1. 哲学の楽しみ方を探求する〜それ哲ラジオ
  2. #241 古代ギリシャで論破合戦..
2024-08-18 43:57

#241 古代ギリシャで論破合戦?詭弁家「ソフィスト」の実像に迫る!

「それって哲学なの?」といった身近なテーマをきっかけに、哲学の楽しみ方を探求するラジオ番組です。


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サマリー

今回のエピソードでは、古代ギリシャにおけるソフィストの実像を探求しています。ソフィストは単なる口達者ではなく、民主主義の中で人々を説得し、社会を動かす役割を果たしていたことが明らかになります。エピソードでは、古代ギリシャのソフィストについて、その成り立ちや役割、哲学者との違いに焦点を当てています。特に、ソフィストが言葉を使って議論や演説を行い、社会にどのように影響を与えたかを探ります。ソフィストの実像について深く掘り下げ、彼らが古代ギリシャでどのように知識や技術を教え、哲学者たちにどのように見られていたのかを探ります。特に、ソクラテスやプラトンとの対比を通じて、ソフィストは知識の持ち方や教育の方法でどのように位置付けられているかが議論されています。古代ギリシャのソフィストについて考察を行い、彼らの思想や相対主義についての理解を深めています。

ソフィストの初探求
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄のカンノ・キョウスケです。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、お願いします。今回から久々、すごく久々に古代ギリシャということで、古代ギリシャといっても広そうだけどね、どんな感じなのかな?
そうですね、前回も時間というテーマとか、アーノルド・ミンディルさんみたいな、ちょっと哲学から離れたところを見てきたんですけれども、
今回からですね、ソフィストということをテーマにしまして、西洋哲学の古代も古代ですね、いわゆるソクラレスの時代まで戻って、
また現代に近づくような感じで、哲学の世界というのはもう一回辿ってみたいなというふうに思っていますよというところの最初として、
ソフィストというテーマを持ってきてみましたという感じなんですけれども。
なるほど。
ソフィストって聞いたことあるというか、イメージってあったりします?
教科書的に言うと、弁論術を駆使して、いろんな人がいたんだろうけど、口だけみたいな、口が達者な人が勝ちみたいな。
口先で惑わせてたじゃないけど、言いまかしたもん勝ちみたいな。
あんまりポジティブに語られているようなイメージではない。ローパーと言っても悪い意味で。
まさにそういうイメージで、それこそ哲学っぽくないイメージもあるかなと思うんですけど、
それこそ例えばソクラレスとかプロトンとかが結構ソフィストのことを語ったりするんですけど、
いわゆるSH式人というか、哲学者って要は真理を追求して本当のところに至るみたいなイメージで、
いいイメージだと。いいっていうかまだあるんだろうな。それなりに交渉のことをやっているイメージとかってあると思うんですけど、
それはいいかどうかは別としてね。
ソフィストってなんかイメージ悪いねというか、相手を言いまかせばOKみたいなイメージもあるのかなとは思っておりますよと。
僕自身もそういうイメージがあったりとか、言うてもソクラレスとかプロトンとかだったらいろいろ学ぶこともあるとは思うけど、
なんかそのソフィストって学ぶことってあるのかなってちょっと思ってたんですよ。
なるほど。じゃあちゃんとそれこそ見てないというか。
あんまり知らなかったの正直。
っていう状況の中でお本とか読む中で少しソフィストとかのことが書いてあったんで、今回取り上げてみようと思って読んでたんですけど台本を作るときにね。
やっぱりやってよかったなというか面白いなって改めて思ってて。
ちょっと前回までは物理学的な時間の話とかビジネスの話とかを前回したと思うんですけど、
そういうのも嫌いではないんだけど、やっぱり自分はどっちつかずというか答えがない問題の方が好きだと思って。
そういう意味で言うとソフィストめっちゃ面白いなって今思ってるんで。
ぜひですね、兄貴とか聞いてる皆さんもちょっとソフィストって少しウサンくさいというかイメージあるかもしれないんですけれども、
それはそれとして一個ありつつも、そうじゃないソフィスト像っていうのもあるんだよっていうのを今回お伝えしたいなと思ってます。
というふうな感じなんですね。
はいはい、なるほど。ソフィストにもいろいろいるよみたいな話だよねおそらくね。
ソフィストの役割
っていうのもそうだし、この後またちゃんと話すんですけれども、
ソフィストって2500年前とかの人じゃない。
その人たちってどうやって僕らが今手がかりに知ってるかっていうと、結局ソクラテス、むしろプラトンだね。
プラトンの本とかからソフィストってこんな人だったんだよっていうのを知ってるんですよ僕らは。
あーそうなんだ。
ソフィストが書いた本とかってほとんど残ってなくって。
じゃあプラトンとかがあいつらバカだぜみたいな、例えばそういう悪口書いてたとすると、
そういうちょっと一面的な評価しか知らないみたいな感じなのか。
そうなので、哲学者としてのプラトンを私から言わせると、ソフィストの奴らはエセだみたいなふうなやっぱりそういうスタンスもあるんだよね。
ある種、勝った人の歴史を読んで負けた国のことを知るみたいなことがやっぱりソフィストに対する研究だったんですけど、
それが、最近って言ったら1900年代後半ぐらいからだけれども、ちょっとそれは見直そうよとか、もうちょっとちゃんとそこをやり直そうよっていうふうな動きがあって。
なるほど、そんなバカ者だらけなわけがないっていう。
そうそうそう、わけがないっていう。
実際に有名な言葉もあって、聞いたことあるかな。
人間は万物の尺度であるみたいな言葉って聞いたことあります?
