1. スベビビ
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2022-07-18 13:05

#0159 - 粘土をこねるのには時間がかかる

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- ゼルプストデンケン( #ゼルデン ) : #43 ダンスが「ある」って何?
- スベビビ #0078 - すれ違いの意味空間
- 文字起こしとサムネイル生成 : https://nariakiiwatani.github.io/PodcastSpeechToWordCloud/

---以下自動文字起こし---
内政整備始まりました業務よろしくお願いしますねフェルプスと点検という番組がございまして哲学者によるさんがご自身のことやなぁからのお便り質問などなどに答える一人当たりの番組なんですけどもそれのナンバー八十三男性があるって何だという会について聞いて思ったことなどお話と思っています
この絵はリスナーからの島のにで寄せられた質問に答えるという会で地図は好ましくをだけど国なんですけどもざっくり内容説明するとダンスがあるっていう感覚存在する確かにダンスっていうのがこの世界に存在しているぞっていう感覚が僕にはあるんだけども男子という言葉が者数範囲意味とが定義とか言ってもいいですけどいうものは人それぞれちょっとずつ違うはずなのに僕は男性があるっていう感覚を持っている男性は世界に存在するっていうなんか客観的にダンスっていうものの存在を何となく僕は主観的に認めているなあということんですよで感覚ってどういう風に形成されるのとか人との体言葉の定義の連れって何なのみたいなこと聞いたんですよね
その答え説明の中でいくつか面白いなぁと思ったことだったのでそれをちょっとかいつまんで説明するという感想を喋るみたいなにしようかなぁと思っていますまず一番なるほどと思ったポイントが僕らは言語言語に限らずですけどある概念を習得するときその定義から習得するようなことはしないと例えばダンスという言葉についてもえーとこれをダンスと呼ぶのか父母みたいなその一つ一つの例から機能的に帰納法のですねダンスっていう概念の輪郭みたいな後やっとしたものを習得していってそれはいつまでたっても明確な定義にはならないんだけどもそれが習得する過程ですでに周りとダンスっていう言葉のて息を合わせていくっていう公共性は規範として働いているというな言い方をされてましたけどそのような方法で概念を習得していくので定義が定まらずともそれは使える言葉になっていくのと使える外でになっていく周りとコミュニケーションそこが生じにくい方向に方向付けられているので習得という行為がなるほどなと思ったそう考えると屋十年前のどっかの海でお話した子供と話をするときはか言葉に言葉の理解についての誤解が当然あるだと想定して丁寧に確認をしたり別の言い方を
いくつもしてみたりと言って慎重にコミュニケーションを取るんだけども音も相手だと同じくこの定義の連れていうのはあるはずなのになぜか大人相手と通じると勘違いしてコミュニケーション不足でしまいますよねーみたいな話動きとかでしてだと思うんですけどネタその挙動も今の概念の習得の仮定の話を踏まえると上がるなるほど当選だなぁと思った訳ですよねー例えば日本語なら日本をを大人は長い期間話してきているわけですよね子供に比べて日本語話者が長い場合ですね日本語話者であった場合の話ですけどで日本語を長く使っているということは日本語一般におけるか語彙の習得とか言葉の定義の習得っていうのはある程度進んでいるだという妥当な装丁ができる訳ですよ僕らは初めて会う人とでもその人が日本語話者であるということだけ確認できればある程度南海が日本語でもわかると思って投げかけてしまるわけですねそれは何となく開いても分かる訳ですそこに細かな定義のずれがあったとしても通じるという想定をお互いができるんですよねだから話せる子供と会話する場合には今から自分が喋り言葉についてこの子は十分な経験を積んできていないかもしれないだからこの言葉は伝わらないかもしれないということおそらく無意識に感じ取ってずれが生じないようにコミュニケーションする訳ですよね
