1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #34 カント『純粋理性批判』前..
2022-08-21 52:31

#34 カント『純粋理性批判』前編。「7+5=12」だと思ったら大間違い!?

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。

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(♪ BGM)
はい、ソレ鉄ラジオ、今日も始めていきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
前回は、カントのプロフィールということで人生というところを見ていきました。
今回は、ついにこの純粋性批判というカントの本を通じて、
カントの思想自体に踏み込んでいきたいと思いますので、今日もよろしくお願いします。
はい、ではぜひよろしくお願いします。
まず今、兄貴が言ってくれた通り、カントは「参批判書」という純粋性批判、
実践理性批判、判断力批判という有名な本を書いていくんですけど、
この最初の純粋性批判というのは、その後の前提でもなってきていて、
前回もお伝えしたんだけど、真善美の真実をどうやって知るかとか、
もっと言うと、理性というものをどういうふうに扱うべきかみたいなことを書いているんですよね、この本では。
今日ですね、やっぱり僕も改めて色々読んだんですけど、やっぱ難しいんですよ。
難しいっていうか、何を問いにしてどう答えるかっていうときに、
これまでって何となく分かるとか共感できるみたいなのって、そういうことはデカルトもあったし、
ソクラテスとかプラントとかもあったはあったじゃないですか。
そうだね、ちゃんと時代背景でこういうことがあって、
結構そういうのが明確だったのかな、その時代の苦しみだったりとか、目指すものが明確だったって感じだったのかな。
そうだね、結構共感しやすかった。
例えば世の中が混乱している中で、自分たちはどうやって正しいものにたどり着くかとか、
神っていうものがあるとしたらどうたどり着くかみたいなことなんだけど、
結構その理性みたいな、より抽象度の高いものを扱っていくから、
そのためにはいろんな概念が、新しい概念を結構いろいろ生み出せたりするんだよね、カント自身が。
悩みの質がちょっと、今言ってくれた、そこそこ腹減ったとか、神助けて、神様助けてとかじゃなくて、
もうちょっと俺たちって何者なんだ、みたいな、ちょっとそういう概念的な話にもっとなってきてるみたいな。
そうだね、しかも自分の存在を問うことですらなくて、存在を問うということはどういう働きによるのか、みたいなことを追求していくので、
僕も伝わるようにもちろん話すと思いですし、頑張るんですけど、ちょっと本当にちゃんと伝えきれるかみたいなところはあると思いますし、
一回聞いてわかんなくても気にしないでいただきたいなと思って、それはたぶん僕の力不足だったりとか、
03:03
もしかしたらそもそも理解する方が難しいっていうのがあると思うので、
なんかわかった人はもうすごい哲学的な、なんかめっちゃ高い素揚があるな俺っていう風に、
なんか思ってもらっていいんじゃないかなって思います。
なるほどね。
もっとちゃんとわかりたい人は、それこそ検索すれば色んな記事も出てくるし、参考文献とかも載せたいなとは思うので、
あくまでもこのソレツツラジオはやっぱりエンタメ型の哲学ラジオなので、楽しんでまずは聞いていただいて、
僕もすごい楽しかったんで、やっぱり改めてカンタのことを調べたり、わかろうとしたことで。
なんで、なんとなくこんなことをカンタは言ってたんだなとか、こういう問題に取り組もうとしてたんだなみたいな、
なんかエッセンスをちょっと感じたりとか、なんとなく理解できたかもって思ってもらえたら、なんかすごいありがたいなって思ってます。
という感じです。
確かにそうだね。
これで全部そのカンタを理解するというのはもちろん難しいし、
やっぱりそのカンタってこういうことが面白そうなんだなとか、実際こんな難しかったなって意外とそういう、
本当に難しかったんだっていうのだけでも発見かもしれないしね。
そうだね。
自分なんか特に哲学の素養ないから、今こういうのを聞くことで初めてのことを聞きながら楽しんでたりとか、
こんな感じだったんだっていうのを楽しんでるんだけど、
だからあれだよね、もちろん理解できたらすごいかも、すごいというか、さっきね、素養があるみたいな、
ちょっとそういうテスト感覚で楽しんでもらってもいいし。
そうだね。
でも全然わからなかったわって言っても、それでOKみたいな。
それがまあ、何で難しいのかっていうところもね、多分これまでの感じからするとね、
そういうところも僕に教えてくれてる感じもするから。
そうだねそうだね。
なんか哲学って難しいよね、で、なんかもう、
なんだろう、素養に入らないっていうより、一旦入ってみてやっぱり難しかったねっていうのって全然違うと思ってるんだよね。
うんうんうんうん。
その意味では一回ちょっと扉を開けてみるみたいな、
会に今日はあったらいいなって思いながら喋ってる感じです。
で、なんでそんなことを言うかっていうと、ちょっと冒頭思ったとおり、
この純粋理性批判でやろうとしていることの、
カントのモチベーション、なんでこういう本を書こうとしたかとか、
こういう問題に取り組もうと思ったかっていうのと、
そもそもその問いってなぁにっていうことを理解すること自体が、
若干ハードル高いのね。
はぁ、なるほど。
話が難しいとか以前に、
どこが出発点でどこがゴールなのかを理解することすら、
普通に例えば本とか読んでると理解できないみたいな、そっから。
06:00
理解できない、うん。
もちろんそれやっぱり、カントの時代の人には伝わるように書いてるから、
僕らがわからないみたいなのもあるし、
言葉が難しいからみたいなのがあったりするんだけど、
そういうデカルトとかブッダとかって、
例えばデカルトは疑えない自分というか、
どこから出発したら本当に物事を考えられるのかみたいな、
そういう思考法について考えたんだろうなぁとかってイメージがあくし、
ブッダはブッダで、やっぱり生きるのって苦しいよね。
じゃあどうしたら苦しくなくなるんだろうっていうところを考えるとしたんだっていうのは、
まあなんとなくわかるじゃない、言ってる内容が深いとかさ、
その、なんだろうな、
物事の繋がりがどうなってるかわかんないとかっていう難しさはあるかもしれないけど。
うんうん、確かに確かに。
そうね、その存在意義みたいなものとかね、
そういうのは確かに、すごく共感しやすいかも確かに。
