1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
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2023-09-24 48:34

#148 【プラグマティズム雑談】小手先のテクニック/若い頃の万能感/チーム競技ができない/自分と人類の優先順位

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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サマリー

今回のプラグマティズムの雑談会では、プラグマティズムの実践の意味や哲学との関係について話し合われています。普通に考えていると、人間が見落としがちなことや、若い頃の万能感を持っていましたね。それは一つのスタンスです。私は、プラグマティズム的な考え方を知ることで、自分自身を変えることができるようになったのではないかと思います。プラグマティズムを通じて、人生の主体性やチーム競技の重要性について考えています。また、プラグマティズムの役割と意味についても考えています。さらに、組織の形態やプラグマティズムとプラトンの違いにも触れています。今回のエピソードは、プラグマティズムについての雑談でした。話題は多岐にわたり、ソウル鉄道省や血縁関係についても言及されています。

プラグマティズムの実践の意味
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回はプラグマティズムの雑談会ということで、ゆるゆるといきたいと思います。
はい、お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
どうでした?プラグマティズム。
思ったより長かったね。最初から早くは長くなりそうとは言ってたけど、結構ね、何回?7回ぐらい?6回か。
結構やったね。
そうだね。やっぱり発展系みたいなものを追ってた時にさ、やっぱりどうしても一回で収まりきらんとか、むしろ収まんないのを無理やり収めたみたいでね、長くなっちゃったところもあったけど。
はいはい、まあ確かにね、6回でもだいぶゆるゆると進めましたよね。
でもどうでした?結構長く聞いてもらって、プラグマティズム、結構面白かったって最後の方言ってくれてたけど。
ああ、そうだね。このプラグマティズム、最初聞いた時にやっぱりほら、実践的な哲学とかいうような哲学みたいな和訳というかね、プラグマっていうのはもともとそういう意味だっていう話もあったけれども、
なんか今回全部聞いて思ったのがさ、やっぱりもともとこのそれ哲学を聞くまでだったりとか、今でもそう思ってる部分はあるんだけども、哲学って結構さ、やっぱり実学から離れてる、実学じゃないイメージあるじゃん。
あるある。
暇な人がやるとか、ちょっとこう属性離れした人が空想に吹けるみたいなさ。
あるあるある。
みたいなイメージがあったんだけれども、このプラグマティズムに関しては、その猶予とか実践っていうのがだいぶその哲学っていう学問っていう意味で、すぐ例えば何かが上手くできるとかさ、テクニック的な話ではない。
そうだね。
実践っていうのは最初はテクニック的な話だと思って、どうせ使えないだろうって逆に思ってたんだけど、やっぱり大きな意味で、哲学を人生とか日常生活、もしくは何か考えるときに使えるって意味で、そういう意味でも猶予、実践っていうのはなんか理解できたかなと思った。
はいはい。
なんか使える哲学っていう感じはした。
使えるというか使うためのか。
はいはいはい。
そうだよね。
だからやっぱりプラグマティズムは方法論が大事みたいな感じでさ、どういうふうに物事を考えるか。
それは科学的なのか、内的なものなのかとかっていろんな話をしたと思うんだけど。
プラグマティズムの結びつける力
やっぱり僕も哲学ってむしろ世の中からちょっと離れてるのがいいみたいなさ、やっぱりそういう感覚があって、世の中の細かいことに煩わされずにもっと大きなことを見るんだみたいなさ。
うんうんうんうん。
そうそうそう。やっぱりそういう考え方が前提としてあったから、あんまりプラグマティズムってもともとそんなに興味ないなとか、それって別にわざわざやる意味あるんだっけとかって思ってたんだけど。
なるほど。属性と接続してたまるかみたいなね、逆にむしろと。
そうそうそう。でもやっぱりね、こういろいろなことをやっていくうちに、結局やっぱり現実で何かを成し遂げるって大事だよなとか、それこそ浮世離れし続けてても、それはね、資産家とかで一生に困らん金があるとか言ったらいいかもしれないけどさ、そういうわけじゃなくて、現実でみんな生きてるわけだから。
そういう中ではちゃんと現実に役立つとか、現実に生きてる自分にとって意味がある哲学ってなんだろうと思うときに、やっぱりプラグマティズムはいろんな人に意味を与えやすい考え方なんだろうなっていうのは思ったんだよね。
はいはいはい。そうだね。プラグマティズム自体もそういう属性の、これまでも哲学と一般社会との架け橋なんて多分思っていないっていう感じもしたしね、今回の話できっと。むしろやっぱこれまでも哲学は違うよみたいな話をしちゃってるみたいなところもあるもんね、そういう力強さみたいなね。
そうだね。なんかやっぱり哲学は乗り越えられない感じだから、これまでも哲学をどう結びつけるかじゃなくて、全然違う、それこそ真理に対する捉え方とか、また自分もめっちゃ言いながら面白いなと思ったけど、結局その、不確実性に耐えられない人間がやってきたらこれまでも哲学だみたいな話ってあったじゃない。
はいはいはい。
