1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #7 プラトンの「イデア」とは..
2022-05-18 39:34

#7 プラトンの「イデア」とは?なぜイデアが必要だったのか

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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00:00
♪~
はい、それではラジオを始めていきたいと思います
今日もよろしくお願いします
よろしくお願いします
前回ね、プラトンについて
こんな人ですよとか
実はレスリングの選手でしたよみたいなこともお伝えしたんですけど
今回からちょっと本題に入る前ですね
宇宙の話に入る前の
イデアの話をしようと思いますと
まずは宇宙の話を理解する前に
このイデアの話を理解しないとねと
そうね
本当は深入りしたくない
今日もするつもりはないんだけど
と思ってて
僕自身そんなにちゃんと話せるほど
理解もしてないし
これを飛ばして話せるなら
イデアよりは宇宙の方が短い
どっちも短いじゃないかもしれないけど
そう思ったんだけど
これがないと
私は理解できないなと思ったんで
ちょっと話せるだけ話してみたいなと思いますと
ただね、ソクラテスと一緒で
プラトンのイデアに関しても
いろんな説があるんですよ
2000年たっても
たったからこそ
イデアとかこうだみたいな話ってあんまりなくて
そうなんだ
これについてはソクラテスとは違って
プラトン本人が語ってるとか書いてる本があるにも関わらず
っていう感じなんだ
もうちょっと説明すると
前に出ているように
ソクラテスは自分が書いた本はないですと
プラトンは書いた本いっぱいあるんだけど
プラトンが出てこないですと
そうなんだ
基本的には
ソクラテスとかいろんな主人公がいて
その人たちに飾らせてるんだよね
自分が講義形式じゃなくて
物語形式みたいな感じ
対話形式かな
この人はこう言いました
ソクラテスはこう言いました
っていうのを続けていって
最終的に結論に至るとか
前回のリシスみたいに
わからないことがわかったみたいに
モヤモヤして終わるみたいな
そういう対話を重ねていって
いろんな反論とか批判とかもする中で
意図の説をある種押していく
みたいな感じがあるんだけど
その中でイデアっていうのは
中期以降のほうに見られる
根本的な考え方で
一般的にこういうことを言われてますよ
っていうのをちょっと話したいんですけど
すっごい簡単に言うと
イデアっていうのは
二つの世界っていうのを
分ける説ですと
二つの世界が何かっていうと
イデア界っていうのと
現象界っていうのがありますと
二つの世界って何かっていうと
要は
いわゆる普通の世界
現象の世界って
例えば
目で見るとか耳で聞くとか
そういう感覚で捉えたものを
捉えたものが
現象界のものだって言いますと
逆に
イデアっていうのは
理性とか知性を働かせて
03:01
見るものっていうのが
イデアっていう世界にありますよ
っていう風に言いますと
ちょっと分かりやすいんだなと思ったのが
小指薬指中指って
あるじゃないですか目の前に
あった時に
3本の指がある
っていうのは目で見て
分かりますと
例えば薬指って大きいですか
小さいですか
今見てるんだけど
手出して見てるんだけど
真ん中だよね
中ぐらい
その通りで薬指っていうのは
小指に比べれば
大きいし
中指に比べれば小さいっていうのが
あると思うんだけど
目で見てるだけだと
分かってるんだけど
分からないんだよね大きいか小さいかって
その判断は
改ざしてないよね
事実は事実で3つの長さが
あるけど
大きい小さいみたいな概念的な
話をし始めた時にみたいな感じ
なのかな
大きい小さいって
関係とか
1個のものを見るだけでは
出てこない考え方なので
これは
視覚感覚じゃなくて
知性にアクセスしたよね
みたいなことを言いますと
大きいとか小さいっていうのも
イデアの働きだよね