うんうんうん、そう。
でね、今日、まずはそのモチベーションと問いっていうのが理解できるところまで頑張ろうと思うんだけど、
最初に言っちゃうと、関東のこの本のモチベーションは、
その悪しき刑事条額を乗り越えて、新しい刑事条額を作ることで、
そのための問いっていうのは、
アプリよりな総合分析はいかにして可能か、っていうことを立てるのね。
全然わかんないじゃん。
生き来専門用語みたいなのが出てきたね。
これもまずはわかる。そのそれぞれの言葉っていうのがどういう背景があってとか、
どういう意味でみたいなことがわかるようにと思ってるんだけど、
なぜかっていうと、じゃあアプリよりっていうのはこういう意味で、
総合分析っていうのはこういう意味ですって言ったとしてもわかんないの、絶対に。
ああ、そんな単純なもんじゃないんだ。
単純なもんじゃない。
例えばアプリよりっていうのは、
元々からあるものですとか、経験によらないものです、みたいな言葉の意味なんだけど、
でもわかんないじゃん。
経験によらないものみたいな。どういうこと?みたいな。
なので、その前提からして、関東は何をしようとしたのかとか、
第1回とか近来鉄学校の流れでもお伝えしたんだけど、
関東っていうのはそれまであったイギリスの経験論っていうものと、
大陸の合理論、関連論っていう、要は経験するから人間はいろんなものがわかるんだっていう人たちと、
人間とは理性の働きであらゆるものを理解できるんだみたいな、すごいざっくり言うとね。
そういう2つを統合したっていうことをちょっと前提に置くと、
なんかちょっと理解しやすいかなと思うんで、
ちょっとそれを頭に置きながら聞いてみてもらえれば嬉しいなと思います。
はいはい、了解です。そうだね、この悪しき刑事上学っていうものが果たしてどういったものなのかっていうところを考えるときに、
さっきの大陸合理論と、あとイギリスの経験論みたいなものの違いみたいなものが、
09:03
どう関東がとれていたのかっていうことはありそうだなって思いました。
はい、ではですね、早速やっていきましょうということなんですけど、
関東もやっぱりデカレットと同じような形で、
哲学とか数学とかを結構頑張って勉強しているので、
やっぱり学問の人なんだよね。
はいはい、前大学でいろいろ学んだって話してたもんね。
そうそうそう。
やっぱり当時ってキリスト教的な神学の世界から、
大学の物理学とかそういったものへの移行期だったりするから、
いわゆる学問=知識の獲得っていうのに対して、
どうやったらより正しいとか真理みたいなものを得られるんだろうみたいなことっていうのは、
根本の課題感というか、常識的な感覚としてありますと。
で、後の時に関東は2つの問題を持っていたと言われていて、
まず1個は純正数学とか物理学、純正っていうと難しく聞こえるけど、
いわゆるこの、何だろうな、幾何学とか、あと普通に足し算引き算みたいな、
足足円算みたいなのって、要はその経験によらない学問を構成しているっていう風に関東は捉えるよね。
これちょっと後で説明します。
で、そういう特殊な認識、要は、見るとか聞くとかだったら経験から理解できるから分かるんだけど、
そういう経験を必要としない認識ではどうやって得られるんだろうっていうのをまず考えるのと、
あともう1個が、同じように経験によらない学問のふりをしながら、実は学問ではない悪い形状学、
ここで悪い形状学が出てきたんだけど、例えば神とか人間とか魂は不死なのか、
消滅するのかみたいなことって、経験はできないじゃない。
そうだね、ブッダも言ってたもんね。死後の世界なんて想像でしかないみたいなね。
そうそうそう、だから考えるのは無駄だっていうか、どうなのかみたいなのがあったんだけど、
でも当時の形状学としてはそういうのを云々観々してあるとかないとか言っていると。
ああ、はいはいはい。
これは経験によらないよ、経験を超えているっていう意味では物理学とか数学と近そうなんだけど、
でもこれって学問じゃないよねっていうふうにカントは捉えていて、
この悪い形状学に対してどんな仕方で学問と衛星学問の線引きをするか、
要はそこの境界ってどこにあるのっていうのを捉えようとするのね。
はいはい、そこに問題意識が向いてたな。
そうそうそう。
なんかすごく簡単に言うと、例えば神様みたいな問題を捉えようとした時に、
なんかああだこうだ言うのと学問的に神の例えば存在だったりとか、
12:05
いるのかいないのかって語るっていうのは何が違うんだみたいな。
うんうん。
その線引きはどこであるのかみたいなことを考えようとする問題意識として持っているっていう感じですと。
ここまではなんとなく大丈夫かな。
うん、そうだね。
で、さっき言った通り、多分いろんな哲学以外のものを学ぶ中で、数学とか物理学みたいなものを学ぶ中で、
物事をきちんと捉えるとか、きちんと証明するみたいなものを体得というかやっている時に、
多分それと同じ土俵というか同じような感覚で、
そういった哲学だとか、その物事の良い悪いみたいなものとか、真実は何か、概念は何か、理性は何かみたいなものを、
多分技能している人たちがたぶんいっぱいいたんだろうねって思った。
ああ、そうだね。そうそうそう。
で、そこに対して問題意識を持っている人、そこにたぶん乗っかって「ああだこうだ」という人が多すぎて、
そもそもそれってちょっと分けて考えた方が良くないみたいなことを多分思って、ちゃんと証明したのがカントなのかなと。
うんうんうん。
そうだね。
冒頭にもさした通り、当然デカルトとカントの間にもすごいいろんな哲学者の人たちがいて、いろんな議論をしているんだけれども、
やっぱりそこを見た時に、もっとこういう風に考えられるんじゃないっていうところを持ったのがやっぱりカントだったっていうのはあるかな。
はいはいはい。
そう。で、だからその議論を今踏まえてないから結構突然のように聞こえちゃうんだけど、当時そういう考え方というのは結構ありましたと。
で、その①の数学とか物理学みたいなものに関してちょっとだけ説明すると、
経験的なものと経験によらない人間の感覚が混じっているものみたいなものを区別していますと。
例えば、カントが原例としてあるんだけど、7+5=12みたいなのあるじゃないですか。
うんうん。普通の足し算だね。
うん、足し算として。
で、ただこれって実は面白くって、7+5っていうものだけを見ると、これは「7と5という2つの数を合わせて1つの数にしてください」っていうことしか言ってないんだよね。
7+5っていうものは「そういう操作をしてくださいね」っていうことしか言ってませんと。
うん。
つまり、この7+5っていうものだけを見てても、考えてても、12っていうものは絶対に出てこないよね。
ふーん。
わかる?
