1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-09-05 11:24

#169 レタス言葉の話 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:01
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
みなさん、好きなお野菜ってございますかね。
僕は、元来、野菜に限らず好き嫌いっていうのがないもんですが、
この時期だったらナスが好きですかね。
よく食べますね、この夏はね。
今回のトークテーマはですね、ナスではなくレタス言葉についてのトークとなっております。
レタス言葉、読んで字のごとくシャキシャキしてるとか、みずみずしいとかね、
そういった言葉についてではございません。全然違います。
レタスは関係ありません。ナスも関係ありません。
というか、野菜は全然関係ないトークとなっております。
ので、もし、私レタス大好きだから聞いてみようと思って再生し始めた方、
すいません。レタスは関係ないです。
このレタス言葉っていうのは、レを足すっていうことなんですよね。
レを足す言葉っていうことでレタス言葉と言われています。
これと対応ナスというか一緒に考察されるのがラヌキ言葉と言われるものです。
こっちは何か聞いたことある方多いんじゃないですかね。
これはラを抜く言葉ってことですよね。
例えば、食べられるというべきとこを食べれるとか言ったり、
見られるというべきとこを見れると言ったりするっていうことですね。
一方、レタス言葉っていうのはレが足されるってことはどういうことかというと、
かけるでいいところをかけれるとか言ったり、
読めるでいいところを読めれると言ったりするっていうことなんですよね。
どうですかね。かけれる、読めれる。
こういった表現に違和感を感じない人もいらっしゃるんじゃないですかね。
一応、教科書的な意味合いではこのレタス言葉、読めれる、かけれるっていうのは間違いということになっています。
ただ、この番組って言語学の話をよくするんですけど、
正しいとか正しくないはあまり議論せずに、
どういう仕組みになっているかということを解説というか考えようということになっているので、
今回もこのレタス言葉について考えていこうと思います。
その前にまずラ抜き言葉から考えるんですけど、
実は過去にラ抜き言葉のトークは収録して配信しているんですよね。
なので、そのトークのリンクを貼っておくので、
これを聞いた後でいいので、そちらも併せて聞いていただけたらと思います。
ざっくり言っとくとですね、ラ抜き言葉っていうのは、
まず一段動詞で起こるものなんですよね。
03:01
なんだよ一段動詞ってっていうことですけど、
これはないっていうのをつけたときに、そのないの直前にあだんの音が出てこないのは一段動詞ということになります。
例えば、食べるとか見るっていうのはないをつけたら、
食べない、見ないっていうことで、これ一段動詞なんですよね。
一方、書くとか読むっていうのはないをつけると、書かない、読まないで、
書かない、読まないっていうことで、あっていう音が出てくるので、あだんの音ですね。
こういうのは五段動詞と言われるものです。
で、ラ抜き言葉が見られるのは、
食べる、見るなどの一段動詞で観察されるっていうことなんですね。
ちょっとなんか変な言い方になっちゃいましたけど。
で、その一段動詞、食べる、見るとかの派生形と言っていいですかね。
食べられる、見られるのラが抜けて、
食べれる、見れる、これがラ抜き言葉と言われるものです。
で、その前回のトークでお話したのをまたざっくり言っておくとですね、
なんでラ抜き言葉が起こったかというと、このられるっていう形が非常にいろんな意味があるんですよね。
尊敬とか、あるいは受け身とかですね。
世界中で食べられるとかそういうものですね。
で、先生は食べられるというと、これは尊敬ということになります。
で、もう一個意味があって、それは可能ですね。
まだまだ食べられるみたいな感じで可能でも使われると。
で、こうなると三つも意味あると、その聞いてる側はわざわざそれを判別しないといけないんですよね。
なのでその聞き手の判断というか判別というか、そういった負担を軽減させるために、
可能の場合はらを抜いて食べれる、見れると。
なのでら抜き言葉っていうのは可能を表す専用の形式ということになります。
こうすることで食べれる、見れるっていうのは食べられる、見られるから区別されて、
もう尊敬とか受け身とかの意味は表さなくなって。
