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ではですね、早速ディマイオスの話なんですけど、一瞬、ちょっとさっき最初言った国家っていうのの話も少ししたいですと。
というのが、まさに冒頭で兄貴が言ってくれた通り、プラトンはいきなり宇宙の話をするんじゃなくて、その前に、やっぱりアテネの話だったりとか、そこに住んでいたか生きている人の話っていうのをしていくんですね。
それが国家で行われていて、ディマイオスっていう本の冒頭でも、その前に書いた国家っていう本の話を踏まえて、宇宙の話をしていくよみたいな段取りで話してるんだけど。
国家の内容ってのは、本当にすごいざっくりね。 知識ゼロなんで、ぜひあらすじを簡単に教えてください。
国家みたいな国とか、当時だと共同体、ポリスみたいなもので、何が理想なのというか、何を目的としているのかっていうと、いろんな階級とか役割の人を秩序立てて、国家全体の幸福のためにそれを有機的に統一することだよ、みたいなことを言いますと。
それはプラトンが言っている。
これだけ聞くと、全然現代でも確かに思うかもしれないんだけど、国っていろんな人がいて、その人たちがバラバラに過ごしちゃってると、当然国っていうまとまりとか、何かが起きたときに一緒に頑張ろうみたいなことってできないんで、その誰の秩序っていうのが必要で、ただそれが国家全体の幸福のためですよ、みたいなことを言いますと。
歴史的に言っても、狩猟から農耕になったときに、やっぱり人が集まった方が結局生きていくのに便利だよね、有利だよね、みたいな話を、もうちょっと国家が大きくなっていくと、こういうふうな形になってくるっていうことだよね。
そうそうそうそう。大きくなっていくときにって話なんだけど、結構ここでプラトンの価値観が出てくるのが、要は人ってバラバラにしてやっちゃうと、結局自分の欲望とかに従って動いちゃうから、あんまり良いことにならないよねっていう話をするのね。
なので、その欲望みたいなものは、理性によって、とか秩序によって制御する必要があります。
人で言ったら、その欲望を理性とか知性で抑えるみたいな感じになるし、国で言ったら、ここがね、多分ね、結構いろんな議論の的になっちゃうんだけど、いわゆる一般大衆みたいな人たちって、要はちょっと物を知らない人たちだから、そういう人たちはまとめあげる、やっぱり政治家とか、知識を収めた理性を持っている人っていうのが必要だよ、みたいなことを言いますと。
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はいはい、わかるわかる。
プラトンからすると、それが哲学者であって、哲人、哲学の人の王様っていうような優れた指導者っていうのを作るために、こういう哲学教育が必要なんだよ、みたいなことを言ってたりしますと。
はぁー、ごめん、ちょっと間挟んじゃうけれども。どうぞどうぞ。今の聞いて面白いと思ったのは、ソクラテスはアテネの人全員で、多分市民一人一人が物事を考えられるようになることが、そしてそういう人たちが立派な政治家になっていく。
まあそこは同じだと思うんだけど、立派な政治家になっていくことが、アテネの幸福につながっていくよっていう風に考えたのかなって、この前聞いて思ったんだけど、プラトンのところはもうちょっと現実的な感じで、市民全員がそうなるべきとは言っていなくて、多分いろんな階級があるから、
人々の知識だったりとか、いろんなものの差っていうのももちろんあって、そういった意味で現実的には、一部の、いわゆる哲人政治っていったっていうか、哲学を収めたような人を、何人かというか、一部で選別というか、あれかな、一部育てて、
そういった人たちが、さっき言った一般民主とかいろんな階級の人をまとめて、あと秩序、ルールを作って国を運営していくことが、そうすると全員が、その哲学についてわからなくても、結果として国家として全員が幸せな方向に持っていくことが可能になるよねっていうようなプラトンの考えというか価値観っていう話だった。
そうだね、それはすごくあると思う。だから結構、難しいというか、近代に入ってプラトン批判されるのが、やっぱり人類は第一次世界大戦、第一次世界大戦を経て、やっぱりナチス、ドイツとかっていうのを経験してるから、やっぱり一人の手に権力が集中すると、やっぱり良くないことが起こるみたいなのを経験として持ってるわけじゃない?