みたいなことをプラトンは言うのね
さっきの
現象界っていうのは
本当にただ事実だよね
仮に目だったら
その目のレンズが捉えた
この3本の指でしかない
っていうのが現象界で
それを大きさみたいなものを
判断しようとする
そっちはもう
イデア界の話になってるよっていう感じで
そこに1本線というか
境界が存在するという感じ
まさにそれを2つの世界に分けた
区別したっていう感じだよね
プラトンの言うところだと
大きい小さいっていうのは
大きいとか小さいとか
っていうイデアを
持っている
その時々持っているみたいな言い方をして
中指と比べるとき薬指は
大きいっていうイデアを一時的に持っているし
中指と比べると
薬指は小さいっていうイデアを
一時的に持っていると
一時的に持っているっていう
表現をするんだ
常に大きいとか小さい
ものって
そんなにない
地球も太陽に置かれたら小さいしとか
あるいは
美しいみたいな話もあったけど
美しい花も枯れたら美しくなくなるし
あるいは
キラキラ科学菌みたいなものも
もちろん100円200円取ったら
劣化はするだろうしとか
はいはいはい
現実現象のものが
美しいとか
大きいっていうものを一時的に持っているから
本当の美しいもの
大きいものではないと
いわゆる大きさ
その大きいことそのもの
06:01
美しさそのものっていうのは
イデア界にあって
それがあれから僕らは
何かを感覚するときに
美しいとか大きいっていうのがわかるんだ
みたいなことを言い出しますと
おー
なるほど
難しいね
なんでこんなことを考えなきゃいけなかったのか
っていうのが
セットになるとちょっとわかるかもしれないんだけど
えっとね
ソクラテス以前の哲学者っていうのは
いわゆる
自然だから目に見えるものを
すごい探求してましたと
うんうん
物質的な世界を前提にしてるんだよね
普通に生きてたら
それで十分じゃないですか
目の前の植物がどう
大きくなるのかとか
この石ころせ何であるのかとか
まあそうだね
そこは確かに目に見えているものを
不思議に思ってそれを
追いついて死にたいっていうのは
すごく自然な感じがするよね
そうそうそう
自然さにプラトンは
満足できなかったというか
ソクラテスもなんだけど
世界とか宇宙の究極原理って
何かみたいなことを
いろいろソクラテス以前の哲学者も
考えてはいたんだけど
それをある種物質的なものとか
目の前にあるものに
置こうとしてましたと
例えばそれが
タレスっていう人がね
宇宙の根源は水であるみたいに
言ったりするんだけど
物質的なものが宇宙の根源だよっていう
それは目の前にあるものを
前提とした考え方なんだけど
例えばその時
プラトンが
参考にされている大きな考え方が
二つあって
一個はパルメディレス
っていう人の
名前とか難しいから聞き流してもらっていいんだけど
彼は
あるものだけがある
みたいに言いますと
持っていると変化するとか
何かが
移り変わるみたいなものは
まやかしだみたいなことを言うのね
というのが一つ
これがあるものだけがある
みたいな話なんだけど
逆にヘラクレイトス
っていう人は
万物は留前するみたいな
不変なものとか
留まっているものはないと
常に物事は移り変わっていて
それこそが
宇宙の根源なんだ
みたいなことを言いますと
物事がある
みたいな根本原理っていうのを
何かが存在するということに置くか
あるいはそれを
移り変わっていく変化していく
状態ダイナミックに捉えるか
みたいなところが
ギリシア哲学の
ソクラテス以前の哲学として
ありましたと
プラトンがやったこと
そのイデアロンは何かっていうと
統一しようとしているんですね
あるっていう静止した世界でもなく
動き続けるっていう
09:01
止まらない世界でもなく
その両方を
一つの思想に
入れれないかっていうことを
考えたのがプラトンのイデアロンだ
って言われていますと
なるほど
どっちも正しいよねと
もう一個抽象度を上げたり
とかしてそうすればこれとこれ
入れれば一つの
話で説明できるよねっていう風に
