00:11
はい、それで哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、前回はプラトンについて見ていったというところで、結構イデア論が結構難しいねっていう話をしてたと思うんですけれども、
実はイデアがいろんなものの基準として捉えると、理想じゃなくて基準として捉えると結構わかりやすいよねっていうところで、
200回ぶりぐらいのすごい納得感みたいなものを感じたんだよね。
そうですね。あと、やっぱりイデアっていうものが結構それ前の哲学、全部を載せるテーブルというか、
あっちではメイドス派がいて、こっちではあんなに派がいてっていう時に、全部イデアの話じゃんみたいになっちゃうみたいなね。
そういうふうなものを作るぐらい、やっぱりプラトンすごかったねっていう話とか、
あとはね、ちょっと名前出すとハイデッカーみたいな20世紀最大哲学者ぐらいの人がやっとプラトンを越えようとしたとか、
あと前回名前出せなかったけどね、ニーチェとかも多分そうなんだけれども、
やっぱりそういうプラトンから続く哲学の、どう外というかそれにとらわれずに哲学するかみたいなことって、
もう本当に無効に千年以上続くようなものがあったなっていう感じなんですけれども、
実はですね、実はって名前なんだけど、当時このプラトンの時代っていうところから、
このプラトンが作ったこのイデアっていうテーブルをはみ出してるというか、そういうふうなところで哲学を知るっていうふうな天才がいたんですよ。
なるほどなるほど、そっか、ただはみ出してる偏人じゃなくて、哲学としてはみ出してる人がいた。
はみ出せるんだ。むしろ。
どうやってって話あるんですけど、実はそれがディオゲネスなんですよね。
あーなんかね、名前はなんとなく聞いてるけど、あれでもね、ディオゲネス聞いたことあるのは、なんか哲学者列でをまとめた人みたいな、
なんか本人が哲学者みたいなイメージって勝手になかったんだけど。
それね、同じ名前の別の人なんですよ。
あ、そうなの?
そう。ディオゲネス・ライル・ティウスかなっていう、だいぶ後の人がそういう哲学者列でみたいなのを書いてるんだけど、
このディオゲネスって一つはまだ全然別の人です。
え、じゃあ、サルに入ってるのはどっちのディオゲネスの人?
サルに入ってるのは今日取り上げるディオゲネス。
03:01
そうなんだ、じゃあそこ混同してたのかも。へー、そうなんだ。
こっちのディオゲネスはシノペのディオゲネスとかって言われてて、
こっちってどっち?
今日話そうとしているプラトンと同じ時代に生まれた人。
はいはいはい。
シノペっていうところで生まれたシノペのディオゲネスって言われた人なんだ。
兄貴が言ってくれた哲学者の物語とかを書いた人っていうのは全然後の時代の人なんだよね。
へー、そうなんだ。
ちょっと分かりにくい。分かりにくいって言われるんですけど。
有名なのは結構こっちだと思う。
それこそよくある話として、例えばタルの中にいる哲学者だみたいな、兄貴が言ってくれたやつとか。
あとはアレクサンドロス大王がやってきて、いろいろ話をしてて、
ディオゲネスに向かって何でも望みを言ってみなさいみたいなことを言った時に、
じゃあ私をどうか日陰に置かないでください。
要はあなたが太陽を遮ってて暗くなっちゃってるから、
どいてくださいみたいに言ったよっていうふうなこいつらが残ってた人なんだよね。
見たことある?
ないないないし、アレクサンドロス大王との接点もあったみたいな、
そんぐらいの時代の人なんだね。
そうなんです。だから本当にプラトンとかアレクサンドロス大王とか、
そういう人たちと同じ時代で結構交流もしながら生きてたんだよねっていうふうな人なんですよね。
じゃあちょっとあれだね、勝手にディオゲネス、タル、あと哲学者列伝みたいなやつ、
そこがごちゃごちゃに繋がってたから良かった、初めに消えて。
確かに確かに。
実はディオゲネスっていう人結構いっぱいいて、
元祖ディオゲネスみたいな感じですね、時代的に。
元祖ってのもあれだけどね、元祖鈴木さんみたいな感じになっちゃうけどね。
確かにね。
ディオゲネスに関しては、たぶん今回のヘビニズム哲学の第1回でも取り上げたいんですっていうふうな話をしてて、
名前も何度か出してたんですけど、実はさっき言ったみたいなプラトンとの繋がりとか、
イディアのテーブルをはみ出してるみたいな話って、僕も正直よく分かってなかったんですよ。
で、なんとなくディオゲネス素敵だよな、取り上げたいなと思って台本作りのためにいろいろ読んでたら、
なんか思った以上にこいつもキーパーソンだぞみたいな感じで、
想像以上にちょっとヤバい天才かもしれないみたいな感じで。
ちょっとね、今回と次回くらいの2回分になっちゃうと思うんですけど、
06:00
ぜひですね、このシノペのディオゲネスワールドを一緒に楽しんでもらいたいなと思っておりますよ。
面白そうね。
さっきみたいなアレクサンドロス大王がみたいな話っていうのも、