ある。誰か忘れたけど。
わかんないよね。
多分有名ではないんですけど、これがプロタゴラスさんっていう人の言葉で、この人はソフィストとして超有名なんだよね。
この言葉、人間は万物の尺度であるっていうのも、単純に聞くとそうかもねとか、そういう考え方もあるかなって思うと思うんですけど、
これをちゃんと深掘りしたいとか、じゃあなんでこのプロタゴラスさんがこんなことを言い始めたんだろうとかっていうのを考えていくと、やっぱり非常に面白いんですよね。
他の哲学者の人もそうだったんですけれども、かつね、結構ちょっと反省した部分があってですね、このソフィストを読んでるときに。
結構さ、前回のミンデルさんのときにも、やっぱり西洋っていうのはキリスト教的で、結構一神教的な考えが強いですと。
東洋はそうじゃないよねっていうふうに比較で話すことが多かったと思うんですけど。
で、実際それはそうなんだけれども、このね、いわゆるソフィストの時代、これが紀元前5世紀とかっていう時代なんですけれども、
この時までいくと、その当時のギリシャとかアテネって、いわゆる多神教なんですよね。
へー、あ、そうなんだ。
そう、よくさ、ゼウスとかアポロンとかって聞いたことないよね。
あー、なんかギリシャ神話的な話?
そうそう、ギリシャ神話。オリンポス十二神みたいな感じでさ、そしゃげとかやってると大体出てくると思うんですけど。
そうなんだね。
漫画とかあるんですけど、だから当時のね、アテネ、ギリシャは多神教なんですよ。
あ、そうなんだ。じゃあソクラテスとかプラトンあたりも全然。
うん、全然多神教。
いわゆるそのキリスト教入る前みたいな。
そうです、全然そう。キリスト教だってね、起源ゼロじゃん。イエスキリストが生まれたのって。
だから起源前、しかもキリストが生まれる500年前とかの話なので、全然キリスト教ないんですよ、この時代って。
なるほど、そうだよね。キリスト教ってローマだから、何百年とかだから。
そうそうそう。
その前は全然多神教なんだ。
うん、違うんですよ。
はいはいはい。
しかも当時のアテネってさ、いわゆるポリスがあってさ、民主制でみんなで政治に参加してたみたいな時代じゃないですか。
なのでやっぱり、西洋っていうのは一神教キリストで、王政のもとに人々が暮らしてましたみたいなのも、
すごいなんだ、ある種キリスト教以降の西洋のすごい偏見的な見方なんだよね。
はいはいはい。
だからやっぱり、いわゆる西洋って隠れることもできないし、
そんな風に凝りがたまっちゃってたっていうのを反省してまして、
やっぱりこの時代、ソトラテスとかソビキスの時代っていうのが、本当にいろんな多神教っていろんな価値観が出てくるから、
そういう価値観とか、いろんなポリスがある中で民主制を敷いているトップとしてのアテネっていう街なんだけれども、
そこの市民としてどう生きていくかとか、
どういう風に自分のポリス、アテネの中での地位とか発言力を高めるかっていうことを、
すごいやっぱり切実に捉えていた時代なんだよね。
うーん、なるほど。じゃあ前回あれだもんね。
ソフィストと哲学の違い
個人主義っていうものって、うちら分からないよねっていう話をして、
じゃあ、例えば古代ギリシャとか、そういうところから分かるかもねみたいな話をしたけれども、
そんな単純なものじゃなかったって話だったよね。
そうですそうです。
だからそもそも古代のギリシャとか西洋人たちは個人主義でそれがずっと続いたってわけではなく、
やっぱり当時は当時で、いわゆる街があって、議会みたいなものがあって、
やっぱりそこにどう参加するかとか、市民としてどう義務を果たすかって、
やっぱりそういうことがやっぱり大事、めちゃめちゃ大事だったんだよね。
はいはい、宗教感も全然違う、いわゆるキースト教じゃないしっていうね。
そう、違うし。
だからある種、古代というか2500年前といえども、やっぱり今と全く違うわけではないし、
やっぱりなんかあいつらちょっと野蛮でね、野蛮って言ったら失礼だけど、
自分たちとは全然違うものごとの考え方をしてやがるぜってことでもやっぱりないので、
やっぱりそういうところをちゃんとこういうふうにやっぱり学び直すというか、
改めて学ぶことでちゃんと見えてくるなというか、
自分自身が思い上がってたのみということも感じたんですよね。
なるほどなるほど。
全然その、古代も古代だからソクラテス以前とかは別に見なくていいやみたいな感じになってたと。
なってた。正直わからんし、もう2年間も言うてもやってきたからさ、
それなりに大体ね、後世の人がその辺りのことも語り尽くしてるでしょうって思ったけれども、
やっぱり古代は古代ですごく学ぶべきものがあるなって思って。
というふうなので、今回話していきたいんですけれども。
なので、ちょっと改めてまとめると、今回ソクラテスっていう話も出てるんですけれども、
