00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回は古代技術者哲学の中でも、ソフィスト、こちらに焦点を当てるということだったんですけれども、あれはね、前回その偽哲学者と思いきや、全然その違う食料だったっていうところがね、本当にびっくりしたんだけれどもね。
そうですね。やっぱりね、そもそも知らないことが多いようなソフィストとかってね、っていうのを僕思ったんですけれども、今回ですね、プロタゴラスさんという人を取り上げますと、たぶんね、皆さん知らないと思うんですよね、この人。
まああれだよね、教科書でさ、「〇〇は万物の〇〇である」みたいなのを穴埋めでしか見たことないみたいな人たちだよね、ソフィストってむしろ。
たぶんね、難しいドリルとかって時々出てきますぐらいの人なんだけれども。じゃあ、なんでこの人を取り上げるかと言いますと、もちろんソフィストとしては有名ってことなんだけれども、何かっていうと、このプロタゴラスさんっていう人が初めて職業のソフィストとして活躍した人だって言われてるんですよ。
そうなんだ、前回の最後でソフィストオブソフィストっていないのかもね、みたいな話したんだけれども、いるんだ。ちゃんとその、連綿と300年ぐらい続いてましたとかじゃなくて、かなりトレンディな職業だったんだ。
そう。もっと言うと、それまではもちろんなかったみたいなね、いわゆるさ、物を教えてお金を得るっていう行為自体が当時なかったらしいんですよ。
そうなんだ。
いわゆるさ、例えば何かを売ってお金をもらうとか、何か修理、例えば家を修理してお金をもらうとかってあったんだけれども、そういうふうに知識を与えてとか何かを教育することでお金をもらうっていうふうなことを初めに考え出したのが、このプロタゴラスさんだっていうふうに言われてるんですよね。
すごい、想像以上にすごい。
そうなんです。なので、この人は起源前492年頃に生まれてるっていうことが言われております。
年齢的にはソクラテスより20歳上なんだけれども、前回は同時代の人なんですよね。
このソクラテスとプロタゴラスさんっていうのは、実は議論をしてたんですよっていう話を前回もしたんですけれども、まさにこのプラトンはプロタゴラスっていう本を残していて。
一冊残ってるんだ。
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一冊残ってる。ソフィスのいろんな流れの中でプロタゴラスって本になってるっていうのが正しいんだけれども。
ある種、高生の人がそういうふうに編集したっていうのが正しいんだけれども。
実際、アテネで名声を高めていたプロタゴラスさん。プロタゴラスさんはすごい、いわゆる現代で言うと林先生みたいなさ。
塾講師で、いわゆる教えることだけじゃなくてテレビも出るし、本を書くしみたいな。たぶんそんな感じの方がいらっしゃると思うんですけれども。
しかもその人が塾講師みたいな仕事を作ったぐらいの人だったことだよね。
そうなんです。
実際、お金を取って公開授業をするとかってもらってたらしいんですけれども。
この人が有名というか人気なので、ソクラテスがプロタゴラスさんに話を聞きに行こうみたいな感じで、プロタゴラスさんのところに行って、
2人で結構いろんな会話を交わすみたいな場面が描かれてるんですよね。
でもあれだね。第1回のソクラテス側の立場に対して、すごい行動力があっていいなって思うけど、
やっぱりソフィスト側とかプロタゴラス側にすると、いきなり変なやつとっちってきたみたいな。
そうなんだよね。
面白いね。
内容とかはまたぜひ図書館とかにも絶対あるし、ウィキペディアとかにも大まかに流れ書いてるんで、また読んでいただければと思うんです。
僕もちゃんと読んだわけじゃないんですけれども、内容的にもプロタゴラスさんすごいっすねと。
なんかいろんな若者とかにいろいろ教えてて、徳みたいな結構そういう難しいものとか抽象的なものを教えるって本当すごいっすわみたいなこと言うんだけど、
ところで徳って目に見えないじゃないですかみたいな。それを教えるって何なんすかねみたいな。
教えるってことは何かそういう技術とかだと思うんですけど、徳に関する技術を持ってるってどういうことなんすかねとかっていきなり聞くわけよ。
それで要は徳って何か知ってるっていうのを聞き出すっていう。
ギルド尋問だよね。
ギルド尋問、そうそう。上げてから落とすみたいなさ。っていうふうな感じなんだけど。
これ面白いのはプロタゴラスが一方的に負けてないんだよね。
あ、そうなんだ。
ソクラテスも、別にソクラテスは勝ち負けではないからさ、お互いにより良い地に行きましょうって話だから。
私本当にあれだよね、別に荒探ししてるわけじゃなくて、ソクラテスは本当に純粋に知ってるなら教えてくれって。
本当にそうそうそう。そうなんです。
なので、そういう意味でもお互いのやり取りが面白いという話もあるので、よかったら見ていただければという話なんですけれども。
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この方、30歳ぐらいでソフィストとして活動しだして、70歳ぐらいまで教師みたいなことやってるんですけれども、
晩年にはアテネで、ソクラテスと同じ神に対する不敬罪みたいな罪で告発されてるんですよ。
え、そうなの?
