00:00
♪~
はい、ソレ鉄ラジオ、今日もよろしくお願いします
よろしくお願いします
今回はデカールト会ですね
ついに始まった近代鉄楽会の
記念すべき初回ということで
最初のテーマということで
どうでしたか?
そうですね、結構台本まで密度濃く作ってしまったな
っていうところは実はあったんですけど
でもなんか話してる兄貴の反応とか見てると
結構楽しんでくれたのかなと思って
それはちょっとね
自分の中でもホッとしてる感じがしておりますが
どうだった?楽しんでくれてたかな?
うん、そうはね
そのやっぱり近代鉄楽デカールトってね
我をも言うに我ありって言葉しか
ほんと知らない段階からまた
ゼロからいろいろ教えてもらったんだけれども
やっぱりその最初教えてもらった
古代西洋鉄楽とかブッダは
無駄じゃなかったんだなぁとも思ったし
あ、なるほどね
やっぱそれを聞いてたから
なんか繋がったところとか
見えたところもあったって感じなのかな
そうはね、やっぱその時代とかが違うと
あ、こんだけ違うな
あの本編でも話した
やっぱ同じような天才がいたとしても
生まれる場所と時代が違えば
その時の外部的な
例えば資質とか同じだったとしても
外部的な条件が違うだけで
こんなにこうアートプットは違うのか
みたいなね
個人的にはちょっとあまり
あまりにも広すぎるかもしれないけど
個人的にはそういう面白さだったりとか
あとは具体的なところで言うと
それこそ我をも言うに我ありって
こういう時代にこういう人が
こんな感じで考えたんだなぁとかね
それこそ数学とかいろいろやってた人が
そうだね
ガチガチで哲学ばっかやってた人じゃなかったとかね
これは多分良くも悪くもなのかもしれないけれども
生活に密着したというか
時代にちゃんとそこした哲学ってものを生み出した人
だからこそこうやってね
近代哲学の父って呼ばれるぐらいの
人なのかなーっていうのをね
なんとなく感じられたというか
感じさせてもらった
感じがした
分かったありがとうございます
今ね兄貴が言ってくれた
この時代にとかっていうのは
知りたい方はぜひ第1回第2回聞いていただいて
そしたら分かっていただけるかなという感じで
ちゃんと話しておりますので
お願いしますというところなんだけど
それ本当嬉しくてやっぱ
僕もちょっと古代の方とかは
結構好きでいろいろやってたんだけれども
実は近代のデカルトあたりとか
次やろうと思っているカントとかヘイゲルあたりって
実はめちゃめちゃやったわけじゃなくて
意外と自分も知らないことがあるなーっていうのを
今回台本また作りながらというか
また勉強し直しながら思ってたので
それをねちょっとどこまでされるかなっていうのはあったんですけど
でもちょっと手応えがあったので
次回も頑張っていこうかなというふうに
改めて思っているところなんですけど
なるほどね
03:00
結構あれなのかな
あまりにも昔スイートがちょっと古典
近代哲学でいうと古典すぎて
ちょっと飛ばしちゃおうかなって
なりがちな場所なのかな
分かんないけど
その人の課題設定によると思うんだけどさ
そうだね
それと長い間前もおっしゃってたけど
僕としてはなぜ自分の人生はこんなに生きづらいのかとか
どうやったらもっと楽に生きられるのかみたいなことが
根源的な哲学を学ぶモチベーションとしてあるんだけど
実は近代哲学ってそこの問いにはあんま答えてくれないんだよね
もうちょっと言うとやっぱり
キリスト教やかに宗教がある種続いていた時代から
やっぱりいかに人間が合理的に考えられるかとか
人間のある種
神じゃない物語の中でどう生きるかっていうことは
結構大事な時代だったし
あと結構これは研究者も言ってるんだけど
当時の考えを今の400年とか超えた僕らが
そのまま生かせるかっていうと
やっぱりちょっとそうではない部分もあるのね
デカルトン思想に沿ったら
2020年シンプルに生きられますかっていうと
そうではなかったりする
だから直接役に立つみたいな観点で言うと
ちょっと飛ばしちゃったんだけど
なるほど
むしろソクラテスとかプラトン
アイリス・トレースみたいな人とかブッダとかの方が
生活に密着するというか
生き方みたいなところに近かった部分もあって
そんぐらい逆に離れてた方だったりとか
もしくは直接役立たせようとするのであれば
詳しくないからあんまりあれやけど
例えばもうちょっと産業革命前後ぐらいの
人たち自由論とか幸福論が
いろんな幸福論があると思うけど
それこそめちゃくちゃ幸せに生きるみたいな話があって
タイトルが直接的すぎるけどね
それの方が使えるのかなって部分はあるのかもしれないね
そのちょうど狭間みたいな
この近代デカルトアタギって
そうねでももちろんラッセルとかの幸福論とかも読んだし
いくつかの幸福論って3つぐらい有名なやつあるんだけど
意外とそれもやっぱり個人の主張じゃんみたいに
思っちゃう部分もあったりして
普遍的なとか根源的なっていうのを
やっぱり読もうと思うと
やっぱりこういう哲学にやっぱり取り付くなって
改めて思ったし
やっぱりだからそういう意味ではデカルトを改めて読んで
神の存在証明の話とかさ
別にそのままそれを使って
何かを生活で生かすことはないけれども
でもやっぱり物事の考え方とか
何か自分がちゃんと何かを証明しようと思った時に
デカルトは神ぐらいすごいものを証明しようとしたんだから