まさに時代的にはソクラテスラジオが始まった初回のソクラテスの時代なんですけれども、
ソクラテス・プラトンってある時代は哲学の王道というか、もう何だろうな、
もうメインだよね、っていうような系列ではなくて、
ソフィストっていうちょっと暴流なんだけれども、ちゃんと活動していたとか、
当時すごく人気だった人たち、そういう思想家という人たちに焦点を当てるってことをテーマにしたいと思っておりますよと。
時代的にはソクラテスの前とかじゃなくて、被ってもういるみたいな。
ほぼ一緒。話したりしてるんだよ実際に、このプロタゴラスさんとソクラテスが。
あーそうなんだ。
おしゃべりというか議論をしたりとかっていうのがプラトンの本で残ったりするんで、
本当にそういう同じ時代を生きてた人って感じです。
へー、あーそうなんだね。
ちょっと今回初回ではあるので、そもそもソフィストって何ですかみたいな、
そういうところから少し入っていこうと思っておるんですけれども、
兄貴が言ってくれていた通りで、
イメージとしては、これはそれであえて次回以降で崩していこうと思ってるんですけれども、
イメージとしては、やっぱりある種口が上手くて、
それで相手を言いくれますとか、そういう風なイメージでは実は間違ってはいないんだよね。
ただ、もうちょっとちゃんとお伝えすると、
よくいつも引く岩波の辞典と引きますと、
ソフィストっていうのは、
紀元前5世紀の半ば頃に現れた青年、だから若者の教育っていうのを主な職業にする人たちなんだよね。
へー、あ、職業なんだ。
ソフィストっていうのは。
はいはい。
いわゆる先生みたいな感じなんだけれども、
教育を何のためにしますかっていうと、
その目的は、民主主義的な国家、アテネとかにおいて、
説得によって人々、あるいは社会とか国家を動かすことができる人物を育成することなんですよね。
そうなんだ、哲学とか関係ないんだ。
そもそも哲学っていうところは別で全然社会的なものなんだよね。
そっからも全然イメージが違う。
今言ってくれた通りで、ソフィストと哲学者とは結構違うって言われることがあるんだけれども、
その前提っていうのは、あくまでも民主主義なので、
言葉とか意見っていうもので、人や社会を動かせるっていう政治的なとか社会的な体制があって。
ソフィストの基本概念
へー、なるほどね。勝手に哲学的な営みをしてる人だと思ってたんだけど、
そこからずれた人みたいなイメージなんだけど、定義からして違うんだ。
そう、成り立ちが全然違うのよ。
当時の政治の立ち位置というか、どのくらい重要だったのかはよくわからないけれども、
ただ今よりも個人の意見みたいなものがより意味を持ってたとすると、かなり重要な職業というかね、感じはするよね。
かなり重要だね、だし、今でも、それこそアメリカでも大統領選やったりとか、日本でも総裁選どうだとかっていうのがちょうどニュースでも出てましたけれども、
いわゆる参謀役とか、ゴーストライター、スピーチライターとかっていう人たちがいるわけじゃない。
やっぱり感動的な演説とか、討論会で相手を言いくるめるみたいなこととか、逆にそれにすごい言いくるめられちゃうと、
あの人大丈夫かって、バイデンさんとかそうだと思うんだけれども、やっぱりそういうことが起こるっていう意味では、結構近いというか、そんなに変わらないんだよね。
なるほど、バイデンさんはもうちょっと物理的な要因だったり。
年齢的だね、そうそうそうそう。
なるほど、でもそっちなんだ。
そっちなんです。
フィロソフィーのソフィーとかにはちょっと引っ張られてた気がする。
でもまさにこのソフィストのソフィーも一緒なんだけれども、ソフィーって知恵とか知識っていう意味なんだけれども、
まさにソフィストっていうのは、自分たちはあらゆることを知っている、ある種全知の存在だみたいなことを打ち出していって、だからそれを教えてあげようっていうふうな職業なんだよね。
本当に先生なんだね。
はい、先生なんです。
これもちょっと辞書、辞典に書いておいたんだけれども、言葉によって人とか社会を動かすっていうふうに言ったじゃないですか。
そのために必要な専門的なスキルって何ですかって言われると、いろいろあるとは思うんだけれども、
ソフィストに言わせると、これっていうのは真実を語ることでなければ、自分が真実だと確信していることを語ることでもなく、相手が納得することを語ることであるっていうふうに言われてるんだよね。
はいはい、でもそれも納得できるね。
つまり、さっき天瀬に哲学者じゃなかったんだって言ってくれたと思うんだけれども、ソフィストっていうのは唯一の絶対の真実とか真理を追い求めるんじゃなくて、その時々によって必要な真実とか真理、これっていうのをある種弁論というか言葉によって生み出していくような、そういうふうな人たちなんだ。
