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東京チェンソーズと、やまとわの自然資本論〜
はい、東京チェンソーズの高橋です。 やまとわの奥田です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 前回のポレスカレッジの収録あったじゃないですか。
はい。 聞き直したんですけど、めっちゃ眠そうでした。
2回目の15分以降ぐらい、奥田さん、もう吐きなかったですね。
めっちゃ眠かったんですよ。だったらもう12時半、1時ぐらいでしたよね。 1時ぐらいですね。しかもがっつり働いた後の1時だったから
そこまでちょっと疲れてるの初めてでしたね。
まあそうですね、1日目、これ疲れちゃう1日目だったから、朝から準備してみんなで焚き火してみたいなのをやった後に
2人で夜な夜な収録してたんで、 眠い感じがあって申し訳なかったなぁと思いながら
いや僕、家で編集してたら奥さんに、奥田さん眠たいでしょこれって言われましたもん。
編集されてるね。 もう毎回声聞いてるからわかるらしい。 明確に記憶があって、最後の10分ぐらいは
まじ多分思考が CPU 15%ぐらいでやられてたんですよ。
資料が滅裂になっているのがあったもんなぁと思いながら 最後考えられずにやってしまったんで、今回からまたちょっと
しっかり、まだ8時台ですから頑張って頑張りましょう。 よろしくお願いします。
であれですね、保育園会長も無事にあの後3日間終わって大変良かったですね。
いや本当に面白かったです。 講師陣のお話もさることながら、受講者のやる気がねやっぱりすごいあるな
っていうところが伝わってくるのが良かったですね。 背景に炎が見えてましたよね。
いや見えてましたね。燃えてましたねみんな。 それめっちゃ感じましたもん僕。
その辺の話はまた次回の9月のやつが終わった段階でもし
タイミングが合えば、ちょっと総括的に話できたらいいんじゃないかなと思っております。
あ、わかりました。 今日は
久々のゲスト会ということで。 いやだいぶ久しぶりですね本当に。そうですね。
で誰を呼ぼうかっていうのを悩んだんですけど、前々回のテーマが
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自然資本都市本論っていうね、信仰の中で
勇気を取り扱ってたので、その流れも組んで、 友達の藤江さんを呼んできましたみたいな。
いやーいいですね。 感じですよね。
はい、なんでまぁ長野県の乗り暗い高原でユースタウス大長をやってらっしゃる藤江雄馬さん。
もう本当に結構ね頻繁に話してるんで、あのすげー友達連れてきましたみたいな感じですよ。
普段話してないようなことも含めて、もしくは、まぁでも結構あれなんですけどね、サステナブルな文脈とかで
誰がいますかとか言われて、誰だろうって思うと、まぁ身近で結構本気でサステナビティとかビジネスをやろうって
一生懸命やってる人ってそんなに多くないので、いつも藤江さんどうですかっていう話をしちゃうんだけど、それぐらいやっぱり
この領域で、一生懸命やろうよって言ってる人って、もうちょっと増えてくれたら楽しいなって思うんですよ。
確かに。
てな感じで、藤江さんを毎回イエスと呼びつつ待たせるっていう。
今日はでもまだ短めじゃない、でもそれでももうそこそこね、喋ってて。
前は10分ぐらいしたんですけどね。
そうそうそう、前だいぶ任せちゃったからね。ひどかったよね、あの時。
ということで藤江さん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします藤江です。
よろしくお願いしまーす。
この3人で話すのもね、この間たぎ見しましたもんね、3人。3人じゃないけど。
3人じゃないけどね。
まだ1ヶ月経ってない?
経ってないです。
経ってない、経ってないっすね。
まあなんですけれど、でもそういう意味では、あ、そう、その後、たぎ終わった後3人で打ち上げしてたんですね。
打ち上げに。
そうそうそう。
よなよなね。
まあその辺をしっかり深掘って、すげー面白い会議したいなっていう気持ちで。
気合いですね。
気合いです。
入れております。
じゃあ藤江さんに軽く自己紹介をしてもらったらいいのかな。
うん、とりあえず簡単で。
うん。
はい、じゃあ簡単に自己紹介しますと、7年前にこの長野県の範倉公園に移住をして、
今ゲストハウス来庁と、あとギフト範倉っていう範倉のその観光センターで、
ジェラートとカフェのお店をやってたり、
あとは個人でガイド業の資格も持っているので、
冬は特に、まあ今はコロナであんまり来てないですけど、
インバウンド向けにスノー州のツアーをなんかをやってたりして、
で、さらに最近はどちらかというとその範倉公園が去年からゼロカーボンパークに登録されたり、
あと今年の5月か4月かに松本市の中の脱炭素先行地域っていう形で認定を、採択を受けたので、
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その中で今地域が一丸となってゼロカーボンとかを目指してるっていうところをこう一緒にやってるって感じです。
めっちゃ情報入ってましたね、今いろいろ。
うん、めっちゃ。
聞いた人絶対まだついてこれてないですね、きっと。
ついてこれてないかな。
なんか藤井さん、範倉行ったじゃないですか、南海に。
それで今、しかも気候変動興味あってみたいな感じだと思うんですけど、
それが今範倉公園がゼロカーボンパークとして環境省のモデル地域にしようとか、
脱炭素先行地域にしようってなってるっていうのはたまたまなんですか?
