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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
近頃不良文化っていうのはどうなってるんですかね。育ててきてるのかな。
地域によるのかな。根強いとこは根強いのかもしれません。
僕自身はその田舎で育ったもんですから、そういう不良文化が根強いところだったんですよね。
中学とか高校とかも、そういう文化、そういう土壌で学生時代を過ごして。
だから、短乱とかね、ボンタンとか、ズボンにチェーンつけてたりとかね、刺繍が入ってたりとかね、学乱に。
リーゼントはさすがにいなかったかな、っていうところで育って。
成人式とかだと、なんかね、派手なことをやったりみたいなね、そういう地域で育ちました。
特効服着たりね、そういうとこですよね。
で、ふとなんかそういうの今どうなってんだろうと思ったんですよね。やっぱ地方の方がそういうのが残っているのかな。
時々ね、成人式を毎年そのニュースでやるときにね、なんか映ったりしますよね、そういう服装の若者が。
で、そういう不良文化の一つに、よろしくみたいなあて字がありますよね。夜の梅雨に死んで苦しむみたいなね。
まあ、あれ意味を考えてはダメですから、そのあて字ですからね。で、見た目がかっこよければいいってことだと思うんで。
正直、よろしく以外にどういうのがあったかなっていうのがね、ちょっと思い出せないんですけど、代表されるのがよろしくっていうやつですよね。
で、実はこういうあて字っていうのは、古代の日本語でも使われてたっていうね、まあ今日はそういうお話ですね。
いわゆる万葉仮名と言われるものです。 まあ聞いたことある方もいらっしゃると思います。
万葉仮名っていうのは、その万葉集っていうもので使われていた文字なので、まあそこから万葉仮名って名付けられてるんですよね。
これは仮名が成立する以前ですね、ひらがなカタカナが平安時代に成立する以前の奈良時代の、あるいは奈良時代以前の
日本語を表していた文字ということになっています。
で、万葉仮名っていうのは、まあよろしくみたいにですね、漢字の音を拝借して、
で、まさにあて字みたいにですね、日本語を表してたと、そういうことなんですね。 でね、この万葉仮名ってね、
詳しく見ていくといろいろ面白いんですよ。まあパターンとしては確かによろしくみたいに、一文字一音みたいな、一対一対音みたいなのもあるんですけど、
もっとね、いろんなパターンがあって、そういうのを遊戯の義と書いて義訓っていうね、読み方のパターンがあるんですよ。
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例えばわかりやすいので言うと、81と書いて九九と読ませたり、16と書いて四四と読ませたり、でこれはまあ九九からとっているわけですよね。
あと面白いのは、山上復習の服あり山と書いて、いず、つまり出るっていうことですね。いずって読ませたりするんですよね。
で、これは山の上にまた山があるって書いて、まあ出るっていう感じが山二つですよね。っていう風にかなりね、遊び心があったみたいなんですよね。
ただこのいずをね、山上服あり山って書くってすごいスペース取るなーって感じですよね。
いずってそのまま出るっていう感じを書けば早いのに、むしろね、そういう遊び心の方を優先しているって感じですよね。
で、言語の本質っていうのは時々言ってるんですけど、まあ音声なので、手話言語以外は。
だからあんまり文字に固執してしまうのも問題なんですが、まあ逆にその文字を見れば古代の日本語の姿がわかるっていうことなので、
これは非常に貴重な資料ですよね。
世界を見回してもですね、こういう風に文字資料で言語が保存されているっていうのは数少ないですから、日本語はそういう面で恵まれていると思います。
つまり万葉仮名を見れば古代の日本語の姿がわかるっていうことなんですよね。
それでですね、ちょっと忘れないうちに言っとくとですね、過去のトークで連濁のお話をしたときに2回ぐらいですね、
昔の日本語に濁音はなかったみたいなね、そういう言い方をしちゃってるんですけど、ちょっとそれはもしかしたら言い過ぎだったかなということで、ちょっとそれを訂正したいと思います。
実際にそういう立場もあるみたいなんですよね。古代の日本語に濁音がなかったって。
ただ万葉仮名でその声音と濁音、かとがみたいなものですね、はちゃんと区別されて、別の万葉仮名、漢字を使って表記されているので、声濁の区別あったと考える方がいいんじゃないかっていうのが主要な見方のようです。
