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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
僕もこのラジオトークで、 トークを配信しているんですよね、このように。
でも通算100回を超えましてね、 皆さんのおかげさまで。
で、こういうふうにトークを 配信している一方ですね、
リスナーとしての側面もあるというかね、 他の番組のトークも聞いたりしています。
でね、この僕の 過去のトークを聞いてくださった方はお分かりかと思うんですけど、
結構ね、僕の興味っていうのが その言葉に、
言葉っていうか言語とかね、 まあそういうところにあるもんですから、
どうしてもね、 他のトーカーさんのトークを聞くときも
言語に注目してしまうんですよね、ついついね。
で、このラジオトークって結構貴重な 言語資料だと思うんですよ、個人的には。
っていうのが、 まあわかんないですけど、そのテレビとかあるいはYouTubeとかだと
割とね、作った言い方になるというか、 台本ありきみたいなね、そういう喋り方になっちゃうと思うんですけど、
ラジオトークだと、 まあ中にはその台本作ってやってらっしゃる方もいると思うんですよ。
で、それが悪いとは言いません。 けど、割合としてはかなりリラックスした状態で
お話になる方が多いんじゃないかと思います。 これ印象ですけどね。
なので、割とその自然の発話に近い形で 言語の観察ができると、まあそういうことなんですね。
それとですね、 このラジオトークっていろんな
その形態っていうか形式があるっていうか、 つまり
1人語りのモノローグみたいなのもあれば、 2人か、まああるいはそれ以上で対話っぽくなってダイアログみたいなのもあるので、
そういういろんな発話を聞くことができます。 例えばね、僕この
番組の過去のトークでお話ししているんですけど、 微濁音っていうのが
本当に使われないんだなぁというふうに 思いましたね。微濁音っていうのは
ガギグゲ語っていう音が
語中、単語の途中でガギグゲ語っていう音になることを言うんですよね。 まあそういうガギグゲ語のことを微濁音と言うんですよ。
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僕は その母語としては微濁音を持ってないので
一応習得したということになるんですよね。 このラジオトークの中でお話しするときはできるだけ微濁音を使って
話すようにしています。 ただ今自分で思ったのは母語って言いましたもんね。母語じゃなくて母語って言ってるから
まあやっぱ徹底できてないんだなと思うんですが、 今のね、ですがのがっていうのが微濁音ですけど
っていうのを あんまり
他のトーカーさんが使ってないなとは思いました。 これはあの全然良い悪いじゃないんですよ。その日本語の現状として
微濁音っていうのが使われなくなっているっていうのを 実感としてね確かめられるということです。
他にもですねこれも過去のトークでお話ししているんですが 違うっていう
動詞が違くないとか 違かったみたいな言い方になるっていうお話もしてるんですよ
本当は 違わないとか
違ったみたいな動詞 っぽいというかもともと動詞ですからそういう活用するはずなのに形容詞っぽくなって
えっと だから違ったとか違くないみたいなね
っていうお話を過去のトークでしてるんですよね で違ければっていうのも当然想定されるんですよね
違えばじゃなくて形容詞っぽく違ければって言う 僕自分自身を振り返ったときに
僕自身としては違かったとか違くてとか言い方はしないので当然違ければって言い方もしないんですけど
人が違ければっていうその家庭形を使っているのも 聞いたことないなと思ってたんですけどあるときね
ラジオトークで違ければって言ってる人がいて あやっぱ家庭形でも違ければっていうその
形容詞っぽくなってんだなーっていうのがね確かめられたんですよ 他にもですね
これも過去のトークで結構取り上げているテーマの一つとしてアクセントっていうのがあるんですよ
ねその 雨と雨
の違いみたいな雨と雨ですね空から降ってくるのとお菓子の2つの雨と雨の違い みたいなお話をよくしているんですけど
で当然いろんな方言を話す方が ラジオトーク内いらっしゃいますから
やっぱ一番目立つというかわかりやすいのは関西圏の方ですよね 他にもね
そういうアクセントがない地域っていうのもあるんですよ日本国内は北関東とか 九州の一部とか
まあわかりやすいのはその有事工事とか雷とかの漫才を聞けばね結構 アクセントがないなっていうのがお分かりになると思うんですけど
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そういう喋り方をする方もいらっしゃって なんていうかなかなかねそういうアクセントの日本語に触れることがないのでそういう
意味でもねラジオトークって貴重だなと思っています感じています っていうふうに
いろいろ例を挙げましたが 僕にとっては結構言語資料としてラジオトークは面白いなって感じることもありますそれが
全てじゃないですよもちろん内容をちゃんと聞いていますよ ただね冷静に考えると頭おかしいなとは思うんですよ
っていうのが例えるなら こう10日の皆さんがね料理を作って
で美味しいよってこうみんなに出してくれるわけでしょ でラジオトークって割とミンドが高いんでその料理に毒を入れるととかねそういうのは
ないんですけど だからそういう10日さんが出された料理をみんな美味しいねとか
周りはあんまお口に合わないという方もいらっしゃるかもしれないですけどそうやって 味わっている中ですね僕はその料理
が載っているお皿を見て このお皿のデザインいいですねとか
歴史的に見たらこのお皿ってこういう特徴があるんですよとか あるいは
こういう奇抜に見える器ですけど実は世界的に見たら そんな珍しくもないんですよみたいなことを
料理も食わず言ってるっていうことですからね なんか頭おかしいんじゃないかということなんですけどそういうことを考えているとふとね
言語学をやっていると メンタルが強くなるかもしれないというか
打たれ強くなる可能性があります 例えばしょうもない例で申し訳ないですけど
なんか誰かから早く寝れとか言われたとしますよね 寝れって言われて
で普通だったらムッとするところを 言語学やっていると寝れってそこに引っかかるんですよ
普通寝ろだよなって命令権寝ろだよなって なんでこの人寝れって言ってるんだろうって考えるんですよね
で日本語の同士で基本的に2つに分けられるんですよ 5弾同士と1弾同士って
で寝るっていうのは ないっていうのをつけたらわかるんですよで寝ない
でしょ ないをつけたら
でこういうのは1弾同士って言われるもので 5弾同士っていうのは
各の書かないみたいにないをつけたらあ弾の音が出てくるのが5弾同士なんですよね で寝るの場合は寝ないで
その あ弾の音が出てこないので1弾同士なんですよ
1弾同士の命令形はろっていうのをつければ命令形になるんですよね 食べろとか寝ろもそうですけど
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一方5弾同士の命令形は かけとかいけとか
よめとか えだんが出てくるんですよ
っていうことを考えると 今この人は寝れって言ったな
寝れって言ったってことはこの人は 1弾同士の
寝るに 5弾同士の命令形のルールを適用してるんだっていうふうに考えるんですよ
だからもしかしたらこの人は 5弾同士と1弾同士の区別が少なくとも命令形ではなくなっているんだなぁとかね
そういうふうに考えるんですよ だからなんていうかな言われた内容
どこよりその 内容が入っている入れ物ですよね言葉って
そっちばっかり注目するっていうことをやっているので ある面で打たれ強くなるかもしれませんね
まあでも実際そういう言い方する人いますかね 寝れとか見れとかね
あと食べれとかね だから本当に日本語の同士の命令形はちょっとね
そういう変化が起こりつつある可能性はあります 話それちゃいましたけど要はですね
ラジオトークで そういう面でも面白いということですね
いろんな人がいて いろんな喋り方をする人がいるので
そういう面に着目してみても面白いと思いますというお話でした ではまた次回お会いしましょう
よろしかったら番組クリップお願いいたしますではまた次回ごきげんよう