そうですね、地域がそもそも危機的な状況にあって、
この2、3年かけて地域30年ビジョンを描こうっていうのは、それはそれで走ってたんですけど、
後からいろいろ聞くと、ギフトのりくらっていう店舗も、
国立公園の中では先進的にサスティナビリティを考えた店舗っていうのもあって、
そういう国立公園の中でいくつかいろんな実績を作ってるっていうところも評価がされたみたいなんですよ。
じゃあ結構、もちろん来庁だけじゃないけど、藤井さんとかの活動があって、
今ここ暑いじゃんっていう風になってきた面もある?
面も一部あるっていう感じみたいですね。
すごいじゃないですか。
いえいえいえいえ。
ありがとうございます。
じゃあなんかその辺の、なんでのりくら選んできたの?みたいな話から若干教えて。
でもそこって僕も聞いてないかもしれないですね。
聞いてない?
ああ、そうだっすね。
大学時代に山が趣味になって、リゾートバイトでこのエリアに来たんですよ。
大学2年かな。2年の夏に1ヶ月間くらいこのエリアに来て、
で、その時にまだ新潟の山しか登ってない中で、この北アルプスに来て、
で、八重岳に当時は登ったんですけど、一人でリゾートバイトの休みの時に。
で、その時にこの北アルプスの圧倒的な景色を見て、
で、この山、ここに、その八重岳から見える山々全部登りたい。
いつか登りたいっていう思いがすごい。
なるほど。
だからこのエリアに住めば、この山々登れるなっていうのは、
昔から、大学時代から夢としてあったんですよ。
で、過去まで。
このリゾートバイトした宿が温泉宿で、めっちゃいい宿だったんですよ。
お客さんとの距離感とか、その家庭的な雰囲気で、
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なんかもう一つのお家みたいな、そんな感じでやってたんで、
なんか将来的にこういう職業もいいなっていうのを、
その当時から描いてて。
で、まあ、脱サラツするタイミングで、
じゃあそっちに向かおうかみたいな感じで決意した感じです。
それ今、軽揚したじゃないですか。
はいはいはい。
宿、あの、継手がいない宿を藤井さんが継いだ形だったんですけど、
そこ同じなんですか?別の宿?
全然別の宿です。
ああ、そうなんですね。
なるほど。でも高橋さんは超山好きだから。
そうですね。初めて僕もアルプス登った時は、
全部登りたいと思って、まだ登りきれてないですけど。
でもやっぱりそれ、長野が一番初めだったんで、
本当に今ね、東京にいますけど、
長野移住したいなってその時めちゃくちゃ思いました。
移住しないと。
そう、移住しないといけない。
長野、長野あたり。
でも奥地君は結構登ってたんかった?昔は。
昔はね。
昔は?
そうですね、もちもち登ってたけど。
今はなんかね、そうですね、登りたいんですけどね。
一緒に冬山登ったよね、去年ね。
登りましたね。
えー、いいな。どこ登ったんですか?
でもね、コマが出てたから。
あ、基礎コマか。
ライトにね。
あの、なんだっけあれ、ロープウェイで。
だからロープ3時間ぐらいで登れちゃったもんね。
冬の方が時間はかかんないかもしれないですよね、直登できるから。
スノッシュ?いや、アイゼンですか?
