00:11
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
このラジオは、身近なテーマをきっかけに、哲学について楽しく学んでみようという番組です。
哲学好きの弟と、哲学に馴染みのない兄の兄弟二人でお送りしていきたいと思います。
改めまして、兄の菅野聡介です。
弟のハヤトです。よろしくお願いします。
はい、今回から時間をテーマにやっていくというところでした。
はい、前回は心をテーマにして、いわゆるテーマ切りですということをしてやっている新しい流れではあるんですけど、
どうでしょうね、心と時間ってどっちも短っちゃ短じゃないですか。
心みたいなことも日々使うし、もちろん毎日時間を意識して僕らは生きているわけだけれども、
どっちの方が考えるのが難しそうですかっていうところなんだよね。
心について考えましょうとか、時間について考えましょうって仮に言われていたら、
どっちが大変だろうみたいな感じで思うかな。
比較したこともないんだけれども、
今してみて。
どっちかというと時間の方が実在しそうな気がする、心よりは。
なるほどね。
掴み心はありそうな気がすると思わされているんだろうけども。
でも面白い、その感覚大事だと思う。
時間の方がいろいろ検証をするとか、
何かを測定するとかができそうな気がするよね。
なんかそんな感じがするね。
それを今回は取り上げていきたいんだけれども、
まあまあ想像通りというかね、今回ソイデスラージュを扱うテーマではあるんで、
やっぱり一筋縄では行かない問題なんですね。
時間について考えるとか言ってもですね。
心よりはちゃんと決まってそうだけどね。
ほら1秒とかさ、1年がとかさ、うるう年がとかさ。
だからまさにね、今兄貴が言っている通りで、
時間がそういう僕らが普段考えている1秒とか1日とかさ、
そういう時間って、果たしてそれで時間のすべてなんでしたっけって話なんだよね。
あー出た。すべてね、なるほどね。
それで時間ってものを全部説明できるんですかっていうと、どうだろうと。
03:03
例えばよくある、昔そういう本が流行ったんだけど、
人間の時間と、例えばネズミの時間って一緒なんですかとか。
あと像の時間とね。
そう、像の時間、まさにそういう本があったよね。
なんで楽しい時間は早く過ぎるように感じられて、
つまらない時間は長くかかるように感じられるんですかとか。
だって時間の問題なのは人の問題、人の心の問題なのって言うと結構厄介じゃない。
まあ、わかんないです。どっちだろうねって。
どっちでもいいじゃんって。
どっちでもいいじゃんってなるんだけど、それをあえて考えていくっていうやつなんですよ。
それ言ったらこのラジオおしまいだからね。
おしまい、そういうものを2年間やってきたわけなんで。
どっちでもいいじゃんじゃなくて、ちゃんと向き合ってやりましょうって話なんだけど。
これはいつもの岩波の時点からちょっと広げてきてるものなんですけれども、
やっぱり時間っていう項目もちゃんとありますよって。
それはめちゃめちゃ長い項目があるんだけど。
古くはプラトン、古代ギリシャの時代から時間っていうものについても考えられてはいたし、
ある種キリスト教における、いわゆる神って言うと、いわゆる無から想像したみたいな話になるわけじゃないですか。
世界を何もないところから想像したっていう時に、いわゆる時間ってどうやって作られたのとか、
そもそも時間って神に作られたのとか、そういうことが例えば問題になってくるわけなんですよ。
なるほど、確かに。
無の時間には時間ってあったのなかったのみたいな、よくある宇宙が始まる前って時間はあったのなかったのみたいな話もあるし、
例えばインドの方に目を向けると、さっき時間って秒とかで測れるだけなんでしたって言ったけど、
9つのカテゴリーに分けて時間っていうのを考える、そういった理解の仕方があったらしいですよとか。
日本でいくと、まじで普通の時間とは別に、
それこそ浦島太郎とかすごい象徴的だと思うんだけど、
普通の時間の流れとは違う時間の流れとか、
もっと言うと、そもそも時間というものが流れない、
時間が流れるって言葉はめちゃめちゃ気をつけたい言葉だから、またちゃんとこれも話すんですけど、
そういう普段とは違う時間っていうものがあるんじゃないか、
それを超時間とか無時間って言うのかってあれなんだけど、
浦島太郎の世界って流宮城って普段とは違う流れがあったわけじゃない。
1週間しかいなかったけど、戻ってきたらおじいちゃんになっちゃいますよね。
06:03
あれはさ、いわゆる玉手箱か、
いわゆる時間ってものを捉えたとしても、いろんな発想とかいろんな歴史の積み重ねがあるんだよね。
そういう意味で、お話もそうなんだけれども、
哲学的な分野にとってもめちゃめちゃ広い議論がありますよっていうのがこの時間っていうものなんだけれども、
ただ、当然我々は今21世紀に生きてるわけじゃないですか。
時間の観点から言うと、アインシュタイン語って言ってもいいぐらいの世界に生きてるわけなんですよね。
これもちょっと今回ちゃんと話すんだけど、
アインシュタインの相対性論っていうのは、
時間に関してそれまでと全然違うという常識とは全く異なることが事実なんだというか、
それが正しいんだってことを証明したわけで。
あー、仮説じゃなくてもう証明されたの?