歴史的背景と役割
それのスキルっていうものをちゃんと企えていて、教えられるのがソフィストなんだっていうふうな話なんですよね。
はいはいはい。
例として分かりやすいのは裁判なんだけれども、裁判ってさ、要はある被告人がいて、検察とある弁護側に分かれて、有罪だ無罪だとか、有罪だけど刑はこのぐらいとかっていうのを話し合うじゃないですか。
言うならばソフィストの弁論術っていうのが、弁護側になったらとにかく無罪を貸し取ります。
警察になったら今度は有罪を貸し取りますっていう感じで、実際にその人がどんな罪を犯したかとか、その罪はどのぐらいかっていうことじゃなくて、
与えられた役割においてその役割を最大限果たすような弁論を繰り出すというか。
はいはいはい。
ぶっちゃけ自分に都合のいい判決に持っていく。
そういうことをやれるのがある種弁論術なんだっていうふうに言っても差し支えないとは思うんですよね。
はいはい、なるほどね。かなり技術的な要素というか含んでるのね、そんなに。
そうそうそうそう。だから言葉のもちろん使い方とかもそうだし、感情をどう込めるかとか、相手をどう言いくれめるかとか、聴衆をどう味方にするかとか、
そういうのを全部ひっくりめた技術っていう感じなんですよ。
はいはいはい。
こう言われるとちょっとずる賢いというか、そんな都合のいい判決に持っていくなんてってことはあるとは思うんですけれども、
やっぱりそれによって自分が政治家になりたいかどうかは別として、国とか社会を動かせますとか、
自分が考えていることで、アトネというものに対して自分が貢献できますかって言われたら、やっぱりちょっと学びたいなって思うんじゃないですか。
うん、だし、何となく当時もふわっとね、だけども、多分やっぱその、直接民主制みたいな話だと思うから、
一人一人の意見とか一票が多分重くて、
そうだね。
そういう時にはすごく市民というかね、都市国家の国民というか市民として生きていく上では多分めちゃくちゃ重要なんじゃないかな。
今の例えばビジネススキーとかと同じかそれ以上みたいな、勝手にそういうふうに認識してるからね。
そうするとみんなこれ勉強しましょうって言われても。
そうですそうです。一時期のロジカルシンキングみたいな感じで、やっぱり知ってる人と知らない人の差が出るとか、やっぱ知らないとね、
結構そんな発想自分では思いつかないみたいな感じってあるじゃないですか、ああいうの。
みたいな感じでやっぱりそれを教える人がすごく一時的にもてはやされていたというか、すごく世の中の当時のあたりにおいてやっぱり流行ってたってのがあるんですよね。
あれはプレゼンの仕方だよね。
本当にそうだね。
プレッドフォーガーとかいろいろあるじゃないですかね。
あるある。
そういう話だよね。
そういう話です。
そういうふうなソフィストに対して、ソクラテスと言っても基本的にはプラトンが描いたお話の中でもソクラテスなので、
ソクラテスとプラトンがどんなふうに評価をしているかというと、結構国境をしてまして、
本当に一言で言うんだけど、真実でないことを真実であるかのように語るものみたいな、そんな感じでズバッと切り捨てちゃうんですよと。
はいはいはい。
彼らからしたらそうだよね。やっぱり真実ってものはプラトンからすればイディアのところにあるしとか、ソクラテスから言わせると、
全知なんてとんでもないと。無知の知で、知らないってことを知ることから、いわゆる探究が始まるんだっていうふうな発想なわけだから。
事例がちょっとすれ違いすぎてるよね。
そうね。目的も違うから。そういう意味で言うと、まるして哲学者とかソフィストっていうのは、結果やっぱりまさに次元が違うというか、別の在り方だというふうな言われ方もされているんですよね。
いやー、面白い。さっきの定義を聞けば納得だよね。そもそもソフィストに哲学者の要素ないから、
偽哲学者って仮に言われたとしても、いや哲学者じゃないし、そもそも俺でも。
サッカーと野球の選手比べてますみたいな感じなんだよね。
確かに。あいつら手でボール扱いやがってるみたいな。サッカーですし、あ、違う違う、野球ですしみたいな。
確かにそんなすれ違ってるんだ。偽物だと思ってた。
そう、だから偽とかじゃないんだよね。あくまでも違うんだけれども、まるして実際そういう哲学者とソフィストじゃ何が違うのとかっていうのを、ある種対比的にまとめてるような資料っていうのもあったんですけれども、
例えばね、そこで言われてるのが、いわゆるソクラテスとかプラトンみたいな哲学者、これはあくまでも当時のギリシャの話なんだけれども、
アテネというか、自分の生まれ育った国に貢献するってことを第一にしてるんですよね。
ソクラテスもある種、悪法も法なりって言って、その毒化が終わって死んだって話をしたと思うんですけれども、
