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始まりました、志賀十五の壺。みなさんケーキ食べてますか?
マリー・アントワネットです。
こないだのトークで、奈良時代の日本語の話をしたんですね。
我々が中学や高校で習う古文と言われるものは、確かに昔の日本語ではあるんですけど、あれは平安時代の日本語なんですね。
なので、当然、平安時代の言語っていうのが用意どんで、そこにあったわけではなくて、昔から日本語っていうのは脈々と受け継がれていたわけですね。
で、奈良時代の日本語っていうのも、ちゃんと文字資料はあるわけなんですけど、
学校ではあんまり教えられることがないということで、こないだトークのテーマとして取り上げました。
で、そこでお話ししたのは、奈良時代以前の日本語、専門的には上代日本語ということもあるんですけど、
この奈良時代の日本語には母音の区別が、現代日本語、あるいは古文よりも多かったという話をしたんですね。
8つ母音があったと、そういう証拠があるんですね。万葉仮名からそのことがわかるという話をしました。
現代日本語、あるいは古文もそうですけど、あ、い、う、え、おっていう5つの母音があるわけなんですけど、
それより前のね、奈良時代の日本語では、もっと多い8つの母音が区別されていたっていう話をしたんで、
まだね、そちらのトーク聞いてない方は概要欄にリンク貼っとくんで、合わせて聞いていただけたらと思います。
具体的に言うと、いっていう母音に2つあって、えっていう母音にも2つ、おっていう母音にも2つ区別されてたんですね。
ただ平安時代に入ると、それらの区別はなくなっちゃったということなんですね。
だから我々古文を習うときに、その母音の2つの区別っていうのは習わないということです。
このいとえとおの母音の2つの区別を、こうるいとおつるいとよく呼ぶんですね。
こうおつと名前をつけてるわけです。
まあabでも12でもいいんですけど、こうおつとね、伝統的にそう言われてるんですね。
実際にはどんな発音だったかはわからないけど、少なくともeaoには2つ区別されていたというのがほぼ確実に言われています。
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ここまでの内容は、こないだのトークの復習みたいな感じなんですけど、ちょっとね、そこで言い切れなかったことがあったので、まだ面白いことがあるんですね、この母音の区別について。
というわけで今回のトークは、奈良時代の日本語についてのパート2ということでやっていこうと思います。
古文より前の時代の奈良時代の日本語の母音には、制限があったと言われてるんですね。
制限っていうのは、その一つの単語の中に現れることができる母音に制限があって、
特にoという母音のさっき言った、おつるいのoという母音に制限があったんですね。
まず、さっき言ったようにoという母音には、こうるいとおつるいがあったわけなんですけど、この2つは一つの単語の中に出てくることができないんですね。
さらにこのおつるいのoという方は、uという母音やaという母音とも一緒に出てこれなかったようです。
こういうのを専門的に狂気制限とか言ったりするんですけど、要するに相性の悪い母音だったということなんですね。
もう一回言っとくと、おつるいの方のoという母音、具体的にどういう音声だったかは諸説あるんですけど、
おつるいの方のoは、こうるいのo、u、aとは一緒に出てこれないという制限がありました。
まあだから何なんだと思われるかもしれませんけど、こういうふうに母音の相性というか、一緒に出てこれる母音に制限があるっていうのは、アルタイ型の言語の特徴なんですね。
どういうことかというと、これはツングース諸語と言われる言語や、このツングースっていう言語はロシアで話されている少数民族言語なんですけど、
あるいはモンゴル語族とかトルコ語なんかのチュルク語族、こういったユーラシア大陸を横断するような言語の特徴なんですね。
で実際モンゴル語やトルコ語には母音調和という現象があって、今言ったような一つの単語の中に同じグループの母音しか現れないっていう制限があるんですね。
でまさに今言った奈良時代の日本語のオツルイのオの現れ方もそれに似てるということです。
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韓国朝鮮語も、まあ今は母音調和ないんですけど、中期朝鮮語と言われる昔の韓国朝鮮語ではこういった母音調和があったと言われています。
日本語っていうのは系統不明な言語なんですね。親戚の言語っていうのがまだよくわかっていません。唯一わかってるのは琉球諸語だけなんですね。
ただ奈良時代の言語を見てみると、こういうふうに母音調和っぽい、母音に制限があったり相性があったりするような特徴を見せるので、
そう考えるとスングース語族、モンゴル語族、チュルク語族、あるいは韓国朝鮮語なんかともしかしたら関係があったかもしれないということがわかるんですね。
確かに基本的な日本語の語彙っていうのをちょっと思い返してみると、
頭とか肘とか鼻とか耳とか、なんか同じ母音が続いているものが多いですよね。
まあこういったことももしかしたらそういう母音の相性というか母音調和っていうのがあったんじゃないかというね、そういった根拠になってるんですね。
奈良時代の日本語はこういうふうに音の面でかなり面白い特徴があるんですけど、文法の面でも残念ながらというかね、古文や現代日本語では失われてしまった特徴を持っていました。
例えば句語法というのがあったんですね。
これは動詞の未然形に句っていうものがつくもので、漢文とかでよく出てきたものですね。詩曰くみたいなもので、これは先生の言うことにはとか確か訳してたと思うんですけど、言うことみたいに動詞を名詞に変える仕組みだったんですね。
まあ現代日本語では思わくとか願わくはとかに残ってるものですね。
でこういった、なんていうかな、動詞を名詞にするプロセスっていうのは残念ながら平安時代の古文と言われる日本語にはすでにあんまり観察されないものとなってしまいました。
他にも身語法というものもあって、これはね100人一首知ってる方はわかると思うんですけど、ストクインの歌で背を早見っていうのがあるんですね。
でこれは背が早いのでっていう理由を表す表現になっています。
この身語法の面白いところは、形容詞に身がついて理由を表してるんですけど、背を早見っていう風に主語なのにをっていうものがついてるところですね。
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普通をっていうのは目的語につくものなので、その点で非常に興味深いんですけど、残念ながら平安時代以降の我々が習う古文と言われる日本語にはあんまり残ってないんですね。
こういう風に音の面でも文法の面でも当然語彙の面でもね、奈良時代の日本語っていうのはそれ自体で面白い特徴を持っていて、
現代までずっと引き続いてあるものもあれば、残念ながら廃れてしまったものもあります。
これを残念というかどうか微妙ですけどね。
というわけで今回のトークはここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
よろしかったら番組フォローお願いいたします。
ではまた次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。