言おうとした感じが
そうそうそうそういうこと
だからこそイデア界って
さっきね
知性で見れる世界っていうのがあるって言ったんだけど
それもただ概念的なもの
なんじゃなくていわゆる
実在しているものあるもの
物としてあるわけじゃないんだけど
イデアっていうのは実際にあって
それは僕らは
イデアを伝えれば見たり感じたりできますよと
それが
パルメディス的なあるものがある
っていう方に寄っているし
イデアっていうのが
実際のものとかに影響して
大きいとか美しいとかっていうのを
付与してますよ
でもそれは変わり得ることがありますよっていうのは
ヘラクレイトスの万物をある点にする
動き続けるっていう方に近い考え方なんだよね
あーはいはい
ちょっとわかってきたような
気がする
そうなので
イデアって言うと理想の世界というか
ふわふわしたものっていうイメージなんだけど
そうだね
そうじゃなくて実際に存在してます
見えることも感じることも語ることもできる
それを
現実の世界に引き下ろしたときに
色々物が変わったりとか変化したりとか
動いたりする
っていうのでその存在性ってものと
生まれたり変わったりするっていうのを
一つにしようとした
っていうのがイデアの考え方だ
っていう風な感じかな
あー
さっきのごめん何回も申し訳ないけど
いいよいいよ
鼻の例で例えられるこのイデア
はいはい
鼻のイデアがありますと
あるんだ
三角形のイデアもあるし机のイデアもあるって言われてるし
そういう説明をいろいろしてくれてるんだ
プラトンの
そうそう
鼻のイデアっていうのがあって
それがあるから僕らは
これは見たときに鼻だとか
これは鼻じゃなくて草だ
とかってのがわかるって言われるんですね
で実際にある
目の前に例えばチューリップってものが
鼻のイデアを
一理的に持ってますと
それが一理的なもので
それが枯れてしまったりとか
あるいはなくなって土に帰ってしまったりすると
それは鼻のイデア
っていうのがなくなってしまった存在になる
っていうような考え方かな
なんとなく伝わるかな
ちょっと考えさせてもらっていい?
いいよいいよ
難しいなこれ
どうぞ
ちょっとずれてるかもしれないんだけど
なんか
イデアって表現することで
逆にわかりにくくなってるかもな
って思ったかもしれなくて
なんか今ので言うと
12:01
鼻を見たときに
さっきの幻想
幻想界かな
幻想界とイデア界みたいなもの
があって
鼻を見たときに美しいと思うのは
まず幻想界に鼻は鼻として存在する
ということだよね
その鼻は同時に
イデア界から
鼻っていう概念を
持ったものとして
人に認知されるので
それを見た人は美しいと思うだろう
みたいな
考え方で大丈夫?
そうだね
近いかな
洞窟の秘伝がまさにそれになるんだけど
そうなんだ
どういうことかっていうと
スパルトンが説明するのは
人間は洞窟の中にいて
洞窟の壁を見てる存在だ
っていうね
その壁に映った影を
僕らは見てますと
本当は洞窟の外には
世界が広がっていて
明るい
光に照らされた世界があるんだけど
僕らはその明るい世界じゃなくて
洞窟の壁に
映った影とか
まやかしを見てますってことだよね
これがさっきのイデアでいうと
外の世界
光りあふれる外の世界がイデア界
壁に映ってる方が
現象界ですと
さっきの話で言うと
鼻のイデアとか
鼻とは何かみたいなものは
外の世界にあるんだけど
普段は見えませんと
僕らが見てるのは
イデアが実際現象界に
映った鼻っていう
物としての鼻であって
それは
人間が鼻っていうものを
なんとなくイデアの形として
持っている知っているから
鼻を見た時に鼻だという風に
理解できる
つまり鼻のイデアが
鼻の中にあって
僕らはその鼻のイデアっていうのを
なんとなく知っているから
あの鼻も鼻だしこの鼻も鼻だし
チューリップとか
バラって全然違うけど
両方鼻だよねって思える
うんうん
はぁー
そっかイデアってあれなんだ
一つの世界が
そういうイデア界みたいなものがあって
なんか各個人
人のそれぞれの中にも
そのイデアが存在する
みたいなイメージなの