あれもある種、アテネっていう自分の生まれ育った国というか、その国に対して自分はしっかりと忠実である、それを果たそうとして死んだっていうことなんだけれども、
ソフィストっていうのは実はね、結構ギリシャ中を旅して回ってるんですよ。
ずっとアテネってわけじゃなくて、いろんなポリスをね、町に行きながら、結構ね、自分の雇う人いませんかとか、
ある種、無料公開事業とかをして、無料でやってたのかな、でもそういうのをやって、そこで自分のある種宣伝をして、パンフレットとかを配って、
それで、ぜひうちの息子にという人がいたらそこで働くみたいな、結構そんな感じなんですよね。
へー、全然違うんだね。
そう、全然違う。
なんか言うなればね、結構、中国のいわゆる孔子とかもそうじゃない、諸子百家とかっていってさ、いろんな国を回って、
君主にいろいろ自分の考えを取り込みませんかとかって言ってたと思うんだけれども、
彼らは、中国の人たちは、いわゆる君主に使えたけれども、ソフィストは貴族の若者とか、そういう次世代を担う人の教育者って感じで使えてるんだよね。
なるほど、しかもそれは国をまたいで全然OKって話だったんだ。
うん、そうなんです。
だからこそ、ある意味では、スクワテスはアテの法律だからって言って独占をあおうるんですけれども、
ソフィストたちは別にいろんな地域を回ってるから、その国とか地域が合わなくなれば別のとこに行けるんですよね。
うんうんうんうん。
そして、各種の文化とか政治の違いにも詳しいんで、そういう意味では、やっぱりこれだけが絶対だとかってことじゃなくて、
いや、あっちではこうだけどこっちではああだよねとか、これ今うまくいってるけど、ちょっと後でうまくいかなくなりますよ、あの国みたいにねとかってこともよくわかってるんですよ。
なるほど。ポリスごとに全然特色も違うしっていうね。
そうそうそうそう。だからそういう意味でもあるでしょ、相対的な目線というかね、さっき人間が万物の尺度であるってことも紹介したけども、
これっていうのは、人間ってものが尺度だから、地域とか国によっても違うよねってこともあるし、意味的には含むわけなんだよね。
へー、なるほど。
この辺りは次回ちゃんと話すんですけれども、なので、真理が一つとか絶対の真理があるっていう話よりも、ところとか場所が変わればやっぱり真理も変わる。
こういうふうな価値観っていうものが前提にあったんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
わー、なるほど。いやもう、この第一回にして全然イメージが違うくて面白いんだけど、
ソフィストと哲学者の対比
でから、営みとしては全然やっぱり違うもんね。哲学っていうものがやっぱ真理みたいな話で言うと、ソフィストってかなりの実践家じゃん、もう。
そう、実践家。
実学をさ、もうね、この場においてはこういうふうにするのが最善である、こういう事実であるみたいなさ。
で、国が変われば違うし、多分相手が違えばまた真理も異なるみたいなさ。
全然違うからお互いね、批判し合うというか、議論にもならなそうな感じするね。
テーブルが違う感じがして。
やっぱりね、議論が起こる場面って当然あって、何かっていうと、いわゆる真実とか知識、知恵っていうものに関しては、
ソフィストも哲学者、フィロソフィアも、やっぱりどっちも追い求めてるわけなんですよね。
じゃあ知恵ってなんだっていう話で、さっきもちょっと言ったんだけれども、
ソフィストっていうのは、ある種こう自分は全知だとやっぱりあらゆる知識を持ってるなっていうふうなことを豪語するわけなんですよ。
そこはプロモーションとしなきゃいけないんだよね。
プロモーション、そうそうそうそう、何でも知ってますみたいな話で。
実際ね、結構努力とか才能も、暗記術とかがすごすぎて、天文、数学、歴史、職人技術みたいなそういう学問的なことだけじゃなくって、
物を作るとか、車を壊れた、貸し車を直すとかね、農業とかも含めてそういうふうな知識を本当にいろいろ持ってるっていうふうな人もいたらしい。
その人ヒッピアスっていうんだけど、そういう人もいたんだけれどもね。
ソフィストはめちゃくちゃ優秀な人も実際多いというか、そういう人もいると。
そういう人もいる、そういう人もちゃんといる。
もちろんエッセイソフィストももちろんいるけれども、ガチソフィストはマジで言うのって話なんだよね。
ガチソフィストは本当にすごい人がいて。
初心百家みたいなもんだよね。名乗れば初心百家けど、しょぼいやつは結果出せないし、すごい奴は国を動かすしみたいな。
動かすしみたいな感じで。
ソフィストとその知識
本当にそういうふうにあらゆることに精通している人もいれば、よくわかんないけどとにかく弁論だけはたけてるから、何も知らないけどとにかく言い汲められますみたいな。
そういう人も残ってるんですよ。
