1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #239 会社の部署間争いはどう..
2024-08-11 53:18

#239 会社の部署間争いはどうやって解決する?ミンデルの「プロセス」の実践

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。



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00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回もミンデルさんということで、前回までドリーミング最高という話をしてきたというところでした。
そうかな。世界の取り扱い方として、根本にドリーミングという要素があって、そういうところから考えたのに、
西洋的な医学では扱えなかった依存症みたいな問題も医的接近と言われるんじゃなかろうか、みたいな話をしてきたかなと思います。
対象両方じゃなくて、もっと根本的なところにアクセスできるだろうみたいな話と。
あと最高っていう話をしてたら、全然ミンデルさんヤバい人なんだよみたいなエピソードが出てきて。
ヤバい人っていうか、ちょっとやっぱり触れ幅悪いよねっていう話をしたと思うんですけども。
そういった話じゃなくて、そこからどう考えが発展して、日本のビジネスの現場に置いて使われてるっていうのがあるんですよね。
また怪しくなってきた。
聞いてもらえればと思うんですけど、普通に強力なツールではあるのよ。
いわゆる表面上のことじゃなくて、もっと本質的なところまで目を向けるとか。
あとはビジネスだけじゃなくて、世界的に言うと紛争の場面。
それこそ個人と個人もそうだし、集団と集団が対立してますよとか。
あるいはもっとカオスに10人いれば10人全員が違う意見を言ってますみたいなこともあるわけじゃない。
そういう時にまさにミンデルさんがファシリティレターとして入ると、すごくお互いの共通理解が進むみたいなことって結構あるらしいんですよね。
ミンデルの方を呼んだ人がそれをとかじゃなくて、ミンデル自身がそういうことをやってきてたんだ。
そうですそうです。
あれ確かなんかその、紛争の何からみたいな本も出してたみたいな話をしてたよね。
そうそうそうそう。
それはいわゆる戦争も共にある紛争だけじゃなくて、いわゆる本当に対立してもお互いに取り尽くしてもないというか、
お互いに共通理解なんか無理じゃんかみたいなところで、
プロセスは、プロセス思考心理学だったりとかこういったドリーミングっていう考え方が役立ってきますよっていうふうな話なんだよね。
ミンデルがドリーミングっていうのを提唱して、
03:00
ドリーミングをもとにいろんな人がとか、誰かが例えばそういうビジネスを応用したじゃなくて、
ミンデル自身がビジネスだけじゃなくて、そういう対立、人と人の、いわゆる心理学的な医療行為だけじゃなくて、
そういうところでミンデル自身が応用してきたんだ。
対立の解消っていうのはそうで、ビジネスっていう意味でいうと、ある程度それを受け継いだ人というか、
別にミンデルさん自身がめちゃめちゃ企業に入ってコンサルテーションやってましたってことではないと思うんだけど、
これって使えるじゃんって言って、日本で言うとプロセスワークっていうふうに言われたりするんだよね。
心理学とかって言うと、それこそカウンセリングとか、そういう臨床的なイメージがあるじゃない。
なんかメンタルヘルスとかそっちに使えるような感じがする。
そうなんです、そうなんです。じゃなくて、プロセスワークっていうのはよりちょっと一般的っぽい言葉だよね。
プロセスワークやりますよって言ったらさ、あ、そんなのあるんだって感じになりそうじゃん。
まあね、うん、わかる、うん。
いきなりさ、でもプロセス思考、心理学やドリーミングという老子のタオルのようなものがありましたとか言われるよりもさ、
その方が落ち着きやすいよねみたいな。
まあ、そうだね。
ビジネスっぽくはなるよね、プロセスワークは。
そうね、そうそう。なので、まあまあドリーミングって大事ですねって話なんですけれども、
まあまあそういうのをある種受け継いだりとか発展をさせて、
ビジネスを現場に応用する人たちが日本でもいますよとか、
第1回にちょっと言ったんだけれども、覚えてらっしゃる方はいらっしゃるかもしれないんだけど、
最近ね、対立の本物にとどまるっていう本が日本でも出ていて、
これが元々ミンディルさんが出した本の新訳みたいな感じなんですよね。
ああ、その本の話か。
そうそうそうそう。
はいはいはい。
これが西田さんっていう方がそういった本を出して、
いわゆるプロセスワークとかミンディルの考え方を、
まさにビジネスの現場とか組織作りとかのコンサルティングに活用してますみたいな人なんだけれども、
そういう人の話とかを引っ張っていきながら、
今日はこういったミンディルの考え方っていうものが、
どうやってビジネスを現場に取り入れられてるんだっけっていうような話をぜひお伝えしていくことで、
普段哲学だとなかなかそこまで哲学が仕事に生きてますとかって直接に言いにくいと思うんだけど、
やっぱりミンディルさんの考え方とかって、
人と人との関係性ってとこでは、どんなとこでも効果を発揮するんで、
はいはいはい。
そういった応用編っていう意味で、
今日はぜひ聞いてみていただけるとうれしいなと思ってますっていう感じだね。
なるほどなるほど。
06:01
ちょっとね、医療行為に使われるぐらいだから、
具体的にね、ビジネス分野で処方したらどうなるのみたいな話ができるってことだね。
そうなんです。
実際にやられてるっていう話なんだ。
そうなんですよ。
はいはいはい。
今日はプロディスワークっていう言葉をよく使っていくんですけれども、
じゃあこのプロディスワークって何ですかっていうと、
これも結構定義が難しいらしいんですよね。
日本にもプロディスワークセンターっていう、
そういうミンデルさんの考え方とか、あるいはそういった実践だよね。
そういったものを広めていくっていうのは一般諸田法人がありまして、
そのサイトにはプロディスワークとは何かと書いてるんですよ。
もちろん一言では言いにくいんだけれども、
一応こんなふうに書かれていて、
プロディスワークっていうのは、私たち、いわゆる普通に生きてる人たちだよね。
というのが、より広くて、そのような体験を得て、
より命の全体性を生きることをサポートする知恵と技芸なので、
いわゆるスキルっていうものを提供しますよというふうに書いてるんだよね。
だいぶ広そうだね。
だいぶ広い。
それはたぶん理念みたいなところがいているかと思うんだけど、
いわゆる生きやすくなるというとあれだけれども、
自分の全体性というか、
ありのままっていう言葉が今だと結構いろんな言葉になっちゃってると思うんだけれども、
そういう自分として生きる、そういうふうには知恵とかスキルが手に入りますよっていうふうな話なんだよね。
そうなんだ。はいはい。
ちなみに、タヤトとこの団体の関係は聞いていいでしょうか?