あそうだね
それは違い
イデア
えっとね
リザーツ難しいし面白いんだけど
うん
想起説って
思うっていう想起する
うん
思い起こすっていうことを言うんだけど
元々人間は
なぜそれができるかみたいな
これは全然科学的ではないんだけど
うん
要は生まれる前に
そういうイデアのことを僕らは知ってますと
うんうん
生まれてきた時に僕らは現象界で
15:01
前証の世界で生きるんだけど
人間はもともと
知性とか
要はイデアの世界のことを
ある程度知っているから
この現象界で生きていても
そういうイデアのことを
知れるみたいなことを言い出すのね
はいはいはい
それが納得できるかどうかは別として
うん
今言ってくれたみたいに
イデアっていうのは見る力とか
それを知ることができるから
鼻の中にあるイデアっていうのを
感じれるから
僕らは鼻を鼻として認識できるんだよ
みたいなことを言ったりしますと
うーん
ほんとねそっか
うん
さっきイデアっていうから
わかりづらいみたいな話を
したんだけど
なんとなくそれが
例えばイデアっていうものを
生きている場所なりなりの
価値観みたいなものとして
うん
仮に考えた時に
鼻を美しいと思うみたいなのって
さっき生まれながらにみたいな話を
したんだけども
生まれながらにっていうのは
さっきの話だと
親に教わる前に先天的に備わっている
みたいな多分
表現をしているのかなと思ったんだけど
うん
価値観っていう話からいくと
その人の生まれた赤ちゃんの
価値観みたいなものは
基本的には後天的に
うん
生まれた環境だったりとか
家族だったりとか
コミュニティ、国みたいなもの
価値観をある程度は
基本的には後天的に
インストールされるはずで
美しいとは何か
美味しいものとは何か
そういった感性みたいなもの
さっきの話でいうと
イデアに存在するもの
みたいなものをお説明するわけじゃなくて
親とかから教えてもらって
イデアのようなものを
感覚というか
現象界とは違う感性みたいなものを
うん
培いながら生きていく
育っていく
その中で花を見た時に
これ綺麗だな、枯れた花を見たら残念だなとか
寂しいなと思ってしまう
みたいなものがあった時に
これは多分花というものが存在していて
それを見た人がどう思うか
感性みたいなもの
というものを
捉えられると思うんだけど
多分
今話したのは具体的なことだよね
ある人が生まれて
どういう価値観を持って
どういう感性を持って
育ってきたか
という具体的なものがあったとして
これを多分何段階か抽象化して
一般化しようとしたのが
イデアなのかな
みたいな
こういったそれぞれの価値観
国だったりとか家族だったりとか
生まれてきた子供ごとに
ちょっとずつ
感性みたいな価値観みたいなものは
ちょっとずつ違うと思うんだけど
それを
18:01
一つのテーブルに乗せて
比較して
言語化して
比べて話しましょう
という時にこのイデアと
現象界という概念があると
そういった概念的なものだよね
具体的な概念である価値観とか
感性みたいなものを
そこから初めて語れることができる
みたいな
そういう土台として
プラトンは定義したのかな
って思った
ごめんちょっと
うまく話せてるかもわからないけど
でもそれはすごく正しい
たぶん捉え方で
現在だと
具体的なものとか抽象的なもの
みたいなのを分けるのって当たり前だと思うんだけど
実はそれを
最初に分けたというか
ちゃんとやったのがプラトンで
それ自体が画期的なことなんだよね
ちなみに言うと
抽象みたいな言葉をちゃんと使ったのは
アリストテレスが初めてで
わーそうなんだ
さっき哲学っていう
職業を作ったのはプラトンみたいな話だったけど
もう
概念が存在しないところから
概念を作り出している人たちだから
そこの話をし始めると
こんだけこんがらがあるんだね
そうなんだよね
当たり前なのに僕らはね
概念があって抽象とか具体的に言うんだけど
その前提から考えている
人たちだからやっぱりねすごく難しい
イデアが難しいっていうのは
そういう意味もある
だからあれかさっき言った
