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始まりました、志賀十五の壺。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。ビートクルセイダーズです。
今回は、日本語の活用というものについてお話ししていこうと思います。
活用形ってありましたよね。
未然、伝用、終始伝体、仮定命令ですかね。
最中、現代日本語だとこういうふうに学校文法では教わると思います。
ただ、学校文法は学校文法で、これは一つの考え方というか、別の立場に立てば、
例えば未然形っていうのはないっていうことになるんですね。
今回はそういった立場についてお話ししていこうと思います。
でね、取り上げようと思っているこの立場っていうのは、
寺村秀夫先生という先生の立場です。
これね、非常に面白いので、ぜひ文献の方も当たってほしいんですが、
学校文法とはかなり違った活用の考え方って言っていいんじゃないかと思います。
活用の話に入る前に、まず日本語の動詞のグループ分けっていうのをね、
前提としてお話ししておこうと思います。
学校文法だと五段とか、紙一段、紐一段とかね、そういった言い方をするんですけど、
基本的に日本語の動詞は2つの種類しかないです。
日本語教育、つまり非日本語母語話者に日本語を教えるときもそういった教え方をされていて、
そこではグループ1、グループ2の動詞っていう風に、かなり単純な名前がつけられています。
これは死因互換動詞と母因互換動詞と言い換えることができて、
具体的な例を元に考えていくと、書くっていうのが死因互換動詞、
食べるっていうのが母因互換動詞です。
不規則動詞っていうのが日本語には2つあって、するとくるっていうのがあるんですね。
今回これはちょっと置いておいて、書くと食べるを例に見ていこうと思います。
死因互換動詞ってどういうことかというと、書くっていうのは互換が死因で終わってるっていう風に考えるんですね。
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kak、ローマ字で書けばkakまでが互換、つまり変わらない部分で、それにうっていうのがくっついているという風に考えます。
一方、母因互換動詞の方は、母因で互換が終わってるっていうことで、
食べまでが互換で、それにるっていうのがくっついていると、こういう風に考えるんですね。
いわゆる現在形というか終止形っていうのは、うっていうのが死因互換にはくっついて、るっていうのが母因互換にはくっついていると、
そういう風に考えるんですね。
さて、これから活用というものを見ていくんですが、
活用形というものは、互換と活用語尾という2つの要素から成り立ってるっていうのが寺村先生の前提となってるんですね。
だからさっきのだと、互換kakにうっていう要素がくっついている。
あるいは食べるっていうのも、食べっていう互換にるっていう要素がくっついているっていう風に、
互換プラスうとかるとかっていう活用語尾、この2つの要素で成り立っているのが活用形という風に考えるんですね。
で、この活用語尾についてもいくつか定義があります。
1つは活用語尾は単一の形態層、1つの要素であるっていうのがまず第一の条件です。
2つ目はその活用語尾に何かしらの意味的なね、まとまりっていうのがあるということです。
さっきのうとかるっていうのは、一応言い切りの形であり、現在みたいな意味があるとかね、そういう風に言ってもいいかもしれません。
まあね、細かい用法を見ればそれはそれなりに大変なことなんですけど、一応まとまった意味的なものがあるという風に考えます。
で、最後に役割は違っても同じ形であれば同じ活用語尾という風にみなすんですね。
ここが一つ学校文法と大きく違うところで、これは収支形と連体形の区別は考えないということなんですね。
あの人が書く、書く人、両方書くっていう同じ形、もっと言うとうという同じ活用語尾を使ってるっていうことで、
言い切りの形と体言に係る形、名詞を修飾している形っていうのは同じなので、これをいちいち分けないということなんですね。
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で、この活用語尾に関するね条件を3つ言いましたけど、これに基づけば日本語の未然形と言われているものはないということになるんですね。
未然形っていうのは書かないとか書かれるとか書かせるっていう風に、まあ否定とかね、受け身や使役っていうものに出てくるものです。
で、共通してここで書かない、書かれる、書かせるであっていう母音が出てきているわけなんですけど、このあっていうのに共通した意味的なまとまりっていうのがないっていう風に考えるんですね。
なので、寺村先生の考えだと、従来未然形で扱われていたこのあっていう母音は、語幹の方の問題ではなくって、後ろの要素であるっていうことになるんですね。
なので書かないだと、kakっていう語幹にあないっていうのがくっついていると、まあ書かれる書かせるも同様ですね。書くっていうものにあれるとかあせるっていうような要素がくっついているっていう風に考えるんですね。
で、それは活用ではないということになっています。あるいは書かないで一つの活用形と見ることもできないんですね。
これは第一の条件の活用語尾は一つの要素でないとダメっていうのに違反して、書かない、書かなかった、書かなければみたいに、書かないっていうのは実は3つのパーツでできていることになるんですね。
語幹とあないっていうのとその後にいっていうのがくっついていると、まあそういうふうに考えられるので、この面から言っても未然形っていうのは考えられないということなんですね。
新語幹同士の場合はあないっていう要素がね、語幹にくっついているっていうことでしたけど、母音語幹同士の場合、食べるみたいなものにはないっていうのが直接くっついているっていうふうに考えます。
これはさっきのうとるの違いみたいなもので、こういうの異形態っていうふうに言うんですね。前に現れる要素によって違う形が出てくるっていうのはよくあることです。
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これはいわゆる連用形と言われるものもそうで、新語幹同士だと書き、母音語幹同士だと食べになるんですけど、新語幹同士の場合は、いっていうものが動詞語幹にくっついていると。一方、動詞語幹の方には食べ、これにゼロがくっついているっていうふうに考えるんですね。
このゼロっていうのも結構クセモノで、当然形がないわけなので、ゼロを認めようと思えばいくらでも認めることができるんですよね。なので扱いは非常に難しいんですけど、連用形の場合は母音語幹同士はゼロがくっつくというふうに考えられます。
こういうふうに活用語尾は一つの要素だとか、活用語尾に何かまとまった意味がないとダメだ、こういうふうに考えると、日本語には未然形と言われる活用形はないということになるんですね。
これは一つの考え方であって、いい悪いの問題ではないんですけど、そういったものがあるというお話でございました。というわけで最後まで聞いてくださってありがとうございました。また次回のエピソードでお会いいたしましょう。お相手はシガ15でした。またねー。