何にもなりません。ホームページで見ただけです。
そうなんだ。別に、さっき言った対立の炎が生んだらみたいなのは、
ここの方が出してるの?
これはまた別の会社の人で。
それはまた別なんだ。その出版とは全然別。
そうそう、別々。
その辺の、こういうらしく、こういう名刺とかこういう組織が出てきてから、
タヤトとの関係があるんじゃないかと。
そういうやつね。なるほどね。キックバックとかあるじゃん。そういうやつね。
どこのスポンサーとか、他の流れがどうしても気になっちゃう。
それあったら嬉しいというか、それは嬉しいんですけど。
単純に、確かにあんまり違和感があるかもしれないんだけど、
コーチングとかこういうふうなものって、
広まっていくときに一般社団法人みたいなものは立ち上がるんだよね。
そうだよね。いわゆるライセンスだったりとか、
09:03
資格か、いわゆる資格の勉強とか。
勉強してね。
一般社団法人が多い気がするよね。
勉強して、コーチになりたいんだったら、資格が必要ですよね、
自己了解ですよとかっていう話だと思うんだけど、
別にそこがどうとか全然自分が関わってるとか、
本当に一切なく、単純にそういう施設が日本にもありますよっていう紹介だけね。
じゃあなんでプロセスワークをすると、
そんなふうに命の全体性を生きるとか、
自分の全体性をもって生きることができるんだっていうと、
これからは僕の解釈だったりとか、前回までのミンディルさんの話を踏まえてなんだけれども、
まさにプロセスにフォーカスするからなんですよと。
やっぱりプロセスってことがめちゃめちゃ大事なんだよね。
プロセスって、第1回でもお伝えした通り、すごく広い意味なんだよね、もともとミンディルさんの方でいうと。
ただの過程とかじゃない感じじゃない?
そうそう、ただの過程じゃない。
もちろん狭いというか、ちっちゃい意味では、
そういうまさに今起きていることとか、起きつつあるっていうことなんだけれども、
おっきい意味で言うと、本当にドリーミングみたいな。
何かが起きるとか起きつつあるという、その全体性を通してプロセスって呼んでおります。
それが合理的現実って話だと思うんですけれども、
僕らが普段生きている認識できる現実においては、
いわゆる規定であったりとか、そのものが起こる間のことっていうふうに呼ぶんだよっていうふうに捉えていいと思うんですよね。
そんなふうにプロセスに注目するとどうなるかっていうと、
すごい平たく言うと問題のありかがシフトするんですよね。
例えば具体的な例っていうのを挙げられてたんですけれども、
例えば兄貴が夜中まで仮に仕事を起きたとして、
ちょっとふとお腹が空いて、冷蔵庫のケーキが食べたくなったとするじゃないですか。
そしたらどんなふうに思うと思います?そういう場面があったら。
めっちゃ腹減って食べたいけど、なんか健康に悪そうだなって。
だいたいその葛藤があるじゃないですか。食べたいなっていうのと、
いやでもちょっともう夜中だし食べない方がいいんじゃないかっていう、
そういう自分が両方出てくると思うんですよね。
ここである種合理的な現実っていうか、理性で個別的なものとして捉えると、
問題っていうのはもう食べるべきか食べないべきかみたいな感じじゃないですか。
つまりどっちかが正しいかってなるんで、
12:01
食べた方がいいのか食べない方がいいのかってことになると、
結局はもう片方は間違ってるっていう話になるんですよね。
つまり食べたいって食べてしまったら、
食べない方がいいって思った自分っていうのは間違ってたよねとか、
そんな声は別にいらなかったようになるし、
食べない方がいいってなったら食べたいなんて思った自分は、
例えば欲望に負けた浅ましい奴だみたいなさもそこまで言わないかもしれないけど、
でもそんな風にやっぱり、いわゆる優劣というかそれはついちゃいますと。
はいはいはい。
そうなるとどっちも本当は自分なんだけど、
やっぱり自分を否定するっていうことになっちゃうんですよね。
これを繰り返してると、要は正しい自分と間違った自分っていうのができ続けていって、
結果的にそのケーキを食べるか食べないかっていう問題は解決できてるんだけど、
でも自分を否定するっていうまた別の問題を生み出しちゃってませんかっていう風な話を考えるんだよね。
ほうほう、なるほどなるほど。
この辺はイメージが湧くかな?