ああ、うん、まあ、そうだね、そういったナショナリズムの是非みたいなところだったりとか。
そうそうそうそう。やっぱりその文脈とこのプラトンの国家っていうのは見たときに、確かに無法地帯で誰も彼もが好きなことをやってるのは良くないけれども、でも一部のエリートみたいな人たちが国を運営するっていうのも理科学なものかねみたいな議論にも引き寄せられたりして。
まあ、それはしょうがないよね。天秤がね、歴史的にも、だってね、中国の皇帝だってね、あのトップとか脇を支える。
ああ、そうだね。
人たちは変われば変わるっていう風な、どうしても君主とか皇帝とかってなっていく時のその話ってありそうだけどね。それが多分西洋的には一番衝撃的だったのがヒトラーで、みたいな感じになってくるんだろうね。
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そうだね、そうそうそう。やっぱりこういう話って、本当にセオポスの何千年前の話だけれども、やっぱり今の僕らが見てもやっぱりこう、引きつけられるというか、やっぱりすごく学ぶところがあったりするというのはそういうところかなと思ってますと。
で、ちょっとね、国家とかの話をすると、どんどんややこしくなっていくので、宇宙の話に戻していくんだけど、さっき言った通り、欲望があってそれを抑えるために理性とか質量が必要だ、みたいな話は人間世界の話なんだけど、
それを宇宙まで広げましょうと企んだのがこの『ティマイオス』っていう本ですと。
で、この本というか、そこでやろうとしたことが何かっていうと、ちょっと前回も触れたんだけれども、なんで今の状態が最善というかこうあるのか。
今の世の中がとか、まちの政治の仕組みがとか、人間の生き様がどうしてこうなっているんだろうっていうのをプラトンは元々すごく考えますと。
それはやっぱりソクラテスの死刑みたいなものを含めた、やっぱりこういろんな不条理だったり、アテナの町っていうのが結構衰退していく時代に生まれて生きてきたので、
やっぱりこれが衰退していくとか、尊敬していた師匠が死ぬみたいなことが仕方なかったとか、たまたまそうなったからもう受け入れだよみたいな話でやり過ごせなかったんだよね、たぶんプラトンは。
これが自然の説義なのか、それとも人間世界のバグなのかわからなかった。そこをプラトンは証明したかったというか考えたかったんだね、おそらく。
そうですね、そうそう。結構ね、後半感想でも増えたいけど、それによってやっぱり人間の歴史っていうのはかなり動いたなっていう感じもするんだけど、そこは一旦置いておいて。
なのでそこの探究っていうのはこれまでやってきたイデアの話とか、人間とか国家とかの話から考えをやっていきますと。
考えを深めていくんだけど、宇宙の全体って普通に見ると、素朴に見るとめちゃめちゃ秩序が湧き渡ってますよね。
要は日は昇れば沈み、星は輝き、風は吹きみたいな感じで、生態系も枯れればまた新しい種が生えてみたいな感じで、素朴に考えるとすごく調和されてるように見えますと。
かなりルールにのっとってシステマチックに動いてるような気がするよね。
そうそうそう。で、これって偶然とかたまたまなんだけど、いやいやそんなわけないよねみたいな思いがすごくあって。
じゃあ宇宙っていうのは秩序が行き渡っていますと。さっき言った通りプラトンは秩序っていうのは理性の働きによって生まれるものだから、この宇宙にも何らかの理性っていうのが働いてるんじゃないかってことを考えますと。
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さっきのあれだよね、立派な政治家がそこまで知識とかがない人たちを秩序を立てて動かしているように、宇宙の何かがそういった星とか太陽とか、あとマクサバナもそうかもしれないけれども、そういったものをすべて統率、ルールを作って運用しているんだろうと。
そこを拡大的に考えたんだね。
そういうことですよ。
結構プラトンは身長なので面白いのが、さっきソクラテスとの協同を兄貴もしてくれたけど、結構最初に断りを入れてて、宇宙っていうのはいわゆる全体をつかむことができないもの。
あるいは人間の、宇宙のイディアがあるかどうかみたいな話とかもあるんだけど、見えるんだけど、全体を見切るものではないので、確実な知識じゃないよと。
あくまで語っていく中で、宇宙っていうものを捉えたりとか、明確にしていきたいんだよっていうことを最初に言ったりするんだけど。
そこはもう絶対主義だとは言わずに、あくまで自分が洞窟の比喩で語ったように、宇宙ってことを考えると、自分も宇宙の中にいるから、宇宙そのものを外に出て見ることはできなくて、