全部が明らかにできるっていうのも一つのスタンスというか価値観だし、でもそれっておかしくないっていうことを言うことで、新しいものの考え方を出してったみたいな話があるから。
うんうんうんうん。
だからそういうのはね、やっぱりすごく面白いし、自分もそうだなって感じる部分があったんだよね。
まあ逆に幸せに生きると、何かの幸せってものにやっぱり縋っちゃったなーとか、それがあると思い込んでたなーみたいな。
そうそうそうそう。その方がやっぱり楽じゃない。これが幸せですって言ってもらった方が楽だし、これは偏差子教育の弊害とか言ったら言い過ぎかもしれないけど、やっぱり答えがあるって思った方が安心するじゃない。
うんうんうん、そうだよね。
自分はそれを知らないだけでどこかに答えがあるって思えたら楽なんだけど、いやいや人生そんなもんじゃないよみたいなのをね、やっぱりプラグマティズムは言ってんのかなーみたいなことは自分でも台本作りながらとかね、兄貴と喋りながら思ってましたけどね。
はいはい。なるほどねー。そっかじゃあ本当にあれなんだね。哲学これまでやってたとして、プラグマティズムはちょっとあんまり触手が伸びなかった感じなの。
うんうん、伸びちゃった。
イメージでね、実践的みたいなイメージで。
そうだし、哲学って例えばカントはこういうこと言ってるとかさ、デカルトはこんな主張したとかってなんとなくまとめてくれてるのがあったりするわけだよね。
はいはいはい。
それはやっぱり彼らは答えを見つけたとか、自分の中ではこれがある種正解だって思ってるからそういうまとめができるんだけど、プラグマティズムって答えが別にないから、そういうのを求めようっていう考え方じゃないから。
なるほどなるほど。
そうそう、プラグマティズムはこうであるみたいなのを読んでも、なんかよくわかんないんだよね。
うーん、ある意味その自分の人生を指針になりづらいみたいな話だね。
そうそうそうそう。
目標を与えてくれないみたいなね。
与えてくれないとか、結局なんかちゃんと読まなきゃこれわかんないなって思うと、とりあえずちょっと読む、今時間にしたみたいになる。
あと今、もうちょっとこう答えじゃないけどね。
うんうん、わかりやすいもの。まあ分かりやすくはないんだけど、そういうね答えを与えてくれそうなものからやっぱりどうしても読んじゃうみたいな。
そういうのもあれなんだね。たぶん今回プラグマティズムを聞いた後で考えると、そういった有名な例えばカントンみたいな人とか、いろんな人いると思うけど、そういう人もプラグマティズム的にその方法論をちゃんとある程度した上で、その人なりにたどり着いたその人にとっての意味みたいな。
うんうん。
ただそれがいろんな人にとって受け入れやすかったとか、そういう話に過ぎないみたいな感じになっちゃうのかな。価値観の一つでしょみたいな。ちょっと相対主義っぽくなっちゃうけどそういうとね。
プラグマティズムの真理とバイアス
まあやっぱりそれは相対主義的に、それぞれの主観で真理があるっていう話になるともちろんそういう感じになるし、どっちかっていうとプラグマティズムの観点から言うと、みんな結局何かを明らかにできる。
心理とか神の説理っていうのが先にあって、人間の先にあって、それを解き明かすのが哲学だみたいな。そういうステージで物事を考えたり喋ったりしてる点では全員一緒で間違ってるっていう。
あーそこまで言っちゃうんだ。
そういう感じだよね。
結構厳しいんだね。
厳しい。
これまでの哲学に対する姿勢は、指摘は。
でも言ってたと思うんだよね。哲学者が、前も言ったかもだけど、こんだけ2000年も何千年もやってきて、いろんな偉大な哲学者がいるけど、結局お前ら全然正反対のこととか言ってるじゃんみたいなこと言われたら、それはそうですみたいな感じになると思うんだよね。
まあね、でも俺が正しいんだって言いそうだけどね。
そうそうそう。言いそうだし、実はみんな同じことを言ってるんだけど言い方が違うだけなんだとかっていう、いろんな言い方はあるんだけど。
はいはいはいはい。
そうそうそう。でもそれって結局真理が一つっていう世界観で喋ってるだけじゃんって言われたらおっしゃる通りですみたいな。
うんうんうんうん。
なるほどね。
そこの違いとか、あとこれはちょっと今日仲良かったら喋りたいなと思ってたんだけど、やっぱりそういうふうに思う人たちが言っているようは、自然にというか無意識に一つの真理があるとか、そういう人間のバイアスってあると思うんだよね。
はいはいはい。
でもね、面白いのがそういうのを知ると自分もそういうバイアスとか偏見に囚われてるかもしれないって思えるのがあって。
うんうんうん。
そう、で一個ね、これちょっと前に読んで面白かったのが、先継思考っていわゆる比例的に真っ直ぐ伸びていくっていう話と、
うん。
非先継思考っていう、進めば進むほどグイッて伸びていくみたいな。
うーん。
なんかそういうのがあったときに、人間はやっぱりどうしても先継的に考えがちだから、
うんうんうん。
非先継のグイッと伸びるみたいなやつを考えるのが苦手だみたいな話をいろんなことがあるのね。
うーん、そうなの。はいはい。
これってどういうことかっていうと、例えばさ、あのー、何だろうな、ネズミ山とかさ、人口爆発みたいなのってあると思うんだけど、
うんうんうん。
要はネズミがさ、最初は1匹が2匹に増えて、4匹に増えてってなってくんだけど、
うん。
それを要は10回繰り返すと、何かもう千匹とか何万匹みたいな、方もない数になってるみたいな話ってあるじゃない。
はいはいはいはい。
うん。
ま、そんな感じに、こう、普通に考えたら、
いやでも1匹から10回子供生まれても何か数十匹ぐらいじゃないみたいに考えちゃうのが、
いや実はそうじゃないみたいな話があって。
あー、なるほどね。そのー、人間の素朴なイメージとネズミ山はだいぶかけ離れてるって話ね。