アイゼンです。
アイゼンか。
えー、いいな。
急登だから結構、下り怖かったですよね。
うん、下り怖かったね、すごいね。
なかなかだけど。
そうそう、まあでもそんな、えーと、何、山きっかけで来てますけど。
じゃあその、来庁ゲストハウスっていうのが、なんていうんですかね、来庁とかギフトっていうのが結構、
今サステナブル文脈でめっちゃ取り上げられてると思うんですけど、
そこってなんでなんですか?どんな野党なんだろうっていうのは。
うーん、その、まあ元々、なんだろう、その大学時代も含めてなんですけど、
その気候変動に対してのアクションが自分の中でできたらいいなっていうのはずっと思い描いてて、
で、就職もその天気予報の会社のウェザーニュースに入って、
どっちかっていうと災害とか、企業のビジネスを最適化させるために気象情報をどう利活用するかみたいな提案をしてたんですけど、
もっともっとなんかその気候変動に対して具体的なアクションをしたいなっていうのはずっと思い描いてる中で、
で、まあ一回会社を辞めて、で、こっちに来た時にゲストハウスを立ち上げるときは、
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まだこうなんていうんだろう、ビジネスを立ち上げることに精一杯で、
それこそサステナビリティみたいな感じとか気候変動に対して何かアクションできる余裕なんてなくて、
とりあえずインバウンド集客して、ビジネスを起動にさせようっていうところにとりあえず。
めっちゃ大事な話じゃないですか。
とりあえず。
というか一個問題なんですけど、
辞めるのは、ノリクラ生きてなんて辞めたんですか?
いや、えーと、全然そういう感じではないですね。
あ、そういう感じじゃない。
そういう感じじゃない。
区切りがあるけど。
話します?
長くない?でも話していい?
そんな長くないです。
なんかあの、めちゃくちゃ会社好きだったんですよ。
ウェザーニューズって感じの。
本当に良いことやったし、
会社のビジョンとかもすごい共感してて、
良かったんですけど、
当時32、31くらいだったんですけど、
なんかその10年先のウェザーニューズで勤めてる自分をちょっと想像できすぎちゃって。
なるほどね。
そのまま行く感じってあるよね。
そうそうそうそう。
なんかたまらなくなったなみたいな。
なんか見えない方が僕の中ではなんかいろんなワクワク感が湧いてたんですよ。
なんか自分の中でこうワクワクするマインドがちょっと消えてきちゃってたところがあったんですよ。
会社自体めっちゃ好きだったし。
役割だけどんどん背負ってきてる感じだったから、
なんかちょっと変えたいなっていう思いでやめました。
なんか僕、ヤマトワのスタッフでも
すげえ同じような理由で転職してきた人いるんですけど、
はいはいはい。
結局なんかこのルートで行ったら、
あのおじさんだっていうのが見えた。
そうそうそう。
そのおじさんがなんかじゃあめっちゃ尊敬できるかって言ったら
そんなことなかったんですよね、僕の中で。
10年後の席あそこだみたいなのが見えた。
そうそうそうそう。
あーなるほど。
それ言ってたな。
まあそれもね一つの安定をこう取るんだったらそういう道もね、
いいとは思うんだけどね。
まあそうですよね。仕事にも慣れて。
そうそうそう。
そうなんです。で当時別に守るべきものもなかったし。
そう考えたら結構若いですよね。
31で辞めて。
確かに。でも仕事して何年?8年ぐらいですか?
ちょうど10年目でしたね。
10年か。
10ヶ月くらいで辞めました。
あーなるほど。
結構長く働いている感じじゃないですか。
まあ僕の転職するタイミングもね、
ちょうど10年終わったところで転職だったんで。
共通点あるじゃないですか。
ほぼほぼ一緒のタイミングですね。
なるほど。
それで辞めてすぐノリクラ行ったんですか?
旅とかしてたんですっけ?
いや全然旅してなくて、
本当は旅すればよかったなって後から思ったんですけど、
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でもなんかとにかく立ち上げたいな、
すぐ立ち上げたいなっていう思いがすごい強くて。
で最初はそのもうなんか宿をやろうっていうのは決めてたんですけど、
温泉宿をやれるとは思ってなかったんですよ。
なんか温泉宿ってなんか高そうじゃないですか。
で浅草でそれこそ外国人向けの宿をやって稼ごうと思ったんですよ。
で稼いだときに。
立ち上げ?して?
そうそうそうそう。
浅草でゲストハウスやろうと思ったんですよ。
へー知らなかった。
物件も辞めて2ヶ月くらいにはもう決まって、
で改装計画を全部立てたんですよ。
へーはい。
あそこまでやってたんですか?