もちろん当時の話なので、わりと信憑性だったりとか、本当にそういう会話したのかみたいなところはもちろんあるんですけど、
逆に言うと、この時代の人にしてはすごい珍しく、めちゃめちゃ逸話が残ってるんですよ。
そうなんだ。
誰とこんな話したいみたいなのが残ってて、
哲学者ではあるんだけれども、プラトンとかアリストテレスみたいに、
すごい構造的に何かを解き明かしたとか、思想をすごい打ち立てたとかっていうよりは、
生き方そのものが人に影響を与えるというか、生き様が語り継がれてるみたいな感じなんですね。
そうなんだ。
なんせプラトン自身が結構ディオイ・ゲネスでアイドルをしてるらしいんだけど、
彼を評して、この狂ったソクラテスだみたいな。
っていう風に評したっていう話が残ってて、
もちろん皮肉なんですよね、狂ったっていうぐらい。
そうなんだね、一周回ってすごい真面目なソクラテスとかじゃなくて。
じゃなくて、そうそう。
ただね、やっぱりプラトンからさらさこの偉大な師匠ソクラテスの名前を出すぐらいなんで、
ちょっと次回いろんな逸話とかもお伝えしたいと思ってるんですけど、
一部認めていたとか、やっぱりこいつはすごい奴だみたいな感じもあったんじゃなかろうかという風な話なんだよね。
なるほどね、悪役感がすごいね。
お師匠さんとめちゃくちゃ悪いけどめっちゃ強い悪役みたいな。
あるよね、因縁の相手みたいなね。
今回はディオイ・ゲネス単体っていうよりもプラトンとかアリステレスあるいはソクラテスも含めてなんだけれども、
そういう人たちとのつながりの中でどんな立ち位置にいたのかとか、
どういう風なことを生きざまとって生きていた人なのかという風なところをお伝えする中で、
やっぱり前回お伝えしたプラトンのイデアランのテーブルだよね、タレスでも、
デモクイとしては全部がそこに積まれちゃうじゃんみたいな話をしたと思うんですけど、
そこと違う生き方とかそこと違う哲学の在り方っていう風なところを念頭に置きながら聞いていただけると、
ディオイ・ゲネスの不思議さというか魅力が伝わるんじゃないかなという風に思っております。
09:08
ちなみにいろんな話をするんですけど、さっきもお伝えした通り、
それが事実だったのかとか、私立として適切だったかという話は結構不明な部分もあるんですよ。
なので話の都合で事実として話す、事実っぽく話すんだけど、
そんな嘘じゃねえかみたいなこともあるかもねっていうところはご了承いただければと思います。
ただそれは誰かが嘘をついてるってことじゃなくて、
そういう風に2000年近くある種話が残っているとか語り継がれているってこと自体に意義があるのかなとは思うし、
ある種そういう話の中でディオイ・ゲネスってこんな人なんだっていうところがある種彼の生き様に触れることでもあるかなと思うので、
そんな感じで今日は聞いていただければと思っております。
はいはい、わかりました。その出典みたいなのはプラトンが書いてたりするのが多いとかそういうのはあるのかな?いろんなところから?
いろんなところからだし、あとさっき兄貴が言ってくれた構成のディオイ・ゲネスが書いてるっていうところがやっぱり結構メインみたいだね。
なるほど、そうなんだ。そんなにいろんな偽話を書いてるのか。
結構その構成のディオイ・ゲネスが書いた哲学者列伝とかっていうのも本当か?みたいな話がいっぱいあるらしいんで。
信憑性は謎なの?
謎。結構それでいろんな哲学者のことが話されてるからそれを軸に語られてるとか研究されてるっていうところがある。
なるほど、はいはい。
さっそくディオイ・ゲネスさんの老いたちみたいなところからお話ししていくんですけれども、
彼は紀元前410年という頃から大体320年頃まで生きていたとされているんで、90歳くらいかな?結構長いけど、それまで生きておりましたよと。
図材的にはさっきも言った通り、ソクラテス、プラトン、アレクサンドロス大王みたいな人たちと結構丸っと被ってる。
へー、そうなるんだ。
ソクラテスの晩年で、亡くなった時期でいくとアレクサンドロス大王とディオイ・ゲネスっていう人は数年違いぐらいで亡くなったっていう間ぐらいなんで、本当に近い人たちです。
なんかこの辺の人たちみんな長生きだね。確かソクラテス、プラトンも長生きだったよね。アリストテレスは忘れてしまったけど。
12:01
アリストテレスも60歳くらいまで生きてるのかな?結構普通に長く生きてるんですけど、もちろん小さい頃どうだったかっていう話はあんま残ってないんですけれども、
有名なというか、残ってる話として、彼のお父さんが、いわゆる銀行家みたいな感じで、当時の銀行家みたいなところでいくと、いわゆる街の養殖なんですよね。
その街の貨幣の流通とか、そういうものを任されてるみたいな。
暗いの高い方でしたと。
なので、おそらくディオイ・ゲネスも裕福な暮らしをしてたんじゃないかっていう話なんですけれども、ある日事件が起きるっていうか起こすんですよね。
起こす?
起こしちゃうんですよ。
何がっていうと、偽がね。
え?
