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はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 このラジオは、身近なテーマをきっかけに哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟2人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野教授です。 弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、前回まではソクラテス以前の哲学者を見てきたというところだったんですけれども、今回はさらにそのままソクラテスも見ていこうかなみたいな話をしていたという感じでした。
そうですね、はい。 ソフィストのあたりからずっと古代ギリシャではいるんですけれども、
前回はソクラテス以前ということで、時代にすると紀元前700年から500年、そのぐらい前の人たちという7人ぐらい取り上げて、
ある程度、哲学というものが神様みたいなところから、結構物質、万物の本気は水だとか空気だとかというところから、
あとはあるはある、ないはないみたいな、より抽象的なところに流れていきますよというところを見てきたかなと思っております。
そこから時代的には紀元前400年以降みたいな感じになっていくんですけれども、
このあたりがいわゆるソクラテスとかプラトンとか、アレヒソテレスみたいな人たちが活躍してきた時代なんですよね。
はいはい、もうザ哲学みたいな、ソルテツラジョンも第一回ソクラテスからやったというのも。
そうなんです、そうなんです。
そのぐらいの、ソクラテスよりちょっと後ぐらいの時代を指す言葉としても、これも平成数よりはそういうふうに言ってるっていう人はいるぐらいなんですけれども、
ヘレニズム哲学っていうふうな括りの言葉があったんですよ。ヘレニズム哲学ね。
これは何かっていうと、時代的には紀元前300年頃から、紀元前30年っていう、要は300年ぐらいの間のことらしいんですけれども、
時代的にはね、ちょっとあんまり歴史の話は僕もあんまりわかんないんで深入りできないんですけど、いわゆるアレクサンドロス大王っていたじゃないですか、歴史のね、それこそ世界史とかでやったと思うんですけど、
その大王様が帝国をめちゃめちゃ領土を広げて、ものすごい広い国を作りましたみたいな。
そういう時代が、まさにこの紀元前300年からみたいな、ごろみたいな感じなんですよね。
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もうちょっと言うと、その紀元前400年から300年っていうところは、ある種このアテネですね、それまでギリシャの中でもある種トップというか、名刺みたいな位置づけだったアテネっていうところがペロポネソス戦争っていうところで負けてしまって、
結構政治的にも混乱するし、国とかポリスの地位もちょっと落ちたみたいな、そういうふうな時期なんですよね。
はいはいはい。それこそこの後、マケドニアのアレクサンドロス大王がもう飛沫していくぞっていう、こういったことね。
そうですそうです。時代の流れ的には、アテネの前世紀からちょっと落ち目になっていって、マケドニアのアレクサンドロス大王に変わっていくみたいな。
で、その後アレクサンドロス大王の帝国っていうのも崩壊していって、こんなローマへみたいな、そういうふうな時代の流れがあるようなところなんですよね。
はいはいはい。
なので、あんまりちょっと歴史的なことは深入できないんですけれども、
そういう当時のギリシャ世界、それこそ紀元前何百年というところから連れてきた世界っていうものは結構変化していって、
1個のそれぞれのポリス、都市みたいなものから、ある意味でより国際化していくって言うとあれなんだけれども、
限られた土地とか人たちだけじゃなくて、もっといろんな人たちとか、いろんな地域の人たちが雑多に交流していくみたいな。
そういう世界の中で、やっぱり人々が手伝うに求めるものとか、手伝うを通じて何を考えるかとか、どういうことを深めていくかっていうところも結構変わっていくんですよね。
ほうほう、そうなんだ。はいはいはい。
そうなんです。なので、ちょっとこういう編成を引き続き辿っていくことで、ある種は引き続き西洋の、特に古代の哲学っていうものの移り変わりだったりとか、
どんな流れがあったとか、どんな人がいたのかっていうところを、より深く理解していきたいなというふうに思ってますっていう感じなんですよね。
はいはい、なるほど。わかりました。もし歴史的なところを知りたい方は、有名なポッドキャストの古典ラジオですね。