うん、湧くと思う。
結構確かにこれをちゃんと言語化しろって言われると難しいけれども、
さっきの問題がシフトする、ありかがシフトするってまさにそこで、
食べるべきか食べないべきか悩んでる自分こそが自分であるっていう、
ちゃんと持っとかないと。
そうだねそうだね。
人格破綻するというか、そこに無意識だと、今ハヤトが言ったように無意識のストレスをずっと貯め続けそう。
そうそうそうそう。本当は食べたくて食べてるはずなのにむやむやするとか、
あと罪悪感もそれとかあるじゃないですか。
どっちがいいっすかよストレス貯めてるみたいな。
そうそう。結局もったいないみたいになるんだけど。
もったいないよ。
まさに兄貴が言ってくれた通りで、やっぱりそれって問題っていうものをAかBかっていう個別の視点で捉えてるからなんだよね。
ここである種ドリーミング的な全体性というかプロセスを捉える観点に立つと、
問題っていろんな形で表現できますよと。
さっき言った通り、そもそもそういうふうに葛藤してるのも自分だよねってなった時に、
じゃあなんで葛藤してるんだっていうこともあるし、
そもそもなんでケーキ食べたいと思っちゃったんだろうとか、
そもそも食べたらどうなるって思ってるから不健康になるって思ってるのは何なんだろうとかっていうふうに、
いろんな問いが出てくるじゃないですか。
確かにそうだね。
そうなると要は自分が正しい間違ってるとかじゃなくて、
そもそも今なんで自分はこんな状況にあるのかってそこに根を抜くようになるんだよね。
もちろん全部の問題にそれをやれっていうのは無理な話なんだけれども、
15:00
別にケーキ食べる食べないぐらいだったらいいかもしれないけれども、
これがもっと深い傾向とかもっと激しい対立っていう時に、
あなたと私どっちが正しいのってなるとやっぱりなかなか解決が難しいんだけれども、
そもそもなんでこんな状況になっちゃったんだろうねっていうプロセスに注目できるっていうのが、
この観点のメリットなんだよね。
ほうほうほう、なるほど。
今回でいうとあれか、例えばなぜ夜中にケーキが食べたいと思ってしまうのか、
そもそもなんで夜中に腹減るんだみたいな方にいくと、
ちゃんと夕飯食べてこうなるかもしれないし、
あと例えば食べたらどうなるか、食べたら体に悪いっていうのは、
それは本当に自分がきちんと栄養学だったりとか生理学を学び尽くして、
この時間に糖分だったりとか脂肪分ぐらい取ることのメリットを完全に理解した上で、
選んでるのか本当にっていうところまで行き着くわけで。
まあね、行き着こうと思ったらね。
でも逆に言うと、それだったら全然食べても、せいぜいこんなもんだから食べようってなるかもしれないしとか、
そこは知識ベースではあるんだけれども、
ただそこの、本当にその人にとって、その個人にとって、
クリティカルなストレス部分が人にとっては違うんだよね、たぶんね。
本当に腹が減ることにめちゃくちゃストレス溜めてる人もいるかもしれないし、
実はその、食べたらなんか悪くなりそうみたいな、腹減ることじゃないじゃなくて、
なんか体に悪そうっていう方がめちゃくちゃストレス溜まっちゃう人もいるかもしれないから、
そこに気づいた上で、だったらちゃんと栄養学調べましょう、だし、
もう腹減るのがやばいみたいな人は、ちゃんと食っとけって方に行くかもしれないし、
だから解決策が本当に違うんだよね、だし、
うちら神じゃないから、人間神じゃないから、あらゆる要素を調べ尽くして分かった上で選択なんてできないから、
きちんと自分のストレスなのか何なのか、思ったところ、問題のありかだよね。
そこを捉えましょうっていうふうにちょっと見えてきた。
そうだね、そうそうそう。
特にこのケーキの話は自分だけのシチュエーションだからより分かりやすいんだけど、
やっぱりそこにいるのはあくまでも自分なんだよね。
一般的に食べるべきか食べないべきかじゃなくて、
例えば今言ってくれた通り、最近甘いもの食べ過ぎていて、
例えばちょっと党の立場選手が気にやってる自分が食べるべきか食べないべきかって言われたら、
やっぱり食べない方がいいかなって思うだろうし、
18:01
逆に晩御飯も食べずにずっと仕事をしてきてて、
たまたまちょっと空いた隙間時間でケーキをやることを思い出したってなったら、
やっぱり食べた方が精神的にいいんじゃないかとかっていうのもあるじゃないですか。
肉体的にも絶対いいよ、それは。
それは間違いない。
それはケーキがいいのかってあると思うんだけど、
なので、まさにプロセスっていうのは今起きていることなので、
今の自分だとか、これまで過ごしてきた、あるいはこの未来も過ごしていく自分っていうものが、
今この状況においてどんな問題に直面するんですかっていうのがどこまでの視点なんだろうね。
なるほど。
なので単純にAかBか、食べるか食べないかじゃないっていうところに目が向くっていうのが、
どこのプロセスとかプロセスワークっていうところの、
結構コアにあるんじゃないかななんていうふうに絶対に思っておりますと、
自分はプロセスワークはちゃんと学んだわけじゃないので、
でもミンデルさんの流れからするとって感じなんだけどね。
確かにミンデルというところのプロセス、他を道みたいな、どこまで広げなくても、
とりあえずこのプロセスっていう仮定じゃないけれども、前提だとか、文脈とか、
そういうふうな形で理解しても、このぐらいのケーキ食べる食べないとか、
ちょっとした対立ぐらいだったら、適用はできそうだみたいな感じなのかな。