ソクラテスと同じように。ただ、前回もさせたとおり、別にプラトゴラスはアテネに忠誠を誓ってる人ではないので、
追放されてまた別の国で生きてはいくんですよね。
なるほど、なるほど。
この時にプラトゴラスが書いた本とかが、いわゆる焼き討ちじゃないけど、燃やされちゃって、亡くなっちゃって。
ああ、そうなんだ、本がね。
それで残ってないんだみたいな話があるんですよね。
ただね、おそらくこれは公立というか、神に対する不敬罪って何でもありみたいな話だったらしくて、当時でいうと。
罪のでっち上げで、当時の有力者が、こいつ厄介になってきたからそろそろ追い出してやれみたいな。
そんな感じで追い出されたんじゃなかろうか、みたいなことも言われております。
日東京みたいなのある意味ね。
東原追放じゃないけどね。
そうそうそう、こいつ最近勢いつけてるからやべえわみたいな。
的なね。
さっきもおっしゃったように70歳くらいで亡くなったらしいというふうな人はあるんですけれども、
結構前回おっしゃったとおり、同時代のソフィストの流れを作ったっていう意味では当時の人たちもそうだし、
やっぱりそれ以降の哲学、それこそニーチェとかも前回ちょっと名前をお伝えしたんですけれども、
そのぐらい本流ではないけれども、やっぱり哲学には何らか影響を与えている。
そういうふうな人だよねっていうふうに言われておりますよと。
彼がどんなふうに物事を考えていたのか、要はどんなふうに教えていたかっていう方じゃなくて、
彼はいったいどんなことを考えていたかというと、今回深掘りしていきたいんですけれども、
前回のお伝えしたとおり、プラタゴラスっていう人は有名な言葉として、
人間は万物の尺度であるっていうふうな言葉を残しています。
逆にこの言葉が残っているのは結構奇跡みたいな話で、
これって何なのっていうことを知ろうと思ったときに、他の部署、多分本があったんだけれども、
他の箇所って全然残ってないんですよ、ほとんど。
なので、そういうところからなんとかプラタゴラスがこんなことを言ってたんじゃないかっていうのを解き明かしていくっていうふうなことを
いろいろな学者さんがやってるんですけれども。
その学者さんたちが、これはプラタゴラスが言ってたことだろうっていう話がいくつかあるんですけれども、
人間は万物の尺度であるっていうふうな前提の価値観として、
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彼は対立論法っていうことを考えてたんじゃないかっていうようなことが言われてるんですよ。
対立論法、対立する論法、いわゆる論述する方法ね。
これどういうことかっていうと、いわゆるあらゆる事柄に対して、
互いに矛盾する二つの言説が存在するっていうふうな考え方です。
どういうことだろう。
もうちょっとわかりやすく言うと、前回の裁判の例をお伝えしたと思うんですけれども、
裁判っていうのは、Aさんの罪は何ですかっていうある種の事柄に対して、
有罪と無罪っていう両方を主張できるじゃないですか。
なるほど、法廷の場でそうだよね。
有罪が正しいなら無罪ではないし、無罪が正しいなら有罪ではないっていうふうに、
これって矛盾してるよね。
でもこの両方を、ある種基本的な、
あらゆる事柄には主張できますっていうふうなことをプロタクラスは言いますと。
これを対立論法って言うんだけど、
例えばちょっとあんまりないかもしれないんだけれども、
リンゴが目の前にありますと。
そしたら基本的にはこれはリンゴだっていうふうに普通は語ると思うんだけど、
でも別にこれはリンゴではないって語ってもいいじゃない。
これは嘘というか、そうじゃないんだけれども、
嘘も立派な一つの言説だし、
もしそこに10人いて、1人はリンゴだって言うんだけど、
周りの9人がリンゴじゃないって言うと、
その1人ももしかしてリンゴじゃないかもとかって思っちゃいかねないじゃない。
なるほどね、あると思う。
正しいかどうかじゃなくて、
ある物事に対して、
これはAだっていう話でも、これはAではないっていう話でも、
両方言えるよねっていうことを言うんだよね。
なるほど、今の極端な例でも、
ある意味下手すると納得できたりとか、
納得できるようなシチュエーションはあり得るって話だね。
あり得るし、納得できるかどうかを置いといたとしても、
とにかく2つの矛盾する論っていうのは言えるってことだね。
明らかに納得できないようなことでも、
別に言うこと自体はできますよと。
いうふうなことを対立論法っていう話で言い出すんだよね。
これをどういうふうに使っていくかっていう話なんだけれども、
まずプロタグラスのロジックとしては、
まず人間世界だけじゃなくて、神の世界から考えますと。
やっぱり当時とはいえ、神とかの力が強いから。
ソクラテスも神託で動いてたもんね。
そうそう、アパロンの神殿からの神託って話なんだけれども、
この対立論法っていうものを神の世界について適用するとどうなるかって話なんだけど、
これめちゃめちゃ面白いのは、
12:00
神の世界って見えないじゃないですか。
見えない世界について語ろうとするんで、
それは曖昧にならざるを得ないよねって話なんだけれども、
プロタグラスさん、大胆に神々については、
神々が存在するという知識も、存在しないという知識も私は持っていないっていうふうに言うんだよね。
すごくない?