はいはい、そうですよね。
あちらのアレクサンドロス大妖怪って面白いからね。
やっぱりあるんだ、はいはい。
そうそう、別に何の回し者でもない、いちファンなんだから。
うんうんうんうん。
そうすると、より時代感はわかるかも。
なので、そういうのはぜひそちらも聞いていただきたいと思ってるんですけれども、今回は一旦、時代に行く前のソクラテスとプラトンですね。
この幻遠前400年から300年っていうところで、何が起きたのかとか、やっぱりこれまでね、最終的に第1回でソクラテスがいきなり始めたんですけれども、
今回ね、そのソクラテス以前っていうところで、それこそタレスとかテラクエイトスとかデモクイトスとかそういう人も見た上で、今回ソクラテスっていう流れにも来てるので、
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そういった全体感の中でソクラテスって改めてどんな人だったのみたいな、復習というところをした上で、ヘルニズム哲学ですね、そういった人たちの流れっていうところに行こうかなというふうに思っておりますという感じですね。
はいはいはい。ぜひ復習をお願いしたいね。
はい。何か覚えてます?ソクラテスにどんなことを話したかとか、どんな人だったかみたいな。
ソクラテスはあれだよね、アポロンのご神託を受けてロンパおじさんに神化しました、みたいなとこで話したね。
すごいザクルートね。
ロンパしまくったら裁判の有罪になって毒を仰いで死んでしまいましたと。
はいはいはい。
で、そのデシプラトンはそういうのを見て、あり得ないでしょソクラテス先生が死ぬ世界なんてって言って、イデアみたいなのを想定しながら鉄人政治を目指すみたいな。
まあまああらすじ責任はあってるけど、ちょっとあれだね。
哲学的な要素ゼロ。
もうあの、冒険漫画の導入シナリオみたいな感じだったけど。
大の大冒険的な。
大の大、そうね。
今回ソクラテス、次回プラトンぐらいはもう少し深掘りというか、補足しながらお伝えしていきたいんですけれども、
本当に兄貴が言ってくれた通りでして、ソクラテスはアポロン神殿という、いわゆる日本でいう神社みたいなところではね、
どこまでもお告げがあって、ソクラテス以上の知者、知恵のある者はいないんだと、
いうふうなことを言われたんで、マジで?みたいな、そんなことないはずなんだけどって思うわけなんですよね。
しかもそれはあれだよね、自分で言ったんじゃなくて友達かなんかが言ったんだよね、しかもね。
そうそうそう、友達かなんかが言ったときにそういうふうに言われちゃって、嘘だみたいな。
で、なんかあの、僕改めて第1回ずっと聞き直したんですけど、
そのときはソクラテスが神様のことをある種信じたんで、神のお告げだからそれを信じながらも、みたいな感じで多分言ってたんですけど、
なんかね、改めて見てみるとすごい葛藤してたらしいんですよね。
葛藤?
うん、要はそんなはずないでしょと、要は別にソクラテスって元々哲学者とかでもないし、
なんかそういう、物音の本質を追求してとか、そもそもこの宇宙とかとか、そういうことを考えた人ってわけでは全然ないんですよね。
職人家だっただけか、確か。
お父さんは職人家だった、で普通にアテナの一市民として生きてましたみたいな感じになるんですよと。
当然ね、世の中にはいわゆる政治家とかもそうだし、軍人とか弁護士とか、あとはソフィストもある種、階級的には勇者一つだから、
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そういういろんな人たちがいる中で、ソクラテス、私以上の知恵ある者はいないとか言われても嘘でしょ、みたいな。
でもね、神を疑うわけにはいかないっていう中で、本人の中ではすごいジレンマがあったらしいんですよね。
そういう中で、やっぱりじゃあ実際聞きに行けばいいじゃんっていうところからその対話っていうのが始まっていくんだけれども、
さっき兄貴が言ってくれた通りで、そうやってみるとあれ意外とみんなよくわかってないぞ、
知恵があるって言ってるけどないじゃんみたいなことがわかるわけなんですよね。
素人なんだけどお前めっちゃ強いよって言われて、とりあえず道場破りでも行ってみっかって言ったら、
マジで自分強かった、負けないわ、勝つっていうか負けないわ、みたいなね。
そうね、そうそうそう。確かに、負けないが正しいかな。
っていう話なんで、前回ソクラテス突然変異だみたいなことも話したと思うんですけど、
その理由がまさにこれで、要は元々ソクラテスって別に哲学者になろうとしてたわけでもないし、
この世の根源を探して求めましたとか、何とか派に所属していてとかってことは全然ないんですよね。
じゃあさ、前回まで見てきた、そこそこタレス、何派?
ミレトス派かな?