要は貨幣なんで、鋳造とかするわけじゃないですか。
これもちょっといろんな話があるんですけど、ディオイ・ゲネスが大人になってから、彼、貨幣を作る職人さんと監督者みたいな立場になるんですよね。
はいはいはい。
で、貨幣作ってくれてありがとうありがとうって言ってるんだけれども、職人さんたちにちょっと偽金作りませんみたいなことを申し分けられたらしくて、
こんなことしていいのかなみたいな。
っていうのを困ったディオイ・ゲネスさんが神殿に行って、アポロン神にお伺いを立てるんですよ。
なるほど、アポロンも大変だね。
そんなそうだな。
いろんなことを言われちゃうからね。
そしたら、ギリシャ語の翻訳の問題でいろんなやつがあるんだけど、
日本語で言うと、国家に流通するものを改編して良いみたいな、そういうお告げが出ます。
これが、いわゆる秩序とか貨幣みたいな意味があるらしくて、
そういう貨幣っていう意味があるんで、そうなると貨幣を変えていいよって話になっちゃうんで、
アポロン神もお金作り替えていいって言ってるし、やっちゃおうって言って、偽金を作ります。
で、当然事件になっちゃって、生まれ故郷を追放されちゃうし、お父さんは投獄されちゃうしみたいな。
はいはい、まあそうよね。監督さんの息子がめっちゃ悪いことしてるみたいな。
当たり前なんだけどね。
で、されますよと。で、ここから彼の哲学や人生が始まるんですよっていう流れなんだよね。
もう始まってるような気もするけどね。
始まってたところが動き出した感じもあるけど。
15:03
ここでちょっと気づいた方もいるかもしれないんですけれども、こんな話聞いたことありませんか?っていうところで、
何か思い当たるとこないですか?
こんな話。
偽金を作ってとか、罪を犯してみたいな。ないね。
でもあれだね。神殿に行ってたお告げを受けて、哲学者になった人いたじゃん。
ソクラテスの友達だよね。
で、それを聞いてソクラテスは、全然内容違うじゃん。別に偽金作っていいなんて言われてないしね。
そこは内容じゃなくて、どっちかっていうと、アポロンの神からの神託を受けて、哲学っていう方に行ったってこと。
無理やりかな。
無理やりかな、そうかな。結構近いかもな。
あと、ソクラテスのお母さんが、弟職業としてサンバさんだった。
だからっていうのもあるんだけど、ソクラテスがやってた、いわゆる問答法だよね。
これがサンバ術って言われるみたいな感じがあったと思うんだけど。
そういうふうに、親の職業と、いわゆるご神託。
ご神託ってやっぱりやったような作みたいな話とか。
ディオグネスとお父さんとお母さんとソクラテスみたいな。
結構近いよねみたいな話が、哲学者的にはホットというか。
だから、まるで作り話かもねって話はもちろんあるんだけど。
なるほど、一応アポロンの内容はともかく、
アポロンが道筋を結果的には作ってるのか、運命だったのかっていうところまで考えると、
アポロンのおかげというか。
当時のギリシャの人たちの神の言葉を受けて行動を変えるというか、
そこに対してやっぱり自分らに受け止めて動くっていう話の近さだよね。
っていうところがあるんですよ。
そのぐらいソクラテスとディオグネスと近く語る流れっていうのがあるんだけれども。
さっきプラトンがディオグネスに対して、
お前は狂ったソクラテスだみたいに言ったっていう話もあったと思うんですけど、
これは単純にエピソードが近いとか、行き詰めが近いっていうだけじゃないんですよ。
どういうことかっていうと、さっき言った通り偽金を作ってね、
シノペというところを追放されるディオグネスなんですけれども、
その後、困難もありながら、アテネに流れ着くんですよ。
18:00
そうか、シノペって言ってたけど、
街の名前ね、アテネみたいな感じで。
そう、街の名前、場所とか。
シノペっていう、ポリスかな。
勝手にアテネ生まれだと思ってたけど、違うのか。
そうそう、アテネじゃないんですよ。
なので、そこから流れ流れて、アテネにっていう感じなんだけれども、
そこでアンティステネスっていう、この人初出し、初耳の人だと思うんですけど、
これも当時のアテネの哲学者なんですよね。
この人が、もともとソクラテスとこういう関係にあって、
弟子ではないんだけれども、ソクラテスの哲学を受け継いで実践してた人みたいな感じなんですよ。
ディオグネスはね、このアンティステネスのところに行って、
自分を弟子にしてくださいって言いに行くんですよね。
そしたらアンティステネスさんは、弟子なんかいらんわ、取らんわ、みたいな感じで追い返されちゃいました。
ただね、ディオグネスもただでは起きないというか、
結構ね、合情に、弟子に取ってくれるまではここから帰りません、みたいな感じで居座っちゃったんだって。
そしたらアンティステネスさんが、木でできた鞭みたいなもので、
お前ブンナグルーさんみたいな、早く帰れみたいなことをやるんだけど、
ディオグネスがそしたらね、こんな風に言って、どうぞ殴ってくださいと。
どんな木でも私が先生のお話を聞くまでは追い払えないぐらい固いものはない。
どんな固い木を持ってきても、戦われても私の決意の方が固いんです、みたいな。
どんなことを言うんだよね。
なんかちょっと伝聞堂っぽい感じもあるんだけど。
こうした流れで、そこまで言うんだったらしょうがないかって、弟子入りしました、みたいな。
そうなんだ、ほうほうほう。
ただただソクアテスになんとなく行き止まりが近いんじゃなくって、
ソクアテスとこういう関係があって、受け継いでいたアンティステネスさんの弟子になった。
っていうところから、可能性的にあるんだけど、ソクアテス流の実は受け継いでいたんではなかろうかと。
あー、なるほど、ほうほうほう。