いや、わかんない。
うん。
OK。
なぜかっていうと、7+5=12であるっていうのは僕らが足し算とか、
あるいは、7個のみかんと5個のりんごを足したら12個の果物になるみたいなことを、あまりにも当たり前に持ってるから、
15:05
パッと12って思っちゃうんだけど、
もうちょっとその考えを一旦抑えて、7と5という2つの数を合わせて1つにしてくださいって言われた時に、
あー、はあはあ、確かに。
そうからは絶対に12っていうのが出てこないの。
なるほど。
そっか。
えっと、これはあれだね、例えばそうだね、確かに、
そっか、7と5を1つの数字にしてくださいってフラットに言われたとすると、
あの、75みたいに7と5をただ横に並べてもいいんだ、
そうそうそう、例えばね。
だったりとか、
うん。
7と5って7っていう数字と5っていう数字があるけど、
この画数とかをぐしゃっとこう、もうなんか、横に並べるところが重ねちゃったりとか、
うんうん。
上と下へとされたりとかして、
新しい文字を作ってもいいみたいな、
そうそうそう。
やりそうやるかも、赤ちゃんとかでやらせたら。
うん。
赤ちゃんとかって、パズルとかあったら、ぐちゃーってやっちゃったりするじゃない、多分。
そうだね、これ合わせて、1つにしてって言ったら、確かにな。
そうそうそう。
で、しかもこれって実は経験的なものじゃないんだよね、と。
例えば、さっき言ったみたいに、小学校に入って算数とか習おうと思うと、
もうこのりんごととかっていう経験に置き換えちゃうんだけど、
うんうん。
でも、その経験をいくら積み重ねても、
じゃあ189+695とかっていうのを、
うん。
例えば経験的にやろうと思うと無理じゃん、そんなりんごを集められないしみたいな。
なので、これっていうのは経験で理解した方がわかりやすいから、
そういう学び方をするんだけれども、
本質的には何らかの数学的な手段を用いて、
その12っていうものを導いていますと。
1ずつ5個足すのであれ、5っていう数を何らかの形に変えるのであるね。
うんうん。
だから、これってカントに合わせると、
人間の感覚とか経験が入る余地がないよねっていう風に言うのね。
うーん、なるほど。これは難しいね。
確かにさっきの通りで、
この元7+5を理解するために多くの人は経験によるんだけれども、
うん。
それはあくまで経験が関与しない、
うん。
その純粋なものを理解するための手段ですよって分けるっていうのはとても難しいね。
うんうん。
そうそうそう。
だから純粋な学問としての数学っていうのを捉えると、
そういう風に言えるよね。
人間の経験を誰しも挟まないっていう風に言えるよねっていうので、
これが純粋理性の純粋、純粋数学とかの純粋っていう意味なのね。
はいはい。
うん。では経験によらないっていうことで、
実はこれがアプリよりっていう言葉の意味につながってきて、
18:02
経験とか後付けの判断によらないっていうことをアプリよりっていう言葉で表現するのね。
これがラテン語かなったのより前とか先のものからっていう言葉なんだけれども、
うんうんうん。
結局その7+5は12だよねみたいに自然に言うのはちょっと経験的なもの。
あと指を折って2+3は5になりましたっていう、パーにするっていうのは経験的なものなんだけど、
うんうん。
でも2+3みたいなものを処理する能力っていうのは経験より前にあるよねっていう風にカントが言いますと。
で、もう1個その言葉として一応伝えしておくと、
そのより前のものじゃなくてより後のもの、
つまり経験とか後から判断を加えるっていうのはアポステリオリって言ったりします。
うん、なるほど。はいはいはい。
なのでアプリオリとかアポステリオリみたいな言葉が純粋理性違反とか読んでるとバンバが出てきて、
わからんみたいに。
なるほどなるほど。
うん。
っていうのもやっぱりその体験っていうのはそもそも僕らは今やっぱり体験する世界にやっぱり生きてたってるから、
それを一回こうなんだろうなアンラーニングというか、
うんうんうん。
ちょっと取り払わないと理解できないっていうのもやっぱりこの辺りの難しさになっちゃうんだよね。
そうだね、確かにこのそもそもの確かにアプリオリっていう方の概念を理解するっていうのはさっきの赤ちゃんみたいな話で、
うん。
もうね、7+5を知ってる自分たちからすると、いや、それって別に経験から理解したもんでしょって思いがちだけど、
経験じゃないんだね。
うん。
と、感とは言いますと、もちろんね、実は経験じゃないかっていうこともできるけれども、
まあでも普通に考えると、別に僕らはね、生きながら毎回毎回に7+5=12っていうものを経験して、
1から作っていくってことじゃなくて、
うんうん。
そういう数学的なものがあって、それを理解してるっていう話だから。
そうだね。だしまあそれがどっちが先かっていう理論はね、
そもそもカントンを超えてわててくれないとなし得ないから、想像もできなかったから。
うん。
っていうのが、そのまずカントンが持っていた問題意識のうち、
一つ目の数学とか物理学のような経験によるなに学問で、
どうやったら認識できるの?みたいな話の、まあ以上説明ですと。
で、じゃあもう1個の、その軽重学、悪しき軽重学みたいな話、
何っていうことなんだけど、
まあその、これまでね、僕らも散々やってきた、
いわゆる第一哲学みたいな、要はその物事の根本原因は何かとか、
神っていうのはどういう存在かみたいなものって、
まあこの歴史上、西洋哲学の歴史上もずっと問われてきたことなんだけど、
21:00
はいはい。
カントンはそれを、この不十分な論証、どこまで行っても論証し尽くせないから、
それは不十分であって、
悟問として成立することは無理だ、不可能だって言い切るのね。
で、なぜならっていうところなんだけど、