少なくとも音声としてはちゃんとあったっていうことなんですよね。
万葉仮名ではちゃんと声音と濁音、かとがみたいなのは区別されてたんですけど、平安時代になってね、平仮名、カタカナが使われるようになってからは、かとがっていうのがその点々なしでかっていうね、一つの文字で書かれるようになるので、ちょっとねそのことが混乱させてしまうんですけど、万葉仮名の方ではちゃんと区別して書かれてたんですよね。
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で、その連濁の時をお話ししたのは、濁音っていうのは語中にしか出てこないので、例えばかっていう音が語中で折り紙とか包み紙みたいにがっていう音になるっていうね、そういう条件で音が変わっているだけだみたいな話をしたんですけど、
実際にそういう見方もあるみたいなんですけど、ただね、かすとかずみたいにこの同じ語中でもすとずみたいに区別があって全く違う意味を表しているので、そう考えるとやっぱり古代の日本語にも濁音はあったっていう方が妥当かなという気がします。
というわけでね、ちょっと過去のトークでね、濁音はなかったって言ったのはね、ちょっと一つの見方ではあるんですけど、極端だったかなということでね、ちょっと申し訳ないです。
で、そういうことで万葉仮名から古代の日本語には現代と同じく声音と濁音の区別はあったと見る方がまあいいかなって感じですね。
で、他に万葉仮名からわかるのは、これがね、いだんとえだんとおだんに2種類ずつあったってことなんですね。
いっていう音に2つのいがあって、でえも同様に2つ、おも同様に2つあったってことで、なので全部で8つ、8個母音があったという説があります。
これは意外と知られてないんじゃないでしょうかね。日本語といえば母音は5つっていう感じで思われているかもしれませんけど、万葉仮名の時代、つまり奈良時代以前の日本語まで遡るともっと母音は多かったんですね。
まあこの8つっていうとも1説なんですけどね、もっと数が少なくて6つだって言われる説もあるし、いろいろなんですけど、で、なんでそれが万葉仮名からわかったかというとですね、
例えば子供の子っていう語については古いっていう字を、万葉仮名を当てて、それに対して子の葉の子っていう木っていう意味の子には許すっていう字を使うと。
これ逆になることはないんですよね。子供の子っていう単語に許すっていう字を使うこともないし、逆に子の葉の子っていう字に古いっていう字を使うこともないと。
ビシッと使い分けがなされてるんですよね。
で、そのことが子だけじゃなくて、他の伊壇とか枝壇でも観察されるので、ちゃんと文字が使い分けられてたってことは、発音の違いを反映してるっていうことだろうということで、まあ8つ母音があったんじゃないかと言われています。
で、これを上代特殊仮名遣いっていうふうに言うんですよね。
ただね、これは上代特殊というだけあってですね、平安時代以降、仮名が成立して以降はそういう使い分けはもうなくなって、5つの母音になっていたようです。
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まあこれがね、実際どういう発音だったかっていうのは諸説あるみたいですね。
あとは万葉仮名からわかることといえばですね、発音、んって書くようなものとか、側音、小さいつで書くようなもの、あとは小さいやゆよとかね、これ陽音というものですけど、とか二重母音、母音が連続するものとか、こういうのはなかったみたいです。
で、あとは先ほどちょっと言いましたけど、濁音っていうのは語頭に現れなかったし、で、ら行の音も語頭に現れなかったんですよね。
で、濁音とから行が語頭に現れるようになる、単語の頭に現れるようになるのは漢語の影響だと言われています。
で、発音とか側音とか、んとか小さいつみたいなのは漢語の影響もあるでしょうし、あとは音便っていうものですね。
読み手っていうのが読んでになるみたいなものですけど、そういうのが現れる以前の日本語ということになります。
なので万葉仮名が使われてた時代の日本語はもっとシンプルだったということですね。発音というかその音説構造とか言ったりしますけど。
まあそういうことが万葉仮名でわかるということです。
というわけでね、ざっくり万葉仮名についてのお話でした。興味がある方はね、またご自分で調べてみたり質問を送っていただけたらと思います。
というわけで今回はここまでということで、最後までお聞きいただいてありがとうございました。
ではまた次回お会いしましょう。よろしかったら番組フォローお願いいたします。ではまた次回。ごきげんよう。