これまでどこまで本当に、いわゆるザ・弟子日であったのかっていうのはあるらしいんですけど、
やっぱりこのディオゲネスっていうものが、ソクアテスはやっぱり源流にある。
しかもそれは、ソクアテス・プラトンみたいな流れじゃなくて、
ソクアテス・アンティステネス・ディオゲネスっていうふうな、別のルートを通ってる人っていうところが結構流れとしてあるらしい。
21:03
はじめに言っては、プラトンとは違う流れというか、特人性みたいなものもここからもわかるというか、話なんだね。
そうそうそう。そうなんだ、そうなんだ。
そういう流れがあるんだけど、
そしたらね、この、なんだろうな、
あと頑張ってね、しゃべるの頑張ってね。
ちょっと早くなったから頑張ってね。
ここでね、そのディオゲネスが受け継いだっていう、ソクアテスの哲学とか、哲学的な態度が何かっていう話なんですけど、
これってめちゃめちゃ簡単に言うと、幸福、幸せね。
っていうのは物質的なものじゃなくて、精神的なものしかないっていうふうな考え方なんですよね。
そうなんだ。
それは、よく生きるとかっていうね、ソクアテスの時に言ったと思うんですけど、
よくっていうのは別にお金がとか地位がとかっていうことじゃなくて、
いわゆる哲学的な生活、自分の精神っていうものを豊かに磨いていく。
だからある種、三連っていうことがすごく大事になってくるんだけれども、
それだけが幸福に至る道だっていうものが、
結構そのディオゲネスがソクアテスから受け継いだ、あるいはアンティステネスから受け継いだような哲学的な態度なんです。
なるほど。やっぱり若干前っぽいんです。
そう、ちょっと前っぽい。やっぱり生き方みたいな話になるんだけど、
やっぱりこれプラトンと比較すると結構分かりやすいんだけど、
やっぱりプラトンってそのイディアっていうものがあって、それを右とか捉える。
そのために哲学者としてのいわゆる知性みたいなものとか、そういったものを磨きましょうっていうふうな発想なんだよね。
それってすごく抽象的なことになっちゃうし、
現実にそんなイディアなんてあるんかないんかみたいな話になっちゃうんで、
ディオゲネスとしてはあくまでも現実世界、
生きていくこの世において行う行為とかアクションというものに意味を見出していきます。
これはちょっと師匠のアンティステネスの言葉なんだけれども、
幸福、幸せになるためには得があれば十分なんだけど、
得っていうのは行為に関する事柄であって、言論とか学問のことではないとかっていうふうに言ってるらしいんだよね。
つまりこれって言葉を操るソフィストとか、学問を操るプラトンみたいな哲学者っていう人を批判するわけなんですよ。
24:02
これプラトンも含まれてるんだ。
含まれてるね。
逆に言うとプラトンとかアレッド・デレスからしたら、アンティステネスはあいつは何も分かってないとか、
学問的な知識がない奴だみたいな。
結構そういう逆の批判もあるらしいんだけれども。
原論っていうのがソフィストで、学問っていうのは哲学プラトンみたいな人たちみたいな解釈ってことだね。
そういうふうな感じでお互いにちょっと違う立場にいましたよ。
戻って言うと、さっきソクラテスのよく生きるっていう話があったと思うんですけれども、
プラトンはあくまでも善。善とは何かみたいな。
そこを追求し尽くすんだよね。
でもやっぱりアンティステネスとかジオゲニアスっていうのは、よく生きることそのもの。
生きるっていう方に力点がいくんで、とにかくどうやって生きていくのかっていうことをただ考えるだけじゃなくって、
特にジオゲニアスは実践していった。
その結果がタルで生きるみたいな感じになってる。
あそこが繋がるんだ。
繋がっていくっていうか、それもかなり奇抜な発想ではあるんだけど。
実践の形の一つであったってことなんだね。
そうなんですよ。
なので、ジオゲニアスからすると、そもそもイディアロンみたいなテーブルって乗る必要がないっていうか、
やっぱりそんなテーブルないわけなんですよね、彼らからすると。
で、実際こんなやつもあって、プラトンがイディアについて、
それこそ机であるもの、机そのものとか、あるいは秘釈、水を救う秘釈があると思うんだけど、
秘釈そのものみたいな、そういうのを行為で説明してたんだって。
ああ、なんか懐かしい気がする。アカデメイヤでそういうのをやってたよね。
カボチャとは何かみたいな話。
そうそうそうそう、みんなでけんけんガクガク議論してた。
っていうところにジオゲニアスもなんかいて、それぞれプラトン先生と、
私には机とか秘釈は見えるんだけど、机そのものとかって見えないよみたいな、
そういう話を言ったんだ。
それに対してプラトンが、それはあなたが机そのものを見る力が、知性がないからだ、
みたいなことを言いますみたいな感じで、
プラトン先生からしたらそうだろうけど、果たしてどっちに共感しますかねっていう話なんだよ。
まあ確かにね、どちらもわかるというか。
でもこれも結局は哲学的な態度とかスタンスもそうだし、やっぱり生き方の違いなんですよね。
27:02
これどういうことかっていうと、もうちょっと当時の時代背景というか、
社会みたいな話も含めて書いてるところがあったんでちょっと紹介するんで。
当時アテネにおいては、いわゆるポリス主義というか、
やっぱり前回、戦争で負けてアテネちょっと衰退しちゃったねみたいな。
独裁政治っぽくなったりとか、民主制になっても政治も安定したねっていうふうな中で、
ポリスとしてとかアテネとしてどう生きるかみたいな話ってすごく大事にされてた。
プラトンの国家とかもそうだし、アリス・ポリスっていうのも聞いたことになる方も多いかと思うんですけど、
人間っていうのはポリス的動物だみたいな、そういうのって聞いたことあります?
