1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #201 ら抜き言葉とは何か from..
2020-11-03 10:51

#201 ら抜き言葉とは何か from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
前回の放送が記念すべき200回で、当然今回は201回目のトークということになりますね。
最近、聞き始めてくださった方とか、あるいはこのトークが初めて聞くぞって方もいらっしゃると思うので、
長く長く配信をするようになると、長くってことでもないか、トークの配信を重ねていく中でですね、
定期的に自己紹介的なものをしとかないといけないんじゃないかって思いまして、
200回も超えたってことで、軽く言っとくとですね、この番組は言語学の話をすることがよくあります。
おしまい、みたいなね、そんな感じなんですね。
別に言語学番組っていうわけでもないですけど、言語学のトークがかなり多いですね。
必然的というか何というか、固い番組になってんじゃないかなと思いますね。
自分ではそんなつもりはないんですけどね、お固い雰囲気は別に出そうともしてないんですけど、
内容が内容だけにね、別に笑いどころがあるとか、希少転結がなんだ、オチがどうとかそういうわけではないので、
どうしても他の方のトークと比べると、はっきり言ってつまんないんじゃないかなと思いますね。
これね、言語学とか言葉を面白いと思うセンスがないと何も身にならないというか、面白くないと思いますね。
これをこの番組にずっと聞いてくださっている方はね、ありがとうございますということで、そういうセンスがある方は当然面白いと思うんですよ。
内容自体は面白いと思うんですけど、なんかね、面白いと思うセンスがない人にとってはどうしようもない番組となっております。
中のいいトーカーさんとかも近頃増えてるんですけど、無理に聞かなくていいんじゃないかと思いますね。
なんか逆に気使っちゃうんじゃないかなと思いますね。
普通は気を使ってトーク聞きましたみたいなことになると思うんですけど、
僕の場合は気を使って面白いと思わないのに聞いちゃうっていうのが逆に申し訳ない気がするので、
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トークは聞いてないけど仲良くしてますみたいなね、そういう間柄でもいいんじゃないかと思いますね。
特に僕の場合はですね、その番組の性質上そういうことになっているということです。
ただ、僕自身は僕のセンスで面白いと思っているものを配信しているので、
それがどう受け取られるかはその受け取り側のね、センス次第ということになってます。
迷う気が長くなりましたけど、今日のトークテーマはですね、
ら抜き言葉ってことでやろうと思います。
ら抜き言葉はね、過去にかなり初期の方に話したことがあるので、部分的に再録という形になるかと思います。
このら抜き言葉っていうのは間違った日本語とか、日本語が乱れているとか言ったときによくやり玉にあげられるものですね。
ただ、言語学の立場から言うと、間違った日本語とか、言語に正しくないものそのもんあったものじゃないと思っていて、
僕自身もそういう考え方なので、ら抜き言葉が間違っているとか言っているのを見ると、
まあやってるなというか、感じですね。まあどうでもいいんですね、そういうのは。
なので、個人的にはら抜き言葉を使おうが何だろうが、好きにすりゃいいじゃんということなんですね。
まあそういう間違いを指摘してえつに浸っている輩も中にはいるわけですけど、好きにすりゃいいじゃんって感じですね。
ただ、人間というのは社会的な生き物ですから、そういうのを気にする人と付き合っていかなきゃいけないという状況も中には出てくるわけですよね。
まあそういう状況の方が多いかもしれません。
ので、ら抜き言葉とは何なのかということをね、まあまず解説するということですね。
まあそれがわかればまあトラブルもね、避けられるかもしれません。
で、今まさに言った避けられる、これは正しい形なんですね。
まあ正しいというか、いわゆる正しい形。
ら抜き言葉はらを抜けばいいんだから避けれるとこうなるということですね。
他にも、食べられるが食べれる、見られるが見れるとなるのがら抜き言葉ということです。
まあそもそもどういう時にら抜き言葉が見られるかというと、まあ当然動詞で見られるわけですよね。
で、すべての動詞でら抜き言葉があるか、まあそういうわけではないですね。
日本語の動詞というのは2つに分けられるんですね、大きく。