そうなんです。
全然内容知らないけど。
それもまたちゃんと次回以降使えていくんですけど、
すごいわかりやすい例で言うと、
時間が進む、仮に速さとしましょう。
速さがあって、場所によって違うんだよね。
それって何かピンとくる?
いや、全く来ないね。
来ないでしょ?
でもこれ2020年のニュースで出てるんだけど、
光格子時計っていうめちゃめちゃ精度の高い時計を使うと、
スカイツリーじゃないですか、東京にね。
スカイツリーの展望台と地上では、
時間の進み方が違うっていうのが観測されたっていうニュースがあるんだよね。
あ、そうなの?
それ知らない。
本当に0.0000とかそういう世界ではあるんだけれども、
地上とスカイツリーの展望台では、
展望台の方が速く進むのかな?
っていう風になって、
同じ時間なんだけど、
場所によって進み方が違うんですよ。
どのぐらいの距離でもね。
ここは数百メートルでそんな違う?
違うんです。
数百メートルどころか、机の上と下でも実は違ってんだよ、本当は。
っていう話だよね。
スカイツリーと地上が違うっていうことは、
厳密には1メートル先も違うって話ってことだよね?
そうです。
観測できるかどうかって言うだけで。
それは何なの?
高さ、高度なのか距離なのかとか、
分かってんのかな?
重力です、重力。
分かってんだ、すげー。
アインシャインすげー。
アインシャインすごいでしょ。
地球の中心に近い方がって話なんだよね。
へー、面白い。
面白いと思う。
09:00
なので、
僕らって普段時間が早いとか遅いとかさ、
例えば恋人とさ、
もっと長く時間を過ごしたかったわとか言ったりするじゃない?
あとは全員地下施設に行ったらいいのよ。
時間がゆっくり進むからね。
なるほど、
展望台のお店じゃなくて、
地下のお店に行ったほうがいいんだね。
僕らみたいに長めのいい50階のレストランとか行っちゃダメなのよ。
なるほど。
なるほどじゃないよね。
無意識的に違うのかもしれないね。
でもね、そういう。
別に彼らは、
長めが綺麗っていうところの興奮を求めに行ってるから、
別にね、自分のことは考えてないと思うんだけど。
誰らだよ、彼らって。
全然彼らだよ。
僕の頭の中にいるカップルはそんなイメージなんですけど。
そういう意味で、
僕がカップルに対する解像度が荒いように、
いわゆる普段生きる中では、
時間って言葉とか概念の解像度が荒いわけですよ。
知らなかった。
なので世の中ってそんなことばっかりなんで、
今回はぜひね、
時間っていう言葉とか概念の解像度をゴリゴリと上げていきたいなと。
それができたら面白いんじゃないかなと思ってます。
っていう話なんだよね。
そうなんだ。
時間術とかの本を読んでた自分をぶん殴ってやりたいね。
なるほどね。
いかに効率化するかみたいな。
時間の使い方とかさ。
もちろんそれもね、
現実的に考えたらそっちの方が大事なんだよ。
1日あげられた24時間という中で、
自分をいかに精査してあげるかっていうことも、
もちろん現実的には大事なんですけど、
そもそもなぜ1日は24時間なんでしょうかとか、
24時間っていったい誰のことを言ってるんでしょうかみたいな話っていうのも、
役立たないけど面白いんじゃないかみたいなね。
それが証明されてるってことは、
なんかね、ちょっとゾクゾクするね。
何が起こるんだろうかそれによって。
そうよ本当に。
なので前回のココロも脳の話だったと思うんですけれども、
今回も哲学だけじゃなくて、
物理学とか脳科学とか、
いろんな話をちょっと織り交ぜていきながら、
時間というものについて迫っていきたいというか、
お話をしていきたいんですけれども、
今日はソウル哲学ラジオなので、
ちょっと哲学的な観点で、
この第1回に関しては、
なんでその哲学っていうものでも、
時間というものが問題になるのか?