なんでそこを使っちゃったんだろうね、すごいね。
経験の人たちが多い中で、そこを例えに使っちゃうんだみたいなね。
これ実は例えじゃなくて、実際にやっぱり必要があってやるんだけれども、
何が言いたいかって、つまり神に対してどう向き合いますかっていう問いがあった時に、
それは信仰するとも信仰しないとも言えるじゃない。
これはある種矛盾してるじゃない、信仰するんだったら信仰しないってことじゃないしっていう話なんだけれども、
この対立は少なくとも個人同士のレベルでは解決しないんだよね。
要は一人の人間が別に信仰するとかしないとかって自由だと思うんだけど、
例えば僕が神は信仰するべきだって言って、兄貴が神なんて信じちゃダメだって言うとしたら、
もうそれって解決しないじゃない、この対立って。
もう一生無理だと思うんだけど。
そういう時に、
社会とか文化とかに関しても、神を信じるかっていう時に、
アセネでは信仰されてるかもしれないけれども、別の町ではそうじゃないとか、
別の町では信仰されてるんだけど別の神様だとかってことがあり得るわけなんだよね。
ある物事を相対化する時に、神の存在とかそういうものですら相対化できるとか、
自分はそこに対して保留するっていう態度が取れるんですよ。
なのでプロタゴラスっていうのは、神っていうのはいるとも言わないとも言わずに、
自分はその知識がないんだっていう風に言うんだよね。
そうするとどうなるかっていうと、神がいるかいないか私には分かんない。
だから人間を基準に考えようと。
要は神が存在するかしないか分からんけど、それとも人間は存在してるじゃないですか。
だから人間から考える、人間は万物の尺度だという風な発想にいくんだよね。
それを尺度、なるほどっていうふうに表現してるのか。
つまり、プロタゴラスの逆に神が万物の尺度であるっていう風に言ってるんですよ。
それを文字って言ってるのかな?
多分文字って言ってると思うんだけど、要は神っていうものがこの世の万物のことわり、
まさにこの世界を作って、この世からどうあるべきかっていうのを考えて、
そこある種人間は従うんだとか、それを読み取って、せいぜい読み取ってやるんだっていう話なんだけれども、
15:04
そうじゃねえだろと。神っていうのはそもそもいるかどうかも分かんないんだから、
そうじゃなくて人間っていうものがある種物事の基準になるべきだっていうことをプロタゴラスは言うんだよね。
果たしてどっちが正しいと思いますかっていう風な話なんだけど。
ここもね、正しいとかって言っちゃうとまた同じような問題が起こるんだけれども、
やってることだよね。食料としてのソフィストみたいな打ち止めを考えると、やっぱりめちゃくちゃ現場主義だよね。
このケースではこうだよね、こっちの街ではこうだよねってやっぱりやっていかないといけないっていう中では、
すごく自然な考えだよね、そっちの方が。
やっぱりソフィストとして神が全てを決めますとかってなってしまうと、
神のお告げで決めましょうって言って、やっぱり自分のやってきた弁論術とかも考えないとやっぱりなっちゃうんだけど、
そういう意味でも神っていうものを一旦取り除いて、人間が釈放なんです。
だから人間としてのスキルを見分けましょうっていう風な話っていうのは、
すごい強い議論というか、そう言われたら確かにってなっちゃうと思うんだよね。
時代背景がよくわからないけれども、
たぶんめちゃくちゃスキルとして、技術として強そうだよね、当時。
それ持ってるとだいぶ相手より優位に立てそうな感じがする。
これを一ソフィストが言ってるんじゃなくて、
その職業を作った人が言ってるってことは、やっぱ物足りなさがあったんだもんね。
こういう技術があった方がいいっていう、その切実さというかね。
それも感じられていいよね。
そうなんですよね。
やっぱりいろんな社会的な背景とかあると思うんだけれども、
少なくともさっきアイキーが言ってる通り、人間が万物の尺度であると、
神が万物の尺度であるっていうのはどっちが正しいかっていうのはわからないじゃないですか。
少なくともこのプラトログラスの対立論法的に言うと、
何が万物の尺度かっていうときに、それを人ってこともできるし神ってこともできる。
これは矛盾するんだけどどっちもあっていいよねってことに対しては、
プラトログラスが正しいっていうふうにやっぱ思うんだよね。
だからこれを相対主義って決定してるのか、
人はやっぱりともいえ現実に生きていくとか、
そう、現場目線で。
そういうのも必要だよねっていうのがやっぱあるだろうねっていう感じがする。
そうなんです。
まさに今言ってる通りで、じゃあこれって単なる相対主義だっていう話なんだけれども、
ここに関しても実はそうじゃないんじゃないかっていうふうな発想っていうのが実は言われてます。
18:04
できるんだ。
できる。
どういうことかっていうと、これは結構人間尺度命題とかって言われてるんだけれども、
まさにこれがさっき言った、人間は万物の尺度であるっていうふうな話で、
この次にちょっとだけ言葉がまだ続いていて、
あるものについてはあるということの、
あらぬものについてはあらぬということのっていうふうに続くんだよね。
これも存在を神があるだったらあるっていうふうに言えるし、ないんだったらないっていうふうに言える。
それは人間の問題だっていうふうな話なんだけれども、
これを通じてプロトコラスターが何を言いたかったのかっていうと、
これもいろんな解釈があるんだけれども、実は結局人それぞれじゃないっていうことなんですよ。
どういうことなの?
