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(♪ BGM)
はい、ソレテッドラジオ、今日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、関東を理解するために、近代哲学の大きな流れ、
デカルト、カント、ヘーゲル、マルクス、という背骨になるような人たちのことを教えてもらいました。
今回からカント編ということで、いつも通り、カントはどういう人だったの?というところからやっていこうと思うんですけど、
実は、その生涯というのは、そんな破乱なものではないし、もちろん、ソクラテスみたいな伝説もないです。
そういう一定、普通に生きて生まれた人が、やっぱり、これだけ歴史に名を残すとか、
さっき言った、偉大な哲学者五千とか言ったら、大体入ってくるみたいな人になったということが、そもそも、やっぱりすごい面白いし、
もしかしたらそれさえが驚きだなとは思っているんですけど、
改めて、お伝えするとカントは1724年に生まれるんですけど、
ケーニヒスベルクっていう、ドイツ、当時はプロイセンに生まれて、
ただ、第二次世界大戦の影響で、今はロシアになっていますと。
カントには、実は、三批判書と呼ばれる、結構重要な本があって、
聞いたことあるかな、純粋理性批判と、実践理性批判と、判断力批判って、3つがあるのね。
純粋理性批判みたいなのは、教科書で見たような気がするかな。
そうね、それがやっぱり一番最初に出した、3つの中では一番最初に出した本で、
有名というか、大事って言われているんだけれども、
これだけ聞くとさ、すごい批判ばかりする、嫌なおじさんみたいじゃん、なんか。
そうね、文句ばっか言うみたいなね。
そうそうそう。
それなら、日本語の批判みたいな言葉のニュアンスもあって、
よくあるじゃん、批判って別に悪く言うだけじゃないんですよ、みたいなのがあると思うんだけど。
そうだね、最近特にそう言われていると思うけど。
うん、クリティカルシンキング的な。
あっ、ですです。
で、ちょっとあのね、なんだろう、ニュアンスで言うと、
言い見するとか、良いものを選ぶみたいな意味合いがあるのね。
クリティカルとか、それがクリティカルシンキングとかクリティカルが日本語で批判みたいになるんだけど、
クリティカルとかって、例えば重要、クリティカルヒットとか言うじゃん。
そうだね、ゲームとかね。
そうそう、ゲームとかで。
それがでも合ってると思うけど、そういう、より優れたとか良いものみたいな意味があって、
だから言い見するとかより適切なものを、ある種、掃除として確かめていくみたいな、
そんな意味合いもあったりするんですよ。
はいはいはい。
なので、この本で言うと、純粋理性とか実践理性っていうか判断力っていうものを言い見していきますよってことなんだけど、
じゃあその純粋理性って何よみたいなことが、今回のカント編で深めていきたいとか、皆さんにお伝えしていきたいことです。
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はいはい、私実際これは一番有名な本だったりとか思想ってことなのかな。
そうだね。
ただですね、これはもう最初ごめんなさいから始まるんですけど、
正直言って僕この3冊読めてるかというとちゃんと読めてないんですよ。
難しすぎて脱節するので、本当すいませんなんですけど。
やっぱり、説明書とかは色々読んだりとかもしてるんで、
カントが何を言おうとしたのかとか、現代の日本で捉えるとこのぐらいなんじゃないかっていうのは言えるつもりなんだけれども、
本当にカントがこの意図で言ったとかは、ちょっと正直自信がないので、分かる方は教えてくださいっていう感じです。
なるほど、原文難しいんだ。もうそれをそのまま理解していこうとすると。
うん。助けがないと読めないと思っているカントは。
ちょっとそういう、先生とも最初話すだからなんですけど、でも楽しい話でもあるように話していこうとは思ってます。
さっき言った通り、その障害ってのは別に波乱なものではないし、
あと、これまでの人たちみたいに社会的に地位が高いとかっていうのも特にないのね。
ああ、そうなんだ。
お父さんはバグ職人だし、お母さんもバグ職人の家の生まれで、
普通に社会的地位が高いとか教養があるっていうわけでもなかったですと。
両親ともルター派のキリスト教徒で、お父さんとお母さんがね、
なんでそういうつましい暮らしの中でも、禁便とか正直とか独立心を学んでいる。
要は、聖書として神と個人というか人が繋がるみたいなルター派の考えだとすると、
自分というものを大事にするとか独立みたいなものっていうのは、
結構、両親から受け継いでいるんじゃないかというふうに言われてます。
はいはい。当時で言うと、ルターがやった宗教改革の後、プロテスタントっていう聖書をちゃんと読もうねっていう、
そういうわけで言うと、カトリックから離れた新しい流れの人たちだから、
新しいというとね、ちょっと失礼かもしれないけど、当時で言うと、
新しくできた考え方の方を先進的なって言っちゃうけど、
ちょっと自由なというか、そういう考え方を持った親たちだったみたいな感じだろうかな。
それはちょっとね、ごめん、引き付けすぎかもと思った。
引き付き?
