1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #99 【お便り紹介】サルトル感..
2023-04-05 41:39

#99 【お便り紹介】サルトル感想/芸術と哲学/無知の権化ソクラテスなど

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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(音楽)
はい、ソレタツラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
サルトルの哲学とその影響
はい、今回はお便り紹介というところで、この前がサルトルの後ですね、ご紹介させていただいたんですけど、
その後からありがたいことにいただいておりまして、それを紹介していきたいと思います。
はい、では早速ですね、1つ目からですね。
ラジオネーム、お名前ですね。
「I love ソレタツさん、いつもありがとうございます」と書いていただいております。こちらこそいつもありがとうございます。
サルトル、興味深かったです。なんかめんどくさい人。
意地に対して儲けないんですが、めんどくさい人ですね。
善や因の哲学の頭じゃなくて心で真理を直感するんだといったアプローチを学んだ後だと、
なおさら理屈をこねくり回して不必要に考え込んで病んでしまっている感じで、なんだか気の毒。
先行でもさせてあげたい気持ちになりました。
今回すごく印象的だったのは、このラジオにハヤトさんももちろん、
京介さんもすごく楽しんで取り組んでおられるんだなと実感できたことでした。
お二人の楽しさ、めっちゃ伝わってきて、でも押し付けがまさや上からの感じが一切なく、
優しい語り口で、話の内容自体は難しすぎてついていけなくても、聞いているだけで本当に癒されます。
ただ、ハヤトさんが台本書くのに睡眠時間を削っておられるのが心配です。
毎週2本ずつ必ずアップしてくださっていることはすごくありがたいし、
ものすごく楽しみにしてはいますが、健康を犠牲にしてはいけません。
例えば休みは適宜入れるのとして、どうか無理のないスケジュールで、
すれ長く続けてくださいますようお願いしますね、というお便りをいただいております。
アイラブソウルテイさん、本当にいつもありがとうございます。
いつもありがとうございます。
ご心配をおかけしてしまいましたね、申し訳ない。
この時一番、なぜか家庭も確か大変だった時だ、子供がそうだ、
風邪ひいちゃったりしてて、
2時までやってて、今撮ってますみたいに言ってた時がありますね。
作って撮って出しですみたいな。
基本自転車送料だからね、何とか100回来ましたとか言いながらも、
かなりリアルタイムでお投稿してるもんね。
そうですね。本当にありがとうございます。
今はですね、だいぶ健康的になりまして、
きちんと週末とかに台本作って楽しくやっておりますし、
楽しいよね、本当にね、これは。
そうだね、そこが伝わってもらって本当にありがたいしね、
たまに怒られてるけどね、早藤にね、
言葉遣いがなっとらん、その言葉適当に使うなって怒られながらやってるけど。
でもこれでも真剣にできるって良さがあるじゃないですか。
まあそうだね、確かにそこはちょっと陸尺した関係でさ、
そこを突っ込めないとかってちょっと最悪だもんね。
そういうのもね、伝わってると嬉しいですよね。
まあ確かにそういうのは兄弟ならではかもしれないよね。
基本NGないからね。
基本ないね。
でも本当にね、いてくださってますし、
やっぱりサルトルね、そのたき気をさせてあげたいって気持ちはすごくわかります。
あ、そうなんだ。
やっぱり考えすぎちゃうのは良くないよねみたいなのって一方であるじゃないですか。
まあね。
そんなことよりもまず恋愛の一個でもしてみろみたいなさ、
昭和のおっさんみたいな人が意外と正しかったりすると思うのよ。
まあ言うてね、うちら生きてる人間ですからみたいなね。
そういう感覚も含めて楽しんでいただけてるのはやっぱり嬉しいですね。