ある意味では自分たちにとっては
当たり前すぎるから
改めて理解しようと
定義しようとすると
やっぱり難しいみたいな感じだろうかな
そうだね
普段持っている枠組みから
ちょっと違う考え方をしなければいけなかったりするから
そこが
すごく面白さでもあり
哲学が難しいと言われる
理由もそこにあるかもなっていうのは
そう思うね
さっき適当なことを話したかもしれないけど
なんとなくこう
大丈夫イデアの話と繋がってる感じはする
さっきの価値観っていうのは
繋がってるし
多分違うところがいくつかあって
この話で終わんないかもね
終わんないかもね
まあいいんじゃない
ごめんちょっと理解力がなさすぎて
難しいんだよやっぱり
でも多分これを知ることが
次の宇宙の話を
知ることに繋がると思うから
そういうことはしっかりやりたいんだけど
頑張ります
さっき兄貴がなんて言ってくれたかっていうと
人が生まれた後に
これは美しいあれは美しくない
とかいったことを
肯定的に学んでいきます
花は綺麗だけど
ゴミは汚いとか
でも花が綺麗だと思う
みたいなのは
学習できるんだけど
綺麗とは何か
美ってなんだ
みたいな話って
多分そんなに
花が綺麗だってほど
21:01
学習してないと思うんだよね
あるいはもしかしたら
生まれた瞬間から花っていうのは
汚くってゴミが綺麗だよみたいな
価値観で育てられた子供がいた時に
その
美しさっていう対象があるけど
美しいっていう
感覚とか何が美しいか
っていうことはおそらく
変わらず議論ができるはずなのね
はあんな
はいはいはいその
綺麗とか美しいっていう
感覚自体について
どう捉えるかっていうことね
どう捉えるかとかそもそも
その概念を理解できるか
うんうんうんうん
理解自体はできる
何が綺麗とか美しいってのは
理解できる
何を美しいとするかは
多分時代とか場所とか
文化には違うけど
確かに具体的なところでは
そうやって変わるけれども
対象は変わるけれども同じ引き出しに入ってるね
それはそうそうそうそう
それがやっぱりプラットンが言うところの
究極権利としての
イデアでそれがあれから
人っていうのは理性の力を
使ってそういう美とか
正義とかそういうものを
理解もできるしそうやって話もできる
はあちょっと分かってきた
なるほどそうか
さっき鼻の霊が出たから
どうしても具体的になっちゃったけれども
他にゴミの話でも
同じことが言えて
そうかそういった感覚とは
何かみたいなものの定義として
その感覚の
存在する場所が
イデアでっていう感じだと
ちょっと理解できた気がする
そうそうそう
でなんかね結構この辺
面白くて
いつかこれは触れたいと思うんだけど
でちょっと面白い
別の話はまた脱線しちゃうんだけど
日本の
日本の伊津々俊彦さん
っていう結構有名な
哲学者の人がいて
その人が
西洋とか東洋の哲学を結構横断的に
すごい
紹介されてる人なんだけど
イスラム哲学
っていうのを紹介結構してるんですよ
でそこにまさに今みたいな
話があって
イスラム哲学の
イブン・アラビーっていう人が
花が存在するのではない
存在が花するのだ
って言ってるのね
おー哲学っぽいな
これも聞くと
なんかよくわからんってなるんだけど
結構近いことで
要は花っていうものが
花花花って一個ずつ
存在してるんじゃなくって
存在っていうものが
むしろその前提にあって
それがある花
であったりあるゴミで
あったりある人間で
あったりみたいな感じで
うんうんうん
要はどっちが
前提ですか
種ですか主体ですかみたいなことを
考えると
24:01
せめてのものがある
それぞれの形で
存在しているっていう風に
考えるのが素朴な
受け取り方なんだけど
そっか確かに花って
そうだよね何も知らない赤ちゃんが
見た時に
確かに物は物で
花って名付けたのは
人間の方だもんね勝手に名付けたのは
っていう感じだよね
そうだねそうだね
名付けとかもすごい
存在が言葉であるみたいな
言葉もあるぐらいだし
うんうんうん
そういう感じで理解するとさっきの
存在が花である