新しいから先進的だったよりは、お金があるから救われるっていう世界じゃない、
要は救われなかった人たち。
ああ、そうかそうか。
そう、ルターは農民とかそういう人たち、要は食友情っていうさ、
お金を払ったら天国行けるよみたいなシステムで、おかしくない?みたいなところから始まってるんで、
そっちじゃない考えに、ある種あった人たちっていうところかな。
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さっき先進的な考えを持ったご両親みたいな話しちゃったけど、
大乗仏教を信じたみたいなぐらいの話で、関東の両親がバグ職人で、
別に金持ちでもなかったから、一番自然とすんなり受け入れられたのが当時のプロテスタントというか、
ルター派だったよみたいな。
だから、頭を使ってそっちめっちゃ勉強したとかではなくて、
当時多分そういう職人とか農民っていうのは、自然とそういう派閥を信じてました。
っていう感じだったってことだね。
たぶん町にあった教会とかもそういうルター派とかプロテスタントだっただろうしみたいな。
そうかそうか。牧師さんもそういう人がいたから、自然と通ってる教会がそういう風になっていくとか部分もあったみたいなね。
そうそうそう。
っていう感じだと思います。
まさに家庭も貧しいので、地域の学校に通っていたんだけれども、
8歳の時にその教会の牧師さんが関東の才能というか学術的な審査というところをある種見出して、
その支援で王立の学院に行けることになったのね。
それはなんか進みそうだね。
なのでそこで関東というのは充実した教育を受けて晴れて大学に行けますと。
関東からしたらその牧師さんというのはすごくお世話になった人みたいな形なんだけど、
当然様々な学問を学ぶ中で、前回デカールと言った通り、
昔の大学って本当にいろんなことを分野として学ぶから、当然自然科学とかにも学んでるし、
最初の本も自然科学的な本を書いてたりしますと。
ただ結構苦労人で関東って、もともと13歳の頃にお母さんを亡くされていたりとか、
この時に大学、大学中にお父さんを脳卒中で亡くしてしまうので、
関東は長男なんだけど、お姉さんと3人の妹と末の弟がいるみたいな家庭環境で、
当時の価値観としては長男としてそれぞれの育成というのはちゃんと整えなきゃいけないですよと。
というのがあったんですよと。
ただね、当然関東だけでは無理なので、お母さんの方のおじさんが学費の援助をしてくれるとかってあったんだけれども、
基本的にすごく厳しいお金がないとか、貧しい環境で生きてましたと。
それで、当然稼がなきゃいけないので、24歳の時に休学、もしくは退学、大学を辞めて家庭教師になりますと。
そんなに厳しかったんだね。
まずは稼がなきゃというところで家庭教師をしていて、その時も教えながら論文というのはずっと書き続けて、
30歳でまた大学に戻るんだよね。
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ただ当然この時は教授とかでは全然ないから、いわゆる講師みたいな待遇で、
ただどんな待遇だったかというと、給与がなくて学生からの兆候量で生きていくスタイルでしたと。
そういう感じだったんだね。
だから今でもポス読大変とかってあるけど、当時も大学は出たけれどみたいな感じの感覚がありながら、
経済的にも苦しくやってたんだけれども、いろいろ論文とかもちゃんと出すし、いろんな講義もやるという中で、
1770年、関東45歳にしてやっと、ケイニヒスベルクっていう生まれた地にある大学の教授になりますと。
普通にすごい花話しキャリアというわけではないよね、45歳で。
今からしたら若くして教授って言われるかもしれないけれども、みたいな感じですと。
そうだね、天才が階段を勝て登っていくという感じじゃなくて、普通のと言われてるよね。
一般の人生を聞いてるような、世界で今までで5本の指に入る哲学者、哲学の巨人だみたいな感じではないね。
確かにこれだけ見るとね。
国内がすごくギャップというか、親しみを感じるところでもあるんだけど、
最初に伝えた純粋理性批判が出るのは、実はさらに11年後の56歳の時なのね。
かなり大器晩成というか、遅雑というか。
逆にこの11年間の間は一切出版しなかったらしくて、沈黙の11年と言われてるんだけれども、
そこから先はどんどん本を出して名声を高めていきますと。
亡くなったのが79歳の時、1804年ですと。
残っているのとしては生涯独身であって、
基本的には生まれ国家から出ることがない、このケイニ・ヒスベルクという土地でずっと生きて死んでいった人みたいな感じなので、
別に世界中を旅してとか、あちこち不協してとかもなく、生きて死んでいった人みたいな感じなんですよね。
だから、もちろん細かく言っていったらいろんな名声があったりとかあるんだけれども、
やっぱりすごい地道に、着実に自分の人生をちゃんと過ごしながら、いい仕事をした人みたいな感じで残っています。
名声というのは生きているうちに評価されたということなのかな?