あ、そうそうそうそう。
はいはい。
で、なんでかっていうと、ま、これもちょっといろんな説あるらしいんだけど、
普通に生きてるとそんなに急激に物事が変化するってない。
要は目の前のさ、例えば、ま、ライオンでもトラでもいいんだけど、
そのトラがさ、いきなりさ、時速10キロからいきなり1000キロになることはないわけよ、普通に生きてて。
はいはいはい。
襲われるとしてもね。
だから人間っていうのは、ちょっとずつ速くなったり遅かったりするけど、
それに対処すれば生きていけるみたいな、例えば世界観でしたと。
なるほど、スピード感がね。はいはいはい。
そうそうそう。でも今こうやってデータとかITの世界になると、
さっきのネズミ山とかはさ、ま、言っても数ヶ月とか数年単位の動きだけど、
そのデータとかがもう瞬時に大きくなっていって、
本当に1週間で、なんか、ま、パンデミックとかもそうなんだけど、
要は1日でまだ100人だったのが、1週間後にはなんか10億人にかかってるみたいなことがあるわけだよね。
はいはいはい。
人間の限界と先継的な考え
そう。けどって、普通に考えてると人間で見落としちゃったりとか、
10人から500人になったら、全然、ね、じゃあ来週でも2500人でしょって思っちゃうんだけど、5倍5倍で。
うんうんうん。
でも2500人になったら今度はその、10、なんだ、50倍の、やっぱ何億、何千万になるみたいなことを、
うんうんうん。
やっぱりこう、本当は考えなきゃいけない。
うーん、はいはいはい。
でもそれが人間はできないんだみたいな話を読んで、
うんうん、え、そうなんだ。
そうそうそうそう。やっぱ苦手らしいんだよね。その、そもそもの、ま、脳の作りなのか、
そういう発想が鍛えられてないのかってちょっとわかんないんだけど、
うんうんうん。
そう。っていうのはもうやっぱりバイアスというか、やっぱり人間の自然に考えたら、
そういう先継的な考えになっちゃうっていうのを知ってるだけでも、
うん。
やっぱりこう、なんだ、物事の見方とか捉え方が変わるなって思うんだよね。
うーん、なるほどなるほど。はいはい。
そう。みたいなのを今回のそのやっぱ人間、ま、それはみんなじゃないかもしれないけど、
やっぱ普通に考えると曖昧なものを排除しようとするとか、
なんか一個の答えに縋っちゃうみたいな、
うん。
っていうのを、なんかそれって一個のスタンスだよねっていう風に知ってるだけでも、
なんか自分をちゃんと変えり見れるようになったかっていうのを思ったんですよ。
うーん、なるほどなるほど。確かに。今の例で言うとそうだよね。
例えばそういう考え方、例えば非先継的な考え方も持っておきましょうねっていうのは、
うん。
今回の話で言うと、ある意味それは一つのあの、なんだろうな、哲学だよね。
認知の考え方を知っていきましょうねに近い感じがするよね。
そうだねそうだね。
プラグマティズムが言ってるのはおそらく、
うん。
自分たちの限界があるよね、みたいな。
おー、はいはいはい。
自分たちってそういうことあるよね。
先継的に考えてるような、黙ってると。
そうなっちゃうことってあるよねって自覚しとこうねっていう部分にアプローチしてる気がするよね。
あー、そうだねそうだね。
だからさっきので言うと、じゃあ僕たちは先継的に考えるがちだから、
非先継的にも考えましょうねっていうのは一つの知識、一つのテクニックでしかないわけで、
それでやっぱりありがたいやりがたいやって言ってると、結局何も成長してないと思うんだよねそこは。
はいはいはい、あー面白いね。
だからその分一個例えば賢くなりました、成長しましたって言えるのかもしれないんだけれども、
若い頃の万能感と失敗
それって、ただ道具が一個増えただけで根本は変わってないよね。
そうだねそうだね。
だからそうしたら、非先継でもどっちでもできない時どうするのとかっていう限界が来るから、
やっぱ自分たちの限界を知っとく。
まあ無知の知じゃないけどね。
なんかそういう、そこを必ず根底にしておくってすると、例えば何か不確定なことが起こるとか、
将来のリスクを予測しなきゃいけないっていう時に取り得る手段とか考える幅とか、
あとは自分たちの限界みたいなもの。
そこを前提としてたどり着く場所が多分プラグマティズム的になるよね。
そうだねそうだね。
そうすると、その中の一つとして自分たちは先継的に考えがちだ。
だから非先継的にも考えた方がいい。
でもさっきまでの人はさ、その2つしか道具がないわけで。
知識を集めた人はね。
だからこのプラグマティズム的かわからないけれども、土台にアクセス、アプローチしてる人は、
いやそれでも足りないかもしれない。まだ何か見落としてるようなことはないかってことを考え続けられる。
もういろんな、例えば専門家に聞くなり、誰かに聞くなりして、
とにかく今できる限りの考えはしたぞ。もう人事を尽くしたぞと。
これで何か起こっても申し合わないというところまでできるかと。
もしくはある程度皆さんが納得できるところまでこれでいきますっていうのが出せるみたいな。
そこはね、意外と外から見えるとわかんないけどね。
そこはいろんな道具を持ってる人とも同じようなことできちゃうかもしれないし、
それで賛同を得られる場合も多いと思うから。
実生活で言うとね。
だからやっぱプラグマティズムは、たぶん哲学にそこを見たんじゃないかなって思った。
外から見るとすげえ賢いこと言ってるし、すごいもの知ってるし、いろんな道具を持ってるし、すごい結果出してるんだけど、
でも実はそれって予算集めじゃないみたいなね。
今同じじゃない?その根底のところどうした?みたいな感じがする。
面白いよね。
急に本質がついてくる感じが面白いよね。
そうなの?