ただね、やっぱりどんな人にも共通すると言われているのが、ちょっとこれもある種その構成のひにくというか、あれもあるかもしれないんだけれども。
ソフィストは自分が知識を持っているということをある種自慢していたというか、それが自分の飯の種なわけなんだよね。
そうだよね。今だってコーサルにしろ技術にしろ無料でブログを書いてとか、SNSで自分のことを発信していかないとお客さん付かないじゃん。
本当それは一緒だよね。実際そういうのも残ってるみたいな。パンフレットとして自分はこんなことを教えられますとか、こんなことを考えてますという本をまさに。
それこそ今でもそうだよね。本を出して、著者ですって言ったらやっぱりセミナーに人が集まるみたいな。
そういう意味で言うと、さっきも言ったけど、ソクラテスは無知の地というか、自分も何も知りませんでみたいな。それとは結構違う態度だよねっていう話があったりしますよ。
あとこれちょっとずれるかもしれないけど、当時ってあれだよね、確か哲学者っていう職業ってまだなかったんだよね。
ないない。
だよね。
うんうんうん。
じゃあソフィストがやっぱりいて、そこにソクラテスみたいなのがなんか現れちゃったなぐらいの話だよね。
そうだね、そうなんです。もっと言うと難しいのは、ソクラテスも当時で言うとソフィストだと思われていたというか。
だって概念ないんだもんね。
概念ないから結局一緒じゃんみたいな感じなんだよね。
あーむずい。ソクラテスはむずいね。自分は何者なのだと。
そうなんだよね本当に。やっぱりそこからね、ああいう風な数だと思うんだけど。ちょっとこれも余談なんだけれども、いわゆるプラトンがやっぱりソフィストをある種取り上げて、ソクラテスがそれをやっつけるとかね、批判、議論してやっぱりうちに任せみたいな本をたくさん書いてるんですけれども、
それも結局やっぱりその、自分の偉大なる師匠ソクラテスが、やっぱりソフィストって言われるのがある種気に入らなかったというか、うちの師匠はそんなんじゃないんだぜみたいな。
っていう風なこともある種印象付けるというか。
それは一つのプロモーションって話でしょ。
新しい哲学者みたいな概念が生まれ始めてて、ソフィストとは違うんだけど、また違う、ソフィストとは全然違う職業というか、営みがあるんだぞっていうことを知らしめなきゃいけなかったんだね。
そうそうそう。それを牽引付けるためにソクラテスっていうふうな偉大な師匠っていうのを取り上げて、だからソクラテスがやってきたこと、あるいは私プラントンがやってきたことは全然違うんだよっていうことを本当に示そうとした。
なるほど、となると、確かにっていうのはハエトから聞いてる話だけど、プラトンが書いてる本って多分ソクラテスが主人公的な話って多いと思うけど、
確かにソクラテスってちょっとこう、ある意味哲学に準拠した人みたいな、そういう意味での壮絶さはあるもんね。
うん、あるあるある。
なるほど。
なのでやっぱりそういったところからもソフィストイコール悪者というか、あいつらは不良師で知らないんだ、何も知らないんだ、でソクラテスによってそれを暴かれてるんだっていう話が多いので、その後もソフィストは悪で哲学者が善だみたいな、そういうふうなものが菓子館としてずっと続いちゃってたんですよね。
ソクラテスとの対比
そういうふうに言われてるらしいんですよね。
やっぱり教科書だけで学んだ身からすると、全然イメージしかなかったから、そもそも違う職業じゃん、みたいな。
そうなんだよね。
善悪じゃなくて違う仕事じゃん、だけじゃんっていうのがすごい面白い。
じゃあソフィストってねっていう話を引き続きしていくんですけれども、さっきの知識とか知恵みたいな話をもう少ししたいんだけれども、
ソフィストはもう自分は何でも知ってます、善知ですっていう話をするんだけど、これはある種、哲学者、ソクラテス・プラトンからすると見過ごせない話で、彼らからすると善知っていうのは神の領域なんですよね。
はいはいはい。
要は、あらゆる知識っていうのは基本的には神とか、そういうイデアみたいなものがあって、それは人間のある種預かりしないようなものなんだと。
それを人間が手に入れられるとか、人間が善知になれるっていうのは、ある種人間を教育で高めていこうみたいな、そういうふうなことなんじゃなくて、
人も神の領域に行けるんだみたいな、それちょっと傲慢さじゃねえかみたいな話なんだよね。
だから、ある種言葉を巧みに操れると、人とか社会も、いいのままに操れるみたいなことも、やっぱりちょっとこれもある種の傲慢さというかさ、
言わせると神を教えるの初行だみたいな、そんなことはやってはならずみたいな話になってくるんだよね。
はいはいはい。
なのでやっぱりプラトンたちからすると、やっぱりソフィストっていうのは神のことを知らない、ある種無知なやつだっていうふうな話なんだけれども、