どういうことかっていうと、例えば人間っていう言葉が出てくるじゃないですか。
人間は万物の尺度であるって言うんだときに、
この人間って何っていうふうな話はやっぱり問うことができるわけなんだよね。
これはプロトコラスターが言ってたってよりは、後の人たちが解釈した話なので、
そこもちょっと含めて聞いていただきたいんですけれども、
果たしてこの人間っていうのは、いわゆる個々人、
例えば僕なら、僕カンのハヤトっていう人間が好き勝手に尺度になれるのか、
それとも人間一般みたいな、人間の本質みたいなものになるのか、
そういうものがあって、それを想定しているのか、
あるいはその両方なのかっていうことが想定できるわけなんだよね。
そうだね。だったりとか、国というか都市クラスでもあるかもしれないね。
民衆みたいなね。
もしかしたらアテネの人間はとかっていう形でもあるかもしれないんだけれども。
ここはやっぱりいろんな解釈があるんだけれども、
僕がちょっと参考にした、ソフィストレスデンっていう本がございまして。
面白そう。
ジルベールさんっていう外国の方が書いた本なんだけれども、
ここではですね、3番目の両方だと、
しかもそれを意図的に融合させてるんじゃないかっていうふうな解釈を取ってるらしいんだよね。
わー、あのプロタゴラスがいたんだからみたいなね。
そうそう、あのプロタゴラスがいたんだからぐらいの。
ちなみにヘイゲルはね、こいつちょっと混じって使ってるよと。
このヘイゲルがプロタゴラスを解説する時には、
当時の人は言葉で言うと人間っていう概念をちゃんと分けるみたいな、
そういうことができなかったし、そういうふうな発想がなかったから、
なんかふわっとしてるんだっていうふうに言ってるらしいんだけれども、
このジルベールさん的には、いやいや、ヘイゲルさんよと。
プロタゴラスがそんなことするわけないでしょ。
ちゃんと意識してるんだぜっていうふうな感じで解釈してるんだよね。
そうだよね、あるないみたいな話をしてるんだから、
そこも想定できないわけがないだろうっていうね。
そうそうそうっていうふうな話。
21:00
そこはどこまで好意的に解釈するかっていう話をやるかと思うんだけれども、
そういうふうに両方の意図があるんじゃないかって取ると、
どんな意味の発言になりますかっていうと、
まず当然というか、人間は万物の尺度であるって言葉を考えたときに、
まずやっぱりそもそも尺度とか意見、尺度って言えば意見じゃないですか。
これは林檎だとかこれは有罪だとかっていうのって意見じゃないですか。
これっていうのはやっぱりあくまでも個人の意見から始まります。
当然人間としては自然の法則があるだろうけれども、
基本的には誰か一人がこれこれであるって意見を持たないと始まりませんよねと。
さっきの話でいくと、林檎の話でいくと、
これは林檎だっていうふうにある種自分の意見を持ってそれを表明する。
そういう人がいて初めてそれは林檎だよねとか、
それは林檎じゃないじゃないかっていうふうに意見をぶつけるっていうふうな意味が出てくるわけなんだよね。
確かに生きがい集団維持みたいなものから始まるわけなさそうだよねっていうね。
ないじゃない。
ここがある人で現場的なというか議論っていうものを軸にしているソフィスの考え方なんだよね。
それに対していろんな人が確かにそれは林檎だとか、
それは林檎じゃなくてナシじゃないかとかっていうふうにいろんな意見を提示しますよと。
それはある種シーズン、これは林檎だそうだそうだっていう意見が増えれば増えるほど、
これは林檎であるっていう意見が真実味を帯びてきて、
まさにこれが尺度になっていく。
その集団におけるこれは林檎であるという尺度ができていくので、
そうじゃない意見を言う人がお前は間違ってるっていうことが正しくなるっていうふうな話なんだよね。
その集団においてはね。
その集団においては。
今兄貴もイメージ湧いてきたと思うんだけれども、
まさにその尺度っていうものは個人が勝手に作るものじゃなくて、
個人が打ち出すんだけれども、
それは社会とか集団って指示をして、
あるいは社会的に検証されて尺度になったりならなかったりする。
あるいは一度尺度になったものが時を経て尺度にならなくなったりする。
はいはいはい。
そういうことが起きるんですよっていうことが、
この人間は万物の尺度であるって言葉に含まれてるんじゃありませんか?
っていうふうな解釈ができるんだよね。
だいぶこう言ってきたけど、
そう言われないとすごい深い言葉だなとも思える。
思うよね。
好き勝手やってるわけじゃねえんだよっていう話なんですよと。
確かにそうだね。
法則の話な感じがしてくるね。
なるほどなるほど。
なのでこう言われたらそりゃそうかもなってなると思うし、
逆に真理はただ一つだっていうことじゃなくて、
24:00
その時々で役に立つっていうふうな、
前回兄貴が言ってくれたプラグマティズム。
この思想とすごい近いって感じるんじゃないかと思うんですよね。
確かにそうだね。
前回プラグマティズムと現場実学との違いっていうのを、
いわゆる悪い意味での相対主義の概念からすると、
実はその哲学であるプラグマティズムと
多分違うんだろうなっていうもやもやが確かにあったと。
そうだよね。
今にして思うんだけど、
ここまでの話を聞くと、
相対主義っていうのが一時的にだよ。
例えばその集団の中において一瞬起こるかもしれないけれども、
それを乗り越えて尺度とか共通認識みたいなのが生まれていった状態まで考えたりとか、
もしくは自然法則として、
そういうふうな力学が働いている相対主義的なものが
何かの尺度に修練されるというか、
意味で考えるとめちゃくちゃ深みのある言葉らしに納得するというか、
一つの理論な感じがするね。