ミレトス派とかエレア派とか色々あったけどさ、
そういうのをずっと勉強してきましたっていう章は分からないのかな?
分からないし、おそらくそれは指定ないと思う。
指定ないんだ。
誰々師匠に就いてとかってことはない。
ただ、当然発想的にはデモクリトスのことを一部引き継いでるんじゃないかとか、
引き継いでるというか影響を受けてるんじゃないかとか、
やっぱりそういう時代的な影響っていうのはあるので。
なるほど。一般上のレベルではそういう話は知ってるとか。
あ、そうそうそうそう。
レベルではあるかもしれないと。
そういうことですね。
はい。
で、なのでそういうふうに自分の知的好奇心とか何か探求心とかっていうよりは、
神のお告げっていうものに沿って哲学、当時いわゆる知恵を愛するっていう行為だよね。
フィロソフィーって元々いわゆることの活動っていうのをやっていますと。
だからここに哲学って名前がついたのかな?
そうだね、後からというか。
タレスたちにはついてないんだもんね、哲学ってさ。
そうそうそうそう。
スクラテスの幸福というか営みがフィロソフィーなの。
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フィロソフィー、そうそうそうです。
だからやっぱスクラテスのスタートではあるっていうのはそうなんだけども。
だけど後から振り返った時に、まあね、そのぐらい自在にね、歴史に影響を与えたいことなんだけど。
そういうことを後から振り返った結果、アリスとタレスとかも哲学をやったんじゃねっていう感じなんだよね。
でも哲学的なことはやってたねと。
そうそうそうそう。アリスとタレスとかが見た時にっていう話なんだけど。
逆に言うと、なんでそんなことをやってたの?っていうことが問題になるわけなんだよね。
師匠がいてさ、その師匠の引き継いでとか、探求心があったからそれを突き詰めてとかって言うとわかりやすいんだけど。
なんでスクラテスはわざわざ神から言われたことで、そんだけ対応を繰り広げたんですか?っていう話があって。
で、実はその意義みたいなものをスクラテス自身が語ってる場面があるんですよ。
スクラテス自身がって言っても、彼自身が書いたものは一切残ってない。
本を書いたことはないって言われてるんで、あくまでもプラトンが書いたスクラテスが語ってるって感じなんだけど、
そこは禁止すぎずに聞いていただければなというふうに思っております。
で、その本は実際になんで対話とかってやってるの?っていう意義みたいなことについて話してる場面なんですけど、
これはですね、さっき兄貴も言ってくれた裁判にスクラテス捧げられて死刑になっちゃうんだけど、
その裁判の中でのいわゆるスクラテスの発言みたいなものが、
スクラテスの弁明っていう、これも結構有名な本があるんですけど、
これにわーって結構書いてあるんですよね。
そんなことが一つとしてスクラテスが話す場面があって、
いわゆる仮にみたいな、もしこういうことがあればっていう話になってくるんだけど、
例えばそういう会話とか哲学といわれるのはフィロソフィーだよね。
これをやめるなら、例えばその罪を許してやろうと。
もしそういうふうに言われたら、私はどうするかみたいなことを語る場面があるんですよ。
実際に言われたわけじゃないんだけどね。
さつ、そういうもしを立てた上で、
自分はそれでもこの対話、要は無罪を訪問になったとしても、
この対話ってことはやめないだろうっていうふうなことを言っておりますと。
どの流れで言ってるかっていうと、私スクラテスはあての人たちって愛しているんだと。
でも諸君、あての人たちに従うよりも神に従うんだってことを言ってるんだよね。
でも裁判っていわゆる民衆主義の中では、いわゆる民意じゃないですか。
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あての市民が私を有罪だって言っていると。
そこに対して、もちろんみんな、あての市民たちへの愛はあるんだけど、
その決定よりもやっぱり神に従います。
だからこそ、あての市民たちにいつ誰にあったとしても、
ことの真実、そういう対話を通じて真実を明らかにするってことはやめないし。
もし自分はその真実を知っているとか、
