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(♪ BGM)
はい、ソレッテツラジオ、今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回はイデアの話をさらっとって言いながら、ガッツリしてもらったんだけれども、
はい。
で、今回から宇宙の話に移っていくことになると思うんだけれども、
はい。
一旦ちょっとこの前、イデアの話がちょっと長すぎて、
何の話してるんだっけ?っていう、ちょっと迷子になっちゃった感じがあるんで、
これまでの経緯とか、あとこれからどこについてくのかみたいな、
そういう話をちょっと最初してもらえたら嬉しいです。
了解です。
そうですね、今その哲学の話、ラジオをするぞっていう中で、
サクラテスを一回やらせてもらって、プラットもやって、
次にアリストテレスをやりたいというふうに思ってるんだけど、
やっぱりこの3人が、いわゆる西洋哲学の基礎を作ったというか、
その後2500年があり続く歴史の、やっぱり元になる人たちだなって思ってますし、
実際に世の中的にもそう言われていますと。
で、サクラテスの時にも触れた通り、サクラテス自身は本を残していなくて、
プラトンだったり、別の人が残したところからサクラテスのことが分かっていくんだけど、
逆にプラトンは自分はこう考えるとか、自分を何か登場人物にして語らせるっていうことはしていなくて、
サクラテスがこういったとか、他の哲学者とこうなり合いをしているっていうところから、
プラトンはこんなことを考えてたんだねっていうのを、後の時代の人が考えていたりとか、
あるいはアリソテルスとかも弟子だけれども、そういう弟子の人たちがプラトンはこういうことを言っていたよっていうので伝わっていきますと。
本当は今日はその宇宙についてっていう、なんで宇宙ってこんな風になってるのとか、どういう風にできたの?みたいな話を話そうと思ってたんですけど、
調べれば調べるほど、プラトンが唱えたことの「イデア」っていう考え方を抜きには何も語れないなっていうことを、僕自身も改めて思ったので、
その説明を前回さらっとと言いつつ、ちょっと兄貴といろいろやり取りをしながらさせてもらったっていうのがありました。
プラトンって、今日はその宇宙ってたまたまできたのとか、当時2500年前に宇宙についてガチでゼロから考えた人がいるみたいな話っていうのかと思うんだけど、
やっぱりそのプラトンが宇宙について語ったのは、ある意味プラトンのその哲学の中でも集大成みたいな、そういう感じがあったっていうこと?
やっぱり後半にやっぱりその宇宙のことを話すんだけど、今日はまさにそこの、例えばどういうことを考えた末に宇宙っていうことを考えたのかみたいなことまで、
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ちょっとそこもできればさらっと話をしたいなと思っていますと。
ただその根底に絶対「イデア」っていう考え方があって、ちょっと簡単におさえすると、いわゆる二つの世界があるよと。「イデア」っていう理想なものがある世界と、
その理想なものが形を持った現実の世界、今僕らが生きてる世界があって、その二つを比較したりとか、その関係っていうのを考えていくことによって、世の中の成り立ちとか、どうしてその物事があるのかないのかとか、
どういう世界ってどういう働きなのかっていうのを考えていくっていうのが「イデア」っていうののすごいざっくりした説明です。
今日はじゃあ実際にプラトンが、宇宙とかもそうだし、その手前にある、プラトンの国家っていう本って知ってる?