そうだね。
やっぱりこれも使いようで、
いわゆる宗主政治みたいに誰もが、
ある種そうだそうだっていう人たちが全員間違ってるとか、
全員何か良くないことを考えてるとかってなるとそっちに行っちゃうって、
良くない部分もあるんだけれども、
ちゃんとしたある種開かれた民主主義というか、
そういう形でいくと、
多数決を取るっていう方がいいよねっていう話もあったりするわけで、
ある意味そういう宗主政治的な感じで悪い方に扇動されたとすると、
結局その結末としては、
それは崩れ去って別のちゃんとしたものが生まれていくっていう、
ある意味自然淘汰はされるわけだから。
そうだね、長い目で見るとね。
なのでやっぱり心理っていうことはやっぱり難しくて、
哲学者とかあれもと言うと、
サクラテスとかプラトンが言うところの唯一絶対の心理とか、
神の心理とかって思うとやっぱり意味がちょっと違うんですよ。
実際プロトグラスの思想を辿ってみると、
彼自身は心理はそもそも絶対的なものじゃないっていうふうな思想を持ってたんじゃないか、
っていうふうに言われてるんだけれども、
そもそも心理っていうのは価値だっていうふうに言われてるらしいんですよね。
要はその時その場で役立つもの、
やっぱり有用性って言いますよ、プログラマティズムの言葉なんだけれども、
そういうものが心理、その時その場の心理であると。
っていうふうに考えていて、
これはなんでそんなふうに言えるかっていうと、
ちょっとまた別の概念なんだけれども、
彼は時間っていうものについて語ってるところがあるらしくて、
その概念として、
ギリシャ語では時間の概念が3つあったって言われてるんだけど、
27:04
実は3つあったんだけど、
そのうちの1つにカイロスっていう言葉があって、
これは機械とか、いわゆるチャンスみたいな意味合いなんだよね。
要は時間って前々回からテーマだったと思うんですけれども、
いわゆる過去から未来に流れていくっていうものだけじゃなくて、
いろんな時間の捉え方がありますよとかって言ったじゃないですか、
これは物理的な話じゃないんだけれども、
ある種実生活においても、
例えばチャンスみたいな話、
要は1時間前に出かけてても、
何がいいかな、ちょっと待ってね。
例えば洗濯をするとかって考えたときに、
要は洗濯をするのにいい日もあれば、
ギリシャ語とか最近多いと思うんだけど、
急に言うと、
晴れている日には洗濯をするべきだとかっていう指導をしたときに、
それってタイミングじゃんとか、
結局雨が降るか降らないかじゃんみたいな感じ。
要は単なる時間流れじゃなくて、
その時に雨が降るかどうかとか、
そういう洗濯をしたときに、
その時に洗濯をするときに、
洗濯をするときに、
洗濯をするときに、
洗濯をするときに、
洗濯をするときに、
そういう洗濯をしたときに、
それが変わるかどうかっていう、
そういうタイミング次第だっていう話があるわけなんだよね。
つまりその時間っていうのも、
ただ過去から未来に流れていくってわけじゃなくて、
その時その時に適した時間っていうか、
チャンスがあるだろうと。
っていう風に、彼は時間というものを捉えていましたと。
これ何でかっていうと、
要は誰かと言い合いをするって、
弁論術の話だから、
その時にどんなタイミングで、
どんな言葉を相手に言うかとかって、
めちゃめちゃ大事なんだよね。
プレゼンテーションもそうだと思うんだけど、
やっぱりグッと聞き手に乗ってきたときに、
いわゆる革新的なのを言うとか、
あるいは最初につかみで、
一番面白いことを言うとかって、
いろんなことがあるじゃない。
一時間の一時間のプレゼンテーションの中に。
それと一緒で、
相手の議論をしたときに、
最初に打ちのめしすぎちゃうと、
後からやられ返したとかってあるだろうし、
同じ主張でも、
やっぱり今言うのと後で言うのとでは、
効果が違うとかってあるわけなんだよね。
だからこそ、
いわゆる、
例えば議論を一時間しましょうっていうときに、
一時間って、
いわゆる一分とか一秒に切られた時間を捉えるんじゃなくて、
チャンス、いつこの言葉を言うべきか、
そのために相応しい時間はいつかっていうことを、
踏まえて時間っていうのを捉えていくんだよね、
プロトコラスさんは。
ここって伝わってる?
今言いすぎてるかな?
その話は分かるけど、
それが何の話だったっていうのはもう忘れちゃった。
30:00
OK、OK、OK。
で、
っていうふうな感じで、
時間っていうのを捉えているので、
彼はいわゆる、
タイミングが変われば、
当然その時に役立つ主張とか尺度も変わる。
そこにつながるのか。
だからこそ、
真理っていうものも唯一なんじゃなくて、
その時々に相応しい真理があるんだっていうふうな話になってるんだよね。
なるほど。
すごいね。
例えばこの時代画とか、
この1,2年間のトレンド画とかじゃなくて、
今さっきハイトが言ったような、
この30分1時間の議論の中でも、
そういった、
例えばこの開始10分間の10分目のとこに言うべき真理と、
50分のとこ言うべき真理が、
実は変わってるかもしれないみたいな、
もうそれぐらいのダイナミクスというか、
プレハリティの中で、
ダイナミクスというかプレ幅があるんだね。
そうですそうです。
しかもどっちも適応できるんだ。
タイミング、チャンスというのがね。
そうなんです。
なのでそれをある種臨機応変というか、
自分の意見がない、
フラフラしたやつだっていうかは、
本当に難しいんだけれども、
プロトグラスからしたらそれでいいというか、
それこそが真理だっていう話なんだよね。
なるほど、そっかそっか。
1年後に言ってること変わってるかもしれないし、
下手したら5秒後に言ってること変わってるかもしれないし、