で、あと契約の犯行をその何だろう、
工事会社とその不動産会社と、
こうもう印鑑を押す手前まで来たときに、
こうふともう1回立ち返った時に、
なんか収支計画がなんかもう8割とか稼働してないと、
ビジネスとして成立しないっていう計画になっちゃってたんですよね。
5年とか10年借金返すみたいな。
6年とか10年借金返すみたいな。
そういう計画になっちゃってたんですよね。
5年とか10年借金返すみたいな計画をいろんなシナリオで書いた時に、
なんかそれめっちゃ苦しいなと思って。
で、かつ周りに同じようにゲストハウスやりたいみたいな人たちがなんかうじゃうじゃいて。
確かに。
2014年。
多かった。
2010年代前半ってゲストハウスめっちゃブームでしたもんね。
ゲストハウス開業ブームだったね。
で、なんかもうそんな強豪に超レッドオーシャンに巻き込まれて、
なんか今想定してる、例えばドミトリーが当時それで3000円とか一泊3000円みたいな計画を立てても、
なんかレッドオーシャンになったら多分2500円とか2000円とかになったらもうこれビジネス成立しねえやんとか思って、
辞めたんですよ。
それマジ正解だったと思いません?
実際そのくらい無我慢で落ちましたからね。
全く違う人生でしたね。
確かに。
そこで終わってましたもんね。
10年間くらい脱出できない。
脱出できない。もう借金だけ抱えてもうこのコロナで死んでましたよ僕は。
確かに下手すると本当にそうなったかもしれないですね。
いや本当に。
あの決断は僕の中ではもう人生の一番良い決断でしたね。
でもそれって逆に辞めるっていう風に決めた理由はなんとなく分かるんですけど、
ノリクラが好きだからって言ってそこからいきなりノリクラ行ってまた物件とかも1から探し始めたってことですか?
はいはい、そうですそうです。
あ、そうなんだ。
もうやるんだったらもうじゃあもう始めからじゃあもうとりあえず自分がやりたいと思ってた温泉屋で目指そうっていう風にその時にもうなんか思って、
それでなんかやってみたらなんかちょっと見えてきたって感じでしたね。
その物件自体、ごめんなさい。
物件自体とかは、浅草とか東京都内とかでやるといろんなものがあるからなんとなくわかるんですけど、
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そのノリクラのエリアとかってあんまり想像つかないんですけど、
そんなに観光地でちゃんと当時成り立ってたかどうかっていうのはすごい栄えてたっていうかわかんないですけど、
そんなに余ってる物件とかがたくさんあるとかってその当てとかも何もない状態で行ったってことですよね。
そうですね、最初はなんかよくあるリゾート物件とかなんかそういうので不動産、インターネット上にある不動産情報を漁りまくってたんですよ。
そうするとやっぱ何件かは出てくるんですよね。
1,2件、当時まあそうだ1,2件は出てきたんですよ。
その中で探し始めたんですけど、
なかなかこうもう本当になんだろうもう前の人がいなくなって5年とか経ってる物件とかだと、
そもそももう全てがぐじゃぐじゃで、
だから立ち上げるのに一体いくらかかるんだみたいな感じばっかりだったんですよね。
でもなんかそうやって探してたらなんかここもあるよとかあそこもあるよみたいな話が出てきて、
でその不動産、一般の不動産情報には出てない物件がいくつか出てきて、
でその物件を回り始めたんですけど、
それでもなんかこうしっくりこない状況がこう続いてたんですけど、
ある時、不意にこう地元の方が、
実はあの宿がもうオーナーさんがちょっと病気をされてて、
で辞めたいっていうふうに思ってるから話聞いてごらんみたいな話が出てきて、
いろいろ困ったときに。
それで出会ったのがこの来町っていう。
へー。
あ、そうだったんですね。
ちゃんと歩かないと見つからないですね。
そうなんですよね。
特にローカルは絶対そうですよね。
そうですね。
5、6回くらい来たのかな、その来町に出会うまでにノリクラの。
でもそこの時点で割とノリクラに決め打ちしてたんですか?
温泉宿やろうって。
そうですね。
ノリクラにその時にはほぼ決め始めてました。
なんか温泉宿自体はその前の段階で浅草辞めた時点で、
例えば日光だとか箱根とかいくつか候補あったんですけど、
なるほど。
途中からやっぱりこうなんだろう、その中にノリクラもあって、
でもノリクラに来た時に、
学生の時にここに住みたいなって思ったよなとか思って、
ここでやりたいなって思ったんですよね。
それでもノリクラ中心に変えました。
大事っすね。
Iターン?
何ターン?
