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最近全然ラーメンというものを食べてないですね。 昔はね、その家系ラーメンとか
食べたりとか行きましたし、 あとは
とんこつラーメンでね、かい玉いっぱい頼んだりとか よく食べてたんですけど
この1年ぐらいはね、外食でラーメンっていうのは食べてないですね。 家でもね、
僕はカップ麺っていうのは全く食べないので、 インスタントラーメンも全然食べてないから、本当にラーメンというものを体内に入れていない
志賀十五です。 始まりました志賀十五の壺、みなさんお過ごしでしょうか。
というわけで今日のトークはですね、 日本語っていうのがどういうふうに
その日本語を母語話者でない人に教えられているかっていうね、そういうお話をしようと思います。 なのでラーメンは全然関係ありません。
当然ですね、その非母語話者に言語を教えるっていうのは、母語話者に 教えるっていうのとはもう全然違いますよね。
というか、まあ母語話者にとって母語っていうのはまあ教えられる っていうそういう感覚はまあほぼゼロですよね。
自然と話せるようになるっていうことで、それが一つ人間の能力であるわけですが、 なのでまあ
日本語っていうか国語の授業で一応文法っていうのは教えられるわけですけど中学校で あんなもんやって何の意味があるんだっていうふうにね
まあ思った方もいっぱいいらっしゃると思います。 僕自身はですね、まあそれが面白いと思って、まあそれが一つのきっかけとなってですね
今現在も言語学っていうのを 学んでいるというかね、好きでいられています。
まあ当然ですね、日本語母語話者に中学校で文法を教えるっていうのは話せるようになるためというよりは先人たちが作り上げたですね、その日本語の分析方法っていうかどういうふうに
日本語をみなしているっていうかね、そういうことを学ぶっていう方が、そういう意義の方が大きいですから
当然教え方っていうのは 外国語を教えるっていうその手法とは全く異なります。
で今回はですね、その非日本語母語話者に日本語をどのように教えているかっていうその外国語教育のお話ですけどその中でも特にですね
動詞の活用について ちょっとお話ししようと思います。
この動詞の活用っていうのが一つ僕自身の大きなテーマというか、好きなところなんですよね。
日本語が難しいところっていっぱいあると思うんですよね。
当然その初期体系っていうのは大変だと思いますね。
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仮名に加えて漢字っていうのが山ほどあるわけですから まず初期体系が挙げられるし
あるいは動詞の自他ですね、自動詞多動詞。
日本語母語話者であればですね、あいそが尽きるとあいそをつかすっていうこういうふうに
尽きるつかすっていうのが無意識のうちにこう使い分けられているわけですけど、まあ考えてみれば気持ち悪いっていうかね、誰に教えられたわけでもないのにそうやって使い分けられているんですよ。
ただこれはもう非日本語母語話者にとってはもう大問題ですよね。
この動詞の自他の話は過去にしているので、今日はですね、先ほど言った通り動詞の活用についてお話ししようと思います。
我々はですね、中学校で未然連用終始連体、家庭命令ですか、そういうふうに活用欠点を習うんですが、
外国語教育においてはそういうふうにね、日本語を教えないんですよ。
まず終始形という言い方をしないんですね。辞書形という言い方をおそらくすると思います。辞書に載っているから辞書形ということですね。
スタートはそこからなんだと思うんですが、割と初期の段階で習うのは連用形なんですよね。
で、これがまた連用形という言い方をしません。これはマス形という言い方をします。マス形。なぜならマスに続く形だからです。
で、なぜ連用形をその日本語教育で早い段階で教えるかというと、マスっていうのが使えないと目上の人と日本人って話せないんですよね。
だからそういう社会的な要請もあってですね、マスっていうのをさっさと覚えろということで、そのマスにつく動詞の形を覚えます。
これはですね、一段動詞は別に問題ないといえば問題ないんですよね。一段動詞って見るとか食べるとかですけど、これはルっていうのを取ってマスつければ終わりなんですよね。
連用形というかマス形というのは食べます、見ますで。問題は五段動詞の方です。
五段動詞もマス形についてはそんな大したことはないですかね。立つだったら立ちますとか、帰るだったら帰ります、死ぬだったら死にますとか。