その経験できないものについて議論しているからですと。
まあこれはわかりやすいよね。
まあそうだね、さっきの通り、
その神のとか、あの霊魂みたいなものって、
言うて誰も見たことないでしょっていう話だね。
だからその根本から考え直すのが、ここがすごくて、
経験、さっきの数学みたいに、でも経験できないものも僕らは考えられるよねと。
ダダダス5っていうものに対して、12っていう風になる、
そういう数学的な法則っていうのがあったときに、
それって、
刑事状悪とか人間の認識についても言えるんじゃないっていうことを考えるよね。
だからその根本から考え直して、
その経験によらない、アプリなものを正しく捉える思考法を確立することができれば、
その経験によらない、神とか魂とかに関しても、
きちんと学問的に突き詰められる考え方とか思考法ではできるんじゃないっていうことを言います。
なのでここまでくると、なんとなく神とかがやるとしてることが見えると思うんだけど、
新しい刑事状悪を作ろう、学問としてやろうってなったときに、
経験によらないものごとをきちんと突き詰めて考えられる方法論を作り出さなきゃいけないっていう風に考えるのね。
はい。そうね、それがその方法さえ確立してしまうと、
最初問題意識としてあった悪しき刑事状悪っていうものを、
お前たちは悪いんだぞって証明することができると思うし、
かつそれを用いることで、本来その経験的にしか話してないでしょって言われかねないものも、
いやこれは経験じゃなくて、実際にこれは真実というか、アプリよりなものですよっていう風に証明することもできるんだ。
他の人は経験でしょって論破できずに、きちんとこれはアプリよりなんですよ、経験から導き出されているかもしれないんだけれども、
アプリよりだと証明できましたって言えると。
そう。だからこれはカント、私が経験しようとか見聞きしたことを考えたんじゃなくて、
人間に備わっているアプリよりなものから出てきたものだから、みんなにある種共有できる真理でしょとか真実ですよっていうことが言える。
はいはい、カントも自信を持って言えると。
うん、そういうこと。
はぁ~。
ですと。
で、ここまでが前半戦の前半戦で、ここからじゃあカントがそこにどう切り込んでいったかっていう話なんだけど、
まず正しい問題を立てるための取り組みから始めていくよね、カントは。
24:07
いきなり本の最初に、そのアプリよりの総合分析はいかにして可能かっていうのを言うんじゃなくて、
まずその正しい問いにたどり着くための取り組みっていうのをやっていきますと。
はいはいはい。
それでカントはですね、まず新しい形字枠の基礎を整えるっていうことを目指している中で、
学問って、いわば知識がどんどん広がっていくとか増えていくっていうことを目指すものじゃないですか。
うんうん、そうだね。
新しい発見がないと、学問としては意味がないみたいな感じになっちゃうんで、
なので、そういう物事を問い詰めていくとか学んでいくにあたって、そもそも人間がどういう風に物事を判断してるんだっけっていうその方法をちょっと分類することから始めるのね。
それが実は2つあった分析判断と総合判断って言われるものなんだけど、
はいはいはい。
とにかく、そういうふうに作り言うと、総合判断の方がいろんな知識とか経験を獲得できます、増やせますっていう物事の見方とか判断の仕方で、
分析判断っていうのは、新しい発見とかがないですよっていうことを言うのね。
はいはい、なるほど。
うん。
これちょっと分かりづらいと思うんで、ちょっと説明していこうと思うんですけど、
ちょっと先に分析判断の説明、ちょっと例としてあげてみたいんだけど、
例えばね、その「すべてのコーヒーは黒い」みたいな言葉を聞いたときに、
うん。
まあまあそうかなって思うじゃないですか。
そうね、うん、思う。
で、じゃあもう1個、その「すべてのコーヒーは眠気に効く」みたいなときに、
うん。
この言葉ってどう?まあそうだよねって思うかな。
そうだね、なんかカフェインが入ってるから効くんじゃない?みたいに思うけど、うん。
うんうん。
で、実は、その「前者のすべてのコーヒーは黒い」が分析判断で、
「後ろのすべてのコーヒーは眠気に効く」が総合判断じゃないか、ちょっとこれは僕が作った例なんで、
気持ちにとっては違うかもしれないけど、
っていうことを説明したいですと。
はいはいはい。
はい。で、何かっていうと、
うん。
まあ、「すべてのコーヒーは黒い」ってなったときに、
この「黒い」って実はそのコーヒーの概念というか、コーヒーとは?っていう中に含まれてる要素だなって思うんですよね。
例えばコーヒーって、まあ黒くて、まあなんだ?液体の飲み物で、
まあ要は苦くてとかまあ酸っぱいとか味もあるかもしれないけど、
うんうんうん。
27:00
っていうものを僕らはコーヒーとして認識するじゃないですか。
うん、そうねそうね。
で、いくと、そのコーヒーのいろんな要素のうち「黒い」っていう要素を取り出して、
「すべてのコーヒーは黒い」って説明すると、説明としては成り立つんだけど、
要は何も新しいことを言ってないっていう判断になるんだよね。
はいはい、そうね、そうか、分析、そうだね。
うんうんうん。
コーヒーを分析していろんな要素がある、その要素を取り出して、
「すべてのコーヒーは黒い」とか「すべてのコーヒーは液体である」とかっていうのが、
事実としては正しいんだけど、知識としては新しいものは何もない。
うんうん、ただ説明してるだけな感じがしてきた。
うん、確かに確かに。
っていう意味で分析判断という風に言いますと。
はいはい。
もう一個の「すべてのコーヒーは眠気に効く」っていう時に、
兄貴が「じゃあカフェインも入ってるし」って言ったんだけど、
兄貴はコーヒーにカフェインが入ってるって確かめたことある?