うーん、まあ、名前聞いたことあるか。いつもね、ごめんね、いつも同じこと言うけど、まあ、名前聞いたことあるかなっていう言い訳ではね、まあ知りませんっていうことなんだけど。
でも、そうそう、やっぱり、普通に世界史とか、ここは倫理とかあるけど、そういうので学ぶプラトンって本当そのぐらいと思うんだよね。
「イデア」っていうのを唱えました国家と、代表作は国家ですとか、ソクラテスの弁明ですみたいな。
やっぱその中が何だったのかみたいなことはまさにね、このラジオでお届けしたいことなので、そういうのもね、ぜひお伝えしていきたいなと思っておりますと。
はい、じゃあ早速いってみましょう。よろしくお願いします。
はい、お願いします。あ、ごめん、1個分け。前回の「イデア」の話をいろいろ教えてもらったと思うんだけども、さっき「イデア界」と「現象界」が2つに分かれますっていう話を教えてもらったんだけど、
こっち側の素人の理解として、こっちもちょっと概念的な話になっちゃうんだけども、現象界にあるものっていうものは例えると、名前をつける前のただ目に入ってくる、目に映るものみたいなもので、
「イデア界」っていうのはそれにどういった名前をつけるかみたいな、あれちょっとそういう概念と近いっていう理解で大丈夫だった?
えっとね、そこまでいかないかな。あんまり言葉との関係みたいなのにやっちゃうと、結構近代哲学っぽい感じになってしまうのね。
あー、ちょっと具体的にいる感じになっちゃう。
具体的というか、その言葉とものの対応とか、言葉によって我々が考えているみたいなのって結構高度な概念だと思うのね。
じゃあそこにたどり着くと、当時の感覚からすると、ちょっとそこも違うんだ。
そうだね。当時の感覚をちゃんと理解できるかもわからないけれども、そこまでそのプラトンが言葉がどうの、みたいなまでは多分言ってなくて、
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どっちかっていうと、現実にあるものっていうのは感覚とか目で見たり、音で聞いたりして捉えられるものですと。
で、いてやかにあるものは理性とか知性によって捉えるものですと。
なのでさっきの例で言うと、例えば目の前にリンゴっていうのがあったときに、リンゴの赤さとか丸さとかっていうのは実際に現実にあって、目に見えたり手に取って分かるものですと。
でもリンゴとは何かとか、リンゴそのものみたいなのってわからないじゃないですか、どんなにリンゴを1個のリンゴを見ても。
なのでリンゴそのものっていうのは知性、人間の理性の働きによって捉えられるものだから、それはイデア界にある理想のリンゴのイデアがあるよ、みたいな考え方かな、伝わる。
まあ、極論リンゴを例えば食べてもいいし、リンゴを投げてもいいし、踏んづけてもいいみたいなことがあったときに、
一応イデア界では理想の世界だとすると、基本的には共通理解という言葉もあるんだけども、
たぶんペラトンは、例えばソクラテスのように、リンゴは別に何かわからなかったですねとは言わずに、理想のリンゴとは美味しくて食べて、喉が潤ってそういうフルーツであるみたいな、そういうものをある程度ペラトンは定義してしまっていて、
誰かがリンゴをぶん投げてしまったりとか、皮に捨てたとかというときに、いや、それはもったいないでしょ、それは違うでしょ、みたいな、ある意味そうに、理解感みたいなものを含めて考えたものは、イデアみたいな感じで理解はあってるかな。
なるほどね。ちょっと違くて、今すごく面白いなと思ったのが、イデアがいわゆる理想の世界、理想のものの世界って言ったからだと思うんだけど、いわゆる価値みたいなものはそことはちょっと離れてくるのね。
理想のリンゴっていうのは、リンゴそのものっていうことだって、なんかね、ペラトンの説明だとイ型って反応するんだけど、要はリンゴの型、例えばツボとかを作るときの型の方があって、そこにいろんなものが、リンゴになる物質、例えば糖質とかいろんなものがあると思うんだけど、
そういうのがハマって出てくると、そのリンゴってものが現実に降りてきます、みたいな説明をするのね。
だから、例えば彼にリンゴそのものっていう型に木とかを入れると、木のリンゴだから食べれないし、別に美味しくないんだけど、でも僕らが見たら、これはリンゴの木の置物なんだってことがわかると。