ということをちょっと簡単に触れておきたいなというふうに思っております。
確かにそうだね。
考えたこともないな。
確かに。
もちろんさっき、
さっきというか最初に兄貴が言ってくれたみたいに、
12:00
時間っていうものがそもそもよくわかんないから、
それについて考えてきたんだっていうこともあるかもしれないけど、
実はそういうことではなくて、
時間というものがあるし、
扱わざるを得ない背景というか、
問題が実はあったんですよ。
哲学の中に。
次の哲学談義、いつするみたいな。
違う違う違う。
別にそういう予定はね、
昔は調整さんとかないからやりにくかったとか、
そういうことではなくてですね。
違うの?
違うのよ。
じゃなくって、
根本的には哲学、
特に近代遺言、デカルト遺言の哲学で言うと、
要は理性っていうもので世の中を理解しましょうとか、
理性を正しく使うと、
世の中の出来事、物事が正しく把握できる、
正しく理性を使うことが大事だという世界観があったという話をしてきましたよね。
っていう時に、
これを実現しようと思うと、
実は時間というものが無視できなくなっちゃうんですよ。
これ何でかっていうと、
例えば理性を使って、
目の前の、
例えば仮にパソコンがあって、
パソコンというものを正しく理解しましょうと言った時に、
そもそもこのパソコンというのは、
ある種一定の時間と空間の中にあるわけだよね。
空間はわかるじゃないですか。
要はこの家の中のパソコンという話であるし、
この時間というものも、
今、目の前にあるパソコンについて考えているわけですよ。
でも今というものと、
今は無くなってしまった、
過去にあったパソコンについて考える時とでは、
使っている思考が違うよね。
なるほど。
シチュエーションも違うしね、そもそもね。
シチュエーションも違うし。
そう。
っていう風に、
ある種、
物事を正しく理解しようと言った時に、
時間と空間というものがまずまとわりついてきますと。
なるほど。
逆に空間というのは、
例えば僕らの思考とか感情というものを考える時には、
もしかしたらそんなに大事じゃないかもしれない。
それこそ心の話、前回したけど、
ある種、内側と言われるようなところで起きていることが感情だとした時に、
空間というのはそんなに大事じゃないかもしれないけれども、
一瞬前の感情と一瞬後の今の感情というところの比較とかって、
大事だったりするし、
そもそも言葉というもの自体が、
時間というものを前提にしないと、
全く機能しないツールなんだよね。
なるほど。
だって、
言葉と言っている瞬間に、
その子という言葉が発されたのも過去じゃん。
それが今言葉という言葉を使ったというふうに、
僕らは理解しているわけだよね。
ほんと起きている言葉の子という言葉が、
15:02
一秒前に出ているはずなんだけど、
それは僕らは今発された言葉だというふうに理解することに関しても、
すでに時間のずれが起きているわけよ。
自動調整されているってことはね、
うちらのことね。
勝手に調整されている。
っていうふうなことがあるから、
正しく理性を働かせようみたいなことを考えたときには、
そもそも時間の中で起きているよね、
それっていうことが大前提にありますと。
もっと言うと、
時間が仮にないとしたら、
僕らって果たしてどうやって理性を働かせるんですか、
みたいなことも考えられるわけよね。
だって時間がないのに、
理性を働かせるなんて、
働きがそもそも起こるわけがないじゃない。
まあ、それ以前に、
あらゆるものがどう存在するのかっていう話にもなるしね。
ないとしたらね。
時間って何っていうのは、
時間ってあらゆる物語が起きる土台なんですとか、
ベースなんですっていうふうには言えるかもしれないけれども、
そのベースって何っていうことまで考えようと思うと、
ある種沼にはまるわけだよね。
ある種ゼロポイントになっちゃうから。