いやー、ないね。
でしょ?みたいな感じ。
さっき兄貴が赤ちゃんだなみたいな、なんだすごいの時に言ってくれたけど、
コーヒーを科学的にとか分析の器具を用いてやったら確かに分かるんだけど、
普通に見てる限り、コーヒーは眠気に効くっていうのは要素として入ってこないんだよね。
あー、そっか、確かに。
さっきそっか、分析の時にコーヒーって黒くて苦くてとか、
水分でみたいな話をする中で、さらに眠気に効いてとかって思っちゃうんだけど、
それってこっちの常識で、赤ちゃんが見た時に黒いとか水分っていうのは理解できるけど、
赤ちゃんが見た時に「これ眠気に効くわー」ってなるわけないし、
なるわけない。
これはそっか、さっきの想像で言うと、
そういったいろんな、もしかするとコーヒーが経験的にいろんな人が飲んでも眠くならないぞとか、
徹夜に効くぞとかいう経験的な中で、
あとはもしかすると科学的に、これカフェインが入ってる、その成分が効いてるんだっていうものが、
それが経験的に証明されたことをこちらは、常識として思っちゃってるから、
分析的に理解しようとした時に、項目の一つとして入ってきちゃってて、
それ以上別に「眠くならないじゃん」とか「黒いじゃん」と同じで考えちゃうんだけど、
そこはちょっと違う、赤ちゃん目線に戻りなよっていう話だったわ。
そう、実は違う判断をしてるよっていう。
はいはいはい。
30:00
7+5=12っていうことと、すべてのコーヒーは眠気に効くっていうのは、
実はどっちも総合判断的な考え方で、
はいはいはい。
コーヒーにはカフェインが入っているカフェイン、
そもそも人間の眠気っていうのはこういう風なメカニズムで起こる、
そのメカニズムにカフェインが効いて眠気が取れるっていうことは、
例えば科学的にとか、探求していけばわかるんだけど、
それじゃもう学問だよね。知識がどんどん増えてるから。
うんうんうん。
そっか。いや、そこ、確かに分けるのは難しいね。確かに今の感覚から。
なるほど。ちょっとわかった気がする。分析と総合ね。
うん、っていう感じなので。
だから私繰り返して言うと、分析判断だけだと、
前提条件、例えばコーヒーとかっていうものから当たり前のものしか出てこないんだよね。
うんうんうん。
コーヒーは黒い、コーヒーは苦い、もうそれ以上行きようがないみたいな。
うんうん、確かにそれを乗り越えられるというか、越えないね、確かに。
そうそうそうそう。
でも、その学問的に知識が拡大していくっていう総合判断を使うと、
そういうコーヒーは眠気に効くとか、もしかしたら健康にいいとかっていうことが出てきますと。
はいはいはい。
で、さっき兄が言ってくれた通り、コーヒーなら経験で頑張れるんだよね。
いろんな人が飲んでもらいましたとか、
あの、若ちゃんが分かんなかったけど、大きくなって飲むようになったら分かりますってことができるんだけど、
うんうん。
関東がやろうとしている経時上学は絶対経験できないものじゃないですか。
あー、そっかそっか、そもそもそういう話だったね。
そうか、神とか理性とかそういったものを取り扱っている人たちが、
いろんな多分経時上学っていう名のもとに証明しましたって生きがってるんだけれども、
果たしてそうかねっていうことを関東はきちんとその論破というか証明しなきゃいけなかったんだ、モチベーションとして。
うん。
それをしないと新しい形状学を作れないから、これまでの形状学って正しくないよねっていうことを言わなきゃいけない。
そっか、その方法論が存在しなかったんだね。
存在しなかったし、混ざっちゃってる。
要は兄が言ってくれた通り、コーヒーは眠気に効くジャンって言うんだけど、
神様って存在するジャンとか、神様って良いものジャンって言うんだけど、
それって本当に学問として正しい総合判断でやってますっていうことを突きつけるのね。
偉大なるアンラーニングって感じ。
そうそう。まさにそう。実はこれが面白いのよ。
そうか。
自分の考えがいかにとらわれているかって気づけるのがめっちゃ面白いのよね。
きついなぁ。
そうだよね。さっきの7+5=12じゃんとか、コーヒーって眠気に効くジャンとかって、
33:04
いう風に思い込んでるレベルで神っているジャンとか、
犠牲ってあるジャンとかって思っちゃってる人ばかりだったってことか。
そうね。もちろんみんなちゃんと考えているし、そこを超えようとした人もいるんだけれども、
そこをきちんと区別した人はいないから自分がやってるっていう感じ。
そうか。今の例だとね、ただ単に偉い人が、ちゃんとした人が証明してくれたカフェインあるじゃんっていうものを、
ただ思ってるっていうレベル、経験をただ使わせてもらってるレベルだけれども、
もしかするとさっきの刑事状況っていうと、それをバチバチで学問レベルでやってる教授レベルの人が証明したって言ってるような話を、
それ違うじゃんって言わなきゃいけないみたいな。
カフェインって効かないんですよって言わなきゃいけないみたいな。
そういう超トップレベルの話をしてるんだね、もしかすると。
キリスト教の1000年ぐらいの歴史とか、それに連なるいろんな学者とか教授の話に対して、
その考え方って正しいですかっていうのをつけつけようとしてるのね。
それはすごいでしょ。
やっとカントのすごさ、やったことやろうとしたことのハードルの高さだったりとか、