だから、目の前のものは絶対リンゴじゃない。木だしリンゴじゃないんだけど、伊勢中にリンゴのイ型っていうのがあって、僕らはそれをリンゴって思えるから、リンゴの木の置物を見たときに、これはリンゴだってわかるみたいな。
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そこにリンゴは美味しいとか、みずみずしいとかっていうのはないというか、それは勝ちづけの話なんだけど、そこまでは言ってるかもしれないけど、僕はちょっとプラトンの文脈ではそこはわかんないな。
はぁ~。すごい。これも想像というか、今聞いて思ったことだけども、そこは即やけすからは逸脱していなくて、そこに倫理観とか価値判断みたいなものは入れておらず、リンゴはリンゴという物質的な定義みたいなものを抱かいでしていて、さっきそのみずみずしいとか投げるみたいなものがあったんだけど、そこも全部同じなんだね。
同じっていうのは、イデアの方で、たとえばみずみずしさのイデアもあったりとか、ものを投げるのイデアとか、これは良いことのイデアみたいな。
たぶん、あらゆる、例えばリンゴを投げるとか、リンゴを食べるみたいなものがあったときに、リンゴのイデアと、食べるのイデアと、これは全部、ある意味辞典のように、もしかすると。100カ所でももちろん制作者だったりとか、出版者の意識的な判断みたいなものがあるかもしれないけども、そこは一旦置いておいて、
同じように、そのイデア界は、もう辞書みたいな感じなのかな。これは一旦こういうものとします。
それに対する解釈、たとえば綺麗だとか、さっきのモッピングを捨てたらもったいないのもったいないとか、捨てるとか、そこ一個一個の解釈は、プラトンがある意味、現実的に価値判断抜きにして、こういうものだというふうに定義して、
それに対しての解釈は、それぞれあるでしょう。それはしゃーないでしょう。しゃーないというか、プラトンはそういけないと思うけれども、
勝手に、自分みたいなよくわからないのは、そういうふうに定義されたとしても、うまく使えないだろうから、勝手に判断して使うと思うんだけど、そういう辞書みたいなものの方が、しっくりというか、
なるほどね。というふうに、今の説明を聞いて、ちょっと思ったけど、ちょっとずつ近づいてきた感じはあるかな?
近づいていると、もういいですね。
まさにこの後、宇宙の話、ティマヨスという本の話をするんだけれども、そこでプラトンはまさに宇宙の製作者という考え方を捉えれているのね。要は宇宙というのは、誰かが作ったものだと。それはイデアに基づいて、その人が、その製作者というのが作ったんだよ、みたいな話をするのね。
ああ、そっか。そこが確かに辞書とかって定義すると、確かにその作られたものの精密性みたいなものを理解というか説明がつく気がする。
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確かにね。わかりやすいかも。大元になるリストというか、正しいとされている辞書的なものがあって、そこから何か問い出したときに、例えば、愛みたいな言葉があったとして、
愛という言葉自体は、いろんな使い方をしたりとか、いろんな人が、これは家族愛だとか、友情愛だとかって言うんだけど、愛というものが一応辞書の中に定義されているみたいな。そういうのと近いかもしれない、確かに。
そういうのは概念の話だけれども、本当に科学というか、自然科学的な理解で、そういう愛というものについて考えたときには、こうでしょというものをとりあえず定義だったりとか、もしくはそれについてちゃんと理解している人みたいなものがいて、そういう人が宇宙を作った。
そういうイメージです。なるほど、ごめん。宇宙の話が始まる前に、イビアのところでもう一押し。もう一議論しちゃったけど。でも、この前に加えて、もうちょっと理解が深まった気がする。
良かった良かった。でも逆に言うと、そこさえ理解できれば、この後の話って、共感はできないけど、プラトンがそういったものを分かるみたいな、そういうことをスクラテスの話と近くて。
その観点とかそういう立場で見てたんだったら、確かに宇宙でそう説明できるかもねみたいなのが分かりやすいかと思うので、そんな話を残り後半していこうと思うので、やっていめましょう。
はい、お願いします。
ご視聴ありがとうございました。