Iターン?
完全にIターンじゃないですか?
そうっすね。
Iターンが果たしてターンなのかっていう問題はあると思うんですけど。
何を持ってターンなのか確かよく分からないけど。
Iじゃんっていうね。
そうそうそう。
なんです。
なるほど。
それで、宿を引き継いで、
で、さっきのその最初、
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言うてサスネアブル大事なのがめっちゃ分かるけど、
言うてビジネスやらなっていうのがめちゃくちゃ面白いなと思ったんですけど。
そこ推理聞きたい。
最初は、だからなんだっけ、
環境問題とかに常に興味のある学生自体を過ごして、
うんうんうん。
で、本当はあれですよね、
みんなの意識啓蒙したいなって言って、
まっすぐ行こうと思ったけど、
何の縁がなくて、
ウェザーニュースが当時、
そういう天候、気候の切り口が面白いなって入ってみたいなところで、
ずっとサスネアブルには興味があり続けていて、
で、ヤドやる時も、
その時は、さっきの浅草とか野利倉っていう視点で考えた時には、
そんなに直接的なアクションとして、
ビジネスを作ろうという感じはなかったってことですよね。
そうですね、環境文脈、サスネアビリティって文脈で、
ビジネスを作ろうっていうのは最初は考えてなかった。
どっちかというとヤドやりたいなって思ったっていうのは何だったんですか?
ヤドは、野利倉っていう場所にすごいポテンシャルを僕は感じたんですよね。
僕は学生の頃に野利倉に来てたんですけど、
あんまり知られてなかったっていうところもあって、
で、隣の神コーチはめちゃくちゃ知られてたんだけど、
野利倉って全然知られてないなと思いながらも、
読めないもんね。
野利倉は読めないしね。
そうか、読めないのかあれ。読めないのか。
なんかジョークなとか。
ジョーアンとかなんか言われる。
そうなのか。なるほど。
それは山が好きだからあるか知ってるだけで、
一般的に意外と読めなかったりするんですね。
でもなんかすごく野利倉の自然がすごく好きで、
物件探しに来てた5、6回の時にも毎回野利倉だけ登ってたし、
で、野利倉散策しまくってて、
めっちゃ自然いいじゃんみたいな思ってて、
で、ここにもっと人を呼び込めたらいいなとか、
あとは温泉っていう資源がすごい僕は興味を持ってて、
そのまま自然の中で癒されるって最高じゃんとかと思ってて、
それがウェザーニューズの最後に行ったのが仙台なんですけど、
仙台に行った時に東北6県を出張でずっと回ってて、
その時に毎回出張の時に温泉行きまくってて、
で、温泉がめっちゃ好きになったんですよ。
このやべえなみたいなことを癒される。
なるほど。
これ大事な話ですね。
もっと温泉っていう資源にいろんな人に触れてもらいたいなと思って。
面白いな。
なるほど。
そうそう。
陶寺とかっていう文化がその時にすごい好きになって、
24:03
元現代人は温泉にどっぷり浸かってゆっくりするようなスタイルを、
その時に会社勤め、めっちゃ仕事してたらめっちゃ疲れてたから、
こういう時間を持つ時間を作ろうよみたいな、
そういう思いで宿を開いた感じでした。
なるほどね。
自然と温泉で癒されようぜ、現代人みたいな気持ちが結構強かったんだ、最初。
そうそう。
しかも東北確かに陶寺の文化とか結構強めにあるし、
そういうのは割と自然に入ってくる感じなんですかね、そうすると。
そう。
だから当時この来町って宿を立ち上げる時の自分の事業計画を見直しても、
現代版陶寺宿を作りたいみたいな感じで書いてあるんですよ。
おー。
なるほどなるほど。
いいっすね。見事に今は変わってきた。
見事に今は。
ようやくこのコロナがあって一気にそっちに振り切りましたね。
そっかそっか。
じゃあ最初は結構経営的にもあんまり有客がないような、
あんまり多くない宿でついで、マジどうするかみたいな感じだったんですか。
そうそう、それこそ僕の中では現代版陶寺宿をやりたいと思ってたけど、
そもそも日本人のライフスタイルが、
そんな陶寺って言ったって誰も来ねえだろうっていうのはわかってたっちゃわかってたんですよ。
うんうんうん。
だからこう、でもそれでも一回会社辞めてビジネス立ち上げるみたいな話になったんで、
とりあえず稼がないと生きていけないじゃんっていう。
大取りなりで。
良いね。
それでこう、その当時インバウンドがめっちゃ上昇してたから、
で、隣の紙コーチには来てるけど、ノリクラっていう場所知られてないから、
で紙コーチはかつめちゃくちゃ宿泊費高いじゃないですか。
