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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
本日はですね、「うれしいすぎる」とか、「悲しいすぎる」とか、こういった表現について考えたいと思います。
当然ですね、これは誤用、誤った用いられ方と書いて誤用とされるもので、本来ならば
まあ、「うれしいすぎる」とか、「悲しいすぎる」とならないとダメというかね、いけないんですが
まあでもよく Twitter とかで見ますね。 Twitter 以外でも、インスタとかでももしかしたらあるのかもしれませんが
「うれしいすぎる」とか、「悲しいすぎる」こういった表現が頻繁に使われています。
で、こういった表現があること自体は僕は知ってたんですけど、あんまり深く考えてなかったので
今回ね、ちょっとなんでそういうことになっているのかなっていうのを考えたいと思います。
でですね、本題に入る前にこういった
今回は、「うれしいすぎる」、「悲しいすぎる」、まあ何でもいいですけど他にも、「怖いすぎる」とかでもいいんですけど
こういった語用とされているものは、世間ではですね、「間違ってる」とかいうことになるんですが
言語学の立場からすると、「間違ってるも何もない」というか、「正しい」とか、「正しくない」とか
まあどうでもいいというとあれですけど、なんていうかな、そういうことに判断を下すのは言語学のやることではないので
むしろ、なんでそういった言い方が生まれてきてしまったのかっていう、その動機づけを探るっていうのが言語学のすることなので
なので今日はそういうことをね、やっていこうと思います。 単なる言い間違いではないのは確かなんですよ
と申しますのも、こういう時にツイッターって便利なんですよね、非常に。 検索ができるので
例えばね、もし皆さん今ツイッター開けたら開いてですね、検索してみると楽しすぎるとか
何でもいいんですよ、形容詞だったら寒いすぎる、暑いすぎるとか 眠いすぎるとかね、そういう
のをパッと検索したら山ほど出てくるんですよ。 で、先ほど言ったように
それが正しいか正しくないかはここでは議論しません。 なのでそういう言い方直せよとは言いません。僕は別にどうでもいいわけじゃないですけど
そうではなくて なんでそういうことになっちゃってるのかなっていうのをね、ちょっとお話ししたいと思います
で本来ならば、つまり例えば 日本語学習者に教えるような教科書だと当然そういう言い方は出てきません
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嬉しすぎるとか 悲しすぎるみたいな
形で文法書で説明されているんですよね。 これはどういうふうになっているかというと
ちょっと専門的な言い方になりますけど、形容詞の互換 と
すぎるの足し算になっているということなんですよね。 互換って何なんだっていうことですけど
単語の幹と書いて互換です。幹なのでまぁ何だろうな 形が変わらないところとざっくり考えていただければいいです
なので、嬉しい っていう形容詞の場合は変わらない部分は嬉しいまでです
で嬉しいの後にいがくっついたら嬉しいになるし 嬉しいの後にかったがついたら過去形で嬉しかったになるし
嬉しいの後にくないがついたら嬉しくないとこういうふうになるので 嬉しいの部分だけはもう変わらず
存在しているということなんですよね。それを互換と呼びます。 なので形容詞の互換足すすぎる
で文法書というかルールブックではそういうふうに説明されます。 本来ならば
そういう表現しかなかったのに 今どうなっているかというと嬉しすぎる悲しすぎるは
ちょっと学校文法風に言うとですね 終止形にすぎるがついているってことですよね
嬉しいっていう終止形にすぎる 悲しいっていう終止形にすぎる
暑いすぎる寒いすぎるも同様です 僕自身はですねこういう言い方は一切したことがありませんし
耳で聞いたこともないんですね書いてあるものしか見たことがないので実際 言う時になるとそういう言い方をしないのかもしれないっていうねそういう懸念というかね
そういうのはあるんですが 少なくともツイッター等そういうそういう sns 上ではですねよく観察されます
でこの嬉しいすぎる悲しいすぎるが これ終止形プラスすぎるになっていると思って