いや、ないね。
あんまりないかな。たぶんね、歴史の教科書とかであるかもしれないけど、
そういうふうに人間っていうのはポリスという共同体の中に生きるとか、
お互いにその中で協力し合って生きていくっていうことが、
やっぱりある種、本性というか、大元にそういう性質があるんだっていうふうに定義したりする。
ほうほう、なるほど。
なんでアリス・ポリスはそういうことを言ってるんだけど、
こうやって逆に言うと、共同体の中にいないとか、
お互いに協力できない人っていうのは人じゃないんだみたいなロジックも展開するらしいんだよね。
へー、そうなんだ。それも解釈じゃなくて、そういう話もしてるってことね。
そうそう、そういう話もしてる実際。
ここでちょっとジューゲネスを思い返してみると、
彼ってね、もともといたシノペっていう国を、ある種偽物作りで追われて、
当てに来るんだけれども、そこでもある種、家もなく、樽でずっと暮らしてるわけですよ。
あ、もうそういう感じなんだね。
そうそうそう。定住もしてないし。
しかも、さっき言った通り、精神の鍛錬だとかって言って、
人に助けを求めることもしてるんだけど、
それもどこまで本気かわからんというか、ちょっとからがうような感じで、
結局は一人で生きてるみたいな、結構そういう人なんだよね。
そうすると、要は周囲と積極的に関わろうとしない、交わろうとしない人って、
アリサテネスからすると、さっきのポリス的動物っていう定義から外れちゃうんですよね。
なるほど。アテネ市民でもないし、かといって別のポリスの市民かと言われると、そうでもないっていうことね。
追放されてるからね。
アリサテネスからすると、ディオゲネスって人間じゃないです。
30:02
何になるかっていうと、犬になるって話があって、犬ね。
これはさっきまで話せなかったんですけど、実はディオゲネスって、
ニレトス派とかナンチャラ派みたいな話でいくと、
キュニコス派っていう、一派と語られるんだけど、
キュニコス?
キュニコス。
これって犬のようなっていう日本語で言ってる。
そうなんだ。
そう、っていう意味で、実際日本語だとケンジュ派、犬、なんとか犬の犬に、
ジュは授学とか。
ケンジュ派って言われてる。
だいぶ別称な感じがするね。
この犬っていう話題はいろいろあって、
実際これもいろんなエピソードがあるんだけど、
例えばアリス・テレスだけじゃなくって、街の人たちも普通にディオゲネスを犬扱いしてて、
なんかその宴会をね、街でしてたらしいんだけど、
その時にディオゲネスがいたから、犬にやるみたいに骨を投げてやったんだって。
そしたらディオゲネスがそれ拾って持ってくるんだけど、犬っぽくショーベインを引っ掛けて帰りましたみたいな。
あとなんかディオゲネスが広場でご飯食べてたら、周囲の人が犬だ犬だって犬がご飯食べてるとやってきたんで、
食べてる人の周りにそうやって物欲しそうに見てるお前たちの方が犬だみたいな。
そういうふうなやり取りをしてたかったエピソードがいっぱいあるんだよね。
なんかエピソードを残すような話でもなさそうなのに、面白いね。何で残ってんだろうこんなのがね。
なんかね、これもちょっと前提と調査しなかったんだけど、
ディオゲネスってやっぱりだいぶ風変わりな感じだったんで、やっぱり近づきがたいところはあったんだけど、
でもやっぱりそういう実践をしてる感じとか、なんかあいつすげーぞみたいな雰囲気があって。
ただの強人とか変人じゃないぞっていうのはわかってはいたみたいな感じなのか。
わかってはいたっていうか、なんとなくそういう空気があったっていう感じじゃないかな。空気。
やっぱり結構ね、慕われた部分もあったんで。
だからたぶん犬だ犬だって詐欺すまれるっていうよりは、そういうのもちょっと面白おかしくというかたかして言って、
別にディオゲネスも俺も犬だぜみたいなことを自分でも言ってるくらいだったらしい。
なるほど。だからディオゲネスというか、周囲にいろんな人がいたってことはね、
ばかりする人もいれば、あの人はただ者じゃないっていう人もいれば、
33:00
それこそだってプラトンのアカデミーになんか顔出したりするくらいだから、
あの人は野良哲学者だよみたいな。そういうちゃんと、
人もいればガチの哲学者だよみたいな。
多分いろんな繋がりがあったみたいな感じなのかな。