全然それでOKなんだよね。
真がないみたいな、
真理が、真理もない、
不思議みたいな、
言葉被っちゃった人、真理がないんだ、まさに。
そうね、真理がない。
哲学者的な人から見ると、
映るって話なんだね。
そうなんですよ。
なのでやっぱりプラトンとかから言わせると、
神の方に唯一の真理があるのに、
人間が真理をAでもBでもいいとか、
5秒後でも変わっていいとかっていうのは
けしからんっていう話なんだけれども、
プロトグラスからしたら、
神の真理に何の役に立つんだと。
そうじゃなくって、
その時々タイミングを生かして、
聴衆とか人々に課題かける、
そういうような言葉っていうほうが、
むしろ真理ではないかっていう話なので、
そしたら次元がまさに違うんだけれども、
それぞれの主張にも一理あるというか、
単純に哲学者が言うように、
寂しさは何もわかってないとか、
真理について全くの無知だとかっていうのは、
ちょっと違うっていうのが、
今の話でも感じていただけるんじゃないかな、
っていうふうに思うんですよね。
いやー、そうね。
確かにこの2つは、
交わりもするけど、
根底のスタンスが違うから難しい。
あ、そうそうそうそう。
その哲学者からすると、
33:00
そっちはフラフラしすぎてて違うって言うだろうし、
ソフィスト側からすると、
いや、例えばそういった真理があるとして、
本当のぶっとい真理を実現するためには、
この一瞬一瞬というのはもちろん触れ幅はあるよね、
みたいな、
そういう奇妙みたいなことも、
マジで言えちゃうっていう部分があって、
そうなんだよね。
だから、やっぱりその、
本当の意味での真理っていうのは固定されているのか、
それとも、
いわゆる移り変わるのかっていうのが、
結構難しい問題だなって改めて思っていて、
プロタコラスの思想の前提には、
ヘラクロイ…、
もう一回言うね。
プロタコラスの思想の前提には、
ヘラクレイトスがあるから、
っていう話もあったんだけれども、
ヘラクレイトスは、
いわゆる万物を露天するって言った人ね。
ほうほうほう。
彼は、いわゆる、
根源地は火であって、
いわゆる、
あらゆるものが変化していって、
もっと言うと戦っている。
ふーん。
これって価値観的には、
ゾロアスター、
ニーチェがさ、
もともとサラテッサで書いたゾロアスター教っていう風に
近いんだけれども、
でも、
子供っていうのは光と闇の神様がいて、
それが争っているっていう、
その動き自体が、
この世界を作っているんだっていう思想があった時に、
ふんふんふん。
あるいは、いわゆるものが変化していくとか、
あるいは、いわゆるものが勝ったり負けたりして、
時代が変化することで、
やっぱり発展していくような発想っていうのは、
すごいやっぱり、
昔からあるんだよね。
いわゆる宗教的な感覚としても。
なるほど。
宗教になるとそうだよね。
絶対的なって感じしないもんね。
いや、そうなんよ。
ゾロアスターっていうのが、
心体的に理解しやすいっていうのはあるのかもしれない。
そうそうそうそう。
だからやっぱりね、
日本もそうだけどさ、
いわゆるね、
梅雨の時期は太陽が隠れるから、
やっぱりお日様の光、
力が弱くなるみたいな感じで、
アマテラス、
大神の岩戸隠れみたいな感じでさ、
やっぱりこもっちゃってさ、
だから一神教で言うと、
神の力は絶対に不変なんだけれども、
神が雨を降らせてるし、
神が晴れさせてるんだみたいなね。
晴れさせてるしみたいなね。
不変なんだけれども、
日本のような多神教で言うと、
神様の力も強まったり弱まったりとか、
ある時はこっちの神様がすごいけど、
ある時はこっちの神様の方がすごいとかってことは、
全然あり得るわけなんだよね。
なんだかあの神様は死んじゃって、
こっちの神様が生まれたみたいなね。
そうそうそうそう。
生き死にもあるからさ、
そういう意味で言うと、
それをある種こういった、
抽象的なというか、
より現場的な論点に乗せ込む時に、
果たして真理っていうのは歩くのかないのかとか、
唯一の真理があったとしても、
それって本当に移り変わらないのかとか、
36:01
っていうことが、
同じような文脈で議論できるんじゃないかと思うんだよね。
そうなるとやっぱり面白いよね。
ソクラテスの異常性というか、
そっちの方が面白いと思うんだよね。
そうなると面白いよね。
ソクラテスの異常性というか、
ソクラテスの異常性というか、
そっちの方が気が立つよね。
なるほどね、そうだよね。
面白い。
では、唯一絶対の、
ソクラテスの唯一絶対のものがあるというよりは、
プラトンの方がどっちかというか。
プラトンだね。
だからある種、
ソクラテスも結構相対化してね、
血がないっていう自分を、
むしろ血があるとか血を求めてるって人からも、
ある種分離させて、
見た目が、
ある種分離させて、
無知っていうところから血っていうものを、
相対化することをやってたわけなんだけど、
プラトンはそこに対して、
イディアっていうものを立てて、
ある種絶対のものがあるというところに行き着いた。
だからあれか、
ソクラテス、
超有能なソクラテスが産んだ化け物なんだね、
プラトンの。
そうだと思うね、そう。
この世のソフィストたちに恨みを、
持って生まれてしまった化け物なんだね。
確かにね、
そういうダークファンタジーの主人公みたいな感じかもしれない。
どっちかというとね、
このソフィスト目線から言うとね、
プラトンが正義っぽいイメージがあったけど、
面白いね、こっちから見るとプラトン、
ヤバい存在だよね。
あいつなんだよ、
俺らの仕事、
トンじゃねえよ、みたいなさ。
ほんとそんな感じだよね。
仮信教の時代でね、
イディアがあるみたいな。
むしろ、どうしたらそんな概念出てくるんだ、