今例えば先継志向と非先継志向ってあったときに、僕の中で一旦その二つで完結しちゃうんだよね。
なんとなくそれで全部一定説明できるような気がするから。
もちろんカオスとか全然ランダムとかってあるから、そういう意味ではね。
僕はやっぱり知識が欲しいのよ、どっちかっていうと。
パニックはそれを自分なりに考えたときに、これが見えてないとか、この辺がわかんないとかってちゃんと言ってくれるじゃない?
そこは気をつけてる。先天的にできてたことではなくて、自分もそういうテクニックを集めるのが好きなタイプだし、今でもそこは気をつけてるの。意識してる。
なるほどね。なんかあったの?そういうタイミングというか。
前も話したけど、やっぱり仕事とかは挫折だよね。
なるほどね。
やっぱり、なんとなくさ、若い頃の万能感ってあるでしょ?
あるある。あれだよね。要は俺は何でもできるとか、他の人間より自分は優れているみたいな感じだよね。
他より優れてるっていうよりは、俺は何でもできるのが近いかな。
そっちか。
限界を知り、自分を変えていく
特に人と比較してではなくて、例えば将来何の職業になりたいですかっていう時に、その可能性が無限に広がってる感覚だったりとか、
勉強すれば、練習すればこれもできるようになるだろうみたいな万能感ってあると思うけど、
あるある。
そういうのが人によって挫折だったりとか失敗だったりとか、もしくは何らかの気づきを得るタイミングって人によってすごい違うと思うんだけど、
それが自分の前言ったら30前後ぐらい遅かったんだよ。すごく遅かった。
言ってたよね。
そうそうそうそう。だから気を捨ててる感じ。
そこはね、多分もう何も考えないとそっちに行っちゃうんだよ、今でも。
そうなのか。
そういう感覚になっちゃう。道具集めてくらっちゃう。だからなるべく気を捨ててるみたいな感じかな。
それはね、やっぱ小学校とかさ、若い時にすごいスポーツ真面目にやろうと思ってダメだったとか、めちゃくちゃ勉強しようとしたけどなんかダメだったとか、
何でもいいんだけどさ、本気で取り組んで失敗したとかってあると、あ、自分って限界があるんだ、自分は例えばパイロットにはなれないんだ、宇宙飛行士にはなれないんだ、みたいなね、
ことを本当に気づく。
なんならだって例えばさ、うちらとかってもしかするとさ、30歳とかでもさ、今から本気でやれば宇宙飛行士になれるとかって考えちゃってたかもしれない。
全然あるある。あると思うよ。
小さい時ってさ、可能性生まれた瞬間って可能性が無限に広がっていって、それをつかみに行く感覚ってあると思うんだけど、
自分から一本の線が伸びてて、そっからアリダクジというか、なんかバババーってさ、無限に広がっていって、じゃあ自分はどこに行こうかなっていう感覚があると思ってたよね、自分は。
はいはいはい。
だけど今は真逆で、生まれた瞬間は一本じゃなくて生まれた瞬間、もう生まれた方もゼロ秒時点では選択肢は無限なの、確かに。
なるほどね、その瞬間はね。
だからその中から、どこの一本にたどり着こうかという意思という順番なの。だから可能性は広がってないんだよね。可能性を狭めていく作業だと思ってるの。逆にみたいな、そういう感覚かな。
ごめん、ちょっと話ずれたかもしれないけど。
面白い、なんか宇宙の始まりみたいなこと言ってるなって思って。
そうなの?そうなの?
いや、やっぱ結局さ、面白いのは、最初の瞬間っていうのは確かに無限というか、何が起きるかわかんないね。でも生まれた瞬間に、子供からしたらね、生まれた瞬間にそもそも自分の両親がどんな人であるかとか、そもそもここが日本であるかアメリカであるか、他の国であるかとかっていうことがどんどんどんどんその可能性を狭めていくわけだよね。
それが明らかになることに、ごとに。
自分が長男なのか、例えばね、後男なのかとかでも多分変わってくるしとかってなったときに、生きていくごとにやっぱりそこは限定されていくようなみたいな、それって宇宙とかも始まった瞬間からいろんな原子とかがぶつかって、どういう物理現象が起きるかとかによって多分、
無限だったというか、本当はもうもし神みたいな人がいたとしたら、別にそれも作った一歩の筋の上を歩んでるんだけど、
でも作られた宇宙観点から見たら、どんどんどんどん可能性が狭まってるように見えるみたいな。
安定していく。
安定していくとか、逆に言うと100億年経ったら、今150億年経っちゃったらもう変わりようがないみたいなさ。
そんな新しい星もめっちゃ生まれないしみたいなね。
そうそう、生まれないしとか、生まれる数も別に爆発的に増えたり減ったりしないしみたいな、例えばね。
赤ちゃんと子どももさ、やっぱ10年経ったら、まだいろんな未来はあるかもしれないけど、
それこそ1歳とか2歳の頃よりはちょっと制限かかってるよねみたいな。
けいさんに近いなって思った。
なるほどなるほど。ただ今のハエトのやつだと、それってやっぱり自分が一本の線で始まってて、
ただその可能性が狭まっていってるだけ。
だからまだたった今生まれた時は1000個あった可能性が、10歳の時は100になりました。
15歳の時は50になりましたみたいなイメージだと思うけど、逆なんだよ。それすらも。
自分で選んでいく感覚なんだよ。
あー、そういうことね。
どんどん狭めていくぞっていう。
それがただ100が50になるんじゃなくて、今は確かに100なんだろうな。
順番逆なんだよね。今目の前に100あるのを50に狭めてどの一歩に向かっていこうみたいな。
はいはいはいはい。
50ありそうだな、ではないみたいな。
うーん、なるほどね。
だからそこにちゃんと意思というか、自分なりの働きかけがあるわけだよね。
あるね。あるねというか、あればよかったなっていう後悔が、どっちかというと自分の人生からする。
まあね、まあね。それはプログラマティズム的だよね。
要はちゃんと世界に働きかけて、自分なりの真理というのを見出していって、こっちが正しかろうと歩んでいくっていう感じだから。
そうだね、確かに。
主体的な人生の価値観
主体的に人生を作っていくっていう価値観だよね。
うんうんうん。
まあいいな、羨ましいなと思うっていう。
はいはいはいはいはい。
まあそうだよね、難しいよね。
いやー、なんかその辺は色々考えちゃうな。考えちゃうってあれだけど。
うん。
それともなんか、ハヤトどっちタイプだったみたいなのはある?
