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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
日本語はオノマトペが豊富な言語だ、みたいなこと言われたりするんですよ。実際そうだと思います。
文学作品とかだとね、これは作家さんの腕の見せどころですよね。いかにこう臨場感を持って、
読み手に伝えるかっていうのはね、オノマトペが一躍勝っているところはあると思うんですよね。
宮沢賢治とかはね、その独自の特徴的なっていうかね、そのオノマトペを作り出して、自分の作品を作り上げてたりするので、
そういう面でもね、その文学的な意味でもオノマトペって面白いし、もちろん言語学的にも面白いところです。
この番組を初めて聞く方もいらっしゃると思うんですけど、言語学の話をよくしているんですよね。
今回はその言語学でも扱われるオノマトペについて考えていきたいと思います。
まずはお便りをいただいたので、それを読み上げますね。こちらラジオネームリンゴさんです。はい、いつもありがとうございます。
では読み上げますね。
こんばんは。今日ふとガッカリという言葉が気になり語源を調べました。
すると擬態語が副詞になった語という説明が出てきました。
擬音語の成り立ちについては理解できるのですが、擬態語についてはさっぱりわかりません。
日本語として当たり前のように存在している擬態語とはどのようにして生まれ認識されてきたのでしょうか。
ものすごく気になるので教えていただけるとありがたいですということです。
ありがとうございます。ご丁寧にウェブページのURLも貼ってくださってね。ありがとうございます。
この気持ちはすごくよくわかります。擬音語は理解できるけど、擬態語って何なのって感じですよね。
さっき冒頭で言ったオノマトペというのは特に日本語では大きく二つに分けられますね。
擬音語というのは現実世界の音を真似ているようなもので、ワンワンとかニャーニャーとかドカーンとかね、ドンドンとかそういうものですね。
確かにこっちの方は音をモノマネしているだけなんだから、その成り立ちっていうのが非常に理解しやすいんですが、
今回そのがっかりの語源の一つとも言われている擬態語の方はこれ何なのって感じですよね。
例えば擬態語の方はその感情とか状態を表すってことで、実際音がしてないものを表しているってことなんですよね。
バラバラとかキラキラとかモクモクとかね。
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あげればいっぱいあるし、皆さんも探してみればたくさん面白いのが見つかると思うんですけど、
今日はですね、そのオノマトペで、その中でも擬態語を中心に考えようと思うんですけど、オノマトペ全体の話になってしまうかもしれません。
ここで関係しているのはですね、音象徴っていう考え方なんですよ。
割とこれはそのまんまですね。音っていうのが何かを象徴しているってことですけど、
この音象徴っていうのは言語学の枠組みではちょっと異質なものなんですよね。
というのが、シャープ159の僕のトークでお話ししてるんですけど、言語っていうのは詩的だっていうのが定説なんですよね。
つまり詩的っていうのは、犬っていう単語が犬を表さなきゃいけないっていうその義理はないってことなんですよね。
そこに犬っていう音と犬っていう概念に自然的な結びつきはないんですよ。
当たり前といえば当たり前ですよね。だからこそ世界中でいろんな音で犬っていう概念を表しているわけですから、
この音象徴っていうのはそれと真正面にぶつかる感じなんですよね。
つまりこれは音と概念っていうのがかなり感覚的に自然的に結びついているっていうことなので、
人間言語の原則から外れているように感じられるものなんですよ。だからこそ面白いところなんですよね。
この音象徴っていうのは音と何らかのイメージが結びつきがあるっていうことなんですけど、そのままですよね。
例えばよく知られているのは狭母音って言って、母音の中に狭いと広いっていうのがあるんですけど、
Eっていう狭母音は小さいイメージがあって、アーとかオーみたいに口を大きく開けるような開く母音、広母音は大きいイメージと直結しているっていう、そういう研究が実際にあるんですよね。
これは実際実験で確かめられているんですけど、これは微妙ですよね。実際否定もされているんですよね。
というか英語でビッグとスモールって真逆じゃないですか。ビッグってイっていう音が入っているのに大きい意味を表すし、スモールってどっちかというと広母音を使っているのに小さいという意味を表しているので、