くらいの面白さがある。
そうそうそう。
そういう観点からね、
プラトンを読み直したら面白いんじゃないかとか、
今思ったんですけれども、
そんな風な感じでね、
今回プラトンガラスの思想を
ざっくりと見てきたんですけれども、
個人的にはね、
前回もお伝えしたんですけれども、
そもそもね、
西洋においても、
神を起点にした思想があったというか、
神っていうのはいるかいないか分かんないから、
人間とか考えようぜってさ、
すごい近代的じゃん、
発想として。
そうだよね。
すごい馴染むなと思った。
そうそうそうそう。
これがさ、
2500年前のギリシャの人の話ですって、
ちょっとにわかに信じがたいというか、
やっぱりそれを知らなかったことを
恥じたんだよね、
やっぱり自分も。
確かにそこでね、
ソクラテス・プラトンから始めると、
まあそうなっちゃうんだろうね、
西洋一新論で、
イデアみたいな感じになっちゃうんだろうけど、
むしろそっちのほうが
ちょっと一端的というかね、
当時の感覚からすると、
むしろ理解しづらい部分がありそうだ
という感じがしてきた。
そうなんですよ。
なので、やっぱりね、
東亜に2000年近く続いたね、
いわゆる西洋キリスト教徒の
文化や思想というのがあるんで、
39:00
それはそれで一個も
すごい基盤ではあるんだけれども、
そこから500年さらに前に
遡ってみると、
全然ね、
当然さっきも言った通り
イエスとキリストは生まれてないんで、
さっきの前回が言ったように
生まれてないんで、
やっぱり全く違う文化とか思想が
やっぱり存在していたし、
やっぱり多神教的で
いろんな街が発展する中で
民主的なものが
政治というものにおいて
やっぱりタイミングを見て
一番役立つ真理を語るというか、
そういうことが
実際に自分の
ある社会的な地位とか名誉とか
そういうふうなことに直結した
という世界において
こういうプロトコラスターみたいな人が
生まれてとか、
フィストという人たちが活躍して
まさにその時代を風靡していた
というのは、
すごいわかるというか、
それは当然だよって
そこそこ2500年ぐらい
前の話をしているにしては
時代の進み方だったりとか
時代の幅か
割と今っぽいというか
今回ソフィストにしても
例えばソクラテスみたいな
ペラトンみたいな
哲学者が出てくるまで
連綿と2、300年やってたんだ
じゃなくて
ソクラテスみたいな
ペラトンみたいな
哲学者が出てくるまで
連綿と2、300年やってたんだ
じゃなくて
もう同じ20歳年上の
プロトコラスターが
ソフィストという職業を
始めましたみたいな
その中で
もう20年後に
同世代ある意味
ネクストジェネレーションか
次の世代のソクラテスが
ある意味論破するというか
ソフィストたちは違うよね
みたいな話をし始めて
ペラトンにつながるみたいな
なんかもうそれが
一世代間
100年というか
数十年の中行われている感じ
っていうのをまた
それもこれまでの
時間の間隔と違って
面白いなと思う
そうだよね
仏教の方でいくと
仏陀の死から300年後
みたいな話すぐなるじゃない
そうそう
やっぱりそうじゃない
出来過ぎというか
やっぱり後世の人が解釈してるから
っていうのもあるのか
お話にしては出来過ぎじゃん
ソフィストが出てさ
それを総体がする
ソクラテスが出て
プラトンが哲学を立てて
そこから何千年とつながる
哲学の一種を作りましたとかって
なんかもう
おとぎ話にしても
出来過ぎてるみたいな話なんだけど
どうなの?
ちゃんと残ってると
そういう感じがあるかもしれないよね
人世代あと20年後の人が
いやいやなんとかさんと
42:01
実はこうなんですよ
っていう話をしながら
それを2点3点
1周2周しながら
例えば300年後は
それが10周した後で
後から見ると
仏陀から1周しかしてないように見えるんだけど
大きな1周しかしてないように見えるんだけど
実は1周してたみたいな
そういうのかもしれないですね
あるあると思うけど
仏教の話をしたいので
少し余談的に話すと
やっぱり面白いのは
仏教はあくまでも宗教で
仏陀が亡くなった後に
1回返産されちゃってるんですよね
仏陀が話したことを
お偉いさんが何百人も集まって
第南海血獣みたいなやつ
そうそうそうそう
それで要は
これをある種
創造しましょうっていう
出来ちゃったから
そこからはどうしても逃れにくいんだよね
もちろん禅みたいに
逃れてもあるんだけど
でもプロトンの哲学は
そもそも弟子のアリストテレスが
ある種めちゃめちゃ批判を
加えてるっていうぐらいのものだし
そういう風にある種
これがある種
聖典だみたいな
バイブルだみたいな
ないわけよ
仏陀みたいな
感じなのか哲学はね
逆に言うと
あれもバイブルこれもバイブル
みたいなものもあるんだけど
だからこそやっぱり哲学は
独自の発展をしていったというか
やっぱりその
その枠をどんどん
更新し続けてこられた
っていうところもあるんじゃないかな
っていうのも思うんだよね
それは面白い
確かにイデアみたいなものを
プロトンが想定して
それはそれで批判されちゃう
っていうのは
それはそれでその
独自的な営みだね確かに
そうなんだよね
やっぱりその面白さというか
なんだろうな
どういう風に思想が発展してきたから
今どんな痛みになっているのか
仏教にせよ
哲学にせよ
他の宗教とか思想にせよ
そうだと思うんだけど
っていうのはね
すごい今改めて2500年前のね
このソフィストっていうことを
学んだからこそ
見えてきた観点というか
やっぱりすごい面白い
人の痛みなんだな
っていうのを感じるんだよね
なるほど
そういう意味では
ソフィスト的な振る舞いだとすると
さっき早藤
さっきか前回か
初詩100か中国の