なんかその、やっぱ可能性が無限に広がってる感じだとさ、
やっぱここの勉強をすればこれになれるはずだとかさ。
うんうん。
それがまたその、表面的には同じに見えたりもするんだけど、
意外とやっぱりね、スタンスが違うなって。
はいはいはい。
今回のプラグマティズムでちょっとこう、
まあ確かにね。
うん。不倫化されたというか。
うんうんうん。いや、でもあるある。やっぱりなんかこう、
努力、本当の意味でやっぱ努力をしたのって多分、
それこそ兄さんも近くて、社会人になってからで、
うんうん。
それまでやっぱどっちかっていうと、多分なんだろうな、
なんか普通にやってれば、
勉強とかだったら一人でもできたとか、
まあそういうところで恵まれていたとは思ってるんだよね。
うんうんうん。
でもただその、社会に出た瞬間に、
そのやり方では通用しないってことがまあ分かるわけじゃん。
まあね、ルールが変わるからね。
そうそうそうそう。
うん。
だから別に正解があるわけでもないし、
うん。
なんだ、何か勉強をしてたら評価されるわけでもない
っていう風になったときに、
うんうんうん。
だから教えてよって思ってしまったよね。
それも教えてよなんだけど。
そっかそっか、まあ言ってたもんね、そうだよね。
そうそうそうそう。
社会のルール変わるんならそう言っといてよ、
そしたら大学、学生の時からいつなの?みたいなさ。
うんうん。
なんか自分で考えろだとか、
なんかそういうこと言われたときに、
いや、正解あるだろうみたいな。
会社なんだから答えあるだろうみたいなね。
そうそうそうそう。
と思っちゃったみたいな話をしてたもんね。
上司から、仕事には正解がないんだって言われて、
もう途方に暮れるみたいなね、
あの少年。
少年って言ってももう23歳とかだけど。
じゃあどうやってね、この世界回ってるんだろうみたいなね。
そうそうそうそう。
っていうのを、やっぱり僕も思ってたんだよね、
やっぱりそういう意味では。
うんうんうん。
まあ、そうだよね。
それはね、でも傾向としてはあると思う。
たぶん、いわゆる学業、お勉強ができるようなタイプの人。
そうそうそう。
まあ、そこにもね、天才肌みたいな人はいて、
勉強できてかつその辺のセンスも備わってる人もいるんだけど、
そうね。
傾向としてはね、そこで結構ね、
点数取れるからいいやってなると、
社会出てから、あれ、実はこれじゃなかったみたいな。
そうそうそうそう。
あると思う。
ある。あるし、まあこれもちょっとステロタイプ的なんだけど、
まあやっぱり今ね、キャリアデザイナーとしていろんな方とお話ししてるじゃないですか。
うんうんうん。
やっぱりチーム競技で全国大会に行ったとか、
そこまでなくても、
チーム競技と個人競技の違い
なんかその、やっぱりみんなで目的に向かって、
切磋琢磨とか動力しつつ、
なんかこう進んでいったみたいな人が、
やっぱり今の日本社会とかで行きやすいだろうなって思うことはよくある。
行きやすい。
行きやすい。
これはまあちょっと僕のひがみも若干見てるかもしれないけど、
うん。
やっぱりそもそもさ、チームで何かを達成するとか、
そこに本気になれるみたいな話って、
やっぱすごく素敵なことだと思うんだよね。
うんうんうんうん。
僕みたいにちょっと冷めてるやつがいてさ、
ちょっと全国優勝って言ってるけど、どうしたら無理じゃんとかって、
やっぱ思ってる人が混ざると、
若干こうやっぱり、
別に順度が下がるわけよ、やっぱりそこって。
まあそうだね。
確かに目標を達成できるかどうかはともかくとして、
そこに向かう熱量は下がっちゃうって話だよね。
そうそうそうそう。
だからまあ結果が全てとも言えないじゃない。
もしかしたらスポーツはそうかも。
でもスポーツは今そうじゃないって話もあるけど、
仕事って別にね、
じゃあ本当に何か一回クリアできなかったら死ぬかってそんなことなくって、
やっぱ常に頑張り続けるとか、
やっぱりみんなで前に向かい続けるみたいなことが一定求められるとした時に、
やっぱそういう経験をちゃんとしてるとか、
自分が集団の中でどういう役割を果たしてきたかっていうのを自覚してる人は、
やっぱ強いなと思ってて。
はいはい、なるほど。
だからそれもやっぱり、
そういう本気で何かをやった時にやっぱ上手くいかなかったこととか、
自分が何かをやろうとした時にそれが周りに伝わらなかったって、
やっぱ悔しい経験をしてる人ほど、
やっぱりそこに対して乗り越えたってやっぱ経験を持ってらっしゃるなって感じることがあるんだよね。
はいはい、なるほど。
僕みたいに勝ち負けとかちょっといいんすわとか、
ちょっと他の人に迷惑かけるのもかけられるのもええだから、
ちょっと個人拒否でやりたいっすわみたいな、
ちょっとそういう人間はね、やっぱりね、
しっかり大変なんだよね。
そんな観点で急動を選んだの。
うん。
そうだよ。
卓球も基本そうだし、急動もやっぱり一人、
もちろんね、団体、それに引き付くのが高3の夏なのよ。
実は急動は団体競技であったっていうのを気づいたのが高校3年の夏で、
もう手遅れだったんだよね。
ああ、そこは高3だったんだ。
プラグマティズムと道具の使い方
高3だった。
やっぱみんなで頑張るっていうものだったんだっていうのを、
最後の大会で負けたときに気づいて、
もう自分の中では若干トラウマというか、
今でも割と残ってるんだけどそれは。
どういう意味でそれ、
選ぶ競技間違ったなっていう。
いや、なんていうのかな。
でも二つあって一つは、
それにちゃんと気づいてればもっと頑張って変えれたのにっていう思いもあったし、
やっぱり勝ちたかったんだよね。