そうですね。
今のかなり素朴な例だったんだけれども、
ここからいろんな例を出しながら話していこうと思っておるんですけれども、
例えばここからはビジネスみたいな話になってくるんだけれども、
例えば仮に新商品とかの提案会議をしますと、
みんながいろんなアイデアを持ちつつ、
あるいは経営人とかがそれに投資をして本当に開発するかどうかっていうのを決める、
シビアな会議があると想像してほしいんですけれども、
そうなると基本的には会議で行われることって、
例えばいろんなファクトとかのデータとか調査とかに基づいて、
この商品売れますとか、あっちのアイデアはダメですとか、
そんなふうにやるかわかんないけれども、
そういうふうにしてどの商品を出すべきかっていうことを考えると思うんだけれども、
つまりこれって結局売れますか売れませんかっていう話になると思うんだよね。
だしそうはね、この商品を作るべきか、作らないべきか、
これを売ってこれはやめるべきみたいなね。
そうそうそうそう。
それってさっきのケーキを食べるべきか食べないべきかっていう構図と基本的には一緒なんだよね。
個別の事象を捉えて、例えばAプラン、Bプラン、Cプランがあったときに、
それぞれどれを選びますかっていうふうに話していくと、
独立に判断していくのが正しいって思われてるわけなんですよね。
21:04
まあそうだね。トレードオフな感じするもんね。
ケーキを食べるし食べないとかってできないもんね。
そうそう。
ちょっと今思っちゃったから言うんだけど、
いわゆる二元論か一元論かで話にかかって、
結局あるものはあるしないものはないって言うそうなんだけど、
でもね、そういうことを他方の世界で言う、
道の世界で言うとあるとも言えるしないとも言えるとかさ、
ありながらないんだみたいな話になってくるじゃない。
やっぱりそういうことがどこまで盛り込めるかって話なんだよね。
もちろんプロセスワークではそこまではいかないんだけれども、
例えばね、例えばここで、
いや、私の気持ちとしてはどうしてもAプランでいきたいんです。
って例えば言ったとしますと。
っていうときにもちろんね、そういう努力を認めて、
いや、そんだけ思いをこもっていて素敵だねってなることもあるかもしれないんですけれども、
基本的には気持ちだけじゃなくて、
やっぱり納得できる理由を言ってよ、
それとセットじゃないと気持ちっていうのは別に意味ないよっていう感じになると思うんですよ。
意味ないよね。
本気欲しいよね。
本気欲しいじゃないですか。
ただそのプロセスワークの観点でいくと、
こうした気持ちが起こるとかね、
あるいはそれぐらい気持ちに言及しないといけなくなった。
それだけみんながファクトとかデータに基づいている中で、
自分の気持ちを表明しなきゃいけなくなったっていうのって、
なんでなんだっけと。
そのこと自体にも意味があるんじゃないですかっていうふうなことも捉えることで、
一体この大義の時間において何が起こってるのかっていうことに
フォーカスできるよねっていうふうな視点なんだよね。
なるほど。
ちゃんとしたファシリテーターの極意みたいな。
極意じゃないですかね。
でもそういうのを救い取ってあげるっていう。
心得みたいな感じがするね。
だからマジでやっぱりプロセスワークって、
コーチングとかファシリテーション的なスキルでもあるから、
やっぱり問題をちゃんと起きてることに正しく目を向けさせてあげるとか、
何が起きてるかにそもそも自覚できないんだよね、
みんな中でいわゆる対立している人たちは。
まあね、確かにね。サッカー選手がコートに全部わかるかって話だよね。
そうそうそうそう。
だからやっぱり外から見てるね、監督とかコーチがいて、
相手が今こう来てるからこうしようとかっていうのをちゃんと言うとかって話だと思うんだけど、
まさにそういったことをプロセスワークではやっていってるらしいですよと。
ほうほうほう。
今のはより景気の例に近いAかBかみたいな話をしたんですけれども、
これはもうちょっと広げていくと、
まさにさっき言ったようなプロセスワークを使って、
企業のコンサルティングとかしてる人がいるんですけれども、
24:01
こんな例がありますよって話があって、
例えばある製造業の会社があります。
ほうほうほう。
ちょっとここからはかなりビジネス的な話があるんで、
何だろうな、そんなこともあるよねってぐらいで聞いていただければと思うんですけれども、
例えば製造業なんで、物を要は作って売るわけだよね。
そうするといわゆる製造の物を作る人たちと、
営業の物を売る人たちっていうところがチームとしていたりするんだけれども、
例えばそこで事業部長みたいな人がいて、
ちょっと今何だろうな、これまでは我が社はお客様目線で、
すごい細かいカスタマイズとかもして丁寧に対応してきましたと。
やっぱりそうすると当然コスはかかるよねと、
その一個一個丁寧に対応してたら。
今後例えば我が事業部では利益を出すために、
いわゆるカスタマイズせずに売れる標準品みたいな、
そういう物を作っていきましょうと。
そういう風に言い出したとするわけだよね。
そういう時に、例えば営業とか製造の現場で何が起きるのかっていう話なんだけど、
これもすごい単純化した話なんだけれども、
例えば営業部隊でいくと、よしじゃあこれからは標準品だって言って、
標準品を売れって言ってワーっていく人もいるだろうし、
逆にそんな話してたらお客さんから見放されて売上が下がっちゃうじゃんと。
