1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #84 君が代の「が」にまつわる..
2020-05-15 11:09

#84 君が代の「が」にまつわるおはなし from Radiotalk

#ひとり語り #落ち着きある #雑学 #教育 #豆知識
んー、うまくまとめられず。

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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。最近なんか暑くなってきちゃいましたね。
なんかこう暑いとマスクするのも苦意になっちゃってね。
大変ですよ。 皆さん体調に
お気をつけつつですね、水分補給等も気をつけながら お過ごしください。
ということで、ということでっていうか、全然関係ないですですが、今日のトークテーマはですね、
君が代ってありますよね。あの君が代、こっから。 君が代のがって何なんだ、というお話です。
このがって お察しがつくようにですね、我が家とかね、我が子とかのがと一緒で、
意味としてはですね、君の代とか私の 家とか私の子っていうことなので、
のっていう意味があるんですが、
これなんでがが使われているんだということなんですね。 がって普通は
主語を表すのに 使われるっていうのが
よく言われることなんですよね。 これもちょっとね
危険な考え方ではあるんですけど、 大雑把に言ってがっていうのは主語を表すと
言っていいかと思います。 今回お話しする範囲内では。
いくらでも例はありますよね。 私が食べるとか、彼が来たとか、なんでもいいですけど、そういう主語を表す時にがが使われるのに、
主語じゃないのになんで君が代とか我が家とか我が子では がが使われているんだろう
っていうことなんですよね。 で当然ですねこの君が代みたいなこういうがの使い方つまり主語じゃないのに
がが出てくるっていうのは 昔の言い方というか
ちょっと古風な感じがしますよね。 でそれはそうなんですよその通りなんですよ。
なので考え方としては なんで主語を表すがが
名詞を修飾するのに使われているんだろう ではなく順番としては
もともと名詞を修飾するのにがっていうのが使われてたのに なんで主語を表すのに使われるようになっちゃったんだろう
こっちがね順番としては正しいんですよね なのでこのがっていうのはもともと
主語を表すのに使ってなかったんですよ 昔の日本語
いわゆる古典と言われる日本語ではですね 主語を表すのはもう何もなしみたいな感じです
男ありけりみたいな男がありけりとか言わないです 男ありけりみたいにもう何にもなし
主語は何にもなし目的語もをというのは一時つかなかったみたいです その代わりですねその代わりじゃないけどその名詞が名詞を修飾する
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時はいろんな方法がありました現代に比べて っていうのが今の日本語だとのっていうのいい
ね一辺倒でやっちゃってますみたいな感じなんですよね私の家とか 秋の田んぼとかね
まあそういうふうに 何でもいいんですけどね彼の車でも何でもいいんですけど
現代日本語は名詞が名称収束収束するときは大抵のっていうのを使うということなんですが 古典においては
のだけではなくそれに加えて今回お話しするがっていうのもあったし さらにマイナーやつで言うとつっていうのもあったんですよ
でこの使い分けっていうのがいろいろあってまつって割と早めに滅んじゃったみたいなんです けど
なのでまあ あのなんだ100人種
でですね増している方は知っていると思うんですが当たり前か あの雨津風とか天の風のことは雨津風とか言ったり
沖の白波のことを起きつ白波とか言ったりするんですよねなんかそういう場所関係を 表すのによく使われたみたいなんですよ
でそれはもう早々化石化しちゃって がっ
とのっていうのが名詞を収束するときによく使われていたと この使い分けどうなってたかというと
ざっくり言うとなんか親しみがあるのはがっていうのをバンバン使って まああんまり親しみないなぁみたいなのはのっていうのを使ってたみたいです
だからまあさっきの秋の田んぼっていうのはそのまま秋のたっていうふうに秋っていう のは何だろうそんな親しみがなかったということですかね
逆にいいですね我が家とか 君がよみたいに
私とか君みたいにそういう親しみがあるというか近しい感じがするものは がっていうのが使われていました
で今お話ししたようにですねこのがとのっていうのはどちらも名詞を収束するのに使われて いたんですがそれが何でがの方は主語を表すようになって
でのは名詞を収束するってその機能を今でも 残しているのかということなんですが
ちょっとね遠回りに感じるかもしれないんですけどかかり結びっていうのを覚えて ますかね