自分が今いるところに映った星とか空の動きとか、そういったものを洞窟の中で影を見るかのごとく見たものから想像しているに過ぎないよっていう前提をプラトンは自分でちゃんとそこに気づいて、
当たり前だよね、ちゃんと実行者がいる人は、そこまで気づいて、ちゃんと先に話しておいたんだ、そういう前提。
なので、独自的にこれはこうだ、みたいな感じじゃない。
ゆっくり言うとちょっと逃げが入っている感じもあるんだけど。
むずいけど偉いよね、そこまで傲慢にならないっていうのは、やっぱりソクラテスの無知の地っていうところをちゃんと継承しているってところなんだね。
そうね。やっぱりそういうのはすごく大事だなと思うんだけど。
どういう話をしていくかっていうと、まずそもそも宇宙ってものを素朴に今の自分が見たときに感覚で捉えられるよね。
宇宙ってものがどういうものかって目で見たり、光とか風を鑑賞できるので、
それは生まれたものとかあるものだから、いわゆる現象界のもの、要はイデア界のものじゃないですよね。
でも宇宙ってめちゃめちゃ秩序立ってますよね。
しかも宇宙って1個しかないように思えるじゃない。
リンゴは別に何個あってもいいけど、宇宙って1個も2個も3個も果たしてあるのかみたいな話になるとよくわかんなくなるんで。
その現象界にあるものなんだけど秩序立っているものなので、それはなぜかっていうと、
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宇宙っていうのはイデアをモデルとして制作した制作者がいるからっていう、さっきの話ね。
その優れた制作者がいるからだっていうことをまず打ち出します。
要はイデアをちゃんと見ることができる。人間はイデアを見ることができないけど、
イデアを見ることができて、そこから現実のものを作れる、そういう存在、制作者っていうものを設定するのね。
そういう人がいないとむしろこんな現実にはならないはずだと。
そういう風に仮説を立てて、論理を立てて考えていったと。
そういうことです。
実はそれって神様じゃないの?みたいな話に思うかもしれないんだけど。
そうだね、想定理したものってそうだよね。
実はそれがデミュールゴスっていう存在として書いてるんだけど、
結構その後のキリスト教のある種の創造主みたいな、宇宙っていうものを作った存在がいるとか、
そういうのを思想的に基礎付ける前提に、このプラトン哲学が使われたりするっていうのもすごく面白いなと思ってるんですけど。
当時もこの前さ、ギーシャのアポロン神殿の神託があったという話もあったと思うんだけど、
当時の神様、それと同一視したとか、同一化したわけではないの?プラトンは。
ではないし、神様とは言ってないんだよね、プラトン自体は。
神のような存在だとか、宇宙とはそもそも神であるぐらいの、それぐらいのことを言ったりもするんだけど、
ある種、アテネの神々と並べてとか、そこの一部を引っ張ってきて、この神様が宇宙を作ったみたいには言ってないはず。
はいはいはい。じゃあそこはやっぱりさっき言った通り、当時はあくまでプラトンが考えた一人の宇宙を作った人というか、物って。
それ舞台装置だね、これもねやっぱり。
うんうんうんうん。それが後からキリスト教だったりとか、一神教でいうとその前のユダヤ教とかにもしかすると影響を与えた可能性があるみたいな。
そうだね。
だからプラトンでいうと神様っていうよりは、理性がやっぱり秩序を作るっていう話をしてるんで、理性をある種擬人化したもの。
理性っていうのに形を与えて意志を持たせたりとか、イデアを見れるとかっていう人格化したものが、その制作者だよみたいな解釈をする人もいるみたいですね。
はいはい。デミウルゴスね。
デミウルゴス。そこからそういう制作者っていうものを導入した上で話を進めていくんだけど、まずプラトンの前提としては理性があるものっていうのが優れてるっていう前提があります。
理性と欲望みたいな比較で考えてるので。
まず理性っていうのは魂に宿ると。人間の魂でもあるとしたらそういうものに宿って、その魂っていうのは体に宿りますと。
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はいはいはい。
っていうようなことを考えた時に、宇宙っていうものも生き物、つまり天体とかいろんな物質だけの基盤を持つ、宇宙っていう体を持つものとして捉えるのね。
そうするとそこで人間と宇宙っていうのが比較できるようになるのね。
そうだね、魂が二重構造になってるよね。魂に理性が入っていて、さらにそれが体に入っている人間っていうものと。
っていうものと理性、イデアのもとにして理性の力に基づいて作られた宇宙っていうものが比較できるようになりますと、同じような構造で。