という感じでね、またぜひ引き続き聞いていただきたいと思いますのでよろしくお願いします。
過去の経験と人生について
はい、じゃあ次はイアヌさん。
初めましてですね。ありがとうございます。
本日はラジオを楽しく聞かせていただきました。
お二人の声と書き合いがちょうど心地よく、難しい内容をリラックスして聞くことができました。
大変な(楽しい)台本作りと、それを教わるお兄さんの人柄とが相まって、
番組の安心感となり聞きやすいのだと思いました。
ここからちょっとご自身のお話をいただいてまして、
ちょっと一時期すごく鬱状態みたいな精神的に辛い時期があったと、
結構死ななきゃなんないんだぐらい思い詰めていたんだけれども、
病にもいかず、その時は自分で抜け出したことは覚えていると。
ただ今回の番組のサルトルシリーズを聞いて、
そういった辛い状況から抜け出した過程をはっきりと思い出しました。
抜け出した原因、きっかけというのが、
ブルーハーツというバンドの歌詞に、
「どうにもならないことなんて、どうにでもなって良いこと。
先生たちはいつも僕を不安にするけど」
という一節があり、
それがほぼ決め手で鬱っぽいところから抜け出せたのだと思いました。
サルトルさんの言う「あるものはあるし、
結る余計なもの。無とは自分であり、だから決意する」
というところが、まさに自分の心が軽くなっていた過程とそっくりと感じました。
自分の中の重要な過程を思い出すきっかけになってくれた、
この番組に感謝の気持ちでいっぱいです。
ありがとうございます。
いろいろ言っていたんですけれども、
割愛したいとご紹介させていただきました。
ありがとうございます。全部読ませていただいて本当に嬉しく思っておりました。
ありがとうございます。
ご自身の経験も踏まえて、
過去の辛いというか、ちょっときつかった時に、
実はこうだったんだ、みたいなのを気づいていただくきっかけの一つになってもらえたのかなというのは、
めっちゃありがたいですね。
ありがたいし、やっぱり日々生きていると、
何か大事なことがやっぱり忘れられがちとか、
あの時意外と気づいたけど、それをふと忘れちゃっていたみたいなのってあるじゃないですか。
でもね、この方は僕らのサルトルの話を聞いて、
このブルーハーツのこれが自分の転換点だったんだって思い出してくださったのが、
すごい嬉しいというか、
そんな風にお呼びにされたんだったら、やっぱりやっている意味があるなということをちょっと感じますよね。
私、改めてブルーハーツの何の歌だったかなと思って調べて聞いてみたんだけれども、
ブルーハーツの歌、哲学
ブルーハーツの少年の歌っていう曲で、すごくいい曲であるんで、
ブルーハーツはみんな好きな人も結構いると思いますし。
そうですよね、どうにもならないことなんてどうにでもあって良いことっていう、
要はこれってまさにデビューの話でいうと無根拠って話なんですよね。
そうなんだ。
多分勝手に言うけど。
やっぱり何か根拠とか理由があるんだったらそこに戻って理由を変えることができるけど、
無根拠に起きるとか、アクシデントまさにそういう事件とか偶然起きることって、
理由だけができないんですよね。
はいはいはい。
でも理由はないけど、だからこそもしょうがないとか、
もちろんそれこそが人生だみたいな話っていうのは、
結構良いスタンスというかリスクになるスタンスだと僕も思うんですよね。
言うてね、これが正しいあれが正しいとかって言うけども、
自分にとってはみたいな話ってすごく大事だからね。
もちろんそれで抱えきれないこともありますけど、
そういう考え方があるんだって言うだけでも、何か強くなれるというか、
生きることに前向きになれる。
僕基本的に生きることに後ろ向きだった人間だからさ。
はいはい。
だから手伝っている人なので。
そこにも意味を求めちゃうみたいな。
そうそうそう。求めちゃうんだよね。
なるほど。本当にありがとうございますし、
結局、ブルーハーツの歌詞もあったし、
1個ね、久々に聞いて歌詞この直前。
はいはい。
どうにもならないことなんてどうでもよいってことの直前の歌詞もすごく良くて。
何何?