自分の目標を達成できないから、
ちょっとどうせまだ移行期間だし、
ちょっとカスタマイズのやつも取っちゃれみたいな感じで取ってくる人もいるだろうねと。
そういうイメージは湧くかな。
全然あるんじゃないかなと思う。
そんな無理じゃないと思うんですけど。
そうすると今度は製造の人がさ、
いやいやどっちなんだよと。
標準品を作れとか、
いやでもカスタマイズでちょっとやってほしいとか、
いろんな声を届けやがって、
営業も事業部長も製造の現場のこと何も分かってないじゃないかみたいなことを思ったりするわけだよね。
っていう風に、
例えば事業部長と営業と製造っていう、
ある種3つ、3つ同盟でもないな。
3つの領域があった時に、
それぞれがお互いのことをある種照らし合うというか対立し合うみたいなことって、
結構仕事とかの場ではあると思うんですよ。
あるね。いわゆる部分最適だよね。
そうそうそう。やっぱりお互いの利害が反しちゃうとか。
一定規模の異常になるとそういう部署ごととか人ごとみたいなのが出てくるからね。
もちろんそれを全部うまくマネジメントするのがいいマネージャーだよとかね、
そういうのもあると思うんだけども。
それが経営者の仕事でしょって言われるとシュンってなるけどね、経営者はね。
27:03
そんなうまくできるわけじゃないし、経営者を利益を出すのが第一だと思ってやってるわけだから、
こういう場ではそういうことが起きますよね。
これをその人がプロセスワークでこんな風にやっていくんですよっていう風なのを公演で出したようなものがあるんだけれども、
もちろんいろんな調査とか、それぞれの現場に入っていてインタビューするとかっていうのも組み合わせてるらしいんですけれども、
一個強力な手法として紹介されているのがあって、
これがロールスイッチとか空っぽの石とかって言われるものなんですよ。
これ簡単に言えば相手も立場に立つっていう風な感じなんだけれども、結構面白いなと僕は思って。
そのコーチングとかワークの中で、一人とコーチの二人でやるんだけど、
その場に椅子が二つ置いてあって、
その片方に仮にAさん、例えば製造の人のAさんが座ってるんだけど、もう片方には誰も座ってないんですよ。
で、コーチは立ってちょっと客観的な立場でその人を見てます。
そうすると何をするかっていうと、そのもう片方の椅子に営業の人が座ってると仮定して、不満を吐き出してもらうんだって。
なるほど、いいね。
例えばあいつらいい加減に売ってきやがって、標準金にしろとか、こっちはでもカスタマイズでやれとか、
一体人の仕事を何だと思ってるんだとかってことをバーって言いますと。
でもコーチも、いやもっと言ってくださいとか、いやもうそんなんじゃないはずとかって言ってもどんどん言わせるんだって。
そうするとなんか不思議とすごいすっきりして、言い尽くすとね、すっきりしてちょっと余裕が生まれてきますと。
そうした時に今度は相手のもう片方の椅子に座るんだって。
なるほど。
そう、つまりそれはさっきまでいわゆる製造のAさんが営業のBさんがいると思って話してた椅子に今度は座りますと。
で、イメージ枠と思うんだけどそうなると今度は営業のBさんに今度はなりきってみましょうと。
はいはいはいはい。
そうするとなんかこれもちょっと不思議なんだけどみたいなことが書いてあるんだけど、
営業やっぱりなりきってみるといやいや製造はそういうけど売り上げの目標わかってるみたいなことを勝手に出てきますと、同じAさんからね。
で、Bさんはもちろんそこにいないから、ただAさんがある種一人芝居をしてるんだけれども、やっぱりそういうことが起きてきて、
今度はBさんの立場でわーって言った後に、またさらにもともとの椅子、製造の椅子に座るとさっきとか全然違う建設的な意見とかが出てきますと。
30:09
あーなるほど、もう一回戻ると、また文句言い出すとかじゃなくてね。
文句言い出すとかじゃなくて、そうそうそう、確かに営業もそうだよね、確かに製造としてできることがあるかもしれないねとかっていう風に、
なので全部が全部その経緯に行くわけじゃないとは思うんだけれども、ある種そういったワークのパターンとしてはそういうことが起きやすいんですっていう話らしいんだよね。
はいはいはい。
で、なんかね、ここは結構すごくわかるなというか、確かにお互いに言い争わせるんじゃなくて、一人でこれやるっていうのが結構面白いなと思って。
その場にはBさんというかAがいる人は誰もいないわけだから、ただ製造のAさんだけがワーってやってるわけなんだよね。
でも営業のことの理解が深まるとか、3点のスイッチが起こるっていう風なことがあり得るんですよという感じなんだよね。
面白いね、確かに。
これとかどう思う?
まず一つ思う。最初さ、石が2つあって、まず自分の立場だよね。生存の立場から文句を言いましょうっていうのが。
前、ハヤトが言ってたさ、ミンデルが足の骨を折った人とか、がんの人か。がんの人にその痛みにまず目を向けてみましょう。
そうねそうね。
見てたと思うんだけど、多分それにすごく近いと思うんだよね。
うんうんうん。
しかもありったけだよね。もう全部吐き出してもらう。
そうそうそうそう。
で、その上で空っぽになったというか、全部吐き出した状態で、じゃあその痛みと向き合ってみましょうっていう意味で反対側に座らせてっていう意味で、
すごく今回聞いてきたミンデルの話に沿ってるなとも思うし、あと同時に面白いなとは思ったのが、やっぱりこういうのってなんていうの?
ワークショップ?