じゃあ、ベストセラーを数々出した人だったよくらいの当時で言うとね。
当時は本とかも印刷もできただろうから、そういった意味では生まれた場所から出なくても、
自分の思想だったり本というものを書物を通していろいろ広がっていったというのがあったのかもしれないけどね。
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そういった意味では最初の純粋理性批判、哲学の三批判、最初というものがすごいとなったからこそ、
その後もいろんなことが、カントが出した本をみんな読もうと勉強して、いろんな人がそれを受けて考えるという流れがまた出ていったかなという感じなんですけど、
今回は純粋理性批判と一部実践理性批判のところをあたりは触れながらお話ししていきたいなと思うんですけど、
これも前提として、この三批判書といわれるものにはそれぞれ対応しているテーマがあると言われているのね。
何かというと、それがいわゆる「真・善・美」とか「知・常・意」という言葉ってあるじゃないですか。
真実なるものとか善なる良さと美しいものとか、知・常・意は知識とか理性とかというものと、
常は意志、あ、違う、心だよね。感情とか。意志は意欲とか、意志だから何かをしたいとかという能動的なものになったときに、
これ、何で「真・善・美」って言えるかというと、実はこれってカテゴリーが違うんだよね。この話すると長くなっちゃうかもしれないんだけど。
前から「真・善・美」とかって、何の気なしに使ってもらってるんだけど、ここ教えてほしいな。
これ、そもそも誰が言ったとかどういう風に使われてるみたいな、哲学的な言葉の立ち位置というかね。
それで言うと、別に「真・善・美」がこうだみたいな形ではないんだけれども、西洋哲学の伝統として、
本当に言うと、プラトンから始まる「善」のイデアあたりから、真なるものは善であり、美しい、これが一体だみたいな感覚が結構あるのね。
じゃあ、これを遡るとプラトンまで遡れる。もしくは、プラトンが伝語化したくらいのイメージでいいのかな、この真・善・美。
もっと言うと、醜いものは悪いものだとか、真実でないものは美しくないとかって、結構その辺でリンクしてるところが普通の価値観としてもあります。
というのが本当にあるんだけど、実は近代になると、真実とか世の中の真理みたいなものって、科学が扱うようになるんだよね。
自然科学的に、雨っていうのは気象現象でとか、雨っていうのは神様が降らせている恵みとかじゃない。
要は、雨が降るっていうのは農作物にとっては良いことだから善だみたいなことじゃなく、雨っていうのはこういう気候学的な現象やって降るっていう真実はわかるんだけど、
それが良いかどうかっていうのは自然科学は扱えないんだよね。扱わなくなったんだよね。
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むしろ、積極的にそこを切り離していくのが科学とか自然科学みたいなイメージはあるかな。
もちろん、人文学的には善と美と美しいと何かっていうのを学問的に扱うことはできるはできるんだけど、
でもそれが本当に人類全員に通用するかっていうのはわかんないよね。統計学的にとかはできるけど。
確かに確かに。学問的に、数学的に美しいとか、物理的に美しいとかあるかもしれないけども、
人類共通の学問を横断した意味でも真善美みたいなものっていうのは確かに。
そう。やっぱり歴史の中にとか世の中には、いわゆるマルキド・サドっていう文学者がいると思うんだけど、
サディストとかセディズムの合言になった人なんだけど、人をいじめるとか、見にくいものがあるとか、それにある種美しさを感じるみたいな、
普通に考えたら当作、イレコンっぽくなっちゃってるけど、そういう人も普通にいたりはしますと。
そういう人みたいになった時に、見にくいから良くないとか、本当は言えないよねみたいな、そういう感覚があった時に、
真と善と美って、実は全然違うベクトルなんだけど、もともとは一つで思われていたものが、徐々に徐々に分割されていきますと。
はいはいはい。
まさにそれを分割して、真なるものはこれである、善なるものはこれである、美とはこういう働きであるっていうのを考えたのが純粋理性批判。
これは真実に対応してて、実性理性批判は善とか悪に対応してて、判断力批判っていうのは美に対応してますみたいな感じなので。
なるほどなるほど、そこをちゃんと、ペラトン以降ちゃんと言語化した、もちろん時代に即してだけど、っていう意味で、そっかそれは面白そうだね。