そういったことを貫いているっていうことを言っている人がいたとしても、
ソクラテス自身が話をして、
それは嘘だとか、全然足りてないというふうに感じたらば率直に非難するでしょう、みたいに言ってるんだよね。
はいはいはい。ちゃんとロンパやめませんよと。
やっぱやめませんよと。
だから罪を許すよって言われても、
その対話とかその真実を追求するってことはやめませんよって話を言ってるんだよね。
これもね、裁判の時にね、
もしそんなふうに言われても自分はやめませんよっていうのも、
果たしてどうなんだって思わなきゃもないけどね。
まあそうですね、だいぶ頑固というか。
そうなんですよ。
ただこれも普通に考えると、
自分が知るってなった時に、
少しでも許してもらえるというか、
罪は軽くなるんだったら、
やっぱそっちを求めたくなるもんじゃないですか、人間って。
なんでサクラテスはこんなにもね、
対話とかそういう哲学って乗り込んでいたんですかって話なんだけれども、
これはやっぱプラトンの視点でしかないんだけれども、
やっぱりそこにはサクラテスの生きる上での信念とか、
もうある種譲れない人生観みたいなものがあったんだっていう話が書かれてるんですよね。
それは信仰心とは別なのかな、それはね。
信仰心とは別。
それが何かっていう、どんな信念かっていうと、
それは聞いたことある方もいるかもしれないんですけれども、
ただ生きるだけではなく、よく生きることを何よりも大切にするんだってことなんですよね。
特有的に言葉としては、
満足した豚よりも不満足なサクラテスが良いみたいな言葉って聞いたことないかな。
ごめん、もう一回言って。
言葉として満足した豚よりも不満足なサクラテスの方が良いみたいな、
そういう言葉って聞いたことないかな。
そういったこと。サクラテスかは知らんけど、なんか聞いたことあるな。
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要はそういう欲望とか、別に豚が悪いわけじゃないんだけど、
動物的な欲求とか欲望とかっていうようなことだけじゃなくて、
人間としてそういう真理を追求するとか、よく生きるみたいな、
そういうことの方が大事だよっていうような言葉なんだけれども、
それは実際、サクラテスがそういうことを言ったわけじゃなくて、
サクラテス自身がただ生きるんじゃなくて、よく生きることが大事だっていう、
そういう信念を持っていたからこそ、そういう言葉が構成で作られたよっていう感じなんだよね。
はいはいはい、なるほど。
で、「よく生きるって何よ?」って話なんですけど、
ただ生きるとよく生きるの違いって何?って感じなんだけど、
これが結構広い意味ではあるんだけど、すごいあっさり言うと、
ある種、集団、要はポリスなの。
ポリスの規則とか取り決めっていうものに従うっていうことが正しいんだ。
それに正しく従っていけるっていうことが美しいし、
良い生き方なんだよっていうふうな感じなんだよね。
そうなんだ。
これだけいくと別にそういうこともあるかもね。
別に哲学的かって言われたらちょっと違う気もするじゃない?
違うし、さっきの裁判の場面と若干そこが生じてるというか、矛盾があるから。
集団の取り決めに従って生きるのであれば、論括はやめるべきじゃん。
論括ね。
論括はやめるべきじゃん。
でもそれはやらないで、みんな大好き、コミュニティ大好きだけど、
言うたら神様が言ったからやってるんだよっていうのは、
ちょっと繋がりが、今のところ整合性がちょっとここはないかなって感じだね。
そこに関しては、当時のソクラテスがっていう話はあるんだけれども、
政治に対する不信感とか、本来はもっとよくあるべきっていうふうな発想があるよね。
だから今の政治体制というよりは、より理想とすべき、より良い集団的なものを作るためには、
ある種自分というものがその対応を繰り広げていって、もっと良い集団を作らねばならぬっていう。
そこまで言うと、ある種自分観点というか。
分からなくもない。いわゆる宗教政治的な、みんなで決めたことがなんかちょっと違うんだよなって思ってる人たちが、
いわゆるポチポチといたとして、そういう人たちの挙動としては分かる気がする。