それは県大会行きたかったんだよね。
でもやっぱ悔しくて泣いたみたいな自分に気づいたときに、
もっとできることあったなっていう後悔が一つと、
あとはでも確かに個人競技だったらよかったなみたいなことは思ったかな。
まあそう両面はあるわけだよね。
両面はある。
でも本当に個人競技だったら、
それこそ個人で1位になるぐらい頑張ったかって、
たぶんそこまで頑張ってもいないから、
結局ちょっと中途半端なんだよね。
やっぱ自分自身が。
なるほど、部活ね。
やらなくていいんだからやらなかったよむしろぐらいのね。
それはあるね。
楽しかったしね。
楽しかったしそこまで浮世離れした人間でも別にいないから、
あれなんですけど、
でも難しいよね。
本当の本当では何もせず山奥こもって一人で過ごしたいって思う気持ちもどっかにもあるし、
それが実現できるかどうかは別としてね。
それは山奥で一人で生きていけるのかって言われたら、
たぶんできないだろうっていうのも今わかってるから。
まあね確かにね、どっちか選べって話でもそれこそないもんね。
やっぱりそれこそ両面性みたいな話で。
ちょっと何の話しか考えられないけど。
でもやっぱりそういう自分の生き方が、
やっぱり今30歳になって家族ができたりとか、
仕事でいい仲間に出会っていろんな会社を経験している時に、
やっぱり自分だけじゃなくて他の人にとってもいい影響をある種与えたいし与えてもらいたいとか、
そういう人と一緒にいい現実を作っていきたいってやった時に、
やっぱりこういう経済学的に、
いや心理はこうだって話よりも、
いや俺らは今こういう状況にいるんだから、
もっとこんな風に前に進んでいこうよみたいな、
プラグマティズム的って言うとちょっと広すぎるけど、
今の現実からどうしたらもっと良い未来を作れるかっていうのを考えていこうよみんなでみたいな、
やっぱりそういうスタンスはすごい大事だと思ったし、
逆に自分自身が今そういうことを大事、必要だから、
なんかこういうプラグマティズムが刺さったのかなっていうのも思ったよね、ついに。
ついに、まあ確かにね。
ついに。
答えじゃなくて、道具じゃなくてっていうね。
答えじゃなくて、そうそうそう。
道のりとか方法っていうのがやっぱりこう役立つみたいな。
始めて逆に役立つ状況にあるみたいな感じかな。
確かに、でも考えてみるとさ、確かにそうで、これまでの鉄ラジオのさ、いろんな人取り上げたけれども、
やっぱりその人の考え方自体、主張自体に同意することももちろんあるんだけれども、
やっぱりそれまでのさ、どういうふうに何を乗り越えて、
どういうふうに土台を作って、どういうふうに積み上げてそれを作ったみたいな、
やっぱりこの説部分に感動するっていうのがあったと思うから、
はいはい。
そういう意味では、じゃあプラトン勉強しなくていいかとかさ、
プラトンは無意味かとかさ、そういうのもないんじゃないかなとも思うしね、一方で。
そうだね、そうだね。
だから、たぶん鉄学って年齢が上がったから楽しめるみたいな話も一般的にあるとは思うんですけど、
やっぱりそうなると、世の中の具体的なことをやってきた中で、
もうちょっと自分の人生とはとかさ、例えば。
いわゆる後輩とかも含めて人生をどう豊かにするっていうのを自分自身もなし、
周囲の人も伝えていくかみたいなことを考えたときに、
そういう物事を深く考えるとか、
普通の水を出すようなことにちゃんと焦点を当てて、
そこに取り組む、取り組み方を理解するとかっていう意味では鉄学っていうのは役立つと思うんだよね。
そういう意味ではやっぱり、いつ役立つかとかさ、
道具もそうだけど、やっぱりそのシチュエーションにいないと道具って意味を出さないわけじゃない。
包丁もさ、ただキッチンにいれば役立つわけだけど、
街中で包丁とされても不審者になっちゃうだけみたいな話があるとして、
やっぱりシチュエーションとセットだなっていうのを今話しながらちょっと思ったね。
そこそこ普遍の真理はないって話だね。
プラグマティズムの役割
この包丁絶対どこでも役立つみたいな話ではないよって。
そうそうそうそう。っていうのは思った。
だから鉄学も多分そうだよね。
だから人生においてプラグマティズムが役立つ人とかシチュエーションもあれば、
プラトンとかソガテスが役立つシチュエーションとか人もいればみたいな。
そうだね、確かに。
組織の形態というか、国なのか会社なのかサークルなのか部活なのかとか、
いろんな多分組織だったりとか共同体ってあると思うから、
その規模とかね、その時々に応じて多分違うんだろうね。
さっき言ったように弱小チームが優勝するぞって頑張ってる時に、
このチーム無理っしょとかって、それもまた違う。
さっきハヤトが言ってたよね。
それもまた違うもんね。
そこの優勝とか書いたものを、
それがプラグマティズム的なのかプラトン的なのか知らないけど、
もうそこをみんな合意したならば、本気で進もうよっていうのは、
それはそれで大切っていう部分もね。
組織の形態とプラグマティズム
常にやっぱり今の状況を見ると無理っしょみたいなのは、
ちょっと切ない部分もあるもんね、それは。
そうだね、そっちは割とちょっと実音、
あんまり何々的って使いすぎるのもあれだけど、
やっぱり実音主義、人生の意味とかそれをどう引き受けるかだよね。
じゃあ優勝、全国優勝だって掲げた時に、
やっぱりそこに自分がコミットするとしたらどうやったらできるかとか、
そういう意味を自分から作っていくっていう態度は、
それはそれで素敵だし、
でも論理的理性的にね、
そんなものには自分は人生の時間を割く必要はないって言って、