じゃあその構造を比較した時に、宇宙って人間は何が違うんだっけ同じなんだっけっていうことを話してくるんだけど。
例えば宇宙っていうものは、今でこそいつかは終わるかもしれないってわかるけれども、当時の知識でいうと不滅である。
終わりがないけど、人間を含む生き物は死んでいきますと。
ただ、よくこれはもう宗教的なんだけど、なぜ完璧な神様みたいなのがいた時に人間をある種死ぬものとか、完璧じゃないものとして作ったんだっけみたいな話ってあると思っていて。
それがケイスト教でいうと、やっぱり禁断の果実を食べたからみたいな、そういうものがあるんだけど。
プロトンは何を言ったかっていうと、人間っていうのは宇宙とか、イディアをそのまま落とし込んだものではないですと。
あくまでもその宇宙っていう舞台の中で活躍する製作者。
限りなく完璧に近いんだけど、完全なものではない製作家と作られたので、人間っていうのは二重に、完全性から遠ざかってますと。
要は製作者がイディアから宇宙を作りました。
宇宙の中でその製作者が人間を作りましたみたいなことを考えるので、だから人間は完璧じゃないし死ぬことができる存在だよ、みたいに言うんですね。
それもプロトンがそういう風に言っていると。
ごめん、一個質問なんだけど、さっきの話でいうと、人間はなぜ死なないのか、なんで死ぬことができるのかみたいな話って、
むしろ人間を、例えば花とか草とか、そういった自然と同じ、動物もだと思うんだけど、人間も動物だけどね、そういう風にして考えたとすると、
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むしろその自然っていうものは、一個一個の個体は生まれて死んでいって、次の個体がまた生まれて、
その種としては存続していく、という風になっていって、それも人間も同じでしょうって考えると、むしろそっちの方がさっきの宇宙の話からしても納得性が高いかなと思ったんだけど、
プロトンとしてはそこは人間は、本来はデミーユルゴスみたいな人が作ったとすると、
完璧な存在で死なないようにもできたはずなのに、なぜか死んじゃうよねっていうような、そこについては何か疑問?
人間とはなんで完璧じゃないんだ?みたいな疑問を持っちゃったのかな?なんかそれが、その当時の価値観だったりとか、なんかあったのかな?宗教観とか。
どうしようかというと、ボトムアップ的な考え方で、人間には他の動物と違って理性がありますと。
もちろん今の僕らの感覚でいうと、別にイルカだって、もちろんそれ以外の動物だって知性とかを持っているっていうのは考え方もあるんだけれども、
当時でいうとそこまでの動物学的な知見もなかったりするので、人間には理性があって、いろんなものを抽象的に考えるけど、動物はできないと。
なぜ人間はそれができるのかっていうと、たぶん何らかの完全性っていうものを人間は持っているはずだと。
じゃあ、完全性を持ったものが人間を作ったんだったら、人間も完全なはずじゃない?
じゃあ、なんでここがずれているのかっていうと、デミュールゴスっていう制作者が、ほぼ完全なんだけど、完全そのものではないっていう間に一人入っているから、
人間っていうのは理性っていう完全さの一部を持っているんだけど、イデアは見ることができないし、死んでしまう存在だっていう感じかな。
そっか、それだと納得です。
納得した?
そっか、それだと、当時の感覚からすると、確かに言葉を喋ったりするのは人間だけだし、そういった感情とかも動物とか植物にはなさそうだって考えたときに、
確かに、宇宙と人間と自然というものが全て自然って考えるわけじゃなくて、自然は自然で人間は人間。そこは別物だよって捉えるっていうのは確かにありそうだね。
自然な感覚なのかなって思った。
そうそうそうそう。普通に生きている中で、いろんなことを理性で考えていくと、そういった議論とか結論になっていくよねっていうのが結構プラトンの面白いところで。
逆にアリストテレスはめちゃめちゃ動物を研究するのね。
そうなんだ。
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アリストテレスはすごい、次取り上げようと思うんだけど、動物の生活を解剖とか、いろんな動物の研究をしていて、種類、まさに種族の分類とかをしていくのもアリストテレスから始まってるんだけど。
へー、そうなんだ。
だからそこのプラトンとアリストテレスの比較であったりとか、アリストテレスがプラトンから受け継いで発展させたものみたいなことを考えるとめちゃくちゃ面白いっていう。
おー、なんかすごい面白そう。
へー。