と比べてくれたけれども
そういう人はもう
自然派生的にいるんだろうね
たぶんね
そういう現場で
何かしかで生きていく人
食っていく人みたいな
問題が起きて
やっぱり中国は当時って
国が分かれて
戦争した時代だけれども
ギリシャはギリシャで
45:00
向こう側にはスパルタがいて
スパルタとめちゃめちゃ
戦争してるみたいな
そういう時代なんですよね
だからやっぱり
いわゆるアテネって
街をどうするかとか
スパルタにどう勝つかとか
そういうことを考えるとすると
こういう人たちが出てくるんだろうな
というのが本当に
歴史的な流れとしてあるんだな
ってやっぱ思うよね
なるほど
そんな感じで今回
ソフィストなんかでは
プロタゴラスさんという人を
取り上げたんですけれども
自分自身もそうだし
皆さんもそうだと思うんですけど
全然知らないからこそ
こんなこと言ってたんだとか
わからんなとかっていう風に
結構納得できる部分とか
刺激になる部分も
あったんじゃないかなって
思うんですよね
どうしても確かに
この哲学
ソレテツラジオ自体が
哲学を扱うものだから
例えばプラトンがいた
イデアみたいなものが
ある意味どっちかというと
ありがたがってというか
すごいことである感じで
あれもすごいこれもすごいね
プラトンを一部批判した
アニストテレスがいて
アニストテレスやっぱすごいね
っていうのを多分
いろんな人でやってきてる
意味では
哲学に対してすごいね
っていうスタンスで
聞けるんだけれども
こういう
ある意味現場主義というか
ソフィスト的な営みによって
あれ哲学ってなんだっけ
みたいな部分が
少し今回多分
プラグマティスムを
どっちかというと
哲学として扱ってたから
なんだその
哲学の対抗勢力じゃないけれども
次元の違うというか
立場違う上の
営みってあったよね
みたいなものが
ちょっと薄いというかね
もちろんそっち目線から
哲学にツッコミを入れてる
つもりではあるんだけど
今回ソフィスト側から
プラトンのダークヒーロー感
というか
悪役にかけて
ちょっとね
そこまでしっかり
ハヤト側の話から
それを感じることって
多分なかった気がして
そこがすごい新鮮だったね
ありがとうございます
そうですね
やっぱりそこに
やっぱり今回プロトガラスの思想自体も
結構僕自身面白いなと思ったし
そういう対立の話もそうだし
人間
というもの何か
ということを踏まえることで
人間は万物の尺度がある
という有名な言葉も
解釈がより深まるというか
確かに
悪い相対処理でしょ
みたいなので
必死にできない深みがあったね
そうなんだよね
やっぱりね
そういうことを考えること自体が
すごく楽しいなって
僕自身も思っているので
次回ですね
プロトガラスさんは
いったんこんな感じにして
次回ゴルギアスさんって
別の人
48:01
この人を取り上げたいな
と思っておりますよ
この人も
有名なソフィストで
しかも著作の前編が
複数残っているという
結構器用な人なんですよ
だから有名なのかな
それもあると思う
両方あると思う
有名だから残っている
という話もあるし
残っているからというのもあるんだけど
だからこそ思想も
ある程度しっかり残っているので
この人を2回分ぐらい
ちょっと見て
ソフィストを買い
買いにしたいなと
思っています
実際に
ソフィストの名前
いろいろ出ていて
先ほどされた
ソフィスト烈焉という
本があるんですけど
それで僕も
全然知らない人がいて
リュコフロンとか
トラッシュマコスとか
全然知らない人も
出ているんですよ
しかも面白いのが
ソフィストだから
基本同じような
年代の人なんだよね
そうそう同じような
年代の人
もう一回
本の名前と
作者教えてくれる
どれでしたっけ
ソフィスト烈焉
っていう
ジュルベールさん
という人が書いて
文庫
クセジュ
クセジュっていう
出版社かな
あるんだけど
そこの本ですね
ごめん
出版社白水社でした
ごめんなさい
失礼しました
初心百家の例も
出してくれたんだけど
たまに
名前出してる
宮城谷正光さんが
書いてる
同じような本があって
時代ごとなんだけど
例えば春秋
名神烈伝
なるほどね
春秋戦国時代の
春秋時代の
名神だから
初心百家的な
人を集めた烈伝
だったりとか
面白そう
春秋名君烈伝
面白いよね
それの祖観とか
いろんな時代のやつが
あるんだけど
烈伝物って
親しみやすいし
読み物として面白いな
ってイメージがあって
面白いよね
異人録みたいな
面白いよね
いろんな異人の話が
載ってるやつ
読み物として
あんま深く
一人一冊とか
結構重いんだけど
何十ページずつ
みたいな感じだと
すごいカジュアルに
楽しめて
いいなと思って
ソビスト烈伝
めっちゃ読んでみたい
読んでみても
いいと思う
短いです
ただ中身は結構
難しいんで
ちょっと頑張って
読んでください
って感じあるんだけど
あんま期待しないように
カジュアルされて
眺める分には
面白いと思う
こんな人いたんだ
とか
今日の話も
かなり
プロトコラーサーに
関しては
このソビスト烈伝から
取ってきてるので
そういった意味でも
読んでいただけると
面白いかなって
思います
次回は
ゴルディアス
聞いたことないんで
どんな感じなのか
がぜんちょっと
興味できたんで
よかったです
ぜひ
51:00
ソビストの
知られざる世界
知らざるというか
知らねえよ
知ることねえよ
って話なんですけど
そういった
知られざる世界を
また皆さんと
楽しんでいきたい
と思います
という感じですね
はい
次回も
引き続き
楽しんでいきたいと思います
引き続き
よろしく
お願いします
ありがとうございました
ありがとうございました
よろしくお願いします
お願いします
今回も
ありがとうございました