1つは語弾動詞、でもう1個は一弾動詞というもので、まあ一応中学の国語でやってるんですよね、こういうのね。
で、語弾動詞というのはないというのをつけた時に、ないの直前にあだんの音が出てくるのが語弾動詞です。
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読まないとか書かないとか、こういったものですね。
一方一弾動詞というのはないをつけてもあだんの音が出てこないものですね。
避けるだったら避けない、出し、食べない、見ない、投げない、こういったものです。
で、このルールに従わないものは2つだけあって、それは左辺と下辺、左行変格活用、下行変格活用ですね、というもので、するとくるだけ日本語の中では不規則動詞ということになっているんですね。
だからかなり日本語の動詞は規則的といえば規則的で、不規則が2個しかないですからね、それはするとくるですね。
これはちょっといわゆる活用の仕方が他と違うので、イレギュラーとして扱うんですが、それ以外の動詞はすべて今言った語弾動詞か一弾動詞に当てはまります。
では、ら抜き言葉というのはどういう動詞に見られるかというと、一弾動詞で見られるものです。
というのもですね、この受け身って言っていいと思うんですけど、この受け身の助動詞ですね、というのはれるとられるという2つの形があって、こういうのは未然形につくとか言うんですよね。
なので、語弾動詞の場合はらが出てこないんですよ。書かれるとか読まれるとかなので。
一方一弾動詞の場合は食べられるとか見られるというふうにらが出てくるんですね。
このらを取ったのがら抜き言葉で食べれる見れるこうなるということですね。
なのでら抜き言葉を避けようと思ったら、一弾動詞の時に気をつければいいと。
つまり、ないをつけた時にないの直前にあだの音が出てこない動詞に気をつける。
それでいい。ですが、そんな無理な話ですね。土台無理という感じで、日本語母語話者にとって日本語はもう無意識のうちに口から出てくるので、そんないちいちいちいち気にして喋ってないんですね。
普段ね、五弾動詞だ一弾動詞だって考えて喋ってる日本語母語話者はいないので、なのである意味で防ぎようはないかもしれませんね。
ただ知識として、一弾動詞でしから抜き言葉は見られないということは知っておいていいかもしれません。
僕自身はですね、そもそもいい悪いはないと言いましたけど、ら抜き言葉はある意味で効率化の表れだと思ってるんですね。
これは別に僕の意見じゃなくて、日本語学とかだと割とこすられてるネタなんですけど、そもそもこのられるっていうのは複数の意味があるんですよね。
食べられるといったときに、まず受け身。魚が食べられるとか。あとは尊敬ですね。先生が食べられるとか。
そして可能ですね。アレルギーだからアーモンドは食べられないみたいに。このられるって大きく3つの意味があるんですよね。
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そうすると、食べられる単体で聞いたときにどの意味を表すかがよくわからんと。
尊敬は避けようがあるんですね。というのが、特に食べるの場合は召し上がるっていう別個に尊敬語があるし、見られるもご覧になるで避けられるし。
あるいはお食べになるっていう風にね。そういう言い方もできたりするので、尊敬はまだ避けようがあるんですけど。
可能の場合は割とどうしようもないので、その食べられるが受け身なのか可能なのかどっちなのかっていうのをはっきりさせるために、
じゃあ可能の方はらを取ればいいと。それで効率化が進んでるってことですね。
つまり、食べられるは受け身で、食べれるは可能で、すみ分けができてるってことですね。
そうすればみんなハッピーっていう感じですよね。
あとは、語弾動詞の方は、読めるとか書けるみたいに、そういう可能動詞と言われるものがあるんですね。
そのパターンに沿って、見れるとか食べれるっていう形が出てきたっていう、そういう分析もできなくはないです。
そういう観点から見ると、ちゃんと理にかなってるんですね、ら抜き言葉って。
だから僕はうるさく言わなくていいと思ってるたちですけど、そういう人ばかりではないので、
気をつけたい人は気をつけた方がいいというか、気をつけなきゃいけない人は気をつけましょうって感じですね。
というわけで、今回のトークはら抜き言葉についての解説でした。
ちょっと興味が出たら他のトークも聞いてみてください。
ではまた次回。お会いしましょう。ごきげんよう。
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