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あけましておめでとうございます。志賀十五です。今年もどうぞよろしくお願いします。
今回のテーマは、新年ですけど、やっぱり言語学の話をしようかなと思います。
去年はね、この正月のトークに、おめでとうの言語学っていうことで確かやったはずなんですね。
確かね。今回のトークは1月1日なので、このついたちっていう、なんかよくわかんない単語についてお話ししていこうと思います。
一日と書いてついたち。どう考えても読めない。というか、一日と書いたら一日とも一日とも読めると。
まあそういうことなんですけど、ついたちっていうあれはあて字ですね。
一日と書いて無理やりついたちと読んでるだけなので、一という漢字につい、ひっていう漢字にたちという読み方がそれぞれあるわけではなくて、
たまたまというかね、そういう音をあてているだけということになっています。
このついたちっていうのは、じゃあ何なのかっていうと、語源としては月たちなんですね。月が始まる日ということで月たち。
で、それがなまってついたちとなってるわけなんですね。
まあそれがなまってっていうね、このなまるっていうのがどういうことなのかっていうのを今日はテーマにお話ししていこうと思います。
簡単に言うとこれは異音便というものですね。音便の中の異音便と言われる音変化となっております。
音便っていうのは典型的には動詞で観察されるものですね。
ついたちのように異音便が起こるものとして、かきてっていうのがかいてになったり、さきてっていうのがさいてになったり、きの音がいいに変わるっていうのは動詞でも規則的に起こっているものです。
他にも音便と言われるものには種類があって、即音便と言われる小さいつに変わるようなもの。立ちてが立ってとか、売りてが売ってになったりするようなものです。
それと発音便と言われるんに変わるようなものもあって、読みてが読んでになったり、挟みてが挟んでになったりと、こういうものなんですね。
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いわゆる共通語には今言った異音便、即音便、発音便の3つがあるわけなんですけど、関西の方だと、右音便っていうのを使うんじゃないかなと思います。
歌いてが歌うてになったり、笑いてが笑うてになったりするものですね。
こういうふうにつきたちがついたちになるのは、書きてが書いてになるような異音便ということができるんですね。
今言ったように音便というのは動詞でよく観察されて、特にてに続く形ですね。
連用形プラスてと言った方がいいと思うんですけど、古文だと当然書きてというふうに書いたし読んでたわけなんですね。
それが音便という音変化が起こって、現代語では書いてになっているわけです。
てが続く形もそうですけど、過去形も音便は起こります。書いたとか読んだとかっていうのは、書きた読みたがある意味元の形なわけなんですけど、
ただこのたっていうのも歴史をひも解けば助動詞たり、さらに言うとてありから来ているので、やっぱりてに続く形が音便のよく見られるものなんですね。
なので音便っていうのはどこでも起こるわけではなくて、例えばね、たに続くのが音便が起こる。
つまり書きたが書いたになるんだったら、そういうふうに自動的な音変化だとしたら、書きたいっていうのも書いたいになるはずなんですね。
あるいは読みたが読んだになるんだったら、読みたいは読んだいにならないと、まあおかしいというかね、ルール上そうなってもおかしくなさそうなんですけど、
現代日本語ではそういう音便は起こっていない。たいに続くときは音便は起こらないということになっています。
なので音便が見られるのは典型的には動詞で、その中でもてあるいはてに由来するたに続く形で見られるっていうことになっています。
ただまあおめでとうみたいなものもこれは音便なんですね。それこそ1年前のトークでお話ししているはずなんですけど、
これはおめでたくに由来していて、これは形容詞の連用形って言えばいいですかね。おめでたくがおめでたうになって、それがおめでとうに変わっていったんですね。
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なのでおめでたくがおめでとうになるのには、二重の音変化が起こっていて、まずう音便が起こっておめでたうになって、あうっていう母音の連続がおうという長母音に変わってるんですね。
これはありがとうも一緒ですね。ありがたくがありがとうだし、おはようっていうのもおはやくがおはようになってるわけなので、
まあやっぱりう音便がまず起こって、あうというものがおうという発音に変わっていると。
現代日本語でおうと発音するものには少なくとも2つ種類があって、歴史的に言うとね。
今言ったあうという母音の連続がおうとなったものと、おうという母音の連続がおうとなったものと、
昔は発音の仕分けもあったみたいなんですね。これはキリシタン資料って言って、
その宣教師が鎖国する前やってきましたよね。で、その人たちがその当時の日本語を記録したものがあって、そこでおうという発音を2種類認めているんですね。
そのことから昔は区別していたようなんですけど、今はその由来があうだろうがおうだろうが、両方おうという発音で区別はなくなってしまってるんですね。
今お話ししたように音便っていうのは動詞や形容詞でよく観察されるものなので、
つきたちがついたちになるみたいな、こういう名詞で観られるっていうのは非常に珍しいんじゃないかなと思います。
あとはせいぜい埼玉ぐらいしかちょっと今思いつきませんけど、埼玉って地面を見たらわかるように埼玉から埼玉になっているので、
つきたちがついたちになる同じ音便という、異音便という音変化が起こっているわけなんですよね。
他に何かあるかな?名詞で音便が起こっているもの。
白音、黒音、和コードくらいかな?それぞれ白人、黒人、若人から右音便が起こって、白音、黒音、和コードになってるわけなんですよね。
だからまあ白音、黒音っていうあの漢字もあて字ですね。もともと色の白黒から多分来てるんじゃないかなと思います。
まあこれくらいしかちょっと今思いつかないんですけど調べればもっとあると思うんですけどね。
っていう風に名詞の音便っていうのは非常に珍しいというか、もうかなり化石化しちゃってるっていうかね。
今ではついたちっていうのがつきたちが語源だって思う人は多分いないと思うんですよね。
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それぐらいもうそれ自体で一つの単語になってしまってると思います。
まあこういう音の変化ってね、連濁とか転音とか言われるものもあったりするんですけど、
連濁は皆さんご存知だと思うんですけど、転音っていうのは雨っていうのが雨宿りみたいに母音が変わるものなんですね。
そういったものに比べると音便っていうのはかなり生産性が低いっていうかな、何でもかんでも使えるようなものではない気がしますね。
まあこういった音変化を同列に扱っていいのかっていう問題は別にしてということで、
では今回のトークはここまでということで、新年早々聞いてくださってありがとうございました。
また次回のトークでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。