別に自分がやろうとしている幸福とは何かとか
どうやったらいけられるかぐらいのことは
なんか頑張ったらいけんじゃないみたいな
06:00
なんかよくわからないポジティブさをもらうみたいなところがあって
はいはい
それは面白いね
なるほど
そうかさっきほら
自分のそういう例えば問い
悩みみたいなものに生かす手段としての哲学とかさ
結構あると思う
あと思想ってすごくあると思うんだけれども
でさっきほら自由論がとか幸福論がみたいな話とか
あとは逆に古代の聖御哲学とか仏教みたいな
ものの方が今に役立たせやすいよねみたいな話をちょっとしたけど
それもやっぱちょっと危険というか
それを今回のデカルトでいうと
そういった姿勢
自分の今の悩みに効く
直接的に作用するというか
解決してくれそうな哲学とか思想を探すっていうのは
もちろんいいことだと思うんだけれども
ある意味やっぱちょっと危険というか
短絡的というか
まあそうだね
なんか感じが今の話からしたね
逆に全く関係ないと思われてたデカルトみたいな人の
神の証明を見ることで
その物事について答えを持っていくって
こういうところなんだっていう
ある意味根本的なところに気づくっていうところが
なんか哲学の面白さなのかなと
個人的にはこうなんか期待をしているというか
はいはいはい
だから今のなんかハエトの辿った道筋って
ある意味の経路依存性というかさ
いきなりデカルトやれって言われて
辿り着ける部分じゃないかと思わないから
そこはねまた面白さでも難しさでもあると思うんだけど
そういうのをだいぶこじらせたなって
自分でも思うし
だからこそ10年もかけてやっちゃったんだけど
迷いながらね
やっぱり最初はわかりやすい答えとか
幸せとはこうであるって言い切ってくれたら
そんな人がいたらいいなと思ったんだけどとか
実際そうやってる人もいるけど
それを本当にねそこから信じて
生きていければって言って生きていけないなと思ったし
逆にそれやってしまうと兄貴が言ってくれた通りとか
最近で言うとね
日本だとカルトみたいな話もやっぱ広がってるけど
そういうねある種飛びついてしまうと
本当のところじゃない部分でやっぱり
縋ってしまったりとか
そこから逃れられなくなっちゃうってことはあるだろうから
やっぱりちゃんとね
自分の二本足で立って生きていく上では
その根底の部分だったりとか
原理原則みたいなところ
押さえてる方が強いんじゃないかな
っていうのは感じるかな
まあ確かになさっきすごく偉そうにね
話したけど難しいよね
自分もなんか経営とかビジネス興味ある時に
一番最初何読んだかって言われたら
金融の仕方とかさ
誰でもできる金融の仕方とか
誰でも1億円とかさ
あるよね
あるよね
30分で読むとかさ
週末30分で100万円とかってやっぱ読んじゃうじゃん
09:04
なんか
そういうのから読み始めちゃってるから
やっぱり
同じだよ同じ
でもさ
読んだ時にあんたは思うわけじゃん
これ別になんか
再現性ないなとかさ
別にやっても本当かみたいなこと
まあお互い思ったりするわけじゃん
そうだね
そういうのはめちゃくちゃやっぱりあるよね
ってなるとね
やっぱりじゃあ本当はなんだろうとか
じゃあ現在では何が役立つんだろうとかって
特に経営とかだとね
もっともっと環境に依存するから
その場その場で何が最適かって
やっぱ自分で考えなきゃいけないとか
でも全部全部自分で考えるのは大変だから
その原理原則としても
それこそ経営学とか経済学ってのが大事みたいなところっていうのはね
多分兄貴の中にもあるだろうし
まあそうです
そういうのもなんとかちょっと
そうだね
こういう哲学とかの学びながら
そういうのも作っていけたらなみたいなね
感じだし
もちろんね
その思想とか生き方みたいなものと
またねスピード感だったりとか
その課題を解決するとか
どうしてもその資本主義の上に乗ってて
お金を稼ぐみたいなね
どうしてもこう具体的な
そのなんだろうな
場所だから
またね違うんだろうけど
だからこそ
だからこそその多様性みたいなね
あのその経営的な思想哲学と
こういう本当のその生き方みたいな思想哲学みたいなもの
いろんなやっぱりそういうものを組み合わせて
そういうとして持っておくっていうのは
なんか大事なのかなとは思うね
そうですね
みたいな話をした上で
ちょっと全部ひっくり返す話をするんですけど
僕は哲学好きだし
考えることとかももちろん好きなんだけど
ちょうどね
最近出た本今読んでてめっちゃ面白いなと思っている本があって
『心はこうして作られる』っていう本なんですよ
ニック・ジェイサーさんって僕も知らなかったんだけど
教授の人がイギリスかな?の教授の人が書いていて
現代画『The Mind is Flat』って
要は心は平坦である
もっと言うと別に深さとかないよみたいな話を書いてる本で
これなんで読もうと思ったかっていうと
Amazonの書評っていうか
どんな本ですよって紹介してとかを見た時に
一番最初に書いてるのが
あなたが思ってると思っていることは全部でっち上げだった
無意識の思考などというのは神話に過ぎなかったのだって書いてたのね
無意識ってフロイトが発見したと言われている心理学の
創者というか重要なフロイトが発見して
人間っていうのは意識に出てるのは本当に数パーセントで
無意識的なものが支配してるんだみたいなのって
なんとなく僕らもあるじゃない?