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ソクラテス論破論活をした時に、結構嫌われたりとか嫌がれたりするんだけれども、
いわゆる若者ではね、もっと良い未来をとかさ、
やっぱり大人たち戦争で負けてから、例えばクライナーとかっていう時に、自分たちが次の時代を作っていくんだっていう人たちとかにすごい憧れというか、
やっぱり従われていた部分があって、
次またちゃんと話すんですけど、そのうちの一人がプラトンだみたいな感じなんですよね。
はいはいはい、なるほどなるほど。
なのである種、ソクラテスの中ではよく生きる、そういった集団の規則に従って生きるっていう話も、
ある種それの大前提であるような神様だよね。
神の命令というか、そういった使命に従って生きるっていうところが、
たぶんこう、たぶんというか、やっぱりくっついちゃっていたからこそ、
これは自分はやめないというか、もう自分の人生をかけてでも、やっぱりこういった対話っていうものをやりきるんだっていうふうなことを考えていたんですよ。
なるほど、信念プラス使命感がさらに神様のおつづけに加わって、より強くなったみたいな感じなのかもしかすると。
そうなんです。
なので、やっぱりこう、これって、やっぱりというか、
ここまで来ても、本当にそこは一人の彼女の信念、本当に思い込みに悪く言うとなんだけど、
ただね、前回こう、例えばデムクリトスの時にやったみたいに、
ある種こうね、原子論とかアトムみたいな立場に立つと、結構虚無主義的なというかね、
やっぱりこう全ては、アトムとかの偶然の配信で変わるんだということになっちゃうし、
当時というか、これはたぶんね、時代を通して常にあるとは思うんだけれども、
やっぱ結局人間って欲望に基づいて生きてるんだ。
さっきの豚みたいな発想で、そういう欲望を満たすことっていうのは大事なんだとか、
やっぱり人っていうのは結構利己的なもので、自分の利益に従って生きるんだみたいな、
そういう発想ってのは当時にもあったらしいんですよね。
その悪い意味でのレッドイットビーみたいなの。
めちゃくちゃすごいよく解釈したレッドイットビー。
ありのままで。
本当にありのまま、何もしなくていいって感じだったんだけど、
それって今の時代もあるとは思うんですけど、
そう考えたときに、そういう片方にデモクリと虚無主義的な感覚もあって、
もう片方には何もしなくていい、好き勝手生きればいいんだって思ったときに、
スクラテスがそうじゃなくって、やっぱり人間は正義とかより良く生きるべきだみたいに言うのって、
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一つの軸というか、立場を作るものではあると思うんですよね。
そうなの?
だからそこに共感する人たちも出てくるし、もちろん犯罪する人も出てくるしっていう中でいくと、
スクラテスに言わせると、一人の人間が生きていくっていうのは、
ただ生まれて、あと自衛で社会の規則を身につけてとか、
良いことは良い、悪いことは悪いとかっていうふうに、後から学んでいくってことじゃなくて、
そもそも生まれた、というか生きること自体が社会的に良いこととか、
世界っていうのを前に進めていく、そういうことをやるっていうことと、
重なってるんだってやっぱり発想なんですよね。
だから、こんなふうに考えると、自分の欲望とか利益のためだけに動くとか、
悪い社会をある種ダメにしてやろうとか、自分の思いのままにしてやろうっていうようなことが、
そもそも入り込む余地がないですと。
だから、当時の政治のことはまだちゃんとわかってないんだけれども、
もしかしたらそういう民主制の中でも、ちょっと自分の思い通りにしてやろうとか、
自分の利益に良いように政治を支配してやろうみたいな人がいたとしたら、
やっぱり普通のアーティストとしては、それはある種認められないというか、
そういう人がやっぱり、より良く生きるってところに従って、
やっぱり自分がある種変えてやらねばならぬというか、
それこそ自分の使命だぐらいに思った人なんですよね。
なるほど、はいはいはい。
これはただ口で言ってるだけじゃなくて、
実際、さっきちょっと名前を挙げたプロポネソス戦争っていうのがあって、
