方にそういう考え方があって、人間にはそもそも生まれた目的が4つ違うパターンがありますよっていう考え方があるので、
それこそ富を蓄えるんだとか、傑作するんだ、宗教的なことが大事なんだとかっていう4つくらいあって、
そもそも人生で誰が何を大事にするかっていうのは違うんだっていうのって、東洋的な思想にはあったりするんですよ。
だからさっきもさせた通り、人生的に誰もが超人にならなきゃいけないっていうのも、それはやっぱり一個のある種信仰、信じることになっているし。
さっきの4つのうち1つかもしれないってことだね、この超人構成。
だからこれだけが正しいと思うのも危険ではあるんだけど、
僕とかはそういう場合と受けたつしたいみたいな人間の価値観を持っている人ではあるから、
ニエチェっていうのを知って、英語を書いて話をした時に、ただ流されるんじゃなくて、自分から何とか人生に影響を与えてやろうみたいな気持ちになったんだよね。
39:01
そうすると、生きるのは下手だな自分みたいに思った時に、上手くなるために、ちゃんと仕事できるようになりたいなとか、人とのコミュニケーションが取れるようになりたいなとか、
そういう風に変わっていくと、やっぱりなんだかんだ人生が変わっていくみたいな感覚はあるし、
そのための1つが哲学。人生を上手くするためのみたいな。
たしかにたしかに。例えば東洋哲学が好きだとか、悟りを開きたい、悟りたいとか、やっぱりはその煩悩とか全てを捨て去りたいという、
としか言って超絶ミニマリストな思考とかに陥っていくと、そういう人生の目的とかすらも捨て去っちゃいそうになる瞬間って、なんかあるのかなって想像するんだけど、
それもやっぱ虚無主義だよね。たぶん東洋哲学がその実際虚無主義的なものをどう認識してどう乗り越えようみたいな話があるのかは知らないんだけれども、
やっぱ表面的に東洋的なとか仏教的な話を聞くと、なんかそういうニヒリズムに陥っちゃう瞬間って、そっちを真面目に志そうとしてもあるのかなって思って、
そういった時に、今さっきハエトンが言った、だからこそ、そっちを目指すからこそちょっと人生頑張ってみようかな、今回のね、なんかよしもう一度みたいなさ、
すごくなんかいい言葉だなと思って。
なんかやっぱ勇気づけられるよね。
そうだね、なんか気の持ち寄って部分はあるんだけど、すごくなんかバランス感覚のある、その、なんだろうな、たぶんやっぱニンチェの苦悩でもあったのかもしれないよね。
こうしろって言うとさ、やっぱり理想になっちゃうから、自分が話したことでまたニヒリズムに、新たなニヒリズムとウルサンチマを生み出すことは多分避けたかったんだと思うしね。
そういう意味でなんかこの、ここまでは、まあ言っていいかなっていう、なんか苦悩みたいなものを感じるかな。
難しいもんね、だってね、これを乗り越えた目にはこれであるべきだって言った瞬間にも自己矛盾に陥るからね。
そうなんだよね、そして理性でここまで行ったとかって言うと、結局理性ってもう信仰するっていうところにまた陥っちゃうから、なんかやっぱりこうニンチェがどう語ったかみたいなことってすごく難しかったんだなと思うし。
はいはい、すごいね、そういう意味ではやっぱりめちゃくちゃ戦後性取れてるもんね、結局やっぱり人の自分の在り方だよね、しかもウルサンチマン的じゃなくて素朴な自分の在り方っていうものをきちんと自分で認識して、意思として認識して、人生を作っていきなさいって破綻してないもんね、ニンチェの話と。
そうだね、なんかやっぱりこう、なんだろうな、そこもいろんな論理的な矛盾とか言葉的な破綻もあるんだけど、やっぱりその個性となる部分の一貫性とか戦略、これを乗り越えてそのニヒリズムを突き詰めた時にこういう世界が見える、
42:15
要はそれというのは自分の意思で、自分の外側に価値を見出せない時代の生き方なんだっていうのがすごく一貫しているし、あとやっぱり僕ら、現代に生きる僕らにとってもすごくやっぱり共感しやすい考え方だと思うんだよね。
やっぱり戦後から高度経済成長時代とかっていうのは、割と理想的なもの、社会でも同一のベクトルって作りやすかったと思うんだけども、日本においてというかね。
それがやっぱり今はもうちょっと多様性みたいなね、なった時っていうのは結構近いのかもしれないよね。神みたいなものだったりとか、信じてたみんな一緒に行こうというゴールっていうものがちょっと由来だ時、
自分のゴールを作ってくれって言われても、前回かな、神と一緒でさ、絶対的な神がいないよ、自分の神探してねと、絶対的なゴールはないから自分の人生だったりとか、自分のゴールだったり自分の幸せは自分で探してねって、
いきなりパッとさ、離されてもさ、それを自由だよって言われても、いやちょっとってやっぱりなるもんね。
そう、そうなるね。
いや、そっちの方が楽だったし、そのゴール取っといてよ、そのゴールみたいなさ。
そう、そう、導いてくれってやっぱりなるじゃない。
いきなり端も離されてもね、自由という名のなで。
だからそこもまあよしよしというか、なんか同じようなね、なんかその揺らりみたいなね、自分の立っているところの揺らりみたいなのは近いかもしれないね。
なので、ちょっとね、今回でニンチャーはだいぶこう、いわゆる説明的なお話は以上で、
ちょっと次回ね、さっき言った通りニンチャーは結構言い回しとか独特な部分があって、それはそれですごく味わい深いなと思っているので、
ちょっとそのサラテストラのなんか僕が好きなというか、気に入ったところをちょっとピックアップしながら、
あまり例言収にはしたくないんですけど、ここまでね、聞いてくださった方なら、
「あ、こういう風に言ってるのね」とか「ニンチャーはこういうことを考えた上でこんな言葉を使ってるの」っていう風に楽しんでいただけるかなと思うんで。
楽しみ、おーおーおーいいね。
そんな感じでちょっと、雑談の前に一回挟んで、それを一回やった上で、雑談会としてニンチャーの締めくくりみたいにしたいなという風に思っております。
了解ね。じゃあ次回はもうちょっとあれだね、これまでよりもライトにこう、ニンチャーの言葉そのものを楽しんでみようかなみたいな感じかな。
はい、という感じでね、ちょっと気楽にまた聞ける回だと思うので、
皆さんも聞いていただいて疲れてる方もいらっしゃると思うので、気楽な形で楽しんでいただければね。
45:01
了解です。
わかりました。じゃあ次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございます。
[音楽]
45:17

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