そういうもののかなとか確かに無意識に突き起こされて
いろんなことをやったりしてるなみたいな
うんうんうんうん
それは全部物語で嘘っぱちですって言ってるんだねこの本
12:04
へーはいはいはい
かなりチャレンジングな本なんだね
そうそう
でもねちょっとなんか
うさんくさいのかなと思って教授の
ニックチェイターさんのことを調べたら
ちゃんとした教授というか大学の人で
全然論文とかもちゃんと出してる人だったんで
面白そうと思って読んでたんだけど
確かに1950年代ぐらいからの
人工知能の研究とかのいろんな結果とかをもとに
人間って要は物事をそんなにちゃんと正しく理解できてないし
把握できてないし
考えるって言っても全部表面でやってることだよね
みたいなことを話していくのね
深層心理とかじゃなくて表面的だよねみたいな
深層心理もないし
何か深いところの思考を探っているとかもないし
内省とかもないみたいなことを
まんままんま言っていくの
まだ別にそこに完全賛成してるわけでもないんだけど
確かに言われてみれば
例えば僕らはデカルトの話とかね
スガテスがいろいろやってきて
人間っていうのはものすごく深く考えて
かつ深く考えると心理にたどり着ける
みたいなことってあるんだけど考え方として
でもこれは実は嘘なんだよね
さっきのデカルトの思考プロセスみたいなのも嘘ですよみたいな
嘘 前提として正しく理性を使っていくと
人間は心理を発見できるかたどり着けるみたいな
の哲学の流れなんだけど
でもそんな心理なんてないっていうことは
実はその後の哲学が割と証明してるんだよね
はあはいはい
証明とか論章か
別に科学的になんかやってるわけじゃないから
てかそもそも心理って何とか
心理って人間がたどり着けるものなのみたいなのは
現代でも心理の感
心理観とか
心理 心じゃなくて誠の方ね
の学みたいなものは今でも全然あったりして
てかもうだいぶ決着がついていて
あ〜そうなんだ
みたいな話もある中で
こういう心ってのはフラットだ
平坦で奥深さなんてないっていう本を
読んだ時にはめちゃくちゃ面白いなと思って
だからこの人は哲学とか無駄じゃんって
言ってるの本の中で
あ〜そうなの
それとって学問的には何の人?心理学とか
この人はね
心理学とか認知心理学とか
たぶん構造経済学はちょっと違うか
でも認知心理学かな
う〜んあ〜そうなの
そっか哲学と心理学も違いもね
なんかよくわかんないけど
そうだよね
実は哲学から一緒派生してるものってか
もともとは全部哲学だみたいなのが
一応哲学者のいう学問だから
15:00
あ〜そっか
哲学から心理学が出たり
哲学から数学が出たり
哲学から心理学が出たり
社会学が出たりっていう風にしてるんだけど
あ〜そっかそっか
面白いのは
このニックチェイターさんっていう著者が
言ってて面白いなと思ったのは
人間っていうのはやっぱり直感的に
基本は生きてて直感に沿うものを
正しいと思う癖があると
例えば自分っていうのは
色付きの世界っていうのをめちゃめちゃ見ていて
この世はカラフルであるっていう風に
思うじゃない普通に考えると
別に僕らっていうのは
可視光の限られた範囲の色しか見れなくて
紫外線とか赤外線っていうのは
感知できないし
そもそも光を感知できる
細胞っていうのは
目の中心の一部にしかなかったのか
生物とかでもしかしてやったかもしれないけど
神経学的にとか生物学的に
色を感知する細胞っていうのは
めちゃくちゃ少ない
そうなんだ知らないけど
そうなんだね
みたいな話がこの本にも書かれたりしてて
だから別に
人間はものすごくカラフルに
ありのままの世界を見ているみたいな直感と
そもそも色を感知できるとか
感知できる光の幅がめちゃくちゃ狭いみたいな
物理学的な事実っていうのは
ちょっと直感に反してるんだよね
確かに
でも本当は正しいのは
要は狭い色の範囲しか見れないよってことの方が
物理的には正しいから
っていうだけでも
人間っていうのは直感と
事実って反してるよねみたいなことが
例えば言えたりすると
面白いね
そっか自然科学的に
その真偽は
人間が捉えているその
真偽的なものと
本当の真偽
まあそれを科学的な真偽かな
真偽って誠の方が正しいってことですね
そうね
イデア的な話で
もしかしたら存在そのものみたいな意味で
これも絶対的なって言うとおかしくなるから
人間が感知できる
真偽存在みたいなものと
科学的に認知できる
もののズレってものが
それを人間が認識できるようになってきたってことはね
そうねそのズレがあるってことが
どんどん分かってきてるって感じかな
でも面白いなと思っているのは
だから科学的に
とか認知科学的に
人間の心はフラットである
とか奥深さがないっていうのも言えるし
でも彼は奥深くはないんだけど
即興で物語を作り続ける機械だ
脳とか人間の心ってのは
そういうものだって話をするんだけど
それができるってことは
奥深さがあるってこととは別に
人間の思考の豊かさだったりとか
可能性ってのがあるよねみたいなことを話していて
だから人間が考えるとはとか
18:03
世界を理解するとは
何かみたいなことを考えるってこと自体は
そこから僕の解釈として
意味があることだなと思うし
何か奥深いところまで行ったら
真理にたどり着けるんじゃないかって思ってしまう
その人間の考え方自体を考えていくっていうことが
全然やる意味があるなっていうふうに
今は思ってるのね
だからともすると
哲学ラジオ終了かって
ちょっと途中まで思ってたんだけど
哲学意味ない確かにみたいな
別に意味がないことはないかなっていう
確かにそうはね
今のでいうとその通りだよね
人間が光を理解するのと
人間が物事の存在を理解しようとしてることって
さっきそこで対比してくれたけど
そこは逆に対比できるっていうことは
っていうことは
多分ちょっと本読んでないけれども
その本的な意味で物語を作る
ストーリーを創造していくって意味での哲学っていうのは
多分人間は既にやっていて
それが多分哲学っていうふうに規定されている
っていうだけとも言えるもんね
別にだから哲学はいらないとか
思考とか思想は無意味だ
とはそのままならない気は確かにするよね
そうだね
だからその哲学として正しくないみたいな話は多分あるし