これもちゃんと次回以降増えていきたいんですけど、本当に善知みたいなものが彼にあったとして、
そうやって神の領域しかないのみたいな話って、ちゃんと本当は疑うことができるじゃないですか。
あー、そのありかね。
ありかとして。
うん、確かに。
なんかソフィストから言わせると、いやいや哲学者さんよと、そこはスプラトンさんと、
そんなふうに善知とか知識とか知恵っていうものを神の方に置いて、人間はねそれをある種たどり着けないとか、たどり着くにしても哲学っていうものを通じないとできないって言うけれども、
それって本当なのと。
うんうんうん。
そんなふうに人間はやっぱ可能性とか、そういうものに限界をつけてしまう。
あなたたちの方がおかしいんじゃないかとかっていうふうなことも、もしかしたらソフィストは言うかもしれない。
うんうん、なんかソフィスト側に立つとね、いやなんかよくわからないこと言い始めてる人たちだからね。
そうそうそうそう。
だからうちらの方が結果出してるし、実際みたいなね。
うんそうそう。
社会も伸ばしてるしみたいな。
そうそうそうそう。
だからやっぱり哲学っていうのはよくわかんないものを通じて、なんかじゃないと心理とかにたどり着けないとかっていうものよりも、
いや弁論術とか僕らがやってるスキル、これを学べば誰もがやっぱり全知みたいなものになって、政治的にも国とか社会の中心に行けるっていう時に、
どっちの方がいいのとかって結構フラットに思ったりするじゃないですか。
いやー今回の話聞くとそうだね。
そうそうそうそう。
ちょっとソフィスト側にも感情にできるような。
できちゃうよね。
なので、僕ちょっとさっきシュレットさ、全知っていうのは神の領域にあるんだとかって言ったんだけれども、
やっぱそれも一つの世界観だよねっていう話が、すごく今回ソフィストの本を読んで僕自身が感じたんですよね。
うんうん、確かに。なんかあのね、ほら、現場にあるんだ真実はみたいなことも言えなくはないというかさ。
そうそうそうそう。
でもそんなこと言ってないでさ、とにかく今このね、この目の前のさ、若者が10年後にその世界とか社会の中枢になって、
このアテネが良くなるんだったらそれでいいじゃないかみたいな。
まあそういう話でも全然あるわけなんだよね。
うんうんうん。
うん。
まあなので、やっぱそんな風にさっきも言ったんだけれども、結構19世紀の1800年とか、
そのぐらいまではやっぱもう哲学最高というか、まあやっぱ哲学だよねみたいな。
哲学を学ぶとその世界がやっぱりどんどん発展していく、人間が発展していくんだよっていう流れがあったんですけど、
それってやっぱこのソクラテス・プラトンから始まるこの哲学、西洋哲学っていうのはすごく最重要視されて、
だからそれがキリスト教と結びついたりとか、その当時のね、いろんな地層とともに発展していく中で、
そのやっぱ哲学っていうものはすごいと。やっぱり我々を発展させてくれるっていう風な話があるし、
どんどんどんどん定着していくのに、定着していくと反対にやっぱソフィストっていうのが、
哲学者と全然違うある種の癒やしい職業だというか、ある種ね、本当の知識を知らない奴らだみたいな、
そういう風なやっぱりイメージどんどんどんどんやっぱりなっちゃってたんですよね。
なるほど。あれなのかな?いわゆるキリスト教というか、神絶対から理性絶対っていった時の、
この理性と哲学の親和性がめちゃくちゃ高かったのかもしれないね。
それは本当にそう思う。やっぱり特に近代デカイトとかになると、やっぱり神っていうものがやっぱり権威が失われていくというか、
やっぱりそこが、だからテクの中でそういう理性っていう新たな絶対的なものというか、そういうものにやっぱり移っていったっていう話をしたと思うんですけれども、
そもそもソフィストで言わせるとある種相対主義というか、やっぱり時々によって当然変わるよねとか、基準って全然違うわという風な話なんですよね。
いやーそうね。だからなんか、あれ、プラグマティズムか的な話に近いというかね。
そうだね。また次回は話そうと思うんだけど、かなり近いような印象を受けるね。
実際近いんだ。
わからない。
実学ではありそうだからね、ソフィストはね。
実学だから、それはやっぱりあくまでも僕ら、今生きてる僕らが見たときにそう感じるだけだから、本当に近いかどうかってのは難しいところではあるんだけど、その辺の議論はちょっと次にやろうかなと思っています。
さっきは19世紀くらい前って言ったんですけれども、それを見直そうというか、哲学っていうものを根本から見直そうという人たちがいたわけですよ。
哲学の認識の変化
そういう人たちからすると、やっぱりソフィストっていうのは大事だって言うんだけど、それがいわゆるヘーギルとかニーチェね。
もうない?その人たちがすでにソフィストを見直してたの?