言葉はいつもクソったれだけど、僕だってちゃんと考えてるんだ。
おー、いいね。
かっこよくない?こんなことばっかり。
1つの曲の中でずっとこんなかっこいい。
これ以外の話をしてるけど、かっこいいんだよね、やっぱりブルーハーツって。
かっこいいね。
ブルーハーツを哲学するラジオできるね。
いやー、まあ無理に解釈してね。
大きいかもしれないけど野望だな、それは。
野望だね、それはね。
でもかっこいいですね、やっぱり。
まあ別にね、ハヤトも多分俺もね、そんな別にブルーハーツね、そんなめちゃくちゃガチですって感じではないから。
申し訳ないけど。
でも本当楽しんで聴きたいなーみたいな、改めてなんか久々に聴きたくなった。
そこも聴いてみようかな。ありがとうございます。
ありがとうございました。
はい、では続いてですね、健康のあれさんですね。ありがとうございます。
京助さん、ハヤトさん、可愛くなっちゃった。
もう一回、もう一回。
京助さん、ハヤトさん、こんにちは。
絵画と哲学の関係
年明けに哲学でポッドキャストを検索してみた際に発見して以来ハマってしまい、初回から聞き通して予約前の回を聞こえました。
ありがとうございます。
聞いていただいて、哲学には以前から関心がありましたが、哲学者の考えをインプットするには資金が高く、
尻込みしていたところに非常にわかりやすく、しかも東西を織り混ぜて哲学者の思想の発展を紹介していただけるこのポッドキャストに出会い、非常に勉強になっております。
ちょっとすいません、途中飛ばさせていただきまして、
僕も面白いなと思ったのが、ピカソに代表されるキュビズム、ちょっと後で説明しますが、
そういうスタイルでは、一つの地点から見えないはずの顔の右側と左側や、
板の表面と裏面が絵画の中に配置されている、平均されている絵が描かれたりしますが、これも目に見える=認知ということと、そこに物が目に見えない面も含めて存在するということを代表表現しているのかなと、
哲学的視点から絵画を考えることで、初めて気づく面白さも感じました。
絵画やアートについても、哲学についても、全く素人で、興味のままに読みかじり聞きかじりした範囲での思い付けのため、
上記のようなアートと哲学の関係について、もし既になされている議論などがあれば、今後取り上げていただけたら嬉しいです。
最後に、私も細々ながらポートキャストをやっておりまして、
日中の回を聞いたときに、とても素敵なハイドさんのエピソードに触れて、じっとしていられず、
本当に勝手ながら、ソレ鉄ラジオを紹介する回を収録公開いたしました。
お時間があれば聞いていただけたら嬉しいです。
今後の展開も楽しみにしております。
春先、風邪などは寝されませんように。
細々とおっしゃってますけど、全然僕らより先輩ですよね。
そうですよね。すごくやってらっしゃる方。ありがとうございます。
ご論、ありがとうございます。
もちろん聞かせていただきましたし、鉄楽について結構いろんなところで健康のあれさも触れられていて、
僕もすごい楽しく聞かせていただいたんですけど、
すごい自然な感覚から鉄楽に触れている方だなと思って、それが素敵だった。
鉄楽って、ソレ鉄ラジオも言っても難しいって何気も言うじゃないですか。
それでもなんとか日誌を寄せようとして失敗してるのはソレ鉄ラジオなんだけど。
なるほどね。使いますとかって言おうとしてね。結局難しい話になっちゃう。
テーマについてとかって前回言ってるけど全然短くはないよみたいな。
それはもうごめんなさいなんだよね。ずっと残してあるんだけど。
そうそう。それはセルフツッコミしてるんですけど。
でも本当に健康のあれさはやっぱり日常の中で思った疑問とかを鉄楽に照らしたらこうかなみたいに語られてるのはすごい素敵で。
確かに。しかも自分の生活とか仕事をする中で、多分自分の職業をお仕事に重ねながらというか、その中で気づいたこととかを。
結局こういう鉄楽とかのお勉強もそうだけど、やっぱり面白いのはその人が経験の中から感じたことがやっぱりこそ価値があるじゃないですか。
すごい今どや顔をしてたけど。
ごめんごめん。
でも本当にそういう面白さを。本当にありがたいんだよね。
ラジオを聴いていただいて、それを別のポトキャストで紹介いただいて。わざわざ。
本当にありがたかったし、それをやってる方がこんな面白いラジオをやってらっしゃったってすごく嬉しかった。
美術と哲学
嬉しい。やっぱり途中でおっしゃっていた、アートとのつながりとかっていうのもすごい素敵な観点だなと思ってて。
さっきの音楽もそうだけど、やっぱりつながるんだね。
つながる。鉄楽の発想がやっぱりそういった人に影響を与えて、そこからアウトプットにも絶対つながるし。
逆もあるよね。そういう人の表現に対して、鉄楽的なものが影響を受けるというのもあるだろうから。
まさにニーズとかの時に言ったのかな、詩人と鉄楽者って結構近いというか、詩人の方がむしろ言葉をうまく操れてるみたいな話もあったりするんですけど。
やっぱり絵もそうだよね。絵に関しては原初学とかの時に、もうちょっとちゃんと触れたいなと思ってるんですけど。
やっぱり人が物を見るとはどういうことかとか、それを表現するとはどういうことかって、やっぱりまさに取り組んで。