だからこそ前回も言った通り
デカルトが考えたことって
現代にそのまま適用できないよねっていうのは
多分正しいんだけど
そっか私
確かにその分かんないけど
その本的な主張からすると
さっきの人々が哲学と呼んで勉強しているとか
こうやって作っているその物
思想っていうものを
ちゃんと人間が理解している色ぐらいの感じで
客観的に理解しましょうねっていうふうな主張とも捉えられるか
それが絶対だと
それが真理だと思わないでねっていう意味では
そうだね真理だと思わないで欲しいだし
分かりやすい物には
危険が伴うよっていうメッセージでもあるって感じかな
それ分かりやすいっていうふうに
分かりやすいっていうのは直感的に
要は例えばデカルトの話をした通り
自分はこう感じたから
それ正しいんだみたいなこととか
どうやっても
この世界はカラフルにしか見えないから
世界には色があるんだって思うのは間違ってるんだよね
世界に色はないから
そこをちゃんと踏まえた上で
哲学がいらないならやろうと
逆に本の主張からすると
だから哲学がいらないよっていうふうに表現したみたいな話ね
そうだね
その中ではそうだし
僕としてはだからこそ哲学とかやることで
逆にそういう人間の思い込みとか
普通に考えたらこうなっちゃうよねっていうことを
ちゃんと理解できるかなとは思ってるかな
そうだね確かに
逆に言うとさっきの
例えば思考は無駄だとか哲学無駄だってなった時に
21:02
その本では人間はどういうふうに直感的に物事を捉えて
判断してみたいな話もあったのかな
例えば複雑な物事があった時に
どう判断して物事をアドプトしていくのかみたいな
それも結局その瞬間瞬間の物語だっていうふうに言っていて
複雑なことを緻密に言っているように見せかけて
実は矛盾があるみたいなことって普通にあるよねとか
例えばそれを彼は小説の話で例えているんだけど
どんなに緻密に世界観を作った小説とかを話したとしても
それは実はスカスカであるみたいな
例えば最近出た漫画だとなんだ?
ワンピースでいいやワンピースで
モンキーディ・ルフィっていう人があんだけ生き生きとして
仲間と泣いたり笑ったり戦ったりしているんだけれども
モンキーディ・ルフィの誕生日って知らんなとか
あるかもしれないけどね
幼少期どんな風に生きててとか
もう書かれているエピソードしかないわけじゃん
普通の人間とか現実にはある
1日1秒1秒生きるっていうものが
当然物語にはないんだけど
人間の思考は結構それと一緒で
どんなに緻密に考えていると思っても
それはスカスカの穴だらけで
時々生まれた物語とそんなに変わらないよ
っていうことをこの人は言ってるんだよね
なるほどそっかそっか
面白いね
それこそ1億人いれば1億人の編集があるよみたいな話はね
事実みたいなものがあった時に
その捉えている瞬間にもうすでに編集された情報であるし
それをアウトプットする時には
さらに自分の中でのフィルターを通して
編集された情報をアウトプットしているしみたいな
そうそうそうそう
意味で絶対的なものって流通しえないじゃんみたいな
いくら物事を思考積み重ねたとしても
それは単に自分の編集というものと
切ったハッタしているだけで
本来的な物事の存在だったりとか
実存みたいなものへの影響というのは
お互いに無意味であって
だからこそそれは虚構なんだよと
君たちがインプットしてアウトプットしていることは
意味がなくてみたいな
そうだね
そこまでは言ってないというか
その手前なんだよね
カニカ言ってくれた通り
ココロっていうのはまさに
彼も即興演奏の手癖みたいなもんだみたいなことを
言っていて
へー面白いね
ジャズとかもその場でワーって即興でやると
その人はやっぱり指使いとか
好きなリズムとかが出てくると思うんだけど
そんな感じでココロっていうのも
インターフェースとして外界と接するときに
こういう自動でぐるぐる即興演奏するようなもんだ
みたいなことを言ってはいるんだけど
だからといって演奏が下手だとか
24:02
無意味だとか人を感動させないかというと
そんなことはないじゃない
ジャズの演奏がね
っていうのと一緒で
だから即興で出たものとしても
だからそれが無意味だとか
意味が必要がないとか
価値がないというのじゃなくて
むしろそうやって作り出されたものにこそ
価値があるとか
それが世界を作っている
それは当然その歴史とかその人が生きてきた時代とか
連綿と連なっているものに
当然乗っかった即興だから
要はそのジャズの奏者が
いろんな演奏をして
ちゃんと基礎を積んだからこそ
即興でちゃんと演奏できると一緒だよね
みたいなことを言っているかな
そうなんだね
個人的には鉄の句っていうものを
フラットにというか
最初言ったテクニックとして利用しないスタンスで
物事の考え方とか言葉の操り方みたいな意味での
鉄の句っていうものをちゃんと勉強するとすると
それがさっきのジャズでいう
その基礎練とか
いろんな音楽に触れてくるとか
いろんな舞台経験を踏むみたいな
それがそういう風に通じるのかなと
個人的には思っちゃうけど
その著者的にはそういうものは
人間にはある程度備わっているよ
っていう感じなのかな
直感っていう表現
それで言うと
蓄積されたまま出てくる
みたいなものとか
過去の積み重ねっていうのが
その場で表現されるっていうのはOKなんだけど
その瞬間に深いものがあって
そこから何かを探り当てているみたいなのがないよね
というような感じかな
なるほど
それは
そっかそっかそっか
それはすごく理解できる気がする
さっきのジャズの例えで言うと
大したいろんな音楽も聴いてないし
大した練習もしてないのに
手癖も何もないやろみたいな話ね
そういう人が一生懸命フレーズを考えようとかしても
無意味だから
そうまさに
近づけがない人が
今の俺のジャズの才能を変えかせて
この瞬間に即興演奏するとかっていうのはない
なるほど
頭で一家知らないよみたいな
ところに近いのかな
そういうメッセージも含まれてはいるかな
もっと言うと
でも人間ってさ
ジャズだったらわかりやすいけど
人間性とか自分らしさとかだと
自分の中にあるって思っちゃうじゃん
思っちゃうと思う
兄貴がさ
今自分らしさっていうのを自分の中に見つけてとか
なんか探そうとしちゃうじゃない?