これねもしかしてどうしもそういうふうになってんじゃないかってちょっと思って 例えば歩きすぎたみたいな風になるんですよどうしの場合はね
なるんですよってそのネイティブスピーカーにそういうことを言っても仕方ないですけど そうですよね歩きすぎたみたいな
でどうしの場合は5巻についているというよりは 連用形にすぎるっていうのが続くわけですよね
歩きすぎると これもしかしてと思って
歩くすぎるとか歩くすぎたとかをそのツイッターで検索かけたらね 出るんですよ
時々ねその歩くすぎたさんという意味で歩くすぎたとか出るんですけどその杉田さんの 例をちょっと除外するとですね
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結構出るんですよね歩くすぎた でねこれどうしてもそういうことが起こってんだとは思ったんですけどちょっと今日は
けよしの嬉しすぎたと嬉しすぎると悲しすぎるの方にちょっと 重点を置きますね
でですねそういう終止形 足す
すぎるっていう新しい形ですね嬉しすぎる悲しすぎるっていうのが なんで現れたかというとですね
まあ仮説をいろいろ考えてみると よくあるそういう言語変化のパターンて
なんか似てるパターンがあったらその真似をしたくなるっていうのがあるんですよ こういうの専門的に類推とか言ったりするんですけど
つまりですね 他の日本語の表現でけよしの終止形プラス
なんかっていうねそういうパターンがあるんじゃないかと ありますこれは
しかも大量に 例えば
嬉しいはずだとか嬉しいものだ嬉しいかもしれない 嬉しいことだ
嬉しいつもりだ こういうふうにですね
終止形の後に文末にくっついてですねいろんな意味を表すってものが日本語大量にあるので ひょっとしたらそういうパターンから
学習というかつまり類推してですね 終止形プラスなんかっていうパターンに従って
嬉しすぎる悲しすぎるっていうのが新しくできた のかもしれませんちょっとわかんないです
あのまだよく調べたわけでもないので でそれと合わせてですねまあこういうことも考えられるんですよっていうのが
形容詞の 五感プラスなんかっていうパターンがつまりもともとの形ですね嬉しすぎる悲しすぎる
みたいなパターンが 他にあんまりないっていうことなんですよ
まぁちょっとあるとしたら近寄るとか遠のくとかせいぜい後は 厚がるとか寒がるとかがるっていうのがありますけど
だからそういうねパターン が少ないということも影響をしていると思うんですよその形容詞互換プラス何かっていう
パターンが少ないと で実際にですねこれもね調べたんですけど検索したら
厚がるとか寒がるがやっぱね厚いがあるとか寒いがあるがね 検索でヒットするんですよ
だからこれもやっぱり形容詞互換プラスなんかっていうのが 形容詞の終止形プラスなんかっていうパターンの多い方に
だんだん組み込まれていっているというか 飲み込まれているということなのかなという気がちょっと今しています
ということでですねちょっと皆さんにお聞きしたいのは 嬉しすぎるとか悲しすぎるっていう表現をご自身でお使いになるかとか
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聞いたことがあるかとか あるいはそういう表現が普通だと感じるか
ちょっと変だなと感じるか絶対に許せないと感じるか何でもいいんですけどこういう 表現についての感想ですね
マシュマロでもいいしあのツイッターのダイレクトメッセージでもいいんでちょっとね 教えてほしいんですよねそれをね
僕自身としては先ほども言ったように絶対使わないし 聞いたことはないですただ見たことはあります
主に sns 上で ただねこういうねあの母語話者の内勢っていうか
母語話者が自分の言語について考えるときっていうのは当てにならないので 無意識のうちに僕自身が使っている可能性もあります
ほぼゼロに近いと思うんですけど なのでねちょっとね
皆さんの力を貸してくれというか ちょっとこういう嬉しいすぎる悲しいすぎるみたいな表現についての
コメントを募集したいと思います
で今お話したのはその形容詞の終止形プラスすぎるっていう一つの新しい表現に ついてのお話だったんですけど
もしかしたらこれは形容詞全体日本語の形容詞全体に関わるもっとでかい話なんじゃないかという気も しているのでそれを
次回のトークに回したいと思います続編が あります
のでそちらもぜひ聞いてくださいというわけでねまぁぜひコメントお願いします では続編でお会いしましょう