やっぱりそれをまさに絵の脱構築だと思うんだよね。キュビズムとかピカソがやった、いわゆる線とか視覚とかで人間とか世界を表現するみたいな話って。
まさに目に見えた世界ではなく、奥にある構造を捉えようとしてるみたいな話だから、まさに構造主義的な感覚だっていうのも。
多分合ってると思う。聞いたことがある気がするんだけど、全くロスだったら本当申し訳ないんで、ちょっとまた調べてくださいって言うんですけど。
やっぱりそういうのはあるし。やっぱり中世とかも、やっぱり神が絶対の時代には絵画って発展したいんだよね。
うまく描くとかって必要はないから、絵画って12世紀とかのスコロワータスワークとかの絵を見るとすごいのっぺりしてるんですけど。
なるほど、ルネサンス前みたいな話か。
ルネサンス前。ルネサンスとかでやっぱり人がどう表現するかとか、人をどう表現するかとかってなった時に、やっぱりその豊かさとかリアルさとか、うまさみたいなのが出てくるんだよね。
そうなんだ。
なんかやっぱり絵画の歴史とかも、一時期すごい興味あって調べた時があったんですけど、めちゃめちゃ面白いですね。
それがやっぱり大学とかとの発展とかって、やっぱり社会的な流れともすごくつながってたりとか。
そっか、そこはやっぱり、アートとか芸術、人間の生活そのものもだけど、かなり手伝っているのは、かなり横に横断的な感覚なんだね。
そう、そう、やっぱりそういう影響も与え合ってるし、やっぱりこういった機場の学問でやってるわけじゃないっていうのはすごく面白い。
さっき言った生身の人間が経験から生かされて、できてるから。
そっか、そっか、そこもお互い影響し合ってるんだもんね、哲学とね。
そう、そう、そう。
それではぜひ引き続き僕もちゃんとこのラジオを通じてお伝えしたいなというふうに思ってます。
はい、はい、健康なりさんありがとうございました。
はい、ありがとうございます。
じゃあ続きまして、お名前がピラミッドさんですね。初めまして。
友情の定義
#2なので、これはリュシスの回かな?
そうですね、リュシスの友達とは何かみたいな話のやつですね。
はい、はい、はい。
#2の似た者同士って、同じことに共感できるという定義なら話は変わってくるのでは?
つまり似た者同士の定義がソクラテスと違えば話の過程も変わってきますよねというようなお話で、
たぶんその内容に対する言葉の定義とかのお話ですよね。
そうですね、違和感を持ってくださって連絡いただいたっていうところだと思うんですけど、
本当に嬉しいですね。こうやってちゃんと違和感を持ってくださるとか気になるっていうことはやっぱり自分で考えているというのはあれですけど、
自分の哲学があるからこそたぶん引っかかるなと思うんですよね。
本当にそれをちゃんと聞いていただいて嬉しい。ほら自分なんか全部「そうだねそうだね」すごい出て行っちゃうから。
本当にすごいと思うんだよね。
すぐ固く思うとするからさ。
そうそうそう。
そうじゃない?っていうところでいくと。
本当にこれもしよかったら皆さんもだいぶ昔のというか初回のところなんでまたよかったら聞いていただけたら。
ちょっと至らない点も多い回ではあるんですけど。
ソクアテスとリュシスっていう青年が似た者同士とか友達ってなにみたいな。
友達って似た者同士はなるよねっていうところから、でもそれってどうなの、ああなのって話をやっていくんですけど、
まさにそうでリュシスが同意をするからソクアテスはそのまま進めていくっていうある種そういうちょっと誘導尋問的なところが俳優の中にあるんですよね。
多分このフィラミットさんはそこで否定したらどうなのとか、そもそもソクアテスに同意できない場合ってどうなのみたいな話だったのかなと思うんだけど。
だったりとかあれだよね、同じ似た者同士ならリュシスはうんって言うけれども、そもそもその似た者同士っていう定義がお互い食い違ってた場合もあるよねみたいな話だよね。
問答法
でもそこもソクアテスは絶対に聞き返すんですよね。
じゃあ違うとしたら何が違うんだろうかとか、それはまずは定義から考えよう。
で、僕はこういう定義だと思うんだけどこれは同意できるだろうかっていうところに多分話が持っていきますと。
なのでおっしゃる通り定義が違えば話の結果も変わってくる、話の流れは変わるんですけど、結果が変わるかどうかはちょっとわかんないです。
あれだよね、その問答法そのもの自体というよりは、ラジオ自体でそこまで話してたか、話してなかったら申し訳ございませんって話だけども、
ソクアテスがやってた問答法っていう意味では、その言葉の定義一個一個をちゃんと確認しながらやってたので、
まあ仮定は変わるかもしれないけど結果自体は同じような方向に行くだろうねっていうのはここではそういう回答になるみたいな。
おそらくそうなると思う。定義を問い直したとしても、その定義というのはこうであろうか、ああであろうかって言って、
じゃあここまで合意できるから先に進もうかってなって、結局友達なんてものはよくわからなかったりっていう風になるんじゃないかなと思って。
なるほどなるほど。また似たものの定義がどこまで行っても聞き違う場合は、また違う方向に話を持ってくるだろうしみたいな。
そういうスタンスがソクアテスは持ってました?みたいな話ではある?