多分普通に考えると
でもそれも結局
自分の中の深いところってあるわけじゃなくて
過去の積み重ねとかだから
結局それ自分らしく生きようっていう風に
生き続けてないとそんなものは存在しないし
27:03
例えばね
なるほどそうか
そういう風に考えると全部言葉遊びになっちゃう
頭で勝ちどころか言葉遊びになっちゃうみたいな
話かな
言葉との連携とか連動が結構重視してて
この著者がまさに今年そういう言葉についての本も出すらしいんだけど
アメリカの方で
早く翻訳されないかなって思ってるんだけど
やっぱりね物事を認識するとか考えるとか
思っているとか認知するとかって
やっぱり僕らが普通に思っていることとは結構違うし
っていうのがまさにこの本でも書いてあるんだけど
実は次のカントも
実はそういうことを問題にしてるんですよ
そうなんだ
物事を捉えるとはどういうことかとか
もっと言うと経験というものによらずに
世の中を理解するのはどうしたらできるのかみたいなことを
考えたりするのね
なぜかっていうと
ちょっと次の話の説明に入っちゃうんだけど
要は経験
人間ってさっき言った通り経験とか積み重ねから
考えたりいろんなことを表現したりするんだけど
哲学的に考えて経験からしか
人は考えられないって思っちゃうと
やっぱりそれこそ人それぞれとか
生まれた場所時代とか環境によって
全然考えることがバラバラになっちゃうじゃん
でもデカイトの我を思うゆえに我々と同じような感じで
そういう経験とかを取っ払っても
同じようにたどり着ける地平ってないのかなとか
物事を経験とかによらずに考える方法ってないのかな
みたいなことを考えたりするのがカントなのね
それができると
誰もが同じように物事を考えたりとか
同じ物事に合意したりとかできる可能性が出てくるじゃない
はいはいはい
面白いなー
すごくあれだね
やっぱまだ全然わからない
近代もデカイトしか聞いてないんだけれども
やっぱり時代的にも
もうこういう
例えばデカイトとかカントとかもだと思うんだけど
どういう時代に
その人たちがどういう課題意識を持って
ある意味その哲学も多分
何らかの具体的な問いを作っていくっていう部分はあると思うんだけれども
その問いを作らなければならない
課題感とか解決すべき問題だったりとかってものが
やっぱりなんかその
得体の知れないというとあれだけど
2500年前のソクラテスとかプラトンとかの時代よりは
やっぱり具体的に記憶が残っているときに
結構その哲学自体が
30:00
ちょっとこう
なんだろうな
テクニックじゃないけど
ソリューション的なじゃないけど
やっぱりそういう雰囲気を帯びているのかもなって
今の話を聞いてちょっと思ったのと
だとするとさっき今日
話してくれた本を読んだ
その哲学って無意味じゃんとか
無意識かの思想は無意味だみたいな
でも出てくるのっていうのは
ちょっとその分かる気もしてきたというか
これもこの話をした上で
例えとしたら不適切だと思うんだけど
ソクラテスの時代にソクラテスがさ
いろんなソフィストは
なんか機弁家だみたいなさ
ちょっと意味ないことを話しているとか
あまりにもテクニックすぎるとか
人をただただ打ちまかすだけの話とかさ
人納得させるためには
技術的な話しかしてないみたいな
問題意識を定義したというか
そういう意味での問答法みたいなのを
実践していたと思うんだけど
もしかするとなんか
全然分かんない
今の哲学とか近代哲学は
どういう立ち位置なのか分からないんだけども
今日ハエトが紹介してくれた本の著者的には
今の哲学とか今の時代というものを
そういうふうに捉えているのかもなって
ちょっと技術的すぎないみたいな
一回ちょっとこう
もうちょっとゼロベースで
もうちょっと考えてみないみたいな
ことを提言した人の一人なのかなみたいな
そうね
でもそれは面白いし
その提言する彼のモチベーションというか
そういうのが面白いっていうのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
この人間の心が
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
そういうのが面白いというのは
33:00
そういうのが面白いというのは
ストーリー的な話だよね
さっき知性みたいな話をしたけれども
どこかにゴール地点を置く
自分でゴール地点を置くとか
自分で課題を設定するとか
自分で悩むとか
それってどういうことなんだろうね
それってどういうことなんだろうね
という問いって感じがしたね
面白いね
もっと言うと
深いところを探り当てたら
深いところを探り当てたら
人間が使えるっていう方向でやってる限り
絶対に人工知能とかできないから
そもそもアプローチ方向間違ってるよね
っていう提言でもあるし
そもそもそれっていうのは
僕らが
自分は深く考えたいとか
深く考えたら真理にたどり着ける
っていう存在でありたいっていう
そこまでは言ってないんだけど
本の中自体では
そういうものをある種欲望とか
科学者がそういう前提を持ってるから
研究って進まないとか
間違っちゃうよねみたいなことにも
繋がるし
考える前提として
そういう思い込みとか
常識とかがあると
間違った考えになっちゃう
っていうのもあるから
正しく考えるっていう意味では
すごく大事な話だなと思ってて
そういうね
めちゃくちゃレベルの高い話でも
そうだなと思ったし
そうだね確かにこれは
積み上げれば
何者かになれるのか
みたいなところと