そう、だから、関東は前回もおっしゃった通り、大陸の合理論とイギリスの経験論というのを統合しながら、そこから真なるものとか善なるものとか美なるものっていうのは、人間のどういう働きで捉えることができるのかっていうことまでを言い切った人なんだよね。
おお〜
そうか、巨人ってそういうことか。
これ言うと、そうよね、哲学者ですごいって言われてると、もしかすると、善の部分だけしか言ってないとか、美の部分だけしか言ってないとか、神の部分は自然哲学とか科学の方にちょっと言っちゃってる部分もあるよねみたいな、
そこは、どっちけども専門化してしまったようなものをきちんと一人に人間がこうやって再統合というか、アリストテレス以降そういったものを専門分野化していったものを、もう一回人類共通の横軸通したっていうことなんだね。
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そう、そう、そう、そう、あくまでも西洋近代のっていう隔離はついちゃうんだけど、だから、やっぱりその、何だろうな、当然デカルトが「我はもう世に我あり」って言う時の「我」っていうものだと、我がいっぱいいて全然バラバラになっちゃうみたいなことがあった時に、それをちゃんと基礎付けましょうと。
だから、よくあるじゃん、最近さ、それってあなたの感想でしょとか主観じゃないみたいな、あの何だろうな、こう、相手の意見を言った時にそういう風に返すと、なんか強いみたいなのがあるのよ。
あなたはあなた、私は私みたいな。まあもう一つ言うと、要は何かを言った時に、それってあなたの見てる範囲にしか通用しませんよねみたいなことっていうのが、まあ普通に起き得るよねと。例えばこれって悪いことだってやった時に、その悪いってどこから言ってますみたいなのってまあ普通にあるじゃん。
だから、それで議論が成り立たないとか、それを取り上げて相手を批判するのはやり込めるみたいなことができちゃうんだけど。
そう、一感とは自分はこれが美しいと思うではなく、美っていうのは人間のこういう働きによって生まれてくるから、この働きを持っている以上は美とはこういうものであるみたいなことをちゃんと一個一個言っていくのね。
それが本当かどうかとか、今の現代の僕らがまさにそこに100%共感できるかどうかっていうのはまた別の問題なんだけど。
まあそんなところがあって、今回はその中でもやっぱり真実は何かっていうところが一番メインになるので、主には純粋理性批判の話っていうのをしようと思ってますと。
これだけで2回分ぐらいになっちゃうんだけど。長いというか、いっぱいあるなね。濃い。
濃いね。それやりつつ、ハンターと道徳の問題って僕は大事だと思っているので、そこも一部触れられたらいいなと思ってます。どこまでできるかは頑張ってみます。僕自身がね。
今の話で言うと、神前美全部本書いてあってくれてるから、道徳の話とかもちゃんと話してくれてるよってことなんだね。
やりたい。あとはね、これまでも言ってたんだけど、カントはデカルトで触れた神の存在証明ってあったじゃないですか。
あれは結構明確に反対していて、これについても考え方の比較、カントがデカルトをどう乗り越えようとしたのかとか、何を問題したのかっていうところに関わってくるので、増えていきたいなと思ってるので、
今回に関しては純正理性期間の内容を踏まえた上で、実践理性期間における道徳って何かみたいな話を踏まえて、カントって神の存在証明をどういう風に批判したのとか乗り越えたのみたいなあたりを触れられたらいいなと思っていきます。
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盛りだくさんだね、やっぱり巨人というだけあって。 盛りだくさんだね。でもそれでもカント全体を抑えるとは到底いかないんだけれども、エッセンスというか、カントが考えるとしたことってこういうことなんだみたいなことが伝われば嬉しいなと思っているというような感じでございます。
はいはい、いやー楽しみだね。人生だけでいうと花花らしいね、エピソードがないベストセラー作家の大学教授みたいな方がどんなことを具体的に考えてくれたのかっていう。
次回は具体的な、さらに人生じゃなくて思想そのものについて見ていくというところで、またまた楽しみにしてますんで、じゃあまた次回もよろしくお願いします。 はい、よろしくお願いします。
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