本当に乗り越えたことのすごさみたいなものがちょっと感動してきた。
おーうれしい。
でもまだカントの問いにすら取り付いてないからね、僕ら。
ただ、アインシュタインが問いは、問題っていうのは問いのレベルでしか答えられないみたいな言葉を言ったみたいな話がいつもあるんだけど、
ビジネスの現場でも、問いを見つける力が大事だとか言うじゃない?
そうだね。
正しい問いをさせると、問題は8割解決したものだみたいな。
そうだよね。学問でも同じだよね。正しい問いだったけど、仮説の方が重要だもんね。
そうそうそう。
カントは正しい問いにたどり着くっていうことをちゃんとやったっていうことがすごい。
で、その問いの話なんだけれども、結局兄貴が言ってくれた通り、コーヒーは眠気が取れるっていうのは飲んだらわかるんだけど、
神様っていうのは触れないし触れないし見られないし、例えば神様が一人であるとか、神様がいっぱいいるみたいなことを証明しようとしたときに、経験によることはできないじゃない?
だからカントが純粋理性科で答えようとする問いっていうのはアプリオリナ、つまり経験によらない総合判断、知識や副大成功の判断っていうのはどうやったらできるか?
ということで、それに答えるとその手法によってはアプリオリナ総合判断によって新しい形状画を作ることができるんじゃないか?
36:03
ということを考えていくのね。
うわぁ…すごい。確かになぁ。この問いにたどり着いちゃった人は、もう証明せざるを得ないよね。人生かけてって思った。
そうだね。
すごい。
カントはそういうのはこれを証明しただけじゃなくて、そのあと2冊の本で、神前Bの禅とBまでやっちゃってることなんだけど、
うんうんうん。
これ1個書いたら、多分哲学者としては超一級?それを超えてるっていうのはすごいだろうなぁって思うし、
もうちょっとわかりやすくさっきの問いのことを言うと、経験を超えたことを考えるのが刑事条約っていう学問なので、
それをちゃんとやるんだったら、経験によらずに知識を剥大させる学問的な手法が必要ですよねと。
でも観察とかいろんなものを調べたらわかるっていうんじゃなくて、経験によらないことが大事で、
それとはすでに数学とか物理学で存在するじゃんと。
だったらその方法論というのを解明して、刑事条約に適用したらOKだよねっていうところまで行き着くのね。
こう聞くと簡単そうだけど、やっぱりここまでの話を聞くと、ものすごいことが行われてるんだなっていうことがわかってきたというか。
だから感度が難しいって言ってもこれで、この問いの本当の意味というか、
本当のどの次元で考えてるかっていうのを理解するのがやっぱり難しい。
ともすると頭で「確かにそれって大事だよね」とか「適用的な手法を応用すればできるよね」とか思えちゃうんだけど。
いやー恐ろしいね。
で、ここから問いに答えていこうとするんですけど、感度は。
はいはい。
実際どう取り組んだかは次回に話そうと思うんだけど、前提条件であと2個だけ新しい概念を説明させてください。
お、了解です。大丈夫か。
はい、なので今日盛りだくさんですね。
まず言葉として一回聞いてほしいんですけど、
「もの自体」と「表彰」という言葉があります。
「もの自体」という言葉がすごく突っつきづらくて、
なんか「ものそのもの」とか「ものそれ自体」とかなんでもいいんだけど、
「もの」だと「りんご」も「もの」だし「メロン」も「もの」じゃんみたいになってしまうんだけど、
「もの自体」というのは「もの」の奥にある本当の「もの」ですぐらいにいったのは思ってもらって大丈夫です。
うん、うん、うん。
で、ちょっと説明すると、というかちょっと例え話を言うと、
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例えば今皆さんが今このラジオを聞いてくれている時に、
僕の「感の早田」という人間の声を聞いてるっていう風に思うと思うんですけど、
うん、うん。
もうちょっと分解すると、僕の声は今マイクが拾って、
スピーカーとかイヤホンから出た空気の振動が皆さんの鼓膜を震わせて、神経を刺激して音として処理されて、
言葉として理解されるよねみたいな。
うん、うん、うん。
そういう神経学的なとか物理学的な流れがあるじゃないですか。
はい、はい。そういう風に皆さんが証明していただいてると。
頭に人が証明してくれてるね。
そう、何わかの学者さんがやたく、なんで僕はそれを言えるんだけど、
その最終結果として捉えている僕の言葉とか喋っているって思っているものが表彰です。
うん、うん。
表に出てくる形。
で、だから僕の今喋っている声っていうのは、実は僕の声をそのまま音声として聞いてるんじゃなくて、
皆さんの脳とか心の中で言葉として構成されているみたいなことが言えると思っていて。
うん、うん、うん、うん。
それは意識の中で生まれているものですと。
するとこの場合、その意識とか表彰を生み出している僕が発している音とか、
音そのものっていうのは、本当の意味では、なんだろうな、認識できないとか経験できないんだっていうことを言うのね。
で、ここで言うその音そのものみたいなものが、物自体というふうに呼ばれますと。
で、物自体っていうのは外にあって実在をちゃんとしてるんですよと。