すごく短い例で考えても
近い感じがする
さっきの大谷翔平の話はないけど
確かに
一生懸命走り込んだら
大谷翔平になれるかっていうと
多分なれなくて
本当になりたいとしてもね
もっと言うと
本当に大谷翔平になることが
あなたのゴールなんですかっていうと
あなたが野球で成功者になったら
別のやり方があるんじゃないか
とかってのもあるだろうし
野球じゃなきゃいけないんじゃないか
ってくると人生観とか
何が良いかっていう
全の話になってくるよね
真実
あなたが大谷翔平になれるかどうか
分からないしそういうものは多分なれないけど
それで人生終わりかって
別に終わらないよねっていうのが
多分人間だから
そうだねそれをさっきの
人工知能でいうと大谷翔平を
作ろうとしてるけど無理だったね
っていう話をしていて
大谷:そうそう
人間は多分そういう自分で
なりたいものっていうのを多分
課題っていうものを設定していく
そこを設定の仕方っていうものは
教えられるのかみたいなね
大谷:それを教えるために
教わるために必要な
マインドセットだったりとか
自分自身とか世界の理解の仕方って
何よみたいなことまでは多分言えるから
結構その辺りは僕は
今一番ホットなところかもしれない
どういう風に
自分とか世界っていうのを認知すると
適切な人生が
送れるのかみたいな
36:00
僕の中の
どうしたら幸せになれるのかっていう問いが
ちょっとそっちに変わってきてる
とかちょっと深まってきてる
変わってきてる感じは
自分の中では最近はしてるかな
はいはい
幸せに生きるとは何か
っていう風になってしまうと
多分誰かが決めた幸せだったりとか
さっきのお金を招待に行くみたいな
多分近い感じになっちゃうもんね
大谷:そうだね
お金を稼ぐとか
誰々みたいになるとかモデルみたいな
綺麗な体を手に入れるとか
なっちゃうと結局外部にある
基準に自分を合わせていく
終わらない
旅になっちゃうから
どこまで行っても
よりかっこいい人
強い人お金を持ってる人はいるわけで
じゃあね
イーロンマスクみたいな
世界長者万歳のトープ
あなた幸せかっていうと
別にそうでもないっていうのも
もちろんわかるわけじゃん
そういうと
今回のデカルトとかでいうと
それは自分でやっぱり
たどり着きたいところとかを見せたりとか
問いを見せたからこそ
この思考プロセスっていうものが
考えてきたというか
意味を成したっていう部分
デカルト的に引き付けて言うと
自分が一歩一歩足を踏みしめて
いけば自分の力だけで
絶対の真理と幸福に
たどり着けるかというと
そんなこともない
っていうのも一方では言えるから
人間っていうのは
それほど理路整然としたものでも
合理的なものではないし
自分だけで
いけないし
他の人を目指しても
絶対に幸せになれないっていう
その間の中で
どこに行きますかみたいな
のが現実的な
落とし所なんじゃないかなって
思ってるかな最近は
なるほどね
ジャルミはそういう風に
刺激を受けるような本だったんだよね
最初の
そうだね
やっぱり新しい見方というか
深く考えたら
どこかにたどり着けるみたいなことは
全然違うよって言ってくれた本なので
いい本に出会えたなって感じだったので
ちょっと紹介もしながら
結構はまりがちなところかもしれないね
そこは難しいかも
特に
自分で決めたわけじゃなくて
無意識的に
こういう風にしなきゃ
みたいなところに向かってる時って
それを勉強してとか
積み上げてる時って
結構盲目的になっちゃうというかね
そうそうそう
正当化しやすいじゃん
自分の内なる熱意で
これを頑張っているのだみたいな
そんなものないよって言ったら
その時々にね
ちゃんとリセットしたりとか
決めれるっていう良さももちろんあるから
っていうことは
デカルト
そんなもんじゃないけど
物事を考えるとか
39:00
正しくっていうのも難しいけど
適切にやっぱり理解するみたいなことって
すごく繋がってるな
っていうのは思ってましたね
何の話だっけ
色々な話が
広げちゃったけど
ぐるぐると同じ話を
していただきたいかもしれないけど
そうですよね
今後もカントとか
またトヨの優位識
いってまたちょっとその先も言うと
今度はヘイゲルとビトゲンシュタイン
やってその後またトヨの
禅に行こうと思ってるよね
その辺りの話は
またちょっとお用意してきたいとは思ってるんですけど
僕の中では結構ストーリーが
見えたところがあって
そうなんだ
世の中をどう見るかみたいな話と
言葉でどう表現するかとか
そもそも
言葉で表現できる世界って
どこみたいなのって実は
ビトゲンシュタインが結構考えたことであったり
前もちょっと言った
禅は実はそれを乗り換えようとして
言葉じゃないものを
体現しようとして色んな生活とか
諸作とかも含めて大事だよね
って言ってるようなものが禅宗だったりするから
というところまで行くと
なんとなく
人間が世界を理解するとはどうで
とかそれを言葉で表現するとはどうで
みたいなところもより一段二段
深まっていくと思うんで
そこまでは駆け抜けていきたいなと思っております
なるほどね
確かに今回近代哲学の最初しか
聞いてないからさっき
教えてもらった本とかも
そういうのをある程度
理解した上で
そういう本を読むともっと驚くとか
あったのかなと思うし
そうだね
哲学を否定されてもさ
哲学ちゃんとやってなかったら
別にそれがどういう意味を持つかとか
なんでそんなこと書いてるかとかって
分かんないじゃん
実際本の中のあと一文で
だから幻想学っていう