そうそうそう、ワークショップみたいになってるなと思ったんだけど、いわゆる本来というか、ミンデルのこういう話があって、プロセスワークという話があって、こういうふうに考えましょうって。
本来いいはずなんだけれども、やっぱりこうやってわざわざ椅子を二つ準備してロールプレイをさせるっていう、この身体的に理解からさせようっていう形が
すごくいいなと思って、やっぱこれ、仏教とかでもさ、いきなり教典の教えを農民に広めましょうなんてやっぱり無理じゃん。
そうだね。
こんな話、いきなり説法だけでさ、こんな話があってこうやってこうしましょうって言っても、は?ってなるだけだと思うんですけど、
これは例えばまず踊ってみましょうだったりとか、一遍のね。とか生身だぶつって行ってみましょうみたいな。
33:05
あと全問答でね、誰か相手をさ、殴るじゃないけど、ちょっとあっち行ってこれやってこいみたいなさ。
はいはいはい。
そういうこう、別にその従業員の方が農民だって話はしてないんだけど、やっぱりそのなじみのないものだったりとか、けど大事なものみたいなものを理解するときの身体理解の方法としてすごく優れてるというか、一つの形だなっていうのをすごい感じたね。
はいはいはいはい。あーありがとう。でも本当にね、意外とそうだなと思ったのが、やっぱり実践的なんだよね、このプロジェクトワークっていうのは。
やっぱり頭で考えるんじゃなくて、やっぱり身体でわかる部分もあるからこそ、やっぱり文章読んでるだけとか、やっぱりただ話を聞いてるだけだと、そんなこともあるかもしれないけど本当なの?みたいなことがやっぱりどうしても思ってしまうんだよね。
それはやっぱりミンデルの話もそうで、ドリーミングとかさ、そういうのがあるのはなんとなくイメージ湧くし、そっちの方がね、いろんな言葉にビンゴ化しやすいとは思うんだけど、でもそんなの俺見たことないしとかさ、やっぱり感じたことないしってやっぱりなっちゃうわけじゃない。
だからこそ、そういうふうなわかりやすいワークの形とか、身体的な動きとかも伴うものをやると、やっぱりスッと入ってくるものがあるんだろうなっていうのがイメージが湧くんだよね。
そうだね。だからやっぱり基本的には無意識の部分を身体的理解なしに踏み落とすって多分無理で、だから今回の流れでいうとドリーミング側だよね。
自分のドリーミングを感じろみたいな言うと多分気持ち悪いし、これを固く無意識部分をちゃんと意識しましょうとか、潜在意識をとかって言っても多分できないと思うんだけど、やっぱり意思が2つあるってことで、さっきハイトが言った1回自分の否定的な部分を吐き出す、思ってる部分を吐き出す、相手の立場で受け止める。
戻った時に起こることが、もしかすると多分それがスッと入った人、いろんな人はいると思うんだけど、それがこういうふうにハマった人にとっては、「あれ?自分なんでこんなことを思ってるんだろう?」とか、「あれ?なんで自分こんなことを言い出してるの?」みたいな、多分びっくりすると思うんだよね。
だからそういうふうにうまく作ってあるんだろうなっていうのと、だからこそ、いわゆるこういうワークショップというかね、お勉強会じゃなくてね、っていうのがいいなと思った。
だからやっぱりね、ともすると椅子が2つあって、「はい、あなたは製造としてまず話してください。」とかちょっと茶番っぽく見えるかもしれないけれど、それを本当にちゃんとやると、やっぱりそういう変化というか、気づきがあるってことだと思うんだよね。
36:12
これはすごく僕も納得して面白いなと思うんだけど、やっぱりどうしてもウィンディルさんの世界観が入ってくるんで、結構こうなったほうが面白くって、いわゆるそういった営業の研修とかやってる人の記事なんだけれども、その中でさらに不思議なことがあってね、みたいな話書いてるんだけど、
そういうふうに製造の人がね、営業部門の人に深い理解とか深い共感を示すわけじゃないですか。ワークの中でね。そうすると、字で書いてるんだけど、「なぜか不思議なことに営業部門の人もそういう気持ちになってるってことが起こるんだ。」って書いてるんだよね。
えーっと、どういうことだ?
要は、ワークは製造の人しかしてませんと。で、製造の人しか変わってないんだけれども、なぜか営業の人もその時に、「いや、実はちょっと製造の人に負担をかけたよね。」みたいなふうに、なんだろうな、思ってたみたいなことがわかるとかってことが、なぜか起こるんだってことが書いてるんだよ。
どういうことだ?
わかんないでしょ。
わかんない。どういうこと?
もうそれしかないんだけど、要は営業の人に何もしてないんだけど、営業の人も変わってることがあるんだって言ってるんだよ。
あの、その場にいない営業の人が?
いない。そう、いない営業の人が。
しかも見てないし。
見てないし、聞いてないし。
例えば、いわゆるワークショップを経た製造の人とも別にコミュニケーションしてないのに。
もちろん、ある程度その後にコミュニケーション取ったときにっていうことなんだけど。
じゃあないとあまりにテレパシーじゃないけどさ、怖すぎるんだけど。
一切コミュニケーション取られたことないんだけど、ただね、でもそのぐらいのことを言ってるんだよ。これが実はドリーミングなのよ。
ああ、そうなんだ。
個別的に言うと、要はなんで製造の人にしかアプローチしないのに営業の人が変わってるんだって話じゃない?