そうおっしゃる通り。君はこうおっしゃるけれども、こういう点で君の論、定義っていうところには穴がないだろうかとか、例えば問い返しとか。
ソクアテス自分の答えに持ってきたそうだな、ソクアテス。
いや答えがないんだよ。無知の地だから無を演じてるわけよ。
そこは?
ソクアテスは。だから、サイドロー的に言って合ってないけど、出ちゃうんだけど、ソクアテスは実在する無なのよ。無知の地だから。
無の権限なんだけど。
無の権限なわけよ。厄介だよね。
嫌だな、やっぱそこですよ。やっぱ嫌われるわ。すいません、ピュアミトさん、この回答でOKかわかんないですけども、そういう意味ではハヤトの説明穴があったのかもしれないけど、ありがたいですね。
答えついていただいたところから僕が好きだったり喋ったりになってしまったんですけど、本当にいろんな気になったこととか疑問に思ったことをまたいただけると、こうやって話もさせていただけるので嬉しいなと思ってますので、引き続きぜひ。
よろしくお願いします。
はい、ということで次のお便りですね。ふーばーさんからいただいております。はじめまして。仏教のポッドキャストを探していたらたどり着きました。
原始仏教が好きでいろいろと本を読んでいるのですが、仏教を知れば知るほど資本主義で駆動している今の世の中は生きにくいなと思っています。非常によくわかります。欲望を無限に支配してくる資本主義と欲望が暴れされるように小さくしていく仏教との組み合わせの悪さ。マラクスの回も楽しみにしております。
まだ仏教の回だけしか聞いていないので、西洋哲学のエピソードも順次聞いていきますね。
あと最後に質問なのですが、ストア派と原始仏教に近いものを勘案しているのですが、何か接点とかってありそうですかね。時代的にも近そうですし、地理的な距離はだいぶありそうですが、というお話をいただいておりまして、ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
皆さん、サルトルから来たり仏教から来たり、すごくいろんな方が集まってきてくださっていますね。
確かに西西から東から本当にありがたい。
嬉しいな。僕らも東洋、仏教が好きなので、兄貴を一緒にしちゃって、やっぱり行き来しながら話させていただいているのも特徴かなと思うんですけど、
ストア派と原始仏教の接点
兄貴ってストア派って聞いて何かピンときます?
トマス・アキナス?