要するに二段の音に変えれば終わりなので、マス形自体はそんなかなって感じですね。
実はですね、連用形って二つあるんですよ。
一つはこのマス形みたいなものと、もう一つは日本語教育で手形と言われているものです。これは手に続く形だから手形と言われるものです。割とそのままですよね。
なんでこの手形がめんどくさいかというと音便というのが起こるからなんですよ。
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これはやはり一段動詞については大したことはないんですよ。
一段動詞はるというのを取って手をつければ終わりなんですね。食べるだったら食べて、見るだったら見て、おしまい。
問題は五段動詞で、五段動詞はマス形に手をつければおしまいというわけにいかないんですよね。
つまり立つだったらマス形は立ちなので、それに手をつけて立ちて、OK、OKにはならないということですね。
同様に帰りてとか死にてとか、そのまま連用形に手をつけても通じないというかね、通じるかもしれないけどめちゃくちゃ古風だなって感じがしますよね。
実際古典においてはそういう発音というかそういう日本語だったわけですけど、発音の都合上発音しやすいように音便が起こって、先ほどの例で言うと立つだったら立って、帰るだったら帰って、死ぬだったら死んで、これ手がまたでっていう形になってますよね。
っていう風に音変化が起こるので手形が非常にめんどくさいところではあります。
手形っていうのもさっさと覚えたほうがいいんですよっていうのが手に続く表現っていうのがいっぱいあるからなんですよね。
例えば帰ってくださいとか帰ってもらったとか帰ってきてっていう風に手に続いていろんな意味を表す表現が日本語にたくさんあるので、マス形と並んで手形っていうのもさっさと覚えたほうがいいということです。
日本語母語話者にとっては手形とかどうでもいいんですよ。そんな知らなくても話せるから。
無意識に立つだったら立って、死ぬだったら死んで、書くだったら書いてとかね。
こういう風に正しい形しか口から出ないんですが、日本語母語話者じゃない人たち、学習者にとっては頑張って覚えるしかないと。
そのルールをざっと言っておきますね。
まずマス形、マスに続く連用形ですね。
マス形がイ、チ、リに終わるのは即音便、つまり小さいツで書くようなものになります。
例えば会いますは会って、立ちますも立って、帰りますも帰ってになります。
次、マス形がニ、ビ、ミで終わるものはンでっていう手形になるんですね。
これは死にだったら死んで、励みだったら励んでとかこういうことですね。
マス形がキで終わるものはイ音便って言ってイにいてっていう形になります。
書きだったら書いてになるということですね。
最後ですかね音便の。
マス形がギで終わるものはイでになります。
書きだったら書いてになるということです。
唯一音便が起こらない語弾動詞はシでマス形が終わるものです。
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つまり話だったら話してになるんですよね。
語弾動詞の中でも音便は起こらないものも一応あります。
もっと言うと辞書形、修飾形がスで終わるものってことですね。
先ほど申し上げました通りですね。
こういうものは我々日本語母語話者にとっては何も覚える必要はないと正しい言葉しか口から出ないんですね。
すごいですよね。本当母語話者って天才だと思います。
この音便に関連してですね意外な事実なんですが、おそらくイクっていう動詞は不規則動詞なんですよ。
というのもですねイクのマス形はイキですよね。
これは書くが書きになるのと一緒なんですよね。
先ほど言ったようにキでマス形が終わるのは手形は書いてっていう風に異音便が起こるはずなんですけど、
イクの手形はイイテではなくてイッテですよね。
だからこれね不規則動詞なんですよね。
あるいはですね方言によっては北関東っていうかその東日本的だと思うんですけど、
歩くっていうのも歩いてではなくて歩ってっていう人いますよね。
あれもやっぱり歩くとイクが不規則動詞だということになります。
というわけで今回のトークは日本語っていうのが日本語教育においてですね、
どういう風に教えられてるかっていうその一例として動詞の連用形を取り上げました。
連用形にはマス形と手形っていうのが一応あると。
こういう風にですね日本語教育っていうまた別の角度から日本語を見ると日本語の特徴っていうのがわかるっていうね、
まあそういうお話でした。
というわけで今回はここまでということでまた次回お会いしましょう。
ごきげんよう。