で、その刺激を受けていろんな表彰っていうのが人間には起きるから、
物自体は外で表彰は心の中なんだっていうことを言うのね。
うん、うん、うん。
つまり感と言わせると、あらゆる物、リンゴとかで見たときに、
リンゴっていうのは実は外にあるリンゴを見てるんじゃなくて、
自分の中で視覚的な情報を再構成して生み出してるんだっていうふうに言うのね。
ああ、だからそうか、物と物自体、はいはいはい、分かりません。
だから、物は自分の内側にあります。
うん、うん。
物自体は外側にあります、みたいなことを言いますと。
ああ、はいはいはい。
これはなんとなくOKかな。
うん、そうだね、うんうんうん。
その物と物自体と表彰っていうところの使い分けっていうところね、
は大丈夫。
これが、そうだね、今、かえりそのマイクを通してっていう話をしてくれたけれども、
かけにその目の前で向かって話してる人と話したとしても同じだよね。
うん、同じ同じ。
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発した音っていうものが物自体だったとしても、
それはその鼓膜を通して、脳が認識したものはあくまで物であって、ということだよね。
そうそうそう。だからその時間的に後から録音したものを聞いてるとか、
離れたところにいるからとかってことは関係なく、
相手がしゃべっている音みたいな、音そのものは、
実は僕らは知らないとか分からなくって、
そこから理解した言葉とか意味っていうものを僕らは内側で捉えているっていう感じですね。
はいはい、そっかそっか。
この物っていうものと表彰っていうものはだいたいイコールみたいな感じでいいのかな?
表彰の一部に物とか感覚があるっていう感じかな。
うんうんうんうん。
それを全部捉えた概念として表彰っていう言葉を使ってるっていう感じ。
そっかそっか。そうだね、確かにりんごとか見たときにりんごって認識すれば物だし、
それを見たときにりんごを見ておいしそうって感じたらそれは感覚だしみたいな。
そう、感覚だし。
そう。どっちも表彰ですよと。
うん。
で、これの実は背景には当時の原子論、
物事は原子化できているみたいなことと、
デカールドの関連論っていうのは両方あって、
何かっていうと原子論っていうのは世界の細かい粒とか粒子ができていて、
それ自体に暑さとか寒さとか色とかはないっていうことを言うのが原子論なのね。
うんうん。
僕らは今知識として、例えば原子があってとか粗粒子があってみたいなことを
なんとなくは知ってるけどもちろん経験はしたことないじゃない。
そうだね。
で、だからその粒みたいなものに関してはそれ自体が暑いとか寒いとかはなくて、
でもっているとその原子の運動か熱を持っているということを僕らは科学的に理解してるんだけど、
でもその粒子自体には例えば暑さはないですと。
だからその暑いみたいなものっていうのとか、
僕らが普段生きていて今日暑いなとか今日寒いなみたいなものは、
その刺激を人間の側が受け取って感じているもの。
はいはいはい。
それは表彰を感じるという意味で、
それは観念、あくまでも思考の世界なんだよっていう、
観念的な世界なんだっていうのが観念論ですと。
というのが、本当のものが外にあって、
それを受け取った人間が色んなものを作り出しているっていう考え方に繋がってくるんだよね。
うんうんうん。
これ面白いのが、原始論っていうのは古代ギリシャのデモクリトスっていう人が元々言ってたりするし、
その現実の裏に真理があるとかって言って、
これってプラトンがやってるイデア論と近いことじゃない?
そうね、イデア論と後現象界、それをどう捉えるかみたいなこと。
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すごいしっくりくる感じする。
そうそうそう。
だから今カンザーが言ってることって、
実は古代ギリシャの哲学的な原始とかイデアとかっていうコンセプトが、
当時の科学精神とか世界に置いて再構成された時に、
こういう発想とか思想になるよねってことなのね。
うーん、はいはいはい。
だからカントもただ自分なりに考えたってだけじゃなくて、
その色んな哲学の歴史とか過去に考えた人のものをちゃんと取り入れてやっているから。
そっかそっか、自分でたどり着いたわけではなくて、
ちゃんとこういう素養も踏まえてっていう感じなのかな?
ちゃんと勉強してるのかな?
うん。
だから思いつきじゃないし、
ちゃんと自分が考えたことを言ってるわけじゃないよっていう意味を込めて、
この後に伝えてみましたと。
はいはいはい。
という感じで、一旦ちょっと今回は以上にしたいとは思うんですけど、
だいぶだいぶ喋りましたね。
いやー難しかったけど、そうだね。
ただ、これまででいろいろ人生とか教えてもらったけれども、
一番やっぱりカントが何をしたかったのか、
どんなハードルを超えるべきだったのかっていうのが一番やっぱり明確に伝わってきて、
ちょっとこの問いにたどり着いたカントが、
じゃあ果たしてこの後どうやってそれを乗り越えるのかっていうのがちょっと熱いね。
人生はパッとしなかったけど、
この思考やっぱりプロセスとか哲学そのものはめちゃくちゃ熱いなって。
そうだよね。ちょっとドラマチックでしょ?