違う。アキナスは違くない?スコラじゃない?そっちは。
ごめん、わかんない。そっちはスコラ派?何それ。スコラ派とストア派ってまた別あるんだ。
トマス・アキナスは多分スコア哲学で、ストア派っていう、ゼノンとかでは有名なんですけど、いわゆるアリストデイズとかの次のギリシャで話題になった哲学の一派みたいな感じなんですよね。
前、雑談であれをね、ゼノンのパラドックスみたいなのをやった人のゼノン?かなり昔の人か。
かなり昔の人、本当に多分ですね、紀元後200年とかそのくらいの立ちなんですけど、
本当に近いところがあるっていうのは結構、感覚としては確かにあるなと思いましたと言われてみて、
これはちょっと説明すると長くなっちゃうので、またストア派への取り上げたいので、今簡単に言うと、やっぱり原始仏教もやっぱりそれまで、これはインドの時やったと思うんですけど、
それまでのバラモン教を乗り越えようとしたじゃないですか、ストア派とかもそれまでの結構やっぱりペラトン的な二元論主義というか、
それに乗って、経時学は割と乗り越えようとしたみたいなところがあるんですよね。
だから結構そういう抽象議論になりやすいものとかを割と乗り越えて、割と現実に地に足ついたとか、
自分たちの、まさに物事を考えるということを厳密に考えるみたいなメタ的な、
経時学って物を超えるんじゃなくて、自分たちの考えるということについて考えるみたいなところが結構ある、
キヨちゃんはですね、そのストア派も。そういうところが近いという感覚があるとしたら、本当におっしゃってることというか、
フーバーさんが考えてらっしゃることっていうのはすごい素敵な観点だなって思ってますよね。
なんかおじさん何様だっていう話があるんですけども。
そんなあたりもぜひまた僕も調べて、このテーマにできたら面白いなと思ってますので、お楽しみにお待ちいただけたらなと思います。
はい、ありがとうございます。続きまして、お名前、木村さん、ありがとうございます。
哲学の常識を脇に置く
ありがとうございます。
いつも楽しく聞いています。初回から聞き始めて、ようやく最新回と92回レビストロースまで聞きました。
家事の最中や運転中、保育園のお迎えの途中など、面白すぎてずっと聞いていました。
自分は理系出身で、倫理や哲学の授業は一度も受けたことがなく、哲学とは全く無縁だったのですが、
どのエピソードも自分の常識や価値観を崩してくれるので、とても痛快です。
近代西洋哲学の会では、いつも日常生活の中で当たり前だと思っている前提を一旦脇に置いて考える必要がありますね。
普段と違う脳の使い方ができて面白いです。
線形代数を始めて習った時に、4×5と5×4が同じになるなんて当たり前じゃんという常識を一旦脇に置く必要があったのです。
デカラトや関東の会でも同じような感覚になりました。
ちなみにですが、個人的には雑談会が一番好きです。
みんなで乗り越えたプロジェクトが完了した後の打ち上げに似たカタルシスを感じます。
これからも更新楽しみにしています。
ということで、ありがとうございます。
ありがとうございます。
面白い。そっか、線形代数って知らないからそうなんだ。4×5と5×4って違うんだ。
僕も詳しく知るわけじゃないんだけど、Aの要素とBの要素っていうのは数字だけじゃない時に、Aをひっくり返すと全然違う要素になっちゃうみたいなことは確かあるんですよね。
本当に面白いところで常識を脇に置くって多分通訳でもめちゃくちゃ大事で、
これもね、30年前くらいかな、日本人がABC理論っていう、それまで誰も解いてなかった問題を何問も解きましたみたいな話があるんですよね。
その時にやった方法をまとめた本があってそれを読んでたんですけど、なんかね、足し算と掛け算の関係を一回バラバラにするみたいなことを書いてて、どういうことって思ったのね。
わかんないね。
ABC理論と数学的観点
わかんないですよ。やっぱり足し算って基本的には3+3+3=9だってした時に、それが3×3=9だみたいな説明を基本的にはするじゃないですか。
うん、そうね。
日常とか算数レベルでもいいんだけど、それなんかめちゃめちゃ難解の数学レベルにすると、それが解きほぐせるんだって。全然わかんないけど。
違う話になってくるのね、それが。
違う、そうそうそう。
っていうことをやったら、なんかABC理論が解けたみたいな話らしく、なんかね、何言ってるかわかんないんだけど、やっぱり常識を超えるって大事だっていう。
今日もアードの話とかあったけれども、やっぱ数学、ある意味、どっちも二人とも文系だからあんま馴染みないんだけれども、理系とか数学、
そういった観点から見ても、もちろん、やっぱこのネザークの話を聞いて感じることってあるんだね。
いやー、本当にね、ありがたい。以前もね、生物とか医学系の方か、あのラッドがね、ネズミの生存率上がりますって言ってくださった方だと思うんですけど、