なので、それたぶん逸話としても結構親しみやすさというか、
そういうある種ね、難しい話ってなかなか伝わんないけど、
そういうものってやっぱ残ってくっていう噂話的なもので残ってるんだな、
これはちょっと僕の想像なんだけど、っていうような感じなんだよね。
なので、やっぱりこの犬みたいな話って結構ディオゲネスとすごく密接に繋がるんだけれども、
さっきのアリソテレスの話からすると、
単純に下げ積む意味での犬っていうよりは、
自分の哲学の範疇とか、自分の人間という定義から離れる存在っていう意味で、
結構嫌な人っていうか、ライバルとは言わないまでも、
ちょっとあいつめんどくせえなみたいな感じの人だったと思うんだよね。
これはさっき言った通り、プラトンにとってもプラトンのイデアをやっぱり離れるというか、
イデアなんて見えませんとかって堂々と言ってくる人なわけじゃない、ディオゲネスって。
離せるとやっぱりちょっと厄介なんだけど、
逆に言うとそういう自分のイデア論をちゃんと批判してくれるというか、
ちゃんとそこに対抗してくれる人っていうような感じもあったんだと思うんだよね。
なるほど、はいはい。一応話は通じてると、意見は違うけれどもと。
そうそうそう、立場は違いども、なんかこう、こいつわかってるんじゃないかみたいな。
前回も言った通り、晩年やっぱりプラトンは自分のイデア論自体をやっぱり振り返ったり批判したりするから、
やっぱりそれが完全に正しいとは思ってないまでも、やっぱりその正しさを主張しなきゃいけないわけだよね。
そういう時に、それ違うんじゃないとか、自分にはそう思わないって言ってくれる人のありがたさみたいなこともあると思うんだよね。
たぶんアカデミアで先生としていろんな人と接してると、なんだかわかるかもしれないよね。
例えばイデアわかりますとか、イデアめっちゃ勉強してる人の中にも、
たぶんこいつわかってねえなって人もプラトンはわかるだろうしそれは。
逆に本当にわからない、本当にわからないみたいなとかに、
イデアとかってなくていいんじゃねえとか、見えねえよっていうヨーディメンスみたいな人が、
それをマジで自分で考えて言ってるんだなっていうのもたぶんわかるんだろうね、そういう人は。
だからまさにそのわからない、知らない、見えないっていうところの無知の知的なやっぱり動きだよね。
36:07
ところがこいつは狂った即座ですみたいな、ある種の合図みたいな感じだったんだと思うんだけど。
さっきポリスの話からずれちゃったんだけれども、
やっぱりヨーディメンスってすごく独特なというか、
時々のゲームにならずに自分自身の生き方とか、
そういう価値観を貫いた人だったんだなって思うんですよね。
それも即座的にたぶん近くて、
いろんな知識人とかいる中で、自分の賢いって言われた信託を受けたときに、
本当かって言ってそれを確かめにいくとか、
知らないってことを一緒に味わいにいくっていう意味でいくと、
やっぱりすごく似たようなというか、
同じ繋がりがあるなってどこどこ感じるんですけれども、
こいつディオゲネスがね、あるとき、
知り合いというか町の人から、
ディオゲネスさんよと、
あなたの生まれ故郷ってどこなんですかっていろんなことを伝えたときに、
こんなふうに答えたって話が残ってて、
ディオゲネスがね、
俺はコスモポリタンだと、
要はポリスってものを超えて、
要は国際的に生きてるような人なんだっていう、
だから故郷なんてないというか、
全部ポリスが俺の故郷だぐらいのことを言ったらしいんだよね。
これってさっきのアレストテレスが言った、
ポリス的動物って、
要はポリス単位で人を考えるって話と、
ある種の真逆の発想なんだ。
これってむしろ今で言うと、
いわゆるグローバリズムとか、
西洋とか東洋とか、
地獄通信主義じゃなくて、
やっぱり地球単位とか、
そういう単位で物事を考えましょうっていうふうに、
繋がっていく話なんですよね。
なので、ポリスを前提とした、
そういう生き方と、
ポリスを超えた生き方みたいな話とか、
イディアみたいな旧約なものを追いかける生き方と、
自分の現実世界での生き方とか、
法則で追い求める生き方と、
このぐらいに比較すると、
ふっきり分かれている。
こういうふうな存在がこのディオゲネスなんですよね。
当時からコスモポニタンという概念はあったのかな?
ディオゲネスが元祖みたいな感じなのかな?