アテネが結構負けちゃったっていう、アテネ衰退のきっかけだっていう戦争なんですけど、
プロポネソス自身もこの戦争に参加してるんですよ。
へー、そうなんだ。
兵士として参加してて、参加してるどころか、
その撤退戦でも負けるってなったんで逃げてくるんだけど、
その心狩りを務めて、一人でも多く逃げれるとか、
ちゃんと攻め込まれすぎないように最前線で戦ったみたいな、
そういう話が残ってる。
へー、そうなんだ。
ある種、その時の将軍が他の人々も、
スクワテスぐらい勇敢にというか、
ある種、ポリスのために動いてくれてたら、
こんなにひどくは負けなかったんじゃないかみたいな、
そう言われるぐらいスクワテスというのは、
勇猛さというか、アテネ、ポリスのために果敢に戦ってたみたいな、
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そういうふうなものが残ってるんですよね。
あー、なるほど。
そういった意味では、自分が所属しているコミュニティへの愛だったりとか、
忠誠心ってなって、
そういうのはめちゃくちゃあるってことなんだね。
そうそうそうそう。
そうなんです。
やっぱりただただ口で言ってるだけじゃなくて、
自分の命を懸けて戦争でも戦うとか、
一番危険なところに立つみたいなこともやってる人ではあります。
よく言えば、ものすごく純粋に、
この街というかポリスのことを思っているし、
悪く言うと、よくやるじゃないですか、
自分が正義だと思っている人が一番立ちが悪いみたいなさ。
そうだね。
だからこそ死刑にもなっちゃったみたいな話もあるんですけれども、
ただそういうスクワテスだからこそ、
非難も称賛も浴びながらも、
次世代の若者たちに爪痕を残したりとか、
アテネというポリスのあり方にも、
すごく影響を与えたんですよっていう感じなんだよね。
なるほど。そういった意味でも生き様みたいなものは、
だいぶすごいね。
すごいね。
燃え切ったというか、
自分の正義で突っ込んで、
で、やられて、
そこに従ってた弟子たち、プラトンとかが、
それを見て、めちゃくちゃ燃えるみたいなね。
仇じゃないけどね。
実際はね、これまた次プラトンの福祉で話すんですけど、
迷うってことになったみたいなね。
あの人についてって良かったのかなって話。
やっぱりスクワテスがやってることで、
結局何だったんだろうみたいな。
あまりにも得意すぎて、
すごすぎてね、真っ直ぐ純粋すぎて、
弟子たちも、ちょっと咀嚼しきれなかったのか。
そこで何を?ってなるぐらいじゃなくて、
何あれ?ってちょっと引いてるんだね。
本当にアテネを良くしたい、政治を良くしたい。
政治というか、街を良くしたいと思ってやった結果が、
ある種、ポリスの総合意としての裁判で、
司会になるって結果を生んだわけで。
皮肉だよね、確かに。
何が正しいのかとか、
スクワテスがやったことは良かったのか、
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悪くはないにしても本当に最適だったのかとか、
いろんなことを考えるわけなんだよね。
下手したら無駄死にに見えるもん。
こんな優秀な人はもっと生き残って、
もっと教えてほしかったし、
社会に影響を与えられただろう人が、
無駄死にしてるように見えちゃう。
なんだそれは。
ただ、あんなに頭良い人だから、
ただ突っ込んで死んだのかな。
いや、でもありうるあの人なら。
あまりにもピュアだから、
スクワテスならやりかねえ。
英雄というか名が残るというか、
そういう生き方なんだね。
さっきお伝えしたスクワテスの伝明のシーンで、
弟子たちが逃げましょうよと。
こんな裁判で死ぬことはないから、
逃げたらいいじゃんというところを進めるんだけど、
これも有名な悪法も法なりという話で、
さっき神に従うだろうといろいろ言ったけど、
やっぱり最終的には、
自分に都合の悪いというか、
本当に良くないと思う法律だっても、
それがアテネの民意なんだとしたら、
それに従うんだと言って、
毒害を負って死んでいくという話なので。
そうだよね。
確かにアテネだと、
別に死刑にならなくても、
アテネ追放でもいいんだよね。
死刑か追放か選べるというか、
何かで選べたのかな?
逃げればいいという話だったのかな?