でもなんかこう、皆さんの日常に何かこうやっぱり、ちょっとずつ生かしていただけて、生かしていただけてというわけじゃないかもしれないけど、
僕らは、僕らの観点にしか語れないけど、皆さんの生活の観点で受け取ってもらえているというか、すごく嬉しいですよね。
本当だし、もう最新観まで聞いていただきたいということで、引き続きぜひぜひお楽しみいただければ。
こんな長いラジオを。
だいと膨大な時間と思うんですけど、でも、やっぱり耳で聞ける、やっぱりこのポッドキャストの良さが本当にありますよね、そういう意味では。
そうだね。なのでぜひぜひ、カジとかね、保育園のお供にぜひぜひ、引き続きお願いしますと。
はい、ぜひぜひ。あの、脱団会も引き続きやっていきますので、楽しんで一緒に聞いていただけると嬉しいです。
はい、お願いします。では続いて、おとなしいちろうさんと読むのかな。
いつも楽しく聞いております。ゆる言語ラジオにゲスト出演してほしいです。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。ぜひゆる言語ラジオの方にもお便りを。
確かにこんな弱小ポッドキャストじゃなくてね。
そうそう、僕らがいて何か見てくれるのかな、無理だよ多分。
そうはね、ぜひゆる言語学ラジオのお二人の方にぜひ送っていただければ。
でもあれか、もし仮にだよ、仮に5人くらいの方が送ってくださったら、スパムメールみたいになるのかな、だから、それも。
まあないかもしれないし、向こうにはゆる哲学ラジオもスタートしていらっしゃるので、面白く聞いてるけど。
哲学の界隈と広がり
でもね、やっぱりそういう学問系みたいな、確かにアクリリエと哲学みたいな感じになってくるからね、そういう界隈がぜひぜひ、そういうところの盛り上がりを一旦少しでも、哲学分野で少しでも少しでも見えてたら、みたいなところもありますんでね。
そうですね、やっぱりもう狭いじゃないですか、そもそも兄貴にも言われたけどさ、哲学界隈では有名って狭いよ、みたいなこと言われましたけれども。
この本はとか、ハイデガワとか言った時に、そういうのが少しずつでも広がって、哲学ちょっと面白いねとか。
まさにこのサルトルの話を聞いて、サルトルで検索しました、みたいな方もいらっしゃってましたけれども、そういうふうにいろんな人が楽しんでいただけるとやっぱり嬉しいですよね。
引き続き頑張っていきますので、そんな機会とかもあれば嬉しいですね。
次で今回のお伝えとしては最後なんですけれども、ラジオネーム黒猫さんですね。本当にいつもありがとうございます。
はい、いつもありがとうございます。
はい、こんにちは。今回のデリタの話、とても難しかったのですが、私なりの理解だと少し怖いなと思いました。
例えでビー玉が出ましたが、それすら壊されてしまい、周りにあるありとあらゆるものが壊されていく感覚がしました。
ただ怖いと思う反面、今までいろいろな哲学者が組み上げてきたものを内部から破壊されていくことが少し面白いとも感じました。
私自身とても人ご信じやすく、ソイルティスラジオで今まで聞いてきたことも、
京介さんのように毎回うなずいて「これは、それはすごい」と聞いてきた人間なので、今まで聞いてきた考え方が壊されたことが正気的でした。
まだまだ知らない世界があるんだなぁと思い知りました。
そしてソイルティスラジオを通してそれを知ることがとても嬉しく、あ、楽しく思います。
記念すべき100回まであと少し、早田さんの語る意味のお話、楽しみにしています。
そして100回を超えてからも楽しみに聞き続けたいと思います。
それ長く続いていきますように。ということで、本当に温かいメッセージありがとうございます。
はい、ありがとうございます。あともう1ついただいてましたね。
そうですね、あ、サルトルについてもいただいておりまして、そちらも読ませていただいておりました。
今回は時間の関係で、そちらは省いていただくんですけれども、本当にいつもいつもお手柔にありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
デリタと虚無感
はい、そう、デリタはね、怖いと思うんですよ。小林君もそんな感じでした?
うん、そうだね。今回のハエトの話を聞いて、そこで脱構築というか、いろんなものをぶっ壊した先に一筋の光は見たんだけれども、
やっぱその虚無感とか、キニヒリズム感っていうのはやっぱすごいあるよなと思う。
うんうんうん。そうなんだよね。やっぱり僕らは普通に生きている。前回も最初に国とかもそうだし、
やっぱり、なんだろうな、そういう、例えば社会とか仕事とかさ、愛情とかなんでもいいんだけど、そういう概念をある種崩せるとか、
そういうものを無根拠にしちゃう。だから信じるっていうことができないんだよね。
何々だから信じるってことはできなくて、信じてる、信じ続けるしかないみたいな。
そういう点に立った時の怖さというか、なんだろうな、すごい後ろ盾のなさ?