ということである意味効率はいいんですよね。
つまり一つの形式でいくつも意味や機能があったらごちゃごちゃになっちゃうところをらを抜くことでそれを解決していると。
で、これがら抜き言葉の概要ってことですね、ざっくりした。
一方、誤談動詞の方は可能を表すのに可能動詞っていうのがあるんですよね。
これは読めるとか書けるっていうふうに得るっていうので終わる形にすると可能動詞になります。
なので誤談動詞の方は受け身とか尊敬っていうのは書かれるとか読まれるっていう形なんですよね。
06:06
なのでとりあえずまずらっていうのは出てこないので、そのらを抜くとかどうとかまず関係ないと。
それに加えて可能を表すのは可能動詞っていう読める書けるっていうまた別個の形があるので、
その一談動詞でら抜きをしなきゃいけないような状況にはなかったんですよね。
ほいでこっからです。
こっから本題のレタス言葉ですね。
一談動詞で食べれるとか読めれるみたいにら抜き言葉がどんどん増えて、
これが可能を表すんだっていうふうに認識されていくとですね、
今度はれるっていう形で終わる動詞が可能動詞であるっていうふうに勘違いされ始めて、
食べれる見れるに引きずられる形でかけれる読めれるっていうれが足されるようになっちゃったんですよ五談動詞の方でも。
読める書けるでよかったとこにれるで終わると可能を表せるんだって勘違いしちゃって読めれる書けれるとこうなってるってことなんですね。
これってなかなか面白いですよね。
五談動詞の方は先ほど申し上げました通り可能動詞っていうまた別個の形式があって読める書けるでよかったはずなのにら抜き言葉のれるに引きずられちゃってわざわざ長い形を使うようになったってことですからね。
書けれる読めれる。
普通言語変化って普通何をもって普通かっていうのも難しいですけど形式が短くなるのが普通なんですよね。
発音の都合上短い方が時間節約できるしとかそういう事情で普通は短く短く形式がなっていくはずなのにれを足してわざわざ長い形式を使ってるっていうのがまた面白いところですよね。
なので順番としてはまず一談動詞でら抜き言葉が起こってそのれるで終わる形に引きずられて五談動詞でれたす言葉が起こったっていうこういうストーリーなんですね。
こういう引きずられるっていうのを専門用語で類推っていうふうに言います。
これは言語学の歴史とした術語としてあります。
言語変化ってこういう類推英語だとアナロジーって言うんですけどこの類推によって引き起こされるってことがよくあるんですよね言語変化がね。
過去のトークでもその類推によっていかに言語が変化していったかっていう話をしているのでよろしかったら過去のトークも聞いていただけたらと思います。
さあいかがだったでしょうか。
09:01
皆さんどうですか冒頭もちょっと言いましたけど読めれるとかかけれるとか飲むに対して飲めれるとかですよね。
こういうれたす言葉はどうですか違和感ございますかね。
僕はちょっとわからないですね。
そんな違和感はないかなっていう感じですかね。
自分が使っているかどうかちょっとピンとこないんですけどもしかしたらこのれたす言葉と伝統的な可能動詞つまり読めれると読めるの間に何か意味の違いがあるっていう可能性はあるんですよね。
っていうのが可能を表すのに二つも形式いらないので二つ形があるってことはそれぞれ何か使い分けがあるって考えるのが妥当なんですよ。
もし全く同じ意味や機能を持っているんだったら二つもある意味はないので読めれると読めるで何か違いがある可能性はあるので
もし皆さんの中で何か気づいたこととかあるいはこうなんじゃないかっていう仮説がある方はお便りいただけたら大変嬉しいです。
可能っていろんな可能があるのでっていうのが例えば能力的に可能なのか状況的に可能なのか
例えば読むことができるっていうのにも私はもう学校で文字を習ったからとか随分大人になっちゃったから読むことができるっていうことなのか
あるいは眼鏡をかけたから今ははっきり見ることができるので読むことができるなのか
こういう能力と状況っていうのは二つの可能があるんですよね少なくとも。
もしかしたらそういう使い分けがあるかもしれないのでぜひ何か気づいたことがある方お便りいただけたらと思います。
というわけで今回はここまでということでレタス言葉のお話でした。最後までお聞きいただきましてありがとうございます。
よろしかったら番組フォローお願いいたします。ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。
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