やっぱ本を読んでてもそうなのよ。
やっぱり僕はその順子で読んでないからこんな風に言えないんだけど、
他の人の本とか読んでても、
こういう順序でこういう問いにたどり着いて、
こういう風に解決していくのかみたいなことがわかるとめちゃくちゃ面白いね。
小説を小説読んでるみたいな。
うんうんうんうん。
問題化解決されていくみたいな。
人によっては問題解決しきれなかったりして、
ちょっとこいつしりすぼめしたなとか、
ちょっとこれロジック全然甘くないみたいなことを思ったりする人もいるから、
それがそれでやっぱ面白いし。
うんうんうんうん。
すごいことだよね。
問いをどう見つけるか、どうたどり着くかってとこはやっぱり、
そこだけで面白いもん。
うん、面白い。
それをつかめちゃえばその後は結構理解しやすいから、
それができるかどうかがいったら、
哲学者が分かれるかどうかのほんとに一番大事なことなんだよね。
この人の立てた問いがちゃんと理解できるかとか、
その人が本当に考えた手順でたどり着けるかどうか。
うんうんうん。
確かになぁ。今回アンラーニングみたいなね、
7+5は12は当たり前じゃないんだぞみたいなね。
そうそうそうそう。
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そこを自分で取り外すのはとても難しいと思ったから、
今回こうやってある程度先生というか師匠に教えてもらわないと難しいと思ったし、
独学でこれをじゃあね、そういった前提を剥がしながら、言書とかいろんな論文とか、解説書でもいいけど、
当たりながらじゃあ自分で剥がしながらそれを理解していけるかって言われると、
これもまたすごい難しそうだなぁと思ったから。
はい。10年かかったのはそのせいでした。
10年確かにそうだよね。それを伝えてくれるラジオだもんね。
はい。
そうなんです。
本当はね、大学とかでちゃんと教授とかに教えてもらったらたぶんそういうことも理解できるんだろうけど、
逆に僕は独学でやれたからこそ喋れてることもあるかなっていう感じは思ってます。
はいはいはい。
難しさ、わかる難しさみたいなものはもしかしたらね。
わかんねえ、わかんねえって1年ぐらいやるみたいなのが当たり前にあるから、
それはでも手冊者の方も言ってる。読んでもわかんないものを5年後読んでわかんないと思ってみたいなことを繰り返すみたいな。
はいはいはい。
やっぱり学者さんも言ってることだから。
そういうレベルでも全然ありえるんだね。
ありえるから安易にやっぱりわかったとは言わない、わかった気にならないっていうのはすごく大事。
なるほどね。
自分言っちゃうけどね、「わかった!」って。面白いとかって言っちゃうけど。
そうそう。それはね、全然ありで。一旦感覚がわかったレベルに行くんだけど、でも本当にもう一回自分でやろうと思うとやっぱりわかんないことが出てくるみたいなのが手冊の面白さというか、粘り。
うんうん。そうね。その浮き沈みというかね、わかった、わからないのを繰り返してわかっていくというか、
わかったつもりより、その、わからなさをわかっていくみたいなね。よりね。
そうそうそうそう。
まあちょっとこれ、雑談最後また話しちゃったらあれだけど。
あの、物事大と表彰を兄貴が理解できたって言ってくれたじゃない?なんとなくわかるって。
まあそうだね。話してくれた通りには理解したかな。
実はこれは、僕らがそういう世界、もうそういう考え方が馴染みのある世界に生きてるから理解できることであって、
本当に僕らはそういうことって理解できるんだけど、そういう世界で見ようとするんだっけっていうと実はめちゃくちゃ難しい。
はいはいはい。
それはカントっていうよりは、今後の原子力とか、もしかしたら次やる優位式とかでもちょっとそういうのを感じていただこうとは思ってるんで、
それもぜひ楽しみにしててくださいっていうような感じです。
面白いね。そっかそっか。アンラーニングしなきゃわかんないものと、しなくても結構すんなり入ってくるものが混在してるから、とっても難しいんだね。
とっても難しい。わかったけど、そこはまたっちゃうからね、この近代ぐらいになっちゃうと。
だから理解が難しいっていうのもある。
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了解。今回は盛りだくさんな感じがするけれども、ただ、人の問いを理解するっていうのはここまで多分大変だし、大事だっていうことでもあるってことなんだね。
それが全てだね、むしろ。問いをちゃんと理解できるかどうかが全て。
今回ここで理解したつもりになれれば、次回はそうするとするのってことはね。
より楽しめますよっていう感じだね。
もちろん最初に言う通りわかんなくても全然いいし、あんたらすごいこと考えた人がいるんだ、カントってすげーでも全然いいと思うんで、
それをね、またもし聞きたくなった時にハンドショップとかに聞いてもらって、わかった気がするとかになるとそれはすごい正しい手伝うこの楽しみ方だと思うんで。
そうだね、本当。
っていう感じで、ぜひね、ちょっと、なんだもうちょっとこのラジオ難しすぎる、無理だって最後まで聞いてくださった方は多分大丈夫だと思うんですけど、
もう多分途中脱落してると思うから、無理な人は。でもまず最後まで聞いていただいて、お告げいただいてありがとうございましたと。
いやー本当にありがとうございます。
ぜひ次回以降も聞いてくださいというところで、今回は以上でございます。
はい、了解です。じゃあ次回はね、より詳しいというかプロセスの方に行きますというところで、またよろしくお願いします。
はい、お願いします。ありがとうございます。
♪~
52:31

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