毒害追放も選べたみたいだね。
スーパーレスの場合だと。
下手した優秀な人だったら、
そっちで私服の時を過ごしつつ、
みたいなのも考えられたのに、
まるで自殺院に近い感じで死んじゃった。
そっかそっか。
ドラマティックというか、不思議だね。
確かに死からすると、
なんで減ってんだろうね、確かに。
そう、そう、そう、そう。
寝ようよって。
咀嚼できないよね。
まあね、その辺りはやっぱり、
なんだろうな、
すごさというか偉大さもあるし、
逆にそういうふうなエピソードが、
プラトンが書き残して残っているからこそ、
僕ら偉大だなとかすごいなってなる、
っていうのはね、
ものもあると思うんだけど。
なので、やっぱりこうね、
ここまで改めてスクラデスの話してきたんですけど、
全然違うじゃないですか、
バタレスとか、
フラクイルドスとかっていう人たちとも、
彼らも実悪としてすごいね、
発展させたとかさ、
それを枠を広げていったって話なんだけど、
やっぱスクラデスはちょっとなんか、
枠の外からポッと現れて、
なんだろうな、
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なんかやってるんだよね、
全然違ったかもね。
それこそヘイショードスから続く人たちは、
ちゃんと考えてるというか、
哲学してる感じがする、確かに。
スクラデスは確かに、
哲学の権利そのものみたいなさ、
哲学の妖精が現れたみたいなさ、
そういう言い方をしてただ散ってったみたいなさ、
確かにね。
違うよね、何かがね。
確かに。
人間が哲学者ってやっぱりそのもの、
そういう哲学というものが、
生きて死んだみたいな。
この意味で現れるとこうなったんだな、
確かにそういう感覚はあるかもしれないですね。
なので、もちろん当時の知的階級、
さっき言ったように哲学者もそうだし、
政治家とかソフィストとか軍人とか、
いろんな人たちがいるっていう、
そういった多様性の中で、
スクラデスの何にも属さないというか、
やっぱりそういうある種なんだな、
全てに対する、なんだろうな、
なんていうの、こういうの。
でもそういうことは本当に鏡みたいな感じだよね。
よく対話とか散歩術とかって言われるけれども、
そこで推進が何かを教えることもあったらしいんだけれども、
どっちかっていうと、
相手に問いかけをしていくことで、
相手が無茶ということを気づかせるとか、
自分たちの考えというものをひっくり返させて、
ある種信念を変えさせるっていうことを、
ありとあらゆる勢力にできたっていうのは、
ある種スクラデスが何者でもなかったから、
スクラデスだけ、スクラデスそのものでしかなかったから、
みたいなことも言えるのかなとは思うんだよね。
そうだね、なんか不思議だね。
ある意味ソフィスト的とも言えるし、
実生活の社会か政治を変えてやろうというか、
生き方が云々みたいなことを言うとソフィストっぽくもあるけど、
ただ何か言ってるんじゃなくて、
ソフィストたちをやっつけてるだけだから。
哲学者がかかってると別に追及してる感じもしないし。
そうなんだよね。
そんな感じで、スクラデスの復讐というか、
どんな人だったっけ、どんなことしたんだっけというところを今回話したんですけれども、
やっぱり改めてスクラデスが哲学者になるっていうのは、
プラトンがいてこそだなって思ったんですよね、今回改めて見ていて。
確かに解釈の余地がありすぎるよね。
確かに。
ソクラテス自身。
報道原理とかがいいね。
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なのでやっぱりスクラデスがってことで結局何だったのって、
さっきの話を受け継いで伝えていたプラトンがいたよっていう話があるんで、
ちょっと近いですね。
改めてプラトンがソクラテスっていうものをどんなふうに受け継いだのかとか、
あとやっぱりイデアロンですよね。
プラトンといえばとかあると思うんですけど、
それって結局なんで生まれたの?
前プラトンを取り上げたときはイデアロンってどういう考え方なのっていう話はしたんですけど、
そもそもなんでイデアロンっていうものが必要だったのみたいな話はあんまりしてなかったので、
今回ですね、次回はそこをある種プラトンの復習としてお伝えする中で、
ソクラテス・プラトンの復習をしたので、いざヘリンズム哲学へみたいな、
そういう導入第2回みたいな感じでお話しできればなというふうに思っておりますという感じですね。
はいはい、分かりました。
ちょっとやっぱりこうやって改めて聞くと、
ソクラテス自身のこのフワフワ感って、
確かに第1回じゃもうちょっと多分プラトン視点でソクラテスがこういうことだったみたいなところを聞いてきたと思うから、
もうね、哲学の精みたいなさ、もうなんなんだこれはという感じは、
なんかすごいある意味新鮮というか、そういうソクラテス感もあるんだなと思って面白かった。
だからある意味では次のプラトンの回か、そこでもうちょっとソクラテスの功績みたいなところが、
プラトンフィルターから見てみるとこうだったという話がされるという意味で、
ようやくソクラテスの精というフワフワしたものの輪郭とかがはっきりしてくるのかなっていう。
すごい楽しみだね、なんかね。
そうですね、はい。
ちょっと導入1回1回続いてしまうんですけれども、
ぜひ次回もプラトンの復習というところでお付き合いいただければと思っております。
はい、分かりました。では次回引き続きプラトン楽しんでいきたいと思います。
では次回もよろしくお願いします。
お願いします。
今回もありがとうございました。