全体性の観点から言うと、製造の人と営業の人っていうのは、別に部署としては分かれてるかもしれないけれども、
全体性という観点で言うと繋がってますよね。お互いに影響を与え合ってますよね。
なので当然製造の人が変われば、営業の人も何らか変わってるよね。影響がないわけがないよねっていうのが全体性の観点なんだよね。
なので兄貴が何言ってんのって言ったのは本当その通りで、それは個別性の観点から言うと、だって関係ないじゃんとか、だって営業の人に何もしたいじゃんなんだけど、
ドリーミングの観点からすると、営業の人も製造の人も繋がってるはずだから、製造の人が変われば営業の人も変わってるっていうのは起こり得るんだっていう、そういうことが言えるよね。
39:04
なるほど、そういうことならいいよ。何のコミュニケーションも取ってない営業の人が別の場所にいて、自分が製造の人ごめんってなってるのかと思ったんだけど、
そのワークショップをした後の製造の人とのコミュニケーションが減ってって意味なら、全然あり得ると思うよ。ずっと喧嘩したい人の片方がごめんみたいな話したら、俺もさみたいになるじゃん。あり得るじゃん。
あり得る。そこまでのコミュニケーションがあるかどうかってわかんないけど、でもそのぐらいに劇情変化が起こるんだっていう話は言いたかったんだろうと思うんだよね。
でもそれは全然、もちろんドリーミングとしてもだし、一般のビジネスっていうか、起こり得るっていうのは全然スピニッチを得てもなんでもなく実際に理解できるかな、そこは。
そうそうそう。もともとで言うと、製造と営業どっちが正しいかとか、製造の観点からすると、我々の正しさを営業なんていうのはどうやって認めさせようかみたいな話だったと思うんだけど、
その問題をずらして、お互いの言い分とか立場がある中で何を正解するかっていう、よくある脅しどころとか対話していきましょうって話だとは思うんだけども、
それをある種具体的なワークショップの形とか考え方として、一つ提案するのがこのプロセスワークっていうものなのかなっていうふうに思うんですよね。
はいはいはい。いやー面白いね。だから、経営陣にこういうミンデルのこういうのがあってねって話をして、経営陣に頑張ってもらうっていうのもできると思うんだけど、
やっぱこうやって外部の人がね、参加してる製造の人もさ、今日何やるんだろうみたいな感じで聞いて、いずれやってみたら、はっ!みたいな、はっ!ドリーニングみたいなさ。
それやばそうだけどね、それはね。
やっぱそこに面白さがあるなーだし、物事をちゃんと理解をしてもらわなくていいんだな。ある意味身体的に感じてもらって、全体が良くなるみたいなアプローチとして、やっぱり面白いなって。
そうそうそう。そうなんですよね。で、もちろんね、僕も実際に何かプロジェクトワークを受けたわけじゃないし、実際何かやってるわけでもないんで、どのぐらいそれが汎用性があるのかとかさ、どのぐらい強力な手法なんですかと、要はこういったものって実はいっぱい世の中にもあって、
もちろんコーチングできたものもそうだし、いろんな組織開発の手法とかもたくさんあるからさ、それと比べて、じゃあこのプロジェクトワークってどれだけ優れてるんですかってことは、もちろんあるとは思うんだけども、やっぱりね、これ前のドリーニングの話とか依存症の臨床とかの話も踏まえると、
42:11
こういう問題を捉える視点っていうものを、個別のAかBかじゃなくて、そのAとBの間にあることとか、AとBが共に起きてることっていうプロセスの方にやっぱり移すっていうことが、結構大事というか強力なツールなんじゃないかって思ったんですよね。
うーん、そうだね。私、今度そっちのほうの例に移すとさ、どのコンサルティング技術がいいのかとかさ、どのコーチングがいいのかとか、どのワークショップが最適化できるのかみたいな、そこも飲み込めるような強さもあるだろうし、
一方でビジネスとしてはね、そこを、いわゆる差別化、独自化していかないと売れないという部分もあるから、そこはそこでまた別だと思うんだけど、この観点でいくと全部同じようなこと、同じ目的のためにワークショップをやっていて、ただその言葉遣いだったりとかは違うっていう、我々は全部同じだから、喧嘩しないみたいな、そういうふうにも使えるし見えるっていうルームもあるかなっていう。
まあそこは面白いよね。とはいえ、一般社団個人とかそこまでこれで飯食ってくるって感じではないのかもしれないけれども、わかんないけどね。
でもやっぱりね、そこはムキムキというか、目的は一緒でも、手段とかツールは違うって話はあるわけで、自分にしっかりくるのが、こういったロスワークなのか、あるいはもっとゴリゴリのね、それこそ、大手コンサル会社に入ってやってもらうんだとかっていうほうが合うっていう、会社とか人とか組織もあるだろうから。
そうそう、規模だったりとかによって。
本当に自分が結局何なのかっていう話は、やっぱり行き着くのだとは思うんだけども、そんな感じでですね、今回ミンデルさんの会については、今回で終了としたいなというふうに思っておりますよという感じなんですけども。
なるほど。
どうですかね、今回かなり哲学とか全然違う話をしてたとは思うんですけども、最終的には個人の僕の話をすると、やっぱりそこで起きてることの意味を見出すみたいな話でいったら意味づけの話になるなっていうことを思ってて、
やっぱり最終的には意味っていう問題に返ってくるんだなっていうことを台本を書けるようなのを思ってたんですよね。
どこに意味を見出すかとか、まさに身体的な理解じゃないと意味がわからないみたいなことも含めて、最終的にはミンデルさんのことを学ぼうとか台本として取り上げようというときはそこまでは考えてなかったんだけど、
45:01
書いてなかった、全然。でもやっぱり最終的に、やっぱり結局意味っていうところに対して新しい発見がありそうだから、自分はこのミンデルさんという人に興味を持ったんだってことがやっとわかったんだよね。
ああ、なるほど。なんとなく面白そうだったの、最初。
面白かったのは、なんとなく今自分に必要そうだっていうのを感じて、それがなぜかわからないから、本を読んだりとかこうやってアウトプットをする中でなんでだろうっていうのを考えたって感じなんだよね。
ない?なんかそういうの。ないって書いても困るかもしんないけど。