なので、僕らは日常的には、
今日は時間がないとか、
明日はすごい時間がたっぷりあって、
自由だとか言ったりはするんだけれども、
そんなふうに時間ってはそもそもね、
存在的にあるとかないとかって言えるのかみたいな話も含めて、
やっぱりある種沼にはまるわけだよね。
うんうんうん。
で、あまりにも根本的すぎて、
逆に難しいみたいなものも一つなんだよね。
わあ、確かに。はいはいはい。
うん。
だからある種その理性を立ちながら、
立ち方がせようとか、
理性の働きを理解しようと思ったときに、
そもそもこの時間っていうものが何かとか、
どのように時間というものの土台の違いがあるか、
そのように時間というものの土台の中で理性というものが働いているかということを解き明かさないと
ある種本当の意味で理性の働きがわかったとは言えないんだとまで言えるわけなんだよね
うわー怖っ そこまで考えてる人怖っ
はいねーすごいよね いいじゃん理性だけね そうそう理性とはないからって考えてればいいじゃんね
その 理性が働く前提の土台として時間というものもありそうだと
やめようかね そうそう冷静にやるからね やめないやめない ルールだからやっぱり例えば野球やるときにはやっぱりこのルールを知らないと野球ができないわけで
哲学も一緒でやっぱり理性というものを扱うときに時間というものがルールとしてあるとしたらそのルールとしてはやっぱり時間をちゃんと扱わないとダメではね
18:01
というようなことになるわけなんだよね なるほどね できればいいじゃんってことじゃないって話だよね
できればいいじゃんってそうそうそう なのでもちろん時間というものに対してそれこそハイデッカーってこの前じゃない
だいぶ前に取り上げたと思うんですけど 彼はまさに存在と時間みたいな本を書いて
まさに時間というものをある種取り扱い方を変えるというか そもそも時間というものの概念をある種作り変えることでその問題を解決しようとした
みたいな人もいたりするんだけど そういう風に伝統的に西洋哲学においてもやっぱり時間というものをどう扱うかとか
そこにどう向けられるかってやっぱり重要でありつつも厄介な問題だったわけなんですよね
なので今回はそもそもいわゆる西洋の哲学の歴史って古代のギリシャまで遡れるんで
そういったその 哲学的にどういう風に時間というものが突き詰めていったのか
当然ね今ほどそういう時間に対する概念もないし そもそも時計とかすらある種ないような時代だと思うから
そういう時代の人たちがどんな風に時間というのを向け合ってきたのかというところは最初は追ってみたいなと思っております
でそれをねある種アーグシースの効果則っていう本が結構有名な本があって それがね結構時間論としても未だに取り上げられたりするもので
それをね追いながらアーグシースさんという人がどんな風に時間という概念について迫っていくのかというところを最初は見ていきまして
続いてはですねあの物理学の時間の話 これもね面白い本があって
現代の物理学者の人でカルロ・ロベッディさんという人がいるんだけど この人がまさに時間は存在しないっていうネタバレみたいな本を書いてるんですよ
えー 存在しない?ほうほうほう
存在しない タイトル権ネタバレみたいなね
でこれもさ なるじゃなくて時間が存在しないってどういうことだよみたいな
まあそうね うんうんうん
そもそも時間っていうものが存在するとかしないとかって言うのかっていう話からも含めてあると思うんだけど
これがねあのまさにまさにというか僕が読んだのが2019年ぐらいの本なんで 今から5年前ぐらいかなんですけど
当時ね結構まさに僕自身が時間ってなんだとか 時間ってものを知れば宇宙を理解できるんじゃないかと考えて
結構いろいろ読んでたんですよ
そんなこと考えてたんだね いろいろ考えてるね
実はね そうなんですよ