元祖と思う。
ああ、だとしたらそれはすごいね。
今日の話を聞いても思ったんだけど、
たぶんプラトンの批判もしできるとしたらというか、
39:02
たぶんプラトンってソクラテスみたいな人が、
その批判で死刑になっちゃうこの社会、この政治みたいな、
たぶんそこのしがらみだったりとか、
そこの現実っていうものから逃れられてないというか、
さっきさ、哲学とかは意味ないみたいな話があったけれども、
結構プラトンのイディアってさ、
今までは本当に意味ないと思ってたんだけど、
机上の空論みたいなね、理想がとか。
だけども前回とか聞くと、
もっと地に着いた基準だったりとか、
人々がある意味正しくポリスとか共同体を運営していくために、
必要な一つの知識というか学問というか、
割とそんぐらい地に足着いた話なんだなっていうふうに自分は理解してて、
今回このディオリエンスはこの自由さ、
アテネに生まれてない、
しかも別のところから流れてきたアテネに住み着いてる、
ポリスへの帰属、意識が低かったりとか、
しがらみがあんまなさそうな感じ、
その自由人みたいな、
そこを比較はすごい感じてたね。
さっきディオゲネスも新宅を受けましたって話をおっしゃったと思うんだけれども、
他に流通するものみたいなことを考えたときに、
さっきは貨幣っていう話で偽金を作ったって話をしたんですけど、
これがまさに秩序とか社会のある常識みたいなものっていう意味にも捉えられるらしいんだよね。
なるほど、こう繋がるのか。
だからまさに今、兄貴が言ってたストーリーで、
やっぱり国家の仕組みをどう作るかみたいな話っていうことだけじゃなくて、
それをどうより良くしていくかとか、どう改善していくか、
別にそれをなくしても国家なんかいらんっていうふうに言ってるわけじゃなくて、
やっぱりある種それが、なんだろうな、やっぱりこう、
言い方はあれだけど腐っていくっていうかさ、
同じものをずっと続けていくと、やっぱり結局腐敗していくとか、
やっぱり悪くなっていくっていうものがある中で、
それを適切にやっぱり変えていくとか、アップデートしていくっていうことの大切さっていうものを
ディオゲイスは知っていたんじゃないかみたいな、
そういうかなりね、これは好意的な感触だけど、
そういうふうなことを読み取る人もやっぱりいるんだよね。
まあね、確かに、悪く言えば無責任だし、
良く言えばさっきの通り自由というかね、
そのポリタンの感覚を持っていたっていうね。
42:02
だからね、次回いろんなところで逸話をお伝えするんですけれども、
今日の最後にディオゲイスの思想というか、あんまり残ってないんだけど、
それを結構端的に表したって思える言葉があったんで、
それをちょっと紹介してね、お終わりにしたいんですけれども、
めちゃめちゃいい言葉なんですよ。長いけどお伝えしますね。
どんな言葉を言ってるかっていうと、ディオゲイスさんがね、
私を見るがいいと。
私は家もなければ故郷もない。
財産もなければ奴隷も、妻も子もいない。
要は家族身寄りもないからね。
で、私は家がないから地上に眠るし、
ただ地面と空と、それから一枚のボロ服があるだけだと。
しかし、私に何が欠けているだろうかと。
私には悩みがないし、恐怖がないし、私は自由だと。
君たちの誰かが私が欲しいと思ったものを手に入れ損なったりとか、
これは嫌だって避けているものにハマり込んだりして困っているのを見たことがあるだろうかと。
ないよね。
私が陰気な顔をして苦力をするのを見たことがありますかと。
ないよねっていうところで、
そんな私を見て、自分の王とか主人を見るように、
尊いものとして思わない人がいるだろうかというふうなことを言っているんですよね。
つまり、地位とか名誉とかお金とかというふうなもので、
自分の主人とか偉い人だというふうに仰ぐんじゃなくて、
生き方では何もないものとしては思っていないけれども、
悩みも恐怖もないし、毎日ご機嫌に暮らしている。
そういうふうな人を見て、あなたたちはどう思いますかというようなことを力強く言っているんですね。
どう、こういう言葉って。
最後の自分、だいぶ不尊だけどね、最後のはね。
王や主人みたいなね。
思わないものがあるだろうかみたいな。みんな羨ましいだろうみたいな。
そういう不尊さはあるけれども、
今でもそうなのかもしれないけど、
やっぱり自由に見える人、
そういう既存の枠組みから離れてるのに楽しそうにしてる人って
羨ましいって思う部分ってあると思うけど、
そこを多分すごい体現してたのかな。
そういう概念とかがあんまない時代にね、さっきのハエとノーティにコスモポリタの可能性がないときにね、
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それを自覚して実践してるっていう意味で、
そういう凄みがあったんだろうなっていうね。
だからただの変人というよりは、
なんか謎のオーラ漂ってるわっていうのはこの辺から全くできるかもしれない。
なので、さっきもおっしゃった通り、
よく生きるっていうことを突き詰めたときに、
やっぱり当時はアウトロー的な感じではあると思うんだよね。
既存の価値を提示されるのがいいとか、
お金を蓄えるのがいいとかっていうときに、
そもそもね、お父さんが銀行家でお金持ちだったであろう、
あるいは業縁が全部失った、
いわゆる失ったもののまま生きていくんだな。
そういうストーリー性というか、
なんか主人公地区のような感じも含めて結構かっこいいなって思うのもあるんですけど。
かっこいい、なるほど。
まだちょっとわかんないな。
哲学者っぽくまだわかんないし。
実際、哲学の捉え方自体が結構違う。
プラトンとかSNS的には哲学っていうものと、
ディオゲインさんは哲学が違うっていう話があって、
エピソードとして、
アテイのある人がディオゲインさんに対して、
私は哲学をやるに向いてない人間なんですみたいな、
そういう相談をしたことがあったんですよね。
そういう時にディオゲインさんが、
お前さんが哲学をやるには適さないとかって言ってるんだけど、
よく生きようと心を開けないのなら、
そもそも何のために生きてるんだみたいな、
そういう風に返して言ってたような話がありました。
なので、ディオゲインさんにとって哲学っていうのは、
よく生きるっていうことそのものなんですね。
わー、面白い。なるほど。
だから、哲学的な何か深淵な思想が、
それまでにない、
万物は何々だとか、
そういうこととも違うんだけど、
でもそれも哲学なんですみたいな。
同じようなエピソードで、ディオゲインさんに対して、
哲学やっててどんな良いことがあったの?