他のことをやるのもそれはそれで自由だしっていう感じになるんじゃないかな。
でもやっぱりさ、いろいろね、
このソレデスアジアム150回くらいになりますけど、
やっぱりこうやっていろんな人の話をしたからこそ、
ああいう考え方もあるとかね、
プラグマティズムと自己中心的な考え
こういう人だったらこういうかもしれないみたいな、
そういうのができてきてる気がするよね。
まあね、覚えてないんだけどね。
平気はね。
フワッとしか覚えてないんだけど、
ただこういうプラグマティズムみたいな、
これまでの哲学全部ひっくり返しましたみたいなさ、
やつが出てきたときの違いは何となくこう、
確かにそうかもねっていうね。
そういうのは何かありがたいかな。
やっぱいきなりじゃあね、
いつも言うけど1回目プラグマティズムは言われてもね、
そうだよねって言っちゃうかもしれないしね。
そうだよね、確かに。
そうなんだみたいなね。
確かにそれがね、ちょっと哲学っぽくないみたいなのを
何となく感じられるっていうだけでもなんかすごいことだよね。
そうだね、そうそう。
それやっぱ哲学のイメージがないと感じられないからね。
それは本当そう。
間違いない。
いやー面白いですね。
面白いしやっぱあの本当に反省した。
もうなんか哲学好きとかって言ってるけど、
好きは好きだからそれはいいと思うんだけど、
別になんかやっぱ哲学のこと何も知らねえな、
やっぱ自分って思ったしプラグマティズムをやってね。
はいはいはいはい。
次のウィトゲンシュタインもそうなんだけど、
これまた次回第1回で言うんですけど、
ウィトゲンシュタインのこと何となく知ってる気になってたのよ。
なんかちょこっと読んだりとかしてて。
本とかは読んでるわけね。
そうそうそう。一応本はね、
ザッと目を通したりとか何となくこう、
ウィトゲンシュタインとはみたいな伝えてるものを読んだ。
そうやってたんだけど、
全然知らんなとか、
文字を追ってただけだったんだな、
みたいなことをやっぱり思うわけよね。
なるほど。はいはいはい。
そうなるとやっぱり自分哲学のこと、
当たり前なんだけどやっぱ何もしないし、
やっぱりもっと勉強したいなっていうのをね、
最近改めて思ってるんですよね。
確かにね、初回とかね、
もう俺全部知ってますって言ってたもんね。
言ってたかもしれない。
割と詳しいですよみたいな言ってたと思う。
しかも恥ずかしいですよね。
もちろんね、そこまで傲慢じゃないですよ。
10年以上の積み重ねはあるよなとは思ってた。
思ってた思ってた。
あったし、やっぱりそれがあるから、
改めてそれなりに、
解説書を読んで、
何となく理解できるレベルなのよ。
解説書を書いてる人は、
30年の読者人生を懸けて、
この本、解説書を書いてとかって言ってるわけよ。
それはすいませんでしただよね。
分かったつもりになっててみたいな。
そうそうそう。
多分それはちょっとね、
初心者、初学者あるあるでね、
ちょっとやったら何か分かった気になって、
それこそ素人質問ですけどって、
学者さんに言われるみたいなさ、
多分そういうのなんだろうなって思ってるんですけど。
いやいいね、とても健全な態度な気がするよね。
本当にお恥ずかしみになってて。
そうですね。
次回からウィトゲン社員でやっていくんですけど、
まさに兄貴がさっき言ってくれたような、
哲学の限界じゃないけど、
人間ってどこまでできるのみたいなことを、
かなり突き詰めて考えた人なんだよね。
そうなんだ。
そうそうそう。
そういう意味ではね、
プログラマティズムと近いというか、
つながってる部分も自在的にあるなと思っていて。
だからね、
今から話をするのが楽しみなんですよ。
でもいいね。
哲学って使えないって思ってたし、
結構ね、さっきも言ったけど、
昔の哲学者とかも、
プラトンの説をそのまま信じるとかじゃなくて、
エッセンス、そこから学べることって何かなみたいな、
このプロセスとかこの考え方、
この着想点すごいねみたいな楽しさとか、
生かすみたいな感じだったけど、
このプラグマティズムは、
より本当の意味で実践的なのがね、
改めてね、
イトリエンシュタイン、
そこにどう絡んでくるのかというと、
もうね、どう使えるかって言ってる時点でさ、
今回言ってたことを矛盾する気もするけどね、
プラグマティズムを道具にしようとしてるっていう。
そこが難しいんだね、多分。
そうなんだよね。
やっぱりこう、なんだろうな、
ちょっとやっぱり哲学を学ぶときは、
すごい言い方あれなんですけど、
せっかくね、
ソレテッドラジオを聞いていただいてる皆さんが、
そこに時間を使ってくださるなら、
ちょっとこう、やっぱり現実より
ちょっと遠い距離を置いて、
少しなんだろうな、
普段の生活を離れたところで、
これって何が自分にとって意味があるんだろうとか、
哲学って自分の人生にどんな影響を与えうるんだろうとか、
そういうスタンスで聞いていただけると、
嬉しいなとは思うけどね。
あれでしょ、多分、
人間にはそういう風にしか考えられないってことだよね。
自分と実際に哲学を考える難しさがあるんだろうね、多分ね。
そうね、結局そうなんだよね。
よく思われば逆に自分のシチュエーションに引き込みすぎちゃうとか、
自分のシチュエーションを前提として考えすぎちゃうっていうのはあるだろうね。
その後また変数多すぎてむずいみたいになっちゃう。
そうそうそう。
だからね、一旦仕事とか家庭とか生活とかっていうのを一旦抜きにして、
ファンのハイドという人間にとって、
じゃあ、ビトゲンシュタイムはどんな意味があるの?みたいな、
そこまでいかなくてもいいかもだけど。
そんなふうに考えてるの?