花が存在してるんじゃなくて
存在が花であるっていう
感覚って確かにすごく
人間として
すごく謙虚な感じがするよね
あーなるほどね
ちょっともう少し聞きたい
その謙虚さ
あ、そう
多分ほら
花がどうしてもほらさっきの
花は綺麗だとかと同じで
それを多分同じ感じで
花が存在するみたいな話に
持っていかれると
花があるじゃんとか
あとあっちは草じゃんとか
ゴミがあるでもいいんだけど
それって確かにそうなんだよね
それってもうさっきの
綺麗とは何かみたいなのと
同じ話で
これは花ですよ
これはゴミですよ
やっぱりその綺麗とかっていう概念と同じで
物が存在するっていうことに対する
認識っていうもの
これもやっぱり
ある意味肯定的に
誰かに定義されちゃってるもの
でそこって
多分今思ったんだけど
当たり前すぎて
いや花じゃんって
花が綺麗ってのも当たり前じゃんって
ある意味綺麗っていうものと
花が存在するっていうことを
同列で語ってたんだよね
って思った
それに対する違和感っていうものが
今のイスラムの鉄のような話の
花が存在するんじゃなくて
存在が話すみたいなことがあった時に
確かに
さっき言ったけど
赤ちゃん目線で見た時に
物はやっぱり物でしかないよね
なんでもないよね
っていう時に
そういった存在が
花するんだっていうのが
すごくしくりきって
その感覚があると
すごく傲慢な感じに聞こえたんだよ
これは花でしょこれは木でしょって
別に人間が勝手に
世の中にあるものに
仮に名前を付けたもの
それが
色んなものに使われたりとか
キレイとか
さらにそれに対する
概念みたいな
これは便利だとかこれはキレイだとか
っていう人間主観での
有用性だったりとか
いらないみたいな
そういった判断であらゆるものが
名前を付けられて
それに対する感情だったりとか
認識ってものが
27:01
存在するっていう感じ
それってめちゃくちゃ傲慢だよな
と思って
反対の概念として
あるもの
物はあるんだな
それに対して仮に花っていう風に
言わせてもらってるんだな
っていう感覚って
すごくいいなって思った
面白いね
今それはたぶん兄貴が
人間中心主義みたいなものを感じた
瞬間かもね
あるんだそういう概念が
花は
人間にとっての存在だから
摘み取るのも人間の自由みたいな
瞬間に
人間が自然を支配するとか
自然は人間の道具である
みたいな考え方が
生まれたりするんだよね
それが結構近代以降の哲学の
まさに大きな問題になってきて
どうして我々はそんなことを
してしまうのかとかね
その目の前のものっていうのを
何か所にしてしまうのはどうしてかとか
それを大事にするっていうのは
どういうことなのかとかっていうのを
やっぱり
遡って考えていくのが哲学的な
というか
哲学者として
結構やってた人が多い
問題っていう感じかな
それって使うというか
やっぱり
ある物事について考える時ってのは
ここまで考えなきゃいけない
とか
ここまで
遡れるというか抽象化できるんだ
みたいな感じはするね
面白いね
だからやっぱり
まさに言ってくれたら
何かをちゃんと考えるって
こういうことなんじゃないかとか
それをやっていく人が
哲学者って呼ばれてきた
っていうのはすごくあるし
それだというかね
自分の頭で考えようとか
ちゃんと考えてるのさえとか
日常的に言ったりするんだけど
ちゃんと考えるって何よ
っていうのを話すだけでも
こんだけ時間がかかるみたいな
それを本気でやるんだったら
ここまでちゃんと
自分の感覚で理解しておかないと
言えないでしょっていう面もあるんだね
自分の頭で
って言っちゃうと
やっぱりそこが一回
自分の中で納得というか
考え切らないとやっぱりこうやって
話すこともできないと思ってるし
逆に言うと
イデアの話も全然
これまだ浅い話しかしてないから
そうなんだ
入り口にも立ってない感じなんだ
入り口ぐらいだと思う
ノックしてるぐらい
僕も全然深いところまで
分からないし
そうなんだ
今ここまでの話を聞いて
最初
イデアってさ
いきなりイデア界の現象界があって
言われた時はちょっと戸惑うというか
