1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-04-21 11:43

#63 ことばの変化は「やむおえない」? from Radiotalk

#ひとり語り #落ち着きある #豆知識 #雑学 #教育
テーマ「正しい日本語」
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始まりました、志賀十五の壺。今回は、正しい日本語という点までお話ししたいと思います。
僕はですね、言語学をやっているので、その言語学の立場から言うと、
言語に正しいも正しくないもないんですよね。
言語学者は、そういう正しい表現とかいうことに基本的に興味がなくてですね、
でも、基本的な表現とか、基本的な言語は想定したりすることはありますけど、
それでもやっぱり正しい正しくないということには無関心です。
ですが、それは言語学の立場から言ったことであって、
実際には、実際に生きていく上ではですね、
みんな正しい日本語、日本語に限らずですけど、正しい言語を使おうとしていて、
少しでもね、いい間違いというか、間違った使い方をすると、
特に立場が上の人とか、著名人であったりすると叩かれたりするということがございます。
で、最近流行ってるというか、よく見かける、
いわゆる誤った日本語としてですね、
やむを得ないっていうのがあるんですよ。
で、やむを得ないっていうのは、やむを得ないですよね。
なので、やむって止めることができないとかそういうことになるんですけど、
なので字で書くときは、やむをのをは和音のをで書きますよね。
ただね、これ皆さんもちょっと調べていただいたらいいんですけど、
GoogleでもTwitterでもいいんですが、
やむを得ないっていうやむ、でをね、あゆえをのをの方で書いてやむを得ないで検索していただくとね、
これ意外とヒットするんですよ。
なので、これはどういうことかというと、
やむをここで切れて得ないだったのが、やむとを得ない。
で、これでそういう2つのユニットからなってるっていう風にね、
どこで語の単語の境界があるかっていうのは、
勘違いされてというかね、間違って解釈されて、
そういう風に書かれることもあるということなんですね。
で、やむを得ないをあゆえをのをの方で書くバージョンはね、
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まあまだ市民権を得たとは言えないと思いますね。
多分その公の文章あるいは公でなくてもね、
学校の課題とかでもいいですけど、
もしやむを得ないってあゆえをのをで書いたらね、
まあ直されるでしょう。
そういうことでですね、やむを得ないの場合は、
我々日本語話者にとっては誤った日本語として解釈されるわけですが、
ただこういう風にね、区切り、語と語の区切りがずれるっていうことはよくあるんですよ。
日本語に限らず、専門的には異分析っていう言い方になります。
異分析、異なる分析と書いて異分析で、
誤解に基づいて語の構成を解釈しちゃうっていうことを異分析と言うんですが、
これね、いっぱいあるんですよ、面白い例は。
何から行こうかな。
まあやむを得ないもそうなんですけど、
でもね、やむを得ないはまだある意味過渡期っていうか変化の途中で、
今後もしかしたらやむを得ないになっていくかもしれませんね。
こういう異分析が起こる理由はちゃんとあるんですよ。
例えば、手に負えないとかの負えないとちょっと意味的に似てるので、
だからどうしても負えないで一セットって考えちゃって、
で、やむ、負えないってこういう風になるっていうことなんですよ。
他の日本語の例で言うとですね、
例えばね、潔いっていうのがありますね。
潔いっていうのは潔いと良いではないんですよ。
潔で潔いなんですよね。
もともと語源としては潔いってあの清らかの潔いですけど、
なんで潔いなんですけど、
やっぱりね、この良いっていうのをその良い悪いの良いと解釈しちゃって、
潔いいっていう言い方にしちゃったりね。
潔いいっていう言い方は間違ってるんですよ。
間違ってるっていうか、
いわゆる間違ってるっていうことになるんですね。
潔いいとか潔悪いって言い方も本来はおかしいんですね。
潔、潔、潔いなので、もともとその誤協解があるのは。
なのでね、もし今後、
もし公の文章とかそういうときに書く場合は、
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ちゃんと潔悪いとかそういう言い方しないように注意した方が
叩かれずに済むかもしれません。
こういう言い分析は言語一般に観察されるものですので、
当然他の言語でも観察されるものです。
例えばですね、英語で有名なところで言うと、
エプロンってありますよね。
英語だとエイプロンみたいな発音になりますけど、
エプロン、これも実はもともとはネイプロンみたいな単語だったみたいです。
ナプロンかネイプロンみたいな発音だったんですよ。
それがネイプロンがなんでエイプロンになったかというと、
英語の不定漢詞ってアっていうのがありますよね。
エプロンが一つなときは当然アっていうのが付くので、
昔はアネイプロンみたいな言い方してたんですね。
で、このアネイプロンっていうのがアンっていう風に解釈されてですね、
つまり不定漢詞の母音の前だとアがアンになるってありますよね。
あれのルールにのっとってですね、
アンだと解釈されてアンエイプロンっていう風に、
語境界が間違ったところに入っちゃって、
今はエイプロンはエイプロンっていう風になってるということなんですね。
例えて言うとですね、アップルってありますね。
で、アップルがアンナポですよね。
一つのリンゴっていうのが。
で、それがもしかしたら今後ないと思うけど、
アンナポみたいな感じでリンゴはナポになっちゃうみたいなね。
そういうことです。
で、これが割と漢詞が異分析に関わってるっていうことがよくあるんですよ。
例えば英語以外の漢詞の話で言うとイスカンダルってありますよね。
都市の名前でイスカンダルっていうのはもともとアレクサンドロス大王から来てるので、
もともとアリスカンダルみたいな感じだったんですよ。
で、最初のアルっていうのは、
これアラビア語の定漢詞なんですよ。
例えばアルコールのアルとかももともとアラビア語の定漢詞から来てるわけですが、
なのでその漢詞だと勘違いしちゃって、
その漢詞を取っちゃってアリスカンダルからイスカンダルになっちゃったみたいなね。
なので異分析と漢詞って密接に関係してるっていうのはよくあることみたいなんですよ。
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ただ日本語の場合は漢詞がないので、なかなかイメージしづらいですけど、
ちょっと違うけど、日本語の場合でも文法と異分析って関わってるのがあって、
例えば友達たちとか子供たちっていう表現、今では普通に使えると思うんですけど、
よくよく考えてみるとなんか変でっていうのは、
友達って友にたちってもついてるので複数を表してるはずなのに友達たちって言えたり、
子供のどもって何々どもってこれも複数を表してるはずなのに子供たちって言えたりね。
だからたちとかどもって複数の表示マーカーであるはずなのに平気で一人の友達とか一人の子供とか言えちゃうっていうね。
これももしかしたら異分析の一つの例かもしれません。
友達も子供もそれで一つの単語になっちゃってるので、市民権を得てるっていうふうに言えます。
まあそういうことでですね、この異分析っていう現象は言語がある限りあることなので、
やむを得ないがね、やむを得ないになっちゃうのもやむを得ないっていうかね、仕方がないことではあるんですよ。
でもどうかな。
やむを得ないっていう、あゆえをのをのほうでを得ないっていうのが将来市民権を得てむしろそっちのほうがマジョリティというか主流になっていくってことがあるかな。
これはわかんないですね。
今後ちょっと注目していきたい言語変化の一つではございます。
もし気になった方いらっしゃったらGoogleで異分析って調べたらいろんな例が出てきたりすると思うので、
英語だとメタアナリシスっていうふうに言うのでね、それ調べていただいたらいろんな面白い例が見られると思います。
というわけで、今回は正しい日本語、いわゆる正しい日本語とかね、そういうことについてお話しいたしました。
よろしかったら番組クリップよろしくお願いします。
それではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。
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