あるある、考えてるよ。
人類にとってとかね、
もともとは人類にとってだったから、
それでも自分の中ではちょっと近づいてるね、自分に。
そうなの?自分にとっての幸せじゃなくて、
人類にとって幸せとみたいな、
そういうデカいスケールで考えてたの?
共通する心理みたいな。
そうそうそうっていうのもおかしい話だけどね。
おかしいか。
そうそうそうって。
だってさ、もう終わろうとしたらあれなんだけど、
だってさ、自分にとって幸せかなんてさ、
自分に分かんないじゃん。
だって5年10年経った後にどうなるか。
でも普遍的に人類にとってこれが幸せって答えが分かれば、
それは演劇的に自分にとっても幸せなわけじゃん。
はいはいはい。
これだってさ、死ぬ的なね、人間だから死ぬっていう話でしょ。
人類はこうしたら幸せである。
だからカンのハイドもこうしたら幸せであるっていうのが欲しかったんだよ。
なるほど。
自分も人間であるならばね。
そうそうそう。
それが心理なわけだから。
人類にとっての幸せとは何かとか、
幸せの構造とは何かっていうのを追い戻してたわけよね。
やっぱおかしいね。
おかしいかな。
おかしいっていうか、
だいぶ今日なんか人間っぽい話してたけど、
やっぱその演劇は、
前もね多分元々の話みたいなのは、
どこか雑な話だった気もするけど、
そういう感じで考えてたのか。
そうだから今かなりカンのハイドナイズされてるのよ。
今の自分は割と。
確かにその時の自分ごとに引き込んでるみたいな話は、
自分に目が向いたみたいな話したけど、
ちょっと分かってなかったかも。
なるほどね。
確かに。
確かに。
この感覚を伝えようとしなかったし、
そこがずれてるっていう感じがなかった確かに。
そうそうそう。
だからやっぱ主語が大きくなるのはそれで、
やっぱ人類にとってとかすぐ言っちゃってたんだよね、
20代の頃とかって。
そこがもう他の人には分かんないけど、
自分の中ではイコール自分もみたいなとこが常にあったんだけど、
他の人からするとそこの繋がりが意味不明すぎて、
脳に正解が不明だったんだね多分ハイドナイズ。
そこは実感的に分かんなかったの。
多分奥さんとかにも、
なんでもっと自分を大事にしたいのかって言われた時に、
自分を大事にするのは後だみたいな後だっていうか、
それはいつでもできると。
でもそもそも人類にとって自分自身を大事にすると何かみたいな。
そこ分かんないと、
自分を大事にするっていう定義がもうそもそも存在しないから、
この状態が何なのかは定義できないでしょみたいなね。
プラグマティズムについて
分かんないでしょみたいな。
見たら分かるじゃんって話だよ奥さんからしたら。
大事にしてないでしょみたいな。
最後も最後もちょっとそうだね。
ソウル鉄道省の最初の方の気持ちがちょっと蘇ってきたな。
やっぱちょっとおかしい。
おかしいって言っちゃうとね。
ちょっと観点が違うんだろうね。
なるほどね。
その辺の話はちょっとまた、
あれだね、ソウル鉄道省やってきたからこそ例えられるというかね、
言語化できる部分も出てきてる。
あとこっちが理解できる部分も増えてきてる気がするからまた改めて。
そうですね。
ちょっと第200回記念ぐらいでやってもいいかもね。
果たして一体カンのハヤトが囚われていたのは何だったのかみたいな。
そうだね、もうちょっと手伝いを聞いたからこそ分かる話で。
ちょっと闇じゃないけど、なるほど。
ちょっとね、今話して面白いなと。
またいつか取り上げてやってみましょう。
兄弟なのに分かんないもんだね。
そうだね。
血が繋がってるはずでもね、やっぱり分からないものですね。
エピソードの振り返り
ごめんね、最後伸びちゃったけど、
って感じでちょっと雑談会ということでね。
今回プラグマティズム長かったですけど、ありがとうございました。
お疲れさまでした。ありがとうございました。
じゃあちょっとまた次回、リトリー主体に進んでいきたいと思いますので、
引き続き楽しんでいきたいと思います。
では次回もよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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