なんかこうスッキリたというかだからといって本当に通じるかっていうと子供と大人のさっていうと大人の方が通じやすいことはあるんですけどでもそれこそ育ってきた環境によって例えばダンスということが一つとってもダンスっていうものが射す範囲っていうのが食い違ってくる訳ですよねその人の周りにいる人その人がコミュニケーションを取っている人のダンスの定義の総和はみたいなものがその人にとっても男世紀になる訳ですからこれは決して独自のものというわけではないけども細かく違っているということはまあ当然でやろうとだからの範囲のとさっきのざっくり日本語話者であるからの習得この概念のサスハイっていうのは同じように習得しているだという見積もりと今コミュニケーションに使おうとしている粒度の意味のずれがあるのかどうかという見積もりはまーまた別にあるべきですよね
例えばえっとー何だなぁ適切な例があるかなぁ家計の話をしている時に収入と支出っていう語を使う時のその収入と支出が意味する範囲と会社の体系の話をしている時に収入と支出っていう言葉おんなじ号気を使ってもその意味するところとか定義っていうのは違うはずですよねだからねぇと会計の知識がない人とある人が会話をする時に収入っていう言葉が何を意味するのかいうことにはやっぱり慎重にならないといけないということですよねだからそれでもう一つちょっとちょっと別の話ですけど納得したことがあってか誰かと仲良くなるには長い時間を過ごすことが必要であると必要十分であるみたいなこと聞いたことがあるんですけれども
それはなんか納得ですよねー仲良くなるのが人によって意味するところが全然それこそ違うんですけど例えば専門家近い人とか興味の範囲が近い人だったら同じようなものにそれてきているっていう想定ができるから一気に深いコミュニケーションを取りに行けるとっても通じる太郎っていう見積もりができるっていう場合もあると思うんですけどそうではなくて相手はどんな人なのかよく分かんないっていう時に当たり障りのない範囲でのコミュニケーションを取るのはさっきの日本語話者ならこれぐらいできるよねっていう範囲で喋ってればいいからそれができるんだけどもちょっと深い話がしたいなぁとかしっかり議論を積み重ねて話がしたいなぁとかだか自分の上段のニュアンスを受け取ってほしいなぁとか相手の受け取りたいなぁとか思った時にはその人がどうどこようなとある言葉ある概念についてどのような理解をしているかっていうことを知ることっていうのは多分鍵になってきますよね冗談の細かいニュアンスなんてまさにそれですよね五千兆円星いった時に混じり五千兆円ほしいのかお金欲しいと言ってるだけなんだなぁとかお金とかじゃなくて何か今話題に出ているものを買いたいっていうということと言いたいためだけに行こ千兆円ほしいっていう言葉を用いているんだなぁとかかいろんな受け取り方が可能かと思うんですけどそれをどんな意味で言ってるのかっていうこと分かるためにはその人がどんな言葉の使い方をするのかっていうことを
ある程度理解しないとできないわけですだからその長い時間を過ごすっていうのはさっきのえっと最初の方に話し手た概念の習得っていうのは周りとのコミュニケーションによって男が輪郭が形作られていくというか輪郭というのはぼやけているかもしれないんだけども何か範囲を年度みたいに子猫ねぇコミュニケーションによって作っていくんだっていうことだと思うんですがそれを長い時間を一緒に過ごすっていうことでその人と一緒に年度こねるみたいなことができる訳ですよね言葉の定義についてでこれはここ形が見えてて八九門落とせばしっかり君と僕が同じ形になるねーみたいなことはできないどこに形の違いがあるかっていうことは違いにぶつかってに分かんないからだから長い時間を過ごして二手に年でておんなじような言葉を使っていくとかねぇどこが違うねっていうことをお互いに了解するとかっていうことが一人が仲良くなるプロセスの方の日要素としてあるっていうことを言っているんだなと思ったと誰かと仲良くなる為には長い時間を過ごすということが一緒にそうということが必要不可欠であるよという主張はこのような意味なのかなーと思った訳ですね
言えば一言で進むようなことながらは話してきてしまったような気がしますが結局その大人のとコミュニケーションを取る時に何となく通じてしまうよね通じると思ってしまうよねっていうことはざっくりした意味の形っていうのも共通に持っているだという見積もりができるそしてそれは妥当であるからそれは無理もないなということと細かい話をしようとすると連れが出てくるのでやっぱり気をつけないとということと
仲良くなるということは同じ時間を一緒に流す過ごして一緒に言葉の年度こねーというようなプロセスの話酒豪忘れると語尾が言えなくなる問題がある仲良くなる為にはそのようなプロセスが必要なのだなぁという言説があるよねという話ですねはい違う気もする
以上ですありがとうございました

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