うん、そうだね。
っていうのはね、やっぱりすごいあると思うので、ただやっぱそれを受け入れながら生きているのが人間じゃろうみたいな、そういうところも感じる部分がありますよね。
そうだね、今回、今の黒猫さんのお話も聞いて思ったって思い出したんだけど、今回のデリラの話聞いて思ったのが、結構ディズニーランドをちょっと思い出しちゃったんだよね。
例えばミッキーがいた時に、中に人がいるんですよ。みんな知ってるだろうけど、いるんですよね。
という時に、やっぱり神を信じている段階とかだと、子供だと中に一人なんて思わないじゃん。
思わない。
その状態ってある意味すごく幸せなことで、ミッキーがいて、ミニーがいてってすごく楽しい。本物がいて楽しく楽しませてくれる。
そういったすごく幸せな世界なんだよね。ただ、中に人間がいるってした時の衝撃があるとする。
その時にどう思うかっていう話と、もう一個先、その上で「人いるのか」って残念に思っちゃうか。
それでもやっぱりミッキーは好きって楽しむ人もいるかもしれない。
さらにミッキーが好きから抜け出して、「オリエンタルランドすげえ!あの表出し感すげえ!」みたいなところもあるわけで、
どの面で楽しむか、どの面で押すかって結構段階があるよなと思ってて。
この「デリダ」聞いた時に、これが果たしてどの段階なのか。実はミッキーの中に人がいるんですよの段階だったら、
その辺とか、実はオリエンタルランドっていう会社はすごくて、めちゃくちゃすごい仕組みをしながら人々を楽しむっていう、
めちゃくちゃすごいことを行っている。そこがやっぱりすごいわけで、その構造の中でミッキーが頑張っているっていう。
ちょっと構造主とか脱構築とは例えではないよ、こっちの感じた感覚なんだけど。
そういった意味で、じゃあその正体を知ったから寂しいかと。ミッキーに仲良い人いるからじゃあ終わりかって言ったら終わりじゃないよねっていう意味の引っ掛けを感じているって感じかな。
なるほどね。面白いね。あいにくは家族でディズニーとかによく行くから好きじゃないですか。
うん、だね。うちの奥さんが好きだから。
僕からすると、別にミッキーがどういう存在かっていうのはもはや関係ないんだよね。
ミッキーはもうミッキーでしかないから、別にそれが人がいるとかいないとか、誰かが作ったとか、ウォールドディズニーが作ったキャラクターとかってのは関係なく、
もうミッキーはミッキーとしてあるっていうところが一番幸せな地点じゃないかなって思うんだよね。
そうか、ミッキーはミッキーとしてある。
そう、ミッキーはミッキーとしていると。別に人がとか誰かが作ったとか関係なく、ミッキーっていうものは僕らの世界に存在しているし、僕らと関係を持っていてすごく親しみのあるキャラクターとして、
常にそれこそミッキーと知らない人ってどっちの方が存在感あるかって言ったらミッキーの方がやっぱ存在感あるじゃない。
ミッキーの存在意義
ちょっと不特定の一個人と比べてもみたいな話はあるんだけど。
違うんだよ、違う違う。じゃあなぜミッキーの方が存在感があるのかとか、なぜ僕らはそういうミッキーっていうのは作られた存在だって思いながらも、
彼らのことがあんなに好きになれるのかみたいな話っていうのは、実はめちゃめちゃすごいことだと思ってて。
しかも次の話に繋がってくるんだ。繋がる。計らずしも。
それが意味の話なので、ミッキーになぜ僕らは意味とか愛着を感じられるのかって話なので。
了解しました。いいね。
じゃあ、お便りはここまで。本当に皆さんありがとうございました。
ありがとうございました。皆さんちゃんと読ませていただきたいんですけど、僕らの都合で勝てながら省略させていただいてしまって、
申し訳ないんですけど、全部本当に読ませていただいておりますので、ぜひぜひ引き続きいただけると嬉しいです。
はい、ありがとうございます。じゃあ次回は、今度はハヤトのテーマ回ということで、ディズニーランドの話ということで。
違います。
意味の話。全然違うからね。
意味について、僕が最近好きだなと思っていることを話させていただきますので、よかったらお付き合いくださいという形でございます。
了解しました。じゃあ次回も引き続きよろしくお願いします。
お願いします。ありがとうございました。
ありがとうございました。
[音楽]
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