ただ別にプラトンも、自然とか宇宙とか人間っていうのは偽物で価値がなくて、イデアの方に価値がないんだって言ってなくて。
うんうんうん。やっぱり人間ってのはもちろん生まれては死んでいくものだけれども、やっぱり結構その輪廻転生みたいな、顔型の結構で、素朴なものも含まれたりして、立派に生きると、どんどん理性とかも高まって幸福に、次の例えば生まれた時にも幸福になるけれども、悪く生きてしまうと野獣になったりとか。
はいはいはい。
あれをよく生きるためにいろんな苦労が起きたりするんで、ちゃんと理性を持ってとか、あるいは哲学っていうものを学びながら、教育者だから多分そういうスタンスのポジショントークもあったかもしれないけど、生きていきましょうねみたいなことも書いてたりするし。
なるほど、そこはちょっとプラトンのいわゆるさっきの国家とか今回の宇宙の話とか多分別の、どっちかというと人間はどう生きるべきかっていう賑いかみ的な、あとはどう勉強していくかっていうところのモチベーションとしてそういう言葉を使った可能性もあるけどっていう感じかな。
うんうん、そうそうそう。そうだね。
うん。
まあそういうふうに読み取ることもできるかなっていう感じかな。
はいはい、ありがとう。そこまで聞くと、今の感覚だと多分人間も自然の一部みたいなのって、結構そういう謙虚な感じってあるかとは思うんだけど、当時でいうと本当そうだね、言葉喋れないし、意思の疎通もできないから、人間と動物、あと自然は別で、あと宇宙について考えた時にその創造、制作者かな、制作者はさらに別だっていうふうに3つに分かれるっていうのはすごく自然な。
自然な感覚だし、そこまで考えついたっていうのはやっぱりめちゃくちゃすごいんだろうなっていうのを思った。
うんうんうんうん。
そうそう、やっぱりね、それをね、自分自身の智性の働きであったりとか、いろいろな物事を考える力で辿り着いたっていう。
やっぱり今ね、兄貴とかも言ってくれた通り、そういう話だったら納得できるわとか理解できるわって、2400年後の人たちが思えるって、すごいよねっていう。
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はいはい、このティマヨウスの話で、もちろんね、今からすると全然宇宙の成り立ちだったりとか宇宙そのものの説明はできていないんだけれども、ここまで物事を分解して、1とか0のとこまで辿り着いた上で、その上にこういった論議を重ねていくっていうことがすごく面白いと思った。
そう言ってもらうとね、話した甲斐がとてもあります。
確かにさっき言ったように、これは違うんじゃないとか言った時に、いやこれは同時で考えるとこんなことでっていうと、すごく納得できるしね。
そう、だからね、宇宙って今の僕らからしたら当然、それって科学でしょうとか、哲学の領域じゃないよねっていうふうには普通に思うと思うんだけど、
でも逆に哲学的に宇宙を考えると、こういう語り方になってとか、こういう価値観になって、それは言ってくれた通り、今の技術レベルとか科学レベルからすると、いやいやそんなデミュールゴスって誰よみたいな。
そういうふうに言えてしまうんだけれども、やっぱりその先にはすごいいろんな深い思想だったりとか、やっぱり構造があって、それを捉えるとなんかめっちゃ面白いみたいな感じですね。
そうね、単なるフィクションとか創作で片付けられない感じにするよね。
そうそうそう。で、まさにさっき言ってくれた通りで、ちょっとね、次の話で、まさに環境倫理みたいな観点の話からプラトンを捉えたいと思うんだけど、
はいはい。
さっきヤンキーが言ってくれた通り、宇宙とかイディアみたいなものと人間と自然みたいなのがあったときに、素朴に考えると、やっぱり自然は一番下、で、人間がそれをうまく活用するみたいな考え方も読み取ることができちゃうんだよね。
そうね、今からするとちょっと違う感じはするけど、さっき説明してもらった通り、当時の感覚だとやっぱり人間には理性があるから自然とは違うっていうふうにそこに一本線を引いているとすると、環境とは何かみたいな話に繋がってくるというのがちょっと意味もわかったね。
最初聞いたときは、なんでこの宇宙の話から環境倫理みたいな話に行くんだって全然ピンときてなかったんだけど、ここまで聞くとちょっとその繋がりっていうのが見えてきた気がする。
うんうん、分かった分かった。次回は実際に最近の2000年代の論文でも、まさにそういうプラトンのジマイオスとかを取り上げて批判している論文があったり、見つけられたので、そんな話もしながら、もう少し現代の僕らが見たときにっていうのを深掘っていけたらなって思います。
じゃあ次回も楽しみにしてますのでよろしくお願いします。はい、よろしくお願いします。
(♪ BGM)