だからこれは当てはまらないといえば当てはまらないかもしれません。
あるいは日本語のオノマトペでよく言われているのは、これどっちかというと擬音語の方かもしれませんけど、
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声音は軽い感じがして濁音は重い感じがするみたいなね。 カタカタガタガタとかコロコロゴロゴロみたいな対立は確かに
声音の方が軽い感じで濁音の方が重たい感じがちょっとしますよね。
あとは日本語以外でもですね、この音象調は研究当然されてて、さっきのビッグとスモールはその半例みたいになっちゃいましたけど、
例えば英語のつづりでFLで書くようなものは光みたいなイメージがあるんですよね。
これはフラッシュみたいなものとか。 あるいはつづりでSLで始まるようなものは濡れてるような、
濡れて滑らかな感じがするみたいな。 これスライムとかスライドとかのSLがそれを表していると。
他にもつづりでCRで始まるようなものは、 なんか大きい音が鳴るようなイメージがあるみたいな感じらしいんですよね。
クラッシュとかクラッカーとかっていう風に、これ難しいですよね。 こういう音とイメージが
つながっているっていうのが音象調ですけど、それが 文化的なもので
書く言語によって違うものなのか、それとも人間にとって普遍的な、 全人類共通して持っているイメージみたいなものなのかっていうのはね、
判断が難しいですよね。 ただ少なくとも日本語のオノマトペも
そういう側面はあると思います。 よく言われているのはさっきの声音が軽くて濁音が重いっていうのもそうだし、
他にもポケモンとかそういうキャラクターのネーミングにもね、 そういう研究がなされてたりするんですよね。
なのでちょっと今までの話をまとめるとですね、言語っていうのは原則として 恣意的である。つまり音と概念の結びつきっていうのは
自然的な関係はないっていうのが そういうふうに考えられているんですけど、
ただオノマトペについて言うと、 その音とイメージになんかね心理的な結びつきっていうのが感じられるっていうことで、
おそらくねそれを利用して擬音語あるいは擬態語などのオノマトペも作られているんだと思います。
ただねこの研究は非常に難しいですよね。 例えばイライラっていう擬態語を説明するのに、
イライラっていうこのイラっていうのがイライラした感情と 結びついているからだって言ったとしても、それはお前が日本語話者だからだよっていうか、
その言葉を使い慣れているからそう感じるだけだっていうことになりかねないっていうか、
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結構ね客観的な判断がしづらいところではありますよね。 ちょっとリンゴさんのご質問のお答えになっているかわかんないですけど、
その音象徴っていう考えがあるっていうことをちょっとねお伝えしておきたいと思います。 この音象徴っていうのがもしかしたら言語の始まりみたいなところはあるかもしれませんよね。
その感情の表出っていうのが言語の主な機能っていうか原始的な機能だと考えると、何か表現したい、そしてそれを相手に伝えたいってなると、
音とイメージの結びつきが強いやり方で言語が生まれたっていうふうにね、そういうふうに考えられなくもないし、実際そう考えている人もいると思います。
僕も多少あると思うんですよね。そのオノマトペから実際に今現在我々が使っている単語に発展して、我々はもうそれを意識してないっていうのはあると思うんですよ。
例えばゆらゆらっていうのから揺らぐになったりとか多分これ繋がりあると思うんですけどね。
あとはピカピカから光るとかね。ピカピカと光るだとピとヒで音違うじゃんと思うかもしれないんですけど、古代日本語はハヒフヘホってパピプペポだったんで、
ピカルみたいな言い方だったんだと思うんですよねっていうふうに探せばもっとあると思うんですよ。
だからオノマトペや音象徴によってできた語を我々がそういうのを意識せずに使っている可能性もあるということですね。
というわけで今回はオノマトペについてのお話でした。
この分野は面白い反面ですね。客観的な判断もしづらいということですね。
というわけで最後までお聞きいただいてありがとうございました。よろしかったら番組フォローお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。