フスタールが始めた幻想学っていうのを
誤りであるぐらいしか書いてないんだけど
フスタール幻想学すごいと思って
勉強したりとか
手前とか後の人とか読んでたから
確かに
自分の起点にして
世界を構築するっていうのは
傲慢かもしれないな
みたいなことが分かったりするし
そういう意味では
やっててよかった
哲学っていう感じでした
はいはい
ちょっとそうだね
また近代哲学がどうなっていくのかって
まだ一人だから
一人だから
まだ父だけだから
もうちょっと何人か
いく中で近代哲学が何かとか
さっきねそれこそちょっと
具体的なソリューションっていうものが
あるんじゃないかみたいな
話ししちゃったんだけど
そこも多分色々聞く中で
個人的に
それぞれの具体的な
話もだし
時代とか流れとか
近代哲学自体の
意義じゃないけど
ポジションというか
立ち位置が
42:00
確かに
全体の立ち位置が分かってくると
確かにイメージついてくるかも
個人的には
一つ一つも好きだし
そういう大きな
構造とかも
好きだから
そういうところを次回以降
色んな人を見る中で
そうすると近代哲学の人の中での
違いだったりもだし
これまで聞いてきた
古代とか
東洋・仏陀とか
東洋でも最近の話とかもあるんだろうし
そういう中での色んな
ところを見ていくことで初めて
相対的に
ちゃんと理解できるのかな
って部分もあるかなと思うから
そういう意味でやっぱり
物事を学ぶっていうのは
一個だけだと
相対的になりえないから
そうだねそうだね
そういうところを勝手に楽しみにしてる感じかな
色々
ぜひぜひ
そういうところは僕やってきたところだなとは
自分なりにも言えるので
色んな人を学びながらも
どういう繋がりがあるのかっていう
もちろん学者とかに比べたら
全然素人の方ですけど
それでもこうやってお話させていただける
ぐらいにはあるかなと思うので
ぜひ近代編
次の関東も含めて
楽しんでいただけたらなという感じですが
結構ちょっと
今日もいっぱい喋ってしまったけど
まだ喋れることはいっぱいあるね
そうだし
あれだね
今回まだ話すのかよ
って感じだけど
締めるんじゃええの?
って感じだけど
確かに締めようと思った
やっぱり普段
教えてくれるデカイトとは
思想とか哲学の
話と
雑談会の違いみたいなものが
面白いなと思ってて
やっぱり雑談会で
こういったテーマについて
話すとか
学ぶとは何か
みたいなとかさ
だらだら話す雰囲気と
普段教えてもらってる話で
雰囲気が違うのもまた
面白いなとも思うし
雑談会のだらだらした感じって
その哲学ってものを
自分の場合はにわかに
聞いたことをただ
感想として話してるから
どうしてもだらだらとあれはいいね
これはねってなっちゃうんだけど
これはある意味楽しくも
あるのかなって
そうだね
やっぱりその余白の部分というか
自分なりに結びついたものは
あるじゃんデカイトの話を聞いて
とか近代哲学の話を聞いて
もしかしてこれと繋がるかなとか
こっちと近いかもって
繋がること自体が学びだし
楽しさに繋がってると思うから
そういうのをこうやって
雑談会で僕自身もだし
兄貴もわーって喋れるとやっぱ
もっと哲学が
短いなっていくというか
自分に身についてくるな
と思うし
45:00
そうだね私逆に
不毛だなとも思われかねない
というか思う部分もあるし
あとは
哲学って暇だなとか
無駄だなっていう
言われちゃうのはこういう面も
あるんだなってたぶんね
2時間も3時間も誰だと喋れちゃう
確かにね
これはねもっとアカデミックな
場面だともっと建設的な
その学問を前に進めるとか
批判をやるという部分は意味もあるんだろうし
あとはただただ
それ自身を楽しむみたいになっちゃうと
それを否定するわけじゃないけど
やっぱそういう楽しさ
が持つ危うさというかね
ゲームやってること変わらないというかさ
ある意味
そういう面白さも
感じ始められてていいなって
あとは危ないなと
どっちも思う
今後やろうとして
見遂げるしたいまさに哲学は言語ゲームである
みたいな言葉も残してたはず
っていうような感じで
哲学っていうのは
本当にいわゆる
ルールの中で話すだけで
あんまり広がりとか
生産せないよねみたいなことが
哲学の中から出てくるぐらいのことだったりもするから
それを乗り越えて
哲学っていうのは
人生に役立つかは知らんけど
でも有用だよっていうことは
僕は思ってるんで
そうだね
そこを抽出していく面白さも
あるだろうし
楽しさを伝えていきたい
はいはい
最後締まりかけたところで
この雑談会の
ルールさって何なんだろうなとか
これ延々とできちゃうみたいな
面白さと怖さをすごく感じて
はいはいはい
でもなんかね
あれだって
羨ましいって言ってくれる友達がいたよ
兄貴とこうやって喋ってて
喋る人が周りにいない
もしかしたら聞いてる人の中でも
フラストレーション溜まって
俺も喋りたいことあるのにみたいな
人もいるかもしれないし
これは哲学に限らずみたいな話かな
そうだね自分のやっぱり考えたこととか
好きなこと
喋りたい僕のラジオ始めてる
モチベーションもそれだけど
普段喋ることがないから
兄貴と定期的に
話せるっていうのはめちゃくちゃありがたい
と思ってるし
確かにそっかそっか
それはそっか今
不毛とか時間の無駄みたいな
話もしちゃったけれども
確かにもしそういう場所はない
とか
そういう時間
相手がいないとかって場合は
確かに
一回ちゃんとそうだね
そういう場ってのは
確かに儲けることって大事かも
そうだね
お?