追いつけなかったけど
30:01
うん
なんとなくここまで話を聞いて
うん
ごめん
全然理解力がなくて申し訳ないんだけど
うん
このイデアっていう話も
最初に話してくれた
いわゆるあらゆる
自然のものだったりとか
そういったものは何出てきてるか
何なのかっていう
流れの中で出てきた話
っていうことで間違ってないんだよね
間違ってない
あってます
そのとも物事
あらゆる物っていうものは
このイデアで説明できるよ
という風に捉えると
さっきのね
存在はなだみたいな
そこはすごく自分的にはしっくり聞いたんだけど
あらゆる物事を話す上の土台として
このイデアってものが定義
しなければならなかった
プラトンが
っていうところがちょっと納得できた
気がする
そこのスタート地点だったんだなって
うん
それがまさに次の
宇宙の話の入り口になってくる
ってところがあるんだけど
そこがもう物
具体的に見える物だけじゃなくて
概念だったりとか
どちらも
一旦スタート地点に立ちましょう
みたいな
さっき話してくれたパルメニディス
のある物だけが
あるみたいな話と
ヘラクレイトスの万物あるという
物事が
ダイナミックに変化していくよ
一見その矛盾というか
逆の話をしているものは
このイデアと現象界
っていうものを二つを設定して
それぞれがある
っていう風に定義をする
それこそ花っていうものを
名付ける前の
何か物だったりとか
感情美しいっていう風に
名付ける前の感情みたいな物が
あった時に
それもあるっていう
名前を付けられる前の
物っていうものがそれぞれ
イデア界にあって
もう一方は現象界に存在する
あとそれに対してどう名前を付けていくか
どう見解していくか
どこで区切り回していくかだけの
意外だぞっていう
スタート地点をイデアっていう概念で
プラットフォームを設定した
みたいな
理解
違う
合ってる間違ってるは
一旦置いといても
これだけ
少し話しただけでもそこまで
自分の中で
考えが深まってるというか
認識が広がってる
っていうのがめちゃくちゃまずそれ自体が
プラットフォームって思ってる
そうだよね
なんとか
今まで来た中の知識を
繋げようみたいな
理解してみようみたいな
感じなんだけど
そうだね
今日色々
話をする中でまた
33:01
イデアってこういうものがあったのか
プラットフォームってこういうことを
言ったのかみたいなのが
アレンジに出てきたら面白いなって思うんだけど
次でやっぱり
プラットフォーム自身も色んなことを
ある種モヤモヤして考えて
なんとかもっと
上手くできないか上手いこと考えないか
言い表せないかって思ってます
次の
宇宙の話に行く前提として
なんだけどなんでそんなこと
考えなきゃいけなかったのかっていうと
ちょっとそこまで話して
次に行きたいなと思うんですけど
冒頭に
伝えた通り
サクランテスとかプラトンより
マイアネスたちって要は物質的なものとか
現実にあるもの
っていうのを前提にしてたんですよね
そうなると
どういう風になっていくかっていうと
あるものはあるんだから
あるんだからしょうがないでしょ
みたいな感じになっていくのね
要は
例えばなんで僕らは生きてるの
生きてるんだからしょうがないじゃん
とか
そういう開き直りができちゃうんだね
開き直りというか
結論そうなっちゃうんだよね
だってそれ以上遡れないんだ
例えば僕らが
今の原子みたいなものとか
素粒子みたいなものを知っていたとして
人間というのは素粒子からできてるんだから
別に感情とかも素粒子なんだよ
みたいに言えちゃったりもするかもしれないですと
ってなると
運命論っぽくなっちゃって
要は素粒子とか原子っていうものが
今ある配置になってるから
僕らは生きてるんだ
とか世の中はこういう風にある
とか宇宙は動いているみたいに
言った時に
なんとなくそれって本当に
説明できてますか
っていうことを感じてほしいのね
だから僕らはなんで生きてるんですか
素粒子がそういう風に
動いているからですか
そういう風に存在してるからです
みたいな
どう?