ブランド。
確かに確かに。
高いですね。
でもなんか特に欧米系だったら、
そういうリゾート地に泊まりたいっていう欲求はめっちゃあるだろうなっていうふうに思ってて、
で紙コーチの隣のノリクラに、
そういうゲストハウスみたいな形である程度の安い、
最低限のサービスで泊まれる宿があれば、
そっちに人が流れるんじゃないかなっていうふうに狙ったんですよ。
へー。
そこが良かったですね。
始める前のその事業継承はされたわけじゃないですか。
はいはいはい。
その前にその夫婦の方がやられていた宿は、
もう本当の温泉はあるにしても座民宿みたいな形状だったみたいな。
はい。
あーなるほど。
そっからそのゲストハウス形式に形が一気にMUJIさんが継承した後に変わってったと思いますね。
そうですそうです。
もう基本素泊りにして、
でキッチン作ってみたいな形で最低限だけど、
最低限で泊まりたい人たちが、
ある程度設備のある形で快適に過ごせる宿みたいな形を目指したんですよ。
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うーん。
なるほど。
今までのお客さん、
民宿とかってよくリピーターのお客さんとかいたりするじゃないですか。
そういう方々はそんなにじゃあ当時は多くはなかったっていう感じなんですか?
そうですね。
それって旅館時代からってことですか?
あ、そうですそうです。
これは初めてからって感じですか?
いや、旅館時代から。
あ、旅館時代はもうなんかいわゆるその予約サイトみたいに出してない宿だったんで、
リピーターしかつけなかった感じですね。
逆にね。
なるほどなるほど。
逆にそういうことか。
探してもなかなか探せない系ですね。
そうですそうです。
新規。
新規。
もう一元産は断りじゃないですか。
確かに。
えー面白い。
うーん。
それでじゃあそこが結構今インバウンドの戦略がハマって。
そうですね。
ほんと最初8割9割インバウンドでなんかここだけなんか異国でしたもん。
この来町だけ。
他は中高年の日本人がいっぱい泊まってて、
来町だけ外国人がいっぱいいるとすごい。
アルピコバスが観光センターに着くと、
外国人が全部来町に行くみたいな感じでした。
えー。
すごい。
自家用車の人たちは日本人で車で来てて。
そうそう。
今でこそねレンタカーでインバウンドも来るようになりましたけど、
でも欧米とか普通に公共交通で来てたから。
めちゃくちゃ面白いですね。
大体アルピコのバスに乗ってたのがもう来町のお客さんみたいな感じで。
でもそれはなんかビジネスの面でもあるけど、
なんかローカルでね結構自分たちの客取らないでっていう結構圧力あるじゃないですか。
はいはいはい。
そこで影とずらして新規で連れてきてますっていうのは結構入り口としての大事ですよね多分。
そうですね。
そこはすごい本当その通りだったと思いますね。
そこも意識はあったんですか?まあまあ。
ありましたありました。
なんかどっちかっていうとでも同じようにやっても同じような宿がいっぱいあるから、
絶対無理だろうなと思いました。
確かに。
だからまあまずはインバウンド誰もやってないし周りやってないからっていう、
どっちかっていうとその視点の方が大きかったかもしれない。
ああそうか。
同じエリアの中での差別派があるわけじゃないけど。
そうそう差別化っていう意識の方が強かったかもしれないですね。
うんうん。
なるほど。
いいですね。
じゃあもう一つ。
その中からどんどんサステナブルな方向に、
まさにその自然資本と資本論的なノリで、
これまでの話という、
この自然資源、自然っていいよねっていうところと温泉って
もっと日本人楽しんだらいいのにみたいなところから、
両方が超自然資本だと思うんですけど、
ちゃんとお金を稼いで生きていこうぜみたいなところで、
その自然資本を生かしたビジネスをやってきたっていうところから、
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今はむしろライチョウとかノリクラといえば、
サステナビリティとかゼロカーボンの代名詞みたいになりつつあるけど、
そっちにどうやってシフトしていくのかっていうのはすごい興味があって、
お聞きしたいんですけど、
一旦区切りからここら辺で行ったほうがいいかなと思うんですけど。
うんうん。
じゃあ次回そんな話をしていけたらいいなと思います。
よろしくお願いします。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。