なので結構ね読んで衝撃を受けた本なので
21:02
今回ちょっと改めてソウルテッドラジオで時間ってものを扱おうと思ってこうね読んでみたら やっぱりこう結構覚えたことが多いし
やっぱりこうね5年経って自分のいろんな理解が深まったからこそ これすごい面白いとかってやっぱり思った部分もあったので
これをねぜひ皆さんとも共有したいというふうに思っておりますと
はいはいはい
なので物理学者が時間について考えたらどうなりますかという話があって
その次は 農科学の観点からも時間について考えたいんですよと
へーあるんだ
そう ちょっと面白いじゃない 農科学と時間って別に何かくっつかない感じがするじゃない
うんしない
全然遠いと思うんですけど
ある種ね心の時に脳の話って結構したと思うんですけども
実は時間についてもやっぱり一緒で
脳っていうのはどんなふうに時間っていうものを扱ってるんですかっていうふうなものは結構研究されてるんですよね
なるほどまあそうだよね さっき時間は存在しないっていう本があったけれども
こういううちは時間っていうものを一応捉えてるというか
一応あるものだと思って生きてて それを脳的には
どう捉えてるのって話もできなくはないって話か
そういうことですまさに
例えば僕らが1分数えてとかってのはもちろん数えることはできるし
過ぎた後にだいたい30分ぐらい過ぎたかなとかっていう感覚は持ってるわけよね
でもそれがあくまでもやっぱり時計とかそういうふうな中で生きている僕らが身につけたものであって
別に脳の中に時計があるわけではないし
それがもともとあって生まれてきてるわけではないわけですね僕らとしても
しかもよくよく考えるとさ別に時間って物理的なものでもないし
暑いとか寒いとかって感覚で捉えられるものでもないじゃない
だから時間って実は脳からするとこれおそらくだけども
本来的にはいわゆるよくわかんないものとか全然理解できないもののはずなんだよね
だって触ってさ暑いとか冷たいとか痛いとかあったらさわかるけどさ
時間をじゃあ感じろ
時間を感じろっていう言葉もあるけど
そうやって結局何してんのって言ったらちょっとのんびりしてるくらいじゃん
いやーそうねだから単純に心
嬉しいとか悲しいとかさそういう話でもないもんね時間に対して
でもないそうそうそう
時間そのものに対してね
そうなんですそうなんです
だからすげー厄介なの実は
うんうんうん
でもちろんさそのねいわゆる生き物のリズムとして
24:02
生物のね本とか生物本とか
教科書出てるんですけども
例えばその外実リズムサーガディアンリズムみたいなものがあって
例えばその人間のある種ざっくりしたリズムとして24時間
まぁだいたい25時間ぐらいらしいんだけど
そういうリズムでやっぱりこうある種睡眠とかも含めて生きていくみたいな話もあるはあるんだよね
はいはいはいはい
でそれじゃあリズムイコール時間かっていうとそれもちょっと違ったりしますよと
いう風な話があるんで
これがねそのまさにタイトルズバリアの脳と時間っていう風に
ほう
これがあの神経生物学者のブオノマーノさんという人が書いた本なんだけれども
ほうほうほう
これ元々のタイトルはね英語ではyour brain is a time machineっていう本らしくて
脳はタイムマシーンであると
これはね日本語で訳しときに脳と時間っていう風な言葉をやってるらしいんだけど
この本もねやっぱめちゃめちゃ面白いんで
ある種脳学っていう観点からちょっとご紹介していきたいんですよと
へーそんなに広がりがあるんだね
それはあるんですよね
時代と分野と
そうそうそう
でちょっと昔の話と現代の話っていう感じにしたいとは思って
本当はやっぱ哲学っていう意味で言うと
それこそ前に取り上げたハイテクかもそうだし
道元の時にもちょっとだけ時間の話したと思うんですけど
したっけか
しないかもしれない
時間に関して話したんですよっていうぐらいで