そう、見直してた。
すごいね。
そうそうそう。やっぱりヘーギルとかニーチェもそうなんだけれども、アンシェス・スクワテスより前というか、そうじゃない芸者の根本に立ち戻った時にこういう人たちがいて、
彼らもすごく重要なことをやっていたよねとか、彼らのことを知ることで哲学っていうものをちゃんと理解できるよねっていうふうなことをやっぱりもともと言ってたりするみたいなんですよね。
まあ道理でヘーギルとかわかりづらいわけだみたいな。
そうそうそうそう。やっぱり哲学を外から見る。やっぱりソフィストっていうのは哲学者ともちょっと違うから、哲学っていうものを相対化できるんですよね、それこそ。
はいはいはい。
同じように知識とか知恵っていうものを求める営みなんだけども全然違うってなった時に、じゃあ何が違うんだとか。
それをソフィストのことを知ることで、やっぱり哲学のこともあなたに知れるっていうふうなことがやっぱりあったんですよ。
わー、確かにそっか。そうだよね。こういう人たちってその哲学っていう枠組みそのものをぶち壊すような単語の人たちだから、そうなっちゃうのか。
そうなんですよね。
なのでやっぱり今回ね、僕らもある種このソフィストっていう人たちのことをちょっとなんですけれども、やっぱり知っていくことで哲学っていうものをより良く知れるかなと思うし、
あとはね、さっきもおっしゃった通り西洋っていうのは二言論で一神教的で、個人主義だからとかってそういうレッテルっていくらでも張れるんだけれども、そういう偏見ってもうちょっとほぐそうと。
いやー、そうだね。確かにあまりにも解像度が低すぎる話だった。
そうそうそう。ってやっぱりなっちゃうので、そういう意味でも上手く相対化していくなっていうふうに思ってるんですけれども、
ただソフィストとはいえども、やっぱり教師にもいろんな教師がいるっていうみたいに、ソフィストも一括にはできないんですよ。
ソフィストとは何か
しかもやっぱり2500年前のことなんで、なんせ本とかも残ってないし、ソフィストはこんなことを言いますとかっていう、なんか抗議力とかが残ってるわけでもないんですよ。
ああ、そうなんだ。
なので、やっぱりなかなか本当にソフィストとはなんぞやみたいな話は難しいんだけれども、それでもやっぱり丹田にね、ソフィストってこんな人たちなんじゃないかとか、さっき言ったプロタゴラスさんってこんなことをやってた人なんじゃないかっていうのをまとめてきてる人っていうのはやっぱりいるので、学者さんがね。
はいはいはいはい。
そういうふうな本っていうのを元に、ちょっと今名前を挙げた人たちなんだけれども、プロタゴラスさんっていうふうなソフィストと、あともう一人ゴルギアスっていうこの人も結構有名なソフィストなんだけれども、
この二人を取り上げて、ソフィストってどんな人たちだったんだろうとか、どんな思想を持ってたんだろうっていうことをぜひ一緒に見ていきたいなというふうに思ってますっていう感じなんですよね。
はいはい。面白そうだし、そうなんだ。一気にソフィスト好きになったな。
本当?
さっきほらコンサルだったりとか、ある意味デザイナーというか、そういう仕事に、今のビジネスマンに割と近いよね。
でもそうだと思う。
そういう意味ではめちゃくちゃ親近感も湧くし、だから絶対的なその中の正解ってなくて、相対主義って言われるのもなんとなくわかる気もするし。
そうなんだよね。僕もそうだったんだけど、相対主義で心理はいくらでもあるとか、それは人間次第だって言われたら、こいつら本当にちゃんと考えてるのかなって思うけど、
そもそも政治とかそういった社会の枠組みにおいては、人によってはとかタイミングによって、当然何が正しいかとか何が真実すべきかっていうことは変わるよねって言われたら、それはそうだよねって思うじゃない。
まあね、無理だもんね。一つの正義で動くなら苦労しないよ、むしろそれは教えてよって思っちゃうもんね、現場からすると。
そうなんだよね。やっぱりそういったことを知るだけでもね、ソフィストってイメージが違うなとかさ、どんなことを考えたんだろうっていうふうな興味を持っていただけるんじゃないかななんて思っているので。
いやー良かった良かった、偽哲学者じゃないんだーっていう大発見。
良かった、それをされただけでも本当に嬉しいというか良かったなって思ってます。
はい、せっかくなんでね、やっぱりプロタコラスさん何を考えてきたのかっていうところは次回ですね、ちょっと深い目に見ていこうと思ってますっていうふうな感じですね。
はいはい、いやーわかりました。ちょっとね、こういったまた全然違う偽哲学者とは全然違う職業としてのソフィストが具体的に何を考えてきたのかっていうのはめちゃくちゃ興味あるんでね。
ぜひぜひ次回そこは紐解いていただきたいと思いますので、では次回も引き続き楽しんでいきたいと思います。では引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
43:57

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