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始まりました、志賀十五の壺。今回のトークテーマは日本語の文法です。
僕は言語学をやっているので、過去に言語学にまつわる話をいろいろしているんですが、
その中で、シャープ53で日本語の文字のお話をしているんですよ。
そこでお話ししたのは、日本語って漢字とかなっていう、主にこの2つの、漢字とひらがなって言っていいかもしれませんけど、
カタカナは外来語専用文字みたいな感じになっていて、そういう何種類も文字を使うという点で非常にユニークであるみたいな話をして、
さらにですね、漢字っていうのは語彙を表す傾向があって、かなっていうのは文法を表す傾向があるみたいな話をしたんですよ。
なので、その語彙と文法のすみ分けが文字の上で、初期体験の上でできているので、
その分かち書きっていうのをね、つまりスペースを空けて書かなくても日本語はスラスラ読むことができるみたいなお話をしたんですよね。
ただまぁこれは傾向であって、当然ですね、かなを使って語彙的なものを表すこともあるんですけど、
ただね、文法はね、やっぱりね、ひらがなで書くことが多いんですよ。文法はなんか変な言い方だな。文法的な要素っていうのはひらがなで書かれることが多いです。
これね、あんまりピンときてない方もいらっしゃると思うんですけど、でもね、潜在的に皆さんそうなんですよ。必ず。
っていうのがですね、今回のトークのタイトルになっていることですけど、
例えばことなんでもいいけど、大統領が来日したことがニュースになったみたいな時のことですけど、
これって普通皆さんひらがなで書きますよね。ただことって当然漢字もございますが、こういう場合は皆さんね、たぶんことって漢字使わないんじゃないですかね。
これね、よく覚えてるのは僕が中学の時の国語のテストで、問題文でどんなことですかみたいな質問でね、問題文が。
で、ことで文末を終わらなきゃいけないみたいな問題文で、それ僕ことを漢字で書いたらね、点数引かれてね、もうすげえムカついた思いがあるんですけど、
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ただ確かにそういう場合、そういう場合っていうのはすなわち大統領が来日したことみたいな時のことは漢字を使わないんですよね。
漢字のことを使う場合は、たぶんね、ことのなり行きみたいな時は使うかもしれませんけど、今言った大統領が来日したことみたいな時のことは、
これは語彙というよりはむしろですね、これちょっとまた専門的な言い方になっちゃうかもしれませんけど、
大統領が来日したっていう、そういう文を名詞化してるっていうことになるんですよ、機能としてはことっていうのは。
なのでことっていうのはもう辞書に載ってる語彙的要素じゃなくなっちゃって、こういうのを文法化っていう言い方をよくするんですが、文法化して名詞化要素としてことが機能してると。
そういう場合はもう漢字を使わずひらがなで書くっていうことですね。
こういう例はいっぱいありまして、例えばはずだっていうやつですね。
彼が来るはずだのはずですけど、このはずも漢字はちゃんとあるんですよ。竹冠にベロの下ではずなんですけど。
で、これを今はね、古い文章とかだとわかりませんけど、今は漢字で書く人はたぶんいないと思います。
これはさかのぼればですね、このはずって弓の両端のつるをかけるところをはずって言うんですよね、もともと。
そこからいろいろ意味が変わってきて、道理とかそういう意味が出てきたんですけど、いずれにしろ今はそういう語彙的意味はなくなっちゃって、漢字で書かなくなって、つまり文法化して、
今ははずだっていうのは当然であることを表す文法的要素として機能してるということですね。
あとつもりだとかももしかしたらそうかもしれませんけど、いずれにせよですね、やっぱり文法化していくとだんだん仮名で書くようになるんですよ。
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他にもいっぱい例はあるんですよね。例えばね、何々していただくとかね、何々してくださるみたいな敬語表現も、
いただくとかくださるみたいなのも当然漢字はありますけど、やっぱり敬語のときはひらがなで書く敬語があると思います。
あるいは、彼が話しかけてきたみたいなきたも、これ漢字で書いちゃうと意味が変わっちゃいますよね。話しかけて、それでこっちにやってきたみたいな。
話しかけてきたっていうのは話すっていう行為を自分に向かって行ったみたいなことになるので、もはや漢字にしちゃうと意味も変わっちゃうようなものもあります。
これって意外と知られてない日本語の面白い特徴だと思うんですよ。
っていうのがつまり、どういう初期体系、つまりどういう文字を使うかによって文法化してるかどうかの度合いがわかるっていうね。
これ面白いと思うんですけど、一般人はあんまりそういうことに注目しませんね。
面白いんですけど。
でね、これね、微妙なのはいっぱいあります。
一個ね、時とか、時前後みたいな、食べた時とか、食べた時やってきた、食べた後やってきた、食べる前やってきたみたいなこういう場合ですけど、
この時前後はどうだろうな。
今は割とかながわが優先になってると思うんですよね。
これも同様に具体的な意味がだんだん薄れて、これもちょっと専門的な言い方をすると、従属説を作る要素として時後前っていうのが機能してると。
だから文法化したのでかなで書くようになってると。
同じ理由ですね。
これはちょっとまだ有例があるかもしれませんけど、だいぶひらがなが優先かなと思います。
でね、これと同じように考えるとね、これは僕の予言ですけど、多分ね、彼がやってきた際の際と彼がやってきた場合の場合も、これね多分どんくらい先かわかりませんけど、いずれひらがなで書くようになると思います。
際と場合っていうのは際の際なんですけど、際と場合はまだっていうかほぼ漢字が優先だと思うんですけど、多分ね、時とか後とか前とかがひらがな優先になってるところを見ると、そのうちかなで書くようになると思いますね。
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やっぱり際も場合も従属説の表示として機能しているので、ということでこれは僕の予言です。
そうなるといいなっていう感じですね。
いいなっていうか当たると嬉しいなっていう感じですね。
そういうわけでですね、今日は語彙と文法の連続性っていうかねっていうのをお話しして、文法っていうのはやっぱりかなで書かれる傾向があるので、もともと語彙として機能していた単語っていうのをだんだんだんだん文法化するに従ってかなで書かれるようになると。
そういうのが目に見えるのは一つ日本語の特徴として面白いなというお話をしました。
しましたが、これ自分で喋ってて思ったんですけどどうですかね。
面白いのかな。これはもうわかんないですよね。
僕が言語学をやってるから面白いと感じているだけであって、今から僕がえいやっと言語学の知識をどっか飛ばした時にこの話を面白いと思うかどうかちょっと自信ないなっていうことで。
よろしかったらね、他にも言語学の話過去にしてございますので、よろしかったら聞いてください。
それと番組クリップもよろしくお願いしますということで、それではまた次回。ごきげんよう。