触れちゃったかもしれない
本当はそういう人も取り上げたいんだけれども
あんまり長くなりすぎてもあれかなと思って
台本的にどうかなとか
マネキの反応とかも
見ながら
面白くお伝えできる範囲で
いろんな話をしていきたいなと思ってます
っていう感じ
今聞いたけど面白そうだもんね
面白いよ
今は時計があるからいいけど
やっぱ古代文化
時計がなかった時代の
素朴な時間感
確かに面白そうだなと
思うしね
全然素朴じゃないんだけどね
そうなのそんなすごいの
全然素朴じゃないよ
すごいよ本当に
よくここまで考えたら
1000年2000年前みたいな
次はこんな感じで
さらっとお伝えしようと思ってるんですけど
やっぱり
哲学って
オープンに話しましょうとか
大元的には
エヴァイレスのこの世の根源とか
やっぱり大元を理解したい
っていう風な人並みでは
あるわけなんだよね
やっぱり21世紀に
生きる僕らからすると
この世を理解しようと思った時には
やっぱり哲学だけでは
27:01
当然足りなくて
物理学的な理解とか
生物学的な理解って
やっぱりとっても大事なんですよね
わー耳が痛い
耳が痛いなんでよ
文系からするとさっきの
アインシュタインがさ
話してたのは
証明されただけか
それは多分
アインシュタインが考えてたことが
時を経て証明された
って話だったんだねそれは
まあある種実験器具が
精度が増したから
検証できたって話で
証明自体は結構昔からされてます
証明はされてたんだ
時間が
歪むとか変わるとかってこと自体は
証明されてた
これがいわゆるGPSに使われてる
技術なはずなんだよね
そうなんだ
宇宙から日本
地球に対して
いわゆる光の速さでも情報を飛ばすときに
でも
ある種時差というか
差は出ちゃうわけよ
光の速さでも
やっぱりどうしても時間がかかるから
それを補正するっていう技術に
相対制限は確か
使われてるはずで
なるほど
ちょっともう
今の話と
スカイツリーと地上の時間に
差があるの
関連すらわかんないんだけど
そういうことだよね
確かに
現代は文系理系とか
学部も分かれちゃってるけど
大元で言うと哲学というかさ
もう
分かれてなかったわけなんだもんね
地を愛するとか
宿命を理解するっていう
意味ではね
そこが
ちゃんと
興味持たないとなぁ
僕ももちろん
いわゆる文系的な
人間なので
数式的に理解できるかとか
ちゃんと原則まで
理解できるかというとできない部分は
あるんですけれども
そもそも哲学の
流れからして
物理学とか
アインシュタインの
理論が出たことで
哲学が発展したみたいなことも
当然あって
世界の構造が
見えるわけですよね
科学が進むと
何か理解するときには
そうだよね
マクロではそうだけど
そのレベルでは違うとか
やっぱりこの世界は
単純なものではなくて
もっともっと
逆に言うと
僕らの人間のレンズに
当てはめるとそう見えるけど
30:00
そうじゃないことがいっぱいあるんだとか
っていう発想がどんどん広がるというか
そっちが正しいんじゃないか
という風になっていくわけなんだよね
これも全然ハイトが言ってたのか
なんかの雑誌のニュートンとかで
見たのかもしれないけどさ
確かにうちらが光って呼んでるものだって
実はただの粒だったり
粒と波だけか
粒と波が
両方生成されたんですね
みたいな話だもんね
光じゃなくて実はそれだったんだみたいなさ
光って言うんじゃ本当はダメかもしれないみたいな
話にもなるわけだもんね
そうですそうです
こうしてみたいな話もあるけれども
やっぱり粒みたいな性質もあって
それもねやっぱり
普段僕らがさ
普通に頭で考えるとやっぱり
わかんないじゃん光が粒って言われてもさ
そんな別にビーズみたいなもんじゃないじゃん
みたいな
だからやっぱりあくまでも
そこは抽象的な世界というか
モデル的な話ではあるんだけれども