かかり結びの法則 ゾーナムやーか
っていうのが出てくるぞ最後は連体形にしましょうこそが出てきたら依然形にしましょう みたいなやつですね
で今回お話しするのはこの連体形の方のかかり結びに関係あってですね まあかかり結びって何をやってたかっていうと
一種の強調口文みたいな感じだったんですよね強調するのに使われていたと で最後連体形に結ぶっていうのが一種強調表現だみたいな
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あの意識があったみたいなんですよ で連体形っていうのはこれ皆さん覚えてらっしゃいますかねまあ
字が表すごとくですね対原につながる形つまり名詞を修飾する形なんですよね連体形 ただその名詞を修飾する形ではあるんですがその修飾する名詞がなくてもそれだけで
例えば食べることみたいに名詞として使われていたんですよね なのでまあざっくり言うと連体形って
名詞化みたいな働きがあったようです なので動詞がそういう連体形になるともう名詞になっちゃうっていうことなので
その名詞を修飾するときは名詞をというかその名詞になってしまった動詞を修飾するとき はがとかのを使ったみたいなんですよ
例えばですね現人物語の若紫のところで スズメの子をイヌキが逃しつるっていうのがあるんですよ
スズメの子を犬が逃しちゃったのみたいなことなんですが スズメの子をイヌキがっていうのが犬がで逃しつる
でこれ逃しつるっていうのはつっていうのは がなんていうか修飾形でつるっていうのが連体形になっているんですよね
で逃しつるこれ全体で名詞っぽくなっちゃって なのでその時のその時の主語を表すというかね
その逃しつるを修飾するイヌキは がでマークされているという感じなんですよね
でイヌキが逃しつるとこういうことになっています でですねこの係り結び
ではないんですけど今の例は なんか係り結びというか最後文末連体形
で使うのが流行っちゃって強調公文の方がだんだんだんだんデフォルトになってきちゃったんですよ
なんかそっちばっかり使ってたらそっちがメインになっちゃったということなんですけど でそういうことが起こって
実際にですね 動詞があの修飾形と連体形同じ形になるという現象が起こるんですよね
だからね今中学校でね文法を習うとね修飾形と連体形て同市分けてるんですけどあれ 分ける必要ないんですよ
あれ古典に習ってるだけなんですよ 古典の場合は
例えば多くっていうねあの起きるっていう同社多くが修飾形で で
連体形は送るなのでその終始連体で分ける理由はあるんですけど そのだんだんだんだん時代が下るにつれてですね
修飾形と連体形が一緒になっちゃってその連体形が流行ってきちゃったので で今では両方起きるという形に落ち着いているので
だから現代日本語においてその修飾形と連体形をね分ける ギリはないですはっきり言って
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なのでこの連体形が流行る というかメインになるってことは一種体現ドメが
デフォルトになっているということなんですよね そうなるとそれを修飾していた
さっきのイヌキがみたいなのが名詞を修飾しているというよりは 主語を表すっていうことになっちゃったんですよ
なのでもともと連体修飾だったがっていうのが なぜ主語を表すようになったかというと
下に続く 連体形が
連体形というか体現ドメが 修飾形になっちゃったからというこういう理由なんですね
なんか全然うまく話せた気がしませんね まあ一応こういう理由があるんです
なので 連体形がデフォルトになっちゃったから係結びもだんだん滅んでいくんですよねその
ゾーナムやアカーが出てきたら最後連体形にしましょうというルールだったのに 全部
連体形で終わりっていうのが主流になっちゃったので ゾーナムやアカーが出てこなくても
連体形で終わるっていうことになっちゃったと いうことなんですよ
で面白いのはですねこの係結びがそうやって滅んでいくと同時に
のだ文っていうのが増えていったんですねのだ文っていうのは何かというと 私が来たのだみたいなねそういう文ですがこれはどういうことかというと
連体形で終わるつまり体現ドメが 修飾形になっちゃっていったその隙間を埋めるために新しい
体現ドメみたいなのが出てきたということなんですよ まあのだってつまりので1回名詞化してだっていうのがついているっていうことなんですよね
だからまぁ係結びってのだ文に近かったらしいですね感覚としては はいというわけでまぁごちゃごちゃしなし話になっちゃいましたが
この我が家とかね君が世のががいかに主語を表すようになったかというお話でした よろしかったら番組クリップお願いしますではまた次回ごきげんよう
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