それ哲ラジオ派という哲学カフェが
開催されるかもしれない
それあるの?
あるそう哲学カフェっていう
取り組みが最近
広がってきて
雑談と油断になっちゃうんだけど
48:00
結構それこそ興味ある人が
集まってそれこそ
哲学的な
人生とは見たことでもいいし
身近にあった出来事でもいいし
そういうのをフラットに話す場
みたいなのが最近結構増えてきて
取り組みとして
そういうのを
ラジオのリスナーさんとかでやったら
楽しいかもね
3人ぐらい僕と兄貴ともう1人ぐらいかもしれないけど
っていうのも
出来たら楽しいかもね
そういう
やりたいって言ってくれる人がいたらだけど
もしやりたい人がいたら
ぜひフォームとかから言っていただければ
もしかしたら実現するかもしれないので
ただただ好きなことを話してもらえましょう
みたいな
そうそう
それをやることによって
自分が話そうと思っても話さないんだと
兄貴も最初そうだったじゃん 言葉全然出てこないとか
言いたいことあるけど
ちょっと待ってみたいな
僕の頃ってそうだったじゃん
今もそうだけどね
近代哲也の人は分からなすぎて
追いつくのにめっちゃ時間かかるっていうのはあるんだけど
まあね
でも今だとこうかもあうかもって
やっぱり喋るっていう
それはそれでね 兄貴自身も
気づかないうちに訓練というか
なってる部分があると思うから
そういう場が
もし
やりたいとか楽しそうって思ってくださる人がいるんだったら
僕も
考えたいなって思うので
よかったらまた連絡
問い合わせフォームからいただけたら
嬉しいなと思っております
お便りで
こういうこと思ってるんですみたいなとか
これ聞いての感想とかも
ぜひ待ってお待ちしてるし
確かに自分
話したことあるのに会えていいねみたいな
そうそうそうそう
ただただ来て話してもらって
特に
デカールとの話しようぜって
飲み会でやったらちょっと嫌な
おじさんになっちゃうじゃん
場所求むみたいな人もいたら
そうだね
ぜひそういうコミュニティじゃないけど
話もできたらと思うんで
確かにどうせ普段これも
ずるいでやってるからね
僕も京都だし
兄貴も岩手だからさ
オンラインで集まって
オンラインだけだからね確かに
お昼でも食べながら
だったら全然できるそうな気もするし
うんうん
じゃあなんかそうはね
もしそういう危惧な方がいらっしゃれば
自分の思いをただ
話したいみたいな
議論したいでもいいのか
議論だとね
対話だね
相手の自分のことも出すし
議論と対話と
主張の違いとかもあるのよ
実は
そこらへんゆるっと使ってしまったな
議論だとどっちが正しいとか
自分の説を
相手に伝えなきゃみたいになっちゃうんだけど
そうじゃなくて自分はこう思う
っていうのを出した上で相手はこう思う
っていうのを受け入れるみたいなそういう
あると哲学ってすごく深まるので
そんなんもできたら
51:00
楽しいかもですね
だしなんか
普段の仕事的なね
どっちが正しいとか白黒つけるみたいじゃない
っていうのはそれはそれで大事だと思うから
楽しいんじゃないでしょうか
わかんないけど
健全な批判をお互い楽しむというか
ただただ話すみたいな話だね
その中で
批判だったり教官みたいなものが生まれてくるだろう
っていう意味での対話ってことだね
そうだね味わっていくっていう感じかな
感じで
ございましたが
だいぶ喋ったね楽しかった
ただの
今までで一番
ただの雑談会というか
だった感じがするね
そうね
あれですねちょっとね
裏側話すと兄貴もね
子供の保育園が閉鎖されたりとか
僕も家庭保育園が閉鎖だったりして
なかなか撮れなかったとか
撮った時もパッと話してすぐ終わるとかだったんで
僕も話したいことが
溜まってたんで
めっちゃちょっと吐け出させてもらった感じが
読んだ方の感想を
教えてもらったみたいなね
面白かったんだよね
っていうのが言いたいけど
言うには背景が長すぎる
心は口説かよって
読んだんだけどって
言った時の相手の好落とか
そこをするわけよ僕も
いいねたまにね
確かにこの雑談会を利用して
本当にただただ何の
情報もないただの雑談みたいなね
対話か
対話ですらないね雑談だな
雑談だねただの雑談だねこれは
じゃあまたね次回から
次回は関東かな
そうね関東の話をします
僕レシピもまだ
追いついてないところあるので
頑張って皆さんにお伝えできるように
していきたいと思うので
それもお楽しみにしていてください
じゃあまたね次回から
またそういう哲学を教えてもらえるかい
ということで個人的にも
近代哲学初心者として本当楽しみにしてますので
じゃあまたこれからも
一人一人やっていきましょう
はいじゃあそんな感じでよろしくお願いします
はいよろしくお願いします
ありがとうございます
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