そこは自分のテーマではない気がする。あんまないかも。
はいはいはい。なんか勤徳というか、なんか学んだ方がいい気がするけど、ちょっとなんでかわからんみたいな。やっぱりそういうのがあって、プラスしていただいたんですけども、次回の話をすると、
ちょっと今回また一気にテーマを変えてね、よりガッツリまた西洋哲学の方に戻るというかやっていきますと。
かつ、ソクラテス以前のね、いわゆるソフィストって言われるような人たちを次はテーマで取り上げたいなって思ってるんですよ。
あー、だいぶ戻るというか、へーそうなんだ。
かなり戻る。それで連れちゃってさ、2年ちょっと前ぐらいにソクラテスから始まったじゃないですか。
でね、ソクラテスって哲学のある種、本当にトップトップみたいな人なんだけれども、逆にソクラテスはね、急に突然変異みたいにさ、哲学者として我哲学者なりみたいな感じで言われたわけではないんですよ。
当然ね、同時代の人たちとか、あるいはソクラテスより前の生きてた人たちの考え方とか物の見方っていうのは当然影響されてるわけなので、
そういうソクラテス以前の哲学者というかソフィストって呼ばれるような思想家たちっていうことを取り上げることで、
一気にね、民族的な観点でいうと西洋哲学って個別化に偏っていて、部分最適だからダメだみたいな、そういう感覚に僕自身もなっちゃってたんだけど、
改めて、なんでそういう見方が生まれてきたのかとか、なんでそもそも一つ、あるいは西洋の人たちっていうのはそういうことを下敷きに物事を考えてきたのかっていうことを知るっていうことが、
逆にね、個別性が何かとか全体性ってなんだっていうことをより深く理解できる、そういうふうなきっかけになるんじゃないかなっていうこともちょっと思ってるんだよね。
なるほどだし、これは面白いね。実は雑談会でハヤトに聞こうと思ってた話が今ここに出ちゃったから今言うんだけど、
今回の感想として面白かったのは、わりとミンデルの考え方ってさ、東洋だと多分わりとそうだよねとか、東洋でしかも今の感覚だとわりとそうだよねって話だと思って、
48:09
例えば依存症の時の話にしても、対象療法じゃなくてちゃんと根本的な目を向けましょうって、わりと当たり前に思っちゃうじゃん。
たぶん当時の話を聞くと、医療で薬とか対象療法的なものがすごく脚光を浴びてる中で、ミンデルがそこに目をつけたことのすごさみたいなものを今回感じたというか、ハヤトに教えてもらったと思うんだけど、
てことは、うちら、特に東洋人の今のうちらに足りないのは、じゃあそういう当時のとか、西洋で言われていた理性だとか、個人主義みたいなものが一体感覚的にどういったものなのかっていうのは実はよくわかんねえなと思って。
だから今度ちょっと個人主義的な話をしたいよってお願いしようと思ってたの。
本当ちょうどいいかも。
もしかするとそこに繋がる感じがした、今の個別化みたいな話。
そうだね。繋がると思うし、やっぱりそれは本当にあって、いわゆる個人、インディビジュアルという言葉があったときに、個人とは何かという捉え方が全然、東洋と西洋とか、日本とアメリカとか、全然違うねって話ってあるじゃないですか。
なんとなくのイメージだけど、西洋だと子がいっぱいあって、子子子ってあって、それが何とかして集団にまとまろうっていう感じがするのね、イメージね。
日本はいわゆる集団があって、そこから何とか子に分かれていこうみたいな、多分そういう感じがするんだよね。
たぶん戦後、日本がずっと向き合ってる問題というか、たぶんどっちがいいんだっけみたいな話があると思うんだけど。
今その追い返しの気持ちするけどね。
それもあれね。子に行き過ぎて全体性があると思うんだけど。
ミンディルさんが言った通り、やっぱり全体性も子も両方大事なんだよね。
だし、今ハヤトがさ、子に行き過ぎて全体性も大事だみたいな話をサッとしたけど、じゃあその子っていうものにちゃんとたどり着いたのかと。
たぶんたどり着いてない気がするんだよね、その子にすら。
っていう意味での子ってなんだろうって思ってる。
いいですね。
いわゆる個人主義とかでは違うんだけど、もっと元流となっている古代アテネか、イギリシャ人たちって、何考えたのっていう話をすることで、
一回そっちにも振り切ってみるっていうのをやってみたいなと。
51:04
次回またちゃんと哲学の話に戻るので、今回会わなかったなとか、
ラジオもいきなりビジネスの話とかしすぎてどうなってんねんって思った方もいるかもしれないんですけれども、
またぜひ安心して、次回以降も楽しんでいただけたら嬉しいなと思っておりますという感じですね。
わかりました。
今回は哲学の話じゃなかったんだね、そういえば。
哲学じゃない、哲学じゃないよ。
全然哲学の話はしてないです。
そこすらフワフワしながら聞いてるから。
だからあれか、余計心理学っていうジャンルではあるし、
だからこういう医療だとか、あと実生活だ、ビジネスだに、もちろん応用しやすいよっていうのは当たり前の話なんだね。
ある意味その哲学の話をしてるから。
何かの課題を解決するっていうのは、もちろん心理学もそうだけども、
ミンデルでもやってるってことだからね。
哲学はやっぱり問題を解決するんじゃなくて、問題をシャープにするっていう方だから。
特に最近けごん教とか、ホワイトネットはガチガチの哲学者だけれども、
心とか時間っていうふうに、ちょっと哲学じゃないところもいろいろ取り扱ってきたので、
またもう一回、合って哲学の混流というか、源流に戻ることでまた感じる面白さとか、
この感じ久々みたいなのもあるんじゃないかなって思っておりますっていう感じだね。
はいはい。わー楽しみ。確かにそう言われればそうなんだね。
なんとなくずっとさ、それ哲学場だから哲学っぽい感じで聞いてたんだけど、
違うんだもんね。そこは許すぎてね。
面白い話聞ければいいやぐらいの感じで聞いてるから。なるほど。
なので次回ぜひまたお楽しみという感じですね。
はいはい、わかりました。また原点の原点ということで、
古代のソフィストたちというところを楽しんでいきたいと思います。
というところで次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
53:18

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