やっぱりそういうことを知っていることで
哲学的にもとかやっぱり物事をね
ちゃんと考えることも当然できるよ
っていうのはあるわけなんですよね
はいはいはい
うんだからこれちょっと常々言ってて
ちょっとやってないんだけど
この時間の後に
一回ぐらいその
文系でもわかる科学の話みたいな
へー
会議をちょっといよいよ挟んでもいいかな
ちょっと思ってるんだよね
あーそうあの
あるあるあるこれは僕が
じゃなくてそういう本がやっぱり出てるんですよ
あーはいはいはい
うんちゃんとその文系でもわかるように
数式を最小限にして
物理学の基礎を教えてあげましょう
とか
現代数学のことをちょっと教えてあげましょう
みたいな本ってあるんですよ
へーあそうなんだ面白そう
ちょっとねそういう話をした上で
改めて哲学に戻るのも
面白いんじゃないかなって思ってるんですよね
うんうん分かりました
そういうことさやっぱり
素粒子とか量子域学とかってさ
すごいなんかふわっと
なんだろうな広まっちゃったりするじゃない
そういうことシュレリンガーの猫みたいな話でさ
うーん
あーなるほどね名前の方
名前は知ってるけど中身知らんみたいな
そうそうそう結局何より猫でしょみたいな
話になっちゃって
結局それって何なのかどういうアイディアなの
みたいな話ってやっぱ意外と
わかんなかったりするじゃないですか
あー確かにその
どういう時点かまでは分かるけど
それにどういった意義があるのか
確かに分かんないもんね
だって
その
生きてもいるし死んでるもいるのだ
とかさ言われても
観測した瞬間に分かるのだ
とか言われても
ピンとこないか
踏み落ちない
例え話だから
分かってる人が使った例え話だからさ
33:00
思考実験
分かんない人からすると
猫が死ぬやつでしょ
猫かわいそう
みたいな
してないのに
してないのに
みたいな話があるんで
うん
その辺も
もちろんね僕も
人様に教えるほとんどのことはないけれども
本の紹介ぐらいはもちろんできるんで
うん
そういった意味で
取り上げてもいいんじゃないかな
2回分ぐらいで
1回2回で
やるとこもありかなとは思った
確かにそうだね
現代哲学に影響が
お互い影響を
与えてるし元は1つだったと考えると
確かにね
シューティング派の猫が
実は思考実験だったんだよみたいなさ
雑学じゃなくてね
実際の
科学というか
どういう意味があったのか
どういう意味があるのか
知らないもんね
知らないよね
さっき言った
好奇心の差って自分の反省にはなるんだけど
なかなかね
難しいよね
モーラーするのも難しいからね
そうね
それで前回さ
自分にキャッチコピーつけましたとか
探究は何とか
ヘッダイのことも言いましたけれども
自分がさ
好奇心は人並み以上にあると
思ってるから
そういう意味で色々探ってきたものとか
これ面白いと思ったものを
お届けするという意味でも
いいんじゃないかなと思って
好奇心ない人間からしたら
ありがたいですね
このラチョー自体がそうなんだけどさ
ありがたいよ
本当にそう思ってくださる方が
もし
他にもいるんじゃないかと思うと
そこらへんの後に
科学編みたいなものをやって
そこからがっつり哲学編とかに戻ったら
それはそれで面白いんじゃないかと
思います
確かにそうだね
難しいと難しいで
嫌というか大変だけど
また小口くなってくるもんね
そうそう
哲学はね
はい
どうかなと思いながら
今日話したけど
いい反応してくれたので
まずは今回の時間編を
しっかりお届けしていって
その後もそういったいろんな広がりを
引き続き出すんだと
思っておりますという感じですね
わかりました
もうしょうがないね
次回は
素朴かと思いきや結構すごかった
っていう古代の
時間感だね
次回も引き続き
どんな感じになっていくのか
見ていきたいと思います
では引き続きよろしくお願いします
お願いします
今回もありがとうございました