偉い人が言ったならそうなのかなーって思うかもしれないけど
あの
全然不利は落ちてないというか
理解できないよね
そもそも
うんうんうん
なぜかというと
多分その気持ちとしては
自分が生きているとか
あるいは
例えばプランドからしたらソクラテスが死刑になった
っていう現実を
それはもうたまたまだよ
偶然
ソクラテスっていう人がいて
原子とかそういうもの
ソクラテスと構成していたものがあって
それが何かのきっかけで
そういう裁判から死刑
っていう結果になっちゃったんだよみたいな
説明って
納得できるかというか
できないと思うんだよね
なった時に
そういう風に思ったかどうかちょっと分からないんだけれども
例えば
今ソクラテスが死んだ
死刑になったとか
アテネっていう国が例えば腐敗が起きているとか
そういうのって
頭損なってるの
それって本当に
36:01
偶然なの
それでいいのみたいなことを
突き詰めて考えていくのが
プラトンがやろうとしたものね
なるほど
プラトンなりの
超えるべき壁というか課題みたいなのもあったんだ
そうそうそうそう
だから
水だとか火だとかじゃなく
あえてイデアみたいな
それまでほとんどの人が考えていなかったようなことを
改めて考えだして
イデアっていうもの
あるものが
僕らの生きている世界というものを
作っている
そのイデア界と
現象界の繋がりっていうものが
この宇宙を構成しているんだ
それを理性によって
見出していくんだ
っていうのを
実践に至って初めて
プラトンは自分なりに
この宇宙とか
世の中がどうなるかっていうのを
語れるようになるという
はいはい
物だけじゃなくて
あらゆる人の営みみたいなもの
そういうものを全て
説明しようとしたってことなんだね
自然じゃなくて
それも自然と言えるかもしれないけど
人間も含んだ
宇宙とか自然とか世の中っていうものを
その手段を
用いて説明しようとした
自分の知性とか
人と議論する中の知性によって
結構その
哲学って面白いのは
舞台装置が大事で
こういう概念とか
前提から
こういう手段を持って
この問い答えでいきますよみたいなのを
最初にしっかりと作っていくのね
変な話、要はあるものはある
って言った人が
ないものについては語りません
みたいなことを言ったりとか
それも考えませんみたいな
そういうのがないと
議論がどこに行ったかとか
どういう風にその密度上辿っていいか
っていうのが分からなくなっちゃうから
本当に論議的じゃないというか
ただの思いつきみたいな話になっちゃうでしょう
ってことはもんね
批判もできないし賛成もできないっていう
意味のない話だよね
そうなんだよね
本当に思いつきになっちゃうから
でもそういう哲学を指して
いわゆるゲームじゃない
言語ゲームじゃないみたいに言う
後世の哲学者もいたりして
その哲学って
自体に対する批判とか
どんどん出てくるんだけど
少なくとも
プロトンは
自分なりの土台
イデアっていうものを
土台とか手段にして
人間とは国家とは
宇宙とはっていうものを
考えていった人
なるほど
今回はこのイデアって
スタートしてるんだよね
その前提の話の一つを
ここを理解したからないと
次の宇宙の話もできないから
っていうことで教えてくれたというか
なんとか語ってくれたみたいな感じ
取り上げてみた
そうですね
39:01
うまく語れたかとか
どのくらい表現できるかは
わからないけど
こっちもどのくらい理解できたかは
わかんないけど
一旦
とりあえずいろいろ話したので
次のティマイオス
宇宙とか自然について
っていう話をしていきたいと思いますので
また次回よろしくお願いします
よろしくお願いします
ありがとうございました
ありがとうございます
♪~
チャンネル登録よろしくお願いします!
by H.
39:34

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