1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2024-04-09 10:53

#641 恣意性 vs 類像性、ファイッ!! from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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人間の言語には恣意性という特徴があります。 これはソシュールという言語学者が指摘した特徴で、ソシュールについては過去のエピソードで何度もお話ししております。
その恣意性というのは、ものすごく平たく言うと、音と概念の間に自然的あるいは必然的な結びつきはないというような特徴です。
ですので、犬というあの生き物を日本語で犬という音で表さなくてはいけないという義理はないんですよね。
ちょっとこの言い方も問題あると言えば問題あるんですけど、簡単に言うとそういったことです。音と概念の間に何か自然的なつながりというのはないんですよね。
あの生き物を犬と呼ばなきゃいけないような自然の動機というか、 犬と呼ぶのにふさわしいから犬と呼んでいるわけではありません。
で、この恣意性と対極にあるような概念が類造性と言われるものです。 類造性、英語ではアイコニシティと言われるものです。
というわけで、今日のテーマは恣意性と類造性。 じゃあ行くよ。待ってました。
それい、クルクルバビンチョパペッピポ、ヒヤヒヤドキッチョノモーグタン。 類造性っていうのは恣意性と逆で、
その言語の音とか形式っていうのが、 その表す意味と何らかの自然的な関係があるようなものです。
なんかそうやって表した方がいいから表してるっていうか、 まあそれが自然だということですけど、
最もわかりやすいのはオノマトペだと思いますね。 特に動物の鳴き声とか、カラスがカーカーとか言ってますけど、
言ってるっていうか、カーカーっていうふうに言うのは、 カラスがカーカーと鳴いているように聞こえるので、
カーカーとなっているわけですよね。 別の生き物でもいいですけど、ワンワン、ニャーニャー、モーモー。
こういった動物の鳴き声っていうのを、そのようなオノマトペで表すっていうのは、 完全にその
自然的なね、つながりがあると言っていいと思います。 が、皆さんご存じだと思いますけどね。
こういった動物の鳴き声であっても、 類像性があるようなものであっても、
それぞれの言語で違う音が当てられていますよね。 ですのでオノマトペっていうのは、この言語の本質である
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恣性の反例みたいにね、よく言われます。 鳴き声以外でも何でもいいですけどね。
ドンドンとかね、カンカンとか、 パラパラとか、いくらでもあるし、日本語は特に多いみたいなこと言われたりしますけど、
こういったものは恣意的というよりは、どちらかというと類像的、自然の関わりがあると
考えられております。 で、この言語の類像性っていうのは何もオノマトペに限ったことではないという説もあるんですね。
その類像的な関係っていうのがオノマトペ以外、 例えば文法でも見られるっていうのが言われていたりします。
例えば語順で、SとVとOの語順を調べたとき、 Sっていうのは主語、Vっていうのが動詞、Oっていうのが目的語ですけど、
一番多い語順っていうのはS O Vです。 世界の言語で。
ですので主語目的語動詞という日本語タイプが、 だいたい半分ぐらいと言われていて、次に多いのがSVO語順で、
まさに英語とかそうですよね。あるいは中国語とか、 そういった言語はSVOという語順で、これが4割ぐらいらしいので、
世界の言語の大部分はSOVかSVOであると言われております。 いずれにせよSがOに先行してるんですよね。
主語が目的語に先行しています。 で、これは
言語の類像性を示しているんじゃないかと言われるんですね。 例えば
SOVっていう風になるっていうことは、これは多動詞文ということですけど、
ジョンがメアリーを殴ったみたいなものですよね。 で、英語だったら
ジョン、ヒット、メアリーとなるわけですけど、いずれにせよジョンがメアリーに先行するわけで、
これが類像的だというのはどういうことかというと、 ジョンが行う殴るという動作がメアリーに向かっていくということで、
その動作のスタートっていうのはジョンなんですよね。 その動作の到着点というか到達点というのはメアリー、
目的語の方だということで、こういった理由で 主語の方が目的語に先行するんではないかということなんですね。
で、僕がちょっと思うのは他の移動を表すような時もそうかなぁと ちょっと思うんですね。
例えば 白ヤギさんから黒ヤギさんへ
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お手紙が届いた。 これもやっぱりからの方が先に出やすいんじゃないかなと思うんですけどね。
白ヤギさんから黒ヤギさんへ。逆でも別にいいですけど、 黒ヤギさんへ白ヤギさんからお手紙が届いた。
まあいいんですけど、より自然な方は自然というか類像的ですよね、まさにね。 そのお手紙の
方向性としてはやっぱりからからへっていう順序の方が しっくりくるんじゃないかなぁとなんとなく思います。
オノマトペや 語順以外にも言語の類像性というのは観察されることがあります。
英語で believe っていう動詞がありますけど、この believe っていう動詞の使い方に
2つあって、まあ本当は2つじゃないですけど、まあちょっと2つ比べてみると、 1つは I believe John honest で、
ジョンが正直だと信じるっていうね、 こういった言い方があるのと、もう一つは that 説を使って I believe that
で、John is honest っていう言い方もできます。 意味的に何も変わんないんじゃないかという気も
するんですけど、 最初の文の方、
I believe John honest の方が 直接ジョンが正直だということを
その話者が経験した時、直接経験した時に使うそうです。 で、後の方、that 説使う I believe that ほにゃららの方は
ジョンが正直だっていう証拠は 直接じゃなくって、まあ誰かから聞いたとか
そういった場合でもいいそうです。 で、これが類像的だ、自然的だっていうのはどういうことかっていうと、
最初の文の方はジョンっていうのが目的語になっているんですよね。 I believe John honest で、このジョンっていうのが
believe の目的語になっているわけですけど、 that 説の方は一旦文が切れてて、
I believe で、その believe の内容っていうのは that 以下っていうことですよね。
こういうふうに動詞の目的語になるということが 直接経験しているということと、こう自然に結びついていると言うんですね。
なんというかな、その直接経験というのが 文法の面でも形の面でも
より近い関係というかな、より直接的な関係になっているということです。 で、同様のことは詩域とかでも言われるんですよね。
詩域と他動詞文を比べたときに、 詩域文っていうのはややちょっと遠回しな言い方というか、
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派生したような表現で、そういった場合は 間接的な影響を表して、他動詞を使った場合はより直接的だみたいなことが言われます。
例えば、立てるっていうのはこれ他動詞で、 看板を立てると言えば、より直接的に自分の手で持って看板を立てるわけですけど、
子供を立たせるといった場合は、 これ口頭で立てと言って立たせることもあるわけですよね。
より間接的だということで、この立てると立たせるっていうのは、 前者の方がより直接的で、形の面でもより直接的というか近いんですよね、他動詞の方がね。
立たせるっていうのはこのせるさせるっていうのがついてて、 若干遠回しな言い方になっているので、
意味としてもそれが類像的に連動しているということです。
こういうふうにですね、言語は詩的だと言われてはいるんですけど、
オノマトペであったり、語順であったり、 文法のその形の近さというかな、そういったものであったりというところで、
詩的ではない側面、類像性というのが観察されるというお話でございました。 なかなか面白いですよね。
というわけで今回のエピソードはここまでということで、 また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。 お相手はシガ15でした。
またねー!
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