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おはようございます。今日は12月の16日、トークの342回目です。歴史トークをしてみたいと思います。
今日は、弥生時代から古墳時代の話になるかなと思います。
その前にちょっと小話。
男の人と女の人、夫婦かな、夫婦がちょっとお話をしております。
女性が旦那さんに聞きます。
この私の作った料理、どうだったかしら?
男の人は答えます。
愛してるよ。
料理の味のことよ。食べたでしょ。
ああ、食べたさ。それとも愛してるよ。
ちゃんちゃん。
いや、いい話なんだか悪い話なんだかちょっとわからないですけど。
まあ、いい話ですよね。
いい話ですよね。
なんか応用とかはできそうですけどね。
はい、えーっとですね。
では、歴史の話になります。
弥生時代、前回まで縄文時代の話をしました。
縄文時代というのは1万年くらい続いたんですよ。
でもどうも聞いたところによると、歴史の教科書から削られたような、今はちょっとわかんないんだけど、ゆとり世代の歴史の教科書から縄文がなくなったみたいな話を聞いたことがあって。
1万年、1番長く続いた時代なのにね。
とはいえ、縄文時代のやったことって結構何もなくて、引き目に見ても1万年間何してたんだろうみたいな、ほとんど進歩がなかった時代なんじゃないかなとは思います。
とはいえ、人類進歩することが素晴らしいことかと言われると、それも言えないなというのが思うところでありますよね。
縄文時代、進歩はなかったけど、平和でいい時代だったことは確かなんですよ。
平均寿命は短かったですよ。病気になったらほとんど治らずに死んでいく方とか。平均寿命がこの当時短いのは、子どもが大人になるまで大人になれないんですよね。
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大人になったら割と長生きしたと思うんですけど、子どもは弱いですからね。そこで病気とかになっちゃったら致命的になっちゃうみたいな、そういったことかなと思います。
生まれるときに死んじゃうとかね。
とはいえ、平和だったわけですよ。いい時代だとは思いますけど、一万年何してたんだぐらい何もしてなかったんじゃないかな、みたいなことも思わなくもなく。
今の現代社会って成長すること、進歩すること、効率化とか言うけど、果たしてそれがいいことかどうかは分かんないけど、分かんないですね。
でも、一万年長かったですよね。一万年本当に何もなかったです、縄文時代って。そこから弥生時代になったわけです。
なぜ弥生時代になったかというと、弥生時代という、今日から弥生時代です、みたいな、ああいうのはないと思いますね。
昔、令和にしろ、平成にしろ、今日から平和になります、平成になります、今日から令和になります、みたいなのがあったと思うんですけど、弥生時代とかそんな感じじゃないです。
今日から弥生になりましたよ、みたいな、そういうのはないですね。後の人がつけただけですからね。
稲作です、稲作。稲作技術が中国か韓国かから入ってきました。
日本はこれだけ縄文時代平平凡凡とお花畑状態なわけですよ、わーいって感じでね。
でも中国とか韓国は常に戦乱の時代だったわけですよ。
で、ちょっと逃げて日本に来たみたいな人らがいたみたいですね。
で、その人らが稲作を伝えたって言われてますね。
で、稲作の特徴というのはですね、稲作が起こることによってね、あと縄文時代っていうか世界の歴史っていうのは温暖化と寒冷化がサイクルで回ってるわけですよ。
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で、縄文時代にも大きな寒冷化はあったみたいですね。
で、そこで結構多くの方が亡くなったみたいな。
で、稲作というのはですね、米をですね、蓄えることができるわけですよ。
不思議に思うんですけど、日本も米蓄えてるはずなんですよ。
で、それはどこに行ってるんだろうという不思議はあるんですけど、米どれくらい蓄えれるかというと結構蓄えれるんですよ。
蓄えれるっていうか日持ちするわけですよ。1年、2年でダメにはならないじゃないですか。
で、蓄えることによって、もしものことに備えることができるということですよ。
この蓄えることには諸派があって、蓄えれる人と蓄えれない人、蓄える人と蓄えなかった人に分かれたわけですよ。
縄文時代の人は蓄えるということをしなかったですからね。
野生のライオンもそうじゃないですか。今日食べるもんだけ食べて終わり。
お腹いっぱいになったら、いくら隣に獲物がいても、もうそんなに襲ったりしないみたいなね。
縄文時代の人もそういう教えだったんですよ。必要以上なものは取らないみたいなね。
ところが稲作というのは作れば作るだけいいみたいな、そういうノリでどんどん貯めていけ。
いっぱい貯まった人と貯まってない人、要は貧富の差が生まれたわけですよ、稲作によってね。
これが1年や2年なら、長い時間かけたら、本当に持っている人と持たない人がどんどんどんどん別れていったんでしょうね。
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持たない人にとっては、急に今年の米が取れなくなったら、持っている人のところに頼みに行くわけですよ。
ちょっとお米を分けていただけないですか。
そうしたら、いいよいいよって分けてくれて、でもその代わりにこの仕事をしてね、みたいな上下関係が生まれていったわけですよ。
それが数十年数百年経いになると、それがもうだんだん固まっていくという感じじゃないですかね。
だから縄文自体にはあまり身分差がなかったわけですよ。取ったものその場で分けるだけですからね。
でも稲作になって貧富の差が出た。
あとね、人口はやっぱりイクラ縄文時代の方がいいというゆえ、弥生時代の方は人口は増えましたね。急激に増えたらしいですよ。
あとですね、規模、縄文時代の人もグループっていうか、村はあったんですよ。
ただちっちゃいちっちゃい自分の家族と兄弟とか、そういうちっちゃい集まりはあったんですけど、
弥生時代になってからもっと大きな集まりになりました。
というのも、稲を作る田んぼっていうのがどうやって作ったかというと、当時の日本は山でしたからね。
山というか林というか、いっぱい木が生えているわけですので、木を切り抜いて引っこ抜いて耕して、かなり大掛かりな仕事で田んぼというのを作っていくわけですよね。
そのためにはみんなで力を合わせてやりましょうかという必要があったので、
ちょっとずつ村から町へみたいな規模が大きい集団になってきました。
規模が大きい集団になってくるとその中に当然階層みたいなのができてきて、
支配者、支配されるかは、まあそういう言い方はよくないのかもしれないけど、そういうのがだんだん出てきて。