何か利益あったの?みたいな。
みずぼらしい暮らししてるけど。
哲学者っていう、
一つの肩書みたいなのあったんだね。
周りからも聞かれるぐらい。
そういう認識はあったんだと思うんだけど、
それに対してディオゲインさんが、
他のいろんなことはわからんけれども、
少なくともどんな運命に対しても、
心構えができるようになった。
だから、ある種人生哲学みたいな、
今の言葉で言うと、
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ほうが近いのかもしれないね。
なるほど。
だからあれだね。
今で言うと、例えば、
企業をしたいんですけどどうしたらいいですか?
みたいな話をディオゲインさんにしてて、
もしかしたら自分、企業向いてないんじゃないかな、
経営者向いてないんじゃないかなと思ってて、
どう思います?って言われた時に、
いや、お前そもそも、
なんで経営したいと思ってんの?
そもそもしたいの?
生き方とかとはレイヤーが違うから、
ずれる部分はあるけど、
経営学学びたいって言ってる人が、
実は別に経営したくもないみたいな、
そういう部分とかね。
逆ではね、
そういう理論もいいけれども、
まずやってみれば学んだことは自ずと見えてくるはずだ、
よく生きようとしてみ、
そうすれば学んだときの結末が見えてくるから、
そういうアドバイスにも聞こえるよね。
そっちが近いと思う。
企業をしたいんですって一緒に対して、
そんな感じだよね。
何の業界がいいでしょうか?
どういう戦略を勉強したらいいでしょうか?
みたいなことから始めようとしてるけど、
学問ね、
意外と先に学問があると、
そっちから入っちゃうっていうのもすごく分かるしね。
さっきお伝えした通りで、
アンコールとか、
アンティセンス、
師匠は学問を否定しているというか、
非難しているので、
デオゲインスもそうなんだよ。
哲学って言ったときに、
僕らはどうしても本を読むとか、
難しそうなことを考えるようになっちゃうんだけど、
デオゲインスはそうじゃない哲学を実践したというか、
よく生きるということを実践して、
結構そういう世界観なんだよね。
なるほど。たまたまなのか知らないけど、
いよいよみたいなものが、
めちゃくちゃフラットだったってことはね、
コスモポリタンで、
周りから見ると不可解でもあり、
実は羨ましくもありっていうね。
そうなんです。だから、
フクワテスはあくまでもアテネに準じたし、
悪行無法なんて言って、アテネのために
死んでいったけど、
デオゲインスはアテネの人でもないし、
ポリスっていうものをある種またいで生きてる。
そもそも自分の故郷がもうないみたいな人だから、
そういう立場から自分はコスモポリタンだって言って
生きてたんです。
その生き様自体が、
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ある種尊敬される部分もあり、下げ積まれる部分もある。
そんな感じで不思議な人なんですよね。
先ほどの起業の例で言うと、
もう一歩先かもしれないね。
別に起業するとか経営するとかが
かっこいいとかじゃないと。
どこでもいいから、自分が食える家族が、
デオゲインスは家族じゃないけど、
家族が食えるだけのものを
稼げるような仕事を
自分でしつつ、台も縛られない。
だから毎回見ると別に金持ちにも見えないし、
歯振りがいいようにも見えないし、ベンツにも乗ってないし、
だけども、すごくちょうどいい仕事をしながら
幸せに生きているみたいな
そういう感覚かもしれないね。
雰囲気で言うとね。
まあ、ほとんど徹底してるけどね。
出勤してるようにしか見えないけどね。
仏教的に言うとね。
まあ、やっぱり鍛錬だったり。
現代的にはそういうのも結構受けられるじゃない?
金稼ぎ子さん全てから
もう一個多分来てるもんね。
そうそうそう。
そういう意味では結構共感しやすいとか、
興味あるという方もいるんじゃないかなと思うんですが、
今回はデオゲインスの少しいい部分を取り上げて
次回は破天荒さとか、
あとはプラトンとかの関係性がマジで面白いので、
そういう逸話をいくつかご紹介をして、
よりデオゲインスの生き方とか
生き様というものを一緒に味わっていきたいと思ってます。
分かりました。
そこからデオゲインスの哲学を解釈していこうという感じだね。
そうね。
よく生きるという意味での哲学の解釈。
感じてみようかな。
解釈が難しいので。
何か定まったものがあるというよりは、
それを聞いてみて皆さんどう思いますかという感じで
やっていければと思います。
分かりました。
シノペのデオゲインスですね。
キツネ聞いたほしいのでいきたいというところで、
次回もよろしくお願いします。
ありがとうございました。